師走の全般に忙しい時期だけど、昨日と今日は短い空白期。だから、早く帰れる。
晩飯はなか卯で牛丼並と小うどん。
早く帰れたので、録画しておいた映画のうち1本を見る。
1時間半とちょっとぐらいの長くない映画だが、途中で眠気。やっぱり、寒さで堪えてきているのかもしれない。今週の仕事もあと1日だから、早めに寝てできるだけすっきりと起きられるようにする。
師走の全般に忙しい時期だけど、昨日と今日は短い空白期。だから、早く帰れる。
晩飯はなか卯で牛丼並と小うどん。
早く帰れたので、録画しておいた映画のうち1本を見る。
1時間半とちょっとぐらいの長くない映画だが、途中で眠気。やっぱり、寒さで堪えてきているのかもしれない。今週の仕事もあと1日だから、早めに寝てできるだけすっきりと起きられるようにする。
寒くなってきて朝、布団から出るのが辛い。いや、子供の頃から冬の寒い時期にはずっとそうだ。年齢とともに徐々に、その辛いのが増えてくるようだが、今のところは、別に遅刻せずに出勤している。
帰りは浦安の番屋へ寄って行く。
最初は中生。お通しはロールキャベツ。
まずは串焼きを食べる。鶏のもも、皮、砂肝、なんこつ。
次が本日のおすすめメニューに載っていたもので、
刺身の三点盛。まぐろとカンパチととミル貝。ビールの後は焼酎ロックでまずは米焼酎の白水。
焼酎ロックはもう一杯。二杯目は芋焼酎で番屋カメ仕込み。次の食べ物は厚揚げ焼。
次は焼酎下町ハイボール。野菜類を食べたいと思ってメニューを見ていたら、番屋サラダと言うのが目に入った。店名をつけたメニューはいろいろな店にあるが、番屋のそうしたメニューはまだ食べていないから、年忘れに食べてみようと思った。聞くと、単なる生野菜のことだそうだ。量が多いからハーフサイズも出来るということだったので、ハーフで注文。
これが番屋サラダハーフ。
行徳が舞台のドラマ「帰郷」も放映予定日の3日前になった。帰りの東西線で中吊り広告を見ると、「帰郷」の広告が出ていた。
会社最寄駅から浦安まで乗った電車では、ドア2つ分離れたところに乗ったので、目に入ったが混んでいたし、そばまで行って写すことはできなかった。浦安で飲んだあと、南行徳まで一駅乗るときに、広告が出ているところのそばのドアから乗って写す。
今日の仕事で、久しぶりにExcelのマクロを集中して作る。集中する時間が長くなると、やはり疲れる。
晩飯は南行徳メトロセンターのやよい軒ですき焼き定食。
マクロのプログラミングで集中して疲れたといっても、頭のほうが疲れて、身体がそんなに疲れているわけではない。なので、晩飯もしっかりとしたものを食べて、ダンベルで身体に刺激を与えておく。今回は上半身メニュー。
ダンベルやる前に、昨日、がんばって書いた長文の日記の文面を、ところどころ手直し。昨日、ちゃんと見直したと思ったが、翌日になってから読むと、やっぱり変な感じのところが出てくるものだ。
昨夜、けっこう飲んだせいか、朝7時に目覚ましで一旦、起きても二度寝して、9時過ぎにようやく布団から出る。
今日も冬晴れならやろうと思っていたことがあるので、もう正午近い時間にカメラを持って島尻の旧江戸川沿いへ。ほとんど完成した東京スカイツリーと江戸川区船堀の展望タワーが重なって見える箇所から撮影。
この2本の塔が重なって見える場所についてのコンテンツを更新する。先週、船堀のタワーへ行って、スカイツリーがほとんど完成しているのを見て思い出した。
島尻というとスーパーのエコスがあるので、今日の買い物はここでしてくる。
帰りに、東京ベイ医療センター(以前の浦安市川市民病院)の前を通る。
大規模な立て替えの最中だが、もうかなり出来上がっている状態。来年に新病棟がオープンとのこと。
他にも変化があったのを発見。
2010年の1月より、浦安駅から新井三丁目、南行徳三丁目を通って市川塩浜駅まで行くバス路線が開通した。トップページのレポートでも取り上げた。
