瀬戸内 寂聴さんが、聞き手の中村 裕さん(TVの仕事でであった、
ディレクター)の質問に、答えている内容の、本でした。
質問は省略して、寂聴さんの言葉を・・・。
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
文中より
「偉い人や、金持ちにならなくてもいいのよ。
人間にやさしい人が、いちばんですよ。
やさしい人は、自分より弱い人、
不幸な人の悲しさに、思いやれる人ですよ。」
「人間は、自分がこれをしたら幸せだと、思ったことを
すればいいんですよ。
人がそれをおかしいと思ったって、いいじゃないですか。
法律にふれることや、人倫の道にふれることさえ、しなけれがいい。」
娘と夫を捨てて、家を出たこと。
「子供を捨てるようなお前は、もう人間ではない。鬼だ。
鬼になったからには、大鬼になってくれ、今度、人情にほだされて、
頭を下げて、婚家へ戻るようなことはしないでくれ」
と父よりの一通だけの手紙。
私を勘当して、陽のあるうちは家へ入るなって、命令されました。
私は夫と暮らしていた家を出るときにね、
「男が出来たから出ます」、って言っていないんです。
やはり、格好をつけるじゃない?。
それで「小説を書きたいから、出してください」、って言ったんですよ。
だから私は、自分のその一言のために、死んでも小説家にならなければ、
いけなかったんです。だから、ならないとならなかった。
ちっとも悪くない立派な夫を、社会的に傷つけ、恥をかかせたんだから、
別れた夫に対しても、心から済まないという気持と、
置いてきた娘に対して、私は絶対、幸せになってはいけないのです。
もちろんあの世は、地獄行きだと思ってます。それは覚悟している。
家を出るとき、小説家になりたいから、
家を出してくださいって言ったのは、方便です。そのときは、
X X との恋愛を、成就させたいという思惑が、ありましたから。
でもそれを表に出すには、みっともないから、小説家になりたい、
とカッコつけて言ってしまった。
でも私は、その言葉に対して、今までやってきたんですよ。
私の幸福感は、本当に好きなこと、一筋にやってこられたことです。
これは出来そうで、なかなか出来ない。
聞き手による後書きより
「これまで言えなかったこと、書かなかったことを言い遺しておきたいので、
その相手をしてほしい」、と幾分改まった様子で、お話されたことだった。
2006年の春から、2007年の春までの一年間、訪ねて話を伺ったもの。
先生と一緒にいて、最も驚かされたのは、その健啖ぶりと、
感受性の若さ、反応の瑞々しさがある。
*** 「遺したい言葉」より・抜粋にて ***
茨城県・フラワーパークにての、フジバカマです
カールさんに教えていただきました。
有難うございます。
実践されてきたからこそ、また我々の心に
重く響きますね。
偉人先人の残した言葉には、教えられることが
たくさんあります。
なかなかそのようには生きられない凡人ですが・・・。
周りのこと気にせずに、本当に自分の歩き出した、
道一筋をつらぬき、やってこられたことは寂聴さんは、強靭な方ですね。
甘えのない、厳しい道を歩いたかと思いますが、
心の中では、葛藤も随分あったかと思います。
高校生の頃、母が父の愚痴ばかりを言うので私は離婚したいなら私はかまわないよと言いました。
『人間やりたいようにやればいいんだよ』と母に言ったら『そんな危険な考え方ダメよぉ~!』と嘆かれましたが、そうじゃないよ、やりたいようにやってダメな人は根が悪人だってことだよぉ~と、なんと表現していいかわからなくてもどかしかったのを思い出しました。。。
>こんな赤裸々な方だったのですね~!
包み隠さずに、自分のことを書き記していますね。
やりたいことをやった意志の強さですが、結果、人を
傷つけたいう思いが、自分の言った小説家に、
を貫けたのでしょうね。
お母様は、やりたいようにやった後のことも、考えられていたのかもしれません。