万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

地球温暖化問題の謎を解くカギは火星移住計画にあり?

2021年04月30日 12時26分15秒 | 国際政治

 かねてより火星移住計画を推進してきたアメリカの民間宇宙企業スペースXの創業者、イーロン・マスク氏は、Xプライズ財団のピーター・ディアマンディス氏とのインタヴューにあって、火星への飛行は‘生きて帰れない旅’となるかもしれないと述べたと報じられています。同氏は、「火星への移住計画が人類存続のカギになると確信」しているそうですが、この計画こそ、もしかしますと、地球温暖化問題の謎を解くカギになるのではないかと思うのです。もっとも、本記事は推理の一つに過ぎず、誤りでありましたならば、申し訳なく存じます。お話を進めるに先立ちまして、予めお詫び申し上げます。

 

 何故、一見、地球温暖化問題と火星移住計画という、全く関係のないように見える二つの事柄にあって関連性を見出したのかと申しますと、火星の大気組成を知ったからです。火星の大気は、何とその95%が二酸化炭素と言うのです。地球の大気における二酸化炭素の割合は、わずか0.03%に過ぎません。地球と比較しますと、火星の大気における二酸化炭素濃度が如何に高いかが分かります。火星という惑星に人類が移住し、生活の地としようとするならば、まずは大気における高濃度の二酸化炭素こそ最大の障壁となりましょう。

 

 そして、ここに、火星の移住計画と地球温暖化問題を繋ぐ線が見えてきます。地球の気温上昇の抑制が目的であれば、メタンやフロンといったより高い温室効果ガスの排出規制の方が効果的ですし、’地球を護ろう’ということであれば、他の有害な大気汚染物質の規制強化の方が理に適っています。それにも拘わらず、どうしたわけか、二酸化炭素の排出規制のみが突出しているのです。これは、不可解な謎です。しかも、上述したように、地球の大気における二酸化炭素濃度は0.03%です。この二酸化炭素濃度の低さから、地球温暖化二酸化炭素犯人説を疑う声もあるぐらいなのですが、仮に、二酸化炭素に拘る真の目的が、「テラフォーミング」と呼ばれる火星の改造であるならば、二酸化炭素を処理するテクノロジーは、同プロジェクトの実現には必要不可欠となりましょう。

 

 もっとも、火星の大気は、質量にあって地球の凡そ200分の1しかなく、二酸化炭素から酸素を造り出して人類の居住地にするには、現状では二酸化炭素そのものの絶対量が少なく、2018年8月の時点では、マスク氏も火星のテラフォーミングを諦めたと報じられています。’火星の極致にある二酸化炭素の氷を核兵器で溶かして温暖化効果を起こさせる’とったアイディアもあったようですが、全ての氷を溶かしたとしても絶対量が足りないとして断念されたのです(因みに、火星では、大気の量が少ないとはいえ、二酸化炭素が95%を占めるにも拘わらず、その平均表面温度は-43℃、最低温度は-140℃の極寒の地であり、二酸化炭素の温暖化効果にも疑問が…)。

 

ところが、断念から3年後の今日、同氏は、’生きて帰れない旅’としながらも、同計画を放棄したわけではありません。2026年までに有人宇宙船による初の火星着陸を目指しており、その乗組員の募集にも意欲を見せているのです(無事に地球に帰還すれば名誉を得られる?)。それでは、同氏が再び火星のテラフォーミングに積極的に取り組むようになった背景には、一体、何があるのでしょうか。もしかしますと、二酸化炭素の固形化技術があるのかもしれません。今日、日本国を初め全世界レベルで二酸化炭素は‘悪者’とされ、温暖化対策として、排出された二酸化炭素を固体化して地下に埋蔵する技術が開発されています。いわば、二酸化炭素は‘産業廃棄物’扱いなのですが、この処理方法の先に、地球外に二酸化炭素を捨てる、すなわち、固体化した二酸化炭素を火星に運べばよいとする意見が登場してもおかしくはありません。

 

二酸化炭素を地球から火星に運搬する技術の実用化に目途がついてきたからこそ、マスク氏は、一度は断念した火星テラフォーミング計画を再開させたのかもしれません。そして、この推理が正しければ、マスク氏やその支持グループに属するメンバーを除く、全人類には危機が迫っているとも言えましょう。二酸化炭素の大量移送により、火星が人類の生存可能な居住空間に改変され、一部の人々が移住して快適に生活し得たとしても、地球では、二酸化炭素の大量流出から大気圏の菲薄化や植物へマイナス影響も発生し、その結果、酸素が不足し、居住環境が著しく悪化するかもしれないからです。

 

果たして、この推理、正しいのでしょうか。少なくとも、過激化する地球温暖化問題の背景には、別の目的が潜んでいるように思えてならないのです。


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’テクノロジー二流国化’が日本国の国策?

2021年04月29日 12時33分00秒 | 日本政治

 地球温暖化問題に対する取り組みとして、菅政権は、発足とほぼ同時に2050年までに温暖化ガスの排出量を実質ゼロとする野心的な目標を打ち上げました。産業界にとりましても、もちろん、国民にとりましても寝耳に水であったのですが、政府は、日本国の高い技術力を以ってすれば、同目標は達成できると主張しています。

 

 現状を冷静に見ますと、菅政権が掲げた目標は非現実的です。早々、目標達成は危ぶまれておりますし、国民も産業界も、同目標を実現しようとすれば、電気料金の値上がりや買い替え経費など、相当のコストを覚悟しなければなりません。しかしながら、菅首相は、現実的な視点からの如何なる反論や批判にも耳を貸すつもりはないようです。’日本のテクノロジー’という魔法の杖を一振りすれば、目標は達成できると言い張っているのですから。首相の態度は’精神論’とする批判も頷けるのです。

 

 その一方で、新型コロナウイルス感染症に対する治療薬やワクチンの研究・開発に視線を転じますと、日本のテクノロジーのレベルが危機に瀕しているとする報道が相次いでいます。ベトナム等の新興国でさえ国産ワクチンの開発に乗り出している中、日本国は、アメリカ、イギリス、ロシア、中国等に大きく後れをとったとされているからです。軍事大国がワクチン開発において先行した理由は、生物兵器の使用に備える必要性に求めることができますが、マスメディアをはじめ、ネット上でも、日本国が先端技術の開発において先進国から脱落したとして嘆く論調が散見されるのです。この日本後進国化論は、同時に、日本国政府への批判論でもあります。先端的な研究分野に対する予算配分や投資を蔑ろにしてきたとして…。

