写真①:紅葉の木々に囲まれた「志賀海神社」拝殿
=福岡市で、2017年11月28日午後0時10分撮影
〈福岡・町歩き〉019
:志賀海神社
「志賀海(しかうみ)神社」は、福岡市東区の志賀島にあります。小春日和に恵まれた11月28日、久しぶりに参拝。拝殿そばの紅葉がきれいでした=写真①=。
参道石段上り口にある福岡市の「志賀海神社」案内表示=写真②=によると、〈祭神は、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)・仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)・表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)〉。この綿津見三神は伊邪那岐命が日向橘の小門の阿波岐原で禊祓した際に現れたもので〈海神(わたつみのかみ)の総本社と称えられる当社は、海上守護の神として『万葉集』にも詠われ、古来より信仰されています〉という。「龍の都」とも称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要地博多湾の総鎮守として信仰篤い神社です。主祭神の「綿津見三神」と併せて神功皇后、玉依姫命、応神天皇も祀られています
邪那岐命の禊祓の際、海の底の方に潜った時に生まれたのが底津綿津見神、中ほどにいた時生まれたのが仲津綿津見神、水の表面で生まれたのが上津綿津見神とされ、綿津見三神を祖神とする阿曇族が代々奉斎してきたとされています。
写真②:福岡市の「志賀海神社」案内表示(右側)がある参道石段上り口
伝承によると、神功皇后は三韓出兵に際して、志賀島の阿曇磯良を召して祈願され、龍神から干珠満珠を授かり、無事に三韓を平定して帰還されたという。志賀海神社には、その模様を描いた神功皇后出兵絵巻が残されています。
『万葉集』にも詠われた〈ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀の皇神〉(巻7 1230番=作者不詳)の短歌を刻んだ石碑=写真③=が、参道わきに建てられていました。そばに設置の福岡市教育委員会の『万葉歌碑』解説文によると、「志賀島から船出して奈良の都へ向かう官人が詠んだものです」。この歌意を口語に訳すと、波が荒く恐ろしい鐘の岬(宗像市鐘崎の「織幡(おりはた)神社」が鎮座する岬)を船に乗って過ぎてしまっても、私は志賀の皇神(「志賀海神社」に祀られている海神)のご加護を忘れません。鐘崎と対峙する約800㍍離れた「地島」との瀬戸は岩礁があり、潮流・風向きしだいでは玄界灘第一の航海の難所とされ、古来、船乗りは通行の安全を志賀の神(海神)に祈った、とされています。
写真③:参道わきに建てられている〈ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀の皇神〉の万葉歌碑
拝殿近くの境内には、鹿の角1万本をおさめたという「鹿角堂(しかつのどう)」=写真④=もありました。神功皇后が対馬で鹿狩りし、その角を奉納されたことが起源で、祈願成就の際に納められてきたという。
写真④:鹿の角1万本をおさめたという「鹿角堂」