当初は平日のみの運行だったが、今日、島尻へ行く途中、そのルートをバスが走っているのがちらりと見えた。帰りに途中のバス停を見に行ったら、本数は少ないが土日・祝日も運行されるようになっていた。
画像を縮小しているからはっきりとは見えないが、元の画像をで見ると、時刻表の下のほうに改定日付があって「平成23年7月16日実施」。なので、土日祝日運行は今年の夏からではないかと思う。だけど、それより前にもダイヤ改正があって、自分が気が付いていなかっただけという可能性もある。
朝飯が遅かったから、昼はスーパーで買ってきたカップ麺ですます。録画した映画を見ないと、どんどんたまるので午後は1本片付ける。そのあと、昨日写した画像と、今日写した画像で行徳雑学館の更新。
晩飯は中華の三龍亭。麻婆豆腐定食を食べる。
ドラマ「帰郷」は放映日の23日を待つとして、今日のこの日記の残りは思い出話。
「帰郷」で渡哲也・渡瀬恒彦兄弟が「あまくちからくち」以来40年ぶりの兄弟共演というのが、芸能ニュースで流れているが、その「あまくちからくち」のこと。これは、自分にとって思い出のあるドラマだ。
「あまくちからくち」のことを検索しても、あまり詳しい情報はない。こちらとこちらぐらい。あとは、「帰郷」がらみのニュースで、渡・渡瀬兄弟が40年前に共演した作品というのが多く出てくる。「あまくちからくち」はNHKで1971年(昭和46年)4月から1972年(昭和47年)3月まで放映された連続ドラマ。だけど、1970年代までは放送用VTRテープは高価なため、NHKの看板ドラマの大河ドラマや連続テレビ小説も限られた話数しか残っていないというから、「あまくちからくち」の映像が残っていることは期待できない。
1971年は、自分が小学校の5年生に上がった年。それまで、子供向けの番組を見るのが中心で、大人が見るドラマは断片的にしか見たことがなかったが、親が見ている大人向けの連続ドラマを毎週、一緒に見るようになった最初の作品だった。
当時のテレビは夜7時台はほとんどが30分番組。子供が見るアニメに特撮もこの時間帯。30分のドラマというのもいろいろとやっていた。クイズ番組もこの時間帯に多かった。今は、平日夕方5時、6時台はほぼどの局もニュースをやっているが、そのころは5時から6時半までがアニメや特撮の再放送の時間。民放局のニュースは午後6時半からだった。民放各局のニュース時間が拡大したのは、昭和の50年代後半ぐらいからだったと思う。午後7時台は、NHKは今と同じように午後7時からニュースをやっていたが、民放局は子供向け番組が多い時間。そして、午後8時からが大人向けのドラマが中心の時間帯になる。つまり、その頃のテレビは午後8時を境に子供の時間と大人の時間がはっきりと分かれていた。
自分が小学生ぐらいの頃は、午後8時をすぎても子供がテレビを見ていたら母親が、
「早く勉強しなさい!」、「学校の宿題やりなさい!」
と怒り出す。午後9時を過ぎて10時近くなると、
「早く寝なさい!」。
自分の家も含めて、世間一般にこんな感じだっただろう。
さすがに、小学校の高学年ぐらいになると、午後8時以降のテレビを見るのにも、ある程度なら文句を言わなくなった。そして毎週、見るようになった最初のが「あまくちからくち」。最初というのは、やはり刷り込み効果が強く働くところもあるのだろう、このドラマのことはよく覚えている。
・・・と思っていたが、検索して見つけた情報を見ると、主要な出演者が記憶と違っていた。
主役の渡哲也、渡瀬恒彦が違っているなんてことはない。渡哲也の妻役もたしかに十朱幸代。ところが、渡瀬恒彦の、結婚式当日に破談になってしまう婚約者役だが中山麻里だと思っていた。ところが、実際は范文雀だった。中山麻里も范文雀も1969年~1970年に放映されたスポ根ドラマ「サインはV」に出ていたから、それでごっちゃになったのかも知れない。
