イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「釣針(ものと人間の文化史)」読了

2016年12月22日 | 2016読書
直良 信夫 「釣針(ものと人間の文化史)」読了

本書はテーマをひとつのものに絞って文化史を解説しているというような本で、たまたま「釣針」というテーマのものがあったので買ってみた。ちなみに図書館では、「磯」というテーマのものもあったがあまりにも分厚いので多分借りることはないだろう。

旧石器時代から金属器時代の最初のほうまでの釣り針の変遷や地域ごとの特色が書かれている。最初は木の枝別れしたところで作られた「レの字」形の釣り針が作られ、鹿の角の枝分かれしたところが利用され、石器が進歩してくると次第に「しの字」の形をしたものに進化してきたというのが最初の流れだ。
それからもう少し進歩すると結合針という、フトコロのところからふたつに分かれていて紐で縛って使うようなものも現れてきたらしい。強度と針掛かりを重視したデザインだ。接合部もただ縛るだけからギザギザをつけたり軸側に穴をあけて細い針先を通すような進化したデザインもあった。
その後、金属器の時代に入るとすでに現在と同じようなデザインの釣り針が現れる。
逆にいうとそれからはほとんど進歩していないということで、完成度というかもうこれ以上進歩しようがないほど合理的なデザインであったということがよくわかる。
フトコロの一番深いところに穴が空いていて、著者の考察からするとそこに紐を使ってなにか飾りのようなものを取り付け疑似針として使っていたのではないかという。まるでチョクリ鉤か高仕掛けのビニールを付けた状態ではないか。素材が変われどもやっていることは昔と変わらない。

掲載されている鉤のデザインや大きさの数々は時代ごとの変遷よりももっと別の意味があるのではないかと思えるほど多様だ。もちろん狙う魚(旧石器時代にすでに数十種類の魚が食べられていたらしい。)に合わせて作られたというのもあるのだろうが、ぼくはきっと、かなり気難し気な古代人のおいやん達が、「わえの鉤が一番釣れるんよ~。ほかの奴の鉤ら、あこまえよ!!。」そんなことを言いながら集落の片隅で背中を丸めて一所懸命鉤を磨いていたに違いないと思う。だから作った人の数だけデザインがあるのだと思えてしまう。
それほど魚釣りは面白い。社会が整備され、人口が増えてくると魚を釣るという漁法は効率の悪いものになってきたそうだ。それが新石器時代の終わりごろ。それ以降は生きるための食糧調達の手段というよりも楽しみ、娯楽のひとつになりつつあったようだ。
それでも人は細かい作業で青銅や鉄の鉤を作り続けて今に至る。
やはり釣りというのは面白いんだ。
師の本に掲載されているあまりにも有名な箴言に、

1時間幸せになりたいなら、酒を飲みなさい。
3日間幸せになりたいなら、結婚しなさい。
8日間幸せになりたいなら、豚を殺して食べなさい。
そして、一生幸せになりたいなら、釣りを覚えなさい。

という言葉があるが、改めて人生のズバリを言い当てた箴言だと確認することになるのだ。

コメント
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