気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

動物の視点

2007-10-21 08:20:12 | 色々な気付き

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私は龍之介と勝手に名前を付けられました。その分チョッと落ち着きが有るのはごらんのとおりです。動物の立場でモノを言えということで、マグロとしらすの缶詰がなくなっても困るので、すこーし言います。

Img_0783 いてっ!余計な前置きしたら、あったま小突かれてしまいました。

我々動物たちは、最近結構人間様の近くに呼ばれています。昔も我々は居たのですが、お互いある距離をもっていました。ペットなどと言われて、半強制的にまとわりつく羽目になっていますが、なぜなのかお分かりでしょうか?

それはね・・・、人間さんが人間さんとのお付き合いに飽きているからなのです。飽きちゃ困るんですが、最近は個人の権利という旗差モノを皆さんの背中に立てているため、すぐにけんかになる雰囲気がありまして、面倒くさくなっているのです。それで気兼ねない愛玩動物に慰めてもらっているようなのです。気を使わずにやさしさを投げかけられる存在が必要なのでしょう。中には気まぐれな飼い主や、恐ろしいターミネータから少しでも護ってくれる、少し広い意識の人間さんもいます。

我々動物は思考力が人間さんに比べてかなり劣りますし、存在界の波動感知には限りがあります。ただね、今の多くの人間さんも思考力がかなり鈍っているのじゃありませんか。というより自分の思考と他人様・世間様の思考と混同しているようです。人間さん、せっかくの思考力をつかったほうがいいのではないですか。我々はホントの意味で、自然との共振が無意識レベルでありますので、近い将来の出来事を察知できるんです。高価な地震計など要りません。感じる波動域は狭いですが有る意味、常にワンネスに同調しています。

人間さん、人間さん、思考や感情、想像力はどんな制限もありません。無限の前でボーとせずに、どうか勇気を持って、少しづつでも、美しい喜びに溢れた世界をあなた自身で作っていってほしいのです。動物はその色々な存在波動を受けて、これまた進んでいけるのですから。私達はもうかなり人間さんに奉仕させてもらっています。ペット達、特に牛さん、豚さん、鳥さんなどの集合意識さんなど大変なご苦労のようです。でもそろそろもう十分です、という合図が出ていますでしょ。合図に気付いていただかないと困ったことになります。

ということで、猫の分際でしゃべりすぎてしまいました。疲れたのでひと休みします。

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(お腹が冷えぬようにって、・・・いらんわい!)


3次元画廊の眠れる観客

2007-10-20 10:26:39 | 色々な気付き

我々の現在親しんでいる、周りの時間空間は、幻想である・・とよく言われます。

以前の記事でも出ましたが、親しく取り扱っている、物質というものを突き詰めていくと、分子・原子から、ずいぶん小さい量子にまでゆくのですが、それ自体が、存在確率を問われるようなものだと言うことです。それらは多分、存在しているというようなもの、といっても良いかもしれません。

別の例で言えば、新聞紙の大見出しなどのカラー写真なども、細部まで良く見ていくと、粗い紙の上に、色々な大きさの点で構成されているのがわかります。その細部に視点を持っていくと、何が何だかわからない点の集合であるのが判ります。ただしある距離から見れば、これが立派に美しい絵に見えます。これと似たようなことが我々のリアルな現実世界にもいえるわけです。そういう意味で幻想・創作のようです。

ただ我々の親しんでいる時空の仕組みは、結構良く出来ており、簡単には気がつかないようで、やっと最近になって、その基本構造が科学的に理解できるようになってきたわけです。だがその基本構造を理解したうえで、その物質のエネルギーの1部を開放することも解り、それをこれ幸いに脅しや破壊に使うという横道に入ってしまったのでしょう。この横道は今までの歴史という時間軸の中で何回も、ついつい入ってしまったようで、今回もその横道から抜けていない状況でしょう。

