電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

門田隆将『死の淵を見た男』を読む

2021年04月22日 06時01分01秒 | -ノンフィクション
東日本大震災と福島原発事故から10年ということで、この三月には様々な企画が展開されましたが、その一環でしょうか、TVで映画「Fukushima50」が放送されました。おそらくスクリーンで観たならば圧倒的な迫力に震撼させられたのでしょうが、自宅の書斎で明るい照明の下、CM時には当時のブログ記事などを読み返しながらあの事故の経過を追体験しました。それと同時に、購入したまま積読状態だった原作『死の淵を見た男』(門田隆将著、角川文庫)を読みました。



2011年3月11日の東日本大震災に伴う大津波で全電源を失った福島第一原子力発電所が冷却機能を失い、炉心溶融を起こして暴走する中で、現場のスタッフたちが格納容器の爆発という最悪の事態を防ごうと苦闘する一部始終を描いたノンフィクションです。

10年前、「ベント」という言葉の意味するものがよくわかりませんでした。「ベント」の成否が、当地山形を含む東日本全体がチェルノブイリ化するかどうかを決めたのですね! 本書を読むと、まさに現場スタッフの奮闘と偶然の幸運が、東日本全体の壊滅的状況を辛うじて回避できた要因だったことがよくわかります。

極限状況に置かれた現場と、的はずれな思い込みで迷走する東電本店と政府首脳部の動きが対比されるあたりは、物語を善悪の二元論で割り切りがちな読者をミスリードしやすいのではないかという懸念はありますが、なるほどそういう状況だったのかと今更のように再認識でき、たいへん有意義でした。



率直にいって、こんな状況を作り出したものは何だったのか、むしろそれが知りたいと感じます。

  • 原子力の平和利用を旗印に米国GE社の沸騰水型原子炉を購入することになった経緯(*1)とその背景。昔の東電社長は最初は原子力導入に懐疑的だったはず。
  • 放射性廃棄物という問題を先送りし、当面の利益を享受して電力を確保したことで得た経済的利益と、それを背景とした政治資金や広告資金などの社会的影響。
  • 「千年に一度の災害にいちいち対処していられるか」という発想よりも、むしろ非常用電源設備を地下に設置するという発想の方に、豪雨災害で被害を受けた高層タワーマンションに共通する怖さを感じます。たとえ米国では津波よりも竜巻のほうが危機の度合いは高かったとしても。

実際の意味するところはもう少し時が経ってからでないと見えてこないのかもしれませんが、それにしても原子力の導入を無理に急がせすぎた戦後政治の責任は重いと言えそうです。

映画では、復興オリンピックになるはずだった東京大会がエンディングとなっていましたが、新型コロナウィルス禍ですっかり事態は変わってしまいました。映画の幕切れはちょいとピント外れだったなあ。

(*1):東京電力初の原子炉に沸騰水型が採用された経緯〜Wikipedia より

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