人は熟睡中は意識がないと思っている。
それはその間、全然何も覚えていないからだ。
無意識の時間・・それが熟睡としている。
そうではないか?
そして、その件をそれ以上追及することもない。
なぜならば、意識がないのだから・・。
どうもこうもないというわけだ(笑)。
・・と、そう思っているだけである。
もっと原初の意識が実在しなければ、翌朝目覚めることもない。
つまり、意識の原型、あるいは意識の種子、
またはもっと根本の「意識」というものがあるということだ。
わたしは眠っている間は無意識である・・といっても「意識」は存在しているのだ。
なので、簡単に言えば、
熟睡中は顕在していない意識のまま、
あなたは潜在意識で存在しているということだ。
四六時中あなたは存在しているのである。
もっとも、意識が顕在化していない間は、
世界というものを知覚していない、
つまり、見る・聞く・味わう・感じることがないため、
そこでの世界認識である「時間・空間」は存在していない。
・・・
あなたの世界、地球、宇宙という時間・空間の展開は存在していない。
あるけど、一時期見えないのではなく、存在していないのである。
実際、ここのところがなかなか気づけない。
自分が眠っているだけで、ほかの人が起きているため、
世界はあると・・そういう風に「思う」のだが、
あなたが眠っている間に、その間に・・・
世界があるということを・・あなたが知ることはできない。
目覚めた後で、同じ人がいて同じ世界だと気づくのは、
意識が顕在化している時だけだ、・・。
シンプルすぎて、身近過ぎて理解不能かもしれない。
何十年も、あるいは何百年も見逃してきた真実。
わたしの世界は、わたしという意識があるから存在している。
世界、宇宙があるから・・私が生まれて来たのではない。
それは単に肉体のことだ。
それを通して見ているところの、意識・・わたしが在るから、
その観察対象としての世界、宇宙が存在しているのだということだ。
世界で、宇宙でワーワー騒いでいる死すべき肉体個人たちは、
このことを知らない。
このことを知らないからこそ・・、死すべき肉体個人なのだ。
生まれて・・死すべき・・肉体個人であるという、
勘違いした認識、想念に固まっているからこそ、
一時の世界で、ワーワー、キャーキャー騒がざるを得ないのだ。
・・
世界があると知るのは・・目覚めている間だけだ!
また、眠る前と眠って目覚めた後での世界がそれほど違わないため、
その連続感覚も、そう思わせる・・のである。
・・・
それぞれの・・・わたし・・の世界は、
その<わたし>がいなければ存在しない。
そして、
世界の展開の根源には・・<わたし>しかいない・・
ということに気づけるだろうか?
それが聖書で書かれている「神の一人子」という意味だ。
あなたの外の、伝説のだれか?ではない、
今ある・・あなた・・わたし・・しかいないのだ。
大勢の他者の顔色、動向をうかがい知ったところで、
何の解決にもならないわけだ。
・・
毎日毎日素通りしている・・認識ミス・・、
膨大な物質宇宙の中に、私個人という肉体が生まれ、
少しながら色々思いめぐらし、思考し、体験して終わりとなる。
そしてその認識ゆえに、
またまた不自由で不都合な、
どこか邪悪な世界での生誕と死を繰り返す。
それでも歯を食いしばって頑張って生きてきた。
それは神の一人子としての資質であるからこそだが、
いつまでも頑張るだけも・・つまらないのではないか(笑)
スリごまのように、すり鉢の下でギリギリ擦られるのも、
もう十分すぎるほどではないか?
つまり・・わたしとは肉体である・・という常識観念、
これが今までの、いわゆる第3密度の世界の共通認識といえよう。
・・・
しかしながら、それは信じ込み、思い込み、
つまり、固まった「認識」に過ぎないのだ。
それが集まって共同創造をしていたのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/90/3dd545b88ebb646610cf7ed9100aef63.jpg)
どこか偉そうで自信満々の、
西洋?の支配好きの者たちの無知に騙されていたのかもしれない。
これはちと言い過ぎだろうか?
I AM THAT ・・・,
われ在り、・・、われ・・それ・・なり。
宇宙創造の原初である意識および意図の表記だ。
われ肉体人なり・・も、その意識原理そのままである。
人は、誰でも<・・・>のところに何を入れるかを、
自らで考え直したほうが楽しいはずではないか。
こころを入れ替える・・とは実に深い意味がある。
想念の浄化、刷新・・・、これが急務であろう。
なぜならば、今までの何世も、そしてこれからも、
あなたの世界は・・あなたの想念次第なのだから。
それを可能にするのは、
そのうちいつか、世界がよくなった暁に・・ではなく、
世界がいい人ばかりになったときに・・ではなく、
「今」だ。
意識にあったのは、そしてあるのは、今しかない。
そうではないか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8f/2a87299f735176635ab3b33f23ad2536.png)
それはその間、全然何も覚えていないからだ。
無意識の時間・・それが熟睡としている。
そうではないか?
