気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

想念と創造

2022-12-25 03:27:57 | 意識の科学(実践編)

わたしの現実が、

わたしにとって不都合であるならば、

その現実を変えるのは、わたし以外にない。

同じく、

あなたの今の現実が、

あなたにとって不都合であるならば、

あなたのその現実を変えることが出来るのはあなた以外にない。

 

なぜならば、現実というのは、

わたしたちの主体たる意識が知覚体験している事柄の集合であり、

わたしたちの存在そのものによって、

周囲あるいは知覚する時空間として投影・出現しているからだ。

現実が勝手に出ているのではなく、主体意識・観察者が投影しているのだ。

それを全く忘れてしまっているのが、この物理次元世界の住人ということだ。

あなたがいなければ、あなたの世界はない。

実にシンプルな表現だが、この言語概念の中に重大な”あなた”に関する真実がある!

何度も言うが、意識を有する人間たちは・・創造主の子らであり、

創造主の子は創造主の真似事をしているのだから、これは当たり前である。

・・・・

ところで、

わたしたちは誰でも自分たちの現実をより良い状態にしたいと思う。

これはどんな人にとっても100%確実である。

絶対といって良いほど幸せを願っている。

そうではないか?

あなたはちがうのか?

では、

そのためには何をすべきだろうか?

今までは、外世界、他の人々を変えようとしていつも困難に遭遇した。

政治、運動、争い、騙し、戦争、革命などは外の世界、人々を変えようとする行為である。

もちろん良かれと思う部分が続けば、様々な悲惨さや後悔などを経験しつつも少しずつは進歩してきたわけだが、

そのやり方はあまりにも人間社会全般に、カルマや歪を蓄積するやり方であったといえよう。

ニサルガダッタ・マハラジ師が言うように、

それは鏡に映ったあなたの姿が気に食わないと言って「鏡」の方をガリガリとかきむしる様なものだ。

知覚された世界、外側の世界は結果の世界であり、それをいじくり回したところで、単に物事の配置換えや隠蔽をするようなものである。

外界という結果の世界で大勢が右往左往するだけでは、

いつまでたっても、争いごとが絶えず、その争いごとで使われる道具が、世界そのものを何回も破滅させるまで進化してしまった。

外の世界、他の人々を変えようとすることは意味がない。

意味がないどころか、多くの人はすべてをいつも、

いつも外の何か、誰かのせいにして・・

自分の世界を出現させている・・わたし自身・・を忘れていたのだ。

確かに、これまでの3(4)次元世界ではそうだった。

しかしながら、それはもう終わったのである。

 

・・・

もし、わたしの現実が、

わたしにとって不都合であるならば、

その現実を変えるのはわたし以外にない。

 

繰り返しになるが、

観察主体(意識)としての私たちが、その観察対象である世界(現象)を存在せしめているのであれば、

その観察世界・いわゆる現象世界は、観察主体であるわたしたちが創造しているということなのだ。

少なくとも、あなたであれば、

あなたの気付く範囲、意識する範囲、知覚する範囲のすべてが、

あなたに依拠して存在しているということなのだ。

そして、そのあなたの・・何に?依拠しているのだろうか?

・・・

それは「想念」あるいは「信念」である。

信念とは・・絶対にこうである・・!という強固な認識のことである。

絶対にこうである・・とは信じていない・・と思っていても、

当たり前の常識、普遍的なこと、間違いのないこと・・として、

無意識のうちにある「認識」のことを「信念」という。

 

その信念が・・あなたの知覚する世界のフィルターとなっている。

そのフィルターに汚れがあれば、その汚れが外側世界に投影される。

そして、それを知覚・体験するのは・・あなた以外にない!

誰かに変わってと言ったところで、絶対に不可能だ。

わたし(あなた)以外には、わたし(あなた)の世界の主体はいないからである。

 

光が・・青いフィルターを通せば青色の光になり、

赤いフィルターを通せば、赤色の光となるように、

あなたの知覚・体験する世界は、観察者としてのあなたの「認識」によって、フィルタリングされるのだ。

これは観察によって波動が粒子になる変化と同時に、そのい粒子がどのように観察者の知覚に映ずるかという機能に関わってくるのである。

波動が・・粒子になるとして、どのような粒子化・物質化、ひいては外界環境を出現させるか・・が変わってくるということだ。

 

そう、あなたは単なる観察する主体・・ではなく、

何を観察するか?・・を選定しているということだ。

いわば・・自作自演である。

おのれでシナリヲを描きながら、それを観察確認しているということだ。

・・・・

この深い意味では、

どのような次元世界を創造するか・・という根源的な意味もある。

だって、あなたの目の前の世界・物質で満ちた世界は・・・

あなたが観察することで、波動が粒子化して現れているのである。

 

さらに、単に観察するだけではなく、

何を観察するのか?についても、観察主体・・によって変わることになるということだ。

 

・・・

観察によって出現する物質は同じ物質でも、

その物質の展開するその様相が、

観察者の「意識」によって変わってくるということだ。

ここでの意識とは、

想い・イメージ・感情を含む、「信念」のことである。

 

