<がんばろう宮城! 国分町>
金曜、土曜と二晩仙台にいた。ボランティアに行って瓦礫の山を片付けていたわけではない。二年間とは言え、お世話になった呑み処を訪ねて回ったのである。大した金ではないが、いくらかでも落とすことによって、東北の、仙台の復興が少しでも早まればいい、という気持ちもあった。
知る人たちは皆、元気よく、たくましく生きていた。まだ、心のどこかにわだかまりや消極性が残っているようなことを言う人もあったが、外から見る分にはみな復活していた。
また、思っていたよりも国分町は賑わっていた。小生が仙台を引き上げた一年前よりも、むしろ人通りは多く活気があった。どうやら、復興関連の人たちが泊まりがけで来ているおかげで、ホテル業も国分町も活性化されているようである。
現地に行って見なければわからない話も結構聞けた。震災直後、津波の影響は無かった国分町でも停電、水道、ガスのライフラインが止まって大変だったそうだ。電気は翌日には復興したとのことだが、水とガスには苦労したらしい。特に水があってもガスが止まっていたのでお湯を沸かすことができず、何日も風呂に入れなかったらしい。
また、報道でも取り上げていない話もいくつか聞いた。ここには書けないが、酷いことも起きているようだ。幸いにして知人達には大きな被害も無く、元気そうな姿を見ることが出来、まずは一安心といったところである。
復興までの道は長い。これからも、時々、東北には遊びに行って、復興の足しになるようお金を使ってくるべし、と肝に銘じて、日曜早朝の新幹線で大宮に戻ってきたのだった。
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