そして、渡・渡瀬は劇中でも兄弟、それも双生児の兄弟という設定だったが、母親役は高森和子だと思っていた。ところがこれも記憶違いで、実際は萬代峰子という女優さんとのこと。
父親役は、俳優名は覚えていなかった。茂山千作という人のようだ。
おばあちゃん役は浪花千栄子で、これは間違えてはいなかった。
小学校5年ぐらいのときに見たテレビ番組についての記憶は、思ったよりもいい加減だった。「あまくちからくち」と同じ時、1971年4月に放映が始まった番組というと、「帰ってきたウルトラマン」や「仮面ライダー」。「仮面ライダー」は藤岡弘や佐々木剛が出ていた最初の仮面ライダーだ。こうした番組のことはかなり正確に記憶しているつもりだったが、再放送も多いし、関連出版物も多いから、子供のときのいい加減な記憶も、修正され更新されているのだろう。一度見ただけで、しかも各メディアで取り上げられることがほとんどない作品だと、そうはいかない。
さて、思ったよりもあいまいな記憶をたどることになるが、「あまくちからくち」は京都伏見の造り酒屋が舞台の話。伏見は兵庫県の灘と並んで関西の酒どころ。渡哲也と渡瀬恒彦は双子の兄弟という設定だが、実際の2人の関係と同じく、渡哲也が兄で渡瀬恒彦が弟。家の名字は確か、地名と同じ「伏見」だったと思う。何度も「伏見家」というセリフが出てきたから。京都の人間の役なので、渡哲也も渡瀬恒彦も、「~どす。」という京言葉で話していた。
渡哲也の役の名前は「いなお」。渡瀬恒彦が「になお」。当時はどんな漢字かは気にしなかったが、「稲夫」と「荷名夫」ということ。伏見というと伏見稲荷があるから、そこから付けられたようだ。
ドラマの毎回の冒頭で、伏見家の家訓が寸劇の形で紹介され、それからオープニングに入る。古い家で、しかも商売をやってきた家だから、家を潰さないために昔からの厳しい家訓がある世界。双子の兄弟といえども、家を継ぐのは兄で、高校を出たら商売の道に入らなくてはならない。弟は大学も出してもらえるが、家を出なくてはならない。ドラマでは、弟が大学を出て就職し、1年か2年ぐらい経った年齢という時期から始まる。だから、主人公兄弟は戦後すぐくらいに生まれたことになる。
第二次大戦後に日本の社会が大きく変わったわけだが、その時代に育ってきた若者だから、兄の稲夫のほうは古い時代の家訓を押し付けられるのに激しく抵抗しようとする。だけど、何度も失敗に挫折を繰り返して、徐々に家訓を受け入れ一人前の跡継ぎになっていく。荷名夫のほうも、社会へは出るがこちらも失敗、挫折を繰り返して行くという物語。だけど、シリアスな話ではなく、ユーモラスに描かれていたから、小学生の子供でも気楽に見ることができた。
稲夫のほうは、最初、造り酒屋の事務員の女の子と恋仲だったが、家訓で結婚相手は然るべき相手との見合いでしか認められず、2人は引き裂かれることになる。そして結局、十朱幸代と見合いで結婚。だから、十朱幸代は初回の数話後からの登場となる。実際、見ていたら、ドラマのヒロインは事務員の女の子ではなく、序盤に出ていないだけで、十朱幸代のほうだった。器量よしの「ええ嫁」だが、やはり若いから未熟なところがあって、渡哲也と失敗や挫折をしていくことになる。
渡瀬恒彦の荷名夫のほうは、洋酒メーカーの社長の娘と知り合ってやがて婚約。洋酒メーカーというのが京都と大阪の府境の山崎にあるという設定。実際に山崎にはサントリーがあるから、サントリーをイメージしたのだろう。むろん、ドラマだから架空のメーカーだ。
2人の結婚式場を、先に結婚した渡哲也が弟のためだと手配しようとするが、披露宴会場がなかなか見つからず、式場の屋上が空いていたので、そこで屋外パーティーの披露宴ということにしてしまう。しかも、若い人間の間ではやっていた会員制パーティーということで手配する。ところが、昔からの人間が多い古い町だから、招待客の大人たちからは、披露宴に招かれてどうして金を払わなくてはならないと文句を言われ、おまけに雨が降り出して屋上パーティーなどできない状態になってしまった。渡瀬恒彦と范文雀は婚約したものの、結婚式が近づくに連れて徐々に2人の間がギクシャクするようになり、ついに結婚式場での混乱に范文雀がぶち切れて破談になる。
