万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

三国同盟から学ぶ日米同盟の重要性

2012年12月31日 16時08分09秒 | 日本政治
首相「未来志向の安倍談話」 皇位継承は男系男子断言(産経新聞) - goo ニュース
 第一次安倍内閣の時に、有識者会議で検討された集団的自衛権行使の対象とは、極めて限られた範囲に留まっていたそうです。第二次安倍内閣では、範囲の拡大が模索されるようですが、日本国ほど、同盟軍の協力関係の重要性を学んだ国はないのではないかと思うのです。

 検討されていた集団的自衛権の行使とは、(1)公海での米軍艦艇の防護(2)米国向けの可能性のある弾道ミサイルの迎撃(3)国際的な平和活動における武器使用(4)国連平和維持活動(PKO)での他国部隊の後方支援、の4者なそうです。これらの活動範囲から見える日米同盟の姿とは、両軍の行動はばらばらであり、自衛隊の役割は、米軍に対して補助的です。日米同盟が、これらの活動に限定されるとすれば、尖閣諸島における中国の軍事行動に対してどれだけ効果的に闘えるのか、疑問なとことです。思い返しますに、第二次世界大戦では、日独伊三国同盟が結成されたものの、日本国は、孤立無援の戦いを強いられました(もっとも、ヨーロッパやアフリカ戦線では独伊間では軍事協力があり、ドイツの対独宣戦の根拠も、三国同盟による…)。一方、連合国側は、米英を中心に同盟諸国の兵力を結集し、相互の協力関係の下で戦争を遂行しています。この伝統は、今日のNATO軍にも引き継がれており、多国籍の軍隊を動かす組織力が、NATO軍の圧倒的な軍事力の源でもあるのです。

 拡大し続ける中国の軍事力に対抗するは、集団的自衛権の範囲を、少なくともNATOレベルに広げる必要があります。同盟国がありながら、一国だけで戦うことになった三国同盟の経験は、日本国にとりましては、深く考慮すべき歴史の教訓なのではないかと思うのです。

よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村
 

 本年は、本ブログの拙き記事をお読みくださいまして、ありがとうございました。皆様方が、良い年をお迎えになられますよう、心よりお祈り申し上げます。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の”敵国条項”カードを封じる手段

2012年12月30日 15時43分15秒 | 国際政治
首相、日米軸に「価値観外交」…アジア連携重視(読売新聞) - goo ニュース
 尖閣諸島に対する軍事行動を正当化するために、中国は、安保理決議なくして軍事行動を採ることが許される、国連憲章の”敵国条項”を利用しようとしているのではないか、と京都大学名誉教授の中西輝政氏が指摘されておられるそうです。中国としては、何としても、自国の軍事行動を、国際法において正当化し、日米安保条約の発動を止めたいのでしょう。

 それでは、中国の”敵国条項”カードを封じる手は、あるのでしょうか。明記はされていないものの、”敵国”とは、第二次世界大戦における枢軸国諸国と解されているようです(もっとも、旧枢軸国が国連に加盟した時点で、両者が”敵国”となるので、死文化したとも解釈できる…)。

 第1の手段は、国連憲章の第6章の規定に基づいて、日本国政府が、平和的手段による解決を安保理に提起することです(ICJへの付託など…)。第6章上の決定に関しては、紛争当事国は安保理での評決権を棄権しなければなりませんので、常任理事国といえども、中国は、拒否権を発動できません。この決議の成立に成功すれば、中国による”敵国条項”を根拠とした軍事力行使の正当化を阻止することができます。

 第2の手段は、国連憲章51条による個別的、並びに、集団的自衛権を以って対抗することです。”敵国条項”で特に重要となるのは第53条ですが(第107条については、尖閣諸島は、第二次世界大戦とは関係がないのであまり意味がない…)、この条文は、あくまでも、相手が”敵国”であれば、安保理の許可なくして軍事行動が可能であることを定めたに過ぎず(より正確には、安保理の許可があれば、強制行動のために地域的取り決めや地域的機関を利用することができるが、敵国であれば、この許可は不要…)、軍事行動の対象となった国の自衛権(集団的自衛権も…)の発動を否定しているわけではありません。この場合には、安保理決議の成立は不可能に近く、自衛隊、あるいは、日米同盟軍は、実力を以って中国からの攻撃に反撃し、人民解放軍を尖閣諸島から排除することができるのです。

