人には「熟睡」と「夢見」と「目覚め」がある。
これがすべての「意識」の<状態>と言っていいだろう。
その背後には・・”普遍意識”・・が存在している。
熟睡は、その時には意識が全く無いように感じるが、
それは顕在意識、表面意識が消えているだけ。
それは「意識」が、
海の表面のさざ波の状態から、大海に沈んで行くようなものだ。
ここでいう意識は、顕在意識ではなく、そのもとにあるものだ。
それを潜在意識、普遍意識と言っている
熟睡中にも「意識」があるがゆえに、毎朝目覚めが再び訪れるのだ!
潜在から顕在へ、顕在から潜在へ・・のサイクルだ。
また、
熟睡中は、世界が全く知覚されない。
そのとき五感による知覚も、何かの想念も存在しない。
そうではないか?
つまり、
わたしの<直接経験>では、・・熟睡中、この間・・
世界、宇宙、そして想念さえも存在していない!
なぜならば、
知覚・認識主体である・・「わたし」が・・
そこに存在しないからである。
しかしながら、
普遍意識、潜在意識は・・在る・・。
だからこそ、毎朝・・再び目覚めるのだ。
あなたとは、表面の意識だけではなく、
潜在意識、普遍意識であるからこそ、
眠り、夢見、目覚めの状態のサイクルが可能なのだ。
それを人は毎日繰り返しているのだ。
24時間常時というか、いつもというか、永久というか、
わたしとは・・
時空間など超えている「意識」であることがわかるはずである。
時間空間というのは、目覚めた間の1種の世界認識に過ぎない。
熟睡とそして夢見では、この世界は消えている。
時空も消えている。
時空・つまり世界は、あなたの意識が目覚めてから展開するもの。
その逆ではない。
わたしとは・・
時空間など超えている「意識」である・・・の意味だ。
普遍意識、潜在意識は・・常在の・・それ。
だからこそ、毎朝・・再び目覚めるのだ。
そして、生と死のサイクルも同様なのである。
すべては意識の変遷でしかない。
これに気づくことは重要だ。
つまり、意識がなければ、世界は現れない!
わたし・・意識が目ざめている間だけ・・
わたしの・・世界が展開する。
そして、それが
どのような世界であるのかは、
普遍意識から生じる波生波動である「想念」で形作られる。
その想念は、ちょっとした思い付きなどのレベルではなく、
多次元宇宙での幾多の膨大な魂の活きた記憶なのである。
例えば、あなたに、どこかの宇宙の経験があるかも・・
かつて地球人以外の宇宙人だったかも(笑)・・などの話だが、
そういう思いがあるならば、それはまったく自然なことである。
トンでも・・、非常識・・というのは、
小さな世界で固まっている御仁の口癖でしかない。(大笑)
いま私たちが、
人間をやっているのは、その魂の活きた記憶によるものだ。
あなたの内面には、膨大な活きた記憶があり、
前世などとも呼ばれている、
幾多の転生や、無数の人格の記憶が存在している。
そしてそれは単なる記憶ではなく、今・・活きている。
あるのは、常に「今」なのだ。
多次元だろうが、この宇宙だろうが、
すべての背後には、ある時は・・・空(くう)と呼ばれ、
ある時は神と呼ばれ、創造の根源と呼ばれる、普遍意識が在る。
<わたし>とは・・・それなのである。
この世界のありさまが、
あたかも真実のように見えようと、
それは本質ではなく、気づけばどうでもよい、
枝葉の盛り合わせのようなもの、
つまり「幻影」なのである。
あなたがそれを真実だと思っている間だけ、
その幻影を楽しむこともできるのだ。
しかしながら、
マトリクスでの眠りも、
過ぎたるは及ばざるがごとし。
「わたしとは何か?」この問いかけが、
目覚めの合図である。
さて、どれだけの魂・意識が今回目覚めるだろうか?
これがすべての「意識」の<状態>と言っていいだろう。
その背後には・・”普遍意識”・・が存在している。
熟睡は、その時には意識が全く無いように感じるが、
それは顕在意識、表面意識が消えているだけ。
それは「意識」が、
海の表面のさざ波の状態から、大海に沈んで行くようなものだ。
ここでいう意識は、顕在意識ではなく、そのもとにあるものだ。
それを潜在意識、普遍意識と言っている
熟睡中にも「意識」があるがゆえに、毎朝目覚めが再び訪れるのだ!
潜在から顕在へ、顕在から潜在へ・・のサイクルだ。
また、
熟睡中は、世界が全く知覚されない。
そのとき五感による知覚も、何かの想念も存在しない。
そうではないか?
つまり、
わたしの<直接経験>では、・・熟睡中、この間・・
世界、宇宙、そして想念さえも存在していない!
なぜならば、
知覚・認識主体である・・「わたし」が・・
そこに存在しないからである。
しかしながら、
普遍意識、潜在意識は・・在る・・。
だからこそ、毎朝・・再び目覚めるのだ。
あなたとは、表面の意識だけではなく、
潜在意識、普遍意識であるからこそ、
眠り、夢見、目覚めの状態のサイクルが可能なのだ。
それを人は毎日繰り返しているのだ。
24時間常時というか、いつもというか、永久というか、
わたしとは・・
時空間など超えている「意識」であることがわかるはずである。
時間空間というのは、目覚めた間の1種の世界認識に過ぎない。
熟睡とそして夢見では、この世界は消えている。
時空も消えている。
時空・つまり世界は、あなたの意識が目覚めてから展開するもの。
その逆ではない。
わたしとは・・
時空間など超えている「意識」である・・・の意味だ。
普遍意識、潜在意識は・・常在の・・それ。
だからこそ、毎朝・・再び目覚めるのだ。
そして、生と死のサイクルも同様なのである。
すべては意識の変遷でしかない。
これに気づくことは重要だ。
つまり、意識がなければ、世界は現れない!
わたし・・意識が目ざめている間だけ・・
わたしの・・世界が展開する。
そして、それが
どのような世界であるのかは、
普遍意識から生じる波生波動である「想念」で形作られる。
その想念は、ちょっとした思い付きなどのレベルではなく、
多次元宇宙での幾多の膨大な魂の活きた記憶なのである。
例えば、あなたに、どこかの宇宙の経験があるかも・・
かつて地球人以外の宇宙人だったかも(笑)・・などの話だが、
そういう思いがあるならば、それはまったく自然なことである。
トンでも・・、非常識・・というのは、
小さな世界で固まっている御仁の口癖でしかない。(大笑)
いま私たちが、
人間をやっているのは、その魂の活きた記憶によるものだ。
あなたの内面には、膨大な活きた記憶があり、
前世などとも呼ばれている、
幾多の転生や、無数の人格の記憶が存在している。
そしてそれは単なる記憶ではなく、今・・活きている。
あるのは、常に「今」なのだ。
多次元だろうが、この宇宙だろうが、
すべての背後には、ある時は・・・空(くう)と呼ばれ、
ある時は神と呼ばれ、創造の根源と呼ばれる、普遍意識が在る。
<わたし>とは・・・それなのである。
この世界のありさまが、
あたかも真実のように見えようと、
それは本質ではなく、気づけばどうでもよい、
枝葉の盛り合わせのようなもの、
つまり「幻影」なのである。
あなたがそれを真実だと思っている間だけ、
その幻影を楽しむこともできるのだ。
しかしながら、
マトリクスでの眠りも、
過ぎたるは及ばざるがごとし。
「わたしとは何か?」この問いかけが、
目覚めの合図である。
さて、どれだけの魂・意識が今回目覚めるだろうか?