万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”トランプ大統領”は南シナ海問題にどう対処するのか?

2016年03月31日 15時27分42秒 | 国際政治
中国、西沙諸島に対艦ミサイル配備か 射程400キロ
 共和党の指名候補争いでトップの座を保ってきたトランプ氏が在日米軍の撤退や日本国の核武装に言及したことで、アジア情勢は、俄かに不透明感を増しています。タガが外れ、日米同盟の抑止力で抑えてきた中国が、軍事力にものを言わせてアジアに華夷秩序を復活させるシナリオも否定できないからです。

 中国によるアジア支配の悪夢が現実味を帯びるわけですが、仮にトランプ氏が大統領に当選し、アジアから兵力を撤退させるとしますと、南シナ海問題もまた危機的な状況を迎えます。米軍の撤退による力の空白を埋めるべく、仮に、日本国が、防衛力増強や核武装等によって辛うじて自国の領土防衛を実現したとしても、南シナ海については、現在の自衛隊の軍事力だけでは、中国による軍事基地化の野望を阻止することは困難です。中国は、既にパラセル諸島のウッディ等に対艦ミサイルを配備したと報じられていますが、一旦、軍事基地化が既成事実化されますと、国際海洋法秩序は有名無実となり、南シナ海は”中国の海”と化すことでしょう。

 ウッディ島への対艦ミサイル配備は、仲裁裁判所の判断など、今後如何なる不利な状況が発生しても、武力での占有を継続することの意思表示であるのかもしれません。こうした中での米軍のアジアから撤退は、パラセル諸島やスプーラトリ諸島をめぐって中国と領有権を争っている東南アジア諸国をも見捨てると共に、国際法秩序の崩壊を意味します。日本国のシーレーンもまた、安泰ではないことは言うまでもありません。習主席がアメリカに持ち掛けた太平洋を米中二大国で分けるという米中二分論は、トランプ政権において実現しかねないのです。

 トランプ候補は、”偉大なアメリカ”の復興を訴えておりますが、そこには、弱き国々を援け、平和を護るアメリカ流のヒロイズムはあるのでしょうか。将来、”後は野となれ、山となれ”の感覚で、南シナ海問題からもアメリカが完全に手を引くとなりますと、米国の軍事的抑止力、否、”警察力”なくして法の支配の原則に裏打ちされた国際秩序を維持できるのか、という問題に、日本国、並びに、国際社会は、否が応でも直面せざるを得なくなります。2016年は、あらゆる側面で、波瀾の年となりそうなのです。

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権利保障には”線引き”を要する

2016年03月30日 13時15分19秒 | 社会
テロ容疑者、3人がギリシャを経由=欧州の玄関口に利用か―ベルギー
 今日、国内のみならず、国際社会を見渡しましても、頻発するテロ事件を含めて、人の移動に起因する問題が噴出しています。そして、この問題は、マスコミが率先して唱導する'リベラルな理想主義'と、それに反発する現実的な保守層との間の対立の様相をも呈しています。

 ところで、ここで、”権利とは何か”という基本問題に立ち返ってみますと、リベラル派の主張の弱点が見えてきます。何故ならば、権利の保障とは、どこかで線引きをしなければ、実現しないからです。リベラル派の人々も、人々の権利が保障されるべきであることについては異論はないはずです。否、この分野では、リベラル派の人々の方がより熱心に権利保障に取り組んでおりました。近代啓蒙思想における自然法や自然権は、生命や身体等に関する基本的な権利を天賦のものと見なし、全ての人々に対して不可侵の権利として認めましたが、今日では、リベラル派のみならず、基本権は、大多数の国でも憲法において国民に保障しています。

 ところが、実際にこの権利保障を実現しようとしますと、自分と他者の間の線引きが不可欠となります。仮に自他の間の線引きがなければ、境界線がないわけですから、他者の生命、身体、財産は奪い放題となるからです。”権利保障には線引きを要する”という命題は、国際社会にも当て嵌まります。国家の三要件とされる国民、領域、主権の何れもが、他国との間に線引きをしなければ、自国の正当な権利として護ることができなません。逆から見ますと、境界線が曖昧になればなるほど、枠組みが流動化して紛争が多発します。実際に、今日、国際紛争の多くも、境界線の流動化によって引き起こされているのです。

 ”線引き”は、兎角に排他的で差別的な行為と見なされがちですが、境界線を伴わない権利保障はあり得ません。リベラル派の人々が批判を受ける理由は、権利保障を訴えながら境界線は否定する、その自己矛盾した態度にあるのではないでしょうか。

