万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日本経済を襲うコロナ緩和マネー?

2021年04月09日 12時48分28秒 | 日本経済

イギリスの投資ファンドCVCによる東芝に対する買収提案は、日本国内に静かなる衝撃をもたらしております。日本の代表的な企業が外資の手に渡るという事態を前にして、これまで関心の薄かった人々もようやく事の重大さに気が付くに至り、現代の’黒船来航’の観もあります。日立製作所の子会社である日立金属も米投資ファンドのベイン キャピタルと日本系の日本産業パートナーズを軸とする日米ファンド連合への売却も報じられています(日本産業パートナーズには、資本関係はないものの、米コンサルタントであるベイン・アンド・カンパニーも出資…)。

 

 日本国の産業の空洞化は今に始まったわけではなく、シャープや東芝の家電部門をはじめ、日本企業の多くは海外企業によって買収されています。これらの買収劇は、海外の同業者が事業規模の拡大を目的に行ったケースが多いのですが、今般の傾向にあって特徴となるのは、買い手の多くが海外ファンドである点です。

 

 海外投資ファンドとは、しばしば’ハゲタカ・ファンド’とも揶揄されてきたように、’安値で買い叩いて高値で売る’をモットーに活動する、利ザヤ狙いの強欲集団と見なされてきました。’餌食’となる日本企業にとりましては恐るるべき存在なのですが、この時期に至り、海外の投資ファンドの活動が活発化してきている背景には、一体、何があるのでしょうか。

 

 推測されるのは、新型コロナウイルス禍の影響です。目下、国民や事業者等への給付金の支給を含めたコロナ対策費を調達するために、各国政府とも、巨額の国債を発行しています。大規模な財政出動によって赤字国債が積み上りますと、何れの政府も財政危機が懸念されることとなるのですが、同事態を回避するために、各国中央銀行は、公開オペレーションによる量的緩和策を実施しています。つまり、コロナ禍⇒政府の国債発行増額⇒民間金融機関による国債購入⇒中央銀行による民間金融機関からの保有債券・株式の買取⇒民間金融機関へのハイパワード・マネーの供給という回路により、各国の金融界には巨額の緩和マネーが流れ込んでいることとなります。

 

潤沢な投資資金を手にしたのですから、当然に、投資ファンドも勢いづき、海外への投資額を増やそうとすることでしょう。そして、そのターゲットとなるのは、コロナ禍のマイナス影響により経済が弱体化した国にあって、割安感が強まっている企業や事業であり、日本企業もその対象に含まれているものと推測されます。今般、相次ぐ海外ファンドによる日本企業の買収案件は、コロナ禍とそれに付随するコロナ緩和マネーに起因しているのかもしれないのです。

 

そして、投資ファンドが企業の事業再編をも手掛けている点を考慮しますと、事態はさらに深刻です。上述した日本産業パートナーズは、現在にあっては既に全株式を売却しているものの、みずほ証券を中心に設立された投資ファンドであり、主に日本企業を対象に事業再編、否、ソニーのパソコン部門をはじめ大手企業の一部事業を傘下に収めています。同ファンドにおけるベイン・アンド・カンパニーの出資率は不明なのですが、仮に、同社の影響力が強まるとしますと、同ファンドの事業対象も日本国内のみならず、‘グローバル市場’に拡大するかもしれません。

 

そして、イギリスの投資会社であるCVCに至っては、事業再編の対象が‘グローバル市場’であることは容易に想像されます。つまり、一旦、東芝がCVCの傘下に組み込まれれば、東芝は、同ファンドの’グローバルな事業再編’の目的に沿った役割を担わされることになりましょう。つまり、従来の経営組織や事業の継続は難しくなり、最悪の場合には、中国企業に売却される未来が予測されるのです。CVCの背後には、’チャイナ・マネー’、あるいは、’チャイナ利権’が潜んでいるかもしれないのです。

 

日立金属を手放す一方で、1兆円を投じてアメリカのIT企業を買収する日立の方針については、将来性のある分野に事業を絞り込む’選択と集中’を評価する声もあります。しかしながら、海外に支城を広げた結果、本丸が落とされてしまう可能性も否定はできません。過去の事例を見ましても、日本企業による海外企業のM&Aについては失敗例も少なくないからです(東芝の躓きの原因が米ウェスティングハウス社の買収であるように、大枚をはたいて買収しても、最終的には重荷となったり、手放す展開にも…)。安全保障も絡むため、東芝の買収には日本国政府の承認も必要となるそうですが、政府も企業も、そして国民も、長期的かつ多面的な視点から日本国の経済を護る手段を講じてゆくべきではないかと思うのです。ポスト・コロナ、あるいは、ウイズ・コロナの時代が、日本消滅の時代とならないように。


’上級国民論’より創価学会の方が脅威では?

2021年04月03日 11時16分17秒 | 日本経済

 昨今、’上級国民’という言葉が流行っているそうです。池袋暴走事件の被告が元官僚であったことから、とりわけ注目されるようにもなったのですが、先日、厚生労働省の職員によるマスク無しの宴会に際しても、批判的に使われています。即ち、権力や既得権益側にいる人々を’上級国民’と呼んでいるようなのです。今や日本国民は’上級国民’とそれ以外の’下級国民’に分断されてしまったかのようなのですが、日本国の真の脅威は、別のところにあるように思えます。

 

 ’上級国民’という言葉は、それが特権階級を含意する故に、批判的に使用されています。法の前の平等という、近現代憲法の大原則に反して特定の集団に属する人々を優遇するのですから(平等に法を適用しない…)、この批判点は理に適っています。しかしながら、’上級国民’は具体的に誰なのか、という問いに対しましては、漠然とした答えしか返ってきません。冒頭で触れたように、元官僚、政治家、企業幹部…等々などが含まれているのでしょうが、その線引きは曖昧です。実際の生活ぶりを見ましても、かつての’上流階級’とは違い、一般の人々との間に天と地ほどの違いがあるようにも見えないのです。

 

 その一方で、属性に基づく公的な特別扱い、並びに、他の国民との格差という側面からしますと、日本国にとりましては創価学会の方がよほど脅威です。’上級国民’はイメージ的な括りであってその存在も分散的であり、相互に連携や連帯しているわけでもありません。一方、創価学会員は’指揮命令系統’を有する組織であり、一つの宗教団体、あるいは、教祖の許にあって一致団結しています。しかも、同教団は、政界に公明党を送り込むと共に、’創価官僚’や’創価警察’の存在も指摘されています。言い換えますと、日本国よりも創価学会の利益のために日本国の国権が私物化され、利用されている現状があるのです。しかも、中国との間には密接な繋がりがありますので、尖閣危機の要因も、海保を擁する国土交通大臣職の公明党による独占に求めることができるかもしれません。

 

経済にあっても創価系企業が数多く散見され、しばしば、政界との繋がりを介したこれら企業への利益誘導も見られます。教育現場でも学会員の多くが教職を得ております。日教組はしばしば思想的な偏向や洗脳が批判されますが、’創価教師’についてはこうした指摘がないのは不思議なところなのです。芸能界でも’創価芸能人’しか出演できないともされ、大手メディアも’創価マネー’には抗しようもありません。’創価天皇’の誕生もあり得ないお話ではないのです。書き始めればきりがないのですが、自由で民主的な日本国にあって’総体革命’を目指していたというのですから、その最終目的は、日本国を中国のような一つのイデオロギー(創価学会の場合には、教祖独裁主義や拝金主義的教義?)の下で国民が監視される全体主義国家に変えることなのでしょう(’総体’とは、全体主義の意味では…)。

 

こうした創価学会の’総体的な脅威’に注目すれば、’上級国民’説は、意図的ではないにせよ、真の脅威から国民の目を逸らそうとする’目くらまし’のようにも思えてきます。ヨーロッパや中国には秘密結社文化がありますが、日本国民には馴染みがないために、兎角にこうした組織に対して無頓着になりがちです。創価学会につきましても、強い排他性と秘密主義が見られ、誰が学会員であるのか、一般の人々には殆ど分かりません(創価学会員以外の人々は平和会館に立ち入ることもできなければ、内部で何が行われているのかも分からない…)。しかしながら、ウイグル人弾圧問題で明らかとなったように、創価学会は、もはやその本性、すなわち、全体主義志向と海外勢力との結託を隠さなくなりました(拝金主義を中国共産党とも共有…)。同組織の背後には、古代にまで遡る世界レベルでの歴史的な経緯があるのでしょうが、今日、日本国民は、創価学会問題について真剣に対策を講じるべき時に至っているように思えます。何時の間にか創価学会が’中国共産党’に衣替えをし、日本国もまた、自由も民主主義も、そして法の支配もなき’一党独裁体制’に変貌しかねないのですから。

 

お知らせ

 

 本日より、ブログ記事の更新は、月曜日から金曜日までの平日のみといたしたく存じます。リモート講義用のビデオ作成に時間を要しますこと、並びに、読書といったインプットの時間や休息の時間も必要なのではないかと考えたからでございます。急いで書かなければならないテーマがあります時には、土日祝日でも記事を更新する予定でおりますので、どうぞご容赦くださいますようお願い申し上げます。


テレワークが問いかける‘職住の境界線’―‘仕事部屋’の出現?