 日本国政府は、中国の国際法の悪用に十分注意を払い、対抗策を講じて起きませんと、いつの間にか、侵略の再現を目論む”敵国”に仕立て上げられてしまうかもしれません。国際社会とも連携し、中国の”敵国条項”カードは、予め、封じておくべきと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村

 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国外交文書が暴露する”尖閣諸島二段階作戦”

2012年12月29日 15時49分03秒 | アジア
中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、「琉球の一部」と認識―初めて発見(時事通信) - goo ニュース
 先日、1950年に、建国間もない中共政府が、尖閣諸島を「琉球の一部」として認識していたことを証明する文書が発見されました。いわば、従来の日本側の主張を裏付ける、重要な証拠が見つかったことになります。

 この文章から見える当時の中共政府の策略とは、”尖閣諸島は日本国の領土であるけれども、一先ず台湾の所属島嶼として取り込めるかどうか、検討してみよう”ということのようです。台湾の武力併合と一緒に中国領としてに取り込む”尖閣諸島二段階作戦”は、この時、考案されたらしいのです。一方、当の台湾は、1952年に調印された日華平和条約の交渉過程において尖閣諸島を問題にしておらず、尖閣諸島を日本領と認めていました(この点からも、尖閣諸島は”台湾の付属島嶼”という根拠は、中共政府の発案である可能性が高い…)。60年代末に、国連によって近海海底における天然資源埋蔵が報告されますと、両国とも、尖閣諸島の領有権を主張し始めますが(日本国にとりましては寝耳に水…)、この時の中共側の主張は、50年代の”尖閣諸島二段階作戦”を下敷きにしています。つまり、台湾の所属島嶼であることを、領有の根拠として挙げたのです。しかしながら、よく考えてみますと、中国による”尖閣諸島二段階作戦”は、台湾の将来的な併合を想定していますので、現時点において、台湾が独立国家であることを考えますと、中国が、領有権を主張することはおかしなことです。仮に、”台湾の所属島嶼”を根拠とするならば、尖閣諸島の領有権を主張できるのは、唯一、台湾のみとなるはずなのですから。この弱点に気付いたのか、近年では、中国固有の領土であるかの如くに主張するようになり、いわば、”尖閣諸島一段階作戦”にシフトしてきているようにも見えます。何れにしましても、一連の中国側の文書や行動から、中国が、言いがかりを付けて、尖閣諸島を日本国から奪おうと、虎視眈々と策略をめぐらしてきたことが、よく分かるのです。

 国際裁判では、禁反言が原則とされており、過去の自ら行った言動と矛盾する主張を為しても、それは受け入れられません。今回の文書の発見は、中共政府が主張してきた尖閣諸島に関する根拠が、完全に瓦解したことを意味するのです。ICJの法廷に立つまでもなく、国際社会は、当然に、”中国には尖閣諸島に関する根拠なし”と見なすことでしょう。この状態で中国が、尖閣諸島に対して軍事行動を起こせば、それは、紛れもなく、中国による日本に対する侵略となるのではないでしょうか。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強欲な中韓-大陸棚はEEZに優先しない

2012年12月28日 15時47分20秒 | アジア
 東シナ海をめぐり、最近、中国と韓国は、相次いで自国の大陸棚を延長するよう、国連に申請したと報じられております。驚くことに、両国とも、沖縄トラフまでを自国の大陸棚と主張しているというのです。

 沖縄トラフと言いますと、沖縄の目と鼻の先であり、日本国のEEZに含まれていることは一目瞭然です。この無謀な申請から見える両国の態度とは、”日本国のEEZは無視せよ”と言うものです(沖縄トラフに面してもいない韓国に至っては、全くナンセンスな主張…)。確かに、国連海洋法条約は、200乖離を越えての大陸棚延長を認めていますが、この条約をひっくり返しても、どこにも、”大陸棚はEEZに優先する”という条文はありません。日本国のEEZもまた、同条約によって保障されている権利なのです。仮に、中国と韓国が、日本国のEEZの権利は、国際法において保障されておらず、自国の大陸棚の権利だけが認められるべきと考えているとしますと、その態度は、あまりに利己的で強欲です。しかも、日本国の尖閣諸島と男女群島は、中韓の主張する大陸棚の上にありますので、日本国もまた、大陸棚に対する権利を保有しているのです。

