久しぶりで陽が射した…ような気になるから不思議です。
まだ、本当に5月なのですよ。昨日、学生から、「梅雨」はいつまで続くのかと聞かれました。私も答えられませんでした。平年よりずっと早い、5月での「梅雨入り」。もしかして、万一、「梅雨」が早く終わったりでもしたら…、そして灼熱地獄だった、去年のような酷暑の夏であったりしたら…と、どうも、悪いことばかり考えてしまいます。
今年は、「緑のカーテン」を作ろうと、「ゴーヤ」や「キュウリ」などが園芸店で売れているそうです。中には売り切れたところもあったとか。「どうせカーテンにするなら、食べられるもので」。誰しも考えることは同じようですね。
それに、葉物について、とやかく言われていることから、「ええい、自分で作っちゃえ」と、これも買う人が増えたとか。こうやって不況時であっても経済は廻っていくのでしょう。半分以上は我が身のためとはいえ、お金が動くというのは、いいことです。タンス預金や現物に換えようとあくせくせずともいい国に生まれて、よかった…。
さて、学校です。
先週の金曜日が「横浜散策」で、教室での授業はありませんでしたし、土曜日と日曜日は、休みでしたから、当然、こうなるであろうという予測はついていたのですが、しかし、困ったことに当たってしまいましたね。みんな、きれいに、木曜日までの授業内容を忘れていました。しまったという顔であったのは、ほんの一人か二人。あとの連中は、初めて聞くような大らかさで、「ほう、(そうであるか)」…。もう、まったく…こうまで惚けられると、叱る気にもなれません。
そんなわけで、「Aクラス」では、「梅雨」の話になりました。横浜では「バラ(薔薇)」という名を覚え、梅雨では「アジサイ(紫陽花)」という名を覚える。そうやって四季を感じる習慣をつけてほしいのです。で、『日本の樹木』という写真集を見せながら話していますと、「あっ。これ、知っている」とか「あっ。これ、見た」とかいう声が上がった花がありました。
「ツバキ(椿)」です。この花の季節が終わったばかり(本来ならとっくに終わってしかるべきなのですが、観賞用のものが出回り、花はますます大きく、華やかに、そして遅めに咲くようになっている)なので、まだ印象に残っているのでしょう。
以前、南国から来た学生が、「どうして日本の庭には、フルーツの樹がないのか」と言っていたそうです。彼らの家には「ドラゴンフルーツ」とか、「バナナ」とか「椰子」とか、とにかく一年中、何らかの果物が枝もたわわに実っており、お腹がすけば、庭に出て、それをもいで食べれば、それでよかったのでしょう。だから不審に思ったのでしょう。どうして植えないのだろう、ああいう果物を。おいしいのに。
彼らの頭には、日本には「冬」も「秋」も「春」もあるのだということが入っていないのです。そして、そういうフルーツは南国では実っても、日本ではすぐに枯れてしまうし、よしんば植えるとしても温室でやらねばなりませんから、庭で野放図に大きくなるというような夢は語れないのだということが、今ひとつ理解できていないのです。
日本の場合、庭に植える果樹としたら、せいぜい「みかん(蜜柑)」類くらいでしょう、大きいのは。あとは小鳥たちを呼ぶために、庭が少しでもあるお宅では実のなる木を植えたりしていますが、それとても、小鳥用であり、人がそれを食べるということはあまり考えられません。
「樹の花」に感動する国の人もいれば、「果物」が実っていないことに寂しさを覚える国の人もいる。本当にいろいろです。
「Aクラス」では、かなり話せるようになっていますので、こういう話(文法とか新聞用の単語ではなく)になると、俄然、みんな張り切ってしまいます。これを喜んでいいのか(少なくとも、アルバイトを探し、そこで日本人と雑談ができるほどになった)、それとも、悲しんでいいのか(学校で教えている言葉は、なかなか身に付かない)、わかりませんけれども。
