行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年12月18日(日)の日記

2011年12月18日 | 日記

昨夜、けっこう飲んだせいか、朝7時に目覚ましで一旦、起きても二度寝して、9時過ぎにようやく布団から出る。 

今日も冬晴れならやろうと思っていたことがあるので、もう正午近い時間にカメラを持って島尻の旧江戸川沿いへ。ほとんど完成した東京スカイツリーと江戸川区船堀の展望タワーが重なって見える箇所から撮影。

この2本の塔が重なって見える場所についてのコンテンツを更新する。先週、船堀のタワーへ行って、スカイツリーがほとんど完成しているのを見て思い出した。

島尻というとスーパーのエコスがあるので、今日の買い物はここでしてくる。

帰りに、東京ベイ医療センター(以前の浦安市川市民病院)の前を通る。

大規模な立て替えの最中だが、もうかなり出来上がっている状態。来年に新病棟がオープンとのこと。

他にも変化があったのを発見。
2010年の1月より、浦安駅から新井三丁目、南行徳三丁目を通って市川塩浜駅まで行くバス路線が開通した。トップページのレポートでも取り上げた。

当初は平日のみの運行だったが、今日、島尻へ行く途中、そのルートをバスが走っているのがちらりと見えた。帰りに途中のバス停を見に行ったら、本数は少ないが土日・祝日も運行されるようになっていた。

画像を縮小しているからはっきりとは見えないが、元の画像をで見ると、時刻表の下のほうに改定日付があって「平成23年7月16日実施」。なので、土日祝日運行は今年の夏からではないかと思う。だけど、それより前にもダイヤ改正があって、自分が気が付いていなかっただけという可能性もある。

朝飯が遅かったから、昼はスーパーで買ってきたカップ麺ですます。録画した映画を見ないと、どんどんたまるので午後は1本片付ける。そのあと、昨日写した画像と、今日写した画像で行徳雑学館の更新。

晩飯は中華の三龍亭麻婆豆腐定食を食べる。

 

ドラマ「帰郷」は放映日の23日を待つとして、今日のこの日記の残りは思い出話。

「帰郷」で渡哲也・渡瀬恒彦兄弟が「あまくちからくち」以来40年ぶりの兄弟共演というのが、芸能ニュースで流れているが、その「あまくちからくち」のこと。これは、自分にとって思い出のあるドラマだ。

「あまくちからくち」のことを検索しても、あまり詳しい情報はない。こちらこちらぐらい。あとは、「帰郷」がらみのニュースで、渡・渡瀬兄弟が40年前に共演した作品というのが多く出てくる。「あまくちからくち」はNHKで1971年(昭和46年)4月から1972年(昭和47年)3月まで放映された連続ドラマ。だけど、1970年代までは放送用VTRテープは高価なため、NHKの看板ドラマの大河ドラマや連続テレビ小説も限られた話数しか残っていないというから、「あまくちからくち」の映像が残っていることは期待できない。

1971年は、自分が小学校の5年生に上がった年。それまで、子供向けの番組を見るのが中心で、大人が見るドラマは断片的にしか見たことがなかったが、親が見ている大人向けの連続ドラマを毎週、一緒に見るようになった最初の作品だった。

当時のテレビは夜7時台はほとんどが30分番組。子供が見るアニメに特撮もこの時間帯。30分のドラマというのもいろいろとやっていた。クイズ番組もこの時間帯に多かった。今は、平日夕方5時、6時台はほぼどの局もニュースをやっているが、そのころは5時から6時半までがアニメや特撮の再放送の時間。民放局のニュースは午後6時半からだった。民放各局のニュース時間が拡大したのは、昭和の50年代後半ぐらいからだったと思う。午後7時台は、NHKは今と同じように午後7時からニュースをやっていたが、民放局は子供向け番組が多い時間。そして、午後8時からが大人向けのドラマが中心の時間帯になる。つまり、その頃のテレビは午後8時を境に子供の時間と大人の時間がはっきりと分かれていた。

自分が小学生ぐらいの頃は、午後8時をすぎても子供がテレビを見ていたら母親が、
「早く勉強しなさい!」、「学校の宿題やりなさい!」
と怒り出す。午後9時を過ぎて10時近くなると、
「早く寝なさい!」。
自分の家も含めて、世間一般にこんな感じだっただろう。

さすがに、小学校の高学年ぐらいになると、午後8時以降のテレビを見るのにも、ある程度なら文句を言わなくなった。そして毎週、見るようになった最初のが「あまくちからくち」。最初というのは、やはり刷り込み効果が強く働くところもあるのだろう、このドラマのことはよく覚えている。