何者かが荘厳な絵を描いて、我々の為にあたり一面飾ってくれて、披露してくれているとします。その絵を鑑賞したり色々な学びや感動を味わう以外に、物としても着目し細部まで分析して、「なんだこれは紙の上に描かれたものじゃないか・・」とまで理解するのは良い事としても、紙なら燃えるだろうと勝手に火を付けて試すようなものです。半分以上眠ったままの人類が原子の火を手にしたまま、うろうろしている状態なのでしょう。

「まず」それらに気がつく人々が増えるだけでも大きい影響を与えます。世界中の色々な情報が簡単に入る世の中になっており、緊急度が高い分、その選択が容易になっているともいえます。人の表現することの中には、団体行動というわかりやすいものもありますが、各個人が自分や世界を「しっかり見る」という行為も含まれます。人類の集合無意識を少しづつでも変えていくのは、各個人の意識の変化によるものでしょう。

そういう意味もあり、今盛んに目覚めを促がす、切なる願いを込めた色々なメッセージが届けられているのかも知れません。スピリチュアリズム、自然保護、チャネリング、霊界通信、陰謀暴露なども1部含め・・その他はいずれもしっかり現状認識をしてもらい、人間の目覚めを促がす、切なる動きのようです。持てる時間は加速して短くなっているようです。あたり一面火が燃え広がる前に、来た道を戻るか、そうでないならば、火がつく瞬間に大いなる水による消化があるかもしれません。なんせ地球は水の惑星なのです、ちょっと身震いすればすぐに掃除は可能でしょうから。


思い出す勇気

2007-10-19 08:51:36 | 新地球文明論

私たちが私たちであると認識できるのは、途切れ途切れではあるものの、物心ついた時以降の色々な記憶によっています。時間が過ぎるほど思い出す回数も少ないので、記憶は薄れがちです。子供時代の特異な経験は良く覚えている場合があります。毎日の同じ繰り返しに関しては、いつ何をしたか良く覚えていませんが、連続しているために、ある程度の実感はもっています。

では生まれる前の記憶はどうでしょうか、ほとんどの人に記憶がありません。それなので、生まれる前の生があるということを、事実だと思う人は極めてすくないのが現状です。

ただし前世や来世という言葉は人類のほぼ共通の概念となっています。ただ、「前世?知らないわよ!」とか、・・「前世?何の意味があるんだ?」等と言う話で片付けられてしまいます。また、理解のある人間は、「前世があったとしても今を精一杯生きるべきでないか?」・・という反応です。場合によっては心の逃避先にしている場合もあります。

それでは、単に、生まれる前に、ある規則によって記憶が消えただけだ・・としたらどうでしょうか。記憶が無ければ認識は不可能でしょう。それがあるとか無いとかの判断は出来ません。証明など出来ません。それ以前に肉体は無かったと時系列では認識できるのですが、肉体が生まれ変わると誰も思うわけでなく、私やあなたが生まれ変わるかどうかは、魂のレベルでのことです。

肉体は物質で構成された大変に精妙な「3次元服」のようなものですが、その中に、あるいはそれを基点として時空を認識している意識的存在は、生死や時間・空間を越えたことに思いを馳せることが出来ます。生まれる前の過去や生き通しの生命は、は無いのではないでしょう。幾多の諸先輩の残された言のごとく、この世界に来る条件として一時忘れてしまうのである、という決まりがあることは十分あり得ることです。またそのような概念を持つことが出来るのであれば、「思うところが事実になり続ける」という人間の特性から考えれば、それが事実であることが近い将来、人類の表面意識でも常識とされることでしょう。集合意識での常識として表面化させるのは、あくまでも個々人の真実に対する前向きな追求によることでしょう。

そのような無駄の無い、生命の連続と進化に関する仕組みへの理解が広がって行くことで、更なる拡大された世界を認識することのできる、人類を含めた色々なレベルの存在たちの輝けるオアシスになることを、地球は望んでいるのではないでしょうか。地球は例えば竜安寺の石庭の1つの石のようでもあります。コケの視点から、庭先を観る視点への移行にすぎません。他人や国や民族、あるいはUFOや異星の民などという概念は、あまりにも小さい概念になってしまうでしょう。