 国連海洋法条約では、複数の国の間で境界画定に関する争いがある場合には、当事国間の合意によって解決すると定めており、合意に達しない場合には、他の平和的な手段(調停、国際海洋法裁判所、ICJ…)が選択されることになります。この規定に基づけば、中韓の大陸棚延長が承認されるはずもなく、中韓は、同条約の条文のうち、自国の都合のよい部分だけをピックアップしているのです。こうした利己的な国際法の解釈に基づく要求を繰り返すようでは、中国も韓国も、国際社会からの信頼を失うのみで、得るものは何もないと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
 

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原子力規制委員会と原子力安全・保安院は合わせ鏡

2012年12月27日 15時25分33秒 | 日本政治
東通「活断層」覆らず 規制委、東北電を一蹴(産経新聞) - goo ニュース
 福島第一原発の事故は、原子力の安全確保を司る組織の改革を促すことになりました。批判の的となった原子力安全・保安院に代わって、今年9月19日に原子力規制委員会が発足しましたが、両者の体質は、基本的には変わらないのではないかと思うのです。

 原子力安全・保安院が激しい批判を浴びた理由の一つは、経産省の外局であったため、経済が優先され、原子力リスクが過小評価されていたことにありました。規制当局が、原子力推進の立場にある経産相の影響下にあっては、事故リスクが軽視されがちとなることが、問題視されたのです。そこで、新たに設置された原子力規制委員会は、経産省から切り離し、第3条委員会として独立性を保障した上で、環境庁の外局とされました。ところが、この改革は、経産省から環境省に規制権限が移管されたに過ぎず、基本的な体質改善には繋がらなかったようです。今度は、環境重視による原子力リスクの過大評価という、前者と真逆の問題が持ちあがるようになったのですから。両者とも、方向性こそ違うものの、一面からしかリスク評価を行わず、他のリスクについては、軽視するか、無視を決め込む点で共通しています。専門家による科学的な見地からのリスク評価であるならば、それは絶対に正しいと見なされがちですが、決してそうではなく、例えば、同じ0.01%確率のリスクであっても、評価者の主観によって、それは、過小にも過大にもなり得ます。原子力規制委員会は、99.9%安全であっても、0.01%の可能性としてのリスクがあれば、それは、極めて危険であると主張しているのです(原子力規制委員会の調査団の判断が間違っている可能性もある…)。一方、原発の稼働停止は、経済や国民生活には、100%の確率で確実に損害を与えます。

 過小評価であれ、過大評価であれ、将来のリスクに対する一方的で主観的な偏った評価は、別の面における災難と損害をもたらすのではないかと心配になるのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村


 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の右翼団体消滅の謎

2012年12月26日 15時46分39秒 | 日本政治
 本日、産経新聞の正論に、元駐タイ大使の岡崎久彦氏が寄稿しておられ、戦後、日本の右翼団体が消滅した謎について、触れておられました。諸外国では、ナショナリストの政党が一定の勢力を保持しているにもかかわらず、日本国には、こうした政党が存在しないと。

 右翼団体消滅の理由は、実のところ、戦前からの流れを汲む日本の右翼は、ナショナリストではなかったことに求められるのではないかと思うのです。玄洋社や黒龍会などは、どちらかと言いますとアジア主義者であり、日本国を盟主的な立場にあるべきとしつつも、アジア諸国との友好と連携を構想していました。アジア諸国の植民地状態からの脱却を助け、独立国家から構成される新たなアジア秩序の構築こそ、目指すべき理想であったのです(大東亜共栄圏…)。今日でも、日本の極右団体の構成員の多くが、在日韓国・朝鮮人であることは、この側面からも説明することができます。もちろん、右翼のイメージダウンを図るための謀略との説もありますが、基本的には、アジア主義であったからこそ、”大東亜の理想”に共鳴するアジア諸国の人々をも包摂してきたとも言えるのです。しかしながら、戦後、この状況は一変します。戦前の右翼が掲げた理想は、アジア諸国の相次ぐ独立と世界大の国民国家体系の成立によって達成されたからです。つまり、戦後の国際社会の変化によって、右翼団体は、その存立基盤をも喪失したのです。今日では、無節操なアジア主義は、鳩山元首相が提唱した東アジア共同体が、国民から激しい反発を受けたように、日本の主権、領域、国民を脅かすものとして、危険視されるようにもなりました。