 

 そして、地球環境問題の分野と新型コロナ分野における日本国政府の対応の違いを見ますと、狡猾なダブル・スタンダード、あるいは、言行の不一致も見えてきます。前者にあっては、日本国のテクノロジーの優位性を主張しながら、後者にあっては、劣位の立場に甘んじようとしているからです。例えば本日も、日経新聞の朝刊一面には、将来のパンデミックに備えたワクチンや治療薬の緊急承認制度の法制化に関する記事が掲載されておりました。緊急承認の要件は、海外にあって使用されたものとしていますので、自国にあって世界に先駆けた画期的なワクチンや治療薬が開発されることは想定していません。あくまでも、海外での実績が要件ですので、このことは、仮に、日本発の強毒性の変異株―日本株?―が出現したり、生物兵器として新種の有害ウイルスが日本国内に散布されるといった事態が発生した場合には、お手上げ状態ということになりましょう。真に急ぐべきは、緊急承認制度ではなく、如何なる事態にも自力で対応し得る、先端的なテクノロジーの研究・開発なはずにもかかわらず(因みに、免疫学の分野では日本国はトップレベルにある…)。

 

 第二次世界大戦後、ゼロ戦や隼といった戦闘機を生み出した日本国の技術力が連合国に警戒され、航空機の研究開発分野にあって日本国が厳しい制限を受けてきたことはよく知られています。航空技術のみならず半導体など、日本国は、あらゆる分野にあって頭角を現す度に常に、その頭を抑えられてきたといえましょう。そして、今日では、外部の制約者は内部化され、日本国政府そのものが国民の発展に向けた努力を阻害し、テクノロジー後進国に落とそうとしているように見えるのです。ゆとりの教育や’集中と選択’を名目とした研究開発費の削減などもその一環であったのでしょう(ムーンショット計画などは、’セレブ’と化したグローバリストの道楽にしか見えない…)。とりわけ、治療薬や安全なワクチンといった防御的な技術は、日本国民のみならず、人類を救う可能性をも秘めているはずです(RNAウイルスに対するワクチンはリスクが高すぎるので、治療薬や治療法の開発にこそ力を入れるべきでは…)。

 

 国民に無理を強いる時には’日本の技術力は高い’として持ち上げつつ(たとえ技術開発に成功したとしても、その果実は海外へ…)、実際に日本国の人々が想像力を発揮し、独自の技術を構築しようとすれば、陰に日向に足を引っ張るのですから、今や’悪代官’と化した日本国政府こそ(日本国弱体化の方針に関しては、野党も共有しているかもしれない…)、国民の自立的な発展に立ちはだかる最大の障害物であるのかもしれません。テクノロジーにおける真の多様性も、分散型の研究・開発体制でしか実現しないのですから、日本国は、テクノロジー海外依存体制を強化するよりも、先端手的な独自技術が育まれるよう、伸び伸びとした研究環境の整備にこそ努めるべきではないかと思うのです。


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夫婦別姓は一夫多妻制への道?

2021年04月28日 11時56分40秒 | 社会

 最近のネットゲームは、かつてのものと大きく変質してきているように思えます。戦国時代が舞台と思われるゲームの広告には、’全員、俺の嫁’というキャプションが付され、’億万長者’というゲームには、大勢の美しい秘書たちが登場するようです。戦国時代のゲームと言えば、勇敢な戦国武将が天下を競うという古典的な戦略タイプが定番であったのですが、今日の様変わりぶりに驚かされます(お姫様たちの略奪が目当てとは…)。訝しく思っていた矢先、夫婦別姓の議論が活発化してくるにつれ、日本国は、一夫多妻制への転換を迫られているのではないかと疑うようにもなってきたのです。

 

 一夫多妻制への動きは、今に始まったものではないように思えます。例えば、民法改正による嫡出子と非嫡出子との間の相続財産の平等化は、子の間の差別撤廃を根拠としながらも、見方によっては一夫多妻制を容認しているようにも見えます。そして、今般の夫婦別姓への議論も、女性の改姓に際する不便さの解消や女系による家名の継承など、もっともらしく理屈が並べられています。しかしながら、一夫多妻制への移行という視点から同問題を眺めますと、夫婦別姓は、同方向への流れを後押しするように思えるのです。

 

 夫婦別姓については、古代や中世にあって日本国も別姓であったとして支持する意見もあれば、同制度は中国や韓国の風習であって、日本国の婚姻制度の中韓化を狙ったものとして反対する意見も聞かれます。保守派にあっても賛否両論があるのですが、何れにしましても、夫婦別姓は、一夫多妻制において散見される制度です。その理由を考えて見ますと、一夫多妻制にあって夫婦同姓としますと、同性の範囲が著しく拡大してしまうからなのでしょう(一人の夫を介して、血縁関係のない複数の女性達が’同性の家族’になってしまう…)。

 

 一夫一婦制では、たとえ実際には一夫多妻となっているケースがあったとしても、法律上は夫婦同姓ですので、所謂’正妻’、’嫡妻’という立場が確立しています。同性である限り、一組の夫婦であることは誰から見ても一目瞭然なのです。しかしながら、夫婦別姓ともなりますと、法律上の配偶者であるのか、その姓名だけ見て判断することができません。一人の男性に対して、複数の別姓の女性たちが同列として並んでしまうという事態もあり得てしまいます。複数の女性の内誰が’正妻’であるのかは、法律上の家族関係を知らない限り、表面だけでは分からないのですから。

 

 非嫡出子の相続平等化に際しても、’正妻苛め’や’嫡出子苛め’ではないか、とする批判がありました(相続が平等ならば、介護など、高齢となった親の面倒をみることを非嫡出子にも義務付けるべきでは…)。今般の夫婦別姓にあっても、最も立場が不安定化するのは法律上の配偶者なのかもしれません(選択制とされ、女性の側が別姓を希望すると想定されていますが、男性の側から別姓を求められるケースも…)。同改正は、女性が生きやすい社会への変革とされているものの、その恩恵を受けるのは、必ずしも’全ての女性’ではないようです。戦後の民法改正により戸籍制度も夫婦単位に改められましたが、夫婦同姓は、夫婦を中心とした安定した家族の枠組みを護ってきた側面もないわけではないのです。

 

