電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

えっ、『蝉しぐれ』は連載当時人気がなかった?

2005年09月22日 20時11分47秒 | -藤沢周平
先日の朝日新聞の文化欄に、世田谷文学館の「藤沢周平の世界展」の紹介記事が掲載された。初公開の旧蔵資料など約500点が展示されているという。ヒロインの名前には苦労したようで、新聞連載初回の草稿には72の候補が列挙されていたとか。連載終了後に加筆された部分は、20年ぶりに再会したふくと別れた後の文四郎の心情描写や風景描写を中心に、連載時の5倍強に増え、余韻を深めている、とのことだ。
同記事では、また次のようにも書いている。
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『蝉しぐれ』は連載当時あまり人気がなく、藤沢さん自身「作者が退屈するほどだから、読者もさぞ退屈したことだろう」(「新聞小説と私」)と書いている。渾身の加筆だったのだろう。
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おや、これはだいぶ私の記憶とは異なるものがある。地元紙「山形新聞」に『蝉しぐれ』が連載されたのは、昭和61年7月9日から昭和62年4月13日まで。連載開始直後はさすがに静かだったが、次第に人気が高まり、連載後半に入る頃には、『蝉しぐれ』を自宅で読みたいために、地元紙を購読し始めた同僚が何人もいたし、母方の祖父母の法事に呼ばれたとき、叔父・叔母たちの会話が『蝉しぐれ』談義だった。かなり熱狂的な盛り上がりだったように思う。ただ、片田舎の山形だったから、全国的には目立たなかっただけであるし、藤沢氏自身が、謙遜をこめてそのように表現しているだけではないのか。加筆は作品の完成度を高めるための作業であり、連載当時の不出来・不人気を修正したのではなかろう。

いずれにしろ、10月1日の映画『蝉しぐれ』の公開が待ち遠しい。まずは、見てからだ。
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