このあと、十朱幸代と渡哲也が招待客へのお詫びのために、2人で屋上で雨に打たれる場面はよく覚えている。屋上といっても、デパートの屋上階にある程度の広さの建屋があったりするのと同様に、建屋の脇に広いベランダふうに屋上がある建物だった。そうしないと、招待客の目の前で雨に打たれる場面など作れないから、そういうふうにしたのだろう。
そして、家に帰ると浪花千栄子演じるおばあちゃんから、お詫びに雨に打たれた殊勝な振る舞いは認めるが、だいたい、屋上披露宴などは雨はもちろんのこと、冷え込んだらお年寄りにはきついことなどちゃんと考えなかったのかと、長々とお説教を食らうのだった。
この浪花千栄子は小学生の子供が見ていても、強い存在感があった。隠居しても家を取り仕切る、しっかりしたおばあちゃんだった。荷名夫の結婚が破談になったあと、
「やはり、日本酒と洋酒は合わなかった。」
というセリフがあったのを覚えているが、たぶん、浪花千栄子のセリフだったと思う。
結婚が破談になった渡瀬恒彦のほうはというと、やけ酒をあおった店で知り合い、タクシーで家に送ってくれた女性が日本酒業界(流通だったか?)の家の娘。こういう偶然は、実にドラマ的だが、この女性との縁談が進んで結婚するだろうというところで最終回となる。
浪花千栄子のおばあちゃんの印象が強い一方、兄弟の父と母はさえない人物として描かれていた。父親は外で遊びもしないまじめな人物だが、覇気もない。浪花千栄子がその息子を評して招き猫と言っていた。たしか、
「あれはコレですわ。」
と「コレ」のところで、片手で招き猫の前足をマネしながら言っていたのを覚えている。
母親のほうはというと、こちらもくたびれた感じのさえないおばさん。これも浪花千栄子のセリフだったが、嫁に来たときこそよく気が利くしっかりした女性だったが、先代のおばあちゃんが「ええ嫁や!」と甘やかしすぎたからあんなふうになったと言っていた。
そして、最終回だが、最後の数分に15年か20年ぐらい後の伏見家の様子が描かれて、これは2つのことを覚えている。
ひとつはがっかりしたこと。
当時は大阪万博(1970年)の翌年。その前の1960年代後半は、科学技術が明るい未来を作るという風潮が強くあり、子供の見るテレビ番組、あるいは子供の読む少年誌や学年誌でもSF的な未来世界が描かれていた。10年後の1980年代初めには東京~大阪間にはリニアモーターカーが開通しているとも言われていた。ちょうど1969年にはアメリカの宇宙船アポロ11号が月着陸して、人類が始めて月面に降り立った。1970年頃に日本でも放映されたが、イギリスの「サンダーバード」の製作者ジェリー・アンダーソンが作った「謎の円盤UFO」では、時代設定が1980年代で、月面にはいくつもの基地があるという内容だった。
15年後なら1986年か1987年。20年後なら1991年か1992年。いずれにしても、今から見ると、すっかり遠い過去だ。子供の感覚だが、10年先や15年先は遠い未来だったから、もっとSF的な世界が実現していると思っていた。だけど、テレビ画面に映し出された未来の伏見家は、全然、変わっていなかった。これには、がっくりときた。
もう一つは未来世界の話とは全然、違うこと。
登場人物で、渡・渡瀬が演じる兄弟の父親と、浪花千栄子のおばあちゃんはもう遺影の人になっていた。そして、さえなかったお母さんが、なんと家を取り仕切るしっかりした隠居のおばあちゃんになっていた。逆に、「ええ嫁」だった十朱幸代が、くたびれた、さえないお母さんになっていて、おばあちゃんに