それでは、一夫多妻制は、男性にとりまして望ましいのでしょうか。一夫多妻制は、一人の男性が複数の女性を独占する形態ですので、家庭を持つことができない男性が多数出現することとなります。’億万長者’による独占は、その他多数の男性が、婚姻のチャンスに恵まれないことを意味するのです(イスラム世界では、それ故に男性たちは戦士に…)。DNAの塩基配列の均質化も起きますので、一夫多妻制は、一握りのセレブな男性を除いて、男女問わず、人々から歓迎される制度とも思えないのです。

 

夫婦別姓から垣間見える婚姻制度や’正妻’に対する怨嗟からしますと、独身主義のイエズス会(修道士には歴史的には非嫡出子も多い…)や家族制度が崩壊しているセレブ層、あるいは、女性の共有を主張したマルクス主義者が背後にあって日本国の社会改造を画策しているのかもしれません(中国では共産党員こそ一夫多妻の’億万長者’であることと関連?)。ネットでは、パソコン等の検索履歴等に基づいて個人の志向が分析され、広告内容が選択的に変わるそうですが、ネットゲームとは無縁なパソコンの画面にもこうした広告が頻繁に出現するのも、一夫多妻制に国民を慣れさせようとする思惑が潜んでいるとも推測されます。

 

しばしば、旧弊からの脱却を試みたつもりが、さらに悪しき旧弊への逆戻りとなるケースが見受けられます(フランス革命然り、ロシア革命然り…)。輝かしい未来に向けて踏み出したと思いきや、気が付いた時には、暗い野蛮な時代に戻っているのです。このように考えますと、夫婦別姓問題についても、その先を見据えた議論が必要なように思えるのです。


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有事対応にはワクチンよりも新たな防御技術の開発では

2021年04月27日 13時42分26秒 | 国際政治

日本国内では、アメリカやイギリス等の諸国が新たなワクチン技術を以ってワクチンを大量に供給する中、国産ワクチンの開発の遅れを非難する声が上がっております。この遅れの原因として、日本国政府の有事対応の不備が指摘されていますが、新型コロナ・ワクチンの接種がもたらした現状を見る限り、有事への備えとしては、ワクチンより新技術の開発の方が遥かに安全ではないかと思うのです。

 

 アメリカ、イギリス、ロシア、そして中国といった諸国がワクチン開発に先んじたのは、生物兵器の使用を想定していたからとされています。炭疽菌をはじめ、有害な細菌やウイルスは、’目に見えない兵器’として開発されてきた歴史があります。ウイルス工学の発展により有害性を増強させた人工ウイルスの製造が可能となり(武漢ウイルス研究所からの流出説の根拠…)、戦場における使用のみならず、国際法を無視した’超限戦’が想定されている今日、敵国認定された諸国に対して民間人無差別虐殺を目的に密かに有害細菌やウイルスが散布される可能性は高まるばかりです。軍事大国は、’敵国’による生物兵器使用に備え、迅速、かつ、大量にワクチンを生産し、国民に接種させる必要性を痛感していたのでしょう。そして、この防御的テクノロジー開発の成果こそが、遺伝子工学を用いた遺伝子ワクチン、あるいは、核酸ワクチンであるというのです。鶏卵等による培養期間を経ずして工場にあって短期間に大量生産できるのですから。

 

 生物兵器への高い対応能力において、遺伝子ワクチンは確かに優れているのですが、新型コロナウイルス感染症への対応を見ますと、ワクチン戦略には重大なリスクも認識されます。先ずもって、人体に与える中長期的なリスクについては未知の領域であり、一つ間違えますと、ワクチンと言う名の生物兵器への対抗手段によって長期的には’自滅’してしまうという展開もあり得ます。生物兵器の攻撃を受けた側の政府が、ワクチン投与により自国民に死を齎してしまうというというリスクです(逆にワクチン自身が、自国民向けの’生物兵器’となってしまうリスク)。

 

また、兵器用に作成された人工ウイルスであればこそ、変異株の操作も自由自在です。攻撃側の国が、後日、防御側の国が自国民に対して投与したワクチンが全く効かない変異株のウイルスを散布する可能性もありましょう。遺伝子操作レベルが高度であり、かつ、狡猾であれば、相手国の国民の大半がワクチンを接種し終えた後に、敢えてワクチン関連疾患増悪や抗体依存性免疫増強等を起こすような変異株を散布するかもしれません。

 

さらに警戒すべきケースは、ファイザー社が開発しているような、mRNAの経口摂取や経皮接種が可能となる技術の出現です(細胞への浸透性を有する脂質ナノ粒子は既にお化粧品などにも使われているらしい…)。生物兵器の使用側も同テクノロジーを導入すれば、何らかの有害な異常蛋白質を細胞内で翻訳するmRNAが、本人の知らぬうちに食品や液体として体内に摂取させられるかもしれません。こうした高度な先端技術を用いた攻撃があれば、ワクチン戦略は崩壊するか、あるいは、一からのやり直しとなります。あるいは、ワクチンでは防御のしようがなくなりましょう。

 

遺伝子工学の急速な進歩を考慮しますと、生物兵器の脅威は新たな段階を迎えており、防御の側も先手を打つような対応策や技術の開発が急がれます。先端技術として持て囃されてきたナノ・テクノロジーは、人類に恩恵のみならず、新たな脅威をももたらしているのです。こうした’悪玉ナノテク’に対抗するためには、体内に取り込まれた有害なmRNAを排除・無害化する技術や、仮にDNAに逆転写された場合には正常化できる遺伝子治療のような手法が必要とされるかもしれません。日本国は、ナノ時代に対応したイノベーティブな治療薬や治療方法の開発においてこそ、トップランナーであるべきではないかと思うのです(もちろん、ワクチンリスクが高い以上、新型コロナ感染症に対しても、治療薬の開発・承認、普及につとめるべき…)。


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不可解なワクチン接種の推進-日本国の‘抗新型コロナウイルス現象’

2021年04月26日 14時27分39秒 | 日本政治

 武漢を発祥地とする新型コロナウイルスがパンデミック化し、各国とも爆発的な感染拡大に直面していた頃、日本国は、他の諸国と比較して感染者、重症者、並びに死者数とも低レベルを維持していました。この日本国のみに観察された‘抗新型コロナウイルス現象’については、BCG接種説、免疫交差説、体質説など、様々な説が入り乱れながら、未だに要因がはっきりとはしていません。‘ファクターX’とも称されてきたのですが、今日、日本国の政府やマスメディアは、‘抗新型コロナウイルス現象’がまるで存在していなかったかのように振舞っています。

 