日々是好日
まだ、本当に5月なのですよ。昨日、学生から、「梅雨」はいつまで続くのかと聞かれました。私も答えられませんでした。平年よりずっと早い、5月での「梅雨入り」。もしかして、万一、「梅雨」が早く終わったりでもしたら…、そして灼熱地獄だった、去年のような酷暑の夏であったりしたら…と、どうも、悪いことばかり考えてしまいます。
今年は、「緑のカーテン」を作ろうと、「ゴーヤ」や「キュウリ」などが園芸店で売れているそうです。中には売り切れたところもあったとか。「どうせカーテンにするなら、食べられるもので」。誰しも考えることは同じようですね。
それに、葉物について、とやかく言われていることから、「ええい、自分で作っちゃえ」と、これも買う人が増えたとか。こうやって不況時であっても経済は廻っていくのでしょう。半分以上は我が身のためとはいえ、お金が動くというのは、いいことです。タンス預金や現物に換えようとあくせくせずともいい国に生まれて、よかった…。
さて、学校です。
先週の金曜日が「横浜散策」で、教室での授業はありませんでしたし、土曜日と日曜日は、休みでしたから、当然、こうなるであろうという予測はついていたのですが、しかし、困ったことに当たってしまいましたね。みんな、きれいに、木曜日までの授業内容を忘れていました。しまったという顔であったのは、ほんの一人か二人。あとの連中は、初めて聞くような大らかさで、「ほう、(そうであるか)」…。もう、まったく…こうまで惚けられると、叱る気にもなれません。
そんなわけで、「Aクラス」では、「梅雨」の話になりました。横浜では「バラ(薔薇)」という名を覚え、梅雨では「アジサイ(紫陽花)」という名を覚える。そうやって四季を感じる習慣をつけてほしいのです。で、『日本の樹木』という写真集を見せながら話していますと、「あっ。これ、知っている」とか「あっ。これ、見た」とかいう声が上がった花がありました。
「ツバキ(椿)」です。この花の季節が終わったばかり(本来ならとっくに終わってしかるべきなのですが、観賞用のものが出回り、花はますます大きく、華やかに、そして遅めに咲くようになっている)なので、まだ印象に残っているのでしょう。
以前、南国から来た学生が、「どうして日本の庭には、フルーツの樹がないのか」と言っていたそうです。彼らの家には「ドラゴンフルーツ」とか、「バナナ」とか「椰子」とか、とにかく一年中、何らかの果物が枝もたわわに実っており、お腹がすけば、庭に出て、それをもいで食べれば、それでよかったのでしょう。だから不審に思ったのでしょう。どうして植えないのだろう、ああいう果物を。おいしいのに。
彼らの頭には、日本には「冬」も「秋」も「春」もあるのだということが入っていないのです。そして、そういうフルーツは南国では実っても、日本ではすぐに枯れてしまうし、よしんば植えるとしても温室でやらねばなりませんから、庭で野放図に大きくなるというような夢は語れないのだということが、今ひとつ理解できていないのです。
日本の場合、庭に植える果樹としたら、せいぜい「みかん(蜜柑)」類くらいでしょう、大きいのは。あとは小鳥たちを呼ぶために、庭が少しでもあるお宅では実のなる木を植えたりしていますが、それとても、小鳥用であり、人がそれを食べるということはあまり考えられません。
「樹の花」に感動する国の人もいれば、「果物」が実っていないことに寂しさを覚える国の人もいる。本当にいろいろです。
「Aクラス」では、かなり話せるようになっていますので、こういう話(文法とか新聞用の単語ではなく)になると、俄然、みんな張り切ってしまいます。これを喜んでいいのか(少なくとも、アルバイトを探し、そこで日本人と雑談ができるほどになった)、それとも、悲しんでいいのか(学校で教えている言葉は、なかなか身に付かない)、わかりませんけれども。
日々是好日