 それでは、日本国から、今日、”右翼”は、完全に消え去ったのでしょうか。アジア主義の系譜に属する”右翼”は陰を顰めるようになったものの、国民国家体系の成立と歩を合わせるように、今日では、日本国を枠組みとするナショナリストの”右翼”あるいは”保守主義者”が姿を見せるに至っています。そして、両者は、極右政党という形態を取らずとも、日本国の政治において歴然とした影響力を持っているのです(自民党支持者を中心に…)。これまで、両者は、潜在的に緊張関係を孕みつつも、”右翼”として一括りにされてきましたが、中国、韓国、北朝鮮…の反日活動と侵略的な行動に危機感を抱く戦後型の保守層の拡大こそ、注目すべき新たな日本国の政治現象なのではないかと思うのです。


 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の”時空交錯提案”の罠-法的根拠なき瀬戸際政策

2012年12月25日 14時11分51秒 | アジア
尖閣諸島の「共同支配」提案 習指導部、安倍氏に圧力(産経新聞) - goo ニュース
 安倍政権の発足を睨んで、中国側は、”時空交錯案”という聞き慣れない提案を検討しているようです。中国政府の正式の提案ではありませんが、その実態が、尖閣諸島の共同支配であることだけは、間違いないようです。

 ”時空交錯案”とは、偶数日と奇数日とを日中両国で分けて、それぞれが、割り当てられた日に海上警備を行うと言うことのようです。両国の軍事的な衝突は起きないわけですから、一見、平和的な解決案のように見えます。しかしながら、中国は、この案を日本国に呑ませることで、尖閣諸島に対する主権の半分を獲得できるのですから、中国側が、日本国の領土を侵略しようとしている事実においては、何らの変わりはありません。中国が、尖閣諸島の領有権を獲得できる正当な手段があるとすれば、それは、ICJの判決において領有が認められる以外になく、法的根拠なき領有権の主張は、領土的野心の現れに他ならないのです。しかも、日本側が、尖閣諸島の領有権の強化に着手しようとすれば、軍事的な行動も辞さないと公言していますので、軍事的な圧力を背景とした瀬戸際政策でもあります。たとえ、日本国側が圧力に屈して中国側と共同管理の条約を結んだとしても、こうした威嚇行為を背景として締結された条約は、条約法条約において無効とされています。

 法的根拠なき瀬戸際作戦を許しますと、アジアは、戦わずして中国の手に落ちることになります。日本国政府は、決して、中国の巧妙な”時空交錯提案”に惑わされてはならないと思うのです。それは、ミュンヘンの融和と同じ過ちを繰り返すことになるのですから。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダニエル・イノウエ氏-日米両国の誇り

2012年12月24日 13時07分09秒 | アメリカ
ハワイでイノウエ氏の告別式=オバマ大統領、首都葬儀に続き参列(時事通信) - goo ニュース
 先日、長年に亘り、米上院議員を努めたダニエル・イノウエ氏が逝去されました。イノウエ氏の棺は、ワシントンの連邦議会議事堂の中央大広間に安置され、大統領級の特別扱いであったとも報じられています。

