写真①:着物姿の嵯峨三智子が表を飾る「芹野酒店」の古い団扇
貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 18
:「芹野酒店」の古い団扇
嵯峨三智子が表を飾る
:「芹野酒店」の古い団扇
――「海とまちなみの会」
福津市津屋崎3丁目にある「麦屋惣平衛邸」当主麦野裕(ゆたか)さん(千葉県在住。「海とまちなみの会」会員)から同会事務所・「貝寄せ館」に寄贈された〈津屋崎千軒〉の商店の古い団扇9枚のうち、新町の「芹野酒店」の団扇の表は、女優の嵯峨三智子が清酒やビールが並ぶ店頭に立ち、左手に焼酎瓶を持って着物姿でほほえんでいます=写真①=。
嵯峨三智子は女優山田五十鈴の娘で、昭和27年(1952年)に東映女優嵯峨美智子(後に三智子と改名)としてデビュー。同31年(56年)に松竹に移籍、妖艶な演技で人気女優となりました。俳優の岡田眞澄と婚約、後に解消し、平成4年(92年)に57歳で他界しました。
美しく、レトロな色調が魅力の団扇の裏には「芹野酒店 津屋崎新町 電話一三六番」と書かれています。同店2代目経営者の芹野國康さんの時代に作られた団扇のようです。3代目でデザイン会社「ブローテ」を経営している義則さんは「芹野酒店時代のこんなきれいな団扇は、初めて見た」と感動して写真を撮り、初代経営者の芹野桂蔵(けいぞう)は「芹桂(せりけい)」の屋号で新聞屋と呉服屋を営業、戦後に酒屋に転じたと話されていました。
義則さんは、木造で老朽化していた「芹野酒店」の建物を解体、跡地に建てられた「ブローテ」新店舗(木造2階延べ170平方㍍)がほぼ完成しています=写真②=。現代美術作家の直子夫人とデザインや建築様式を検討して建てられ、斬新な白亜の建築物として関係者に注目されています。
写真②:「芹野酒店」跡の敷地に建て替えられた「ブローテ」新店舗
=福津市津屋崎新町で、2012年4月27日撮影