 医科学的に原因が解明されているわけではないものの、日本国の‘抗新型コロナウイルス現象’は、誰もが否定し得ない客観的に観察された現象です。周囲を見渡しましても、昨年の武漢のように街行く人々が突然に倒れたり、隣近所で感染者が続出するような状態ではありません。今日、緊急事態宣言下にある都府県でも、人々は、ロックダウンを実施した他の諸国ほどの緊迫感はなく、国民の危機感の薄さが問題視される程です。

 

 その一方で、日本国政府もメディアも、自国を深刻なコロナ禍に見舞われた他の諸国と同列に扱おうとしているようにしか見えません。何故ならば、政府は、深刻なコロナ禍に襲われた諸国と同様に、何としてもワクチン国民総接種体制を構築しようとしていますし、メディアは、’ワクチン敗戦’なる言葉が登場するほど、日本国政府の対応の遅さを厳しく批判しているからです。メディアが世論を’捏造?’して政府批判を展開し、その批判に応える形で政府がワクチン接種を加速させるというこの関係は、あるいは、国民をワクチン接種に追い込むための、両者による’マッチ・ポンプ’なのかもしれません。何れにしましても、両者とも、国内で顕著に観察された‘抗新型コロナウイルス現象’を完全に無視しているのです。

 

 ‘抗新型コロナウイルス現象’は紛れもない事実ですので、国民のワクチン接種についても、合理的に考えれば、この事実を前提にして策定されるべきこととなりましょう。つまり、もとより日本人の多くが何らかの要因によって新型コロナウイルスに対して抵抗力がある可能性が高いのですから、ワクチン接種の必要性は著しく低下するはずなのです。況してや、新型コロナウイルスワクチンには、中長期的には命にも関わりかねない未知のリスクが潜んでいます

 

 とりわけ核酸ワクチン、あるいは、遺伝子ワクチンを投与しますと、自然免疫のシステムによる各種の防御段階を一気に通り越してmRNAを包み込んだ脂質ナノ粒子が細胞に侵入し、体内の細胞にあって抗原、並びに、抗体が産生されると同時に、抗原提示を行う細胞、つまり、脂質ナノ粒子が入り込んだ細胞を破壊するキラーT細胞も生じます(同族たんぱく質も攻撃するのでは…)。この機序にあって、抗体依存性免疫増強、自己免疫疾患、がんの誘発等々、様々な中長期的なリスクが指摘されているのですが、ワクチンを接種しなければ、これらのリスクに晒されずに済みます(リスクの認識は、接種者のストレスの原因ともなる…)。

 

 日本国のケースでは、謎のファクターによって感染しても軽度で済む人の数が圧倒的に多いのですから(多くの人々が自然免疫の段階で新型コロナウイルスを排除?)、全国津々浦々、離島を含めた国民全員にワクチンを接種する必要性があるのか疑問なところです。リスクとメリットを比べても、前者の方が高くなるとする判断が働いてもおかしくはりません。敢えて全国民にワクチン・リスクを呼び込むとしますと、政府もマスコミも、罪深いように思えてならないのです。

 

 もとより新型コロナウイルスには感染しにくい上に、中長期的問題に加えて、ファイザー製のワクチンにあって既に国内で10名の死亡者が報告され、国民の多くがコロナ・ワクチンに対して不安を抱いているにもかかわらず、政府もマスメディアも、ワクチン接種を既定路線に設定しています。この不可解さの背景として、政治家などの忖度や利益優先が、想定されます。忖度や利益優先のあまりに非合理的な決定を行いますと、得てして後々甚大な損害を被る事態に直面してしまうことは、歴史が証明しております。ここは、合理性に徹するべき局面なのではないでしょうか。

 


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偽善に満ちた地球温暖化問題-トータルでの増加では意味はない

2021年04月23日 11時45分24秒 | 国際政治

 地球環境問題については、就任当初から菅首相の’暴走ぶり’は際立っています。突然に、2050年までに地球温暖化ガスの排出量を実質ゼロまで削減する目標を掲げる一方で、昨日、オンライン形式で開催された気候変動サミットにあっても、2030年までの削減目標を13年比で46%削減とする方針を公表しています。現行の目標値が26%でしたので、20%の大幅引き上げとなったのです。

 

首相の訪米直後のこともあり、おそらく、かねてより地球温暖化問題への積極的な取り組みを表明していたバイデン政権との間で既に合意が成立していたのでしょう。あるいは、昨今、政治家に対する批判を強めているグレタ・トゥンベリさんからの要請なのかもしれませんが、何れにしましても、日本国内にあって国民的なコンセンサスや民意が問われることはなく、民主主義の形骸化は地球温暖化問題からも伺うことができるのです。民主主義は、’善意’や美名のもとで無力化されるケースも少なくないのです(コロナ・ワクチン問題とも共通している…)。

 

そして、地球温暖化問題が‘偽善’とされる理由は、その科学的な実証性の欠如のみではありません(二酸化炭素犯人説は科学的に立証されていない…)。全人類が取り組むべき共通の課題として謳われ、対立が激化される最中にあって米中が協力し得る数少ない分野の一つとされながら、その実、グローバルな視野からの対策とは程遠いからです。現状の手法は、各国政府が自国の削減の数値目標を掲げ、国別に自らの目標を達成するというものです。この国別の手法ですと、自らの目標を達成できたとしても、全諸国を合わせたグローバル・レベルでの結果を見れば、排出量が増えてしまうという事態もあり得ます。

 

実際に、温暖化問題への取り組みが本格化し始めた1990年代以降の二酸化炭素排出量を見ますと、2021年に至るまで一貫して右肩上がりに増加しています。’乾いたタオルを絞るが如き’と言われる程に払った日本国の血の汗滲む努力も、結局は無駄であったことになります。それでは、何故、グローバルな協力体制を構築したにも拘わらず、二酸化炭素の排出量は減少方向に転じないのでしょうか。

 

その理由は、世界に先駆けて地球環境問題に取り組んできたEUの企業の経営判断を見れば一目瞭然です。大量の二酸化炭素を排出する生産拠点を規制の緩い国に移転させることで、目標を達成しようとしたからです。つまり、温暖化ガス削減義務を課された諸国の企業が、大挙して中国に生産拠点を設けることとなったのです。このため、他の諸国の温暖化ガスの排出量が凡そ頭打ちとなったにも拘わらず(アメリカの排出量も増えてはいない…)、中国における排出量は激増し、今ではアメリカの2倍にも達しているのです。EUや日本国は、削減目標を達成したとして悦に入り、義務を果たしたとばかりに胸を張っていますが、その実、二酸化炭素の排出元が移転したに過ぎず、地球全体からすれば効果は殆ど皆無です。減少しないどころか、生産拠点の中国への集中により、同国が急速な経済発展を遂げたことも手伝って、排出量は増加の一途を辿るばかりとなったのです。

