行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年7月18日(日)の日記

2010年07月18日 | 日記

朝は5時半頃に起きる。今日は折りたたみ自転車で出かける。と言っても、梅雨明け10日は猛暑だから、無理せず昼過ぎまでにしておく。朝飯のあと、7時過ぎに出かける。

京浜急行線で川崎の一つ手前、六郷土手駅まで輪行して午前8時半頃、スタート。多摩川を六郷橋で渡ったところから旧東海道に入り、川崎の飲み屋街、鶴見駅前、生麦の魚河岸通りと走って行くと、やがて旧道は第一京浜に合流する。ここからしばらくは交通量の多い道を走らないといけない。

合流点から京急やJRの線路の反対側を見ると、丘陵が迫ってきている。新しい幹線道路のトンネル工事をやっているようだ。

反対側を見ると、大きな工場。この場所はかつては海岸だったので、埋立地に建てられた工場がすぐそばにある。

ここから先、何キロかはJRと京急と第一京浜国道が近接して通っている。かつては丘が海に迫っていたわけで、つまりは交通の隘路だったわけだ。だから、旧街道をのんびりと走りたくても、道は今の国道に飲み込まれてしまっている。

合流点から20メートルぐらい先、一見、一里塚のようなものがあるが、これは

生麦事件跡の碑。

幕末の時期に薩摩藩の大名行列の前をイギリス人一行が横切ったことから、薩摩藩士が怒ってイギリス人を殺傷したという、歴史の教科書にも載っている事件。この碑は後に、地元の有志が犠牲者を弔うために建てたということ。

事件の直接の原因は、その時代、大名行列の前を横切るという無礼千万なことをイギリス人がやってしまったこと、そして時代背景として攘夷運動、つまり外国人排斥運動が勢いづいていたことが言われている。

それに加えて、この場所を地図で見て、そして実際に来てみると、事件がなぜ生麦のこの場所で起こったか分かるように思えた。ここはまさに隘路の入口で、並行する裏道もなくトラフィックが集中してきて、人馬の密度が高くなる場所。また、隘路を通るときは、崖の中腹の道のようなことはないが、主要街道の交通量の多い区間だからある程度の緊張感はあるだろう。隘路を通ってきて少し開けた場所へ来れば、ほっとして気が緩むことも十分ありえる。こうした場所は、トラブルが起こる危険が他の場所よりも多いと思えるのだ。

その頃、日本に来ていた外国人の意識はどうだったのかと考えてみる。より早く工業社会を作った西洋人のほうが東洋人よりも優位にあるという意識を持っていただろうか。幕末物のドラマや映画ならそんな人物が出てきそうな感じだが、例えば国交を樹立する使命を帯びてやってくる外交官がそんななら、とても仕事はできないだろう。そのあと、民間人が大勢やってくれば、中には外国の風俗・習慣に無頓着な者もいるだろうけど、飛行機もなく外国へ行くことが大変なことである時代、みんながみんなそんな人間とも思えない。危険な状況になったからすぐ飛行機に乗って逃げることなど出来ない時代に、外国人排斥運動が勢いづいてきたりすれば、当然、言動にも注意するだろうに、どうして大名行列の前を横切るなどという、相手の神経を逆撫でするようなことをしてしまったのだろうか。

やはり、生麦の隘路の入口である場所という地理的な条件が、過失、つまりうっかりミスを招いたのではないかと想像できる。直接の原因がうっかりミスとして、それで殺された人はまったく気の毒なことだけど。

 

このあと、隘路の第一京浜を緊張して子安付近まで走ると、運河沿いの裏道に入ることが出来る。

運河をまたぐ橋へ上ってみると、釣り舟や屋形船が並ぶ光景を見ることができた。

横浜駅に近いところまで来ると、大きなマンションが並ぶところに来た。ここはみなとみらい地区ではなく、ポートサイド地区という場所。

横浜駅のほうへは行かず、みなとみらい地区~山下公園脇を抜けて、丘へ上る。外国人墓地の前を通って行くと、山手資料館。

瀟洒な建物が並ぶおしゃれな場所で、横浜の観光スポットになっている地域。

谷筋へ降りて本牧通りを進む。

こちらは歩道にアーケードが伸びる昔からの商店が並ぶ道で、ふだん着の横浜という感じの通り。今日走ったのは市域の広い横浜市のごく一部だけど、街の風景もバラエティに富んでいる。

マイカル本牧がある再開発地区まで来たあたりで午前11時。朝が早かったので、この付近で昼飯にする。沿道にはすき家もマクドナルドもなか卯もケンタッキーフライドチキンもあったが、少しは落ち着いて座って食べたいのでガストにする。

帰ってから県別マップル(10年近く前のだが)でこの地域の拡大図を見ると、以前はすかいらーくガーデンズだったようだ。

食べたのは冷しゃぶ膳

季節もののメニューで、豚肉の冷しゃぶのナントかの、XO醤油のナントかという長い名前が書いてあったが、メモしてこなかったのでレシートに印刷された冷しゃぶ膳ということでいいか。

昼飯のあと、根岸まで行き、根岸台の森林公園のところまで上って横浜駅方面へ向かう道へ入る。ただし、横浜駅までは行かず、ひとつ手前の戸部駅から輪行。行きは川崎の一つとなりの駅からスタートしたが、各駅停車しか止まらない小さい駅で乗り降りしてみるのも面白い。

戸部駅に着いたのが午後1時過ぎで、家に帰りついたのが午後3時ごろだった。荷物を片付けシャワーを浴び、写した画像をデジカメからパソコンに移して、この日記に載せる分を選んだあと、書き始める。

 

ここまで書いてから晩飯を食べに行く。午後から南風がずいぶんと強くなっていた。バイパス香取の上海飯店へ。

高級中華料理店ふうに改装してから初めて行ったのは5月で、今回は2度目。入口脇の看板には「餃子280円」と出ていて、前からのお客さんたちに店の見た目が変わっても値段が変わっていないことをアピールしているのだろう。

最初は生ビール。食べるほうはまず胡瓜のたたき

体力を使った日はやっぱり肉類が食べたい。なので豚の角煮

生ビールは2杯飲んで、そのあとは青りんごサワー。食べるほうは焼売

もうちょっと食べたいので砂肝。青りんごサワーが終わったあとは杏露酒サワー。

締めは麻婆丼。食事を頼んだらサービスでウーロン茶が出てきた。出てこなかったら杏露酒サワーをもう1杯注文してしまうところだった。もう1杯飲んだらちょっと飲みすぎだ。

食べている最中、カウンターの上の水槽のことが気になった。水槽の中の魚などのことではなく、厨房のほうからは実は見えるようになっているのではないかということ。客席のほうをたまたま誰も見ていないときにお客さんが入ってきたら、水槽の向こうの厨房から「いらっしゃい!」というマスターの声が掛かったから。

お会計のときにママさんに聞いてみたらやっぱりそうだった。厨房から客席が見えなければ、お客さんが来ても分からないし、食い逃げされていても分からないのだから、ちゃんと見えるような仕組みにしているのだ。