 ダニエル・イノウエ氏は、アメリカの地で生を受けたものの、熊本県からハワイに移民した日本人の子孫でした。第二次世界大戦では、日米両国が敵味方に分かれたため、氏は、出身国と国籍国との狭間に置かれるとともに、米国では、日系人として警戒される立場ともなりました。この苦境にあって、氏は、アメリカ国民の一人としてアメリカに尽くすことを決意し、ヨーロッパ戦線では、深手を負いながらも敵を倒すといった、数々の武勇伝を残したのです。敵国出身でありながら、アメリカに忠誠を誓い、アメリカという国に貢献したダニエル・イノウエ氏は、移民国家であるアメリカにおいて、”理想的なアメリカ人”の姿を体現したとも言えます。氏の逝去に際してのアメリカ政府の厚遇は、こうした氏の生き方に対する敬意と尊敬を表していると考えられます。それでは、出身国である日本での氏の評価はどうでしょうか。日本国において、氏は、”祖国の裏切り者”として侮蔑の言葉を投げつけられてきたのでしょうか。日本国でも、実のところ、氏に対する評価は高く、日本人の名誉を高めた功労者として尊敬を集めています。その理由の一つは、日本の武士道精神に求めることができるかもしれません。日本国では、ヨーロッパの封建制度とは違い、”二君にまみえる”ことは御法度でした。一旦、他の国の領主に仕えた限りは、その国に忠誠を誓うことこそ、武士のあるべき姿であり、忠誠と奉仕の精神は、それが領主と家臣の間の主従関係から国と国民との関係に代わっても、基本的には、受け継がれたと言うことができます。戦時中、東条英機もまた、アメリカの日系人に対して、アメリカ人となった以上、アメリカのために闘うよう書簡を認めたとも伝わります。ダニエル・イノウエ氏は、日本人にとりましても、あっぱれな人物であったのです。

 両国の理想的な人間像が、ダニエル・イノウエ氏において焦点を結んだからこそ、日米両国の誇りとして、氏の足跡は歴史に刻まれることになりました。一方、世界的に移民が増加する傾向にありながらも、誰も、あるべき移民の姿に関して議論しようとも、触れようともしないことに、混沌と錯綜という名の危うさを感じます(今日では、敵国ではなく、自国民に危害を加える帰化系の国民が多い…)。ダニエル・イノウエ氏の潔い生き方には、深い霧を晴らす何かしらの力が潜んでいるように思えるのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本押さえ込み論はアジアの不安定化肯定論

2012年12月23日 14時33分52秒 | 国際政治
正恩氏、ICBM開発加速へ…宴席で「重大だ」(読売新聞) - goo ニュース
 自民党政権の成立を前に、周辺諸国のみならず、欧米メディアでも日本の右傾化を警戒する記事が掲載されているそうです。その一方で、中国の急激な軍拡に加えて、北朝鮮も、核兵器のみならず、ICBMの開発に本格的に乗り出してます。

 日本国を非難する人々は、防衛力強化にブレーキをかければ、軍事的脅威が取り除かれると、本気で信じているのでしょうか。勢力均衡論が、パワー・バランスの実現による平和を説き、現実の歴史においても有効性が確認されている理論であるとしますと、日本押さえ込み論は、この原則に真っ向から反しています。何故ならば、中国や北朝鮮の軍備拡大に対して、抑止側が何らの対応もしなければ、当然、これらの諸国のパワーが上回り、勢力均衡どころか不均衡が増大し、アジアの平和は著しく不安定化するからです。日本押さえ込み論とは、逆から見ますと、アジアの不安定化肯定論なのです。しかも、中国や北朝鮮(韓国も怪しい…)は悪名高き無法国家であり、国際法を順守する気など、さらさらありません。国際法を無視するか、あるいは、法の抜け道を探し出し、相手国を出し抜くことばかりを考えています。日本国に対する批判は、いわば、暴力団の活動を野放しにする一方で、危険を察知して自衛を強化しようとしている一般人に対して、”自己防衛の強化は治安を乱す”として、反対してるようなものなのです。

 日本国が防衛力の強化を諦めるとしますと、誰が、中国や北朝鮮の脅威を取り除くのでしょうか。もちろん、日米同盟がありますので、中国は、短期的には、軍事行動に走ることには慎重となるかもしれません(もっとも、習体制では、可能性が0%とは言い切れない…)。しかしながら、頼みの米国も、財政問題などから防衛費の削減が迫られていますし、長期的には、中国が、軍事力で米国に追い付くのも時間の問題とされています。それでは、国連が、これらの無法国家を押さえてくれるのでしょうか。中国が、安保理の常任理事国であることを考えますと、国連に期待することもできません。平和とは、国家間のパワー・バランスと深く関わっているですから、日本国の防衛力強化の否定は、無法国家の軍拡肯定となることを、忘れてはならないと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹島の日政府式典見送りの懸念

