気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

量子の向こう

2007-10-08 17:47:41 | 色々な気付き

 今世紀初めから原子核物理学などの発展により、我々は量子の世界まで見ることが出来るようになりました。原子核レベル以下の物質は量子と名付けられ、波動関数でよく現されることがわかって来ました。実体としては”ある確率”で存在できるようなものだというのです。物を観察しようとするには、光の反射が必要です。身の回りにある部屋やテーブル、パソコン、窓ガラスなども光が当たっているからそれが見えるのです。

 ところが原子核を構成する粒子・量子を観察しようとして光・電磁波等当てると、相互干渉等によって影響を受けてしまい、そのものの本来の状態が変わってしまい、まともなものが見えないのです。目の前にある、例えばお茶のカップがあったとして、電気を付けてみようとすると、どんぶりになってしまう・・そのようなものという事です。もちろん原子核レベルでの状態とマクロな物質レベルでは全く異なり、カップがどんぶりになることはありません。原子核以下のミクロの世界ではそのように、確率でしか存在の確認ができない、まさに不確定な要素で構成されているのです。

 分子、細胞あるいは結晶、そして我々のなじんでいるマクロな世界での、硬い感触の物質の元は、実は存在確率でしかないというのです。眼に見えるマクロの物質が存在するのは、それが100%に近い確率で存在しているからなのです。100%と言うわけにいかないようです。従って、物質は絶対存在ではないという事は言えるのです。世界は、我々にはある意味で確率でしか捉えられない、相対的な世界であるともいえます。ガチガチの物質主義者が腕まくりをして、究極の物質を追求したところ、それらは確率であり、波動であることが分かったということです。

 我々の追い求める物質が確率や波動であることを認識した人間の「意識」については、どれだけ掘り下げているでしょうか。意識の鉱脈は実は量子の世界と確実につながっていると思います。∞宇宙→銀河→星→物質→量子→?<?究極のゼロ振動?> ??→∞宇宙・・・かも知れませんね。

しかし逆に、ここまで認識・理解の出来る人間という存在の、思考・意識作用に気が付けば、まさに宇宙を越えているのでないかと考えても、あながち途方も無い間違いとは言い切れないかもしれません。