2020年06月19日 11時19分55秒 | 日本経済

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、企業をはじめ自宅での勤務、即ち、テレワークという勤務形態が急速に広がることとなりました。満員電車における感染を防止するのみならず、毎日の通勤に疲れる果てることもなくなりますので、一先ずは、テレワーク導入に好意的な意見が多いようです。その一方で、テレワークは、職住の境に関する重要な問題を問いかけているように思えます。

 ‘職住の境界線’とは、‘公私’、あるいは、‘内と外’の区別と言い換えることができるかもしれません。日本国では、古来、公私の区別を重んじる傾向が強く、私事を公事に持ち込むことは固く戒められてきました。とりわけ近代以降にあって、雇用契約による勤務形態が広がり、国民の多くが自宅から職場へと通うようになりますと、‘内と外’の峻別する感覚は広く国民に共有されるところとなったのです。つまり、日本国では、職場と家庭は、‘別空間’であったのです。例えば、以前、子供を職場に連れて行く‘子連れ出勤’が話題となり、政府もその導入を後押ししてきたのですが、アンケート調査の結果では、凡そ8割が否定的な回答を寄せたそうです。

ところが、今般の新型コロナウイルス禍は、一瞬のうちにこの職住の境を消し去ってしましました。寛ぎの場であるはずの家庭が、突然、ビジネス用語も飛び交う職場になってしまったのです。テレワークの形態は、コロナ禍が収束した後も継続する方針の企業も少なくないそうですが、職住の境界が融解してしまうとなりますと、今後、どのような変化が起きてくるのでしょうか。

職場化した家庭内では、リビングや居間にあって家族全員がパソコンを前にして座り、大人たちは画面越しに仕事をこなし、子供たちは遠隔授業で学習する、といった光景が広がるのかもしれません。しかしながら、テレ会議などでは音声を発する必要もありますし、高い集中力を維持しなければこなせない仕事もありましょう。子供たちは、子供部屋があれば自らの空間を確保することができますが、問題は、大人たちです。今日の標準的な家屋の間取りでは、子供部屋ならぬ‘大人部屋’は想定されていないのですから。

そこで、テレワークにあっても家庭内で仕事に集中できるように、‘屋内テント’なる製品も販売されているとも報じられています。仮に、今後、テレワークが勤務形態として一般化するとすれば、予測されるのは、‘大人部屋’を備えた間取りの出現です。この点、思い起こされますのは、‘書斎’という存在です。現在では、書斎を有する家屋は少ないのですが、家庭にあっても仕事をする、あるいは、家庭に仕事を持ち込む場合を想定しての書斎という部屋があります。家庭にあっても公私を区別するために工夫でもあるのですが、コロナ禍による家庭の職場化は、書斎のような大人用の仕事部屋の需要を高めるのではないかと思うのです。

書斎が比較的珍しくなかった時代は、一軒当たりの敷地面積も比較的広く、家屋の間取りにも余裕のあった時代です。また、テレワークの普及が進む欧米諸国のように、人々が客間まで備えているような広い住宅に住んでいるわけでもありません。しかも、かつての書斎は‘一家の大黒柱’のために設けられていましたが、共働き世帯が一般化した今日では、仕事部屋も二人分用意する必要もありましょう。今日の日本国の住宅事情に鑑みますと、‘仕事部屋’を設けようとしますと、日本国の家屋は、家族の一人一人に小部屋を割り当てた、細分化された空間となるかもしれないのです(もっとも、仮に、家族全員に個室を設けるならば、人口減少は必ずしもマイナス要因とはならない…)。

個人によって性格は異なりますので、内向的な性格であれば、むしろ、狭い閉鎖空間で仕事に集中した方がオフィスといった開放空間よりも能力を発揮するかもしれませんし、あるいは、逆に外交的な性格であれば、閉塞感に苛まされて鬱状態となるかもしれません。日本人は比較的内向性が強いとされていますので、こうした細分化傾向は歓迎されるかもしれないのですが、ポスト・コロナにあってテレワークへの全面的な移行を既定路線とするよりも、個々人の性格や志向、あるいは、家屋事情に合わせた、より柔軟な‘職場’の選択が可能な勤務形態を目指すべきではないかと思うのです。

 


「ジョブ型」は企業の生命力を奪うのでは?

2020年06月18日 12時40分36秒 | 日本経済

 本日6月18日の日経新聞朝刊の一面に、新型コロナウイルスの感染対策として導入が広がったテレワークと関係づけながら、「ジョブ型」と呼ばれる社員評価制度に関する記事が掲載されておりました。「ジョブ型」とは、職務内容、並びに、それに必要となる能力を管理職の社員に事前に提示し、その達成度を基準として報酬を決定するというものです。近年、推奨されてきた年功序列主義から成果主義への転換の一環として理解されるのですが、この方式、どこか社会・共産主義を思い起こさせるのです。そしてこの問題は、‘人にとって働くこととは何か’という根本的な問題をも問いかけているように思えます。

「ジョブ型」とは、社員の能力や成果が報酬にストレートに反映されるのですから、勤労意欲を引き出しこそすれ、社会・共産主義批判は的外れのように聞こえることでしょう。労働と報酬との間の比例性のみに注目すれば、フェアな関係が成立しているようにも見受けられます。しかしながら、それ以前の問題、即ち、職務内容と要求能力の側面に視点を移しますと、社員は、経営戦略を立案し、それに沿って人員を配置する権限を有する企業中枢側の計画に従うだけの存在ということになります。社員は組織の歯車の一つに過ぎず、企業中枢の関心は、‘如何にして組織全体が円滑に動かし、自らの目的を社員を以って達成させるのか’ということにしかないのです。成果主義の導入も、歯車を円滑に動かすための誘導装置なのでしょうが、この仕組み、政府が排他的に経営計画を決定し、その命令の下で国民が労働を強いられる社会・共産主義の統制経済と似通っているのです。

唯物論よろしく、人を機械の一部と見なすのですから、そこには、かつての日本企業に見られた村落共同体的な温かみは見当たりません。職場とは、個々人がノルマをこなすだけの場となり、横の繋がりも断ち切られてゆくことでしょう。そして、AIやテレワークの普及は、この傾向にさらに拍車をかけるかもしれません。何故ならば、社員各自の評価はAIに任せれば一瞬のうちに済みますし、テレワークがグローバルレベルで導入されれば、空間の制約を受けることなく、全世界から自らの計画に最も適した人材を採用できるからです。かつて、ローマ帝国は、‘分割して統治せよ’という手法を編み出し、支配地が結託してローマに抵抗することを阻止しようとしましたが、今日の‘企業統治’は、社員を全世界に分散雇用することで、ますます企業の経営権を専有する中枢部による‘独裁体制’を強めるかもしれないのです。因みに、社会・共産主義国にあっても、‘労働者が団結する’ことは、あってはならないことでした(イデオロギーにおいて矛盾する…)。

