筍もウドもタラもいじめられっこ。
筍は芽を出す前に猪に、芽を出したら鹿や人間にやられてしまう。
やっと人間の目を盗んで伸びたと思ったら、今度は蹴られて折られてしまう。
せっかく出て来たのに、せっかく伸びたのに・・・少しは残しといてやればいいのに・・・と思うのだけど容赦しない。
その点我が家の山羊柵の中の筍は幸せだね。
ほとんど生きながらえて竹になるのだから。
もっとも半年後にはそのほとんど切られて山羊の餌になってしまうのだけど・・・
まあどっちもどっちか。
ウドもいじめられっこ。
暗いところでいじけて暮らしている。
本当は太陽を思いっきり浴びたいのに・・・
暗室みたいな所で暗あ~い半生を送っている。
もっとも我が家では暗室ではなく落ち葉をかけてるだけ。
すぐに葉っぱをだす。
でもやっと太陽に届いたと思ったら、またも落ち葉を掛けられる。
出る杭を打たれ、出る杭を打たれながら最後は人間が負けて、ウドが勝利する。
そしてどんどん成長して、大木にはならないけど人の高さくらいまでは成長する。
でも一番のいじめられっこはやっぱりタラだろう。
長い冬を耐えてやっと芽を出したと思ったとたんに直ぐに切られてしまう。
う~~~~ん、許せん!
と思いながらも何とか気を取り直して、また芽を出したら、またも切られてしまう。
それだけじゃない。
次には木を途中からバサッと切られてその上、節ごとに切り刻まれて水攻めにあう。
水につけられてそれでも何とか生きていこうと芽を出したら、その芽までも食べられてしまう。
これってタラにとっては拷問でしかない。
もっとも我が家では、一番芽しか採らない。
去年までは水攻めをしたけど、水攻めで出来たタラの芽はあんまり美味くないしそれ以上に面倒なので、水攻めもやめることにした。
でもタラってその生命力、ほんとにすごいと思う。
なぁ~んにもしないとあまり増えない。
でも木を切るとどんどん地下茎からわき芽を出してくる。
そのわき芽を移植するとほっといてもどんどん増える。
その姿を見ると、耐えて耐えて耐えて・・・
我慢して、我慢して、我慢して、生きてきた人間が最後は勝つんだなぁ・・・と思えてくる。
筍は芽を出す前に猪に、芽を出したら鹿や人間にやられてしまう。
やっと人間の目を盗んで伸びたと思ったら、今度は蹴られて折られてしまう。
せっかく出て来たのに、せっかく伸びたのに・・・少しは残しといてやればいいのに・・・と思うのだけど容赦しない。
その点我が家の山羊柵の中の筍は幸せだね。
ほとんど生きながらえて竹になるのだから。
もっとも半年後にはそのほとんど切られて山羊の餌になってしまうのだけど・・・
まあどっちもどっちか。
ウドもいじめられっこ。
暗いところでいじけて暮らしている。
本当は太陽を思いっきり浴びたいのに・・・
暗室みたいな所で暗あ~い半生を送っている。
もっとも我が家では暗室ではなく落ち葉をかけてるだけ。
すぐに葉っぱをだす。
でもやっと太陽に届いたと思ったら、またも落ち葉を掛けられる。
出る杭を打たれ、出る杭を打たれながら最後は人間が負けて、ウドが勝利する。
そしてどんどん成長して、大木にはならないけど人の高さくらいまでは成長する。
でも一番のいじめられっこはやっぱりタラだろう。
長い冬を耐えてやっと芽を出したと思ったとたんに直ぐに切られてしまう。
う~~~~ん、許せん!
と思いながらも何とか気を取り直して、また芽を出したら、またも切られてしまう。
それだけじゃない。
次には木を途中からバサッと切られてその上、節ごとに切り刻まれて水攻めにあう。
水につけられてそれでも何とか生きていこうと芽を出したら、その芽までも食べられてしまう。
これってタラにとっては拷問でしかない。
もっとも我が家では、一番芽しか採らない。
去年までは水攻めをしたけど、水攻めで出来たタラの芽はあんまり美味くないしそれ以上に面倒なので、水攻めもやめることにした。
でもタラってその生命力、ほんとにすごいと思う。
なぁ~んにもしないとあまり増えない。
でも木を切るとどんどん地下茎からわき芽を出してくる。
そのわき芽を移植するとほっといてもどんどん増える。
その姿を見ると、耐えて耐えて耐えて・・・
我慢して、我慢して、我慢して、生きてきた人間が最後は勝つんだなぁ・・・と思えてくる。