今般、日本国内で使用されているワクチンは、何れも遺伝子ワクチン、あるいは、核酸ワクチンと称されています。その理由は、高度な遺伝子組み換え技術が用いられているからなのですが、このネーミングにより、多くの人々は、同ワクチンの接種により自己のDNAが書き換えられてしまうような印象を受けます。このため、ワクチンに対する恐怖心を高めてしまう原因ともなっています。しかしながら、’遺伝子組み換えワクチン’の真の怖さとは、別のところにあるように思えます。
ネット上などで流布されている’遺伝子組み換えワクチン’の恐怖とは、上述したようにワクチンを接種した側、つまり、ヒトのDNAにおける塩基配列の改変です。ワクチンに含まれているmRNAが接種者の細胞内のDNAに逆転写され、自己のDNAに組み込まれてしまうというリスクが人々の恐怖心を掻き立てているのです。接種を境に自分が自分ではなくなるかもしれないのですから、ワクチン接種を忌避したい人が続出しても不思議ではありません。そして、バクテリオファージやHIVをはじめウイルスの多くは逆転写酵素によってDNAに逆転写されますので、この恐れは非科学的なものとも言えないのです。
もっとも、ヒトに対する遺伝子組み換え疑惑は、ワクチン接種推進派の人々や製薬会社からの反論を受けています。その反論とは、mRNAは極めて脆弱であり、極めて短期間で分解されてしまう性質を持つ上に、今般の遺伝子ワクチンには逆転写酵素の遺伝子配列は加えられていないため、DNAの逆転写はあり得ないとするものです。この説に対しては、幹細胞等に含まれるテロメラーゼが逆転写酵素として働く可能性は排除できないとする反論もあるのですが、’遺伝子組み換え人間’の出現は、政府もメディアも’デマ扱いしております。
確かに、ワクチン接種者がゾンビ化するといったSFじみた説は、リスク情報を全て否定したい人々にとりましては、デマ説の格好の餌食となる要素はありましょう。しかしながら、視点を人からmRNAに転じますと、遺伝子組み換え問題は別の様相を呈してきます。何故ならば、確実に遺伝子組み換えが施されているのは、接種されるmRNAであるからです。
mRNAは、それが自然由来であれば、人の遺伝子組み換え説に対する反論において説明したように、確かに短期間で消滅します。しかしながら、ワクチン用、あるいは、治療用に開発された人工のmRANは、その脆弱性を克服するために遺伝子操作が加えられているそうです。その主たる操作とは、RNAの四つの塩基の内ウリジンをメチル・シュード・ウリジンに置き換えるというものです。厚生省の資料にも、「全てのウリジン残基がN1-メチル・シュード・ウリジン残基に置換された4284個のヌクレオチド残基からなる1本鎖RNAである」とあるそうです。この遺伝子組み換えの効果は劇的です。何故ならば、人工的に修飾されたmRNAは、体内にあって核酸分解酵素では分解できない上に、RNAの翻訳効率を10から数十倍に劇的に上昇させるというのです。同操作によって抗体は大量に産生されるのでしょうが、その反面、修飾されたコロナワクチンのmRNAは、DNAへの逆転写が起きなくとも、人体にあってスパイク蛋白質を長期に亘り生成し、かつ、滞留するリスクを格段に上げるリスクを示唆しているのです。
遺伝子ワクチンには数々のリスクが指摘されていますが、それ固有のリスクの一つは、mRNAを体内に投与するという方法そのものよりも、遺伝子が組み替えられた自然界に存在しない人工mRNAが体内に投与される点にもあるのかもしれません。そしてそれは、ワクチン接種のその瞬間から人々の健康を脅かすかもしれないのです。政府やメディアは安全性のみを強調しつつ、懸命にリスク情報を排除していますが、抗体の効果も短期的であり、変異株によってワクチン効果が減滅してしまう可能性もあるのですから、国民は、同調圧力に飲まれることなく、ワクチン接種については冷静に判断すべきではないかと思うのです。