イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

この1年を振り返る

2016年12月30日 | Weblog
今年もあとわずか、この1年を振り返る。

まずはヨタ話。
ここ数年、12月30日は休みを取ってお正月の獲物を手にすべく釣りに出ていたが、今年はあえなく断念となった。ちゃんと休みは取っていたものの、社長のありがたいお言葉をお聞きするために、たった5分のために往復4時間の道のりを行かねばならなくなったのだ。

せっかくの休日出勤になってしまったので恒例の大晦日詣を1日前倒しにしてみた。
地元の神社めぐりから再び谷町界隈に戻ってきてしまったかっこうだ。

以前も必ず訪れていたが、今年の大河ドラマの舞台からスタートだ。
まずは天王寺公園。数年前から整備されていてきれいな場所になった。天王寺駅から入ってゆくと美術館がある。



この地で30年近く勤務しているが前を通ったのは初めてだ。
茶臼山の古戦場跡を見て、



真田幸村が討ち死にした場所といわれる安居神社へ。

  

こんな中途半端なときでも何人かの参拝人がいる。さすが、大河ドラマだ。
ここに来ていつも思うのだが、幸村が討ち死にした歳をとうに過ぎ、いったい僕は何をやっているのだろう。

その後、愛染明王をお祀りしている愛染堂、



愛染明王は六臂ある一組に弓と矢を持っておられるがこれで魚を射抜いてくれるだろうか・・・。

虚空蔵菩薩をお祀りしている太平寺を訪ねた。

 

虚空蔵菩薩は知恵や記憶のご利益もあるが、もっと魚を釣るための知恵をもたらしてくれるだろうか・・・。

この界隈にはたくさんのお寺があるが、どこも近代的な建物になっていてあまり趣がないのが残念だ。愛染堂はまだましな感じではあるが、どこでもお祀りしてある仏像を拝むことができないのがこれまた残念だ。
愛染堂と太平寺の間には夕陽丘の地名の由来になった藤原家隆の墓所と言われる場所がある。



そのそばには家隆を慕って一族が墓所を設けたという陸奥宗光の墓所もある。



この人は元紀州藩士。僕の地元に縁のある政治家だ。
維新時代の辣腕政治家だったそうだが地元でもあんまり知っている人はすくないだろうな。僕も名前くらいしか知らないし・・。
一度訪ねてみたいと思っていたがやっと来ることができた。今は西の方角が木々で覆われているが昔は海もすぐそこまで迫っていてきっと美しい場所であったのだろう。

約1時間、この界隈をうろうろした後、上本町5丁目へ。ここは師の生まれた辺り。住所も変わり、当然ながら場所もわからないが多分師が幼少の頃、ここを歩いていたのだと実感したいものの、ラブホテルばかりでは実感も何もない。



ただ、今日は師の誕生日である。86年前、確かに師はここにいたというのには間違いがないのだ。




ヨタ話はここまで

今年の評価としては釣行回数は多かったものの、成果はいまいちというのが総合結果だろう。
去年に引き続いて夏のチョクリ釣りはまずまずの成果であったが春の真鯛とキス、洲本のタチウオもことごとくダメであった。去年あんなに釣れたコウイカもまったくダメだ。

          


そのかなでも、今さらではあるが、磯釣りでは新しい発見があった。フカセ釣りでは矢引きのウキ下で普通にグレが釣れてしまうこと、紀州釣りでは手前に潮が当ててくるようなときにはウキを外してズボで釣れてしまうこと。
フカセ釣りはこの日、渡船屋の待合で常連の釣り客たちが話していたこと、紀州釣りはずっと前におだんごクラブの管理人さんがひとつのメソッドとしていたことであった。
何でも保守的(≒面倒くさがり)で新しいことをしたくない性格なのでいつも同じスタイルばかりの釣りを続けているが、発作的にやってみただけとはいえ結果が出たというのは大きな教訓だ。

 


ただ、磯釣りは僕にとってはフェードアウトしてゆかざる終えない分野なので、今さらいろいろ考えるというのも面倒くさいし今回もたまたまうまくはまっただけかもしれないし・・・。