2012年12月22日 14時58分41秒 | アジア
「領土問題」のニュース - goo ニュース
 韓国の新大統領誕生を受けて、安倍自民党総裁は、竹島の日の政府式典開催の見送りを示唆したと報じられています。公式に見送りが決定されたわけではないそうですが、ネット上では、落胆の声が上がっているようです。

 式典見送りが検討されている理由としては、(1)日中韓とも新政権への移行直後となり、政権発足当初から波風を立てることが憚られたこと、(2)北朝鮮の脅威を前に、日米韓の連携強化が必要であること、(3)韓国の大統領就任式への出席を控えていること、(4)夏の参議院選までは経済政策を最優先にすべきこと、(5)式典開催に反対している公明党への配慮…などが指摘されております。どの理由も一理はありますし、軍事・外交上、考慮すべき点でもあります。しかしながら、その一方で、懸念すべき点があることもまた、否定のしようがないと思うのです。最大のマイナス効果は、自民党に対する国民の期待が失われてしまうことです。自民党に一票を投じた人々は、自民党が、民主党政権下の弱腰外交と中韓優先の姿勢を転換し、主張すべきは主張する日本を実現するものと信じていたはずです。しかしながら、たとえ相当の理由があったとしても、政権発足を前にして、既に韓国に対して譲歩と受け取られるような態度を示したのでは(額賀氏の派遣も含めて…)、肩を落とす支持者も少なくないはずです。

 選挙公約には、13年に竹島式典を開催するとは、掲載されていなかったそうですが、国民が裏切られたと感じる政策をとりますと、民主党の二の舞となります。また、日本側の譲歩が、中韓のより一層の強行な態度を誘発してきたことを考えますと、これもまた、過去の失敗と同じ轍を踏む可能性もあります。式典の開催時期を延期するにせよ、国民が納得するような明確な説明がありませんと、国民の間に失望感が広がることになるのではないでしょうか。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行政機関の独立性は絶対か?-日銀と原子力規制委員会

2012年12月21日 11時15分27秒 | 日本政治
原発9基再稼働でも貿易赤字 来年度6.3兆円 エネ研試算(フジサンケイビジネスアイ) - goo ニュース
 民主党政権下で長期化した円高・デフレと電力危機。どちらも、日本の産業と国民生活を直撃する大問題ですが、両者には、共通する制度上の問題点があります。それは、政策決定を司る行政機関に対して、政府からの独立性が保障されていることです。

 これらの独立性の保障には、れっきとした根拠があります。中央銀行の独立性は、政府の無節操な財政政策によるインフレを防止するための遮断措置ですし、原子力規制委員会も、原子炉の安全性を確保するためには、専門家による正確なデータに基づく科学的な判断のほうが、その道の素人に過ぎない政治家の判断より信頼性が高いに決まっています。この点は、誰もが納得するところなのですが、その一方で、独立性の保障は、これらの行政機関が、絶対主義の如く、外部から何らの拘束やチェックを受けることなく、何事も専断できることを意味します(専門家でも意見が分かれる事項でも、決定権を持てる…)。これまでの記事でも指摘したように、これらの行政機関は、現実には、政府から完全に独立しているわけでも、また、産業や国民の利益を考えて仕事をしているわけでもありません。また、将来に起き得る出来事に対しては、100%正しい判断を行うことも不可能です。しかも、独立性は、他者からの介入を拒絶する絶好の口実になるのですから、本来の目的を離れ、時にして、悪用されることもあるのです(再生エネ法の調達価格算定等委員会の高値設定も同じ…)。

 独立性の高い行政機関によって発生するリスクをどうのように押さえるのか。これは、現在、日本国のみならず、同様の事態に直面している諸国につきつけられている問題でもあります。良かれとして設けられた制度でも、看過できないマイナス作用が発生したり、悪用が見られる場合には、これらを防止しする仕組みが必要となります。制度とは、欠点を発見次第、常に改良を加えませんと、取り返しのつかない損害が発生する元凶ともなりかねないと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発再稼働と悪魔の証明

2012年12月20日 16時08分38秒 | 日本経済
 昨日の記事では、原子力規制委員会について制度面から疑問を呈しましたが、本日は、独立性にまつわる悪魔の証明問題を扱ってみようと思います。