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”国境開放はリスク”という常識への回帰-移民・難民問題

2016年03月29日 15時17分54秒 | 国際政治
【移民ショック】移民ら数百人が国境開放を要求 ギリシャのマケドニア側
 先日、マケドニアが国境を開くとする噂を信じたギリシャ国内の移民が国境に押しかけ、越境を試みる騒ぎが発生しました。手に手に”Open the Border(国境を開放せよ)”の看板を掲げて…。

 近年、国境はすっかり”悪者”扱いとなり、国境管理の強化を訴えようものなら、マスコミから手厳しい批判を浴びせられる状況が続いてきました。”国境を低くする政策こそ開放的で寛容な善”とする認識がマスコミによって吹聴され、国境管理を厳格にする政策を主張しようものなら、”差別的で非寛容な悪人”として糾弾されかねなかったのです。こうした中、アメリカでは、大統領選挙戦においてトランプ候補が後者の政策を口にしたのですが、支持率が急落すると思いきや、逆に上がるという現象が発生しています。予想外の展開にマスコミ側が慌てるという一幕もありましたが、非常識な危険人物としてマスコミから酷評されつつも、トランプ候補の勢いが衰えない理由には、国境開放は同時に侵害リスクを意味するという、国民の本能的な常識を呼び覚ましたからなのかも知れません。

 原点に返って考えてみますと、国境線とは、領域という空間に関する国家の権利を護るために設けられたものです。国民にとりましても、それは、自らが築いてきた社会を保つために必要であり、仮に、誰もがどこからでも入国できるならば、あっという間にこの空間は外国人に占領されてしまいます。そこに出現する空間とは、言語も、生活様式も、習慣も、価値観も、何もかもが違う人々の集まる”場”に過ぎず、もはや”社会”や”コミュニティー”とは、言えない代物であるかもしれません。家族のレベルで譬えてみれば、ある家か他者に対してドアを開き、家屋内に誰もが自由に住むことを許すならば、この家族の日常の生活が破壊されることは必至です。また、他者の家の玄関の前に立って、当然の権利の如くに”ドアを開けよ”と訴えようものなら、即、警察に通報されてしまうことでしょう。

 国境には、国や国民の権利保護の役割を果たしてきた歴史があるのですから、その防御的な役割に対しては正当に評価すべきです。今日の国際秩序の重要な原則の一つとされている民族自決の原則も、国境あってこそ維持されます。国境開放にリスクが伴わなければ、国境管理政策など必要なかったことでしょう。この問題については、移民や難民の個人的な権利保護ばかりが尊重されがちですが、国境否定論者は、”国境開放はリスク”という常識への回帰を素直に受け止めるべきではないかと思うのです。

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その場凌ぎの経済対策よりも産業戦略を

2016年03月28日 15時27分25秒 | 国際経済
「増税見送り」が妥当といえるこれだけの理由 今こそ家計所得に対する政策的手当が必要だ
 中国経済の減速などを背景に経済の先行きに暗雲がたちこめてきたことから、政府は、10%の消費税率上げを見送る方針のようです。代わって、経済対策として積極的な財政支出を求める声も強まっておりますが、この政策には、景気浮上の効果があるのでしょうか。

 日本国に限らず、これまでの一般的な経済対策を見ておりますと、経済危機、その殆どは金融危機ですが、経済の落ち込みが激しい時には、景気刺激策として、必ずと言ってもよいほどに”ばらまき型”の財政拡大政策と金融緩和策が採られます。今般も、政府は、若年の低所得層を対象に商品券を配る政策を検討しているそうです。しかしながら、EUのソブリン危機の発端もリーマンショック後の財政規律の緩和にあり、”ばらまき政策”の後には、常々、財政悪化に見舞われるものです。一方、中央銀行のマイナス金利政策により、利払等の負担が軽減されると共に、市場での国債価格の値上がり効果などで財政悪化は抑制されておりますが、EUでは、景気回復は遅々として進まず、停滞ムードが漂っています。マイナス金利と財政支出の拡大では、その恩恵は一部の分野、及び、一時期に限られ、消費を含む経済全体を活性化させる効果は低いように見えるのです(消費喚起に関しては、消費税は低率の方が望ましい…)。その一方で、SHARPと東芝の白物家電部門の海外売却の顛末を見ておりますと、日本国には、産業戦略が存在していないかのようです。為すがままに中国の国策に絡め取られており、このままでは、中国メーカーからの輸出攻勢を受けて、国内市場のシェアさえ奪われかねません。金融緩和や財政出動の効果もむなしく、産業競争力において劣れば、経済は先細る一途となります。

