気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(20)真我の夢

2017-08-10 06:47:45 | 真我実現シリーズ
人が眠り、夢を見て、この世界に目覚める。
それらすべての背後にあるものは何かといえば、「意識」だ。
この重大な事実、に気付いただろうか。

顕在意識、潜在意識等と呼ばれるが、常在であるものは「意識」である。

思考、想念、こころ、マインドは「意識」から生まれる。

肉体やそれを含んでいるように見える世界は「意識」の産物。

意識に生じる波紋、意識の変調形である「想念」で生じている。

その想念の働きで、文明も出来上がっているのである。

高いビルも鉄橋も、都会も、街並みも、そう、あらゆる人工物は、
誰か彼かの設計であり、人・物、金という手段で、
一定の空間・時間を使って出現している。

そのもとは何かと言えば、思考・想い・想念なのだ。
つまり、<マインド>だ。
物質、エネルギーなるものは、この次元世界での素材でしかない。
物質ではなく、マインドが物語の創作者だ。

唯物論?突然変異?・・バカを二度と言ってはならない!


これに気づかないで、どうでも良い事に意識を捕られ、
与えられた、嘘の環境条件のなかで、
何か良きことを探し出すように推奨され地位や名誉、富や権力を追い回して、
獲得したと思えばそれは儚く消えてゆく、

結局、何時まで経っても何も得られず、苦痛と快楽の間で右往左往している
そうして人生を消費してきたのかもしれない。

残っているのは、朽ち果てそうな肉体だけ・・。
今その残照があちらこちらにあるではないか。

おー、なんということだ。



・・・
気付けば・・、それも学びであったのだ。

ずいぶんと・・意識の・・”地の果て”に来ていたのだろうか。
そうではないか?
そう、宇宙でも・・ここは最果ての地であった(大笑)。

多くの朋よ、どうしてここにいる?

気づいた者、目覚めた者、
またこれを見ている意識達は、女性形であろうと、男性形であろうと、
実に、実に雄々しい戦友である。

無知を地で行く世界、がんとした愚かさで自信満々の世界、
闘いとは、その想念の嵐の中での、自己の無知との戦いだった。

しかしながら、その夢も、
夢は夢としての・・始めと終わりがある。

毎朝目覚めるがごとく、
意識が開花してゆくがごとく、
いつか自己の無知に気づくときが来る。
・・

投影される外の世界ではなく、
根源に気づき始めること、
「わたしは何か?」と問い始めた魂は、
間違いなく・・・目覚めて来たのだ。

・・・

全ての創造、非創造の根源に在る・・<真我>、

そう、

真我は様々な夢を見るものだ。

これこそが現実だ・という、

これは夢なんかじゃないという

その夢の中に、

自らを忘れて、自己投入することが、

それ、創造者たる所以である。

神が自らを忘れてみるという・・とんでもない想念、

真我たる神でしかなしえない行為ではないか!


ほんとうなのか?と思えるほどの無知の中に沈み、

自らを、どこまでなのかというほどの、

卑小な存在として「想念」のぼろをまとい、


そこから目覚めるのも、

それを脱ぎ捨てることが出来るのも、


真我であるがゆえ・・なり。