気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(17)心・マインド入れ替え

2017-08-03 06:03:10 | 真我実現シリーズ
人は熟睡中は意識がないと思っている。
それはその間、全然何も覚えていないからだ。
無意識の時間・・それが熟睡としている。
そうではないか?

そして、その件をそれ以上追及することもない。
なぜならば、意識がないのだから・・。
どうもこうもないというわけだ(笑)。
・・と、そう思っているだけである。

もっと原初の意識が実在しなければ、翌朝目覚めることもない。
つまり、意識の原型、あるいは意識の種子、
またはもっと根本の「意識」というものがあるということだ。
わたしは眠っている間は無意識である・・といっても「意識」は存在しているのだ。

なので、簡単に言えば、
熟睡中は顕在していない意識のまま、
あなたは潜在意識で存在しているということだ。

四六時中あなたは存在しているのである。
もっとも、意識が顕在化していない間は、
世界というものを知覚していない、
つまり、見る・聞く・味わう・感じることがないため、
そこでの世界認識である「時間・空間」は存在していない。
・・・
あなたの世界、地球、宇宙という時間・空間の展開は存在していない。
あるけど、一時期見えないのではなく、存在していないのである。

実際、ここのところがなかなか気づけない。

自分が眠っているだけで、ほかの人が起きているため、
世界はあると・・そういう風に「思う」のだが、
あなたが眠っている間に、その間に・・・
世界があるということを・・あなたが知ることはできない。
目覚めた後で、同じ人がいて同じ世界だと気づくのは、
意識が顕在化している時だけだ、・・。

シンプルすぎて、身近過ぎて理解不能かもしれない。
何十年も、あるいは何百年も見逃してきた真実。

わたしの世界は、わたしという意識があるから存在している。
世界、宇宙があるから・・私が生まれて来たのではない。
それは単に肉体のことだ。
それを通して見ているところの、意識・・わたしが在るから、
その観察対象としての世界、宇宙が存在しているのだということだ。

世界で、宇宙でワーワー騒いでいる死すべき肉体個人たちは、
このことを知らない。
このことを知らないからこそ・・、死すべき肉体個人なのだ。
生まれて・・死すべき・・肉体個人であるという、
勘違いした認識、想念に固まっているからこそ、
一時の世界で、ワーワー、キャーキャー騒がざるを得ないのだ。

・・
世界があると知るのは・・目覚めている間だけだ!
また、眠る前と眠って目覚めた後での世界がそれほど違わないため、
その連続感覚も、そう思わせる・・のである。
・・・
それぞれの・・・わたし・・の世界は、
その<わたし>がいなければ存在しない。
そして、
世界の展開の根源には・・<わたし>しかいない・・
ということに気づけるだろうか?
それが聖書で書かれている「神の一人子」という意味だ。
あなたの外の、伝説のだれか?ではない、
今ある・・あなた・・わたし・・しかいないのだ。

大勢の他者の顔色、動向をうかがい知ったところで、
何の解決にもならないわけだ。

・・
毎日毎日素通りしている・・認識ミス・・、
膨大な物質宇宙の中に、私個人という肉体が生まれ、
少しながら色々思いめぐらし、思考し、体験して終わりとなる。

そしてその認識ゆえに、
またまた不自由で不都合な、
どこか邪悪な世界での生誕と死を繰り返す。

それでも歯を食いしばって頑張って生きてきた。
それは神の一人子としての資質であるからこそだが、
いつまでも頑張るだけも・・つまらないのではないか(笑)
スリごまのように、すり鉢の下でギリギリ擦られるのも、
もう十分すぎるほどではないか?


つまり・・わたしとは肉体である・・という常識観念、
これが今までの、いわゆる第3密度の世界の共通認識といえよう。
・・・
しかしながら、それは信じ込み、思い込み、
つまり、固まった「認識」に過ぎないのだ。
それが集まって共同創造をしていたのである。



どこか偉そうで自信満々の、
西洋?の支配好きの者たちの無知に騙されていたのかもしれない。
これはちと言い過ぎだろうか?


I AM THAT ・・・,

われ在り、・・、われ・・それ・・なり。

宇宙創造の原初である意識および意図の表記だ。
われ肉体人なり・・も、その意識原理そのままである。

人は、誰でも<・・・>のところに何を入れるかを、
自らで考え直したほうが楽しいはずではないか。

こころを入れ替える・・とは実に深い意味がある。
想念の浄化、刷新・・・、これが急務であろう。

なぜならば、今までの何世も、そしてこれからも、
あなたの世界は・・あなたの想念次第なのだから。

それを可能にするのは、
そのうちいつか、世界がよくなった暁に・・ではなく、
世界がいい人ばかりになったときに・・ではなく、

「今」だ。

意識にあったのは、そしてあるのは、今しかない。
そうではないか?