近年、グローバリズムにも逆風が吹くようになり、17世紀以来の資本主義も修正を迫られております。多様なステークホルダーの利益を考慮する方向へと向かってはおりますが、日本企業における「ジョブ型」の導入拡大は、この方向性にも逆行しているように思えます。そして何よりも、「ジョブ型」という経営者と個々の社員が経て方向にのみ結びつくような雇用形態は、企業としての生命力を失わせてしまうことでしょう。行き着く先は、かつての社会・共産主義諸国のような冷淡な官僚主義の蔓延であり、組織自体が硬直化してしまうかもしれないのです。デジタル化社会は、多様な人々の意見がぶつかり合い、そこから新たなアイディア、さらには、イノヴェーションが次から次へと生まれ出るような自由、かつ、活気にあふれた社会としてその未来像が描かれています。しかしながら、「ジョブ型」の仕組みにあっては、個々の社員の豊かな発想が事業に生かされる余地は見当たらず(発想のユニークさを求めるならば、職務内容や能力の事前設定は、むしろ枠を嵌めてしまうこととなる…)、企業中枢部を中心に個々の社員が同心円状に直接的に繋がるか、あるいは、中間管理が‘官僚化’する企業形態となりかねないのです。

年功序列型への完全なる回帰が100%正しいとは言わないまでも、「ジョブ型」への移行は、人々の根源的な働く意欲や生き甲斐を喪失させるかもしれず、この意味においても、社会・共産主義体制と共通しています(もっとも、ソ連邦にあって軍事部門のみが突出したように、上意下達の徹底による目的達成には長けているかもしれない…)。そして、ソ連邦が崩壊したように、やがては救い難い停滞に沈み、同モデルは歴史から消え去ってゆくかもしれないのです。

見方によっては「ジョブ型」の‘ジョブ’とは、予め決められた仕事を上からの指令通りに実行すること、即ち、人のロボット化ともなりかねないのですから、ITやAIの普及が予測される今日であればこそ、企業は、人に相応しい組織造りに努めるべきではないかと思うのです。新たな企業モデルを世に問う起業が待たれるところですし、既存企業組織にあっても、社員の参加意識を高めるための‘自由化’や‘民主化’が必要なのかもしれません。

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ヤフー・LINE統合で日本市場は踏み台に?

2019年11月21日 16時36分22秒 | 日本経済
検索大手のヤフーとメッセージアプリをほぼ独占しているLINEとの統合案は、両社トップによる公式発表により、現実味を帯びてきました。同統合案の背景にはソフトバンク・グループの世界戦略も控えているため、統合案は複雑さを増しています。こうした中、日本国の公正取引委員会は、一般論として断った上で、同統合案の審査に際して海外市場をも勘案するとする方針を示しました。それでは、海外市場の勘案とは、一体、何を意味するのでしょうか。

 ヤフーとLINEの両業者は同一の事業を営み、かつ、ライバル関係にある同業者ではなく、事業分野が異なる異業者です。しかも、IT産業は誕生してから日が浅く、シェア・ビジネスなどの様々な新しいビジネスモデルも登場してきています。黎明期にある規模の小さなスタートアップ企業の買収等に対しては競争法の規制も弱いため、IT大手は、その莫大な資金力を以って様々な新種の事業分野に進出することができたのです。すなわち、デジタル社会の到来によって将来的に有望となる様々な事業を、IT大手が既存のビジネスを潰しながら独占してしまう可能性があり、先進諸国では既にこの問題が顕在化しているのです(デジタル時代の‘財閥化’…)。日本国内では、中国にWeChatを基盤に幅広い事業を展開するテンセント等が存在するため、日本国にも“すわ‘スーパー・アプリ’の登場か”と騒がれていますが、アメリカで活発になっているGAFA分割論も、IT大手による経済の囲い込み、否、経済支配に対する懸念がその根底にあり、自由主義国の流れは集中に対する規制強化に傾いています。

その一方で、両者とも、IT大手にしてプラットフォーマーという共通点があり、両者が構築したプラットフォームをインフラに喩えれば、共にユーザーのデータ収集が可能な同業者とする見立てもできなくもありません(両者の統合により、個人情報を含むデータ収集力が格段にアップ…)。同統合のメリットとして、両者がスマホ決済の分野での協力も指摘されていますが、プラットフォームの規模拡大は、他の‘スーパー・アプリ’化を目指すプラットフォーマーのみならず、既存の事業者、そして、アプリの使用により情報が筒抜けになりかねない個人ユーザーにとりましても脅威となるのです。

以上に述べたように同統合によるリスクは、従来型の単なる市場のシェアの問題ではなく、事業範囲の拡大とデータ収集を基盤となるプラットフォーム規模の拡大との相乗作用による経済支配ということになるのですが、ソフトバンク・グループの世界戦略としては、GAFAに匹敵するようなIT巨人をアジアからも誕生させる、ということのようです。公正取引委員会がこの主張をそのまま認めますと、同統合案が審査を通過する可能性は高いと言えましょう。何故ならば、グローバル市場を判断基準とすれば、たとえ両者が統合したとしも‘弱小連合’に過ぎないからです。同グループが、殊更にGAFAや中国IT大手による独占状態を打ち破る対抗馬としての姿勢をアピールするのは、グローバル市場における競争促進効果を訴えることで自らの統合案を正当化したいのでしょう。しかしながら、この説明には注意が必要です。

注意を払うべき理由は、第1に、メッセージアプリ事業には、この説明は通じ難い点です。プラットフォーム型の事業は、消費者のスマートフォンやPCを‘端末’とする広域的なネットワークによって構成されています。ところが、メッセージアプリ事業については言語による制約がありますので、ユーザー間のコミュニケーションを介する国境を越えた事業展開は容易ではないのです。LINEもタイにおいては相当数のユーザーを獲得しているそうですが、他の諸国では伸び悩んでいるそうです。つまり、表向きは海外展開を掲げながら、現実には、LINEがメッセージアプリ事業をほぼ独占している日本国においてこそ、‘スーパー・アプリ’競争に際して、圧倒的に優位なポジションを占める可能性が高いのです(他の事業者は、メッセージアプリのプラットフォームを保有していない…)。

第2の理由は、ヤフーとLINEの統合は、日本国の国益に適うとは言い難い点です。かつて、日本国では、国際競争力の向上の観点から、当事企業が両社とも鉄鋼大手でありながら新日鉄と住友金属との合併を認めました。グローバル時代における最初の大型合併承認の事例となったのですが、同判断には、グローバル時代を生き抜く規模を備えた‘日の丸企業’の誕生への期待があったと指摘されています。ところが、ヤフーとLINEの合併によって誕生する新会社の資本関係は、ソフトバンク・グループが親会社となるとはいえ、同グループの決定権を握る孫正義氏は韓国系ですし、かつ、LINEの親会社である韓国のネイバーが50%を出資するそうです。つまり、‘日の丸企業’というよりも‘大極旗企業’の色合いが強く、むしろ、LINEの利用者が8000万人に達している現状では、韓国の国益のために統合を認めるに近いのです。韓国が国策として自国市場を基盤としてグローバル市場に打って出るならば分かるのですが、これでは、日本市場が踏み台にされている感があります。米中のIT大手に対抗するために、今般の合併を認めたところ、別の外国企業、即ち、韓国系企業の日本経済への支配力が強まるのであれば、どこの国の利益ための政策であったのか、誰もが疑問に思うことでしょう。

 第3に指摘すべきは、日本国内での競争消滅のリスクです。ユーザーのスマートフォンやPCがネットワークの端末となるプラットフォーム型の事業は、プラットフォームの規模に比例して利便性も高くなるのですが、米中のIT大手に対する対抗勢力の結成を理由に同案が認められれば、今後とも、同様の理由によるIT企業間の合併案を承認せざるを得なくなりましょう。しかしながら、日本国内の企業規模からしますと、全てのIT企業が合併しても米中のIT巨大企業には到底及びません。結果として、日本国内での企業間競争が消滅する、あるいは、韓国系が認められるのであるならば、他の国の企業によって買収される可能性も否定はできないのです。

 以上に主要な問題点を述べてきましたが、これらの諸点からしますと、ヤフーとLINEとの統合計画には慎重にならざるを得ないように思えます(たとえ承認されたとしても、厳しい条件や制約が付されるかもしれない…)。果たして公正取引委員会は、どのように判断されるのでしょうか。

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ヤフー・LINE統合問題-デジタル時代は‘財閥支配’の時代?

