吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

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2017年12月1日/〈福岡・町歩き〉020・志賀の白水郎の「万葉歌碑」

2017-12-01 14:53:59 | 福岡・町歩き

 

写真①:海岸の広場にある志賀の白水郎の「万葉歌碑」

     =福岡市東区の志賀島で、2017年11月28日午後10時45分撮影

〈福岡・町歩き〉020

:志賀の白水郎の「万葉歌碑」

 福岡市東区・志賀島の「志賀海(しかうみ)神社」を参拝した11月28日、市立志賀島小学校近くの海岸広場にある志賀の白水郎の「万葉歌碑」=写真①=も訪ねました。そばに建てられている市教育委員会の「万葉歌碑(志賀島9号碑)」説明板によると、「筑前の国の「志賀の白水郎(あま)の歌十首」中の一首・〈沖つ鳥 鴨といふ船は 也良の埼 廻みて榜ぎ来と 聞え来ぬかも〉(『万葉集』巻16 3867番収録)を石に刻んだものです。

  説明板では〈神亀(724~729)のころ大宰府から対馬に糧を送るように命じられた宗像郡の津麿(つまろ)に代わって志賀の荒雄は、肥前の国の美祢良久(三井楽)から対馬に向かって船出したが、暴風雨に遭って海没した。それから8年、荒雄の妻子はなおその生還を念じてこれらの歌を作ったという。また一説では筑前の国首山上憶良(やまのうえおくら)の作であるとも伝えられている〉としています。

 そのうえで、歌を口語訳で〈荒雄の乗った鴨という船が、也良の崎を回って漕いで来るよと知らせが来たらなあ〉と説明。さらに〈鴨は荒雄の船の名。也良の崎は能古の島の北端で、そのあたりを漕いで来る荒雄の生還の吉報を期待する家人の切ない心を詠んだ歌である。なお、也良の崎には「沖つ鳥鴨といふ船の還り来ば也良の崎守早ぐ告げこそ」の歌碑がある〉としています。

 「也良の崎」にある歌碑の歌を口語訳すると、〈沖の水鳥の、鴨という名の船が帰って来たら、也良の岬の番人は、早く知らせてください〉。志賀島9号碑の「万葉歌碑」から南側には、波静かな博多湾の向こうに「能古島」也良の崎方面の美しい景観=写真②=が眺められました。

 

写真②:「万葉歌碑」(志賀島9号碑)南側からの博多湾の眺望(向こうは「能古島」也良の崎方面)

     =11月28日午後10時45分撮影

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