原因は肉眼で見えないから原因である

2007-10-16 22:00:08 | 心の科学分野

21世紀になっても相変わらず物量で価値判断をする考え方が主流です。お金をもっている量、どれだけ地位が高いか、軍事力での圧倒、化粧品のブランド、学歴の高さ等など、全て量での換算価値ですね。特に近代欧米的な物質偏重思想が底流に流れています。

今見えるものだけが全てである・従って我々の肉体を維持するところの物質を求めて生きるのが人生・・などと言う論理が、何処からどうして、なぜこうも繁茂しているのか・・不思議この上ない感じがします。考えようによっては、セロのマジックより不思議です。

 物は生成されてから崩壊するまでのエネルギー放散をして、周りを照らすロウソクのような役目を持っています。生成・崩壊を繰り返すことで物質次元の維持を行っているものと考えられます。意識により自由な選択が出来る人間存在が、物質に入り込むなどできるものではありません。師匠が生徒になろうとするようなものであり、物質はそのうち我々のために遠慮するように、早々に崩壊していくでしょう。

我々は原因そのものであり、原因に形や量は不要なのです。原因は原因であり、肉眼に見えるものではありません。我々の毎日の想念・思考・感情などは、原因を説明するものであり、鋳型であり、その結果が3次元的な物量で現われてくるのでしょう。我々の想念・感情があやふやで変化に乏しく、信念が座っていない程度だけそのままの、毎日の経験なのだと考えられます。全ての原因は眼に見えない私たちの意識・想念にあるのでしょう。形や量は原因を推し量るバロメータでしかないとも言えるでしょう。

今の人類の多くは、原因に気付かず、結果ばかりを追い求め、影ばかりを集めているようです。


心の細やかさ

2007-10-15 22:01:40 | 心の科学分野

意識の周波数というのは、別の表現をすると、心の細やかさ、理解や思いやりの深さとも言えます。単に繊細であるということではなく、ましてや自分だけ大事である、神経質と言うことではありません。

細やかと言うことは、表に出てきた原因たる意志に気付くような精妙な心のことです。微妙なものを観察できる気付き、それを理解し、受け入れると言う勇気のことでもあります。無条件に全てを受け入れるということは、中途半端な、あるいは無秩序や暴力的なものに甘んじると言うことではないのです。全てが本来自由で楽しくあることを理解し、自然の本来の生き生きした有様を、そのまま見るということです。

自然とは、闘うものでなく、学んで調和することを教える教師のことです。人間など居なくても地球は存続します。地球の自然を征服するなどといって、闘って捻じ伏せて伐採して、おかしくなっているのはもうほとんどの人類が解りかけています。思いやり深い静かな教師に食ってかかるようなものです。

他人という、自分以外の人間は自分と同質であり、仲間として肩を組んで歩く喜びを分かち合うものです。考えが違うといって殺したり、利用したりするものではありません。我々と同質の兄弟です。

動物はかわいい生命進化の弟、妹のようなものです。大量に毎日殺戮して食うものではないのです。ましてや、余ったといって、腐るからといって、感謝もせずに捨ててしまうモノでもありません。彼らの毎日毎日の、死にゆくやるせない恐怖の念は、人間ほど濃くはないのですが、着実にしっかり人間の肉体の波動に、影を落して行きます。

植物にはちょっと甘えさせて頂きたい。植物はそれを取り込んだ動物の細胞に、組織的に変換することで進化することもわきまえていると考えていいのでしょう。彼らの細胞や分子・原子はより意識的な内容を持つ動物の細胞やDNAにもなります。取り込んで排出されたものは、本来ならば、土を経由して肥沃な土地に戻り、再び繁茂してゆきます。

動物のようなそれなりに、生きる意図や意志のあるものは、その意図、意志にそった生き方をするべきであり、人間のように意識レベルが高位のものは、その意図を踏みにじらないようにする管理者であってしかるべきです。

管理者は下位のものを奴隷にするのでなく、上位に引き上げてゆく使命があるのだと思います。そのような広範囲で緻密な心を構成するために、意識的に精妙な振動数、周波数が必要なのです。粗い心の波動では、微妙な、細かな知識・感情などの、いわば「情報」を理解できないでしょう。