 

これを偽善と言わずして、何というのでしょう。パリ協定を枠組みとして、目下、日本国をはじめ各国とも野心的な目標値を設定しており、目標達成手段として、再生エネのさらなる普及や水素エネルギーの実用化促進などの政策が列挙されています。イノベーションが強調され、テクノロジーによる解決がアピールされています。しかしながら、トータルでの削減は見込めるのでしょうか。仮に、地球温暖化問題に熱心な先進国が目標を達成しようとすれば、再生エネの発電施設を大量に増産しなければなりませんし、太陽光パネルや風力発電用の風車の主たる生産地が中国である点を考慮しますと、中国での二酸化炭素排出量はさらに増加することでしょう。中国が排出抑制に転じたとしても、生産拠点が中国から他の規制の緩い諸国に移るだけかもしれません。また、期待の水素エネルギーも、それを電気分解で生産するには化石燃料を使用するか(ブルー水素)、あるいは、再生エネ施設の増産を待つしかありません(グリーン水素)。何れにしても、二酸化炭素の排出を伴うのです。EVも、リチウム電池の生産にはガソリン自動車の排気量を上回る大量の二酸化炭素が排出されると言います。

 

真に地球全体で二酸化炭素の排出量を削減しようとすれば、一部だけを切り取るような対策は事態をさらに悪化させるのみとなりましょう。一国が目標を達成したとしても、他国での排出量が増加すれば無意味です。また、エネルギーの生産から消費までの全プロセスをトータルに捉えませんと、エネルギー資源の燃焼段階において排出量がゼロであっても、エネルギーそのものの生産段階で二酸化炭素が大量に排出されるのでは、元も子もありません(エネルギーは、他のエネルギーへの転換に際してロスが生じる…)。もはや、地球環境問題は宗教化しているようにも思えるのですが、地球環境問題が抱える非合理性について、今一度、人間理性、合理性に徹した議論が必要なのではないでしょうか。少なくとも新しい技術については、現状を改善する能力を備えるまで研究段階に止め、普及や実用化を急いではならないと思うのです。


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対中制裁論と対日制裁論のせめぎ合い-経済制裁の二面性

2021年04月22日 12時28分12秒 | 国際政治

 古今東西を問わず、敵国を責めるに際しての手法として’兵糧攻め’というものがありました。相手国、あるいは、その拠点を包囲し、兵站、即ち、物資調達手段を断つことで、戦わずして降伏を迫るという戦法です。この古典的な戦法は、近現代にあっても経済制裁という政策手段に衣替えして今日に至っています。そして、覇権主義的野望を露わにし、非人道的な行為を繰り返す中国を前に、目下、自由主義国を中心にして対中包囲網の構築が進んでいます。

 

対中経済制裁の主たる手段は、自国企業のサプライチェーンから中国を外す、中国による人権侵害に関わった個人に対して金融封鎖を課す、ウイグルで事業を営む企業に対して見直しを迫ると共に、半導体を含め、軍事にあっても不可欠な技術や先端技術の対中流出を防ぐというものです。中国は、海外の企業から製造拠点を誘致し、安価で豊富な労働力と人民元安を梃とした輸出攻勢によって経済大国、否、軍事大国に伸し上がりましたので、その土台となる経済関係を断ってしまえば、中国は、現在の国力を維持することは叶わず、戦わずして軍事的野心をも挫くことができるものと期待されているのです(もちろん、有事の場合でも、中国の軍事物資調達手段を断つことに…)。

 

戦わずして勝てる、即ち、日本国にとりましても、国土を護り、国民の生命、身体、財産等を危険に晒すことなく、中国を衰退に追い込むことができるのですから、対中包囲網への参加は願ってもいない政策なはずです。先の大戦では、戦場のみならず、国内にあっても凡そ600万もの国民の尊い命が失われ、国土も焦土と化しています。戦わずして勝てるのであれば、経済制裁への参加が最も平和的な手段であると言えましょう。

 

もっとも、先の大戦については、日本国が石油の禁輸を以って追い詰められ、真珠湾攻撃に及んだとされていますので、経済制裁は、中国を暴発させるとする反論もありましょう。しかしながら、現状にあって中国は既にイランという石油調達先を確保しています。また、中国は、再生エネや原子力発電をも拡大し、さらには未来エネルギーの開発にも着手していますので、エネルギーに関する資源封鎖は事実上、不可能です。言い換えますと、中国には、戦争に訴える程の口実はなく(もちろん、国際法によって世界征服や侵略は禁じられていますが…)、今日の経済制裁とは、中国との経済関係を切り離してゆく’静かなる脱中国’であり、かつ、それは、主として自国企業の中国からの撤退、並びに、自国市場からの中国企業の排除の両面から成り立つデカップリング政策と言えましょう。

 

中国は、自国市場を海外企業に全面的に開放しているわけではなく、部分的に緩和してはいても外資規制も残されていますし、ITを駆使した監視網も敷いています。中国の国策によって撤退を余儀なくされた海外企業もありますので、他の諸国の政府の脱中国政策について強く批判できるような立場にもありません。中国は、独立主権国家である他国に対して自らの通商政策を強要することはできないのです。

 

このように考えますと、中国の軍事的脅威に直接的に晒されている日本国政府は、率先して対中経済制裁に踏み出すべきなのですが、自国、並びに、自国民の安全よりも経済的な利益を優先する声も少なくありません。そして、その根拠とされているのが、中国による対日制裁論です。日本国が対中制裁を行えば、中国が対日制裁という報復に出るというのです。この説に従えば、日本国は中国に対して一切の制裁を行うことができなくなりますので、無抵抗のまま日本国が中華経済圏に飲み込まれる未来が予測されます。RCEP協定が発効すれば、中華経済圏拡大の動きはさらに加速することでしょう。また、米中関係の冷却化により中国の米ドル準備が減少すれば、やがて人民元による決済が要求されるに至るかもしれません。

 