・・・と思っていたが、検索して見つけた情報を見ると、主要な出演者が記憶と違っていた。

主役の渡哲也、渡瀬恒彦が違っているなんてことはない。渡哲也の妻役もたしかに十朱幸代。ところが、渡瀬恒彦の、結婚式当日に破談になってしまう婚約者役だが中山麻里だと思っていた。ところが、実際は范文雀だった。中山麻里も范文雀も1969年~1970年に放映されたスポ根ドラマ「サインはV」に出ていたから、それでごっちゃになったのかも知れない。
そして、渡・渡瀬は劇中でも兄弟、それも双生児の兄弟という設定だったが、母親役は高森和子だと思っていた。ところがこれも記憶違いで、実際は萬代峰子という女優さんとのこと。
父親役は、俳優名は覚えていなかった。茂山千作という人のようだ。
おばあちゃん役は浪花千栄子で、これは間違えてはいなかった。

小学校5年ぐらいのときに見たテレビ番組についての記憶は、思ったよりもいい加減だった。「あまくちからくち」と同じ時、1971年4月に放映が始まった番組というと、「帰ってきたウルトラマン」や「仮面ライダー」。「仮面ライダー」は藤岡弘や佐々木剛が出ていた最初の仮面ライダーだ。こうした番組のことはかなり正確に記憶しているつもりだったが、再放送も多いし、関連出版物も多いから、子供のときのいい加減な記憶も、修正され更新されているのだろう。一度見ただけで、しかも各メディアで取り上げられることがほとんどない作品だと、そうはいかない。

さて、思ったよりもあいまいな記憶をたどることになるが、「あまくちからくち」は京都伏見の造り酒屋が舞台の話。伏見は兵庫県の灘と並んで関西の酒どころ。渡哲也と渡瀬恒彦は双子の兄弟という設定だが、実際の2人の関係と同じく、渡哲也が兄で渡瀬恒彦が弟。家の名字は確か、地名と同じ「伏見」だったと思う。何度も「伏見家」というセリフが出てきたから。京都の人間の役なので、渡哲也も渡瀬恒彦も、「~どす。」という京言葉で話していた。

渡哲也の役の名前は「いなお」。渡瀬恒彦が「になお」。当時はどんな漢字かは気にしなかったが、「稲夫」と「荷名夫」ということ。伏見というと伏見稲荷があるから、そこから付けられたようだ。

ドラマの毎回の冒頭で、伏見家の家訓が寸劇の形で紹介され、それからオープニングに入る。古い家で、しかも商売をやってきた家だから、家を潰さないために昔からの厳しい家訓がある世界。双子の兄弟といえども、家を継ぐのは兄で、高校を出たら商売の道に入らなくてはならない。弟は大学も出してもらえるが、家を出なくてはならない。ドラマでは、弟が大学を出て就職し、1年か2年ぐらい経った年齢という時期から始まる。だから、主人公兄弟は戦後すぐくらいに生まれたことになる。

第二次大戦後に日本の社会が大きく変わったわけだが、その時代に育ってきた若者だから、兄の稲夫のほうは古い時代の家訓を押し付けられるのに激しく抵抗しようとする。だけど、何度も失敗に挫折を繰り返して、徐々に家訓を受け入れ一人前の跡継ぎになっていく。荷名夫のほうも、社会へは出るがこちらも失敗、挫折を繰り返して行くという物語。だけど、シリアスな話ではなく、ユーモラスに描かれていたから、小学生の子供でも気楽に見ることができた。

稲夫のほうは、最初、造り酒屋の事務員の女の子と恋仲だったが、家訓で結婚相手は然るべき相手との見合いでしか認められず、2人は引き裂かれることになる。そして結局、十朱幸代と見合いで結婚。だから、十朱幸代は初回の数話後からの登場となる。実際、見ていたら、ドラマのヒロインは事務員の女の子ではなく、序盤に出ていないだけで、十朱幸代のほうだった。器量よしの「ええ嫁」だが、やはり若いから未熟なところがあって、渡哲也と失敗や挫折をしていくことになる。

渡瀬恒彦の荷名夫のほうは、洋酒メーカーの社長の娘と知り合ってやがて婚約。洋酒メーカーというのが京都と大阪の府境の山崎にあるという設定。実際に山崎にはサントリーがあるから、サントリーをイメージしたのだろう。むろん、ドラマだから架空のメーカーだ。

2人の結婚式場を、先に結婚した渡哲也が弟のためだと手配しようとするが、披露宴会場がなかなか見つからず、式場の屋上が空いていたので、そこで屋外パーティーの披露宴ということにしてしまう。しかも、若い人間の間ではやっていた会員制パーティーということで手配する。ところが、昔からの人間が多い古い町だから、招待客の大人たちからは、披露宴に招かれてどうして金を払わなくてはならないと文句を言われ、おまけに雨が降り出して屋上パーティーなどできない状態になってしまった。渡瀬恒彦と范文雀は婚約したものの、結婚式が近づくに連れて徐々に2人の間がギクシャクするようになり、ついに結婚式場での混乱に范文雀がぶち切れて破談になる。

このあと、十朱幸代と渡哲也が招待客へのお詫びのために、2人で屋上で雨に打たれる場面はよく覚えている。屋上といっても、デパートの屋上階にある程度の広さの建屋があったりするのと同様に、建屋の脇に広いベランダふうに屋上がある建物だった。そうしないと、招待客の目の前で雨に打たれる場面など作れないから、そういうふうにしたのだろう。

そして、家に帰ると浪花千栄子演じるおばあちゃんから、お詫びに雨に打たれた殊勝な振る舞いは認めるが、だいたい、屋上披露宴などは雨はもちろんのこと、冷え込んだらお年寄りにはきついことなどちゃんと考えなかったのかと、長々とお説教を食らうのだった。

この浪花千栄子は小学生の子供が見ていても、強い存在感があった。隠居しても家を取り仕切る、しっかりしたおばあちゃんだった。荷名夫の結婚が破談になったあと、
「やはり、日本酒と洋酒は合わなかった。」
というセリフがあったのを覚えているが、たぶん、浪花千栄子のセリフだったと思う。

結婚が破談になった渡瀬恒彦のほうはというと、やけ酒をあおった店で知り合い、タクシーで家に送ってくれた女性が日本酒業界(流通だったか?)の家の娘。こういう偶然は、実にドラマ的だが、この女性との縁談が進んで結婚するだろうというところで最終回となる。

浪花千栄子のおばあちゃんの印象が強い一方、兄弟の父と母はさえない人物として描かれていた。父親は外で遊びもしないまじめな人物だが、覇気もない。浪花千栄子がその息子を評して招き猫と言っていた。たしか、
「あれはコレですわ。」
と「コレ」のところで、片手で招き猫の前足をマネしながら言っていたのを覚えている。

母親のほうはというと、こちらもくたびれた感じのさえないおばさん。これも浪花千栄子のセリフだったが、嫁に来たときこそよく気が利くしっかりした女性だったが、先代のおばあちゃんが「ええ嫁や!」と甘やかしすぎたからあんなふうになったと言っていた。

そして、最終回だが、最後の数分に15年か20年ぐらい後の伏見家の様子が描かれて、これは2つのことを覚えている。

ひとつはがっかりしたこと。
当時は大阪万博(1970年)の翌年。その前の1960年代後半は、科学技術が明るい未来を作るという風潮が強くあり、子供の見るテレビ番組、あるいは子供の読む少年誌や学年誌でもSF的な未来世界が描かれていた。10年後の1980年代初めには東京~大阪間にはリニアモーターカーが開通しているとも言われていた。ちょうど1969年にはアメリカの宇宙船アポロ11号が月着陸して、人類が始めて月面に降り立った。1970年頃に日本でも放映されたが、イギリスの「サンダーバード」の製作者ジェリー・アンダーソンが作った「謎の円盤UFO」では、時代設定が1980年代で、月面にはいくつもの基地があるという内容だった。

15年後なら1986年か1987年。20年後なら1991年か1992年。いずれにしても、今から見ると、すっかり遠い過去だ。子供の感覚だが、10年先や15年先は遠い未来だったから、もっとSF的な世界が実現していると思っていた。だけど、テレビ画面に映し出された未来の伏見家は、全然、変わっていなかった。これには、がっくりときた。

もう一つは未来世界の話とは全然、違うこと。
登場人物で、渡・渡瀬が演じる兄弟の父親と、浪花千栄子のおばあちゃんはもう遺影の人になっていた。そして、さえなかったお母さんが、なんと家を取り仕切るしっかりした隠居のおばあちゃんになっていた。逆に、「ええ嫁」だった十朱幸代が、くたびれた、さえないお母さんになっていて、おばあちゃんに
「昔は、ええ嫁と言われたのなぁ。」
言われ、独り言で
「伏見家の女はみんな同じような人生をたどっている...」
という意味のことをつぶやいて、おばあちゃんとの間で、
「今、なんか言うた?」
「いえ、何でも。」
というような会話をしていた。
これを見て何を思ったかというと、同じ人物がここまで変われるということに、俳優を仕事にしている人の能力というのを感じたのだった。

この伏見家の未来の場面が20年後だったとしても、もうその倍の時間が過ぎている。それだけの時間が過ぎて、今度の「帰郷」で老境に達した渡哲也、渡瀬恒彦が、今度は双子ではないが再び兄弟の役で共演ということになるわけだ。