電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤沢周平『又蔵の火』を読む

2016年08月13日 06時06分38秒 | -藤沢周平
文春文庫で、藤沢周平著『又蔵の火』を読みました。昭和47年~48年頃に発表された、作家デビュー後の著者の初期作品集と言ってよいかと思います。昭和46年に『『溟い海』でオール讀物新人賞、翌47年に『暗殺の年輪』で直木賞を受賞していますので、まさに受賞の頃の作品です。本書は、五編の作品から成っています。

第1話:「又蔵の火」。この緊迫感、スピード感は、尋常ではありません。映画であれば、凄惨な争闘場面を含む、きわめてハードボイルドな作品です。事情を客観的に眺めれば、土屋丑蔵にとっては大いに迷惑な話。又蔵は兄の仇と言うけれど、兄の行状はたぶん許される限度を越えているでしょう。作者はなぜ実話に基づくこの歴史的な事件を作品にしたのだろうかと不思議に思いますが、その疑問は本書全体、暗いトーンを持つ作品すべてに当てはまります。

第2話:「帰郷」。「弔いの宇之」という通り名を持つ渡世人の宇之吉は、あるとき老いの寂寥と悲傷を覚え、帰郷します。自分の家だった屋根の下には、おくみという勝ち気な若い娘が住んでおり、彼女はどうも自分の娘らしい。おくみに手を出そうとしている昔の仲間で仇敵の久蔵が、今は親分を追い出し高麗屋を乗っ取って幅をきかせています。宇之吉は、西部劇ならさしずめさすらいの老ガンマンといった役回りでしょう。

第3話:「賽子無宿」。こちらもイカサマ賭博の渡世人の話です。病気で行き倒れる寸前に喜之助を助けてくれたのは、中風の父親を養って屋台を引いていたお勢でした。ようやく回復した喜之助は、ずっと以前、自分が陥れられた真相を知りますが、嫉んだ男は落ちぶれ、鶴惣一家は阿漕なやり方を続けています。喜之助は、やはり西部劇の「さすらいのガンマン」です。

第4話:「割れた月」。御赦免船で三宅島から江戸霊岸島に戻った日の午後、元錺職人の鶴吉は深川六軒堀町の元の家に戻りますが、そこには昔の情婦のお紺はいなくて、隣家の娘お菊が成長し、父親の理助と共に暮らしていました。お菊は、お紺の正体を察しており、むしろ鶴吉に心を寄せていたようです。理助が卒中で倒れると、鶴吉が働いて養うようになりますが、素人商売はなかなかうまくいきません。結局は、破局型のストーリーになってしまいます。

第5話:「恐喝」。これもまた救いのない、賭場の客に対する恐喝の話です。しかも、イカサマ賭博でカモにした若旦那を恐喝し、その許嫁を売ろうというのですから、最低の野郎どもです。ところが、実際にその娘が連れてこられた時、竹二郎は驚きます。竹二郎が怪我で困っていたときに、親切に助けてくれた、あの娘ではないか。恐喝者は守護者に一変し、娘を逃がした後は、仲間内での凄惨な争闘の場面となります。ある意味、典型的な昭和の時代小説と言って良いでしょう。

大きな文字の新装版で読みやすいけれど、作者はなぜヤクザな男を好んで取り上げたのか。それは、たぶん暗い情念の世界、悲劇的結末の舞台設定をするのが容易だからでしょう。運命にあらがうまでに至らず、運命に流され放浪する存在。しかし「一言、言いたいことがある」。それは、運命に対する憤怒、と言ってもよいでしょうか。

初期の藤沢周平の、あの暗いトーンがたまらなく好きだと言った叔父の一人は、新婚早々だった長男を癌で亡くし、しばらくして自身もまた息子の後を追うように癌で亡くなりました。おそらくは、叔父もまた運命に対して「胸の火が、いま火焔を噴き上げている」思いを持っていたのだろうと、今は想像しています。



さて、今日はお盆で寺の役割がありますので、朝食後には寺に向かい、午後からは一族の挨拶まわりをし、また自宅で挨拶を受けます。例年のことですが、長い一日になりそうです。

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