気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

若者達

2007-10-14 19:24:48 | 色々な気付き

私の若い頃に流行った歌です。何気に思い出したので。

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君の行く道は

 果てし無く遠い・・・

なのになぜ、歯を食いしばり

 君は行くのか

そんなにしてまで・・・

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若者に対して、先輩や年配の、回顧と思いやり、気遣いが滲み出ています。歯を食いしばるのは楽しいことですよね。艱難にいざ立ち向かう武者ぶるいのような、朝焼けの空を見てなぜか感動するような、体から滲み出る、圧縮されて、ほとばしるしかない感情!・・・そんな瞬間が今後とも無くなるはずもありません。

でもちょっと、時には肩の荷を降ろしたらどうか?という歌なのでしょうね。


意識の周波数(3)

2007-10-14 12:47:27 | 心の科学分野

100匹目のサルという有名な話があります。ある島にいるサルの1匹が芋を水で洗って食べるとうことを初めて行い、それが他のサルに伝わって、その行動パターンがある程度広まると、同じサル社会ではありますが、遠くの島のサルに伝わるというお話しです。

問題なのは、遠く海を隔てた別のサルに「芋をあらって食べる」という風習・情報がどうして伝わるのか?というところにあります。そこで考えられるのは、空間を越えて伝播することを可能とする何らかの仕組みです。我々の知らない電波のようなもので通信しているのでしょうか?ウイルスのようなものが気流に乗って媒介・伝播するのでしょうか?ライアル・ワトソンという人がこの話を紹介し、何らかの場の共鳴による瞬間的な伝播ではないか?と言う説を示したそうです。

ただこのサルの芋洗いの発生とその島での芋洗いの風習の記録伝播は、事実とのことですが、遠くのサル社会に瞬時に伝播したと言うのは、実は作り話だという説が主流になっているそうです。この現象を類推し、形態が共鳴して瞬時に伝播するという発想を得たようですが、サルの風習の遠隔伝播は、少なくとも実際の学術記録にはないと言うことのようです。ニューエイジ的思想にはピッタリ来るために広まったのが真相のようです。

それでは、時間や空間を越えた情報伝播のようなものは無いのでしょうか?予知や予言は時間を越えた情報伝播ともいえます。時間経過内での色々な要因によって、情報自体が大きく変化することはありますが、確率論で言えば偶然で済まされない場合も実際に存在します。空間を越えた情報伝播のようなものは無いのでしょうか。例えば今日はカレーが食べたい・・などと思っていたら、家の晩飯がカレーだったり、ある人のことをふと思ったところ、偶然出くわしたり、何か胸騒ぎがするな・・?と思っていたら、ちょっと変わった体験をしたり、そのような偶然の確率を超えた体験は、気がつけば色々ありますね。全て偶然だよと言ってしまえば、それで終わりですが・・・。そのような考えの人達は、偶然ということだけを考えているだけで、実は探求的、科学的な姿勢から外れていると考えられます。偶然という偶像崇拝のようなものです。

我々を取り巻く世界、それは五感というセンサー付きの立体3次元映像と考えた場合、それらの世界を現すための基本となる波動は、それらのセンサーを感じることを「意識」している存在の発するものではないでしょうか。映像・音声・などの波動には基本となる搬送波と言うものがあります。搬送波は実際の周波数より遥かに高周波であり、その高周波を変調、変化させることで、映像や音声の様々な波形を作ることができます。その全ての基本となる搬送波の周波数は我々の意識・心により変動するものと考えられます。根本的には全ての現象の基本となる波動があり、0hz~∞hzまであらゆる周波数帯に分離・分布もしており、それらの周波数調整を行うのが、思考、感情であり、信念体系を基にした行動表現であると考えられます。意識の周波数帯は物理現象の遥か高位にあり、その周波数帯の変調により、同じ意識レベルの存在に1瞬で伝播されるということが考えられます。それらが物質レベルに下がってきて現象化すると、奇跡のようなものが出てくるのかもしれません。ワトソンが言わんとしたことはこのことでありそうです。サルの生態で実証しようとしたところが、急ぎすぎであったかも知れません。実はサルではなく人間でこそ実証しやすいと思います。

(余談ですが、セロのマジックは、TV局の映像操作がないと仮定すると、遠隔での物質瞬間移動としか考えられませんが・・・どうなんでしょうか)

スーパーバイザーのような意識・思考が波動のチューニング、同調、変調を行うことで、この立体3次元世界の出来事が決まってくるのではないでしょうか。合いも変わらずの世界であるのは、我々の意識周波数が1つのところに固定されているか、または変調・同調の方法がいつもと、あるいは世間一般と同じためである可能性があります。

簡単に言えば、信念となる考え方が変わらないので周りが変わらない・とも言っていいと思います。信念体系というのが、良くも悪くも、1つの重りになっており、その意識周波数の位置を保っているのでしょう。