世界大に通商網が拡大した時代における経済制裁とは、諺で喩えれば「肉を切らせて骨を断つ」戦略です。自らが無傷で済むことなく、必ずや何らかの犠牲を払うことを覚悟しなければなりません。このため、ナポレオンの大陸封鎖令のように、産業革命の地でもあり、かつ、自前の自由貿易網を有するイギリス製品の国際競争力を前にして’逆封鎖’となる事例も歴史にはあります。しかしながら、現在の中国製品は、かつてのイギリスほどの圧倒的な国際競争力を有するわけでもありませんし、中国との経済関係が消滅しても、自由主義国間で貿易を継続することができます。また、脱中国は、中国製品からの代替需要による内需活性化のチャンスともなりましょう。日本国が中国の支配下に置かれる将来が予測されるからこそ、日本国は、中国から離れる覚悟を固めるべきではないかと思うのです。経済における脱中国は、対中抑止政策の第一歩なのですから。


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生命誕生40億年の重み-コロナ・ワクチンと人類の未来

2021年04月21日 13時41分33秒 | その他

 新型コロナ・ワクチンをめぐっては、世界各国政府とも、全国民を対象としたワクチン接種を当然視しています。メディアの論調もワクチン接種推奨に傾いているのですが、その一方で、政治リスクのみならず、医科学的な視点からの安全性に関する疑問も呈されています。こうした批判的な声は、マスメディアが大々的に報じる新型コロナウイルスの感染拡大を前にかき消されがちです。しかしながら、生命の誕生から40億年を経て人類が生物界にあって最高レベルの知能を備えた存在としてこの地球にあることを考慮しますと、人類全体を対象としたワクチン接種計画は、未来の人類に対してあまりにも無責任のように思えます。

 

 ファイザー社の説明によりますと、変異株の出現や中和抗体の消滅等により、日本国政府が現在調達している同社製ワクチンは、現行にあって原則2回接種としていたものの、今後は、3回の接種が必要とのことです。さらに、毎年、定期的に接種する必要性にも言及しており、たとえコロナ禍が収束したとしても、継続的なワクチン接種が予測されます。同社の説明が現実のものとなれば、ポスト・コロナの時代は、’ウィズ・コロナ’と言うよりも、’ウィズ・ワクチン’の時代とも言えましょう。

 

 もっとも、この状態、考えてもみますと、人類の存続条件が、コロナ・ワクチンの接種となったことを意味します。もはや人類は、他の自然界の生物とは違い、自然の状態では生きられず、その出生から死に至るまで、常にワクチンによって生命、並びに、健康を維持する必要が生じるのです。とりわけ、遺伝子工学の先端技術を用いた遺伝子ワクチンの中長期的影響は全く分かっておりませんし、ワクチンには各種の添加物が含まれていますので、生涯に亘ってワクチンを接種し続けますと、当然に、人体や寿命に影響を与えることでしょう。また、ワクチンによって体内に投与されたmRNAは短期間で消滅すると説明されていますが、毎年繰り返すとなりますと(しかも、変異株が多様化すれば、接種回数も増加…)、免疫システムを攪乱したり、テロメラーゼ等の体内に存在する逆転写酵素によってDNAへの逆転写が起きたり、あるいは、何らかのウイルス由来の遺伝子に反応して深刻なマイナス影響を与えるかもしれません。

 

 しかも、生命とは、40億年という途方もない年月を経て絶滅することなく今日まで受け継がれてきたものであり、その仕組みは驚愕すべき程に複雑です。神の存在論についてはここでは述べませんが、生物とは、ヒトの知性を遥かに超えた神の存在を十分に想起さるほどに極めて緻密で合理的な仕組みを有する存在なのです(合理的なありながら神秘的…)。そして、知性において生物界の頂点にある人類を生み出した40億年の重みからしますと、わずか数十年足らずの人間の知識に基づいて開発されたテクノロジーを人類全体に対して’試す’ことは、有神論者からしますと神への冒涜であり、無神論者からしましても、’危険極まりない賭け’となりましょう。科学的なエビデンスのないテクノロジーに全人類の未来を託しているのですから。

 

 今日、各国で進められているワクチン接種計画、あるいは、恒久的なワクチン接種体制の構築には、未来の人類への責任という観点が抜け落ちているように思えます。目の前の危機から脱出するために、自らをも含む人類の未来を犠牲に供しているとしますと、それもまた罪深いように思えるのです。


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対中制裁をめぐる奇妙な世論調査

2021年04月20日 12時28分14秒 | 日本政治

 ウイグル弾圧問題をめぐって、アメリカをはじめ自由主義諸国の多くは対中制裁へと舵を切っております。いわば、中国に対する国際経済制裁網が構築されつつあるのですが、日本国政府の対応はどこか方向性の定まらない’風見鶏’のように見えます。台湾や尖閣諸島に中国の魔の手が迫り、同国がジェノサイドを平然と実行する国家であることを考慮しますと、日本国政府は、如何にも危ういのです。

 

 莫大なチャイナ・マネーが流入しているためか、日本国内のメディアも、対中制裁については消極的な論調が目立ちます。手が込んでいるのが世論調査であり、本日4月20日の産経新聞朝刊の一面にも、FNNとの合同調査として中国の人権侵害問題に関する世論調査の結果が掲載されておりました。「中国の人権侵害 関与必要8割」との見出しが付されており、設問は、「中国・新彊ウイグル自治区のウイグル族や香港の人々が直面する深刻な人権侵害が国際的な問題となっているが、国会決議や制裁などで日本も関与すべきか」というものです。その結果は、「中国との関係が悪化しても強く関与すべきだ」とする回答が28.4%、「関係が悪化しない程度に関与すべきだ」とする回答が54.3%であったとしています。基本的には、世論が対中制裁支持に傾いているとする論調なのですが、この調査、どう考えましても奇妙なのです。

 

 ’関係が悪化しない程度’が最多であった理由として、同紙は、日中間の経済関係をその要因とみて、「日本企業などは対中依存度が高いことから良好な日中関係を維持したいとの慎重な考えがにじんだ」と解説しています。ところが、回答の内訳を見ますと実に37.8%の男性が’関係が悪化しても強く関与すべき’と答えたとしています。40歳以上であれば男性の40%を超えているそうですので、おそらく、男性だけに限定しますと、’関係が悪化しない程度に’派を上回っていたと推測されます。その一方で、女性にあって’関係が悪化しても強く関与すべき’と回答したのは、僅か19.4%であったというのです。

 

 仮に、’関係が悪化しない程度’が最多となった要因が対中経済依存であったとすれば、男性の方が同回答を選択するようにも思えます。現状にあって労働人口は女性よりも男性が上回っており、仮に対中政策の影響を肌身に感じるとすれば、男性の方が多いと推測されるからです。ところが、同世論調査の結果では、男性の方が経済的マイナス影響を受けようとも、厳しい対中制裁を望んでいます。つまり、同紙が世論の動向を適切に解説しているとは言い難く、同調査結果は、むしろ、日本国には経済的利益よりも人道を優先する男性が多いことを示していると言えましょう。それでは、日本国の女性の大多数は、経済優先なのでしょうか。そのようにも思えないのですが、仮に、女性の多くが対中制裁に消極的であるとしますと、それは、対中戦争を想定した’子供や夫を戦場にお送りたくはない’とする感情からなのかもしれません。何れにしましても、同紙の説明と調査結果の数字との間には齟齬が見受けられるのです。

 

 加えて、同調査において重大な問題となるのは、’関係が悪化しない程度’という選択肢を設けたところにあります。どのような意図があって、このようなファジーな表現を敢えて選択肢の中に加えたのでしょうか。対中制裁を’支持しますか’、’支持しませんか’、の賛否二択でも構わなかったはずです。何故ならば、’関係が悪化しない制裁’など、あり得ないからです。如何なる内容であれ、中国は、日本国が制裁を加えたり、国会で非難決議を採択すれば、日本国に対して様々な嫌がらせや妨害を行うことでしょう。

 

このように考えますと、同設問には、日本国が制裁や非難決議を行わないための口実としたい調査実施者側の意図が透けて見えてきます。同世論調査の結果を盾として、日本国政府は、’関係が悪化するから’対中制裁は控える、あるいは、国会決議は見送る、と言い出しかねないからです。新聞は’行間を読め’とも申しますが、現代という時代は、世論調査も、裏に隠されている’設問者’の意図こそ読まなければならない時代なのかもしれません。


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日本国政府による「ワクチン一億総接種」の恐怖

2021年04月19日 11時56分10秒 | 国際政治

菅義偉首相は、今般の訪米に際して’訪米土産’として、16歳以上の日本人全員が接種する量のワクチンをファイザー社から確保したと報じられています。このお土産、アメリカを訪れるに際して持参したものなのか(日本国によるアメリカに対するワクチンの大量発注…)、帰国を待つ日本国民を喜ばすために持ち帰ったものなのか、判然とはしないのですが、たとえ後者であったとしても、国内の空気は必ずしも歓迎一色ではないように思えます。’一億総接種’という言葉も聞こえてきますが、このワクチン調達劇から、日本国政府の思惑が見えてくるからです。

 

 信頼性は薄いとはいえ、何れの世論調査にあっても、ワクチンを拒否すると回答した人は凡そ20%弱はおります。また、拒絶には至らないまでもリスクを懸念して’様子見’とする回答を加えますと、7割程度がワクチン接種に消極的です。既にワクチン関連死が疑われるケースが6件報告されており、ワクチンの予約キャンセルも報告されております。とりわけ二度目の接種時における副反応はひどく、さらに、既存のワクチンでは効果がないとされる変異株の出現もありますので、実際に、ワクチンを熱望しているのは全人口の3割程度となりましょう。大多数の国民にとりましては、菅首相の’お土産’は受け取りたくない’お土産’なのです。否、むしろ、何故、ワクチン接種に対して懐疑的な国内の空気を読まずして、何故、早々と国民全員分の量を確保したのか、この点に、不自然さが残るのです。

 

 政府が世論調査やネット世論を正確に分析すれば、ワクチンの調達数は、接種を待望している全人口の3割程度と算定されるはずです。仮に、国民の7割が接種を選択しなければ、ワクチン調達費は予算の無駄遣いとなるからです。それにも拘らず、日本国政府が、1億1千万回分とされる全人口分を確保したとなりますと、そこには、ワクチン接種を全ての国民に何としても接種させたい、とする政府の強い願望が伺われます。そしてそれは、’国民のため’とは言い切れないように思うのです。

 

そもそも真に国民の権利や自由を重んじているならば、先ずもって、ワクチン接種を拒否する人々の意向を尊重するはずです。初めからワクチン接種拒否者の数を想定していないところに、菅政権の全体主義的傾向が見受けられるのです。言い換えますと、ワクチン・パスポート制度を機として、日本国政府が国民監視体制の構築を目指しているとする疑いは、濃くなるばかりなのです。非合理的な全国民分のワクチン調達は、ワクチン接種に潜む隠れた政治的意図を浮かび上がらせているとも言えましょう。

 

政治的問題に加えて、医科学的な側面から見ましても、ワクチンの安全性には大いに疑問があります。マスメディアは、ワクチン懐疑派に対して’ワクチンのリスク指摘は陰謀論やフェイクニュースを信じる愚かな人々’とする印象を与えようとしています。しかしながら、ようやくアストラゼネカ製のワクチンと血栓症の発症の関連性が認められるに至ったように、当初、’トンデモ説’と見なされていたリスクが、後に事実であることが判明するケースは少なくありません(もっとも、EUなどは確定されたわけではないと弁明していますが…)。ファイザー製のワクチンについても、人体に初めて投与される遺伝子ワクチンということもあり、血栓の形成に関する短期的なリスクのみならず、様々な中長期的なリスクが指摘されています。ワクチン関連疾患憎悪、抗体依存性免疫増強、シンシチン遺伝子問題、全身の炎症反応、自己免疫疾患、がんの発生、異常蛋白の蓄積、mRNAのDNAの逆転写、添加物の有害性…などなど、起こり得るリスクは山積しています。

 

半年や一年に一回といったペースでのワクチン接種が求められるとすれば、リスクはさらに高まります。ワクチン接種派の人々は、非接種派の人々を情弱として批判していますが、接種派の人々も、医科学的な見地からのリスク情報に触れれば、懐疑派に転じるかもしれません。決して科学的に根拠のないリスク指摘ではないからです、むしろ情弱は、接種派であるとも言えます。なお、ファイザー社の説明では、免疫逃避能力を有する変異株が出現したり、中和抗体が消えても、メモリーT細胞の残存により免疫効果が維持され、重症化を防ぐと説明していますが、重症化は、主として免疫暴走、即ち、サイトカインストームによって引き起こされておりますので、ワクチンの持続的免疫強化効果は逆に重症化を招く可能性もあるように思えます。

 