 統治機構には、制度的に独立性が保障されている機関が数多く存在しています。特に、司法分野では、警察や検察を始め、裁判所の独立性は、権力分立の観点からも、とりわけ神聖視されてもいます。過去に起きた出来事については事実は一つですので、証拠さえ揃っていれば、事実認定は、比較的容易にできます。司法分野では、独立性は、中立・公平な判断には不可欠の要素なのです。一方、将来に起きるであろう出来事についてはどうでしょうか。この場合、想定されるシナリオは無限となり、誰も、100%の確率で将来の出来事を判断することはできません。将来の出来事を証明することは、いわゆる”悪魔の証明”であり、ほとんど不可能に近いことなのです。もちろん、予測しやすい分野もありますし、相当高い確率でリスクを把握できることもあります。しかしながら、地震による被害リスクの発生予測となりますと、地震予知が困難であるのと同様に、それは、極めて困難な作業となります。つまり、原子力規制委員会は、地震による被害発生を100%証明できないと同時に、再稼働を求める側も、地震が発生しないことを100%証明できないのです。双方とも、悪魔の証明となるのですから…。こうした場合、片方のみに極めて裁量の幅が広い決定権を与えますと、損害を受ける側(産業や一般国民…)の利益は保護されず、不公平が生じます。しかも、法律問題でもありませんので、不服があっても、訴訟を起こしてその決定を覆すことも簡単ではありません。

 司法分野のように過去の確定された事実を扱うのではなく、将来予測、しかも、発生確率が極めて低い、あるいは、幅広いシナリオがあり得、かつ、公共性が高い問題を扱う場合には、独立的な規制機関が、排他的に是非の判断することには、やはり、疑問があります。むしろ、国民は、どこまでリスクを受容できるか、という議論を踏まえた政治的な判断の方が相応しいと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原子力規制委員会-再稼働のリスク許容判断は政治がすべきでは

2012年12月19日 15時57分18秒 | 日本経済
11月の貿易収支、過去最大の赤字…輸出低調で(読売新聞) - goo ニュース
 11月の日本国の貿易赤字は過去最高を記録し、年間で6兆円もの輸入超過となっているそうです。諸外国の景気低迷が輸出不振の要因ともされていますが、円高による競争力喪失と原発稼働停止による火力燃料の輸入増加も無視できない要因です。

 自民党政権の発足により、為替相場は、ようやく円安方向に動いたものの、原発再稼働については、幾つかの障害があるそうです。中でも、原子炉の安全性を監視する原子力規制委員会の判断が注目されるところであり、活断層をめぐっては、これまで、敦賀原発2号機や東通原発に関する見解が公表されています。拙速な判断については、選挙を目前とした政局絡みとする批判もあり、最終的な行くへは不透明ですが、原子力規制委員会の仕組みと権限については、再考の余地があると思うのです。その理由は、(1)科学的な分析を以ってしても研究者の見解が分かれる場合、原子力規制委員会の判断が絶対に正しいとは限らないこと、(2)委員の人選には政府が関わっており、必ずしも政府から独立していないこと、(3)地震発生の確率に対する許容のレベルは、人間がしなければならないこと、(4)廃炉の決定は、事業者、産業、国民生活に甚大な影響を及ぼすこと・・・などを挙げることができます。例えば、活断層認定の対象スパンは40万年に拡大されましたが、たとえ活断層が存在していたとしても、それが動く確率は、数万分の1かもしれません。原子力規制委員会に、活断層の存在や可能性を認定する権限はあるとしても、このリスクが、日本国の経済や国民生活に照らして許容できるか、できないかの判断は、政治がすべきではないかと思うのです。この場合、政府は、地震発生時において活断層が動く確率が低いこと、万が一動いた場合にも対応策があること、そして、廃炉の場合のマイナス影響が破滅的であることを説明し、国民に、再稼働への理解を求めることになります。

 政治的な思惑から離れ、純粋に科学的な見地から原子炉の安全性を判断できることが、原子力規制委員会の独立性強化の根拠ですが(実際には、この意義も薄れている…)、技術的な問題ではなく、リスク許容の範囲に関する判断については、独立的な機関が最終決定権を持つことが適切であるとは思えません。原発の再稼働については、原子炉の安全性に関わる科学的な判断とリスク許容の政治的な判断とを分け、原子力規制委員会と政府との間で、役割分担をすべきではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銃規制とNPT体制-少数の凶暴な狼と多数の無防備な羊

