萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

「清宮Jr」観てきました。

2015年04月19日 | 野球
“非凡”とはこの若干15歳の遠目に観てもそれと分かる、大柄な若者を称する為の言葉だと思った。早稲田実業の他の選手と混じって練習していても、すぐに分かる存在だ。物理的な体格だけではなく、威圧感というかオーラというか、覆い隠すことのできない“非凡”さを感じてしまったのだ。


<神宮第二球場。神宮球場には何度も足を運んだことがあったが、ここは初めてだった。>

清宮Jrを知ったのは、先週四国自転車の旅の途中に昼飯によった店で観たスポーツ新聞である。早大やサントリーでも指揮官として活躍した、ラグビートップリーグ・ヤマハ発動機の清宮克幸監督(47)の長男、清宮幸太郎(15)が早稲田実業野球部で鮮烈なデビューをはたしたとその新聞には書いてあった。ネットで調べてみると、以下のような記事があった。

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13歳ですでに体重90キロ超、東京北砂リトル時代は通算132本塁打を記録。中1夏に米国で開催されたリトルリーグ世界選手権では東京北砂リトルのエースとして出場し優勝した。打っては通算5試合12打数8安打で打率・667、3本塁打、投手でも2試合2勝0敗15奪三振。大会史上最長94メートル弾を放つなど日本人離れした存在感に米メディアは伝説の大打者、ベーブ・ルースになぞらえた特集を組み、当時ヤンキース所属だったイチローが対面した際には、その大きさで驚かせた。国内4球団が視察に訪れ、オリックス・早川大輔スカウトは「1年生の体格じゃない」と規格外のスケールに舌を巻いた。
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すでに「和製ベーブ・ルース」というニックネームさえ付いている彼に非常に興味をもった。4月18日に神宮第二球場で東京都春季大会準々決勝で関東一高との一戦があると知って、久々に神宮まで足を運んだのであった。前の試合「二松学舎対日大三高」の途中から入ったのであるが、5600人収容できるスタンドはすでに満席状態。辛うじて一人分のスキマを見つけ座らせてもらう。春の甲子園出場校の二松学舎が日大三高に2-9で七回コールド負けし、いよいよ、「早実対関東一」の試合となった。

キャッチボールやトスバッティングの練習時点ですでにその存在は明らかだった。背番号19を付けた堂々たる体格、風格がその大物ぶりを際立たせていた。とても、この4月に高校生になった15歳には見えなかった。試合開始は12時半。3番ファーストで先発。1打席目も2打席目もファーストストライクを積極的にあたかも当然の如く捉えていた。二打席ともライトフライに終ったが、スムーズなバットの出にただならぬものを感じた。


<清宮幸太郎だ>

そして、3-5と2点ビハインドで迎えた第三打席。ランナー2人を置いて、初球ボールの後のファーストストライクを一閃。打球は右中間のネットを揺らす特大逆転スリーラン(ネットのニュースでは推定130m弾と紹介されていた)。外野手が追わずに見送るような一撃であった。背筋がゾワッとした。高校野球公式戦3戦目にしての初アーチを目の当たりにできたのである。怪物の産声に立ち会えた。そんな気がした。スコアブックにも思わず「清宮逆転スリーラン!評判通りの怪物」と書き込んだ。



試合自体は早実の投手陣が総崩れで清宮の活躍があったにも関わらず、11-18で7回コールド負けとなってしまったが、今後、清原や松井の高校通算本塁打数更新やプロ野球、MLBでも活躍するかもしれない逸材の「初ホームラン」をこの目で観る事ができたのは、一野球ファンとしてはこの上もない出来事であったと思っている。


<試合結果。試合自体は大味で散々だった。>


【プロフィール】清宮 幸太郎(きよみや・こうたろう)1999年(平11)5月25日生まれ、東京都出身の15歳。早実初等部4年から東京北砂リトルに所属。早実中1年だった12年夏にリトルリーグ世界選手権に出場し「3番・投手」で世界一を達成。その後、調布リトルシニアに所属し一塁手に専念した。家族は両親と弟。1 メートル84、97キロ。右投げ左打ち。
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