 

異なる人が同じことを体験しても、受け取り方がそれぞれ異なることは、日常でも誰でも気づいているはずだが、

もっと高次のレベルでは、その人間(意識主体)の信念、こうである・・このはずだ・・という強固な認識によって、波動の物質化の様相が異なってくるのである。

・・・

 

なぜか非公式のままのようだが、波動が粒子化するときに、人間の想念が影響を与えることの実証実験もなされているようだ。

あるサイト記事から抜粋、

TOCANA2019年記事

 

・・・

 粒子との二重性を示す「二重スリット実験」では、観測者の存在が粒子の振る舞いを変えてしまうことが知られている。だが、たとえ観測していなくても、人間の意識のみで粒子に影響を与えることもできるのではないだろうか?

 そのことを証明したのが、超心理学研究家のディーン・ラディン氏だ。人間が離れた場所から意思を働かせることで量子論的現象を無効にすることができたという。これはつまり意思の力だけで物質世界に影響を与える超能力、サイコキネシスの存在を暗に示すものである。

「観察は何かを測定するだけでなく、観測するものを生み出します。私たちは電子が明確な位置をとるように強制して、私たち自身が測定の結果を作り出しているのです」(ディーン・ラディン氏)

・・・

ラディン氏の実験は長らく科学界では認められてこなかったが、この度、国立科学研究センター(CNRS)の研究者ニコラス・トレンブレイ氏が、ラディン氏が行った上記の実験の追試を行ったとオルタナティブニュース「Collective Evolution」が報じている。同研究は科学ジャーナル「PLOS ONE」に2月7日付で掲載された。

 トレンブレイ氏はラディン氏の実験の追試を2年に及び行った。具体的には、二重スリット実験中に被験者に意識を光学機に向けたり、そらしたりするよう指示したという。通常、このような行為は観測とは見なされないと仮定される(帰無仮説)。

そして、その結果は?

・・・・

「我々は否定できない異常を見つけました。被験者が縞模様を弱くしたいとis意識すると縞模様が弱くなり、縞模様を強くしたいと意識すると縞模様強くなったのです」(同論文)

 縞模様とは粒子が写真乾板に残す跡のこと。その濃淡が意識によって変わるとすれば、意識が物質に影響を与えたということだろう。トレンブレイ氏も人間の意識が粒子に影響を与えたことを認めているように見えるが、どういうわけだか「心と物質の関係を示す決定的な結果ではない」と慎重だ。

 だが、「Collective Evolution」はこの結論に満足せず、1987年に中国の「航天医学工程研究所(Institute of Space Medico-Engineering)」で行われた超能力実験(封のされたグラスの中にある錠剤を遠隔操作で動かす実験)などを引き合いに出し、意識が物質に影響を与えているのは間違いないと断言している。

 意識―物質の相関関係は、超心理学の分野ではもはや常識となっていることだが、まだまだ科学界ではタブー視されている。そうした中での今回のトレンブレイ氏の実験は大きな価値のあるものだろう。これを機に追試が成功していけば、科学界も超心理学の結論を認めざるを得なくなるだろう。

 

この科学的な事実は、いままでの次元世界では決して認められないだろう。

なぜならば、主たる意識が物質の世界を創り出している事実は、

3(4)次元世界での「認識」ではないからである。

また、

皆が皆・・主たる想念によって波動から物質化させるおりに、その粒子化の結果にも影響を与えていることがわかれば、

皆が皆、自分たちで好都合な環境、あるいは幸せを創造するに決まっているわけで、

大勢の人を囲い、制御するような機能、

外側の様々な組織やら権力・権威などはほとんど不要となってしまうからだ。

それは彼らの立場にとって、まことに不都合な現実なのである。

・・・

 

観察によって出現する物質は同じ物質でも、

その物質の展開するその様相が、

観察者の「意識」によって変わってくるということだ。

ここでの意識とは、

想い・イメージ・感情を含む、「信念」のことである。

 

だから、わたし(あなた)の世界、いや宇宙において・・

何が大事なのかといえば、まず、

わたし(あなた)自身の ”信念” を変えるということだ!

 

・・・

これが正しいかどうか?・・科学者の結論を待つ必要はない。

わたしたち自身が・・それで、そうして来たからである・・

それそのもの・・だったと、自ら気付くだけのことである。

あなたやわたしたちが、今不幸なのか?幸福なのか?・・・

それそのものとして・・すでに・・実証しているのである。

 

創造主の子らは・・全て・・

I AM THAT I AM

 

わたしたちの世界は、

わたしたちの主たる想念・信念の、その・・・

あるがままに・・現れている。

もしこれを変えたいと望むならば、

変えるべきは・・自らの想念・信念以外にない。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。

 

知識は表現・行為して初めて知恵・そして信念に変化します。

その信念は、それぞれの世界を創造する原案となるわけです。

ラマナ・マハルシは、いわゆる魂とは「想念の束」と言いました。

個別の魂とは・・想念の束、無数に集合した想念の集合形です。

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