写真①:黒田家の菩提寺・「崇福寺」の山門
=福岡市博多区千代4丁目で、2014年1月23日午前11時45分撮影
〈福岡・町歩き〉013
:崇福寺
「福岡藩主黒田家墓所」のある福岡市博多区千代4丁目の臨済宗の寺院、「崇福寺」。1月23日訪れた際、いつもながら山門=写真①=の見事さに感じ入りました。福岡城本丸表御門として建立されたもので、大正7年(1918年)に陸軍からの払い下げでこの地へ移設、福岡県有形文化財に指定されています。
「崇福寺」の山号は横岳山(おうがくざん)といい、湛慧(たんえ)禅師が鎌倉時代の仁治元年(1240年)に旧福岡県三笠郡(大宰府市)に創建しましたが、安土桃山時代の天正14年(1586年)の島津氏と大友氏との岩屋城の合戦で焼失。江戸時代初期の慶長5年(1600年)、福岡藩初代藩主黒田長政が現在地に再建、黒田家の菩提寺としました。
鎌倉時代の文永9年(1272年)に「横岳山崇福寺」の住職になった圓通大応国師が、福津市津屋崎出口にある「海雲山善福寺」を開山。その本尊の馬頭観世音を祀る六角堂には、黒田長政の位牌が祀られています。長政が京都で死去後、柩を船で博多へ運ぶ途中、しけに遭って「善福寺」にあげ、一夜、四方に垣を巡らせて守護し、翌日陸路で博多の「崇福寺」へ送ったことから、「善福寺」は〈垣の内観音堂〉とも呼ばれています。
NHKテレビの大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送が1月5日から始まり、長政と父黒田官兵衛(出家後、如水と号した)の墓が並ぶ「崇福寺」の「福岡藩主黒田家墓所」(市指定史跡)が注目されていますが、境内には明治14年(1881年)に旧福岡藩士らが中心となってアジア主義を掲げて結成した政治結社・「玄洋社」の活動家を祀る「玄洋社墓地」=写真②=もあります。
写真②:「崇福寺」境内にある「玄洋社墓地」
=1月23日撮影
「玄洋社墓地」の中央には、中国の民族独立運動家で日本に亡命した孫文を支援した「玄洋社」の総帥・頭山満の墓=写真③=が建てられています。
写真③:「玄洋社墓地」の中央に建てられている頭山満の墓
=1月23日撮影