 自由主義国の政府は、兎角に経済については民間企業の判断に任せがちですが、共産主義国である中国は、国家を挙げての産業政策を強力に推進します。国家対一民間企業では太刀打ちできるわけはなく、標的となった民間企業は、国をバックとした中国系企業の傘下入りを余儀なくされます。アメリカ政府は、中国系企業による米国企業の買収には規制をかけているそうですが、日本国政府に今必要なのは、その場凌ぎの経済対策ではなく、産業政策、すなわち、経済活動そのものを活性化するための長期的な産業戦略なのではないでしょうか。

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トランプ発言の衝撃-日本国核武装のタブー崩壊

2016年03月27日 15時07分25秒 | 国際政治
トランプ氏「在日米軍撤退も」=安保改定、日本の核保有容認―米大統領選
 アメリカ大統領予備選の選挙キャンペーンにおいて、トランプ候補の発言が、海を越えて日本国にも衝撃を与えております。在日米軍撤退論に関連して、核武装の容認にも言及したのですから。 

 核兵器の開発そのものは飛びぬけて高い技術力を要するわけではなく、一般的な科学的知識があって、本格的に取り組めば、どの国も保有することが可能なそうです。諸外国では、大学生が独学で作製した事例さえあるそうです。日本国の核武装も決して難しいことではなく、核保有を妨げている要因があるとすれば、NPT体制への参加による不保持の義務、並びに、非核三原則に象徴される唯一の被爆国としての自己抑制です。しかしながら、仮に、トランプ候補が大統領に当選し、”公約”を守るとして在日米軍を撤退させる場合には、米軍の”核の傘”が消滅するわけですから、中国や北朝鮮からの核の脅威を理由として、日本国は、NPTからの脱退を求めることはできます。当然、アメリカも、この脱退を支持することでしょう。無法国家が核を独占的に保有し、核兵器で他国を脅す一方で、一般の諸国が核を保有できない状態はあまりに理不尽ですし、アンフェアでもあるからです。また、非核三原則についても、米軍撤退となれば、東アジアにおける現実的脅威に直面することとなった日本国民の多くも、その放棄を容認することでしょう。トランプ候補は、アメリカ国内では、タブーを物ともしない発言で注目を集めておりますが、日本国においても、トランプ氏の発言は、これまでタブーとされてきた、あるいは、極論と見なされてきた日本国核武装論の蓋を開けることとなったのです。

 トランプ候補の発言は、日本国側に米軍駐留経費の負担増を求める交渉上の戦術との見方もありますが、日本国政府も、あらゆるシナリオに備える必要があります。そして、仮に核武装を選択した場合、さらに踏み込んで、核武装を以ってしても対応できない事態についても、十分な戦略を練っておくべきです。例えば、南シナ海問題といった国際海洋法に関わる領域などは、日本国の核武装では解決できません。アメリカ大統領選と並行して流動化する国際情勢において、日本国、並びに、国際秩序を如何にして護るのか、日本国政府の戦略能力をも問われていると思うのです。

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グローバル市場を引き裂く中国主導の「アジア金融協力協会」

2016年03月26日 13時12分27秒 | 国際経済
ハイレベル対話再開へ協議=日中経産次官級が定期会合
 軍事や政治のみならず、経済分野においても自国中心主義を追求してきた中国は、今年の7月に「アジア金融協力協会」を設立する予定なそうです。昨日の25日には、海南省海口で準備会合が開かれ、日本の3メガ・バンクの他に、アジア以外では、アメリカ、ハンガリー、チェコ等の6社・団体が参加したと報じられています。

 当協会の設立目的は、李克強主張によれば、”金融界のネットワーク”造りと説明されていますが、世界の金融ルール作りにアジアの金融業界の意見を反映させることが目的、との憶測もあります。金融市場におけるグローバル・ルールと言いますと、”BIS規制”に代表されるように、これまで、欧米系の国際機関が中心となって作成されてきた歴史があります。経済大国化はしたものの、中国は”新参者”であり、金融市場のルールづくりの段階で積極的に加わることで、自国に有利なルールを造ろうとしても不思議ではありません。しかしながら、仮に、グローバルなルール作りに参加したいならば、既存の国際機関での発言力を高める方が効果的です。にも拘わらず、中国が、既存の機関とは一線を画し、アジアを対象に新機関を発足させたことを考えますと、さらに踏み込んだ戦略を秘めているのかもしれません。

 推測される中国の戦略とは、中国主導の独自のルールの制定機関、即ち、一種の”立法機関”として「アジア金融協力協会」を機能させるというものこです。そしてこの試みは、やがてグローバル市場を分裂させる方向に作用することでしょう。二つのルールが併存する状況に至れば、仮に、国際的な紛争等が発生した場合、共通のルールで解決することは、もはやできなくなります。つまり、金融におけるグローバル・ルールは瓦解し、欧米ルールと中国ルールの二つのローカル・ルールに分裂するのです。アジアにおいて中国ルール圏が確立されれば、中国は、自らが主導して制定した独自ルールを盾に、欧米ルールの適用を拒否することでしょう。

 国際法を国内法を以って排除しようとする中国の態度は、現在、南シナ海での軍事的緊張を高めておりますが、経済分野においても、中国は、グローバル・ルールの破壊と独自ルールの制定によって中華経済圏の形成を目指しているように見えます。”一帯一路構想”とも関連しているのでしょうが、”中国の夢”の実現は、あらゆる面で世界を引き裂く結果を招くのではないかと危惧するのです。

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共産国家からの帰還者は事実を語るのか?

2016年03月25日 15時26分15秒 | 国際政治
店主の李波氏も香港帰還=書店関係者失踪で3人目
 曲がりなりにも一国二制度を維持している香港。共産党批判の書籍を販売していた書店関係者の失踪事件は、この制度が有名無実になりつつある現実を物語っています。

 失踪した5人のうち、3人は既に香港に帰還しており、入管や警察から事情聴取されているそうです。しかしながら、中国本土からの帰還者は、事実を語るのでしょうか。そこで思い起こされますのは、ソ連や中国大陸で拘留され、戦後しばらくして日本国に帰国した日本軍将兵の人々の証言です。拘留中、共産主義思想が叩き込まれ、徹底した洗脳と反日教育が試みられていたのです。これらの人々の多くは、帰国後に洗脳が解けて我に返りましたが、中には、共産主義にすっかり染まり、拘留中に吹きこまれた歴史観を”事実”として証言する者も少なくありませんでした。戦争終結から凡そ70年が経過した今日、共産主義の手法に変化がないとすれば、香港に帰還した書店関係者もまた、ありのままの事実を語るとは限りません。本土の中国当局が予め作成したシナリオ通りに発言している可能性の方が高いのです。しかも、洗脳から脱却できていないとしますと、今後は、本土の中国政府の”操り人形”として活動する危険性もないわけではありません。

 日本国でも、中国で失踪した法政大学の中国人教授が近日中に再入国する見通しと報じられていますが、帰国後に、氏に真実を語ることを期待するのは難しいかもしれません。共産主義国家からの帰国者の証言については鵜呑みにせず、その真偽については、再度、多様面からの検証を要するのではないかと思うのです。

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イスラムテロ問題-寛容と非寛容は共存できるのか?

2016年03月24日 14時58分04秒 | 国際政治
ベルギー連続テロ 実行犯が追い詰められ犯行か
 ベルギーで発生した連続テロ事件は、再度、世界をイスラム過激派によるテロの恐怖に陥れることとなりました。31人もの罪のない人々の命を無残に奪った無差別テロ事件に、誰もが心を痛めております。

 こうしたテロ事件が起きる度に、マスコミやメディアを中心として多様性の尊重と異文化間や宗教・宗派間の相互理解が叫ばれます。しかしながら、ヨーロッパで多発しているイスラム過激派によるテロ事件は、この楽観的な処方箋に対して、一つの解き難い問題を提起しています。それは、”寛容と非寛容は共存できるのか”という問題です。双方が、共に相手方の文化や宗教を認め、その存続を認め合う場合には、多様性の尊重に基づく相互理解は成立します。つまり、文化や宗教に違いがあろうとも、共存することができないわけではありません。少なくとも、相手方が自らの生命や身体などに攻撃してくるかもしれないという恐怖を感じることなく、相手方と接することができます。しかしながら、一方が寛容であっても、もう一方が非寛容である場合にはどうでしょうか。寛容側は、当然に、非寛容な思想や宗教も多様性の一つとして認めるのですが、もう一方の、非寛容側は、寛容側の存在を認めるはずはありません。非寛容側は、決して寛容側の存在を認めず、自らが信じる思想や宗教一色に塗りつぶされた世界を理想としているからです。寛容の精神を掲げるキリスト教、及び、リベラリズムのヨーロッパと、非寛容なイスラム教徒との間のアンバランスな関係。この関係こそが、ヨーロッパがテロ対策に昆明を極めている土壌でもあります。寛容が非寛容を容認することは、自己矛盾を来すと共に、排他主義に基づく相手方の攻撃性をも容認するという意味のおいて、自殺行為にもなりかねないのです。

 しかも、さらに事態を悪化させているのは、こうした問題提起に対するマスコミやメディアなどの見て見ぬふりの態度であり、知識人でさえ、正面から議論しようとはしていません。最初から、結論は”多様性の尊重と相互理解”と決め付けているかのようです。移民政策反対の政治的主張に対しては、極右のレッテルを貼り、一般の人々には忍耐を説くのみです。イスラム問題の解決を探るならば、”寛容と非寛容は共存できるか”という素朴、かつ、最も基本的な問題を避けては通れなず、この問題は、イスラム教徒自身も考えるべきではないかと思うのです。

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深刻化する製造業と金融業の利益相反

2016年03月23日 14時32分06秒 | 国際政治
シャープ、出資減受け入れへ=鴻海提案に応じ1000億円
 景気後退の中、中国政府の音頭取りもあって、中国企業の海外ブランド買収熱は未だ冷めず、目を見張るばかりの旺盛な買収活動を世界規模で展開しています。その一方で、中国企業の抱える対外債務も巨額に上っており、買収資金の出所も、案外、海外資本である可能性も否定はできません。

 中国に対する最大の貸し手国はイギリスなそうですが、こうした海外資本の積極的な対中投資の背景には、製造業を捨てたイギリスの強みがあります。産業革命の発祥の地でありながら、イギリスは、既に”世界の工場”の座を他国に明け渡し、1980年代から90年代にかけては、サッチャリズムの掛け声の下で金融立国を目指しました。名だたるイギリス・メーカーの殆どが、今日では、海外企業に買収され、経済の柱は金融センターであるシティーに移っています。ウォール街を擁するアメリカもまた、金融への集中が中間層崩壊の元凶として指摘はされているものの、金融シフトの先陣を切った国です。金融業界からしますと、製造業の分野では、先進国企業よりも経済成長率の高い新興国企業の方が、より有望な投資先であるからです。すなわち、新興国で安価な製品を大量生産し、先進国に輸出すれば、高い資本回収率を達成できるのです。

 しかしながら、別の言い方をすれば、先進国の金融機関が新興国の事業拡大路線を資金面で支える行為は、先進国における製造業の衰退を加速させています。技術力やブランドの獲得を目的とした新興国企業による先進国企業の買収も、その資金を貸し付けている限りにおいて、先進国の金融業にとりましては望ましい展開であり、それ故に、多額の資金が新興国に融資されているのです。一国のレベルで見ますと、この現象は、製造業と金融業との間の深刻な利益相反に他なりません。製造業を既に捨てた国では、この利益相反は、然程強い抵抗を受けませんが、日本国のように製造業を維持している国では、この問題はより深刻となります。

 もっとも、金融業界は大量失業の受け皿にはなり得ないため、米英でも、このような金融シフトは既に曲がり角に来ており、アメリカ大統領選におけトランプ共和党候補の躍進も、その背景に製造業崩壊による雇用不安があることは疑いようもありません。”金融栄えて国滅ぶ”では元も子もありませんので、製造業と金融業との間に横たわる利益相反に如何に対応するのか、政府も民間も、知恵を絞ってゆくべきではないかと思うのです。

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中国の次なる戦略の一手は白物家電市場席巻では?

2016年03月22日 15時16分22秒 | 国際経済
輸出支援で元切り下げず=IMFトップに確約―中国首相
 報道によりますと、中国の李克強首相は北京でIMFのルガルド専務理事と対談し、輸出支援を目的とした元相場の切り下げは行わないと確約したそうです。しかしながら、中国の”確約”が綿毛より軽いことは誰もが承知しております。

 ところで、中国企業による海外ブランドメーカの買収が急ピッチで進んでおりますが、一連の動きから推測される中国の産業政策の次なる一手は、白物家電市場の席巻です。日本国内では、台湾企業でありながら中国系とされる鴻海によるSHARP支援と、それに続く中国企業美的による東芝の白物家電部門買収に関心が集中しがちですが、かの米大手GEも、ハイアールに家電部門を売却しております。東芝の白物家電部門にハイアールが名乗りを挙げなかった理由は、海外での独禁法審査を避けるためであり、中国当局は、敢えてハイアールと美的の二つに買収企業を分けたからかもしれなせん。加えて、中国市場に進出した海外企業を買収してしまえば、工場移転といった外資撤退行動にも一定の歯止めをかけらることもできます。さらに、今後、”ゾンビ退治”、乃ち、公営企業の大量リストラに際しても失業の受け皿ともなり、中国にとりましては一石二鳥どころかそれ三鳥ぐらいの政策なのです。

 白物家電市場席巻は、中国にとりましては、国益に沿った有望な戦略なのでしょうが、この戦略が、採算性を無視した中国の過剰生産による白物家電の値崩れを引き起こすと共に、安価な中国製品に押される諸国の家電メーカーを苦境に陥れることは想像に難くありません。太陽光発電の分野でも、中国企業サンテックの過剰生産の煽りを受けてドイツ大手のQセルズが倒産しています。米政府が資金面からも後押しをした米太陽光発電パネルメーカーのSolyndraも倒産の憂き目に遭いました。

 仮に、中国が上記の戦略を描いているとしますと、標的とした大型買収が一段落するまでの間は元高を維持し、買収後に生産が軌道に乗った後には、輸出に有利な元安に誘導するはずです。国を挙げての戦略を展開する中国に対して、他の諸国は打つ手がないのでしょうか。家電大国でもある日本国にとりましても、裾野の広い産業なだけに、死活問題に発展しかねないと思うのです。

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キメラ化する世界が暴く欺瞞-共産主義と新自由主義の一体化

2016年03月21日 10時06分02秒 | 国際政治
米ホテル、キューバ進出=革命以来
 キューバとの国交回復を受けて、早くもアメリカの大手ホテルチェーンのスターウッド・ホテルズ&リゾーツ・ワールドワイドは、政府の承認を得たとしてキューバへの進出を発表しました。キューバもまた、中国と同様、政治分野では共産主義体制を維持する一方で、経済分野においては自由化路線に舵を切ったようです。

 中国やキューバの行動は、二つの政治思想の欺瞞を露わにしています。その一つは、勿論、共産主義です。共産主義の理想とは、平等な労働者による統治権力の独占であり、共産主義体制では、労働者が経済を全面的にコントロールするが故に、不平等や搾取はあり得ないはずでした。しかしながら、今日の共産主義国家は、改革開放路線を選択したことで、共産党員が特権階級化したソ連邦を遥かに凌ぐ富の集中が起きています。富の源泉とは、即ち、政府高官による市場の経済的利権の独占にあるのですから。この現状を見れば、誰もが、共産主義を支持するのは馬鹿らしくなるはずです。

 その一方で、新自由主義の源泉とされるリベラリズムもまた、共産主義国家の経済的躍進によって、その理想を打ち砕かれています。「経済発展は、民主化を促し、そして普遍的価値の共有をもたらす」とするリベラリズムの直線的な移行経路は、共産主義一党独裁国にあっては、経済が発展すればずる程に、何としても利権独占状態を維持したい政治の側の強い抵抗によってその道が閉ざされてしまうことを、全く予期しなかったからです。この結果、経済のグローバル化は、共産主義国家の支配者層のみを潤し、国民弾圧の温床ともなる政治的独裁を支えるのみならず、その悪しき体質をも裏口から海外へと”輸出”することにもなりました。昨今、非共産主義諸国にも蔓延してきた政府による政治腐敗を伴う中国寄りの政策や”プロ市民”による共産主義活動はその典型とも言えます。

 この理想とは真逆とも言える展開は、これらの思想の理論に重大な誤りが含まれていたからなのでしょう。それとも、陰謀論が主張するように、最初から共産主義と新自由主義は裏で手を結んでいる”仲間”であり、”人類家畜化”のために、左右に分かれて巧妙に人類を追い込できたのでしょうか(経済自由主義は保守派とも結合…)。

 キューバへの進出を決定したスターウッド・ホテルズ&リゾーツ・ワールドワイドは、先日、マリオット・インターナショナルからの買収案を白紙に戻しましたが、その理由は、中国金融大手・安邦保険集団が率いる企業連合から巨額の買収提案を受けたからなそうです。”赤い龍”は、アメリカ企業をも飲み込む勢いです。今日、共産主義と新自由主義のキメラに支配される世界が忍び寄っているとしますと、人類は、大いに警戒しなければならないと思うのです。

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合意では国際法上の”刑事事件”が解決しない理由-竹島問題の事例

2016年03月20日 14時42分33秒 | 日本政治
【教科書検定】尖閣諸島「固有の領土」記述せず6割も 検定意見相次ぎ、文科省「意識低い」と苦言
 近年、日本国においても竹島問題を記載する教科書が増えており、年々、国民の関心も高まっております。こうした中、名古屋大学教授池内敏氏の著書『竹島』が、”誰が分析しても同一の結論に至らざるをえない”と銘打って出版されたそうです。

 一切の感情論を排して著されたとされる『竹島』では、国際法上の領有権の問題としては、竹島は日本領であると結論付けているそうです。この見解は、”数々の資料から立証可能であり、日本国側の立場でもあります。ところが、最後まで読み進めると、竹島は日本領ではあるけれども、ICJへの解決付託は韓国側の拒否で困難であるから、韓国側との交渉で解決すべきとの”結論”を提示しているというのです。ここに、客観的分析結果と著者の主観的希望との二つの”結論”が出現するわけですが、”誰が分析しても同一の結論”が前者に限定されることは言うまでもありません。そして、この二つの”結論”は、政府間の合意では領土問題が解決しないケースがあることを浮き彫りにしています。竹島が、国際法上、サンフランシスコ講和条約においても認められている日本領である限り、韓国による武力行使を伴った不法占拠は、いわば”刑事事件”に当たるからです。刑事事件では、誰も、”犯人と交渉して問題を解決せよ”とは勧めません。犯人が、自らを罰することに合意し、強奪品を返すわけがないからです。国際社会においても同様であり、侵略や不法占拠といった国際法違反の行為については、『竹島』で述べられているように、両国政府間の交渉で解決するのは無理であり、否、没倫理的な方法ともなりかねないのです。

 となりますと、日本国政府は、竹島問題の平和的解決を望むならば、単独提訴であれ、あくまでもICJでの解決を目指すべきです。また、仮に、日本国が、”国際法の執行行為=侵略の排除”として竹島の奪還のために武力を行使したとしても、国際法において自らの行為を正当化できないこともありません。もっとも、国際社会では、平和的解決を行動規範として定めていますので、後者に関しましては、平和的手段が尽きた後の最後の手段ということになりましょう。竹島問題の本質は、韓国による侵奪行為にあるのですから、この問題は、国際法上の”刑事事件”として扱われるべきではないかと思うのです。

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*当初のタイトルには、”領土問題”と表記したのですが、この表記では、双方が相手の領有権主張を認める状態であると認識されますので、3月21日に”国際法上の刑事事件”に訂正しました。 なお、韓国は、紛争そのものが存在しないとする立場から、竹島が”領土問題”であることを認めていません。

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幅広い憲法解釈こそ集団的自衛権合憲の証では?

2016年03月19日 14時41分52秒 | 日本政治
 1946年11月の日本国憲法制定以来、その第9条をめぐっては激しい解釈論争が繰り広げられてきました。昨年の安保法整備に際しても、憲法学者から違憲論が提起されたことは記憶に新しいところです。

 ところで、日本国憲法第9条は、何故、かくも解釈の幅が広いのか、その理由に関する議論は低調であったように思われます。主たる論点は解釈そのものにあり、無条件に全ての戦争を放棄したと主張する完全放棄論から、戦争放棄の対象を侵略戦争に限定する条件付き放棄論まで、実に様々な解釈論が提起されてきました。しかしながら、考えてもみますと、こうした解釈の幅の広さこそ、日本国憲法第9条の真意を表わしているように思え得ます。そもそも憲法第9条は、自国の安全と保護を人類が希求すべき崇高な理想に委ね、防衛権までをも否定したマッカーサーによる憲法草案の作成に始まっております。その後、GHQ原案と日本政府による修正、さらに、国会審議における芦田修正等を経て成立しています。仮に、マッカーサー・ノート通りに、日本国が防衛権までをも放棄するつもりでしたならば、”…自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する”と憲法の条文として明記したはずです。修正を加えたこと自体が、当時にあって、万が一であれ、将来、日本国が外国から攻撃される場合を想定していたと考えざるを得ないのです。特に芦田修正については、GHQも極東委員会も、この修正により、日本国が自衛のための戦力を保持することが可能となったと解釈したそうです。

