行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2024年1月1日(月)の日記

2024年01月01日 | 日記

元日の朝食はふだんの休日によくやるパターン。今日はトーストとベーコンエッグ。

12月にフライパンを買い替えたので、ベーコンエッグはこびりつくことなくきれいにできた。

休日の朝飯は他に、ベーコンを軽く焼いたのとスクランブルエッグとか、ゆで玉子+ベーコンと冷凍カット野菜を炒めたものとか、そうしたパターンがある。3が日のあと2日はどのパターンで行こうか。

 

朝飯のあと初詣に出かける。行徳駅から近い範囲の4つの神社を回る。

地元で元日の初詣というと、自分が覚えているのはこれまで2回。コンピュータの西暦2000年問題があった2000年だが、自分が出社するのは2日か3日だったかで、元日は空いていた。それで初詣に行った。あとは2004年。自分は帰省せず、3日か4日に親が来た。なので元日は地元の初詣。

コロナ禍の間、帰省をしなかったが、地元の神社への初詣は人が密な状態を避けようと元日を外した。

途中の行徳駅前公園。今日は冬晴れ。しかも北風が強い。

行徳駅前公園から湊新田の胡録神社への道。

7月の胡録神社の祭礼で屋台がずらっと並ぶ道。だがコロナ禍で取りやめが続き、去年ようやく屋台が復活したが、境内と隣接の胡録公園の中だけだった。今年はどうだろう。

神社はまず湊新田の胡録神社から。

バイパスを渡り、香取一丁目の香取神社。

香取神社では御神酒が振る舞われていたので、一杯頂く。

次は湊の水神宮へ行こうと、旧江戸川堤防に出る。対岸では江戸川区の清掃工場が建て替え工事中。

古い工場の大煙突の解体はかなりの時間がかかって、一昨年2022年の正月はまだかなりの高さだった。昨年2023年はだいぶん低くなり、夏ぐらいまでには解体が済んだようで、今は対岸からは痕跡も見えない。

香取から富士山は見えなかったが、湊新田から湊にかけて旧江戸川はカーブしているので歩いて行くと徐々に位置を変えながらその姿が見えた。晴天で風が強く、しかも人間の活動が少ない日なので空気が澄んでよく見えたのだろう。

湊の水神宮。自分がいた間は他の人は見かけなかった。

最後に押切の稲荷神社。

行徳駅のところまで戻ってきた。年末近くに駅南側の三菱UFJ銀行跡に建設中のビルの工事の覆いが取り去られ、完成時の姿を見ることができるようになった。それで、駅を挟んで新しいビルと昔からあるポニービルが並ぶ姿を、北口側から写した(→12月27日)。

今日は南側から見た風景を写してみた。こんな感じになる。

 

昼飯はサッポロ一番みそラーメンと具にコンビニの冷凍肉入りカット野菜

 

映画を1本見てから、午後4時頃にテレビをつけるとNHKは石川県能登地方の地震のニュースをやっている。するとその10分後ぐらいに、いきなりスマホに緊急地震速報が来た。最初はどこで発生したのか分からなかったが、能登で大きな地震がまた起こり、かなり広い範囲まで揺れが伝わったと分かる。関東は弱い揺れが来たが、揺れが続く時間がやたら長かった。

そうするうちに、日本海側で広い範囲に津波警報、そして石川県には大津波警報が出たが、NHKの女性アナウンサーが、
「すぐ逃げてください」
と繰り返し金切り声で叫んだので驚いた。

1時間ぐらい経つと解説の人が登場し、日本海側の地震は津波の到達が早いと解説していた。そういうことで(東日本大震災の津波被害のこともあるだろうが)強い警告としてそうしたらしい。

解説で1983年の日本海中部地震でやはり大きな津波被害が出たことに触れていた。自分が大学4年のときだったが、そのニュースをテレビというより新聞で読んだことを思い出した。

午後6時頃になると、能登地方は余震が何度も続いていたが、テレビから伝わってくる状況は落ち着いてきたと思えた。アナウンサーの声のほうも。

 

それで、今日も夜は家飲みのつもりで用意していたので、飲み始めることにする。

ヱビスの350ml缶と正月向けの金箔入りの酒で月桂冠金の七福神めぐり

つまみは自分の定番の笹かま、チーズの手巻き

コンビニの野菜スティックと買い置きの乾き物でつまみ種。

締めは焼きおにぎり。