職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

東日本大震災被災後の陸中八木駅往訪。僕の内の現実と非現実の境を支えるポイントが崩壊

2011-04-15 09:59:43 | Weblog


2011
04.15
JR八戸線・陸中八木駅。非現実から現実への道が閉ざされている




★本日のテーマ(東日本大震災被災後の陸中八木駅)との関連で、昨日の記述を一部コピーすると――
 有家駅=魂の内側に向かって、もっとも強烈な初速度を与えてくれる無人駅。
 陸中八木駅=魂の内側から外側への出口。「催眠術」になぞらえるなら、有家駅が「催眠術をかける」駅、陸中八木駅は「解く」役目の駅。(昨日の記述からの引用、以上)

 さらに、本日の話の展開に関連して少しだけ補足解説すると――
 有家駅で与えられた「初速度」の勢いにのって、有家浜から坂道を、魂の内側へとグングンのぼっていくと、国道45号線に出る。
 これを北上する。
 2キロほどで小子内に入る小道(元の本道)に到る。
 この小道に入り、小子内を経由して、陸中八木駅に到着。
 陸中八木駅から、上り八戸行の気動車に乗車する……。
 この行程を、僕はここ10年のあいだに何度もくりかえした。くりかえしているうちに、僕の内に、有家駅=「催眠術をかける」、陸中八木駅=「催眠術を解く」という感性的認識パターン(←あとでもっと適切なことばをみつけたいm(_ _)m)が形成されたようだ。

 以前、東日本大震災被災時に、「僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイント(=出発点)でありつづけた、鮫、陸中八木、有家、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により……」という言い方をしたことがある。
 有家駅も、陸中八木駅も同じく「現実と非現実の境を支えるポイント(=出発点)」であることに変わりはない。
 ただ、感性的認識パターン上^^;では、有家が「現実から非現実へ」、陸中八木が反対に「非現実から現実へ」という方向性をもっている、といえるかもしれない^^;。






















★東日本大震災被災後の陸中八木駅。
 一時、ネット上に「駅舎流失」という情報が流れていたが、新駅舎(2008/3完成)は流失を免れていた。
 向かって左側の資材管理&WC棟は津波が突き抜けたようで、窓枠、扉が失われている。
 反対側の待合室は元のカタチをとどめている。
 旧駅舎だったら、危なかったかもしれない。
 しかし、周辺の施設、フェンスは、すべてなぎ倒され、崩壊した。
 海の青色を背景に白く美しい駅名標(ひとつの世界の果て、現実と非現実の境にある陸中八木駅の、いわば辺涯美の象徴)も、ひとつは中味を打ち抜かれ、ひとつは線路上に落下。
 昨年の夏に訪れたとき、ピッカピッカにヒマワリ色だった保線車両は無惨に横転。
 宿戸、陸中八木間の2つの鉄橋も大きく損壊した。

 有家駅では線路が消えた道床(←八戸線の執念がこもっている)を一歩二歩と歩く僕を見出すことができたが、ここでは立ち尽くしてしまった。
 たぶん僕が「非現実から現実への道」が閉ざされてしまったと感じているからだろう。
 人の気配に振り返る。
 駅前広場の桜の木の下に制服姿の女子高生がひとり駅を眺めていた。


★関連記事
小子内浜の盆踊りの日、1920年の柳田国男の行程を一部追体験しようと、JR八戸線久慈行で有家駅下車。徒歩で北上し小子内到着。盆踊りまで時間があるので近くの陸中八木駅で過ごした
盆踊りの輪には太鼓を含め約40人、輪の外に見物人が20人ほど。テープではないホンモノの歌い手の声にあわせ――わたし流にいえば、黙々と、憑依の域に突入して踊りつづける
一瞬、フラれたのかと思ったが、少し時間がズレただけだった。時間つぶしに陸中八木駅をさまよう
JR八戸線の宿戸駅・陸中八木駅間のキハ48の列車音です。ご用とお急ぎでない方は、ぜひ、お聞きください
バンバン!!郷愁・陸中八木駅編


  公式ホームページへ


  WEB無人駅線ページへ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