「昔は、ええ嫁と言われたのなぁ。」
言われ、独り言で
「伏見家の女はみんな同じような人生をたどっている...」
という意味のことをつぶやいて、おばあちゃんとの間で、
「今、なんか言うた?」
「いえ、何でも。」
というような会話をしていた。
これを見て何を思ったかというと、同じ人物がここまで変われるということに、俳優を仕事にしている人の能力というのを感じたのだった。
この伏見家の未来の場面が20年後だったとしても、もうその倍の時間が過ぎている。それだけの時間が過ぎて、今度の「帰郷」で老境に達した渡哲也、渡瀬恒彦が、今度は双子ではないが再び兄弟の役で共演ということになるわけだ。
午前中はいつもの土曜日と同じように、洗濯と掃除にクリーニング出し。そのあと、12月23日に放映予定の、行徳が舞台のドラマ「帰郷」に関して、街頭に何か動きがないかとカメラを持って出かける。
でも、まずは昼飯。行徳駅前通りと市川浦安バイパスとの交差点そばに、ジェット模型というと昔懐かしい感じの模型店があるが、同じ建物で模型屋のとなりがとんかつの大幸。
例年だと10月ごろには始まるかきフライだが、今年は震災による津波で東日本太平洋岸の養殖ガキが壊滅状態というので、いつ始まるか分からなかった。でも、おそらくは西日本産のカキが入ったのだろう、かきフライが始まっていた。貼り紙はまだ新しい感じだった。
そして、今年も大幸のかきフライを味わう。
そのあと、ぶらぶらと歩いて常夜灯公園へ。
本行徳三丁目付近で行徳街道を渡って、本塩へ。
本塩の中台神輿はドラマに実名で登場し、また、ロケも行なわれたとのこと。入口のドアにはドラマのポスターが貼ってあった。
本塩の豊受神社へ来る。
豊受神社の斜め向かいにある秋元学生服店。ここにもポスターが。行徳の各所でロケが行なわれたという説明の貼り紙も一緒にあった。
寺町通りに出て、本行徳一丁目の徳願寺。山門前の掲示板にもドラマのポスター。
今日、自分が確認したドラマのポスターが貼られている場所はこの3ヵ所。3つの画像のうちどれかを、明日のトップページレポートに使うことにする。
電車で南行徳へ戻ると、メトロセンターの歳末大感謝祭イベントの最中。
高架下空き店舗スペースがガラポン抽選会場になっていた。順番待ちは長蛇の列。
途中で見た街頭の自治会掲示板にも正月絡みのものが出ている。
これは香取の自治会掲示板。
こちらは本行徳三丁目。
ちょうど二週間後は大晦日だ。
今年は長い間、付き合ったいろいろな店が閉店してしまってけっこう動揺したが、気持ちが落ち着いたあとは、引っ越してきた当初の気持ちに戻って、これまで行っていなかった店にいろいろと行っている。
今日は南行徳公園南西側角のすぐ近くにある手羽矢。できてからもう8年目だということ。
週末は賑わうようで、午後6時半過ぎに入ったら、予約で一杯だということだった。ところが、その前からカウンターに1人で入っていたおじさんが、うまいタイミングでもうお会計だったので、そのあとに入ることができた。
これが、その日のおすすめメニュー。
最初は生ビール。なんと、お通しにししゃもが墨焼きのコンロと一緒に出てきた。
最初の食べ物は薩摩地鶏のタタキ。これはウリの品らしい。
地酒メニューは豊富だった。ビールのあとは、まずは黒龍。7月初めに閉店したオンドリで好きだった地酒だ。食べるほうは活あじ刺身。
あじ刺身を食べたあと、残った骨の部分はサービスで骨せんべいにしてくれるというので、やってもらう。2杯目の地酒は会津喜多方の夢心酒造が作っている奈良萬。
実際、酒のつまみになるから頭も尾っぽもみんな食べてしまった。
ずいぶんよく食べる客がいたものだと、驚かれたかもしれない。
次はイカワタのホイル焼。
それと、軟骨やげん唐揚げ。
地酒はもう一合飲む。東洋美人純米吟醸無濾過生詰。
店内はこんな感じ。
こうした賑わい方は、浦安メトロセンターにある焼鳥の鳥起に近いと思えた。
