26日は川崎・等々力にある市民ミュージアムでの縄文式土器の作品展に行った。川崎市内の有志でつくる「多摩川野焼き土器づくり」なる組織が市民を対象に縄文式土器を作って楽しもう、という企画を実施しており、この秋のイベントに参加して、見よう見まねでそれらしきものを作ったところ、作品展をして一般に公開しよう、ということになり、その当番でもあった。川崎市民ミュージアムには数回来ているが、3階にミニギャラリーなるスペースがあるとはついぞ知らなかった。
今回の「縄文式土器づくり」企画が始まったのは9月初旬の土日で、まずたまたま市民ミュージアムで開かれていた「川崎・縄文一万年展」で川崎市内で発掘された縄文式土器を観て、何を作るかの構想を抱き、粘土こねをしながら作成に入った。当初、特に作りたいものがあったわけではないが、展示会で「台付き浅鉢」なる土器に目が行き、挑戦することにした。ランプのような台の上にお皿が載っているような土器で、台の中を空洞にするのと皿をどう作るのか、の興味もあった。
手回しのろくろをあてがわれてはいるが、なかなか思うようには使いこなせない。台の真ん中で膨らむような形状を出すのも難しい。作っている途中で、再度、ミュージアムの展示会場へ行き、作ると決めた作品をじっくりと見ても同じように作るのは至難の技だ。上に載せる皿もカーブの部分がうまく均等に仕上がらない。ごつごつしたいかにも素人が作った浅鉢が仕上がったところで、模様付けとなったが、ヘラで適当に線を入れるくらいで、もう根気が湧いてこなかった。代わりにお猪口と「愛」や「仁」など文字1字を書いたコースターを5つばかり作って遊んだ。
それで3日目に各自が作成した作品を川崎テクノで焼き、さらに多摩川べりで野焼きした。そうして出来上がった作品を川崎ミュージアムで一般に公開したもので、展示台の上に名前の書いたプレートを前に自分の作品が置かれているのを見ると面映ゆい気がする。野焼きには参加できなかったので、煤で黒くなった作品に対面するのは初めてのこととなる。こうした土器を作る才能がるとはとても思えないが、指導していただいた先生はじめボランティアのみなさんのおかげで作品が出来上がった、と思うと感謝の気持ちでいっぱい、となる。
おそらく観覧していただいた来場者のみなさんに評価してもらえるような作品ではない、ちょっと見て「ふーん」と頷いてもらうくらいが精一杯だろう。
26日は平日とあって、観賞に訪れる人はほとんどいない。市民ミュージアムは通りすがりに寄れるような場所もないので、いわゆる冷やかしのお客もいない。午後1時から4時半までわずかに8人の来場者しかいなかった。それでも自慢の作品を観ていただいた、という自己満足的な充実感だけは残った。
自らの嗜好に任せて勝手に作った作品を見てもらい、楽しむことができるのは平和な時代といえるのかもしれない。
今回の「縄文式土器づくり」企画が始まったのは9月初旬の土日で、まずたまたま市民ミュージアムで開かれていた「川崎・縄文一万年展」で川崎市内で発掘された縄文式土器を観て、何を作るかの構想を抱き、粘土こねをしながら作成に入った。当初、特に作りたいものがあったわけではないが、展示会で「台付き浅鉢」なる土器に目が行き、挑戦することにした。ランプのような台の上にお皿が載っているような土器で、台の中を空洞にするのと皿をどう作るのか、の興味もあった。
手回しのろくろをあてがわれてはいるが、なかなか思うようには使いこなせない。台の真ん中で膨らむような形状を出すのも難しい。作っている途中で、再度、ミュージアムの展示会場へ行き、作ると決めた作品をじっくりと見ても同じように作るのは至難の技だ。上に載せる皿もカーブの部分がうまく均等に仕上がらない。ごつごつしたいかにも素人が作った浅鉢が仕上がったところで、模様付けとなったが、ヘラで適当に線を入れるくらいで、もう根気が湧いてこなかった。代わりにお猪口と「愛」や「仁」など文字1字を書いたコースターを5つばかり作って遊んだ。
それで3日目に各自が作成した作品を川崎テクノで焼き、さらに多摩川べりで野焼きした。そうして出来上がった作品を川崎ミュージアムで一般に公開したもので、展示台の上に名前の書いたプレートを前に自分の作品が置かれているのを見ると面映ゆい気がする。野焼きには参加できなかったので、煤で黒くなった作品に対面するのは初めてのこととなる。こうした土器を作る才能がるとはとても思えないが、指導していただいた先生はじめボランティアのみなさんのおかげで作品が出来上がった、と思うと感謝の気持ちでいっぱい、となる。
おそらく観覧していただいた来場者のみなさんに評価してもらえるような作品ではない、ちょっと見て「ふーん」と頷いてもらうくらいが精一杯だろう。
26日は平日とあって、観賞に訪れる人はほとんどいない。市民ミュージアムは通りすがりに寄れるような場所もないので、いわゆる冷やかしのお客もいない。午後1時から4時半までわずかに8人の来場者しかいなかった。それでも自慢の作品を観ていただいた、という自己満足的な充実感だけは残った。
自らの嗜好に任せて勝手に作った作品を見てもらい、楽しむことができるのは平和な時代といえるのかもしれない。