吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年4月4日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉005・津屋崎の浜の貝類

2012-04-04 18:23:51 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:8個のガラス瓶に詰め込まれた津屋崎の浜で採集された貝

    =福津市津屋崎3丁目の「貝寄せ館」で、2012年4月1日撮影

 

貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 5

 :津屋崎の浜の貝類

 津屋崎の浜辺には、一体どれくらいの種類の貝がいるのでしょうか。「貝寄せ館」には4日までに、長老格の男性会員や母娘2代で集めたという女性会員らから約80種の貝が、大小のガラス瓶に詰め込まれて次々と搬入されています=写真①=。展示する貝は、まだまだ増えそうです。

 津屋崎は白砂青松の豊かな海岸に恵まれ、「玄海国定公園」に指定、「九州の鎌倉・江の島と謳われています。〝貝寄せの浜〟とも呼ばれる津屋崎の浜には、西風が玄界灘から吹く冬から春先に貝が多く寄せられます。津屋崎海岸=写真②=の貝類が、全国的に知られるようになったのは、昭和44年(1969年)、『福岡県産貝類目録』(高橋五郎・岡本正豊共著)で県内トップに挙げられてからです。

写真②:「海岸道路」もなく砂浜が広がる昭和10年ごろの津屋崎海岸(「海とまちなみの会」会員・津崎米夫さん提供)

 1992年発行の津屋崎文化協会会報『文化津屋崎 第3号』に「津屋崎の貝殻(その二)」を寄稿、その中で〈「貝寄せの浜」と呼ばれた津屋崎の浜〉と記述された牧忠孝・福岡県立水産高校教諭(当時)によると、津屋崎には約450種の貝がいたという。また、魚住賢司・日本貝類学会会員は、『津屋崎町史 通史編』(1999年刊)で津屋崎の海産貝類は689種と報告しています。

 「海とまちなみの会」では2007年7月、「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で「津屋崎の貝がら展」を開催した際、津屋崎北本町の大賀孝男さん・康子さん夫妻が、〝貝寄せの浜〟の美称を持つ津屋崎浜や恋の浦、勝浦浜で収拾された貝殻約420種の標本を展示=写真③=。相模湾には650種の貝がいるとされていますが、一つの町でたくさんの貝が寄る津屋崎の海浜は素晴らしいと、感心されていました。しかし、現在は防波堤築造や海岸付近の埋め立てによる自然環境の変化、海の汚染などで海産貝類の中には姿を消したり、まれにしか見つからない種類も急速に増えているといわれています。

 

写真③:大賀孝男さん・康子さん夫妻が収集された津屋崎の貝の標本

     =「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で、2007年7月7日撮影

 かひよせ(貝寄風・貝寄)は、俳句の春の季語で、陰暦2月22日に聖徳太子ゆかりの寺である「四天王寺」(大阪市天王寺区)=写真④=の聖霊会(しょうりょうえ。太子命日に催される大法要)の前後に吹く西風のこと。舞台に立てる供養の造花を、この風で難波の浜に吹き寄せられた貝殻で作ったことによるとされています。

 

写真④:四天王寺「仁王門」(手前)の北側に見える五重塔
     =大阪市天王寺区四天王寺1で、2010年6月3日撮影

  〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉や、〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉の名句で知られる俳人中村草田男(1901-1983年)に、貝寄風を詠んだ次の秀句があります。

  貝寄風に乗りて帰郷の船迅し    中村草田男

 この句は短冊に揮毫し、「貝寄せ館」に掲げています=写真⑤=。

  

写真⑤:中村草田男の〈貝寄風に乗りて帰郷の船迅し〉の秀句を揮毫した短冊

     =「貝寄せ館」で、2012年4月4日撮影

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