2019年11月15日 18時30分00秒 | 日本経済
先日、ネット検索大手の一角を成すヤフーと日本国内のメッセージアプリ事業をほぼ独占しているLINEとの統合案が公表されました。統合の目的としては金融サービス部門での投資の効率化等が挙げられていますが、この統合案、スムースに実現するとは思えないのです。

 グローバル化の時代とは、民営化の時代であると共にデジタル化の時代でもありました。これらの3つの新しい波は一体化するかのように全世界を覆ったのですが、それは同時に、財閥化の時代でもあるのかもしれません。日本国では、戦後にGHQの手によって財閥解体がなされ、経済は‘民主化’されています。こうした経緯もあって、多くの人々は、集権的な財閥は過去の遺物であり、来るべき未来には、より自由で分散的であり、消費者や企業を含むあらゆる経済主体が伸び伸びと活動し得る経済ヴィジョンを思い描いていたことでしょう。そして、グローバリズムにこの未来の実現を託していたのです。

 しかしながら、しばしば理想と現実とは違うものです。否、メビウスの輪の如くに逆になることもあります。この点、近年の状況を観察しておりますと、グローバル化と共に分散化よりも集中化の方が遥かに高スピードで進展しており、新たな財閥が登場してきているのです。例えば、フェイスブックの行動を見ましても、デジタル通貨の発行を目論んだリブラ構想でも知られるように、本業のSNS事業で構築したプラットフォームを基盤として、他の事業へも幅広く進出しようとしています。一方、中国でも「スーパーアプリ」が急速な成長を見せており、テンセントの事業は、対話アプリ、ネット通販、決裁、動画配信、ゲームといったあらゆる分野に亘ります。

 こうしたプラットフォーマーの財閥化に関しては、データの独占問題もあり、近年、批判が頓に高まっています。アメリカでは、既に巨大IT企業であるGAFAに対する分割論も大統領選挙の争点に数えられ、日常的に利用される故に国民の関心が高いのです。競争法の世界では、一つ、あるいは、少数の企業が複数の分野に亘って広く事業を展開する‘財閥’の形態は、経済を支配し、競争を阻害する‘集中’として規制の対象となってきました(もっとも、日本国では財閥を解体した当のアメリカでは、既存の財閥に配慮して集中規制が緩いという問題もあったのですが…)。プラットフォーマーの強みを活かして事業分野を拡大し、そこから収集される様々なデータをも囲い込もうとする企業戦略は、公正公平であるべき競争において他の企業や起業家を不利な立場に置きますし、消費者を含む取引相手にも不利益を与えかねないからです。先日、ソフトバンクの孫正義氏が講演会においてデジタル社会は‘勝者総取り’と述べていましたが、実のところ、勝者による独り占めは競争法上の違法行為なのです。

かくして、少なくとも自由主義国における今日の潮流は、巨大IT企業に対する規制強化の方向性を示しているのですが、今般のヤフーとLINEの統合は、許されるのでしょうか。同統合には、アメリカがファウィエを排除した理由と同様に、LINE側が韓国企業であるネイバーの子会社であり、ソフトバンクグループのトップである孫氏も韓国系であることから、情報収集・管理に関する安全保障上の問題点もないわけではありません(ネイバーは反日を国是とする韓国政府に対して情報提供義務を負っている…)。政治的問題に加えて、やはり競争法上の集中が問題となる可能性は低くはありません。日本国でも持ち株会社が解禁され、持株会社が子会社を束ねる企業グループが多数出現しましたが、ソフトバンクグループは、携帯電話等の電気通信分野に加え、太陽光発電等の電力事業、投資事業など、企業買収を繰り返すことで既に巨大な‘財閥’と化しています(‘孫財閥’?)。LINEとの統合が実現すれば、SNSのプラットフォーム諸共LINE傘下の事業をも吸収することになりますので、経済支配力は一段と増すことになりましょう。

最近、日本国の公正取引委員会は、企業規模を主たる基準とする従来型の規制では十分には対応できないとして、データの価値を考慮するなど等の新たに審査指針を示し、デジタル・プラットフォーマーに対する審査を強化する方向性を示しております。事実上のソフトバンクグループによる買収を意味するヤフーとLINEとの統合案は(共同出資の新会社はソフトバンクの子会社に?)、金融サービス事業におけるライバル排除効果のみならず、経済支配を意味する集中問題をも含みますので、同委員会が、すんなりと承認するとは思えないのです。グローバル化がデジタルの世界における財閥支配を帰結するとしますと、警戒論が自ずと高まるのも無理もないのではないかと思うのです。

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最低賃金全国一律の効果はプラスかマイナスか?

2019年05月07日 17時59分52秒 | 日本経済
報道に拠りますと、厚労省の幹部が自民党議員連盟会合において業種別に最低賃金を全国一律化する考えを示したそうです。おそらく、ここ数年来、地方経済の活性化が叫ばれながら人口減やシャッター街の増加に歯止めがかからない現状に鑑みて、地方の賃金レベルを上げればこれらの傾向を止められると考えたからなのでしょう。しかしながら、今日における経済のグローバル化現象を考慮しますと、必ずしも同省の思惑通りには政策効果が現れない恐れもあります。

 首都圏等の都市部と比較しますと地方の物価水準は低く、この状況下にあって最低賃金を上げますと、地方への移住を考える都会の住民も多数現れるかもしれません。賃金が同一であれば、食品等の価格が安い地方で生活する方が豊かになるからです。この点に関しては、最低賃金の一律化は地方移住へのインセンティブを与えることでしょう。

 その一方で、企業の経営者の視線から見ますと、最低賃金の一律化は全く逆の効果、すなわち、地方への拠点の移転を抑制してしまう効果をもたらすように思えます。そもそも、地方経済の衰退の原因の一つとして上がられているのは、生産拠点の海外移転です。かつては都市部と比べて賃金水準が低いことを理由として、日本企業の多くが生産拠点等を地方に設けていました。企業の地方進出が地方経済を支え、かつ、全国レベルで日本経済を活性化させるという好循環が成り立っていたのです。しかしながら、グローバル化の時代を迎えますと、国内の生産拠点を維持するよりも、中国やその他の新興国に移転した方が人件費を低く押させることができるため、企業は、国内の地方から海外へと生産拠点を移転させたのです。

 こうした地方経済の衰退原因が生産拠点の移転にあった点を考慮しますと、最低賃金の全国一律化は、この傾向に拍車をかける可能性があります。各地方自治体とも、企業誘致に熱心に取り組んでいますが、地方における賃金レベルの上昇は、誘致にはマイナスの方向に作用します。すなわち、たとえ法定の賃金が数字の上で上がっても、雇用の場が確保される、あるいは、増加しなければ、政策効果としては意味がないこととなるのです。最悪の場合には、地方からのさらなる企業撤退と海外移転を促進しかねないのです。

 同政策は、上記の点の他にも様々な角度からその実現が危ぶまれておりますが、もしかしますと、真の意図は別のところにあるかもしれません。事実上の移民政策が4月1日から始まっていますが、本当のところは、外国人労働者を地方に誘導するための政策である可能性も否定はできないのです。政府は、都市部への外国人労働者の集中を避けるために、地方への分散移住をさかんに訴えていたからです。最近、政府が推進する政策には、表向きの理由とは異なり、国民の利益に反するケースが多々見受けられますが、最低賃金の全国一律化もまた、疑って然るべき政策のように思えるのです。

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G5が明かす過酷なグローバル時代の到来-策なき日本国政府?

