イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「西洋哲学の10冊」読了

2019年09月04日 | 2019読書
左近司 祥子 著, 編集 「西洋哲学の10冊」読了

僕の今までの人生でインプットした資源量と、アウトプットした資源量(=社会に貢献した度合)を比較すると、それはもう明らかにインプットした資源量が圧倒している。要は、社会貢献というものがまったくできなかったのだ・・。人生も第3コーナーを回りきって第4コーナーにさしかかろうかという頃に差し掛かると、それに対してなんとか言い訳をしなければならないと考え始めるのだ。

仏教の本を読んでいると、「諦めること」が肝要であると書いているけれども、それは日々をそう生きていると心が安寧になるということで、人生に対する言い訳ではないような気がする。そして、僕がほしい言い訳の答えが心理学や哲学にあるのではないかと検索をしていたらこんな本を見つけた。
哲学の入門書で、しかも分類は児童書となっているけれどもほぼ中身はわからなかった。僕の知能は高校生以下のようだ。

この本には10人の哲学者が書いた書物の解説が掲載されている。その解説がさっぱりわからない。
なんとかいくらかの部分を拾い出してつなぎ合わせてみる。
まず、人はなぜ哲学をするか。それは、「この世に不満を感じないでいることができるのであれば哲学は必要ない」からである。それでは不満を感じないということはどういう状態であろうか。アリストテレスは、「それは幸福になること。」であるという。
しかし、ハイデッカーは、「不安は常につきまとう。」という。それに加えて、「問い続けることが人間としての存在そのものである。」とも言っている。

ああ、哲学も僕の疑問には答えてくれない。それどころか、“問い続けることが・・・”なんて言われると、永遠に堂々巡りをしていなさいと言われているようなものではないか。
しかし、ラッセルはこうも言っている。「不幸自慢をしている人もそれはそれで幸福なのだ。」今週の「おしん」もそんな心境なのだろうか。少しは心強くなる。

2500年も前から延々と人々が悩み続けていることをたった1冊、それも児童書で理解しようとしたということがもともと無理なことであると、それだけは理解することができたのだ・・。
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