冬になってからは本格的にカワハギとアオリイカを釣ってみたいと思い挑戦したものの、これもあまりパッとはしなかった。
カワハギはいつも1匹どまり。ただ、やはり食べるとおいしい。仕掛けをもう少し工夫すればもう少し釣れそうな感触もあり、来年はがんばってみようと思うのだ。アオリイカは完全に無理。1回でやめてしまったが、やはり100円のエギでは無理なのだろうか。テレビではいとも簡単に釣っているような気がするが・・・。釣れる場所はなんとなくわかったのでこっちも片手間にはなるのだろうがもう少し続けてみたいと思うのだ。

  

フロックで釣れてしまったイサキもうれしい獲物であったが狙って釣れる方法はないものであろうか・・・。



マテガイや真蛸もうれしい獲物だ。これも狙って釣れるようになりたいものだ。

 




今年は劣化の年でもあった。

持っているものがことごとく劣化で使えなくなったか、使いづらくなった。
まずは磯竿。
グリップのところがゴムでコーティングされているのだがこれがネチネチしてきた。
触るとなんだか気持ちが悪い。これを買ったのは約10年前。年に数回も使わなくてここ数年は1回しか使わなくなってしまった。
使い続けているとこうもならないのだろうが残念だ。6万円以上もした僕の仲では一番高価な釣竿だったのに・・。



そしてこれも春にしか使わなくなった紀州釣り用のバッカン。これは春には普通に使えていたのに秋には見事にボロボロになってしまっていた。



船の生簀の栓。これもとうとう水が染み出してきてしまった。



細かくは竿の尻手ロープと魚を〆る道具を入れている入れもの。

 

長靴にカッパ、そして手袋。手袋はさすがに680円では耐久性がない。しかし、貧乏は悲しい。新しく買ったのも同じ手袋だ。特売で390円になっていたので思わず買ってしまった。

 

樹脂で作られているものは加水分解や紫外線劣化で使えなくなるときが来るのはわかるが、これだけ集中してボロボロになってしまうと不安になる。
おかげで船のほうは大きな故障もなく1年を過ごしたが、エンジン場を眺めてみても樹脂製のパーツはいくらでもある。そろそろ燃料ホースも危ないかもしれないし電装品のコードの皮膜なんかも触るのが怖いほど弱々しく見える。
次はこっちに飛び火するのではないだろうか・・・。

そして極めつけは自分の体だ。
腰が痛くなって病院に行ったというのは以前のブログで報告したが、先日、季節はずれの暑い日、12月22日、MRIの検査結果を聞きに行った。



結果は椎間板ヘルニアと腰椎の変形だそうだ。
説明してもらうと、腰椎の端が角のように出っ張っているそうだ。それが神経を刺激して腰や大腿部が痛くなっているそうだ。
それで、どうして変形してしまったかということを聞いたら、椎間板が薄くなった状態でクネクネ動いている間に骨と骨が擦れて少しずつ出っ張りが出てきてしまうのだとのこと。多分、タガネを叩いていると頭がひしゃげてくるというのと同じような現象なのだろうと解釈したが、先生はそのあと、こんなことを言った。
「人間は体の耐用年数を超えて長生きするようになってしまったので骨にも負担がかかりすぎているんですよ。50歳を過ぎると多かれ少なかれこんな症状は出るものですよ。」
以前に読んだ「生物学的文明論」という本にも、人間の生物しての寿命は40歳までだというような内容の記述があったが、医者もそういうのだから僕もすでに行き過ぎているのかと思うと情けなくも納得してしまった。
将来はどうなるかというと、1/3の確率で手術、1/3の確率で腰が曲がって杖をつく、1/3の確率で寛解する。そんなこところだそうだ。
これもれっきとした劣化なのだろう。

来年は釣果も大事だがまずは体を含めて大過なく過ごしたいものだ。


夕方、家にたどり着き、2隻の船にしめ飾りを置いて今年の魚釣りはすべて終了。

 

今年もたくさんの人の手助けと教えをいただいた。
沈みつつある夕日を眺めながら感謝の念を抱くのだ。
皆さま、今年もどうも、ありがとうございました。来年もなにとぞ、どうぞよろしくお願いいたします。



コメント (4)
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