2019年04月05日 13時43分22秒 | 日本経済
‘適者生存’はダーウィンの進化論におけるセントラルドグマですが、ある特定の環境において最もそれに適応した者が生き残るのは、あらゆる分野で通用する自然の理であるかもしれません。この観点から経済を眺めて見ますと、劇的な環境変化の末に現れつつあるグローバル市場にあっても、同環境において自らの有利性を発揮できる適者と不利な境遇に置かれる不適者の両者が生じるのは当然とも言えましょう。

 一般的には、グローバル時代の到来は、全ての国、企業、そして個人に対してチャンスを与える人類の理想郷として宣伝されています。しかしながら、現実には、チャンスは必ずしも全てに対して公平ではありませんし、‘適者生存’の結果として絶滅、即ち、淘汰される危機に直面する者もあり、結果の平等も望むべくもありません。グローバリズムの進展とともに格差が拡大したのも、環境の変化という要因によって説明できなくもないのです。もっとも、グローバリズムの効用として途上国における貧困の改善がしばしば指摘されますが、現象としてはファクトであっても、富裕層50%:先進国中間層45%:途上国貧困層0%の富の配分図が、富裕層90%:先進国中間層6%:途上国貧困層4%となったのであれば、全体を見ればやはり格差は拡大したこととなります。

 それでは、グローバル時代においては、どのような要素を有していれば‘適者’となれるのでしょうか。それは、言うまでもなく‘規模’です。グローバル市場とは、人類が到達したこれ以上の大きさはない究極の市場であり、そこでは、人口、資金、経営組織、人材…等において規模が大きければ大きい程に有利となるのです。規模を基準とすれば、13億の人口を擁する中国や資金力に優る米国にとりましては、グローバル市場は最適の環境とも言えるのです。

この点から見れば、日本国政府が、グローバル市場の実現に協力すべく自国を無防備に開放する政策は、規模に劣る日本企業にとりましては、過酷な環境に放り出されるに等しくなります。言い換えますと、日本国政府は、自国企業にとりまして生存が難しい環境を自ら造りだしていることを意味します。実際に、全世界レベルで導入が予定されているG5の政府調達の分野では、日本の通信機器メーカーは、絶滅寸前の状態にあります。政府の国家戦略の下で特許の大半を有する中国のメーカー、5Gの中核技術を押さえる米国企業、そして、ノキアやサムスンといった企業がシェアを寡占すると予測されており、日本の通信機器メーカーは、今や風前の灯なのです。

そして、規模に加えて、グローバル市場において優位性をもたらすもう一つ要素は‘スピード’です。‘スピード’にあっても‘規模’が関係する場合もありますが、特に時空の占有を伴うインフラ事業やプラットフォーム型のビジネスでは、‘先手必勝’の側面があります。また、新ビジネスはいわばフロンティアの開拓であるため、各国とも政府の規制がほとんどなく、一気に事業を広げるチャンスにも恵まれています。知的財産権の独占性も最大限に活かされるのであり、中国企業が、5Gの導入を機にグローバル・スタンダードの設定者の地位に上り詰めたのも、それが新規導入というフロンティアの分野であったからです。日本国政府は、スピード感をもった改革を訴えていますが、実のところ、この方針は、逆に自国経済の衰退を速めている可能性さえあるのです。

‘規模’と‘スピード’を兼ね備えれば鬼に金棒であり、ここに、グローバル時代における‘適者’の条件が見えてきます。そして、この条件を備えているのは、米中企業、並びに、極少数のその他のグローバル企業となるのですが、これまでの日本国政府の政策は、自国企業が敗者となることを忘却し、‘適者’のために立案されてきたように思えます。仮に、G5の分野において日本企業が‘絶滅’するならば、米中企業に対して支払われる特許の使用料だけでも膨大となり、エネルギー資源と同様に、構造的な知財依存体質が国際収支の悪化を招くかもしれません。中規模国家における成功例であるノキアやサムスンと比較しますと(ノキアは欧州市場を背景に独仏等の大手企業を買収し、サムスンには政府や国際金融の支援があった…)、技術立国であった日本国がG5においてグローバル市場から姿を消すとしますと、これは、日本国政府の産業政策上の失策であったとも言えるのではないでしょうか。かつて、保護主義の根拠として幼稚産業の保護が挙げられてきましたが、今日のIT大手がグローバル市場を瞬時に席巻してしまう状況を見ますと、この説にも一理があるように思えます。

上記の諸点を考慮すれば、日本国政府が今後において目指すべき方向性とは、徒に自己を不利にする極端なグローバリズムに同調するのではなく、内外両面において自国企業を保護・強化する必要があるように思えます。基本的には、(1)外部環境への働きかけにより、日本企業のサバイバル環境を整えること(この点については、他の中小諸国と連携できる…)、(2)独自技術を育成すべく、国家レベルでの情報・通信インフラに関する研究・開発体制を再構築する(3)自国の5G関連の政府調達に際しては日本企業を優先する(情報・通信分野であるために、安全保障を理由に認められる可能性がある…)(4)ポスト5Gを睨んだ新たな分散型システムの開発を促進する…といった方策が考えられます。不適者が苦境にあって適性を獲得してゆくことで生物に多様性がもたらされ、高い知性を有する人類をも誕生させたのであるならば、日本国もまた座して‘淘汰’を待つのではなく、その知恵を以って難局を乗り越えるべきではないかと思うのです。

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パナソニックの未来は大丈夫?-ポストIoT時代を見据えては?

2019年02月10日 13時39分00秒 | 日本経済
本日2月10日の日経新聞朝刊の2面には、都賀一宏パナソニック社長のインタヴュー記事が掲載されておりました。同社長曰く、パナソニックが目指すべき理想像とは、‘ハードを造らないメーカー’なそうです。将来的には、家電製品が全てネットで繋がるIoT時代の到来に合わせ、端末化した家電製品やシステムそのものの設計や技術の研究・開発のみに特化した事業者としてのサバイバルを目指しているようです。しかしながら、この見等に合わせて練り上げたこの戦略自体が既に時代遅れになる可能性もあるのではないかと思うのです。

 インタヴューでは、製造は海外企業に任せてもよいと述べていますので、‘モノづくり’を得意としてきた日本企業による‘モノづくり放棄宣言’にも聞こえます。日本国内には家電等の消費財を日常的に使用する1億3千万人の国民が暮らしておりますので、マクロの視点からすれば、これらを全て輸入品で代替することは不可能です。貿易収支が大幅の赤字となり、やがて貿易決済ができなくなるからです(相手国企業が円決済を認めた場合のみこのリスクが低下する…)。つまり、この方向性は、‘製品輸出で外貨を稼ぎ、同外貨で資源を輸入する’という戦後日本国の貿易パターンが崩れることを意味するのです。パナソニック一社であれは最適な経営戦略であっても、日本国全体から見ますと死活問題にもなりかねません。

おそらく、従来の貿易パターンに替って‘知財で稼ぎ、そのライセンス料等で消費財を輸入する‘という新たなパターンを構想しているのでしょう。しかしながら、知財、もしくは、金融のみで1億3千万人の生活を支えることは極めて困難です。そして、この’新パターン‘を実現させようとすれば、日本国の教育制度にあっては、ITやAI等に関する知識や技能を教え込む情報科学を必修科目として初等教育段階から組み入れる必要性も生じます。人には向き不向きがありますので、全ての日本国民をこの道のエキスパートにすることはできませんし、仮に、全国民を情報エキスパートに育て上げたとしても、金融分野と同様に、研究・開発職の需要は限られています。つまり、日本国民の大半が失業者となりかねないのです。

しかも、今日、IT大手が人材確保に奔走しているように、こうした分野でイノヴェーションを起こすほどの人材は世界を見渡しても僅かしかおりません。高給の下で採用された天才的頭脳を有する人材であっても、一生涯の雇用を約束されているわけでもないのです(どちらかと申しますと、’使い捨て型‘なのでは…)。また、企業は、自社に必要な人材を躊躇なく海外に求めるでしょうから、日本国民の雇用機会はさらに狭まります。逆に、日本国の’教育改革‘の甲斐あって優秀な日本人IT・AI技術者を育てたとしても、巨額報酬を提示した米中のIT企業からヘッドハンティングを受けて引き抜かれてしまうかもしれません。

