鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

どこが20世紀オペラの金字塔なのか、難解で暗いオペラ「ヴォツェック」

2009-11-24 | Weblog
 23日は東京・初台の新国立劇場へオペラ「ヴォツェック」を観に行った。オーストリアの作曲家、アルバン・ベルクの作った20世紀オペラで、ドイツ人兵士、ヴォツェックの貧しい人生を描いたもので、全体に暗い印象は否めなかった。舞台全面に張った水の上での演技が繰り広げられ、霊界を思わせる白塗りの化粧を施した群衆が登場するなど凝った舞台装置が異彩を放っていた。
 ドイツ人兵士、ヴォツェックは大尉の髭を剃ったり、医者のモルモットをしながら妻と男の子を養って、貧しい生活をなんとか維持している。子どもにも妻にも愛情をもてなくてイライラし、夢の中で沼地を彷徨う。そんな夢とも現実ともつかないなかで、酒場で働く妻が鼓手長の誘惑に負けて、関係を持つに至ってしまう。その場面を目撃したヴォツェックは鼓手長に詰め寄ろうとするが、逆に殴られてしまう。思い余って、ヴォツェックは妻を沼地に連れ出し、話しているうちに錯乱し、妻を刺し殺してしまう。それを群衆にみとめがれて、自らも溺死してしまう、という世にも憐れな物語である。
 3幕にわたって演じられたが、舞台に水が張ってあるせいか、2時間弱、1回も休憩もなく演じられた。大尉も医者も真っ白な顔に幽霊を思わせるような出で立ちで、医者に至っては傘をさし、骸骨を思わせるような紛争で不気味さを漂わせる。出てくる群衆も無表情で、時代の暗さを象徴するかのように求職中の「アルバイト」と書いた看板を首から下げて、沼地を転げまわる。
 その群衆に担がれて、オーケストラの一員数人が板の上に演奏しながら登場するシーンもあれば、板の上で踊る男を担いだ一団が登場するシーンもある。また、顔を白塗りした群衆が踊り狂うシーンもある。それらがいずれも水の上で繰り広げられるから、水がピチャピチャはねる。
 そしてヴォツェック一家3人が出てくるシーンだけが前後に動く箱家の中で演じられる。箱家のなかで演じられるのは現実で、水の上で演じられるのは幻想である、と暗示しているのであろうか。
 それと、常に男の子どもが小道具のようにヴォツェックと妻の周りで動き回り、貴重な舞台回しを務める。ヴォツェックが死んだ後もヴォツェックの死体の上に座ったり、最後はヴォツエックが横たわるの眺める位置で立ちすくむ姿を映し出して幕となる。夫妻が死んでも、子どもが生き残ることは希望は残るとでも言いたかったのだろうか。
 パンフレットには20世紀オペラの金字塔と刷りこんであったが、少なくとも楽しいとか、希望の持てるようなものではなかった。金字塔とでも触れ込まないと興業に差し支える、とでも思っての宣伝なのだろう。バラ色ばかりではない人生、とでも言いたかったのだろうか、難解なオペラであったのは確かである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする