万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

GPIFの中国国債購入問題が示すイギリスの’二面性問題’

2021年03月31日 12時38分18秒 | 国際政治

 イギリスの小説家、R.L.スティーブンソンは、『ジーギル博士とハイド氏』という有名な小説を世に残しています。天使と悪魔が同一人物であったという驚きの二重人格者のお話なのですが、ディケンズの『二都物語』やオーウェルの『1984年』も、それに隠されたテーマは、善悪や真偽といった真逆の両面の一体化や融合がもたらす混乱にあるように思えます。そして、イギリスに纏わる’二面性の問題’は小説の世界限定ではないのかもしれません。戦後、長らく中東地域を不安定化してきたパレスチナ問題も、元を質せばイギリスの二枚舌外交に行き着くことができますし(もっとも、同ケースでは、二枚舌どころか三枚舌…)、今日なおも、イギリスの’二面性の問題’は、国際社会にあってあらゆる国や人々を翻弄しているように思えるのです。

 

 本日も、日経新聞にあって、日本国のGPIF(年金積立金管理運営独立行政法人)が人民元建ての中国国債の購入を検討しているとする記事が掲載されておりました。近年、世界最大の機関投資家ともされるGPIFは、資金の運用に際して海外債権や株式の割合を増やしてきており、今では、国内と国外の比率はおよそ半々となっています。しかしながら、これまで、GPIFは、海外債権の枠では中国債は購入しておらず、一先ずは、国民の同基金の運用に対する関心も薄く、GPIFに’お任せ状態’であったと言えましょう。

 

 ところが、今に至って、GPIFは、突然に中国国債の購入に舵を切ろうとしています。その理由は何処にあるのかと申しますと、イギリスの指数算出会社であるFTSEが、今年10月末から自らが提供している「FTSE世界国債インデックス(WGBI)」に中国国債を組み入れることを決定したからです。GPIFは、運用額凡そ180兆円の内、その凡そ10%弱に当たる16兆円余りを同インデックスと連動して運用しております。このため、WGBIとの連動性を維持しようとすれば、中国国債購入に踏み出さなければならないそうなのです。

 

 この記事から読み取れるのは、GPIFは、自らの判断で投資先を決めているわけではなく、海外のインデックスに従って資金を運用していた点です。中国債購入問題が持ち上がらなければ、国民の大半は、全額ではないにせよ、GPIFが、イギリスの民間指数算出会社に投資判断を依存していた実態を知らなかったことでしょう。今に至り、FTSEが中国国債に国際通貨ならず‘国際債券’、あるいは、‘グローバル債権’の地位を認めたことで、俄かに政治問題として浮上することとなったのです。日本国民から預かり、日本国民の老後の生活を支えるはずの大事な年金資金を中国につぎ込んでもよいのか、という…。

 

 中国国債の購入問題が政治問題となることは、当然と言えば当然のことです。軍拡を進める中国は、尖閣諸島問題のみならず、国際社会全体にとりまして重大な脅威です。有事に際しての’戦時国債’ではないにせよ、平時あっても、国債発行によって調達された財源は、軍事予算に投じられるでしょうし(軍資金に…)、国民監視体制の強化やウイグル人、チベット人、モンゴル人、そして香港人の弾圧にも使われることでしょう。一般の社会に喩えれば、暴力団に資金を提供するようなものですので、保険料を納めている日本国民の大多数は、自らの生命や財産を脅かすことになるようなGPIFによる中国国債の購入には反対するはずなのです。

 

しかも、人民元建てともなりますと、GPIFは、何れかの方法で人民元を調達する必要も生じます。外国為替市場から円売り元買いで調達するかもしれませんし、あるいは、日本国の外貨準備を活用するかもしれません(人民元の準備がない場合には、ドル売り元買いで調達?)。また、中国の通貨政策には不透明な部分がありますので、デフォルトを回避するために、輪転機で刷った人民元紙幣、あるいは、コンピューター上で’創造’したデジタル人民元を以って償却や利払いが行われる可能性もありましょう。

 

いささかお話が横道にそれましたが、何れにしましても、本問題の根本的な原因が、FTSEの方向転換となりますと、イギリスは、政治にあっては反中姿勢を強める一方で、経済にあっては逆に親中の方向に動いていることとなります。政治分野では、中国の侵略的な暴力主義や非人道的な行為を手厳しく糾弾し、巨悪と対峙する’正義の味方’である一方で、経済分野では、自らの利益のためには道徳も倫理もかなぐり捨て、巨悪にももみ手で媚びへつらう’悪い奴’なのです。イギリスは、まさしく、ジーギル博士とハイド氏という二人の人物なのです。

 

 世界の歴史を振り返りますと、二度の世界大戦というものも、イギリスの二面性によって説明され得るのかもしれません。そして、この二面性の問題の根源には、おそらく、ディアスポラ以来、流浪の民となりながらも、世界各国の権力の中枢に巣食うようになったユダヤ人の問題があるように思えるのです。この視点からしますと、ジーギル博士とハイド氏は、同一人物の二重人格者なのではなく、実は二人の別々の人物であり、イギリス政府内部の対立関係、すなわち、イギリスに巣食うユダヤ系勢力(ディープステート?)の問題を比喩的に表現しているのかもしれません。

 

グローバル化とは、イギリスのみならず、同二面性、あるいは、二重性が全世界に広がった時代、あるいは、表面化した時代でもあり、今日という時代は、’美しい言葉’や’明るい未来’の裏側をも慎重に読み取らなければならない時代なのかもしれません。コロナ禍やワクチン・パスポートのみならず、地球環境問題やデジタル化といった時代の波が押し寄せる中、人類は、二面性のからくりを見抜く洞察力こそ磨くべきと言えましょう。そしてそれは、国家の独立性という、古くて新しい問題とも繋がってくるのではないかと思うのです。


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デジタル庁の予算は国産行政サービス・アプリの開発に

2021年03月30日 12時34分57秒 | 日本政治

LINEによる日本国民、並びに、政府や地方自治体の情報漏洩問題は、日本国政府のITセキュリティー意識の度を超す低さを露呈することともなりました。ところが、驚いたことに、政府は、一時的には使用を停止したものの、地方自治体に対しては、LINEによるサービス提供の継続を許したというのです。国家機密さえ漏洩しなければ構わないという方針なのかもしれませんが、現時点では、LINE社が約束したサーバーの韓国からの移転は済んでおらず、中国人技術者の雇用のみならず、セキュリティーも100%ではないはずです。となりますと、今なお、情報が流出しているということになるのですが、全く以って、危機感の欠片もないのです。

 

 もっとも、たとえLINE社が公表したような再発防止措置を施したとしても、ITの専門家によりますと、気休めに過ぎないそうです。中国や韓国、あるいは、北朝鮮といった国家戦略として高度なサイバー攻撃能力を備えていますので、これらの標的となろうものなら、情報は全て盗られると考えていた方が良いそうです。政府によるセキュリティー提供のない民間企業であれば、なおさらのことでしょう。即ち、LINEに関わるリスクは、今後とも、日本国民にとりましては重大な情報漏洩のリスクになりかねないのです。

 

 政府には、公的な情報のみならず、国民の個人情報をも守る責務があります。しばしば、’国民を護る’と表現する時、その具体的な対象として国民の’生命’、’身体’、’財産’が列記されますが、これら三者は代表例に過ぎず、デジタル化が進展した今日、個々人の情報もまた、政府が護るべき対象です。易々と海外への漏洩を許すようでは、政府は、国民から託されている自らの役割を放棄していることとなりましょう。つまり、政府による国民に対する背任行為なのです。

 

 それでは、この問題を解決する方法はあるのでしょうか。最善の策は、防衛省が研究・開発しているセキュリティー・システムを応用し、自国技術を用いた行政サービス・アプリを開発することです。国であれ、地方自治体であれ、少なくとも行政サービスに用いられるアプリは、ハイレベルのセキュリティー保障が求められます。日本国政府は、国家機密さえ漏れなければ問題としないようですが、国民にとりましては、自らの情報が外国等に掌握されるとなりますと、最悪の場合、命の危険さえ覚悟しなければならなくなります(マイナンバーを含め、戸籍簿や住民票に記載されている情報も筒抜け…)。平時にあっては、高齢者は蛇頭といった中国人暴力団に狙われ、子供たちも誘拐される危険に晒されます。また、有事ともなれば、日本国内にあって’民兵化’した中国人居住者によって襲撃されるリスクもありましょう(中国は、有事にあって、日本国内に居住する中国人に動員をかけることのできる法律を制定している)。国民の個人情報もまた、決して’仮想敵国’の手に亘ってはならないのです。

 

 デジタル庁は鳴り物入りで設立されましたが、デジタル庁が、何にもまして優先して取り組むべきは、国家並びに国民の情報を護る高度なセキュリティー体制の構築なのではないでしょうか。LINE問題が表面化したことで、国民の多くも、その必要性を深く認識しているはずです。デジタル庁の予算は、セキュリティー分野にこそ重点的に割り振るべきなのではないかと思うのです。そして、個人間で使用されているメッセージ・アプリについても、日本企業による新規参入を後押しすべきではないでしょうか。


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集団免疫の’プラセボ’という選択

2021年03月29日 12時02分34秒 | 国際政治

 人種間の摩擦が今なお社会問題として残るアメリカでは、ワクチン接種に際しても、白人層と黒人層との間には、著しい意識や行動の違いが見られるそうです。報道によりますと、新型コロナウイルスへの感染率や死亡率は黒人層の方が高いものの、ワクチン接種率は低いレベルに留まるというのです。

 

 ワクチン接種が始まった当初、医療保険制度の脆弱性から、低所得層ほど接種に積極的であると報じられていました。発症すれば高額の治療がかかりますが、ワクチンを打って予防すれば、治療費を心配しなくても済むからです。この説明に従えば、黒人層の方に低所得者が多いとされていますので、黒人層の接種率の方が高くなるはずです。しかしながら現実は逆であり、現時点では、両者の間では接種率に2倍ほどの差が生じているというのです(東部ペンシルバニア州で白人16%に対して黒人5%、南部フロリダ州で白人18%、黒人8%…)。

 

 その背景には、大リーグで活躍したハンク・アーロン氏がワクチン接種後に亡くなったことも影響しているのでしょうが、黒人層のワクチン不信の源は、過去の起きた「タススギー実験」に遡るとされます。「タススギー実験」とは、1932年から40年間にわたってアラバマ州のタスキギー市で実施されたものであり、公衆衛生局が、無料で治療や食事を提供すると偽って貧しい黒人の人々を募り、実際には治療をせずに病状の経過のみを観察していたという事件です。人体実験とする批判を受けた事件なのですが、同実験の記憶があるため、黒人層は、今般のワクチンに対しても警戒感が強いというのです。

 

 もっとも、今般のワクチン接種では、白人層の方が高い率で接種していますので、黒人層のみをターゲットとした’人体実験’とする恐れは低いはずです。人種ごとに別のワクチンを使用している可能性はゼロとは言えないものの、「タススギー実験」がワクチン忌避の主たる要因であるのかは疑問なところです(むしろ、白人層の方が無警戒なのでは…)。そして、同現象において、何よりも不審に感じるのは、仮に、黒人層におけるワクチン接種率が低レベルであれば、黒人層の間で感染拡大が起きているはずなのではないか、というものです。

 

 人口10万人あたりの死亡率では、黒人は他の人種より1.4倍高いそうです。この状態でワクチン接種率が低いとなれば、黒人層の感染者数や死亡者数は白人層を大きく上回るはずですので、リベラル派のメディアは黙ってはいないはずです。ところが、黒人コミュニティーにおける感染拡大を伝える報道は殆どなく、ワクチンの接種率と感染や重症化を抑える効果、あるいは、死亡者数を減らす効果との関係は、はっきりとは見えてこないのです。

 

 新たな治療薬やワクチンを開発するに際しては、プラセボによる実験が行われるとされています。患者本人には知らせずに偽薬を投与することで、心理的な効果を排除した’真の実力’を確かめるための必要なプロセスなのです。ところが、ワクチン接種の目的とされる集団免疫については、プラセボを実施することができません。現状を見る限り、どの国の政府も、ワクチン接種に向けて全力疾走しているからです。その一方で、遺伝子ワクチンには中長期的なリスクがありますし、その効果につきましてもワクチンメーカーやWHOによる公表のみでは信頼性に欠けています。今般のワクチンは、何れも治験の全段階を踏まずして緊急に承認されていますので、「タススギー実験」まではいかなくとも、’人体実験’と批判されても致し方ない側面があるのです。

 

 ワクチン、あるいは、集団免疫の効果がはっきりせず、かつ、ワクチンそのものにリスクが認められる今般のようなケースでは、敢えてワクチン接種をしない、あるいは、低接種率に留まる国や集団があってもよいのではないでしょうか。ワクチンを接種したコミュニティーとしないコミュニティーとを比較しなければ、ワクチンの’真の実力’を証明することはできないからです。プラセボのように本人達に知らせない、ということはできませんが、黒人層の大半がワクチン接種を忌避するならば、無理に接種に誘導しなくともよいのかもしれません。そして、日本国もまた、感染率、重症化率、死亡率ともに低く、ワクチン接種に懐疑的な国民が多い国ですので、ワクチンの効果を確かめる上でも、政府が積極的に接種を薦める必要はないのではないかと思うのです。凡そ100%の接種率の国から凡そ0%の国のデータが揃い、人種等のDNA情報の違い等をも考慮した分析が行われてこそ、ワクチンの効果は、正確に評価し得るからです。

 

 ワクチンのリスクも効果も曖昧なまま、一方的にワクチン接種・プロジェクトが推進されている現状は、第二次世界大戦時における狂気をも思い起こさせます。如何に詭弁を弄しても、今般のワクチンには誰もが否定し得ない’人体実験’的な要素があるのですから、ここは開き直り、’実験的に摂取しない’とする選択もあるべきではないかと思うのです。


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中国・イラン25ヵ年協定が語る暗い未来

2021年03月28日 11時41分35秒 | 国際政治

 発足間もないバイデン政権のイランに対する出方が未だに定まらない時期をチャンスと捉え、先手必勝をモットーとする中国は、イランに対して次の一手を打ってきたようです。自由主義諸国が対イラン制裁を継続している中、中国は、イランとの間に25年の期間を設定した二国間協定を締結したと報じられています。双方の交換条件からしますとバーター取引の観が強いのですが(もちろん、貿易決済通貨が人民元となり、将来的にはイランが’デジタル人民元圏’に取り込まれることにも…)、同協定から見えてくる未来は、決して明るいものではないように思えます。

 

 第一に、同協定により、中国は、今後、25年間の長期にわたってイランから低価格で同国産の石油や天然ガスの供給を受けるそうです。25年後と申しますと、今年が2021年ですので、同協定の効力はおよそ2046年まで及ぶということになりましょう。ここで思い出しますのが、地球温暖化問題です。中国は、今後、積極的に脱炭素化を推進し、他の諸国よりは10年先とはいえ、2060年を目標に温暖化ガス排出量実質ゼロを目指すと公言しています。しかしながら、今般の協定締結により、イランから安価、かつ、独占に近い形で石油の供給を安定的に受けられるとしますと、中国は、脱炭素の国際公約を誠実に順守しようとするでしょうか。

 

中国の約束は、常々口約束に過ぎず、言葉通りに守られたためしは殆どありません。たとえ条約や協定として法文化されていたとしても、自らの都合が悪くなれば、いとも簡単に破り捨てられてしまうのです。脱炭素化の国際公約も、イラン産の石油が大量に入手できるとなれば、中国は、言葉では遵守を誓いながら、事実上、反故にすることでしょう。イランとの協定は、中国が石油の最大消費地となると共に、最大の二酸化炭素排出国となる未来を暗示しているのです。むしろ、’世界の工場’の立場を維持し、かつ、軍事的な優位性を保つために、石油の使用量を拡大させる可能性さえありましょう(戦闘機や戦車などに石油は必需品…)。これに加えて、世界各国の脱化石燃料エネルギーに向けた太陽光発電や風力発電などの需要にともなう発電施設などを大量に生産するために、大規模な工場を次々に建設し、二酸化炭素はじめ大気汚染物質を大量に排出し、地球環境の悪化を加速させるかもしれません。それは、他の諸国にとりましては、経済のみならず、安全保障上や環境悪化の脅威が増すことを意味するのです。

 

それでは、イランの側はどうでしょうか。次に、イランの未来を予測してみることとしましょう。同協定にあってイランは、エネルギー資源の提供と引き換えに、中国から日本円にして44兆円ともされる巨額の投資を受けることで合意しています。投資の主たる内容は、およそ3分の2がエネルギー部門なそうですが、残りの3分の1は、高速鉄道の整備や5Gの分野を含むデジタル化への支援に投じられるとも報じられています。今後、イランは、チャイナ・マネーによって、石油や天然ガスのさらなる開発、並びに、先端技術による生産性の向上に努めると同時に、上からのデジタル化が推進されることとなりましょう。そして、今日、世界規模で提唱されている「脱化石燃料化」にも逆行していることになりましょう。

 

イランと申しますと、厳格なイスラム教を基盤とする宗教国家であり、マホメットが生きた時代を理想郷とするのですから、現代のデジタル社会とは対極にあるイメージがあります。実際に、イランでは、都市化が進んだ自由主義国とは異なり、伝統的なコミュニティーが社会的な役割を担い、昔ながらの生活が営まれています。こうした社会にデジタル化が持ち込まれるとしますと、一体、何が起きるのでしょうか。中国もまた、農村社会の隅々まで強権によってデジタル化が持ち込まれたのですから、イランもまた、中国を範としてそのモデルを採用することとなりましょう。このことは、言い換えますと、イランもまた、中国式の徹底的な国民監視社会に変貌してしまう可能性を示唆しています。しかも、中国製の通信機器を全面的に導入するとなりますと、内蔵されたバックドア機能によって、政府から国民に至るまでのあらゆるイランの情報は、全て中国に筒抜けとなりかねません。イランの現為政者達は、これで体制が安泰するものと歓迎しているかもしれませんが、長い目で見ますと、イランの未来には、中国による実質的な遠隔支配、あるいは、’植民地化’が待っているかもしれません(イラン国内では、同協定に対する反対の声もある…)。

 

中国とイランとの間の25か年協定は、両国のみならず、国際社会全体に多大なる影響を及ぼすことが予測されます。‘裏取引’、あるいは、‘秘密協定’として中国によるイランに対する核開発支援が約されている可能性も否定はできず、日本国政府をはじめ、各国政府は、同協定に関する情報の収集と分析を急ぐべきではないかと思うのです。


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チベットやウイグルは’平和裏’に併合された―日本国が抗中一択な理由

2021年03月27日 12時38分11秒 | 国際政治

 ハイテク兵器により軍事力を飛躍的に増大された中国は、今や、国際社会における平和への脅威として認識されています。その一方で、14億の市場の魔力に惹きつけられてか、チャイナ・マネーに篭絡されてか、あるいは、共産主義に染まってか、自由主義国にあっても、中国に対する融和を唱える勢力は少なくありません。つい数年前には、’中国から攻められたらお酒を飲み交わして話し合えばよい’と発言し、世間を驚かせた学生団体もありましたし、中国とは戦わずして白旗を掲げるのが平和的解決とする意見も散見されます。

 

 こうした対中融和派の人々は、中国との間で戦争にさえならなければ、日本国民の命だけは救われると主張しています。戦争ともなれば、先の大戦のように日本国民の多くは命を失うが、戦争を回避して素直に降伏すれば、生きることだけはできるのだから、それで満足すべし、としているのです。たとえ日本国が中国の支配下に置かれる、あるいは、主権を失って属国となったとしても、命に優るものはない、と…。しかしながら、この見解、甘いのではないかと思うのです。

 

 今日、ウイグル人に対する中国による弾圧は、アメリカにあってジェノサイド(民族浄化)として認定される程、残虐極まりないものです。イスラム教徒の人々は棄教を迫らせ、漢人の大量移民、並びに、強制的な混血化や不妊化等によるアイデンティティー抹殺政策も報告されています。’ウイグル人’そのものがその存在を許されておらず、かの地では、特定の民族を丸ごと消去しようとする’民族浄化’が行われているのです。ウイグルのみならず、チベットにあっても、多くの人々の命が虐殺によって無残に奪い取られてきました。それでは、ウイグルやチベットは、中国と戦争をした結果として、このような悲惨な境遇に置かれることになったのでしょうか。

 

 歴史は、この問いに対して、’否’と答えています。世界史の教科書を開いても、中国とチベット、並びに、ウイグルとの間に戦争があったとする記述はありません。中国政府は、新疆ウイグル自治区を東トルキスタン政府との合意により、同地を合法的に併合したとしています。しかしながら、この併合、毛沢東の謀略によって遂行されています。大戦の混乱期にあってイリに拠点を移していた東トルキスタン政府の幹部が毛沢東の招きで北京に向かう途中で行方不明となり、イリに残っていた幹部の一人であるセイプディン・エズィズィという人物が北京にて共産党政府への服属を表明したことで、併合されてしまったのです。チベットもまた、軍事同盟条約、あるいは、保護条約に近い内容であった『十七協定』が詐術的な手法で締結されたのを口実として、中国が併合してしまった国です。両国とも、中国と武器を以って闘ったわけではなく、‘平和裏’に併合されているのです。

 

 人々の目を欺くような’合意’を演出した後、中国は、これらの諸国に人民解放軍を侵攻させ、一切の抵抗を廃してしまいます。チベットでは、土足で踏み込むような人民解放軍の進駐軍を前にして’熱烈歓迎’の横断幕が掲げられたそうです。そして、戦いなき’平和裏’における併合の結果こそ、今日のウイグルであり、チベットなのです。中国にとりましては、孫氏の兵法そのものを実践したこととなり、他国支配の成功例なのでしょう。

 

 そして、これらの成功体験に味を占めた中国は、日本国にも対しても同様の方法を試みることでしょう。近い将来、国民の合意を得ずして、もしくは、民意を無視して、日本国内の政治的混乱に乗じた政府内部のとある親中派の政治家、もしくは、国権と近い関係にあるとある勢力の’特使’が北京に赴き、習近平国家主席を前にして服属を誓うかもしれません。日本国には、自らを人民解放軍の野戦司令官と称した政治家もおりましたし、菅政権にあっても、親中派の政治家が幅を利かせています。あるいは、平和的な解決の名目で、日中間にあっても『十七条協定』が締結されるかもしれません。無法国家である中国に対しては、国際法も無力なのです。

 

 歴史に刻まれた忌まわしい事実は、日本国による対中融和政策が無駄であることを物語っています。融和政策は、中国に対して民族浄化のチャンスを与えるに過ぎず、中国は、’日本人’という存在を決して許さないからです。戦っても融和しても命を失うのであれば、前者の方が遥かに’まし’というものです(かつてモンゴル軍の侵攻を受けたフランスでは、国王が、座して死を待つよりも、戦うことを選択して国民を鼓舞したことにより形勢が逆転)。正義のために戦うのですから。このように考えますと、日本国の対中政策における選択肢は、抗中一択なのではないでしょうか。そして、今日、主権者である日本国民は、有権者でもあるのですから、政府が対中融和政策に傾かないよう、しっかりとその方向性を制御してゆかなければならないと思うのです。

 


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アジア人差別問題-日本国は名誉の回復を

2021年03月26日 12時09分43秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスのパンデミックが武漢から始まり、かつ、同地のウイルス研究所に置いて開発されていた人工ウイルスの疑いも濃いことから、世界各国では反中感情が広がっています。ウイグル弾圧も多くの人々が知るところとなり、アメリカでは、中国人と間違われた日本人が襲撃される事件も発生しています。アジアの人々が中国の悪行の’巻き添え’になるという、忌々しき事態が起きているのです。

 

 この状態が続きますと、アジア人差別は激化する怖れもあります。とりわけ、ヨーロッパ諸国には、モンゴル軍の来襲により多大なる被害を被った歴史がありますので、もとより、アジア人に対する感情は芳しくはありません。かのノストラダムスも、この世の終わりとして’アングルモアの大王’の再来を予言しておりますので、西欧の人々は、その深層心理においてモンゴル人、あるいは、モンゴロイド系の人々に対して恐れを抱いているのでしょう。残忍を極め、大量虐殺によって自らを滅ぼしかねない存在として…。近現代に至っても、ドイツ帝国のヴィルヘルム3世は’黄禍論’を唱え、脅威を煽っていました。そして、今日、中国は、あたかもノストラダムスの予言を的中させるかのように、全世界に災いを振りまき、その強大な軍事力は、人民解放軍という名の’現代のモンゴル軍’による世界支配を予感させるのです。

 

 どのような理由であれ、アジア人であることを理由に暴力を振るう行為は許されませんし、こうした行為は、れっきとした犯罪です。マスメディアでも、アジア人差別を糾弾する論調が支配的です。しかしながら、その一方で、人とは、他者をその言葉や行動で評価し、自然に好悪の感情が湧くものですので、中国に対する悪感情の広がりは理解に難くありません。日本国内でも、対中感情は年々悪化の一途を辿っており、その率は、アメリカをも上回っています。犯罪や違法行為には及ばなくとも、中国人が、全世界の人々から嫌われたり、忌避されることは十分にあり得ることなのです。

 

 同問題の解決策として、’差別をやめよう’と訴えることは簡単です。リベラル派の人々は、’差別反対’を万能薬と見なしているかのようです。しかしながら、国際法のみならず、人道に反する加害行為を繰り返し、他の諸国の人々に実害と潜在的脅威を与えている中国側に根本的な原因がありますので、同問題を解決策するには、中国自身が自らの行為を恥じて改心し、利己的他害行為を止める以外に他にありません。因果関係の順序は、中国が’因’なのですから。

 

それでは、中国は、自らを変えることができるのでしょうか。少なくとも、全ての責任を他者に転化し、法を破り、他者を害しながら平然と自らの正当性を主張する現体制の体質にあって、中国に’革命的な変化’を期待しても虚しくなるばかりです。否、狡猾な中国のことですから、’差別反対’を大義名分として、他の諸国の人々に対して’被害の甘受’、あるいは、’泣き寝入り’を強いるかもしれません。中国に対する正当な批判も、’差別発言’として取り合わないか、あるいは、あらゆる手段を使い、’ヘイトスピーチ’として封殺しようとすることでしょう。

 

中国が現状のままであるとすれば、日本人を含め、他の地域の人々から中国人との見分けがつかないアジアの人々は、正真正銘の’いわれなき差別’に苦しめられることとなります。これでは、中国人のみならず、全アジア人が非文明人として扱われてしまいかねません。中国の悪行の罪を他のアジアの人々まで背負わされるという状態は決して望ましくなく、ここで、何らかの対応策を考えるべきと言えましょう。そして、今こそ、日本国の’出番’でもあるのかもしれないのです。

 

まず考えられる策とは、日本国が、中国と明確に一線を画することです。日中間の価値観、国柄、並びに国民性等には大きな隔たりがあります。一党独裁体制を敷き、国際法を遵守せず、かつ、人権弾圧を常とする中国とは与せず、日本国は、自らの発言や行動でアジア諸国は中国のような国ばかりではないことを全世界に向けてアピールするのです。この点、ミサイル発射によって威嚇を繰り返す北朝鮮は、アジアのイメージを一層悪化させ、中国を利する‘裏切者’とも言えましょう。もっとも、二階幹事長が陰にあって仕切る菅政権も、中国との間の親和性において不安なところです。

 

中国としては、アジア差別は共通の課題として日本国に共闘を持ち掛けるでしょうが、日本国政府は、むしろ、中国人と間違われることによって発生する自国民への‘いわれなき差別’から自国民を護り、そして自国、並びに、アジアの名誉のためにも、民主主義、自由、法の支配、並びに、人権を尊重する文明国として立場を明確にすべきではないでしょうか。傍若無人に振舞う中国に対して批判を躊躇するようでは、アジア差別の問題解決は、遠のくのみではないかと思うのです。


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半導体は国産を目指すべきでは?

2021年03月25日 12時03分16秒 | 国際政治

 米中関係の悪化と並行するかのように、中国が自国技術での半導体開発に踏み切る一方で、アメリカもまた、半導体の国産化に向けた動きを加速させています。それもそのはず、半導体は、現代という時代における重要な’戦略物資’であるからです。米インテル社は、アリゾナ州に2兆円を投じて新工場を建設すると報じられています。仮に、米中開戦という事態に至った場合、’戦略物資’が相手国によって押さえられている、という状態は、決してあってはならないのです。

 

 ’半導体ウォー’は、1980年代の日米摩擦とは全く異なる局面、即ち、安全保障問題が絡む形で再発しているのですが、日本国政府は、半導体の問題をどのように捉えているのでしょうか。本日の日経新聞社の記事によりますと、日本国政府は、製造装置や素材において高いシェアを維持していることから、完成品の国内生産を半ば諦め、海外企業の誘致に政策方針の舵を切ったそうです。台湾のTSMCを念頭に置いているようですが、果たしてこの方針、日本国の安全、並びに、経済に資するのでしょうか。

 

 現在の半導体市場は、中国、台湾、韓国の三国が凡そ60%の生産を担っています。半導体が’戦略物資’であるとしますと、戦争遂行能力を左右する世界の’戦略物資’は、東アジアに位置する三つの国によって寡占されているとも言えましょう。日本国のシェアは、20%弱程度ですので、日本国を合わせれば、世界の半導体生産の凡そ80%が東アジアに集中しているのです。この状態は、近い将来、仮に中国が軍事行動に及んだ場合、半導体の生産力がかつての軍艦や戦闘機、そして、戦車等の生産力と匹敵するほど、戦局の行方に影響することを意味します。中国は、海外企業の半導体工場であったとしても、新型コロナウイルスのパンデミック時のマスク等の医療物資と同様に、国内法の下で速やかに禁輸措置が採られ、製造施設も接収されることでしょう。

 

そして、今日、親密度を増す中韓関係を考慮しますと、韓国は、必ずしもアメリカ陣営に与するとは限りません。しかも、韓国サムスン電子は、中国に対して巨額の投資を行っており、近年にあっても陝西省西安市に凡そ1.5兆円をかけて第二工場を建設しています。また、北朝鮮とは未だに休戦状態にある点からしましても、有事に際して韓国からの供給に期待することは難しく、‘当てにならない’状況にあります。

 

そして、今般、日本国政府が誘致に乗り出しているTSMCは、台湾企業です。現在、中国の脅威を前にして米台両国が結束して牽制しているとはいえ、習近平国家主席は、台湾に対する野心を最早隠してはいません。上院軍事委員会の指名承認公聴会にあってアメリカのジョン・アキリーノ次期インド太平洋軍事司令官も証言したように、中国による台湾侵攻もあり得るのであり、台湾は、必ずしも安全な場所ではないのです。

 

米中対立の最中にあって、中国、韓国、そして台湾の三国は、共に戦闘地となる可能性が高く、これらの諸国に半導体の供給を依存することは、日本国が、戦時にあって’戦略物資’の不足に直面するリスクを示唆しています。たとえTSMCの製造拠点を国内に誘致したとしても、中国による台湾の破壊と併合、TSMCの接収、サプライチェーンの分断等の事態により、戦時にあって日本向けの生産が継続されるとは限りません。日本国政府による海外企業誘致政策への転換は、安全保障の観点からしますと、疑問を抱かざるを得ないのです。

 

しかも、日本国内では、2020年10月に発生した旭化成の宮崎工場に続き、今年3月には、ルネサスの那珂工場でも火災が発生し、半導体工場が被災するという災難が続いています。半導体は’戦略物資’ですので、安全保障上の案件である可能性も否定はできないのですが、こうした事件は、半導体をめぐる国際的な攻防の激しさを暗に物語っています。半導体の供給不足は、日本経済のみならず、防衛や安全保障をも重大なリスクに晒すのですから、日本国政府は、半導体の国内生産こそ追求すべきではないでしょうか。工場の被災を機に、より生産性の高い製造施設へのリニューアルも検討すべきではないかと思うのです。


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中国への情報漏洩はLINEだけの問題ではないのでは?

2021年03月24日 15時18分48秒 | 国際政治

 日本国内にあって8600万人ともされる膨大なユーザーを獲得してきたLINE。飛ぶ鳥を落とす勢いであったのですが、ここに来まして、日本人ユーザーの個人情報のみならず、政府及び自治体の行政情報の中国、並びに、韓国への漏洩という重大な問題が持ち上がることとなりました。現在、政府や自治体レベルでは使用停止の措置が採られていますが、公人でありながら、私的利用の継続を宣言している平井卓也デジタル相のように政治家も見受けられ、国家情報漏洩の危機は去ったとは言えない状況にあります。そして、もう一つ、懸念すべきは、中国や韓国への情報漏洩は、LINE社だけの問題ではないのではないか、というものです。

 

 情報漏洩の経路は、複数存在していたようです。対中漏洩については、LINE社が、(1)北京、並びに、大連に開設予定の開発拠点の準備として、上海の関連会社にシステム開発を委託したところ、同社の中国人技術者が日本国内のサーバーにアクセスできる状態となったこと、(2)不適切内容の監視業務を国内企業に委託したところ、同社が大連の現地法人に再委託したこと、によるものです。韓国への漏洩は、韓国国内にLINE社のサーバーが設置されているところに起因しています。

 

 以上の状況からしますと、日本国の情報の海外流出のリスクとして想定されるのは、(1)業務の委託、あるいは、再委託先企業が外国企業のケース、(2)サーバーが海外に設置されているケース、(3)外国人技術者を雇用したケース(4)子会社や合併会社を海外に開設したケース、(5)海外企業と共同開発を行うケース、(6)開発拠点を海外に設置するケース…などです。いわば、デジタル化と一体化して進展してきたグローバリズムに付随するリスクとも言え、様々なルートにおいて漏洩のリスクが認められるのです。しかも、中国のように法律によって民間企業や個人に至るまで、入手し得た情報の政府への提供を義務付けている国であれば、情報の漏洩先は相手国政府ということになります。

 

 同問題を受けて、LINE社は、中国からの閲覧経路を遮断すると共に、韓国に設置されていたサーバーを年内に日本国内に移転する意向を示しています。その一方で、中国国内おいて準備されている開発拠点については計画の変更は表明しておらず、漏洩のリスクが完全に払拭されたわけではありません。

 

 第一に、データの収集やその解析こそ、イノベーションや新たなビジネス・モデルの源泉であるならば、技術者によるデータアクセスなくして開発を行うのは無理ではないか、という点です。海外において外国人技術者を雇用する場合、これらの人々のみデータを対象に遮断措置を採るとしますと、開発のレベルの低下要因となりましょう。そもそも、海外の開発拠点において日本人技術者を雇用するとも思えず、現地技術者の全員がデータにアクセスできない状況となることも想定されます。あるいは、匿名化や暗号化といった方法もありましょうが、作業プロセスが一つ増える上に、そのプロセスを通してむしろ情報が漏洩するかもしれませんので、海外に開発拠点を設けるメリットも低下します。

 

 第二に、戦争と同様に、ITの世界においても、盾と矛との関係があります。攻撃手段と防御手段との性能を比較して前者が優る場合には、後者による防御は最早不可能となります。それでは、中国の攻撃的なサイバー・テクノロジーと日本国のサイバー・セキュリティー技術とでは、どちらが優っているのでしょうか。人民解放軍が積極的にサイバー攻撃を仕掛けてきた現状からしますと、中国の攻撃能力の方が日本国の防御能力を上回っていることは容易に推測されます。つまり、たとえ日本企業が、社内的な措置としてアクセス経路を遮断したとしても、常に情報漏洩のリスクに晒されていることとなりましょう。中国国内における日本企業の全ての活動は中国政府に筒抜けとなるのです。

 

 以上に主要な問題点を挙げてみましたが、セキュリティー技術が確立していない段階における中国や韓国等への日本企業の進出は、丸腰で敵地に乗り込むようなものです。ソ連邦であれ、中国であれ、共産主義国は、敵を自国深くに誘き入れて殲滅する作戦を得意としましたが、経済におきましても同様の作戦を展開しているのかもしれないのです。もっとも、LINEにつきましては、親会社であるZホールディングスも含めて韓国色の強い企業ですので、意図的に中国への漏洩を許した、あるいは、黙認した可能性も否定できないのですが、日本企業は、中国の巨大市場の魅力に惑わされ、気がついて見たら自国そのものを失っていたということは、あってはならないと思うのです。


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対中制裁は日本国民のコンセンサスでは―問われる日本国の人道主義と民主主義

2021年03月23日 12時24分24秒 | 日本政治

 中国による残酷極まりないウイグル人弾圧に対して、アメリカに続き、EU、イギリス、そしてカナダも対中政制裁に踏み出すことを決定しました。ウイグル弾圧は、トランプ政権下にあって既にジェノサイドと認定されており、自由主義国にあって、この見解は共有されています。その一方で、同問題に対する日本国政府の煮え切らない態度は、日本国民に不安を与えています。

 

 日本国政府は、憲法第9条を逆手にとって未だにジェノサイド禁止条約への加盟も渋っており、世界に誇ったはずの’平和国家’の名も名折れの状況にあります。おそらく、二階俊博自民党幹事長を筆頭とする親中政治家による中国への忖度が主たる背景であることは、容易に想像されます。あるいは、ウイグル人の強制労働に関わったとして83のグローバル企業が国際人権NGOヒューマンライツ・ナウから名指して非難されており、その内、12社が日本企業ですので、中国市場に進出している内外企業からの圧力や要請もあるのかもしれません。何れにしましても、日本国政府は、’見て見ぬふり’をしているかのようなのです。

 

 こうした日本国政府の後ろ向きの姿勢とは対照的に、ネット上では、日本国も対中制裁に加わるべきとする声が圧倒的多数を占めています。日本国民の対中感情は世界最低のレベルにあるにありますので(凡そ8割が否定的…)、対中制裁は、今や国民的なコンセンサスと言っても過言ではありません。日本国にあって民主主義が正常に機能していれば、当然に、日本国政府は、国民世論の強力な後押しの下で対中制裁に踏み切るはずなのです。果たして、日本国政府は、国民世論に応えるのでしょうか。

 

 この問題は、日本国の人道主義と民主主義の問題でもあります。日本国民の多くは、中国政府によるウイグル人に対する迫害を人の道に反する行為と見なしています。日本国民の一般的な道徳観や倫理観に照らしまして、ウイグル人弾圧は、許されざる行為なのです。それにも拘わらず、自国の政府が同問題を看過しているとなりますと、政府の倫理観は、国民のそれとは著しく乖離していると考えざるを得ません。否、同乖離は、政府よりも国民の方が遥かに高い倫理観と健全な感覚を有していることを意味しますので、その表面化は、国民を不安に陥れることとなりましょう。何故ならば、国民の想像を超えるような反道徳・反倫理的な行動を、日本国政府が採らないとも限らなくなるからです。

 

 自らの利益のために、他者の痛みや苦しみに’見て見ぬふり’をできる人は、他国民のみならず、自国民に対しても同様の感覚で臨むことでしょう。自国民であっても、自らにとりましては’他人’に過ぎないのですから。それどころか、自国民であればこそ、自らの権力を及ぼすことができる’’支配の対象’と見なし、粗末に扱うかもしれません。例えば、中国がウイグル人に対する生殺与奪の権を握り、強制収容所に閉じ込めることができるのも、ウイグルが中国の支配下に置かれているからに他なりません。日本国の内部に中国の影響力が深く浸透してきている現状からしますと、日本国政府そのもののが’中国化’することによって、ウイグル人弾圧は、日本国民にとりまして’明日の我が身’とならないとも限らないのです。政府が推進するワクチン接種プロジェクトに対して警戒感が広がっているのも、国民の多くが政府を疑っているからとも言えましょう。

 

 民主主義とは、本来であれば、こうした政府と国民との乖離から生じる危機を制度的に排除する役割を担っています。政府を構成する機関にある人が国民から選ばれた代表であれば、倫理や道徳面において国民と乖離するはずもありませんし、ましてや国民を弾圧したり、虐待するはずもないからです。

 

対中制裁網を形成しているアメリカ、イギリス、EU、並びに、カナダ等の諸国は、二枚舌外交等を展開した負の歴史もありますので、一定の警戒感は必要なのでしょうが、日本国政府は、ウイグル人弾圧の非人道性、並びに、国民のコンセンサスを重視し、即、対中制裁に踏み出すべきなのではないでしょうか。対中制裁は、日本国単独でも行うべきことですし、その決断は、日本国が人道を重んじる民主主義国家であることの証でもあると思うのです。


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ワクチン接種誘導記事を解読する

2021年03月22日 11時59分07秒 | 社会

 新型コロナウイルスワクチンの接種は、国民の一人一人にとりまして大問題です。否、個々人のみならず、親族間のトラブルに発展するケースもあるそうです。本日のネット記事にも、断固、ワクチン接種を拒否している地方在住の高齢の父親を前にして、何とかして接種させようと奮闘するアラフォー世代のAさんの’作戦’が紹介されておりました。

 

 同記事によりますと、子世代であるAさん兄妹がワクチンは安全と信じ切っている一方で、68歳とされる父親の方は、ワクチン接種は’世界規模の人体実験’と見なしています。同父親が拒絶する理由は、医科学的な見地からのリスクではなく、政治・社会的な陰謀説ですので、この点については、非合理的とする批判を受ける余地はあるのですが、現実問題として、陰謀説も否定され得ず、また中長期的なリスクを含め、ワクチンの医科学的安全性は証明されていませんので、両者とも、相手を100%論破する根拠を持ち合わせていません。Aさんの判断こそ誤っている可能性があり、逆に、父親によって説得されて接種を思い留まる可能性もなるのですが、とりあえず同記事は、ワクチン=安全説に基づいて書かれたワクチン接種誘導記事として理解されましょう。

 

 因みに、同記事が紹介するAさんの’作戦’とは、(1)Aさん兄妹がワクチンを接種次第、実家に帰省し、父親に直接会って懇願する、(2)父親が折れなければ、Aさん兄妹の子供たちに協力してもらい、情に訴える(オレオレ詐欺的な手法)、(3)ワクチン接種者が増加すれば、世間の空気が変わる、という凡そ三段構えです。Aさんは、頑固な父親も、同作戦を実行すれば、何れはワクチン接種に応じると期待しているのです。しかしながら、この’説得モデル’、’実話’であるのかは疑わしいのです。何故ならば、ところどころに綻びが見受けられるからです。

 

 第一に、従来のワクチン接種希望者の傾向をめぐる見方は、地方の高齢者はマスメディアの報道を鵜呑みにしやすく、ワクチン接種に対しても何の疑いを抱くことなく我先にと接種に応じるというものでした。ところが、本記事では、逆に、高齢者の父親の方がワクチンのリスク情報を積極的、かつ、多面的に収集しており、決して’情弱’ではないのです(逆に、父親からの説明を受けて、Aさんの方が変心するかもしれない…)。同記事では、陰謀論を簡単に信じる高齢者、というイメージで描かれていますが、むしろ、ワクチンに関するマイナス・プラス両面の情報が溢れる現状にあって、リスク面を完全に無視して’ワクチンは安全’と信じて切ってしまい、他者に対してもその’信念’を押し付けようとするAさんの方に情弱性と危うさを感じます。

 

 第二に、Aさん兄妹は、自らがワクチンを接種した後としながらも、直接、父親と対面する計画を立てています。ワクチンの感染防止効果は100%ではなく、抗体が産生されるまでの期間はもちろんのこと、抗体効果の継続期間も比較的短い上に個人によって異なるそうです。同父親は、新型コロナウイルスに感染しないよう、細心の注意を払って生活しているそうですので、この’作戦’は、高齢の父親が感染するリスクを持ち込むようなものです。しかも、両親に直接に会えないことが父親にワクチン接種を薦める動機でもありますので、Aさん兄妹がワクチンを打った時点で、この問題は既に解決していることにもなります。すなわち、Aさん、並びに、その兄妹がワクチンを接種すれば、父親はワクチンを接種する必要はないのです(同記事のタイトルは、「68歳父はワクチン断固拒否、どうしても帰省したいアラフォー男性の作戦」…)。

 

 第三に指摘し得るのは、Aさんは、「(父は)自分の命を自分だけのものと思っている節があり、僕と妹は『それは違うんじゃないか』と考えています」と述べている点です。ワクチン接種の判断やその結果については自己責任としつつも、父親が新型コロナウイルスで亡くなる事態ともなれば家族や親族が悲しむので、接種拒否は一人だけの問題ではないとしているのです。しかしながら、この考え方、血縁者の枠を超えて他者にまで及びますと、強力な同調圧力として社会全体を圧迫する可能性があります。社会全体を考えれば、ワクチン接種を拒否する‘わがまま’は許さない、という風潮になりかねないのです(もっとも、ワクチンを接種したところで元の状態に戻れるわけでもない…)。

 

 以上に述べた諸点からしますと、同記事は、Aさんの’作戦’は、同様の立場にある子世代に対して、’説得モデル’として提案されたのでしょう。実際に、本記事の末文では、親の意思を尊重するとする選択肢を示しながらも、Aさんの作戦をヒントにするよう暗に勧めています。情に訴えるという点がポイントなのでしょうが、どこか、‘オレオレ詐欺’に近い手法のようにも思えてきます。あるいは、現実には、逆にアラフォー世代がワクチン接種に対して懐疑的であるため、敢えてAさん兄妹という‘人物モデル’を設定することで、同世代の人々に‘多数派はワクチン接種派’というイメージを刷り込もうとしているのかもしれません。現実には、ワクチンを打ちたがる高齢の親に対して、それを思い留まらせたい子供達も少なくないはずです。若年層ほどワクチン接種に対して消極的ともされていますので、何故、今という時期に、実態とはかけ離れた実話スタイルの記事が掲載されたのか、その意図を読み解いてみる必要もあるのかもしれません。


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中国のワクチン政策の不可思議

2021年03月21日 11時50分48秒 | 国際政治

新型コロナウイルス感染症の発祥が最初に報告されたのは中国の武漢であり、公式には華南海鮮卸売市場で売買されていた野生動物からの感染とされながらも、同地に設置されていたレベル4のウイルス研究所からの漏洩も疑われてきました。親中派のテドロス氏を事務局長として戴くWHOによる現地での調査結果も怪しく、真相は藪の中にあります。人工ウイルス、あるいは、生物化学兵器として人工的に造られた可能性を認める研究者も少なくないため、中国に対する国際社会の視線は厳しさを増すこととなったのです。同ウイルスの起源は分厚い’紅いカーテン’によって覆われている一方で、中国のワクチン政策もまた、謎に包まれています。

 

第一の謎は、ワクチンの開発時期です。中国で開発されたとされるのは、不活化ワクチンです。不活化ワクチンの開発には、動物実験や治験に先立つウイルスの弱毒化から卵による増殖までの期間でさえおよそ5か月は必要とされます。ところが奇妙なことに、中国当局が、シノバック・バイオテック、並びに、シノファームの2社が開発中のワクチンに対して治験、即ち、人への臨床実験の開始を承認したのは2020年4月14日ことです。既に、僅か4か月足らずで治験段階に至った中国のワクチンは、同ウイルスが感染症の発祥報告に先立って’既知のウイルス’であったか(武漢ウイルス研究所起源説の補強に…)、あるいは、当局がワクチンの安全性を完全に無視したか、のどちらかであることを示唆しているのです。仮に後者であったとしても、ワクチン開発の速さに起因するリスクからしますと、1年足らずで実用化されたファイザー社、モデルナ社、アストラゼネカ社の遺伝子ワクチンの比ではありません。

 

第2の謎は、中国におけるワクチン接種率の低さです。新型コロナウイルス感染症が中国国内で爆発的に拡大した際には、中国は、武漢を初め北京でさえ都市封鎖を実施し、徹底的な封じ込めを実施しました。共産党一党独対体制に基づく強権発動が中国における早期のコロナ禍収束に功を奏したともされ、中国自身も、’中国モデル’の優位性を誇示したのです。誰もが、中国国民の大半は既にワクチンの接種を終えていると思いがちですが、現状にあってワクチン接種については、中国政府は、国民に対してワクチン接種を強制していません。この結果、14億の人口からして接種総数こそ世界第二位なものの、接種率は3・65%に過ぎないのです。しかも、国民の多くはワクチンの副反応を懸念しており、国際世論調査においても、接種を希望するとした回答は最低レベルです。今に至り、中国政府は、接種率を上げ、首都北京にあって凡そ8割の接種を目指す方針を示していますが、感染拡大時の迅速な対応とは対照的なのです。中国製ワクチンの効果が薄いとする見方もありますが(効果に関する報告は安定せず、50%とする見方もある…)、ワクチン・リスクを熟知している(既に死亡例の報告が…)、あるいは、何らかの隠された意図があるのかもしれません。

 

 そして、第3の謎は、国内に対しては抑制的であったにも拘わらず、中国政府は、諸外国に対しては積極的に中国製ワクチンを提供している点です。ワクチンメーカーのお膝元であるアメリカやEUが自国民優先を打ち出しているのに対して、中国は、むしろ、外国優先の姿勢が目立っているのです。’マスク外交’ならぬ’ワクチン外交’を展開し、ワクチンの調達に悩む他国に’恩’を売ろうとしている可能性もありしょうが、自国民ではなく諸外国の国民を用いて自国製ワクチンの’治験’を行ってきたとする見方もあり得ます。あるいは、北京オリンピックの開催を視野に入れた措置であるのかもしれません。

 

果たして、中国のワクチン政策における一貫性を欠いた動きは、一体、何を意味するのでしょうか。中国政府は、接種対象拡大方針への転換と同時にワクチン・パスポートの導入も検討しているそうですが、効果やリスクが懸念される中国製ワクチンの大量接種によって、日本国、並びに、全世界に中国人観光客やビジネスパーソン等が大挙して押し寄せてくる事態だけは、何としても防がなければならないと思うのです。


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ラムザイヤー論文に慄いたのは誰?

2021年03月20日 11時32分35秒 | 国際政治

 昨年の12月、アメリカの経済専門誌である“International Review of Law and Economics“に、ハーバード大学のマーク・ラムザイヤー教授の‘慰安婦’に関する論文が掲載されたそうです。同論文は、ゲーム理論を用いながら‘慰安婦’が契約に基づく職業人としての女性達であった実態を客観的に論じたものなのですが、‘慰安婦’を日本軍によって強制連行された‘奴隷’と見なしてきた韓国では強い反発が起きる一方で、日本国内では、海外にあって学問の場でようやく事実が事実として認められるようになったことに、安堵感が広がったのです。

 

 査読を経て掲載されたのが経済専門誌であったことが示すように、同論文は、’慰安婦’を職業の一つと見なして分析しています。実際に、慰安婦が職業の一つであったことは疑いようのない事実であり、日本国内には、慰安婦契約に関する雇用条件等を定めた法令が史料として残されています。日本国政府は、むしろ’慰安婦’たちを保護し、悪徳業者を取り締まる立場にあり、況してや、日本軍が朝鮮半島にあって幼気な少女達を戦場に強制的に連行したという韓国側の主張は、侮日や反日を目的としたフィクションに過ぎないのです。日本国内では、ラムザイヤー論文を待つまでもなく、’慰安婦’の実像は、数々の史料や証言等によって明らかにされてきたとも言えましょう(被害者は、民間の悪徳業者に騙されたごく少数の人々であって、’慰安婦’の大部分は職業人…)。

 

 しかしながら、一般の日本人の多くが’慰安婦’の実態を知りながら、国際社会では、韓国による積極的なプロパガンダもあって、’慰安婦=奴隷’とする虚像が拡散されてきました。国連のみならず、アメリカやヨーロッパ諸国にあっても日本批判の声が絶えず、世界各地に’慰安婦像’も設置されてきたのです。今般のラムザイヤー論文についても、ニューズウィーク誌は、「Fight for Justice」と称する団体が主催したシンポジウムにおける同論文に対する批判を紹介しています。

 

 その主たる批判点は、事業者と’慰安婦’との間の’契約における非対等性にあり、その実態は、’人身売買契約‘であったというものです(なお、同団体の基準では、’丁稚奉公‘も人身売買契約に含まれるかもしれない…)。確かに、かつて’身売り‘とも称されていた慣行があったことは事実なのですが、明治以降、日本国政府は、国際法に添いつつ、法の制定により’慰安婦‘、あるいは、’娼妓‘の保護に努めています。そして、何よりも、同団体の批判点がピントを外しているのは、’慰安婦‘という職業は、朝鮮半島に固有のものではなく、全世界において普遍的に存在してきた点です。戦時に限っても、’慰安婦‘の出身別の構成は日本人慰安婦が半数以上を占めており、朝鮮半島出身者は比較的少数です。言い換えますと、「Fight for Justice」は、’慰安婦‘を日本軍による強制連行された女性達ではなく、その募集が雇用契約に基づくものであったことを認めた時点で、日本国のみを批判の対象とする拠り所を失ったのです。

 

実際に、朝鮮半島や満州の歴史においても、より過酷な’人身売買‘は行われていたはずです。否、戦場における女性の略奪や奴隷化は、むしろ、チベットやウイグル等において今日なおもその一端が露わとされているように、大陸の諸国においてこそ見られます。仮に、人身売買が日本国のみに蔓延った悪習であったならば、国際社会にあって人身売買を禁止する国際法が制定されることはなかったことでしょう。

 

 ラムザイヤー論文が事実に基づくものであった点を確認しますと、ここで重大な疑問が湧いてきます。それでは、何故、事実を事実として語ったラムザイヤー論文に対して、かくも激しいリアクションが起きているのか、ということです。ニューズウィーク誌には、「2月17日にはハーバード大学の歴史学部の二人の教授が論文の撤回要求声明を出し、翌18日には5人の研究者による研究上の不正を理由とした撤回要求声明が出ている。それ以降も、この論文を「懸念する経済学者たちのレター」にゲーム理論の研究者含む学者2000名以上が署名するなど、ラムザイヤー論文に批判が集まる一方、ラムザイヤーを学問的に擁護する声はない。」とあります。韓国ではなく、アメリカ国内において反発が起きているというのです。

 

 ラムザイヤー論文に否定的な研究者たちが全て韓国系であるとも思えず、世界的にも有名な大学の一つが、学術的な論文に対してヒステリックな反応を起こしている現状は、日本人の目からしますと奇異に映ります。しかしながら、同大学が、伝統的に民主党の影響が強く、リベラルな校風である点を考慮しますと、二つの可能性が見えてきます。

 

その一つは、慰安婦問題にあって韓国と共闘関係にある中国による支援、つまり、’チャイナ・マネー’、あるいは、’チャイナ・コネクション’です。韓国系のみでは2000人の署名を集めることは困難ですが、今日、アメリカの大学や研究機関には相当数の中国系の人々が所属しています。これらの中国系の人々を動員すれば、2000筆の署名を集めることは決して難しくはありません。

 

そして、もう一つの可能性は、’ユダヤ・マネー’と’ユダヤ・コネクションです。ハーバード大学は、ユダヤ系財閥から多額の寄付金を受け取っていることでしょうし、何よりも’歴史修正主義’を恐れています。その理由は、事実のみを誠実に探求し、歴史の事実を丹念に検証してゆけば、’ホロコースト’のみならず、世界史そのものの見直しを迫られる可能性があるからです。それは、ユダヤ人にとりましては、決して表に出してはならない’不都合な事実’なのかもしれないのです。

 

 今日、’第三次世界大戦’とも称されるコロナ禍にあって多くの人々の人命が失われています。第一次、そして、第二次世界大戦の愚を繰り返さないためにも、’造られた歴史’から脱し、人類は、なおも事実を追求してゆくべきではないかと思うのです。二度と騙されないために。


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グローバリズムと政治家

2021年03月19日 14時37分33秒 | 国際政治

 グローバリズムと言えば、国境を越えてモノ、サービス、マネー、情報、テクノロジー、そして人などが自由に行き来する状態を未来像として想定していますので、経済分野における現象として理解されがちです。しかしながら、今日、アメリカにあって大統領選挙に多大な影響を与えたように、グローバリズムは、政治問題として人々の意識の表面に浮上してきています。本日の記事では、日本国を事例として、グローバリズムと政治家との関係についてその一面を探ってみたいと思います。

 

 グローバリズムは世界を一つの市場と見なしますので、国境線によって細分化されている地図上の政治的枠組みとは一致しません。このため、グローバリズムは、国家との間に摩擦や軋轢を生みこそすれ、その’親和性’については特別な関心を払われてきませんでした。しかしながら、今日、全世界の諸国は自国の枠組みが融解する危機に直面しており、それは、国家を基盤として成立してきた民主主義の危機でもあります。先のアメリカ大統領選挙にあって、’グローバリスト政党’とも言える米民主党と中国との結託による選挙不正工作が強く疑われ、今日なおも払拭し切れずにバイデン政権の正当性を揺るがし続けているのも、政治的現象というものが、もはや一国の国内状況のみでは説明し切れなくなった現状を現わしていると言えましょう。

 

 それでは、日本国の政治は、グローバリズムとは無縁なのでしょうか。今日、自民党と公明党による保守系の連立政権が成立しており、保守=独立堅持=自国優先=安定志向=伝統重視といった従来の定式に照らせば、グローバリズムとは対極にあるはずです。しかしながら、今日における自公連立政権の政策はもはや保守政党のものとも思えず、言葉では保守を装いつつも、自国を’保ち’、国民を’守る’ことにも無関心です。否、偽旗作戦よろしく、保守の看板によって保守傾向の強い国民を騙しているようにも見えるのです。

 

 日本国内から保守政党が消えてしまいますと、日本国の政界は、全て’反日政党’、あるいは、’グローバリスト政党’になりかねないのですが、保守政党の急激な変質の一員は、グローバリズムに求めることができましょう。政治とマネーの問題は、古くて新しく、グローバリズムの時代に固有のものではありません。かつての保守政党に対する主たる批判点は、自らを国会に送り込んだ地元選挙区への利益誘導でした。’仕事を持ってくる’は、政治家の’仕事’と見なされていた時代もあったのです。また、大企業からの多額の献金も、政治腐敗の要因として指摘されてきました。

 

 政治とマネーの問題は、人類を苦しめてきた普遍的な問題なのですが、従来型の政治腐敗とグローバル時代のそれとでは、違いがあるように思えます。その違いとは、経済的な国境が低くなる、あるいは、なくなることによって、海外の’政治とマネーが国内に流入して’内部化されてしまうところにあるのかもしれません。利益誘導は、より強いマネーの力を有する国やグローバル企業へと向かい、規模において劣位する日本企業、あるいは、日本経済は、国際競争力において負け組となってしまうのです。しかも、資金力やマスコミによる誘導・捏造、あるいは、不正選挙等によって民主主義も形骸化しており、国民の声は政治には届きません。グローバル時代の政治家とは、海外勢力の’悪代官’、あるいは、’代理人’に過ぎないのかもしれません。

 

 新型コロナウイルス禍にあっても、日本政府は、海外企業からのワクチン調達を優先し、自国企業の治療薬やワクチン開発を支援するどころか、積極的に’邪魔、あるいは、妨害’しているようにも見えます。デジタル化による情報の漏洩やLINEの問題等も、元を質せば、同分野において日本国政府が自国企業を育てなかったところに求めることができるかもしれません。今日、政治分野におけるグローバリズムの影響について真剣に考えませんと、いつの間にか、日本国は、グローバリズムの旗手である中国、あるいは、その背後に控える超国家権力体の’属国’、あるいは、’植民地’にされてしまうかもしれないと危惧するのです。


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LINE問題が示唆するデジタル庁の行方-’リスク無視体質’の問題

2021年03月18日 11時28分40秒 | 日本政治

LINEは、今日、日本国内にあってSNSの利用者数においてトップの座にあります。多くの人々が、便利な日常のコミュニケーション手段として使っているのですが、今般、同社が委託していた中国企業の技術者が日本国内で収集された膨大な量の個人データを自由に閲覧できる状態にあったことから、LINEに対する不信感が広がっています。

 

 LINEを介した海外への情報流出リスクは、今に始まったことではありません。LINEが韓国のNAVER社を親会社として設立された企業であったため、韓国に日本人ユーザーの情報が渡るのではないかとする危惧は以前からありました(韓国情報院に対する情報提供の義務を負う…)。現在、LINEは、経営統合によりソフトバンク系のZホールディングスの傘下にありますが、なおもNEVER社との出資関係は継続されています(持ち株会社のZホールディングスの出資者…)。今般の事件をきっかけとして、同社のデーターセンターが韓国に設けられており、LINEユーザーが投稿した写真や動画、さらにはスマホ決済に関する個人情報が移転されていた実態も明らかとなりました。今年中には日本国内にデータを移すとしていますが、改めて同懸念を裏付ける形ともなったのです。

 

韓国は、今や日本国を’仮想敵国’と見なしておりますので、対韓関係においても安全保障上の不安要因でもあったのですが、今般の漏洩先が中国ともなりますと、そのリスクのレベルは格段に上昇します。中国では国家情報法も制定されておりますので、NAVER社経由の可能性も含め、LINEを介して収集された日本国内のあらゆるデータは、既に丸ごと中国共産党の手に渡っていることでしょう。そして、この問題は、日本人の個人情報の漏洩に留まらず、日本国政府の情報管理の杜撰さをも露呈することともなったのです。

 

最大の問題点は、日本国政府、並びに、地方自治体の多くは、LINEに纏わるリスクを十分に承知しながら、その普及と理由を後押しした点です。メッセージ・アプリとしてLINEが短期間で急速に普及し、8600万人ともされるユーザーを獲得した背景には、日本の通信大手がLINEアプリのダウンロード済み端末を販売したことにもよります。いわば、’抱き合わせ販売’なのですが、政府は、こうした行為を野放しにしていました。また、国も地方も、LINEの利用に積極的に取り組んでいます。例えば、国レベルでは、マイナンバーのオンラインサービスである「マイナポータル」とLINEを組み合わせた行政サービスを始めましたし、地方レベルに至っては、防災情報や交通・インフラ情報の提供、さらには各種の行政手続きなど、先を争うように行政サービスへのLINE導入が進められました。職員の採用試験の面接にも利用する自治体も出現しており、LINEは、公私にわたる公務員情報をも収集し得る立場になりつつあります。

 

こうした国や自治体よるLINEの導入をめぐっては、汚職が疑われると同時に、日本国憲法が定める法の前の平等に反する行為でもあります。LINEの非ユーザーは行政サービスから排除され、差別的な不利益を被るのですから。憲法違反の疑いも濃厚なのですが、国も自治体も、LINEを介した情報漏洩のリスクを知らなかったはずありません。知っていながらそれを無視し、慎重に構えるどころか積極的に推進までしたところに問題があるのです(仮に、’知らなかった’とすれば、日本国政府の情報収集能力はリスクを見抜いていた一般の国民以下ということになり、致命的に低レベルであるということに…)。

 

LINEをめぐる日本国政府、並びに、地方自治体の動きを見ますと、自らで必要な情報を徹底的に収集して丁寧に分析し、リスクを冷静に判断した上で国民のコンセンサスを得ながら政策を立案して実施する、というよりも、外部の何者かにせかされる、あるいは、何者かの命令に従うかのように事を急ぐ政府の姿がイメージされてきます。しかも、安全な自国企業を育てようともせず、日本政府が積極的に国内に呼び込んでいるのは、安全保障上の脅威ともなり得る海外企業なのです。

 

 昨年の菅政権の発足時にあってデジタル庁の新設が打ち出されましたが、日本国の統治機関に深く浸透している’リスク無視体質’を考慮しますと、デジタル庁そのものが、そのままそっくり海外への情報漏洩中継機関ともなりかねないように思えます。こうした危うさはワクチン・プロジェクトにも見受けられ、’リスク無視体質’からの脱却こそ、日本国の独立、並びに、国民の安全を護るために克服すべき課題なのではないかと思うのです。


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ワクチン有害事象は全て’根拠なし’で終わる?-先端科学の限界

2021年03月17日 11時56分17秒 | 社会

現在の医科学技術のレベルにあって、ミクロの世界を含めて体内のあらゆる機関の作用や構成があますところなく解明されていたならば、ワクチンに関する副反応や有害事業のリスクはそもそも存在していなかったことでしょう。天然痘のワクチンのように長期にわたる実績が安全性を証明しなくとも、誰もが、安心してワクチンを接種できたはずです。言い換えますと、リスクが取沙汰されている現状は、今日の科学技術の限界をも表していると言えましょう。

 

 そして、医科学技術の限界は、現状にあって、ワクチンに対する不安を完全に払拭することが不可能であることをも示しています。アストラゼネカ社のワクチンについては、目下、血栓症が疑われ、各国で接種停止の動きが広がっていますが、安全性を重視した各国政府の措置に対して、WHOは、分析中としながらも、ワクチンとの因果関係を示す証拠はなく、’根拠なし’として接種の継続を奨励しています。一方、EUの欧州医薬品庁(EMA)のクック長官は、「メリットが副反応のリスクを上回るとまだ強く確信している」と述べております。血栓リスクそのものは否定しておらず、しかも、‘確信している’とする信仰にも似た主観で語っており、同長官の発言は、WHOの見解よりもトーンダウンしているように見受けられるのです。

 

 WHOであれ、EMAであれ、ワクチンとの因果関係が’ある’とは証明できなとしながら、’ない’ことを科学的に証明しているわけではありません。一先ずは、因果関係が証明できない現状を以ってワクチン接種を認めているに過ぎないのです(もっとも、イギリス政府やアストラゼネカ社は、ワクチン接種後の血栓症の発症率が自然な状態と変わりはないと統計上のデータを以って反論していますが、体内のメカニズムとして証明されているわけではない…)。この言い分が通るのであれば、数か月や数十年先にあって深刻な有害事象が発生した場合、因果関係は認めない可能性は極めて高くなります。何故ならば、その証明には、現代の医科学技術のレベルを超えるからです。たとえ、将来にあって因果関係が証明された場合でも、’予見不可能であった’として責任を回避することでしょう。

 

 もっとも、ワクチン・メーカーが、将来において責任を負うとすれば、それは、これらのメーカーが、自らが製造したワクチンの成分に関する重大なリスクを予め知っていた場合です。不幸にして、各メーカーとも、その全成分や作用のメカニズムについては企業秘密、あるいは、知的財産権として非公開としている部分も少なくありません。仮に、将来にあって訴訟が起きた場合、現状の科学技術のレベルで予見可能であれば、製造・販売時点で’知り得たリスク’としてメーカー側に有罪判決が下されることとなりましょう。この点、アストラゼネカ社よりも、ワクチン開発に携わっていた元副社長が既に重大なリスクの警告を発しているファイザー社の方が’有罪リスク’は高いのかもしれません。そして、各国政府との契約に際して設けた免責条項によってたとえ賠償責任を転嫁することができたとしても、道義的な責任を問われることとなりましょう。全人類に対する重罪として…。

 

 以上に述べてきましたように、有害事象とワクチン接種との関連性は、医科学技術のレベルによって大きく左右されます。むしろ、中長期的には未知のリスクがある、あるいは、既知のリスクが隠されている可能性があるとする認識の下でワクチン接種の是非を考えるべきであり、この点からしますと、全国民を接種対象とする現行のワクチン・プロジェクトには疑問を抱かざるを得ないのです。ワクチン接種に消極的な人々に対しては、’ゼロ・リスクはあり得ない’、即ち、多少のリスクには目を瞑るべき、とする反論もあるのですが、生命や人類の未来に関わる重大なリスクであるかもしれもしれず、しかも、不可逆的な影響が残るのですから、人々の命を救おうとする人道的な動機においても、ワクチン慎重派の人々は、ワクチン接種派の人々のそれに決して劣らないと思うのです。


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