かくして、長期的に見ますと、日本企業であってもそこで働く人々の大半が外国人となり、実質的には、日本企業とも言えなくなります。さらに、市場規模や税制等を基準として本社を海外に移転させるとしますと、‘脱日本化’が完了してしまうのです(企業のグローバル化が辿る道…)。つまり、この段に至りますと、日本国の貿易の新パターンであったはずの‘知財で稼ぐ’路線も自然消滅し、日本経済、あるいは、日本企業は、IoT時代にあってプラットフォームを独占した米中何れかのIT大手企業の傘下に組み入れられ、日本企業としての独自性を発揮する余地を失うことでしょう。

以上に述べたように、IoT時代への対応としての‘モノづくり’の放棄の先には、日本人の大量失業や日本経済の従属化という未来が見えてくるのですが、ここで考えるべきは、人類は、真に全てがネット繋がるIoT時代の到来を望んでいるのか、という点です。既にGAFAの情報独占に対してプライバシーの侵害等をはじめ、批判や警戒論が広がっております。人という存在は、自らのプライバシー、即ち、他者から干渉されない自分だけの自由な空間を護ろうとしますので、家庭内にあってさえ自らの行動が情報化され、他者に監視・管理されるリスクが高いIoTに対しては本能的な嫌悪感を覚える可能性も高いのです。

情報化社会におけるプライバシーの保護については、ハッカー等からの攻撃を防ぐ安全技術の開発によって対応するのも解決手段の一つですが、ここで発想を転換させる必要もあるように思えます。つまり、プライバシーが侵害されるリスクのない安全な製品を、敢えて‘売り’にするという方法です。自らの日常の発言や行動が情報化され、文章、映像、音声として記録・保管されてしまうデジタル時代にあっては、個々人は、日々データとして蓄積されてゆく自らの個人情報の行方や利用にまで神経を使う必要に迫られ、それは、精神的なストレスとして人々を苦しめます。完璧に整備されたIoT社会とは、24時間監視体制の監獄に等しく、むしろ、人々は、自由を求めるかもしれないのです。

このように考えますと、家電メーカーが、IoT時代を前提として企業戦略を立案し、研究・技術開発に当たってもIoT仕様の製品開発やサービスに投資するよりも、言葉は悪いのですがその’裏をかく’ような‘自由型製品’の市場開拓に努めるのも一案です。もっとも、ネットから隔離された‘自由型製品’とは言っても、従来の家電とどこも変わりはないではないか、とする批判もありましょうが、‘自由’のアピールは、中国におけるIT監視社会化の現実が人々の危機感を募らせる中、それだけで購入意欲を高める宣伝効果があります。従来型の製品であっても、人々のニーズに応え、利便性を高める製品開発の余地はあるはずです。また、IT技術を発展的に利用するならば、IT大手のプラットフォームの介在を要さずに、ネット上に個人が閉鎖型のネットワークを構築し得る分散技術の開発もプライバシー保護には役立つかもしれません。

社長による‘モノづくり放棄宣言(ファブレス化)’をパナソニックで働く社員の方々がどのように聞いたのかは分からないのですが(士気が下がったのでは…)、未来の目標とされながらも、現時点にあってIoT時代に深刻化が予測される諸問題が明らかになっておりますので、先の先、すなわち、ポストIoT時代を見据えた経営戦略こそ、日本企業のサバイバルの鍵となるように思えるのです。

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ファウエイ排除は日本企業のチャンスでは-‘安心の日本製’のアピールを

2018年12月19日 12時48分03秒 | 日本経済
米中貿易戦争は、制裁関税に留まらず、安全保障を根拠とした中国製品の排除に及ぶ段階に至っております。グローバル企業であるファウエイ(華為技術)は、日本企業からも部品等を調達しており、ファウエイ排除の影響は日本経済にマイナス影響を与えるとするのが一般的な見方です。しかしながら、ファウエイ排除が、中国企業に押され気味の日本企業にとりまして、躍進のチャンス到来となる可能性もないわけではありません。

 ファウエイ製品は、既に日本国内でもスマートフォンの端末や基地局として販売されており、一定のシェアを占めています。今後、各国で導入が予定されている5G市場でも、トップクラスのシェアを確保するとされ、そのグローバル戦略が注目されてきました。飛ぶ鳥を落とす勢いであったのですが、中国の脅威を前にして、アメリカを筆頭に‘ファイブ・アイズ’諸国が中国製品の締め出しに転じ、同盟国である日本国もまたこの動きに追随する方針を決定しています。かくして、ファウエイ製品は、自由主義国の市場を失うこととなるのですが、これは、各国の情報・通信市場において‘空白’が生じることを意味します。

 ファウエイ製品排除によって生じる市場の‘空白’こそ、同社と競合している日本企業にとりまして、シェア挽回のまたとないチャンスとなります。そして、ファウエイの失墜原因が安全保障上のリスクとなりますと、日本企業のチャンスはさらに広がります。何故ならば、日本製品の強みは、その信頼性にあるからです。アメリカが、ファウエイ製品を排除したのは、同社の製品には‘バックドア’秘かに組み込まれており、国家安全保障上の機密が漏れる怖れがあったからです。中国共産党との密接な関係は、ファウエイが世界有数の巨大企業に伸し上がる踏み台となりましたが、今ではこの関係が裏目に出て、ファウエイは中国の国家戦略の手先、即ち、‘スパイ製品’と認定されているのです。言い換えますと、ファウエイの競争上の最大の弱みは、その信頼性の欠如にあります。

 一方、自由主義国の一員である日本の企業の製品には、‘スパイ容疑’はかけられていません。情報漏洩のリスクが常に問われる情報・通信の分野では、製品の信頼性が保証されていることは、決定的な優位性をもたらします。価格競争では劣位にあったとしても、信頼性で優位すれば、前者の弱点をカバーすることができるのです。如何に安価な製品であっても、使用に伴って情報が外部に流出し、しかも、それが延いては国家の安全をも脅かすリスクとなるならば、誰もが購入を躊躇うことでしょう。日本企業が製品の信頼性、即ち、バックドアなき安全な製品であることを積極的にアピールすれば、国内市場に留まらず、他の諸国でも売り上げを伸ばすかもしれません。ファウエイ製品のダークなイメージが広がる中での日本製品の安全アピールは、中国の魔の手から逃れたいとする消費者の心を掴むかもしれないのです。

 日本国政府は、今のところ、ファウエイ製品の排除は5G用の機器、並びに、官公庁といった政府機関に限るそうですが、同社の製品に対する信頼性の低下は、一般のスマホ端末などにおける同社のシェアを自然に押し下げることでしょう。そして、日本企業のシェアが拡大すれば、ファウエイに納品してきた日本企業の各社も、国内メーカーへの供給増加でマイナス影響を相殺できるかもしれません。危機とは常にチャンスに転じることができるのですから、徒に悲観するよりも、‘安心の日本製’を掲げた新たなるチャレンジャーとして、この機会を活かすべきなのではないでしょうか。

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グローバリズムの‘隠れ負け組’-日本企業が‘捨て石’になるリスク

2018年12月16日 13時21分04秒 | 日本経済
近年、グローバリズムの理想化された世界ヴィジョンに背を向ける反グローバリズムの嵐が各国で吹き荒れるようになりました。フランスで発生している激しい反マクロン抗議デモも、それが何らかの勢力に煽られたものであれ、グローバリズム、否、新自由主義に対する抗議行動の一環として理解されます。

 こうした反グローバリズムの動きは、一般的には、産業の空洞化に見舞われた先進国の人々の間で起きているとされています。製造拠点の海外移転、移民の増加による雇用不安と賃金の低下、治安の悪化等々、どれ一つを取りましても一般の人々が反グローバリズムに転じる尤もな理由です。ポピュリズム批判もこの側面を根拠としているのですが、それでは、グローバリズムは、その恩恵を受けるとされる企業側に対して‘勝ち組’の地位を約束しているのでしょうか。

