◆昨日につづき、きょうも、午前中、DAKA古書店にとじこもり、学校に勤務していた頃の、残がい・屑モノを整理する。
まず、ゴミ収集日に出すモノと、シュレッダーで粉砕するモノと、保存するモノとに分ける。
ゴミ収集日=95%
シュレッダー=4%
保存=1%(以下)
シュレッダーは一定時間(家庭用だから5分間)連続運転すると自動的に停止する。
モーターの熱が冷えるまで、かなりの時間がかかる。
この時間を利用して、ゴミ収集日に出すモノをロープで結わえたり、保存するモノを手にとり、ひっくりかえしたり、眺めたり……^^;。
◆こういう大がかりな、残がい処理は、これまでの人生で3度目だ。
1度目は、教師になって、6年目の秋。
転職するか? 大阪に帰るか?……フラフラしていたわたしが、変なカタチ(←いつか、説明します^^;)で「やる気」に固まる。
思いをあらたにする覚悟で、それまでの「残がい・屑モノ」を大処分した。
庭のくぼんだ所に、段ボールをさかさにして投げ込む。
購読を取りやめることにした朝日新聞にライターで火をつけ、棒で突っつくと、土色に白く輝く残がいに、炎が走る。
やがて、消防車が来るのでは?と心配になるくらい、パチパチと燃え上がった。
舞い上がった、黒こげの紙片が、庭のコスモスに降りかかった。
◆2度目は、1984年、退職を決意したときだ。
このときは、残がい・屑モノだけでなく、教育関係の書物も全部、処分した。
書物は、心ある方々にもらっていただいた。
今でも、ときとぎ、あの書物は、どこへ行ってしまったのか?と探していて、ああ、あのとき、もらってもらったのだ……と思い出すことがある。
ま、正確にいえば、「しまった。なんというバカなことをしてしまったのか」と後悔する。
このときは、転出先との交渉が決裂し、退職はとりやめるハメに。(もちろん、とりやめてよかったですよ(*^_^*)。)
◆だから、今の残がい・屑モノは、2度の大処分をかいくぐったモノ、及び85年以降のモノだ。
かいくぐったモノは、極々、わずかだから、ほとんどが、大館中勤務時代(1986~1994)のモノだ。
95年以降、身の上に起こりつづけた変化に対応するだけで精一杯。
残がいを処理する余裕はなかったのだ。
◆画像は、弘前・花邑のショップ袋だ。
大学時代の段ボール箱から出てきた。
ショップ袋の中に、同人雑誌の表紙のデザインが数枚、入っていた。
だから、わたしの袋ではなく、美術科の学生の袋だったのだろう。
花邑は、わたしたちの同人雑誌を、いちばん最初に販売してくれた書店だ。
若い主人が「いちばんいいところに置きますから。きっと売れますよ」と応援してくれた。
★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。
待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! → http://www.htv-net.ne.jp/~odaka599/
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