万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国民の“自由な選択”が国民を縛る民主主義のパラドクス

2017年09月30日 16時32分24秒 | 日本政治
自民34%、希望19%…比例投票先・読売調査
 昨今の日本国の政治状況と混乱ぶりは、現行の政治システムの欠陥を自ずと浮かび上がらせているように思えます。その一つは、政党主導型の選挙方式では、民主的選挙が国民を一定の方向に誘導する非民主的手段となるという、民主主義のパラドクスです。

 通常、憲法において国民の参政権と政治的自由が保障されており、多党制の下での普通選挙が実施されている国家であれば、民主主義国家のカテゴリーに分類されています。民主主義諸国のカテゴリーに入る諸国ではこれらの要件を満たしており、国民も、自国が民主的国家であることに疑いを抱きません。しかしながら、民主主義を“国民の、国民による、国民のための政治”と述べたアブラハム・リンカーンの言葉を思い浮かべますと、実のところ、上述した要件のみでは、民主主義が実現したとは言い難いように思えます。

 民主主義とは、被統治者の一部が、被統治者の信託を受けて統治権を預かる自治体制です。選挙とは、統治権を行使する公職、即ち、政治家を選ぶ制度であり、普通選挙が民主主義の要となるのも、それが自治を実現するためには必要不可欠であるからです。民主主義の基本的な流れは、「国民⇒政治」なのです。ところが、現行の政党政治のシステムでは、この流れは逆方向を向いています。政治家、否、政党が自ら率先して政策を国民に立案し、国民に選択を迫る「政治(政党)⇒国民」となっているのです。

 一般の国民は統治のプロではありませんので、専門家としの政治家が政策を立案すること自体は理に適っており、取り立てて批判すべきことでもありません。しかしながら、国民の要望や要請(「国民⇒政治」)、あるいは、必要性が存在しないにも拘わらず、唐突に政党側が政策を並べて公約とし、一括方式で国民に選択を迫るとしますと、そこには、一方的に政策を国民に強要する非民主的で傲慢な支配者の顔が見えてきます(「政治(政党)⇒国民」)。

すなわち、すべての政党が、特定のイデオロギーや思想をバックにしており、外国や内外の特定組織への利益誘導を目的とし、公約の一括方式を悪用して悪しき政策を混ぜ込んでいる場合には、教科書的には‘選挙とは、国民の自由な政治的な意思を表示する手段’でありながら、実質的には‘選挙とは、国民が、自らの首を自らの手で絞める手段’に過ぎなくなるのです。

例えば、二大政党制の場合には、A党もB党も、社会改造主義に基づく諸政策を公約として掲げれば、国民は、どちらを選んでも、政府による上からの改造計画の対象にされてしまいます。しかも、民主的国家では、選挙結果は政権の正統性を支えますので、国民に著しい不利益を与えたり、国民の生活基盤を破壊したり、国民性や常識に反する政策であっても、議論らしい議論を経ることもなく、それは、国民が自らの自由意思で選択したということにされてしまうのです。実際には、政党による選択の強要であるにも拘わらず…。

 現行の政党政治の仕組みは、明らかに政治プロセスに問題があるように思えます。このパラドクスを解くためには、まずは、「国民⇒政治」という本来の流れを取り戻すべきなのではないでしょうか。民主的選挙を重ねれば重ねるほど、国民が政党によって一方的に政策を押し付けられ、自治から遠ざかる仕組みは、真の民主主義ではないと思うのです。

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国民不在の政界再編劇-露呈したのは既存政治システムの限界

2017年09月29日 11時25分14秒 | 日本政治
安保も消費税も…希望と民進、政策に「溝」
政治家は、常々、“改革”や“刷新”という言葉で国民を惹きつけます。根底からひっくり返えす “革命”はその極致ですが、特に現状に不満を抱く有権者が多いほど、これらの言葉は、悪弊や腐敗が一掃されて新しい時代が始まる予感を抱かせるのです。しかしながら、衆議院解散を機に俄かに噴出した政界再編の動きを見ていると、真に変えるべきは、政党の枠組ではなく、政治のシステムではないか、とする疑問が湧いてくるのです。

 政界再編とは、既存政党間の離合集散に過ぎず、政党政治という枠組み内の再編成です。いわば、“コップの中の嵐”であり、たとえ新しい政党が誕生したとしても、“コップ”の中から出ることも、“コップ”を壊すこともできないのです。あくまでも政界における政治家達のグルーピングの変化であり、全体としてのその顔ぶれには然して変わりはありません。しかも、今般の日本国の政界再編は、外部から“コップ”の中をより明瞭に見えるように(操作できるように?)、凡そ二つに整理することを目的としており、新たなグルーピングに際しても、入党基準となる政治信条や基本的な政策方針を設けているわけでもありません。自民党は、しばしば左右が共存する包括政党と称されましたが、希望の党もまた、選挙での勝利を共通利益とする左右の寄せ集めとなったのです。

 こうした政界の再編劇の結果として困惑し、窮地に立たされたのは、一般の日本国民です。これまで政治を舞台に鋭く対立していた政治家達が仲よく政党を同じくする同士として顔を揃えており、しかも、政策綱領を見ますと、どちらの政党を選択しても、政権政党による政策内容の取捨選択の如何によっては、国民にとりまして望ましい結果をもたらすとは思えないのです。

メディアが報じるところによれば、自民党を選択すれば、プラス面としては対北制裁強化や中国の軍拡や朝鮮半島有事に備えた防衛体制の整備が期待できる一方で、マイナス面としては、カルト系利益集団の公明党との連立のみならず、消費税率は10%に上がり一般国民の家計を圧迫します。一方、希望の党を選べば、プラス面としては10%消費税率上げが凍結されるとしても(ただし、永続性については不明…)、原発廃止は経済的にはマイナスに作用しますし、民進党が合流するのでは、防衛や安全保障面においても親中親北に転じる可能性があります。もっとも、両党のどちらを選んでも憲法改正への道筋がつくという点では、いずれにせよ、プラスの評価できるかもしれません(ただし、改憲内容によっては、マイナス評価となる可能性もあります)。

 多党制は、一党独裁と比較すれば、国民が複数の政党の中から自由な選択できる点において、民主主義のメルクマールとされてきました。しかしながら、上述したように、政党が一方的に一括選択方式の政策綱領を作成し、その選択を、政治家を選出する選挙と同時に選ばせるシステムには、根本的な弱点があります。複数の政党が裏で結託したり、何れもが上部において操作されていたり、あるいは、何れの政党も一部の利益に奉仕する政党であるといった場合には、民主主義の証であるはずの多党制においても、国民の選択は無意味になるのです。政治的権利や自由は保障されていても、悪しき意図を持つ者によって具体的な選択肢が操作されれば、一党独裁よりは“まし”な程度であり、民主主義はもはや死滅したに等しくなります。

 今般の政界再編劇は、まさに、民主的多党制の欠陥を露わにしています。現在、国民主権、民主主義、そして自由を守るために問われているのは、“コップ”の中の改革ではなく、内部から腐り、外部からの支配の道具となるリスクの高い“コップ”のままでよいのか、という統治制度に関わる根本的な問題なのではないでしょうか。投票率の低さは、政治システム自体への国民の不審や不信感を示唆しているのかもしれません。

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強引なる二大政党制への“日本改造計画”か?-国民不在の政界再編

2017年09月28日 15時33分07秒 | 日本政治
前原氏「希望に合流」表明=民進、常任幹事会で了承【17衆院選】
 衆議院解散を機に、先日、希望の党が小池百合子東京都知事を代表として発足しました。時を置かずして、党勢の退潮傾向に歯止めがかからない民進党が同党への合流を表明し、政界再編に向けて日本国の政治体制の流動化が加速しています。

 あれよあれよという間に、自民党対希望の党という対立構図が形成され、“危機突破解散”であったはずが、“政権選択選挙”とまで称されるようになりました。しかしながら、この急速な動き、背後で日本の政治家達を上部から操る糸が見え隠れするのです。

 小池氏の政治手法は、東京都知事選からして、フランスのマクロン大統領と瓜二つでした。既成政党の不人気を追い風にし、政界における新風を求める有権者の期待を集めて選挙に勝利し、その勢いを勝って議会選挙を制する手腕は、見事と言うよりも計算され尽くされたかのようです。小池氏も、柵に囚われない政治の実現を強調し、‘日本をリセットする’と主張しております。旧態依然とした頭の固い“古いタイプの政治家”に対峙し、颯爽と登場するヒーロー、あるいは、ヒロインの方が、選挙においては有権者の心を掴みやすいのです。こうした劇場型の演出は、小泉元首相の手法とも共通しております。

 ここで一つ、指摘し得ることは、目下の一連の政界再編の動きは、表面的には目まぐるしい離合集散ぶりを呈して混乱しているように見えながら、その実、二大政党制への転換を終着点にしているのではないか、ということです。つまり、個々の政党やキーパーソンとなる政治家達が、個々別々に判断、行動しているように見えながら、大局的に見れば、そこには一貫した計画性が推測されるのです。小池氏は、東京都知事選を利用して二大政党制の一翼を担うべく新党の結成を準備し、民進党の前原代表がほぼ独断で解党を決定し(そもそも、党代表に“解党権”があるのでしょうか…)、日本の心の中山代表は、希望の党に保守色を加えるために自ら離党して参加し、自民党さえ、二大政党制への道を敷くべく、都知事選から日が浅く、国政での新党躍進の機運が萎まないこの時期に、敢えて衆議院を解散したのかもしれないのです(あるいは、小池氏が公明党の山口代表を首相候補に挙げたのも、この計画にその名があったかもしれない…)。そして、たとえ日本国に二大政党制が出現したとしても、この計画が外部による日本支配プロジェクト、即ち日本改造計画の一環である限り、一般の日本国民は、どちらの政党を選んでも不利益を被るように巧妙に操作されることでしょう。

 二大政党制へとひた走るこれらの動きは、単なる偶然の一致なのでしょうか。折も折、米軍による空爆の可能性が高まる北朝鮮問題のみならず、10月18日には、中国において習近平独裁体制の成立が予測される中国共産党大会(第十九次全国代表大会)が控えており、東アジアには、不穏な空気が漂っています。何れにしても、日本国内の動きの背景には、強引に日本国を二大政党制に移行させたい何らかの国際勢力の思惑が動いている気配があり、一般の国民の多くは、国民不在の政界再編に困惑しているのではないでしょうか。仮に上記の推測が正しければ、日本国の独立性、並びに、民主主義は重大な危機を迎えます。とは言うものの、政界の動きのあまりの不自然さに同計画に気が付く国民も多く、今後、計画者が描いたシナリオ通りに進むのかは分からないと思うのです。

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北朝鮮の厚かましい特権願望-核兵器は保有したいがNPT体制は維持したい

2017年09月27日 15時02分50秒 | 国際政治
「北朝鮮にとって壊滅的」=軍事的選択肢で警告―米大統領
 北朝鮮の核開発問題は、NPT体制の行方と密接不可分に結びついています。アメリカでも、北朝鮮の核保有を認めた場合の日本国や韓国の核武装が議論されていますし、北朝鮮の擁護者である中国が恐れるシナリオも、日本国の核武装であるとの指摘もあります。誰もが、北朝鮮の核保有が承認されれば、当然に、他の諸国も核武装に走ると予測するからです。

 ところが、北朝鮮だけは、違ったシナリオを描いています。それは、アメリカを含む国際社会が北朝鮮を責任ある?核保有国の一員として公式に認め、北朝鮮もまた、NPT等の国際法上の責務を引き受けるというものらしいのです。北朝鮮は、”NPTを崩壊させて、全ての国が核を保有すればよい”とは決して主張しないのです。NPTに違反して核保有の既成事実化を図りながら、いざ核開発に成功すれば、今度はNPT上の核保有という安保理常任理事国と並ぶ特権的な地位を要求するのですから、その常識を逸した厚かましさには驚かされます。中国やロシアといった核保有国さえNPT上の責務を果たしていない状況にあって、北朝鮮が核保有国としての義務を誠実に果たすとは思えません。

 こうした傲慢不遜な態度は、“might is right”、即ち、核保有=他国に優位する特別な地位、という発想しか金正恩委員長の頭にはないからなのでしょう。この特権を得んがために、国民生活を犠牲にし、国際社会を騙し、国際法を破ってまで核開発を国家の最重要目標に据えたと推測されるのです。核を保有し、特権国グループに仲間入りすれば、他の非核保有国を見下す高みに登れる、と…。北朝鮮にとりましては、核保有こそ、“逆転劇”の切り札のはずだったのです。

 しかしながら、この野望も、自らの核保有によってNPT体制が崩壊してしまえば、絵に描いた餅に過ぎなくなります。もはや核保有は特権ではなくなり、非核保有国に対する核による脅迫や恐喝も通用しなくなるからです。また、将来に亘って、NPT体制を崩壊させた張本人の犯罪国家としてのレッテルが付きまとうことでしょう。つまり、現実には、核を保有したところで得るものは少なく、北朝鮮は、その傲慢な自己中心的思想である主体思想が祟って、自国の核保有が世界にもたらす結果を読み違えたのです。北朝鮮は、”核兵器は所有したいが、NPT体制は維持したい”という虫の良い要求は、最早あり得ないことを理解すべきなのではないでしょうか。

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公明党の山口内閣誕生こそ真の“国難”では?

2017年09月26日 14時01分46秒 | 日本政治
小池百合子都知事「首相指名は公明・山口那津男代表がいい」
 衆議院選挙を前にして、昨日、小池百合子東京都知事が代表に就任した希望の党。ところが、本日、10月の衆議院選挙後に開かれる国会での首相指名には、公明党の山口那津男代表を推すという驚くべきニュースが飛び込んできました。

 希望の党は、10%への消費税税率上げを凍結するという公約において、有権者から一定の支持を集める可能性がありました。実のところ、選挙の結果として自民党と希望の党が連立を組み、公明党を外すことができれば、政治面では憲法改正や防衛体制の強化が実現する一方で、経済面では消費税は8%で据え置かれ、一般の国民にとりましては、最適とまでは言わないまでも、容認し得る政策の組み合わせが実現できるとの期待もあったのです。しかしながら、公明党の山口代表を首相とする山口内閣を構想しているとしますと、一般国民の淡い期待は裏切られ、もはや、希望の党に対しては、不安感や警戒心しか持たれないのではないでしょうか。

 おそらく、この判断は、都議会において隙間風が吹いている公明党との関係修復を狙った党利党略なのでしょうが、連立政権において少数派であった社会党から党首を出した村山内閣と同様に、歴史に禍根を残す結果となる恐れがあります。何故ならば、誰もが知るように、公明党の母体は、新興宗教法人の創価学会であるからです。そして、日本国における創価系内閣の誕生には、以下のような重大なリスクがあります。

 第1に、創価学会と言えば、生死不明ながら池田大作名誉会長を“教祖”として崇めるカルト教団であり、フランス、オーストリア、ベルギー、チリなどでは、危険な教団としてカルト指定を受けています。一説によれば、信者がスパイや工作活動等にも従事していたため、特に公的行政機関では警戒されているそうです。仮に、日本国の創価系内閣が誕生したとなりますと、国際社会における日本国の信頼性は著しく低下することでしょう。

 第2に、創価学会は、池田氏の出身地が北朝鮮地域とする説が根強く、実際に、教祖に絶対的な服従を求める体質は、北朝鮮の独裁体制と類似しています。信者の動員力も並外れており、教団の祝祭行事などでは、北朝鮮と同様にマスゲームが演じられているそうです。しかも、創価学会は、“総体革命”という名の日本国乗っ取り計画を遂行してきたとされています。実際に、信者を、皇室をはじめとした公的機関に大量に送り込んできました。山口内閣が成立すれば、日本国は“金王朝”ならぬ“池田王朝”へと変貌する可能性があり、皇室典範の改正による女系天皇の即位を画策するかもしれません。天皇の元首化なども並行して行い、不敬罪の復活を伴う“池田王朝”の実現を目指すかもしれません。

 そしてそれは、第3に、日本国の安全保障上の危機でもあります。今般、安倍政権では、核弾頭の小型化とICBM等の開発・保持を急ぐ北朝鮮に対して制裁を強めてきましたが、山口政権に替れば、韓国の文在寅大統領と同様に親北政策に転換する恐れがあります。人道目的とはいえ多額の対北支援を実施し、対北包囲網を綻ばせる可能性が高いのです。また、アメリカによる武力行使の可能性が高まっている中、自衛隊の指揮権を公明党の首相が握るという極めて危うい状況が現出します。元より公明党や創価学会は、反日親北のスタンスなのですから、同盟国であるアメリカに対しては背後から足を引っ張り、日米同盟をも崩壊に導くかもしれません。

 加えて、中国との関係をみましても、親中傾向にも拍車がかかることでしょう。常に日本国を敵視した発言を繰り返す中国の王毅外相は創価大学に留学していた経歴の持ち主です。中国は、山口内閣の誕生を機に、長期政権を実現すべく後ろ盾の役割を買って出ることでしょう。それは即ち、日本国の中国への従属と全体主義化に他なりません。

以上に述べた危険性を考慮しますと、今後予想される最大の国難とは、公明党山口内閣の誕生となるのではないでしょうか。“国難突破解散”の結果として、真の国難が訪れるとしますと、希望の党による山口代表の首相指名は、日本国民、ならびに、日本国に対してあまりにも罪深いと思うのです。

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“外国・移民ファースト”は正しいのか?

2017年09月25日 15時49分44秒 | 国際政治
米大統領、北朝鮮含む8カ国を入国制限=身元審査で協力得られず
アメリカのトランプ大統領は、“アメリカ・ファースト”を掲げて国民の支持を拡大させ、大統領選挙に勝利しました。イギリスのEU離脱の決定も、国民が、増え続ける移民に対してイギリスらしさの維持を選んだ結果とされています。しかしながら、こうした選択に対しては、利己主義的である、あるいは、差別的であるとする批判があります。

 “アメリカ・ファースト”については、歴史的には、第二次世界大戦に際し、ナチスドイツによるユダヤ人迫害に目を瞑り、アメリカの不介入を唱えた政治団体の名と同一であるため、特にユダヤ系の団体が反発したとも推測されます。しかしながら、トランプ大統領の唱えた“アメリカ・ファースト”と同スローガンへの支持拡大は、今日的な現象として捉えるべきです。経済分野においては、行き過ぎたグローバリズムの結果として破壊された中間層の苦境に対しての訴えであり、選挙遊説中にあっても、同スローガンは、政治的なモンロー主義への回帰よりも、製造業の海外移転、安価な外国製品の輸入増による倒産、及び、移民の増加によって職を失った人々の救済に力点が置かれていました。財政面においても、国民が納めた税金は、海外に流されるよりも、国内に優先的に配分されるべきとする主張に過ぎません。また、治安面における難民・移民制限は、自国民の安全を第一とする措置であり、麻薬密売や密入国が横行するメキシコ国境地帯における治安の悪化や米国を敵視する国からのテロリストの国内流入を阻止するためには、国境管理の強化は避けては通れない一面があります。これらの側面は、イギリスのEU離脱とも共通しています。

 国家の基本的な役割が、外部の脅威から国家・国民の安全を守り、国民生活の豊かさに資するような経済・財政を実現し、あらゆるリスクを排除して社会内部の安定を維持することにある以上(国民は、納税等の義務を負うのと引き換えにこの重要な役割を自らの属する国家の政府に委託している…)、自国や自国民の優先は、当然過ぎるほど当然のことです。この当然性は、逆に“外国・移民ファースト”を基本原則として実行すれば、どのような事態に至るのかを想像してみれば、容易に理解できます。この方針では、防衛や安全保障分野にあっては外国や外国人に対する無血開城を意味し、経済・財政面では、かつての植民地と同様に外国や非国家勢力による自国経済の支配や搾取がもたらされかねません。無制限に移民を受け入れれば人口比は時を経ずして逆転し、歴史に裏打ちされた固有の文化や伝統も多文化の中の一つに転落し、その担い手の減少と共にやがて融解してゆくことでしょう。つまり、“外国・移民ファースト”を基本方針に据えれば、国家、並びに、国民は速やかに解体分解されますので、自殺行為となるのです。いざと言う時に、その国の国民を護る機関は消滅しており、自らを自らの手で救うことは叶わなくなります(国家の独立性も民主主義も失われる…)。この破滅的で悲劇的な側面は、全ての諸国において等しく言えることであり、利己主義や差別といった批判には当たらないのです。

 しかも、“自国・自国民ファースト”へのメディア等の批判の背景には、背後から“外国・移民ファースト”政策を推進することで、自らの身を隠しながら“国家消滅”へと誘導する拡張主義的な国家や非国家組織の影も見え隠れします。特に非国家組織は、国境や領域、国民の連帯、国家への帰属意識、国家に対する義務、固有の文化や慣習、治安当局の取り締まり、安全のための各種規制等を、自らのグローバルな事業展開、あるいは、世界支配の阻害要因と見なしているからです。今般、連邦議会選挙で四期目の続投を確実にしたドイツのメルケル首相と、支持率を落としているとはいえ、フランスのマクロン大統領の政策方針に共通性や呼応性が見られるのも、中枢となる非国家組織の方針に従っているからなのかもしれません。

 そして、日本国も、“外国・移民ファースト”政策の問題に直面していると言うことができます。保守系とされる自民党の政策でさえ、外国企業を優遇する戦略特区や移民受け入れ拡大といった“外国・移民ファースト”の政策が散見され(国民が容認したわけでもないのに、今や、短期間の内に中国系を中心に在日外国人が200万人にも膨れ上がっている…)、野党に至っては何処の国の政党なのか分からないような状態です。“日本ファースト”、あるいは、“国民ファースト”の政党名が取り沙汰されていた小池百合子東京都知事の“新党”も、結局は、“希望の党”という党名に決まったそうです。

 今般の衆議院解散において解散理由の一つとして挙げられている10%の消費税率上げ(民主党の野田政権時の国際公約…)や教育無償化等の政策も、国連のSDGsとのリンケージが推測されますし、“人づくり革命”の発想にもどこか社会主義的な人間改造の思想との共通性が見られ、これらの政策は、非国家組織からの要望に応えたのでしょう。北朝鮮問題に関心が集まっていますが、こうした混乱期にこそ、隠れた“外国・移民ファースト”政策、並びに、内部からの“国家消滅”にも十分に警戒すべきではないかと思うのです。

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諸悪の根源は“金王朝”軍事独裁体制

2017年09月24日 15時25分33秒 | 国際政治
ミサイル「米全土到達」警告=トランプ氏に猛反発―北朝鮮外相
 北朝鮮の李容浩外相は、9月23日に国連総会においてトランプ大統領の演説を批判し、国際社会に向かって先制攻撃をも辞さない構えを示したと報じられております。この演説、いわば、“無法国家宣言”、あるいは、“宣戦布告”と言っても過言ではなく、北朝鮮という国が如何に危険な国であるのか、自ら証明しております。

同演説では、“いざ戦争となれば、自殺行為となるのはアメリカの方であり、無辜のアメリカ市民が犠牲となってもその責任は、トランプ大統領にある”とも述べております。常々、北朝鮮は、自らへの批判を相手国に対して“おうむ返し”をし、対等の立場を保とうとしています。しかしながら、アメリカ、並びに、北朝鮮を批判する常識的な諸国は、北朝鮮を国際法に違反する“悪しき国”と認定しており、犯罪国家として成敗される対象でこそあれ、対等の立場とは認めていません。これらの国からしますと、凶器を手にした犯罪者が警察官に面と向かって、“お前やお前の処の無辜の一般人を俺様が殺しても、お前の責任だ”と言っているように聞こえるのです。この言い分は、聞いている方としては唖然とさせられるのですが、北朝鮮は、本気なのです。

何故、北朝鮮は、こうした倒錯した発言ができるのか、その理由を探りますと、第一に、そもそも、法の役割も法秩序をも理解していない点を挙げることができます。中国大陸でも、“道徳とは他者を縛るためにある(自分自身は拘束されない…)”と考えるそうですが、北朝鮮も同様であり、北朝鮮は、法の存在は認識していても、それは、自らの利益のために悪用する対象でしかありません。その証拠に、北朝鮮の法解釈の基本姿勢は、反対解釈です。反対解釈とは、ある法律が特定の行為を禁じている場合、禁じられていない行為は全て許されるとするものであり、北朝鮮は、この解釈法を以って法の抜け道を探しては合法性を主張し、自己正当化を図ろうとするのです。

第二に、北朝鮮の体制を支える主体思想そのものが、理性から逸脱した危険思想であることです。同国の建国の理念であった共産主義も、暴力革命や虐殺を是認する危険思想ですが、加えて主体思想は、独裁者、並びに、自国の主体性のみを絶対化する利己主義の権化のような思想です。言い換えますと“自己絶対主義”であり、この思想の下では、一般国際法(法)も二国間条約(合意)も意味はなく、常に「自分が正しい」、すなわち、自身を“絶対善”とみなしますので、自国に敵対する諸国や勢力、及び、主体思想と相いれない価値観は無条件に“絶対悪”として見なされるのです。つまり、同国に対して善悪の区別を説いても、無駄と言うことになります。

第三に指摘し得る理由は、休戦中とはいえ、朝鮮戦争以来の戦時状態こそが、“金王朝”軍事独裁体制を支えている点です。北朝鮮側が、今般の問題を南北統一の政治問題として見なしたい背景には、犯罪国家の認定を避けたい思惑と並んで(もっとも、他の諸国は既に認定している…)、戦時非常状態こそ、あらゆる国際法の拘束から逃れる口実であると見なしているからです。国家防衛を根拠や理由に挙げれば、如何なる違法行為も許されると信じているのです。国際法でも正当防衛権は認めていますが、攻撃兵器の開発と保有を目論む北朝鮮のケースは明らかに過剰防衛です。国家存亡の機と言うほどの差し迫った脅威がないにも拘わらず、北朝鮮は、国際法で定めた行動規範を逸脱し、暴力を唯一の手段とする無法者として行動しているのです。そして、恒常的な戦時状態なくして“将軍様”の存在意義はない故に、本心では平和の到来を怖れ、現状維持を望んでいるのでしょう。平和が訪れれば、外敵に対する団結を理由に国民に貧しい生活を強い、搾取することは最早にはできないのですから。

 このように考えますと、諸悪の根源は、危険思想や狡猾な思考が複合的に絡み合いながら体制化された北朝鮮という国そのものにあるように思えます。即ち、“利己的他害性”と言う悪の本質を是として建国された北朝鮮の体制が存続する限り、北朝鮮問題は、根本的には解決しないのではないでしょうか。人類を無法地帯に変貌させかねない北朝鮮という国の消滅(体制崩壊)こそ、人類にとりましては、悪の排除という側面において朗報であると思うのです。

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トランプ米大統領の降伏勧告―“完全破壊”回避には北朝鮮の白旗しかない

2017年09月23日 15時48分31秒 | 国際政治
米大統領、水爆実験なら「大惨事」=高官も「前例ない侵略」と警告
 先日、9月19日の国連総会におけるトランプ米大統領の初演説は、北朝鮮に対して“完全破壊”という極めて厳しい表現を使ったことで注目を浴びました。早々、北朝鮮の金正恩委員長は反発を露わにし、9月21日には批判声明を発表しています。

 この声明文におけるトランプ大統領批判の内容の大半は、そのままそっくり金委員長自身に当てはまるのですが、特に上記の“完全破壊”という言葉に強い反応を示し、「“完全破壊”という歴代のどの米大統領からも聞いたことのない、前代未聞の無知で粗暴ならっぱを吹いた。…反人倫的な意思を国連の舞台で公然と言ってのける米大統領の精神病的な狂態は、正常な人の物事の筋道と冷静さも失わせる。…」といった罵詈雑言を並べ立てています。しかしながら、金委員長は、この声明によって自らの墓穴を掘ったのではないでしょうか。

 歴史を振り返りますと、“完全破壊”と同様のフレーズを史上初めて使った米大統領はトランプ大統領ではなく、トルーマン大統領です。この言葉を耳にしたとき、真っ先に思い浮かんだのは、第二次世界大戦にあってアメリカ主導の連合国が日本国に対して降伏を勧告した、かのポツダム宣言です。同宣言の末文には、「右以外の日本国の選択は、迅速且完全なる壊滅あるのみとす」とあります。北朝鮮に対する演説部分も、ポツダム宣言と同様に条件付きであり、「…アメリカ、並びに、同盟国の防衛のために致し方ない場合には、我々は、北朝鮮を完全に破壊する以外に選択肢はなくなるであろう」と述べているのです。金委員長は、恰も無条件でアメリカが北朝鮮の壊滅を企図しているかのように批判していますが、トランプ大統領の演説は事実上の降伏勧告であり、金委員長に対して速やかなる降伏か、否かの選択を迫っていると理解されるのです(北朝鮮は国際法違反を繰り返す犯罪国家なので、“降伏”の意味合いは犯罪者の投降に近い…)。

 となりますと、“完全破壊”が実行されるか否かは、北朝鮮の独裁者である金委員長の決断にかかっています。仮に、非難声明において糾弾したように、同委員長が“完全破壊”を本心から“反人倫的な意思”と認識しているならば、自らが白旗を上げて投降すれば、“完全破壊”は回避され、北朝鮮の国民は大参事に見舞われることなく救われます。今般の同委員長の声明は、あるいは降伏勧告の拒絶の意思表示かもしれませんが、北朝鮮に残された時間は僅かしかなく、仮に、降伏を拒めば、後世の歴史書には、北朝鮮の“完全破壊”の全責任は、数々の国際犯罪に手を染めつつ、自己保身のために誤った決断を行った同国の独裁者にあったと記されることとなりましょう。

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北朝鮮問題-善悪を区別しない人々の問題

2017年09月22日 10時54分21秒 | 国際政治
トランプ氏、対北朝鮮制裁強化の大統領令に署名 資金源根絶へ
 北朝鮮問題をめぐっては、何故かアメリカと北朝鮮を同列に扱い、双方を同等に“悪”と見なして批判する意見が聞かれます。しかしながらこの批判、善悪の区別を判断基準から外しているのではないかと思うのです。

 近年、子供向けのアニメやドラマにおいて、“正義の味方”の活躍をテーマとするものがめっきり減っているようです。毎回、狂暴な怪獣や闇の世界の邪悪なボスなどを、勇気に溢れたヒーローが恰好よく退治するというワンパターンの繰り返しなのですが、多くの子供達は飽きもせずにこうした勧善懲悪のストーリーに熱中したのです。ところが、“正義の味方”の減少と軌を一にするかのように、メディアでは善悪の区別を曖昧化する善悪相対化論が蔓延るようになり、勧善懲悪は、子供の世界のお話として嘲笑されるようにもなりました。“大人の対応をせよ”と、悪の排除はあたかも子供レベルの幼稚な思考として侮蔑するニヒリスティックな傾向が顕著となるのです。

 しかしながら、善悪の区別は、果たして未熟で低レベルの思考なのでしょうか。メディアに限らず、御伽話などの子供向けのお話に勧善懲悪ものが多い理由は、幼少期から善悪の区別を付けさせる、あるいは、その能力を育成するための効果的な教育方法であったからのように思われます。悪の本質とは、利己的な目的による他害性にありますので、長じて他者や社会を害することなく、他者をも慈しむような立派な社会の一員となるよう、子供の発育・発達レベルでも分かるように善悪の基準や“善き大人”としての行動規範を単純なストーリーして描いているとも言えましょう。そして、悪を退治し、人々を魔の手から助け出すためには、勇気という美徳を要することも。

 この観点から見ますと、勧善懲悪をせせら笑う人々は、実のところ、“善き大人”ではなく、人としての基本能力を忘れてしまっている人々であるのかもしれません。『旧約聖書』の「創世記」でも、アダムとイブは、“善悪を知る木の実”を食したことで、神の如く正邪の区別を付ける能力を得たとされています。この人類誕生の物語は、動物とは異なる人間性の根幹に善悪を区別する能力があることを示しているのかもしれません。ところが、今日にあってこの能力を無視する人々が生じており、善悪の曖昧化と相対化は、人間性の否定に繋がりかねない危険を潜ませていると言わざるを得ないのです(勧善懲悪の減少と犯罪組織の影響力拡大がリンケージしているようにも見える…)。

 今日の北朝鮮問題は、「主体思想」という自己中心思想を掲げる北朝鮮による加害性の暴力主義に端を発しています。悪の本質が加害性にあることは上述しましたが、1950年の朝鮮戦争の発端と言い、今般の核・ICBM開発と言い、何れもが、北朝鮮が利己的動機から他国、並びに、国際法秩序への攻撃を企てた結果です。こうした行為が、国際法に照らして“犯罪”、あるいは、違法行為に当たるのみならず、金正恩委員長は、自国民に対しても虐待という罪を犯しているのです。客観的な視点から善悪を判断しますと、“悪”と明確に認定されるのは北朝鮮の側です。北朝鮮が平然と人類の善性を悪用し得るのも、首脳部の思考にも真の意味での善悪の区別が欠如しているからとしか言いようがないのです。そして、北朝鮮の“悪”に目を瞑り、同国の犯罪とアメリカの制裁を同列に論じる論評も、その自覚の有無に拘わらず、“悪の味方”に堕しかねないのではないでしょうか。

現在、アメリカは、国連の枠組と並行して、独自制裁のレベルを一段と上げ、北朝鮮に対する締め付けを強化しています。しかしながら、中国とロシアが北朝鮮擁護の姿勢を崩していない状況では、経済封鎖の効果は限られています。国連が機能しない以上、アメリカの武力行使のみが“悪”の排除を可能とするならば、それは、善、即ち、正義の力の行使として是認されるのではないかと思うのです。

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天皇・皇后高麗神社参拝の政治的危険性

2017年09月21日 14時55分57秒 | 日本政治
「皇室」のニュース昨日9月20日、天皇・皇后両陛下は、私的旅行としつつも埼玉県日高市の高麗神社を日本史上において初めて参拝したそうです。ネット上では既に批判の声が聞かれますが、その理由は、高麗神社とは、北朝鮮との関連が深い歴史を有する神社であるからです。

 7世紀後半の東アジアは、唐による極東征服事業が本格化した動乱の時代にありますが、668年に高句麗が唐・新羅連合軍によって攻め滅ぼされると、高句麗王族等の遺民は日本国に亡命しております。その後、朝廷は、716(霊亀2)年に高句麗の遺民1799人を武蔵野国に移住させて高麗郡を設置していますが、高麗神社は、日本国に帰化した高句麗の王族とされる高麗若光を祭る神社です。そして、高句麗こそ、現在の北朝鮮の地域にあった古代朝鮮の王国に他ならないのです。

 高句麗滅亡から凡そ1300年以上が経過した今日にあっては、当時の高句麗遺民もすっかり日本国に同化しており、住民の方々も取り立てて朝鮮半島由来の歴史を意識していないかもしれません。しかしながら、北朝鮮情勢が緊迫化している中での天皇・皇后参拝となりますと、否が応でも、そこに政治的リスクを読み取らざるを得ないのです。

 第1のリスクは、日本国による北朝鮮に対する宥和姿勢の表れとして誤解される可能性があります。現行の日本国憲法では、天皇の地位は“日本国及び日本国統合の象徴”と定められています。北朝鮮からすれば、象徴である日本国の天皇が、史上初めて高句麗由来の神社を訪れる行為は、自国に対する友好アピールと映ることでしょう。

 第1に関連して第2のリスクは、今般の訪問が、“参拝”と報じられている点です。近年、天皇・皇后両陛下は、朝鮮半島への謝罪訪問を計画しているとの観測が流されていましたが、“参拝”ともなりますと、祭神である高麗若光の前に拝礼する、即ち、頭を下げたものと推測されます。つまり、”参拝”は、日本国が北朝鮮に対して屈服する構図として理解さえる恐れがあります。

 第3のリスクは、朝鮮半島有事に際して予測される北朝鮮難民の発生を念頭に置いた、日本国による難民引き受けのメッセージとなる可能性です。上述したように、大和朝廷は、古代にあって、戦争によって滅亡した諸国の遺民を受け入れています。あるいは、近代に至って日本国に渡ってきた在日韓国・朝鮮人を意識した、諂いのアピールであるのかもしれません。

 以上に述べたような重大な政治的リスクを考慮しますと、‘現皇室’は、一体、誰のために行動しているのか、自ずと疑問が湧いてきます。時期が時期だけに意図的な選択と計画としか考えられず、それが“日本国を海に沈める”と言い放つ暴力国家、即ち北朝鮮に秋波を送るものであるならば、日本国、並びに、日本国民に対する背信行為となりかねないと思うのです。

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衆議院解散に大義はあるのか?

2017年09月20日 15時36分33秒 | 国際政治
安倍首相 25日に会見 解散に踏み切る理由を説明へ
訪問先のインドから安倍首相が帰国した途端、俄かに持ち上がった衆議院解散論。取ってつけたかのように、解散理由として、消費税率10%上げと歳入増加分の“人づくり革命”の財源化が謳われていますが、どのように考えましても、この説明には納得できない部分が多すぎます。
 
 第1に、消費税率を10%に上げる方針が示された際に、政府は、巨額の財政赤字を解消するために増税は必要不可欠であると国民に説明してきました。財政健全化のためであるならば致し方ない、として増税を支持した国民も少なくなかったはずです。ところが、今般、当初の目的を“人づくり革命”なる目的に変更するとなりますと、国民は、政府に騙されたと感じるでしょう。また、置き去りにさ財政健全化を口実にして、将来的には、消費税率が10%からさらに12%、15%、20%と吊り上げてゆくのではないか、と国民は身構えることでしょう。

 こうした疑問に対しては、増税目的の変更を実現するためにこそ、衆議院を解散する必要がある、とする反論が返ってくるかもしれません。しかしながら、第2に疑問な点は、この争点が、総選挙に訴えるほどの緊急性が認められないことです。“人づくり革命”については、大学無償化等の方針も示されているため、実現性や政策効果等については様々な批判や慎重論もあります。また、“人づくり革命”なる不穏な用語が出現してから半年も経ておらず、時間をかけて十分に議論を尽くすべき議題でもあります。現時点で国民に是非を問うには無理がありますし、早急な判断は迫ることは、国民に対して酷でさえあります。

 第3の不審点は、メディア等の報道によれば、加計学園問題等で低下傾向にあった自民党支持率が持ち直し傾向にあることが、首相が解散を決意した理由として指摘されていることです。自民党支持率の主たる回復要因は、北朝鮮問題に対する現政権の毅然とした姿勢にあると推測されますので、今の時期に解散に訴えるならば、憲法改正等を含む北朝鮮問題への対応を国民に問う方が筋は通っています。ところが、一般国民の関心も支持も高い安全保障分野ではなく、国民の負担増を意味する増税、並びに、怪しげな“人づくり革命”の財源化を選挙の争点と据えるのですから、国民も首を傾げざるを得ません。しかも、北朝鮮問題を基準に自民党に投票すると、自動的に増税等に合意する“抱き合わせ販売”なのですから、国民が、どこか騙されているように感じてもおかしくはないのです。

 そして第4の不審点は、解散が予定されている時期こそ、アメリカが対北武力行使に踏み切り、朝鮮半島が有事となる可能性が高いことです。国民の多くも、“よりよって、何故、この時期に…”と驚きを禁じ得なかったはずです。もちろん、総選挙を実施することで、北朝鮮系の議員を落選させるという思惑が隠されているかもしれませんが、有事に際して日本国政府は万全な対応がとれるのか、不安が残ります。また、総選挙は、政党レベルでの候補者の選定、並びに、情報操作や隠蔽次第では、逆に、親北派、あるいは、北朝鮮系議員を増やす結果となる可能性も指摘できます(韓国では、親北派の大統領が当選…)。

 以上に主たる不審点を述べてきましたが、首相の衆議院解散の判断と国民意識との間の“ずれ”は深刻なように思えます。自民党は、支持率の上昇を追い風にできると期待しているのかもしれませんが、国民にとって理解しがたい唐突な衆議院解散は、むしろ選挙に際して与党にマイナスに働き、結果として肝心な時期に日本国の政治が不安定化するのではないかと懸念するのです。

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自ら犯罪国家の道を選んだ北朝鮮

2017年09月19日 16時19分33秒 | 国際政治
防衛相 北朝鮮ミサイル 実戦的な能力向上の可能性
北朝鮮問題は、核兵器の国際的な規制を目的として成立したNPT体制と密接不可分の関係にあります。1970年3月5日に発効したNPT(核拡散防止条約)とは、一般国際法において国家の行動規範を定めた点において、国際法秩序、即ち、世界大での法の支配の確立に向けた流れの中に位置付けることができます。

 国際法秩序は、二度の世界大戦がもたらした戦禍に対する反省から人類がその必要性を痛感した文明の所産であり、様々な不備や欠陥を抱えながらも、凡そ国際社会の合意事項と見なされてきました。国連の仕組みも、基本的には法秩序をベースとしており、加盟国に対して法の誠実な順守を義務付けつつも、侵略など国際法で定められた行動規範に反する行動をとる国が出現した場合には、軍事的であれ、非軍事的であれ、必要な措置をとることができるように設計されています。

 この観点から北朝鮮の行動を見ますと、1991年に国連に加盟した時点で法の支配に同意したに等しいのですが、実のところ、同国は、国連加盟に先立つ1986年12月12日にNPTを批准しています。今となって考えて見ますと、この時から、同国の善性悪用戦略が始まったのかもしれません。何故ならば、朝鮮戦争の当事国であることを考慮しますと、NPT体制への同国の参加は、極めて不自然であるからです。

 朝鮮戦争は休戦協定が締結されているとはいえ終結しているわけではなく、いわば、朝鮮半島では、戦時体制が常態化しています。軍事的緊張は北朝鮮における軍事独裁体制の背景でもありますが、仮に、同国が、朝鮮戦争を民族統一戦争という政治問題の文脈において理解するならば(もっとも、北朝鮮が38度線を越えて南進したため、国際法の違法行為、即ち、侵略と認定された…)、NPTに批准することは、自国を絶望的なほど不利な状況に置くことを意味します。何故ならば、交戦状態に至った場合、核保有国であるアメリカとの間に使用兵器において圧倒的な差が生じるからです(因みに韓国は1975年にNPTを批准)。戦争の勝敗は、武器の優劣によって決せられるのが世の常ですので、戦略的観点からすれば、自ら核兵器の開発・保有を断念することは奇妙なのです。実際に、NPTにおいて核保有国と非核保有国の差が生じない紛争当事国でさえ、印パ戦争の当事国であるインドとパキスタンはNPTを批准せず、中東戦争の当事国であったイスラエルも、同様の理由から批准を見送ったと推測されています。

 北朝鮮の戦略とは、一先ずはNPTに加盟し、平和を愛好する非核国の一員を装いながら秘密裏に核兵器を開発することで、核保有国と同等の特権的な地位を獲得すると共に、他の非核保有国に対して軍事的な優位性を確立する、というものであったのかもしれません。平和の実現のために義務付ける核不拡散体制は、まんまと北朝鮮に悪用されたのです。しかしながら、NPT体制への参加は、同国が国際法秩序の形成に合意し、法の支配の価値を認めたことを意味します。乃ち、同条約を批准した以上、その規範に反する行動を取りますと、犯罪国家、無法者国家の認定を受ける結果を招くのは当然であり、今日、北朝鮮が、厳しい制裁を受けるのも自業自得なのです(なお、北朝鮮は、1993年と2003年にNPTからの脱退を表明しているが、脱退要件を満たしていないとして正式に承認されていない)。国際社会を騙し、国際法秩序を破壊しようとしたのですから。

 このように考えますと、北朝鮮は、国際法秩序を認め、その体制の内にありながら、後にそれに反したことで、法に反する犯罪国家への道を自ら選択したことになります。もはや、自国の核・ミサイル問題を、法律問題から政治問題に戻すことはできないのです(禁反言の法理…)。マスメディア等では、アメリカと北朝鮮を同列に扱う記事も見受けられますが、人類の退化と文明の破壊をもたらす北朝鮮の狡猾、かつ、暴力的行動こそ、厳しく批判されるべきではないかと思うのです。

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米朝“話し合い”路線のリスク-リベラルの‘まやかし’

2017年09月18日 15時35分12秒 | 国際政治
【環球異見・北朝鮮の核・ミサイル挑発】ウォールストリート・ジャーナル(米国)軍事攻撃は「最後の手段だ」「米国はまだすべての道具を使い切っていない」
アメリカによる軍事制裁、及び、北朝鮮の暴発リスクを抱えつつ、北朝鮮情勢については、何が起きてもおかしくない混沌とした状態が続いております。不測の事態もあり得る中、北朝鮮の後ろ盾となってきた中ロのみならず、ドイツのメルケル首相をはじめとするリベラル派を中心に、“話し合い”による解決が提唱されています。しかしながら、“話し合い”による解決を求める主張には、無自覚であれ、‘まやかし’があるように思えます。何故ならば、全く基本方針の違う米朝両国の“話し合い”路線を一緒くたにしているからです。

 アメリカの立場としては、北朝鮮問題の基本的性格は“国際刑事事件”であり、違法に所持した凶器(核兵器やICBM等)を振り回し、国際社会を脅迫する暴力主義国家への対応として側面が強く、武力行使も軍事的手段による危険の排除の意味合いが色濃くなります。いわば、犯人の手から凶器を取り上げる、即ち、国際社会における警察官の役割とも言えます。それ故に、アメリカが求める“話し合い”路線とは、警察官の突入前に降伏した犯人に対して、凶器の保管場所や製造場所を白状させ、これらを押収・破壊すると共に、二度と凶器を手にできないように厳重に監視することにあります。同路線における米朝対話とは、これらの目的を実現するための方法や手段を北朝鮮に通達する場なのです。
 
 一方、アメリカを“警察”ではなく“敵国”と見なす北朝鮮の立場からすれば、自国の核・ミサイルの保有・使用は、朝鮮戦争の延長線上にある“政治問題”です。北朝鮮は、武力による南北統一、並びに、自国の防衛を理由に、法で禁じられた兵器を開発・所有し、それを政治的目的のために利用しようとしてきました。ここに、国際法違反を伴う“国際刑事事件”の“政治問題”への巧妙なすり替えを見て取ることができます。しかしながら、たとえ“政治問題”であったとしても、北朝鮮が、朝鮮半島の統一を目的に“話し合い”の場を求めているとは思えません。その理由は、真に“話し合い”による南北の統一を願っているならば、そもそも核・ミサイルを開発する必要がないからです。言い換えますと、政治問題の解決のために核・ミサイルを開発したとすれば、その真の目的は、南北対等な立場での合意による統一ではなく、核を脅迫手段とした北朝鮮による赤化統一の強要としか考えられないのです。

加えて、北朝鮮の核・ミサイル開発の目的が、純粋に“政治問題”でもないことは、94年の米朝枠組み合意や六か国協議の経緯を見れば明らかです。核・ミサイルカードは、周辺諸国、並びに、国際社会から支援を騙し取る手段でしかなかったからです。核兵器、並びに、各種ミサイル等を保有した今日では、さらに犯罪性がアップし、“身代金要求”の脅迫手段となりつつあります。イギリスでは、アングロサクソン時代に、北欧のデーン人からの攻撃を免除してもらうために、デーンゲルトと呼ばれる貢納金を支払っていましたが、現代という時代にあって、北朝鮮は野蛮な無法時代の行為を蘇らせようとしているのです。そして、この立場からしますと、北朝鮮が意図する“話し合い”の場とは、“身代金”の額や、あるいは、貢納リストを相手方に示す場に過ぎないのです。

以上に述べたように、アメリカの基本的な“話し合い”のスタンスが、降伏した暴力国家に対する事後処理であり、北朝鮮のそれが、脅迫による赤化統一、あるいは、貢納の要求である限り、たとえ両国間で交渉の場が設けられたとしても、平行線を辿ることは目に見えています。しかも、平和の名の下で合意の成立を急ぐあまりに北朝鮮の路線に傾くような事態ともなれば、“脅迫”即ち国際犯罪の追認という“犯罪者の勝利”を迎えることとなりましょう。悪逆非道な独裁者が高笑いし、NPTを誠実に遵守してきた諸国が“馬鹿を見る”ような“話し合い”解決は、倫理に照らして間違っていると言わざるを得ないのです。

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北朝鮮の奇襲攻撃に警戒を

2017年09月17日 16時07分58秒 | 国際政治
グアム基地破壊「可能性10%以下」…米専門家
今月15日、北朝鮮が6回目となる「火星12」ミサイルを発射したのを受けて、国連安保理では、緊急の会合が開かれました。しかしながら、前回の決議において明記されていた“さらなる重大なる措置”は置き去りにされ、石油禁輸を含む制裁強化は見送られたのです。

 制裁レベルが現状に留まった理由は、先の制裁決議の効果を見守るためとの指摘もありますが、実際には、前回の内容が中ロの合意を得ることができる限界であったからなのでしょう。アメリカとしても、対北制裁レベルを上げる案を提起しても中ロの支持を得られる見込みはなく、最初から断念したと推測されるのです。このことは、時間との戦いである北朝鮮問題において、国連安保理を枠組みとした経済制裁路線が、およそ消滅したことを意味しています。

 となりますと、俄然、アメリカによる武力行使の可能性が高まるのですが、日本国政府やマスメディアの危機感は薄く、対応の鈍さが懸念されます。何故ならば、歴史的に見ましても、戦力において劣位する側は、相手国の戦争準備が整わない状況を狙って奇襲攻撃に訴える可能性が高いからです。書き辛いことではありますが、日本国もまた、太平洋戦争に際しては、宣戦布告の遅れが意図的であったのか、偶発的であったかの問題は別としても、相手国に先んじて真珠湾に攻撃を仕掛けることで緒戦を優位に展開しています(短期決戦論では、緒戦の優位な状況を以って早期講和に持ち込む計画であった…)。

 過去の事例からしますと、アメリカによる軍事制裁が現実味を帯びた時点で、北朝鮮による奇襲攻撃の可能性は否定できなくなります。戦前の日本国と今日の北朝鮮とでは全く以って時代状況、歴史的背景、及び、国家体制等も違いますが、純粋に軍事戦略の観点から見ますと、両国の違いを以って北朝鮮による奇襲の可能性を排除することはできないように思えるのです(むしろ、このリスクを否定する方が危うい…)。そして、仮に、奇襲攻撃が実行されるとすれば、その対象は、アメリカ本土に到達するICBMが完成していない現状にあっては、グアム島、あるいは、同盟諸国であると推測されます。度重なる「火星12」の実験は、射程範囲にあるグアム島への攻撃能力を誇示する狙いがあったとされていますし、また、今般の連続発射されたミサイルが日本国上空を通過した点を考慮すれば、アメリカの同盟国である日本国に対する直接的な威嚇であったとの指摘もあります。米政策研究機関「憂慮する科学者同盟」のミサイル技術専門家デビッド・ライト氏によれば、たとえ北朝鮮がグアムの米軍基地を狙ってミサイルを発射したとしても同基地を破壊する確率は10%程度なそうですので、北朝鮮は、グアムよりも命中確率がより高い、近距離にある日韓等の同盟国に先制攻撃の目標を定めるかもしれません。

 日本国政府は、仮に有事に至るとすれば、今年後半あたりを想定しているようですが、北朝鮮は、自己中心主義ともいうべき“主体思想”の下で行動していますので、開戦の時期についても主導権を握ろうとすることでしょう。武力行使の可能性の高まりは、同時に北朝鮮による奇襲攻撃のリスクをも高めるのですから、油断は禁物ではないかと思うのです。

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北朝鮮危機-日本国の国家安全保障会議はどうしたのか?

2017年09月16日 15時56分46秒 | 国際政治
北ミサイル、「常態化する恐れ」…外務省幹部
 2013年12月4日、日本版NSC(National Security Council)として鳴り物入りで設置された国家安全保障会議。ところが、北朝鮮危機が深刻な事態を迎えているにも拘らず、同会議が開かれたという報道は聞こえてきません。

 日本国政府は、国連安保理の緊急会合に向けての準備やアメリカとの調整に悩殺されており、国内的な対応が遅れているのかもしれませんが、北朝鮮問題に限らず、対外的な危機に際しては、国際レベルと国内レベルの戦略策定を同時並行的、かつ、整合的に策定する必要があります。どちらか一方でも手薄となりますと、全ての事態に対して柔軟に対応することができなくなります。

 本件に関しては、朝鮮アジア太平洋平和委員会は、朝鮮軍、並びに、国民からの声としながらも、“取るに足らない日本列島の4つの島を核爆弾で海中に沈めるべきだ”とする声明を発し、日本国、及び、日本人に対して“殺人予告”の如き言葉で敵意を露わにしています。実際に核兵器のみならず、日本列島全域を射程距離に含める中距離ミサイルも保有し、かつ、日本国内に破壊活動員に転じ得る在日北朝鮮人を配置しているのですから、脅迫の言葉を実行する能力をも備えているのです。日本国の安全保障は、極めて危うい状況にあるのですが、日本国政府は、北朝鮮に対する非難や抗議の言葉はあっても、Jアラートを発動するのみで、対策らしい対策は見えてこないのです。

 本来であれば、こうした危機にあってこそ、国家安全保障会議、特に日本国の総力を挙げて対応するには「9大臣会合」が、即、開催されるべきではないでしょうか。「9大臣会合」では、首相、官房長官、外相、防衛相(「4大臣会合」のメンバー)に加えて、副総理、総務大臣、財務大臣、経産大臣、国交大臣、国家公安委員長も参加します。北朝鮮に対抗し得る効果的な戦略策定には、日本国の資源、技術力、人材、予算を注ぎ込む必要があり、さらには民間にも防衛協力を求める事態も想定されます。否、前代未聞の危機だけに、前例踏襲を廃して、技術力等を有する民間の知恵やアイディアをも結集する形で対応を急ぐべき事態であるのかもしれません。

 国家安全保障会議の組織図や構成を見ておりますと、些か官僚主義的な側面があり、危機に対して敏速、かつ、機動的に活動できるのか疑問なところです。あるいは、同会議には、機密漏洩などの点で不備があるのでしょうか。日本国の運命と国民の命がかかっていながら、同会議も開催されず、日本国としての戦略が存在するのか否かも不明な状態に、国民の多くは不安を感じているのではないかと思うのです。

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