2012年12月18日 15時32分00秒 | 国際政治
虐殺見て変わった…銃規制強化へ米議員転向次々(読売新聞) - goo ニュース
 アメリカの小学校で起きた銃乱射事件は、幼い子ども達が犠牲となり、アメリカ国民に深い悲しみを与えるとともに、あらためて、銃規制の問題を問いかけることにもなりました。これまで銃規制反対であった議員の中には、この事件をきっかけに、銃規制反対派に転向する人も現れているそうです。

 誰もが、他者の命を奪う凶器が、この世から一掃されれば、平和が訪れるに違いない、と考えたがるものです。日本国でも、1588年に秀吉が刀狩を実施した歴史がありますが、現在観察されるNPT体制の欠陥を考えますと、銃規制は、それほど簡単には結論を出せない問題かもしれません。NPTは、核の脅威から人類を護るために、核兵器の放棄と徹底管理を目指して成立したものの、現実には、北朝鮮やイランなど、遵法精神の欠如した最も危険な国だけが、核兵器を密かに保有しようとしています。無法国家の核保有は、普通の国のそれよりも何倍も脅威であり、しかも、他の国は、核保有が禁じられているのですから、無法国家は、絶大な攻撃力を手にすることができます。この結果、NPT体制の維持に協力している国が、核保有国からの脅威に晒されるという事態が発生し、NPTの精神を根底から揺さぶっているのです。この現象を銃規制に当て嵌めてみますと、犯罪集団だけが、違法を承知で銃を保有するかもしれず、この状況-少数の凶暴な狼と多数の無防備な羊-を想像してみますと、背筋が寒くなります。

 提案されている銃規制法案は、殺傷力の高い攻撃的な銃に限定されているそうですが、こうした問題点を考慮しますと、むしろ、順番を変える必要があるのではないかと思うのです。つまり、最初に、他者に対して危険を加える可能性が高い人々を対象に銃規制を行うのです。それは、第一に、犯罪者や犯罪集団であり、第二に、今回の事件の犯人がそうであったように、精神を病んでいる人々です。最も危ない人々に対する銃規制が完璧に出来ない限り、凶器による社会的なリスクは低減せず、むしろ、危険が増幅されてしまうのではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済成長と原発再稼働

2012年12月17日 15時46分37秒 | 日本政治
原発政策、自民圧勝で転換点 民主党政権が残した“呪縛”(フジサンケイビジネスアイ) - goo ニュース
 昨日実施された総選挙の結果、3年4カ月ぶりに自民党が政権に返り咲くことになりました。ところで、選挙に際して、自民党は、選挙公約として経済成長率3%を打ち出しました。この目標は、多くの国民が歓迎するところですが、目標達成のためには、早期の原発の再稼働は、不可避なのではないかと思うのです。

 現在、全国レベルでの電力危機は去っておらず、企業各社は、節電や工場の稼働率を下げるなど、国民の目に見えないところで努力し、大規模停電の発生を防いでいます。それでも、北海道に至っては、7%の節電令が敷かれており、東京電力管内でも、12月に入り、気温の急激な低下により、他電力会社から電力の融通を受ける日もありました。電力供給は、未だに綱渡り状態にあります。その一方で、電力各社は、火力の燃料費を理由とした電力料金の値上げを相次いで申請しており、再生エネの普及が進めば、さらに電力料金の価格は上昇します。何れにしましても、このままでは、電力危機は、さらに悪化することが予測されるのです。電力危機の状態が長引けば、経済は、成長しようにも成長できません。生産を増加させたくても供給が足りず、また、供給を増やそうとすれば、電力料金が上がるという深刻なジレンマに陥るのですから・・・(円高が是正されても、生産を増やすことができなければ、意味がない…)。

 世論調査によりますと、今回の総選挙では、有権者の多くは、経済や景気を第一に考えて投票したそうです。経済成長や景気回復が原発再稼働とセットであることは、おそらく、多くの有権者は気が付いていたはずです(自民党も原発容認の方針を示していた…)。経済成長を目標に掲げる自民党政権の誕生は、国民の多くが、原発再稼働を容認したと解釈してもよいのではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする