職員室通信・600字の教育学

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以前、ふたりのあいだでマンデリンのことが話題――小春のパパの昔の彼女がマンデリンが好きだったという話

2011-04-04 14:45:50 | Weblog

 

2011
04.04
小春のパパの昔の彼女がマンデリンが好きだったという話 


★東日本大震災被災後のJR八戸線――僕の内の闇から闇を疾駆して朝の光に至る「ふたりっ子はん深夜特急」(2001/3~2004/3)の軌道――の、陸中八木駅(基地ステーション)、有家駅(「朝の光」の直前駅)の復活・復元状況が気になり(地元発信の最新情報によると、かなり厳しい状況)、昨日、午後、交通手段に関する情報を収集し、往路・帰路の行程を組み立ててみた。

★いちばん簡単なのは、八戸市から自動車で国道45号線を南下する方法だ。
 しかし、これは(これまでも鉄路を語る場面で、たびたび述べてきたように)僕の内側にいる「僕」にとっては禁じ手(反則)なのだ。

★昨夕の段階でベスト案は次の通りだ。
・JR八戸線0537八戸駅発―0558鮫駅着
・代行バス0610鮫発―0729有家臨時駅着
・徒歩0830有家駅発→国道45号北上→小子内経由→1000陸中八木駅到着
・代行バス1252陸中八木駅発―1405鮫到着……。
 昨夕は、陸中八木駅界隈での3時間をどう過ごすかぁ~?と考えているうちに、行程検討は立ち消えになった。

★深夜、ベットに入ってから、臨時バスにはなむけ号(僕の折りたたみ自転車)を――ちょっとシンドイけれど――組み合わせる方法もあることに気づく。



★僕はこれまで何度も「僕の存在の仕方=ホームページ(含 ブログ、チャット、掲示板)だ」といってきた。
 最近、この命題に少し補正を加え、「僕の存在の仕方」=「現実のなかで、ガラスの破片のように散らばった僕・僕・僕……を必死に結合しようとする存在」=「ホームページ(含 ブログ、チャット、掲示板)」。

 東日本大震災被災後、この僕のホームページ(含 ブログ、チャット、掲示板)が変だ。
 もちろん、これまでが完璧だったというわけではない。
 ホームページ上で、散らばった僕・僕・僕……を結合させるというのは、あくまで、そうあってほしいという願いであって、実際にはその実現はなかなかむずかしかった。
 「変だ」……というのは、東日本大震災被災後、その実現がさらに遠のいたという意味だ。

 原因は、これまでも述べてきたように――ま、きわめてきわめて観念的、抽象的な言い回しになるが、今後、修正を加えていくための叩き台、思考の原初のカタチとして――(1)まず、僕の13、4歳頃から、僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイント(=出発点)でありつづけた、鮫、陸中八木、有家、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により「僕の半分が壊れ」、「見るべき程の事は見つ」の心に近い状態に陥る。
 すなわち、これは「現実のなかで、ガラスの破片のように散らばった僕・僕・僕……を必死に結合しようとする存在」の構造・骨組みが消滅したということなのだ。

(2)しかし、僕は自己を消滅、破壊しつくすことなく、(結構、しぶとく)生き延び、(現実と非現実の境を支えるポイントが壊れたため、仕方なく)一旦、僕自身の拠って立つところを「非現実」エリアとし、そこから「現実」に突き抜ける道(方途)を選択したのだ。

★このところの詳細を語るのがめんどうなので、ト、ト、トッと、ぜんぶ飛ばす。
 苦しまぎれに「非現実から現実に突き抜ける道」といったが、そんな「道」が簡単に見つかるわけがない。
 おまけに、その過程で、「散らばった僕・僕・僕……」が、さらに飛散してしまった……というところが、最近の「ホームページ不調、荒れ放題」の原因だろう。

★対策として、しばらく、「飛散した僕」の破片を、ひとつひとつ拾い上げていくことに……。
 「結合」は、また今度の話。



★はぎちゃん様、震災見舞いのコメントありがとうございます。
 せっかくコメントをいただきながら、長い期間、返信できず、ホンマ、もうしわけありませんでした。
 震災当日は、イベントがあり、地震発生時には、赤信号で停車(先頭)中の、自動車内(助手席)で遭遇。
 地震のとき、よく放送局の屋上カメラの映像が流れますが――あれは地上が揺れているのではなく、カメラがカタカタと揺れているだけなのですが――今回は、ああ、ホンマに地上そのものが上下に左右に激しく揺れているぅぅ~……、それも結構、長い揺れだったので、まさしく、この世の終わり……という思いでした。
 長い揺れの中に身を置いているとき、僕の耳に『増鏡』の老婆の「この日本国の衰ふるはじめはこれよりなるべし」の声が聞こえましたよ。(巻2.「新島守」――老婆の発言のシチュエーションは自然災害とは異なります。)
 目の前の信号の赤が青に変わりつつ、プツッと消えたのが、スゴク、ショックでした。

 しかし、僕個人の物的被害については「極微」――天井までの書架のひとつが、激しい揺れで、耐震つっぱり部分が外れ、倒壊、その他、直後から1、2日の停電、慢性的なガソリン、灯油不足……程度。
 ただ、ま、やはり、日本人の多くがそうであるように、精神的ショックは、ことばにできないものがありますね。
 「見るべき程の事は見つ」(平家物語)の心境。

 大震災当日、宮古取材計画を立てていて――八戸10:16~12:04久慈(JRうみねこ)、久慈13:04~14:40宮古(三陸鉄道北リアス線)――直前に、別のイベントが入り、計画変更。
 計画通りだったら、地震の直前に宮古到着ですから、不案内の土地で、僕はきっと右往左往したことだろう……あるいは右往左往しつつ、もしかしたら……という思いが僕のショックを倍加させているのかもしれません。

 僕なりに被災地チェックをしたいのですが、まだ八戸の一部にとどまり、今後、様子をみて、階上、陸中八木、有家、田野畑、宮古等を訪れるつもりです。



★小春のパパ様、いやぁ~、ひさしぶりです。(僕の精神的混乱から)掲示板コメントへの返信もできず、ホンマ、失礼いたしました。

★小春のパパがいう「無意識の〈言動〉に、明確な根拠――誰もが理解、納得する?――を感じさせるようなイイ〈男〉になりたいなぁ」
 むずかしい話だとは思いますが、常に、そういう「男」でありつづけるというのは確かにむずかしそうですが、――特に「無意識」というのが……ね^^;――、しかし、ある時、ある場面に限定するというのであれば、だれにでもそういう「男」になるチャンスはあるのではないか?と思いながら……、また、小春のパパは、僕の周囲では、そういう「男」にいちばん近い存在なのではないか……とも思いながら、小春のパパのコメントを読みました(^_-)。

 しかし、こんなことを突然いいだすって、何か変ですね。
 小春のパパの周辺に何かあったのでしょうか?

★以前、ふたりのあいだでマンデリンのことを話題――小春のパパの昔の彼女がマンデリンが好きだった……という話――になりましたが、最近、僕のマンデリンは絶好調です。
 ネットで生豆を取り寄せ、手鍋焙煎をやっています。

 〈僕流の手鍋焙煎のやり方〉
◇手鍋(僕は直径14㎝くらい、厚さ2㎜程度のものを使用)に、
◇生豆50~60グラムくらいを入れ(60グラムを超えると作業の後半に手がだるくなる)、
◇ガスコンロの強火の上で(鍋を火からあまり離さないようにして)手首を小刻みに振り(回転させ)つづける。
◇①5分くらいすると、アーモンド色に変色。
 ②やがてバチッバチッと爆ぜる音。
 いわゆる1爆ぜ(イチハゼ)だ。
 ③と同時に、鍋から、半透明の、香ばしい煙が湧きあがる。
 このバチッバチッの音と、湧きあがる煙(香り)がいい。
◇バチッバチッが(①はじまってちょっとしてか……②ちょうど中間あたりか……③おさまりかけた頃か……で、次の「2爆ぜ」に影響するので、むずかしいが、はじめは①~②でやめておくといいと思う)はじまってちょっとしたところで、コンロを極弱火にし、僕の場合は、手鍋をゴトクに置き、お好み焼きのコテでガラガラと混ぜつづける。(弱火にしても鍋は熱いので、すぐコテで混ぜないと黒こげになる)
 と、バチッバチッにつづいて、ピチピチ、ピチピチと、豆の油成分が燃える、2爆ぜの音が聞こえはじめる。
 僕の「定義」――
 このピチピチがはじまった瞬間でやめると浅煎り。
 ピチピチの途中でやめると中煎り。
 ピチピチの終わりでやめると深煎り。
◇やめた(ガスを止めた)瞬間、僕の場合、即、鍋の底を水に浸け(水に浸けるのは「豆」ではない。「鍋」の底)、ジュジュッと冷やす。
 冷やしながら、コテで混ぜつづける。
 ここも素早くやらないと、鍋の熱は相当あがっているし、マメそのものも手ではさわれないくらい熱いから、それらの熱で焙煎がさらに進んでしまう。
 その後、手鍋をもって庭に出て、ドライヤー、あるいは団扇で、チャフ(豆の薄皮)をぶっ飛ばす。
 豆によっては大量のチャフが舞い上がる。

★マンデリン(中煎りと深煎りの中間)とブラジル(浅煎り)を混ぜて飲みながら、PCラジオでバロックを聴くのが、近時の僕のマイブーム。

★画像=3月末の雪の散歩道。





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