この前買った、乙類もどきの焼酎が早くもなくなった。
安い酒ほど、まずい酒ほど、早くなくなる。
高い酒はちびりちびり、安い酒はごくごく呑むから。
となると酒の量はきっと酒の質と反比例するものだろう。
これを「アルコール不変の法則」とでも勝手に言っておこう。
というわけでどうせ呑むならちびりちびり呑むのでなくごくごく呑んだほうがいい。
あいかわらず安酒道の王道を邁進、あるいは驀進している。
自分で自分のことをアルコール中毒とは思わないが(その気になればいつでもやめることができるから・・・ただその気にならないだけなのだから・・・)
アルコール依存症という言葉を聞くとそうかも知れないなぁ・・・と思う。
というわけでこの前買った安酒、早くもなくなった。
それで「いかん!」とばかりあわてて買いに行った。
ヘビースモーカーがタバコの火が消える前に、次のタバコに火を移すように、
酒飲みは一日たりとも酒の在庫を切らすことはない。
この勤勉さが勉強や仕事に向けられていたら・・・
もっとましな人生を送れたのに・・・・
と、つくづく思う。
ところで人間には2種類いる。
好きなものから食べる人間と
好きなものは最後に食べる人間が。
特に子供の場合はそれがはっきり分かれる。
常識的には美味いものを先に食べたほうがいいにきまっている。
しかし楽しみは最後までとっておきたい。
あるいは先に食べたらなんかもったいないような・・・
好きなものから先に食べる人はきっと現実主義者、政治家・実業家に向いたタイプ。
大金を溜め込みあるいは大金を損するタイプ。
好きなものは最後に食べる人は根がみみっちい、でもあるいは詩人になれるかもしれない。夢をいつまでも持っていたいタイプ。
小金を溜め込み小金を損するタイプ。
子供の頃たまたま家に帰るのが遅くなって一人で夕食をした。
そのとき大きな卵焼きがあった!
それで嬉しくて他のものを、とっても嫌いなものもあったけど、大急ぎで食べた。
そしてやっと卵焼きを食べれるな、と思ったときはもう腹いっぱい!
全然食べることができなかった。
・・・あのときの恨みは今も忘れない。
・・・丸い卓袱台の上にひとつだけ残った卵焼きの皿を今でも忘れない。
あのときのことがトラウマになって、今では美味いものを最後まで残すことはしなくなった。
まず横目でチラッと美味いものを見てから、どうでもいいもの、無難なものを一口か二口食べる。
それから美味いものを一口か二口食べる。
このとき全部食べてはいけない。
必ず残しておき、今度は別のものを食べる。
そしてまた美味いものを一口か二口・・・
こうして美味いものを絶えず意識しつつ、他の食べ物への気配りも忘れない。
これが大人の食べ方というものだ。
美味いものを先に平らげてしまう人、
これはがさつな人間で、子供のときから少しも進化していない。
というわけで話を戻すと、酒がなくなったと書いたけど、実は本当はなくなったわけではない。
安酒がなくなったのだ。いい酒は大事に残している。
どうも子供の頃の癖がまだ残っているようだ。
と言うよりも年をとるにつれてますますみみっちくなっている。
酒は焼酎だけでなく、久しぶりに日本酒も買った。
焼酎は地元のヤエガキ酒造の麦焼酎「あらき」
これは1300円台だったので日ごろ飲んでた焼酎「博多の華」よりも3割も高い。
これでは安酒とはいえない。高級酒・・・とまではさすがにいえないけど、まあまあの酒。
それから日本酒は「辛口一献」。これは安酒。
3リットルで1200円台。
でも安酒の中ではまあ呑める酒だ。
ひとりで「辛口一献」を湯飲み茶碗に注いで、
「酒は一人で呑むべかりけり・・・」とか
「濁り酒濁れるのみて・・・」とか
旅人の酒を呑めぬ人は「猿にかも似る」とか
いろんな歌を思い出しながら・・・
ちびりちびり、でなくごくごくごくと呑む。
これこそ安酒の楽しみだ。