気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(23)「時間」は存在しない

2017-08-23 05:34:37 | 真我実現シリーズ
<わたし>が真に気づかなければならないことは、
宇宙創成には常に「今」しかないということだ。
人間社会であろうと、宇宙創造だあろうと、今しかない。

何年前、何十年前、何千年前、何億年前というけれど、
それは今・・そういっているだけなのである。
また、今の連続が過去という名の「記憶」「記録となって、
・・今・・存在しているのである。

この時間の流れという観念も、
われわれを「時間」というフレーム枠に固定しているマトリクスである。

マトリクスとはいわば檻(おり)、逃れられない網掛けの網ということだ。
人はある時生れ、ある時に死ぬ・・、
時間の流れの中で一定「時間」生きるが、その流れで行き着く先で死ぬ。
それで終わりだ。
そういうふうに考えているだろうか?
違うのだろうか?

時間が与えられている・・等というが、
実際に時間などないから、与えられているわけもない。

それは言葉の便宜上表現でしかないが、
こういう様々な概念によって、時間が実際にあるような錯覚が生じる。
小さいころから、社会的な便宜性ということで、
それを仕込まれてしまうために、
わたし・・というものが、時間によって誰かに管理され、
与えられたり、奪われたりするという話にもなる。

時間給は1000円です・・(笑)

人は皆、
カレンダーを眺めて、ある行事の日を指折り数えて待つような、
そんな経験はあるだろう?

人間社会では良く「時間が流れている」などというが、
それはつまり、漠然とした概念でしかない。
あなたは時間が見えるか?
見えるわけはない。

「時間」は・・どこにもないからだ。
あるのは時間という便宜上の「概念」「観念」である。

我々が言う「時間」とは、物理的な変化の相対的な変化率なのである。
人が、物事の変化の速い・遅いという比較を観測した場合に、
「時間」の進行・・が早い遅いという概念を当てている。

そこには”事象の変化が大きい少ない”・・という観察があるのみで、
「時間」などどこにもないのだ。


時間などどこにもない、あるのは物事の変化率の違いだけだ。

だから、時間というものが存在している・・と前提としている話は、
まったく真実性がないということだ。
便宜上、仮に、とりあえず・・あるように仮定しているのが「時間」である。

この3次元的物質偏重世界は、
「時間」という虚妄の概念の流れのなかで、
様々な枝葉概念が栄え、そして時間の中を気づかぬまま
・・行き過ぎて、果実の収穫時期を悟らぬまま、爛熟し、腐敗してしまった。
これ以上ないほど爛熟しつつ、何事もないような現状維持でこらえているが、
ある時に至って、・・地に落ちるのもこの地上世界の定めである。
今の時期はそういう時期にあるといえようか。


・・・
時間空間という物理上存在しているとされるもの、
ひいては宇宙やら世界やらとされるものの中に、「時間」は存在していない。

その「時間」とは単なる概念、観念でしかなく、
「時間」・・それは存在してなんかいない!・・ということだ。
・・・
我々の世界、つまりあの世もこの世も含め、
時空間での重要要素である「時間」とは、実在しないもの。
言葉を換えれば、あなたも私たちも時間のない世界にいるのである。

世界にあるのは、さまざまな事象の変化、その観察による比較認識でしかない。
観察がなければ事象は存在しない。

またその観察をするのは何かといえば、
それぞれの<わたし>意識でしかない。

あなたもわたしも、便宜上の仮の時間の世界で泳がされてきたのだ(笑)
数千年という輪廻転生というその時間スパンも、実在なんかしていない。

在るのは・・今・・という永遠の瞬間だけ。

あるのは・・常に今・・なのは、心理的な思い付きでも、美し気な夢でもなく、
何時でも、何処でもある「常在の真実」なのである。

例えば、あなたが今、「ああ、歳取ったなあ・・」と鏡を見て、
ため息をつくかもしれないが、
それは肉体の変遷、あるいは老化という変化した様を見ているのだ。
つまり嘆息交じりにではあるが(笑)・・観察しているということだ。

その・・観ている<あなた>は・・常に・・今・・あっただろう?
物心ついてから、幼稚園で、小学校で・・・常に在った私・・と記憶している、
そのあなたは、いまも・・そこに在る・・のだ。

常に、今・・在った・・それを気づいている者、意識している者
それが真我の反映である・・・今のわたし・・である。