ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

城山城(6)

2014年12月08日 18時55分22秒 | 田舎暮らし
せっかく山頂に着いたというのに、城山城はさらに先、しかも下り・・・
下りということは・・・帰るときはまた登らなければいけない。
これって、滅茶苦茶無駄なことではないだろうか?
築城の時からちゃんと観光客の都合も考えて作ってほしい。
・・・と例によってわけのわからないことを考えながらとぼとぼと下って行った。



途中馬の背のような道があった。
これも中世の城の特徴。
本丸と出城とをつなぐ道。
今は周りは木が生えているけど、昔は木はみな切られていた。
木を切ったのは別に眺望を楽しみたいなぁ~と思って切ったわけじゃない。
木が生えていると敵は忍んでやってくる。
矢を射るのも石を落とすのも邪魔になる。
というわけで急斜面を一生懸命登ってくる敵に石を落とし矢を射かけ、ざまぁみろ!という。
ここを攻略するのはなかなか厳しい。



もちろん山はこのように守る側に都合よくできているところばかりではない。
攻略されやすいところ、そこは守る側も神経を使う。
そこで登りやすいところ、緩やかな地形には土塁や石塁を築く。
敵はせっかく登ってきたのに、土の壁、石の壁に突き当り登ろうとすると石や矢がまっている。
ざまぁみろ!

でも中世の城は安土城以後の近世の城と違って何が何でも守りぬくぞ~!
えい、えい、お~~~!!
みたいなそんな入れ込みはない。
もう守れないと思ったら、や~めた!とばかりさっさと退散する。
というわけであらかじめ退散する道を用意しておく。
中世の山城は富士山みたいな独立した山ではなく一方は他の山の尾根につながっている。
そこを通じて落ちのびることを考えて築城している。
もちろんそこは敵に攻められやすい。
そこで堀切(空堀)などを作ってそこを重点的に守る。
これが中世の城の特徴だ。
というわけで各地にいたるところに残る中世の城、
今ではすっかり忘れ果てた城もこんな地形を見たらすぐにわかる・・・
ここには城があったんだなぁ~・・・と
わかる?・・・
う~ん・・・
すっかり木や草に覆われた土地。
ここがが堀切跡だといわれると・・・
う~ん、そうかな~・・・
と思ってしまう。

なんてことはおいといて・・・
やっとやっとたどり着いた!
城山城跡に。
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城山城(5)

2014年12月08日 03時15分13秒 | 田舎暮らし
食事を終え、カロリー補給も終えて、
案内板を見るとすぐ近くに池があるらしい。
それも一つだけでなく、池めぐりというハイキングコースもあるらしい。
別に池めぐりする気はなく一つ見るだけで充分。
山の上に池・・・ちょっと不思議な気がして見に行った。



それが意外と大きな池。
昔からあったのだろうか?
そして城の飲み水に使ったのだろうか?
籠城するには水が必要。
そのためには川か池か井戸がいる。
山の上なので川や井戸は厳しい。
そこで池。
城を作るのにもってこいの場所だったのだろう。



でももともとこんな大きな池ではなかったかもしれない。
石垣が見えたので人の手は入ってるようだ。
すると灌漑用水に使ったのだろうか?
とするとすぐ近くまで人が住んでいたのだろう・・・



亀岩という岩があった。
確かに2匹の亀に見えないこともない。
でもどうしてみんな発想が平凡なのだろうね。
全国どこにでもある亀岩・天狗岩・夫婦岩・烏帽子岩・・・
もっとユニークなネーミングできないのかな?
せめてドラえもん岩とかキティーちゃん岩とかいうのがあってもいいじゃないか。



そしてやっと山頂にたどり着いた。
やれやれ。
標識を見ると
 亀山(きのやま)・城山 標高458メートル

この山もともとは亀山と言ってたようだ。
まぁ確かにそうだね、全国どこにでもある城山という地名も城ができてからついたもの、
それまでは別の名前があっただろうから。

ところで城を(き)と読むのは古い読みかたで、じつはここには赤松氏が城を築くもっとまえ、天智天皇が白村江の敗戦ののち全国に城を作った。その時の城の一つがここなのだ。
ここには古い古い歴史がある。
播磨は古い古い国なのだ。

ところで城山城は?
ここからさらに数百メートル先らしい。
えぇ~!

コメント (2)
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