 日本国憲法第9条の成立過程は、崇高な理想を文面に残しつつも、日本国に有事に備える道を残したことを示しています。言い換えますと、憲法制定に際し、日本国が自衛権を行使し、軍隊を保持し得ると解釈できるように、第9条の文面は、微妙な表現に書き換えられたのです。日本国憲法第9条の解釈論争は、自衛権の行使を許すための苦肉の策の結果でもあり、そして、それこそが、個別的であれ、集団的であれ、日本国の自衛権行使が合憲である証なのではないかと思うのです。草案修正によって先人達が自衛権を確保したことは、今日の国際情勢を踏まえましても、やはり先見の明があったと言わざるを得ないのではないでしょうか。

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人工知能を用いた興味深い実験提案

2016年03月18日 16時02分04秒 | 国際政治
 現在、AI(人工知能)は、ディープ・ラーニングの登場により第三の波が訪れているそうです。専門家ではないので詳しい仕組みは分からないのですが、AI自らが問題を認識し、解を出すこともできるそうです。

 自動運転技術として注目されているのみならず、先日、AI対人間の囲碁対戦も実施され、4勝1敗という勝率においてAIが圧倒する結果となりました。ところで、AIを用いますと、興味深い実験を実施することができるのではないかと思うのです。第1の提案は、同一プログラミングのAI対AIの対戦です。兎角に”人間の能力を越えるのか”という観点から、AI対人間の対戦に関心が集まりがちなのですが、例えば、全く同一のAI棋士とAI棋士が対戦した場合、勝負を付けることができるのでしょうか。

 第2の提案は、異なるプログラミングのAIの間での対戦です。仮に、どちらかが勝利するとしますと、勝ったAIの方がより高い性能を示したことになりますが、となりますと、真の勝利者は、AIではなく、それを製作した人間ということにもなります。

 第3の提案は、同一の問題を、全てのAIに解かせてみることです。機械的な数的計算であれば、どのAIも同一の解をはじき出すでしょうが、より複雑な人間的な問題に対して、AIごとに解に違いがあるとしますと、人間と同様にAIにも多様な考え方があることを示すと共に、必ずしもAIの回答が正しいとは言えないことにもなります。

 専門家の説明によりますと、AIがどのようなプロセスで解に至ったのか、それをプログラミングした当のエンジニアにも説明することができないそうです。直ぐ先の未来技術としてAiが注目を集めている中、人間とAIの違い、そして、今後、さまざまな分野に応用されてゆくと推測されるAI技術の欠点を知る上でも、こうしたAI同士の実験を、ぜひとも実施していただきたいと思うのです。

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中国による国際法秩序破壊への備え-弱肉強食の世界

2016年03月17日 15時27分09秒 | 国際政治
中国公船3隻が領海侵入=今年6回目―沖縄・尖閣沖
 南シナ海における領有権問題に関し、仲裁裁判所での決定を中国が受け入れず、あくまでも、実力行使を貫く場合、国際社会は甚大な危機に直面します。国連海洋法条約からの脱退は中国にも不利益をもたらすものの、仮に、国際法によって保護されている利益よりも国際法秩序を破壊した方が自国の利益になると判断した場合、中国が、後者を選択する可能性も皆無ではないからです。

 それでは、中国によって国際法秩序が破壊された場合、国際社会は、どのような状態に陥るのでしょうか。国際社会における主権国家の独立性や主権平等の原則も、国連憲章を含む国際法あってのことです。国際法秩序の消滅とは、国際社会が弱肉強食の世界に回帰することに他ならず、軍事力こそが、唯一の秩序形成力となります。仮に、中国が、他の諸国に抜きん出た軍事力を有するとしますと、他の軍事力に劣る弱小の国家は属国となるか、植民地化されることでしょう。となりますと、唯一、中国の支配から逃れる道は、中国を上回る軍事力を保有する以外にはなく、際限なき軍拡競争が開始されるものと予測されるのです。そして同時に、中国の軍事力を間接的に削ぐために、経済面における制裁をも強める必要があり、これまでの対中経済関係の全面的見直しも急務となります。加えて、NPTによる核拡散防止も無意味どころか、無法国家に対する軍事的特権の付与となり、当然に見直しを迫られることでしょう。むろん、国連が中国から攻撃を受けた国を援けてくれるはずもありません。

 中国は、自らが軍事的弱小国家であった時期においては国際法秩序の恩恵を受けながら、軍事大国に上り詰めた途端に、それを破壊しようとしております。国際法秩序の破壊という自らの行為によって、中国自身も法の保護を捨てるわけですから、『羅生門』の如く、たとえ自らの主権や領域等を侵害されたとしてもそれを認めざるを得なくなります。中国には、その覚悟があるのでしょうか。国際社会は、中国の選択を固唾を飲んで見守っております。

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