 企業にとりましては、国境を越えて自らのビジネスを展開できるようになるのですから、グローバルズムはチャンスとなるはずです。しかしながら、幾つかの点で、企業もまたグローバリズムの‘負け組’に列する可能性があります。グローバリズムとは、相互の市場を隔ててきた障壁を取り払い、フィールドを拡大することを意味しますので、自国市場に手強い競争相手が参入してくれば、‘負け組’が発生するのは必然です。羊さんがのんびりと草をはむ牧場の垣根が取り払われれば、獰猛で狡猾な狼さんに食べられてしまう羊も現れてしまいます。また、貿易障壁の撤廃をチャンスとみて他国の市場に参入しても、競争力に乏しければ、ここでも‘負け組’の運命を余儀なくされます。

こうした競争の激化による表に見える‘負け組’に加え、グローバリズムには、表面から見えづらい‘隠れ負け組’も存在しているように思えます。この‘隠れ負け組’は、グローバル市場では‘規模の経済’が有利に働くがために生じる、企業間の国際連携や結合、あるいは、M&Aによって拡大したグローバル企業においてしばしば観察されるパターンです。このパターンは、日産のゴーン元会長逮捕劇を通して、既に人々の意識に上るようになっております。

仏ルノーの出資を受けて再建した日産では、ルノー側から派遣されたゴーン前会長による半ば独裁体制が敷かれるに及び、“三社連合”の美名のもとに、日産の利益がルノー側に吸収されてしまうという構造が構築されるようになっておりまいた。さらに、日産は、ルノーに子会社化される寸前でもありました。ゴーン前会長逮捕後も日産の独立性に関する危機は続いており、特に、日産がその技術力を以って育んできたバッテリー部門は、子会社と共に中国系ファンドに売却される予定であるそうです。グローバルな視点からすれば、日本で開発された先端技術を大量生産に適した中国に移転すれば、最適な事業体制の下でグローバル市場を闘うことができます。買収、あるいは、提携した企業の技術力を利用するだけ利用して、‘捨て石’にするという経営判断は、グローバル企業の経営陣にとりましては至極当然であり、かつ、必要不可欠な戦略なのです(出資比率に拘わらず、このパターンは起こり得る…)。

このように考えますと、ルノー・日産・三菱自動車の三社連合、あるいは、独ダイムラーを加えた4社連合は(既にルノー・ダイムラー、並びに、三菱自動車・ダイムラー間に出資関係がある…)、グローバル企業としては表面的には‘勝ち組’に映りますが、その実、技術力を抜き取られてしまった日産や三菱自動車には、‘隠れ負け組’となる運命が待ち受けているかもしれません。

日産の場合には、経営が傾いたことで仏ルノーとの提携に踏み切りましたが、今後は、グローバル市場での競争を想定して規模の拡大を目指すより、シンプルなM&Aも増加することでしょう。しかしながら、国内企業間の合併でも指摘されるように、出資比率等により企業合併は必ずしも対等性が確保されるわけでも、利益が均霑されるわけでもなく、何れかの企業が‘隠れ負け組’となるリスクは否定できません。すなわち、‘勝ち組’企業体の一角を構成していながら、実は、“負け組”となってしまう企業が続出する可能性があるのです。グローバリズムの波に乗った国境を越えたM&Aはきれいごとでは済まされない段階に至っており、特に、中国系企業やファンドによる日本企業買収の増加には、国家戦略が背後に控えている故に警戒を要するものとなりましょう。

日本企業は、グローバル化によって‘捨て石’となる覚悟はあるのでしょうか。日本国の経済界は、グローバリズム歓迎一色のようにも見えますが、技術力において優りながらも規模に劣る日本企業が‘隠れ負け組’となるリスクが存在することも、慎重に考慮するべきなのではないかと思うのです。

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アメリカへの対抗策としてのRCEPは日本国の自滅行為では?

2018年07月02日 15時06分02秒 | 日本経済
7月1日、東京都内で東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の拡張会議が開かれ、年内での大筋合意を目指すとする共同声明が発表されました。かくも日程を急ぐ理由は、アメリカの保護主義への対抗とされておりますが、RCEPの成立は、日本経済にとりましては、自滅行為なのではないでしょうか。

 第1に、たとえ日本、中国、インド、東南諸国等を含む16カ国によってRCEPが成立したとしても、それ自体、アメリカの保護主義政策を変更させる効果は期待できません。アメリカが保護主義に転じたのは、NAFTA等の経験から、自由貿易協定への参加が自国や自国民に不利益を与えるとする判断からであり(産業の空洞化の加速…)、そもそもRCEPに加わる理由がないのです。経済格差を有する諸国による自由貿易圏の形成は、一部のグローバル企業は別としても、一般的に先進国が不利となる点を考慮すれば、広域自由貿易圏としてのRCEPが成立すれば、アメリカが参加していない以上、日本国こそ他の諸国から‘草刈り場’にされてしまう可能性があります。

 第2に、アメリカへの対抗の意味が、EUの欧州企業の如く、アメリカ企業に匹敵する規模の‘アジア企業’を育成することにあるとすれば、それは、既にグローバル企業として巨大化した中国企業のさらなる規模の拡大を意味しかねません。言い換えますと、RCEPを枠組みとして資本移動の自由化が進むことで、日本企業は、技術もろともにM&A等を介して中国企業に飲み込まれる可能性が高いのです。

 第2点に関連して第3として挙げられるのは、中国の企業政策のリスクです。中国共産党は、自国企業に対して共産党員の経営参加を法律で義務付けていますが、中国企業の日本市場への進出、並びに、日本企業の中国市場進出は、同時に、日本経済と日本企業が、中国共産党の政治的影響を受けることを意味します。政経一致体制である中国を含むRCEPは、中国からの経済的支配に留まらず、政治的支配を受けるリスクを含意しているのです。

 第4に指摘し得る点は、貿易決済通貨の問題です。TPP11では中国が参加していないため、貿易決済通貨は国際基軸通貨である米ドルが中心、あるいは、日本円が使用される可能性がありますが、RCEPともなりますと、各国とも、中国の人民元が決済通貨として使用するよう圧力を受けるかもしれません。乃ち、RCEPは、中国の野望である‘人民元通貨圏’の形成に手を貸してしまうかもしれないのです。

 そして第5点を挙げるとすれば、米中貿易戦争が激化する中で、日本国がRCEPに軸足を移し、対米の構図で通商政策を展開しますと、日米同盟にも亀裂が生じ、軍事的野心をもはや隠さない中国を利してしまう点です。RCEPの成立を急いだ結果、中国の軍事的脅威が高まるようでは、安全保障を含めて日本国に対する影響をトータルに評価すればマイナスとしか言いようがありません。

 報道では、従来消極的であった中国が、米中貿易戦争に直面したことで、ようやく歩み寄りを見せたかのように説明しておりますが、習近平政権下の中国の国家戦略の基本路線が‘中国の夢’の実現である以上、RCEPもその踏み台に過ぎないのでしょう。対米要塞としてのRCEPが出現した時、日本国は、気が付かぬうちに中国陣営に組み込まれてしまいかねません。RCEPが、政治経済の両面において日本国の自滅となるリスクが存在する以上、拙速は避けるべきではないかと思うのです。

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日中経済関係改善への疑問-隠れた対中譲歩では?

2018年05月10日 15時15分44秒 | 日本経済
 8年ぶりの李克強首相の公式訪日で実現した日中韓サミットでは、経済分野における日中関係の改善が特に進展した分野として報じられています。マスメディア等では、米中関係の悪化を背景とした中国による対日譲歩として説明していますが、その内容からしますと、逆なのではないかと思うのです。

 第1に挙げられる点は、“再開”と表現されているスワップ協定における非対等性と元の国際化への協力です。今般、合意されたとする日中通貨交換協定の仕組みとは、邦銀が金融危機などの影響により人民元を調達できない事態に陥った場合、日銀が中国人民銀行から円と引き換えに元を調達して邦銀に提供するというものです。この仕組みで想定されているのは、元の調達危機であり、その逆はありません(それとも、逆パターンについてはマスメディアが報じていない?)。即ち、円調達に支障を来す事態は想定外であり、このことは、人民元を日中貿易での決済通貨や投資通貨と見なしていることを意味します。つまり、米ドルが国際基軸通貨である故に、他の諸国にとってその発行国であるアメリカとのスワップ協定が極めて重要となるように、中国は、日本国に対して人民元に‘国際基軸通貨’の地位を認めさせようとしているように見えるのです。これまで、日本国政府もまた、円の国際化政策を推進してきましたが、この方針は、中国に対する譲歩によって、事実上、放棄したこととなります。否、日本国政府は、一時頓挫していた人民元の国際化戦略に再度挑み始めた中国に協力していると言っても過言ではないのです。

 第2の懸念される点は、「日中サービス産業協力メカニズム」なる仕組みの構築です。サービス分野とは人の移動を伴いますので、仮に、相互にサービス市場を開放するためのメカニズムであるとすれば、移民問題と直結します。国民監視が徹底した独裁国家である中国の現状を考慮しますと、中国人による日本国での起業や就業が圧倒的に多くなるものと推測されます。言い換えますと、サービス分野での日中協力とは、日本国政府による隠れた移民政策、否、中国人移民受け入れ政策になりかねないのです。

 第3の疑問点は、日中映画協定の締結です。この協定により、日本映画が中国市場に参入しやすくなると説明されていますが、中国では、映画の内容は当局によって厳しくチェックされており、中国の体制を批判したり、共産主義やそれに基づく歴史認識を否定するような映画は上演することはできません。実際に、チャイナ・マネーを呼び込んだハリウッドでは、中国政府に媚びる作品が製作されなど、その弊害が問題視されるに至っています。こうした現実を直視すれば、日中映画協定とは、日本国の製作者に対する‘自己規制’の要求となり得るリスクがあります。

 加えて第4点として指摘し得るのは、中国が提唱する「一帯一路構想」を想定した日中間の第三国に対するインフラ分野での協力です。「一帯一路構想」に潜む中国の覇権主義は既に各方面から指摘されておりますが、今般の合意では、委員会を設置するという踏み込んだ内容となっています。たとえ日本国が僅かなりともビジネスチャンスを得たとしても、他国を中国支配のリスクに晒すような協力は、植民地主義を否定してきた国際社会の倫理に反します。無法国家の利己的な野望に手を貸すことにでもなれば、日本国は、後世に汚名を残すこととなりましょう。

 以上に主要な疑問点を挙げてきましたが、今般の日中協力において特筆すべきは、その手法が制度化を伴っている点です。同合意にはしばしば“メカニズム”や“委員会”という名が登場しており、いわば、中国の統治機構が日本国を絡め取るかのような様相を呈しているのです。一旦、こうした仕組みが設立されますと、行政組織の常として廃絶は困難となりますし、おそらく、これらの制度を介して、中国は、様々な要求を日本国政府に押し付けてくることでしょう。日中関係の改善が日本国に対する中国の介入強化を意味するならば、日本国民の多くは、警戒を強めこそすれ、決して歓迎しないのではないでしょうか。

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ソフトバンクの飽くなき支配欲を抑えるためには

2017年07月13日 14時59分04秒 | 日本経済
 ソフトバンクのエネルギー事業については、再生エネルギーを中心とした発電部門のみならず、モンゴルから日本を結ぶアジアエネルギー送電網構想を打ち上げ、今や送電部門にまで踏み込もうとしています。ソフトバンクの野望は留まるところを知らないかのようです。

  ところで、市場経済では、企業活動の自由は原則として認められており、それ故に、企業間には競争が生じます。ところが、幾つかの分野では、企業間競争が働かず、公的であれ、私的であれ、独占が生じやすい分野があります。独占傾向の強い分野の一つが生活、並びに、産業の基盤となるインフラ事業です。公共性の高いインフラ事業を掌握すれば、その国の国民生活から経済に至るまで、容易に支配力を及ぼすことができるのです。

ソフトバンクの脅威について語る時、その事業分野に注目する必要があります。何故ならば、同社は、敢えてインフラ部門を事業分野として選んでいるからです。設立当初は、IT関連の出版やシステム開発を事業分野としていましたが、やがて通信分野にも進出し、2006年にはボーダフォンの買収により旧国鉄の鉄道電話の通信網を掌握することで、三大携帯電話事業者の一角を占めるに至ります。通信事業の傍ら、同社は、投資活動にも熱心であり、5兆円ともされる公的資金が投入された日本債権信用銀行を492億円で買収しています(後に米投資ファンドサーベラスに凡そ1000億円で売却…)。金融とは、経済の“血液”とも称され、インフラに準じる経済の基盤事業でもあります。ソフトバンクホールディングスは、2006年に形としてはソフトバンクグループ本体からは独立したものの、2017年に、同グループは、サウジアラビアの政府系ファンドにも参加しています。エネルギー事業への進出は上述しましたが、加えて、半導体設計企業であるイギリスのARMホールディングスも凡そ3兆円で買収しており、“産業のコメ”とされる半導体部門でも主導権を握りつつあるのです。

以上に述べた沿革の概略から、同社が国家の資産を巧妙に手中に収めつつ産業の基幹部門を押さえると共に、経済の全体的な支配を目指していることは明白です。その一方で、インフラ事業の多くは公共サービス部門に属し、競争法における集中規制が及ばないケースが多いため、むしろ法規制が甘いというパラドクスがあります。特定企業による経済支配を阻止するためにも、日本国政府は、一企業による広範囲に及ぶインフラ事業の展開については、独占禁止法や事業法などの法改正、あるいは、包括的な規制法の制定により、厳しく規制すべきではないでしょうか。

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”プラットフォーム”を外資に席巻される日本国

2017年02月21日 15時20分46秒 | 日本経済
 最近の日本経済には、一つの特徴を見出すことができます。それは、プラットフォーム型のビジネスの殆どが、外国企業に握られてしまっていることです。

 この現象は、様々なビジネス分野で観察されます。まずSNSの世界では、日本企業の名は見えず、フェースブックやツイッタ―は米企業ですし、しばしばトラブルが報告されているLINEは韓国系です。最近では、民泊ビジネスにおいてこの傾向が顕著となっており、最大手のAirbnbが日本市場で登録物件数を拡大させている一方で、中国系の進出も増加傾向にあります。日本企業も存在しないわけではありませんが、特に中国系の場合には、中国人が日本国内で不動産物件を取得し、民泊施設として提供する事例が多くを占めており、住民との間のトラブルのみならず、テロ、衛生、犯罪、密入国等に関する懸念も指摘されています。日本国内では、空き家数が急速に増加してますが、このままでは、日本人住宅の一戸当たりの敷地面積が広くなるよりも、外国人向けの宿泊施設として利用される可能性の方が高くなります。日本国政府は、外国人訪日客の数を2020年には4000万人に増加させるという大胆な目標に掲げていますが、日本国民の生活の質的向上よりも、訪日客を優先するのでしょうか。しかも、プラットフォームの多くは外国企業に押さえられていますので、経済効果としての利益の大半も、海外に流出するかもしれません。

 プラットフォーム型のビジネスは、SNSであれ、民泊であれ、他者の所有物をネットワークで繋いでプラットフォームを構築し、それに自社の営業権を設定することで利益を得るという、いわば、”寄生”型のビジネス・モデルです。しかも、一般の観光用の宿泊施設とは異なり、人々の社会・生活空間と重なりますので、その影響は無視はできません。そして、一旦、プラットフォームが出来上がりますと、インフラ事業と同様に、独占的な地位を確立することも珍しくはないのです。

 今後は、インターネットやスマートフォンを使った民間タクシーなど、同様のビジネスが登場するでしょうが、日本企業が、プラットフォーム型ビジネスに乗り出さないのには、何か理由があるのでしょうか。海外投資を呼び込むことばかりに熱心な日本国政府が、自国企業に対して”規制”をかけているとは考えたくないものです。プラットフォーム型ビジネスにはそれ自体にも問題もありますので、この際、ビジネスモデルとしてのあり方を根本的に見直してみる必要があるように思えるのです。

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