そして、その件をそれ以上追及することもない。
なぜならば、意識がないのだから・・。
どうもこうもないというわけだ(笑)。
・・と、そう思っているだけである。
もっと原初の意識が実在しなければ、翌朝目覚めることもない。
つまり、意識の原型、あるいは意識の種子、
またはもっと根本の「意識」というものがあるということだ。
わたしは眠っている間は無意識である・・といっても「意識」は存在しているのだ。
なので、簡単に言えば、
熟睡中は顕在していない意識のまま、
あなたは潜在意識で存在しているということだ。
四六時中あなたは存在しているのである。
もっとも、意識が顕在化していない間は、
世界というものを知覚していない、
つまり、見る・聞く・味わう・感じることがないため、
そこでの世界認識である「時間・空間」は存在していない。
・・・
あなたの世界、地球、宇宙という時間・空間の展開は存在していない。
あるけど、一時期見えないのではなく、存在していないのである。
実際、ここのところがなかなか気づけない。
自分が眠っているだけで、ほかの人が起きているため、
世界はあると・・そういう風に「思う」のだが、
あなたが眠っている間に、その間に・・・
世界があるということを・・あなたが知ることはできない。
目覚めた後で、同じ人がいて同じ世界だと気づくのは、
意識が顕在化している時だけだ、・・。
シンプルすぎて、身近過ぎて理解不能かもしれない。
何十年も、あるいは何百年も見逃してきた真実。
わたしの世界は、わたしという意識があるから存在している。
世界、宇宙があるから・・私が生まれて来たのではない。
それは単に肉体のことだ。
それを通して見ているところの、意識・・わたしが在るから、
その観察対象としての世界、宇宙が存在しているのだということだ。
世界で、宇宙でワーワー騒いでいる死すべき肉体個人たちは、
このことを知らない。
このことを知らないからこそ・・、死すべき肉体個人なのだ。
生まれて・・死すべき・・肉体個人であるという、
勘違いした認識、想念に固まっているからこそ、
一時の世界で、ワーワー、キャーキャー騒がざるを得ないのだ。
・・
世界があると知るのは・・目覚めている間だけだ!
また、眠る前と眠って目覚めた後での世界がそれほど違わないため、
その連続感覚も、そう思わせる・・のである。
・・・
それぞれの・・・わたし・・の世界は、
その<わたし>がいなければ存在しない。
そして、
世界の展開の根源には・・<わたし>しかいない・・
ということに気づけるだろうか?
それが聖書で書かれている「神の一人子」という意味だ。
あなたの外の、伝説のだれか?ではない、
今ある・・あなた・・わたし・・しかいないのだ。
大勢の他者の顔色、動向をうかがい知ったところで、
何の解決にもならないわけだ。
・・
毎日毎日素通りしている・・認識ミス・・、
膨大な物質宇宙の中に、私個人という肉体が生まれ、
少しながら色々思いめぐらし、思考し、体験して終わりとなる。
そしてその認識ゆえに、
またまた不自由で不都合な、
どこか邪悪な世界での生誕と死を繰り返す。
それでも歯を食いしばって頑張って生きてきた。
それは神の一人子としての資質であるからこそだが、
いつまでも頑張るだけも・・つまらないのではないか(笑)
スリごまのように、すり鉢の下でギリギリ擦られるのも、
もう十分すぎるほどではないか?
つまり・・わたしとは肉体である・・という常識観念、
これが今までの、いわゆる第3密度の世界の共通認識といえよう。
・・・
しかしながら、それは信じ込み、思い込み、
つまり、固まった「認識」に過ぎないのだ。
それが集まって共同創造をしていたのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/90/3dd545b88ebb646610cf7ed9100aef63.jpg)
どこか偉そうで自信満々の、
西洋?の支配好きの者たちの無知に騙されていたのかもしれない。
これはちと言い過ぎだろうか?
I AM THAT ・・・,
われ在り、・・、われ・・それ・・なり。
宇宙創造の原初である意識および意図の表記だ。
われ肉体人なり・・も、その意識原理そのままである。
人は、誰でも<・・・>のところに何を入れるかを、
自らで考え直したほうが楽しいはずではないか。
こころを入れ替える・・とは実に深い意味がある。
想念の浄化、刷新・・・、これが急務であろう。
なぜならば、今までの何世も、そしてこれからも、
あなたの世界は・・あなたの想念次第なのだから。
それを可能にするのは、
そのうちいつか、世界がよくなった暁に・・ではなく、
世界がいい人ばかりになったときに・・ではなく、
「今」だ。
意識にあったのは、そしてあるのは、今しかない。
そうではないか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8f/2a87299f735176635ab3b33f23ad2536.png)