アセンションとは上昇という意味だそうです。イエスキリストの昇天をから連想し、苦難からの脱出、行き詰まった現代世界の変容、自己の魂の救いなどを想像します。その他今ある圧縮されたような、本来の道を外れているのを遥か遠くに来てしまった袋小路からの、劇的な帰還などの集合無意識のシグナルともいえるでしょう。
科学や技術、経済状況、人間社会のありさま、意識ある人間にとっては、どうもおかしい・・と気付いています。それらは全て「戦い」という言葉によって裏付けられているようです。
がんばれ、がんばれ、仕事は戦いだ、生存は競争だ、試験や難関を突破だー、何事も自己との戦いだ、・・・。これらの言葉は多くの人々の共感を得ているはずです。誰でも、そう・そう・それが大切・・・などと思うわけです。戦争もそうで人が殺されても主義主張が違うので、仕方が無い・・という漠然とした気持ちで、未解決のままに各人各人のなかに重りとして溜め込んでゆきます。今必要なのは、これら戦いや競争が、古い時代の意識レベルの産物であることに気付かなければならないことでしょう。闘うことはもう不要なのです。また大いに害になり得ます。
アセンションするためには、全ての戦いを放棄する必要がありそうです。闘わないで生存することを憶えなくてはなりません。調和という言葉は耳に良い言葉です。自然と調和する、人々が調和する、それはそうだが、これらを行えば自己生存が出来ないではないだろうかという不安が出てきます。本当にそうなのでしょうか。本当に?
人を見て泥棒と思うか、同質の仲間だと思うか。自然を見て征服すべきものと思うか、調和してゆく舞台だと思うか。家族を単なる血縁関係にある他人だと思うか、縁あって教えあったり助け合っている親しい仲間だと思うか。人生をたかが数十年の偶然のものだと思うか、連続した学びの一幕だと思うか。自分を肉体だと思うか、肉体という現象の奥に原因たる不滅の意識であると思うか。毎日の多くの不快感情が大切だと思うか、楽しい感情を造る努力が面白いことだと思うか。想念・考えを脳内ニューロンの発火現象、偶然の結果のものだと思うか、意識が原因で現れる創造波動の1つだと思うか。
物質による現象に囚われた「意識」を、より広く調和に満ちた考えという、違うポジションに持ってゆきそれを固定することがアセンションの大きな目的でしょう。多くの存在の信念となる考え方の向上、意識レベルの上昇が行われれば、まわりの物理的な世界はその後で変わってゆきますが、そのときの集合意識内での各々の意識レベルの隔離・ずれが問題になってくるでしょう。
比喩で言い表せば、それなりに満席になった飛行機は上昇をはじめますが、乗り込む意図のない者は空港に残るようなものでしょう。飛行機は有限ですが、人類にとって新しい集合意識という巨大な機体は誰でも乗りこめるものです。その気があるかないかということだけでしょうから。戦い、征服という切符では乗れないでしょう。向上・調和という心をもっていることが、新しい切符をもっていることでしょうから。