今日は臨時の仕事は入らなかったので、午後6時頃には会社を出る。
先週末ぐらいになか卯に来たとき、12月の14日か15日から期間限定で鶏塩うどんという貼り紙を見た。今日行ったら、すでに始まっていた。期間限定というのは果たしてどれぐらいか。何週間か前に、豚カルビとんこつうどんが再登場したと思ったら、1週間程度で終わってしまったことがあったから、それと同じぐらいという可能性もある。じゃあ、食べられるときに食べておくことにする。
鶏塩うどんだけではなく、ライスとつけものも注文して"勝手に鶏塩うどん定食"にする。
帰りの時間はまだそれほど寒いとは思わなかったが、家に帰ってからエアコンで暖房を入れても、効きがちょっと悪い感じ。土日はこの冬一番の冷え込みというから、外はすでに冷え込んできたようだ。
ここのところ、帰りはそれほど遅くない日が多かったが、今日は夕方から臨時の仕事が入りちょっと遅めになる。師走はいろいろとやることが出てくる。でも、若い頃の残業のような午後9時や10時というわけではない。
晩飯は南行徳メトロセンターの一心亭。これまで数年間、メトロセンター年末セールの時期には黒味噌ラーメンが登場していたが、残念なことに今年はないようだ。代わりにセール期間中は餃子が通常の半額の150円。それで今日は函館焼塩ラーメンと餃子を食べる。
去年の今頃の日記に、この店の函館焼塩ラーメンは好きなのに1年に1回程度しか食べていないから、来年はもっと食べようと書いた。さて、どれぐらい食べたか検索すると、2月25日、6月9日、10月14日と3回食べて、今日で4回目だった。年1回のペースのころと比べると、ずいぶんと食べている。
ちょっと遅い時間だが、今日はダンベル。下半身メニューをやる。
12月23日に放映予定のドラマ「帰郷」の公式ページが、前はTBSサイト内の1情報ページの形だったのが、今日見ると、TBSサイト内というのは変わらないが、番組公式サイトの形にリニューアルされていた。予告編動画もあり。また、ギャラリーに本塩豊受神社前での神輿渡御場面の画像も公開されている。こういうのは映画の公式サイトなどと同様に、ある程度、時間が経てば削除されてしまうものだろうけど。
ここのところの寒さが堪えてきたか、風邪のような感じではないが今日は調子がイマイチだった。
晩飯は何を食べようかと思ったが、2、3ヶ月前に吉野家で久しぶりに豚丼を食べたら、けっこう自分の好みに合ったのを思い出した。じゃあ今日は松屋の豚めしを食べてみようということで南行徳メトロセンターの松屋へ行く。そして豚めし。
松屋は、まだ舌が全然、肥えていなかった若い頃、牛焼肉定食を食べて、「この安さでこんなおいしいものがある!」と感動した影響がずっと残り、ほとんど定食類ばかり食べている。丼ものはごくまれにしか食べない。だから、おそらく豚めしを食べるのは初めてだと思う。食べてみると、これもあっさりした感じで自分に合うと思えた。
帰ってからは録画しておいた映画で、時間が短めのものをゆっくりと見て、あとは風呂に入って寝よう。
今日は所属部署の忘年会。社内で特に他の忘年会に出席する予定はない。まあ、一つ出席すれば十分だ。
わりと早めの時間に始まって、帰りも早かった。なので、今日は早めに床に入ってぐっすりと眠ることにする。
出勤してパソコンを立ち上げ、メーラーを見るとメール件数がやたらと多い。それで、金曜日に人間ドックで休んだことを思い出した。つまり、3晩寝たら忘れてしまっていたわけだ。毎年のことだからか、それとも年を取ってきたからか。
晩飯は南行徳メトロセンターのとんき。カキフライ定食を食べる。
大きくて、冷凍ものではない、ちゃんとカキの味がした。産地は聞かなかったが、今年のこうしたカキはどうも西日本産のようだ。
週初日だが別にだるいことはない。なので、今日はダンベルエクササイズ。上半身メニューをやる。