電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

木曜時代劇「風の果て」第6回を観る

2007年11月23日 07時09分41秒 | -藤沢周平
NHKの木曜時代劇「風の果て」も、いよいよ第6回となりました。愛読している藤沢周平原作『風の果て』との、若干の相違点を承知しながらも、コマーシャルの入らない連続テレビドラマの良さを感じております。

桑山隼人改め桑山又左衛門は、太蔵ヶ原の開墾に成功し、視察に見えた殿の信頼を得て、出世の階段をのぼり始めます。まず郡代にすすみます。開墾の成功を祝い、藩政の旧弊だった藩士からの借り上げの扶持米を五石だけ本来の石高に戻すようになり、又左衛門の評価は高まります。又左衛門は次に中老に進み、執政会議の一角を担うようになりますが、このとき次の郡代の推挙をしなければなりません。又左衛門は、自分より前に郡代に登ると評価の高かった花岡郷助を推挙しますが、このときの感触を、原作ではこんなふうに表現しています。

「花岡郷助が適任でござりましょう。」
と又左衛門は言った。郷方勤めではなく藩主の側近にいたら、あるいは用人、側用人まで登りつめたかも知れないと言われる不運な花岡郷助は、まだ郡奉行の職にとどまっていた。
「代官から郡奉行と歴任する間に、花岡は領内の農事なら掌を指すごとく諳んじるに至っております。また、花岡の農政の処理が剃刀の切れ味を示すことはどなたさまもご承知のとおり。かの男にまかせれば、藩の農事は小ゆるぎもせぬことは請け合います」
そう言ったとき、又左衛門はたった今踏み込んだ場所から、はやくも自分に附与された権力を行使したような気分を味わったのだった。その気分は心をくすぐった。

この気分は、藤沢周平が実際に味わったことのあるものでしょうか。私は、作家となる前に、小さいながらも、日本食品加工新聞という業界紙の編集長をしていた時分の経験が反映されていると考えます。殿が経営者にあたるとすれば、編集長に与えられる権限の大きさは、いわば執政のそれでありましょう。

さて、首席家老となっている杉山忠兵衛は、又左衛門の出世が面白くありません。又左衛門の執政入りに陰で反対しますが、殿の意志で役目が決まると、恩に着せて又左衛門の自派への取り込みを図ります。しかし、すでに忠兵衛を見る殿の目は冷やかになっており、藩の用人を通じてそれを知った又左衛門は、忠兵衛につかず離れずの姿勢を貫きます。そして飢饉時の年貢を遡って取り立てると言う忠兵衛の案に真向から反対し、案の評議を執政以下の役職を含む、大評定の席に持ち込みます。

忠兵衛は、最大の政敵となった又左衛門を葬るべく、羽太屋と又左衛門の結託を暴こうと帳面を押収しますが、又左衛門は前の大目付から、小黒家老を追い落とした先の政変が、杉山忠兵衛の罠にはまったものであることを聞き出します。また、藩の御金蔵にあった30個の鉛銀が、借金のかたに消えて今やわずかに二個しか残らない事実もつかみます。

殿の御前において、ふきに出してやった料亭のことや、ふきとの関係まで中傷されるにおよび、又左衛門は先の政変時の証拠の再吟味を提案し、鉛銀の無断流用を批判し、杉山家老の責任を問います。旧友相争う緊迫した場面です。

友人の引きで出世することをこばみ、自分には普請組が合っていると、貧乏の中で地道に働く兵六の姿は、「蝉しぐれ」の牧文四郎の不遇時代の姿でもありましょう。原作にはなくいかにもとってつけたような、夫の出世よりも平和な家庭生活を願う妻たちの茶飲み交流場面よりも、隼太、鹿之助、市之丞、一蔵らの変貌・対照の基準点となっているようです。

さて、来週の第7回は野瀬市之丞との果し合いの場面です。はて、すると第8回は何が主題となるのだろう?出世したあとの家庭生活や藩政の虚しさが描かれたりするのなら、それはちょいと違うような気がする。原作と大きく変えた妻の役割など、脚本家の意図が最終回では明確になることでしょう。楽しみです。

■『風の果て』関連記事リンク
(*1):藤沢周平『風の果て』上巻を読む
(*2):藤沢周平『風の果て』下巻を読む
(*3):「ながい坂」と「風の果て」
(*4):NHK木曜時代劇「風の果て」公式WEBサイト
(*5):木曜時代劇「風の果て」第1回を観る
(*6):木曜時代劇「風の果て」第2回を観る
(*7):先週の木曜時代劇「風の果て」第3回
(*8):木曜時代劇「風の果て」第4回を観る
(*9):木曜時代劇「風の果て」第5回を観る
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