そして、こうした医科学的なリスクに関する情報発信が何らかの圧力によって阻害され、また、マスメディアも積極的に報じていない現状は、政府に対する疑惑をさらに深めます。つまり、囁かれている人口削減説が信憑性を持ってしまうのです。命に関わる重大なリスク情報を国民に伏せたままワクチンの全国民接種を計画し、それを推進しているとしますと、日本国政府は、日本国民を大量虐殺しようとしているとしか思えなくなるからです。’ワクチンを接種してください’という言葉は、私を含めた非接種派の人々の脳内にあっては’死んでください’という言葉に自ずと変換されてしまうのです(一億一千万回分という数字にも、ぞろ目の’11’という魔の数字が見られる…)。

 

’一億総接種’という言葉からは、全国民が豊かな生活を送ることを目指した’一億総中流’というキャッチフレーズが思い浮かぶかもしれません。しかしながら、戦時中にあっては、’一億総玉砕’という言葉があったことも忘れてはならないと思うのです。


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テクノロジーの強制力問題

2021年04月16日 12時23分50秒 | その他

 強制力と言えば、一般的には、政府といった公的機関が行使する公権力が思い浮かぶことでしょう。当人の意思、あるいは、合意や承認の有無に拘わらず、強制力というものが及びますと、その対象となった人は、他者の意思や一方的に発せられた指令に従わざるを得なくなります。このため、支配欲や権力欲に駆られた人が、利己的な目的を達成するために強制力を得ようとする一方で、人々は、強制力というものを恐れ、その制御方法について知恵を巡らしてきたのです。

 

 もちろん、強制力は、国家を護ったり、公益を実現したり、あるいは、人々の権利や自由を擁護するために必要不可欠です。今日の民主主義国家は、強制力が人々のために使われるよう、その行使条件という意味において統治の目的を明確化すると共に、公的機関の権限の範囲を定めて、法を以って強制力を制御してきたとも言えます。人類における民主的統治制度の発展史は、強制力を‘共通善’に資する範囲に押し込めてきたプロセスとしても理解することもできましょう(この点、独裁体制には、強制力の暴走を止めるための制御システムが欠如している…)。

 

 以上に、本記事の本題とは関係のないようなお話を書き連ねてきたのですが、実のところ、強制力を制御してきた人類の努力を’水の泡’にしてしまいかねないものがこの世には存在しています。それは何かと申しますと、テクノロジーです。テクノロジーは、いとも簡単に人々が作り上げてきた政治の分野における強制力制御システムを乗り越えてしまう力を秘めているからです。言い換えますと、テクノロジーは、その使い方次第では、公権力と同様に人々から自由意思を奪い、ある一定の方向に向かうように人々を強要しかねないのです。

 

 例えば、本日、中国とアメリカの研究チームが、ヒトとサルとの細胞が混在する「キメラ細胞」の培養に成功したとするニュースが報じられています。中国・昆明理工大と米ソーク研究所の名が挙がっていますが、米中対立の最中にあって、倫理的問題が生じる分野での‘共同研究’が継続されているとしますと、空恐ろしさも感じさせます(オバマ政権時代にあって武漢のウイルス研究所にアメリカが資金提供したとも…)。この研究の果てに‘半人半獣’の生物が誕生し、その数を増やしていくとなりますと、その自己中心性と獰猛性において獣の如く、その狡猾さにおいて人の如き生物は、人類にとりまして重大な脅威となりましょう(かつてソ連邦は、秘密裡に人間とサルを交配させた生物を製造し、米国アラスカ州に送り込むことを計画したところ、その結果誕生した新生物のあまりの気味の悪さに、プロジェクトに参加した研究者たちが耐え切れなくなり、計画を断念したとも…)。

 

このキメラ生物に対して、人類の側が民主主義を熱心に説いても理解しようとはしないでしょうし、自らに馴染まない人類の文明は暴力で破壊してしまうかもしれません。テクノロジーが人類が制御不能となる脅威を生み出してしまった場合、全ての人類は、‘自滅’という運命に従わざるを得なくなります。言い換えますと、その発案者、あるいは、開発者は、全人類に自らの行為の結果を強制したこととなりましょう。

 

 こうした未来技術に関する極端な例を持ち出さなくとも、テクノロジーによる強制力は、日々、実感されます。例えば、IT急速な発展により、人々は、経済活動や社会生活のみならず、日常生活においてもデジタル機器を使用せざるを得ない場面は少なくありません。AIが広く普及すれば、AIに職を奪われた人々は、’失業’を強制されてしまうかもしれないのです。そして、コロナ・ワクチンに関しても、それが製品として開発され、デジタル技術と融合したが故に、人々は、政府による強制接種、並びに、国民監視強化の危機に直面しているとも言えましょう。

 

 テクノロジーは、人類を病魔や労苦から救い出し、便利で快適な生活をもたらしてきたものの、それが内包する強制力は潜在的、否、今や顕在的な脅威となりつつあります。無制限な研究や開発を認めますと、人類を滅亡に向けて強制しかねないのです。このように考えますと、テクノロジーについても、統治権力と同様に制御システムを構築する必要があるように思えます。キメラ細胞については、神の領域を侵犯したとの批判がありますが、今日、人類は、自らの知性を以って倫理的な判断を行わざるを得ません。そうであるからこそ、テクノロジーの開発については透明性を高める必要がありましょうし(秘密裡の開発の防止…)、多くの人々が参加できる形での議論の場を設け、効果的な制御方法こそ’開発’すべきではないかと思うのです。


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日本国の’ワクチン敗戦’は決まっていないのでは?

2021年04月15日 12時58分01秒 | 国際政治

 今般の新型コロナウイルス禍は、謎に満ちています。そもそも、新型コロナウイルスというウイルスそのものの発生源は、WHOによる調査を経ても未解明の状態にありますし、同ウイルスへの感染によって発症する全身に及ぶ様々な症状や後遺症についても全てが把握されているわけでもありません。また、人工物であることがはっきりしているワクチンの成分や効果でさえ、開発者の認識をも越える未知な部分が残されているのです。そして、ワクチン接種に注目しますと、何故、イスラエルが世界第一位のワクチン接種率を達成したのかという疑問もあります。

 

 イスラエルは、発生地である中国の武漢から遠く離れた中東に位置しており、地理的な側面から見れば、新型コロナウイルスのパンデミック化によって甚大な被害が生じるとは思えない国です。仮に、ワクチン接種が緊急性を要するほど、イスラエルの感染拡大が危機的な状況にあったとすれば、それは、イスラエルと中国との間の他の諸国とは比較にならないほどの活発な人的な交流があったことを示しているとも言えましょう。

 

ユダヤ系の多いIT分野をはじめとした先端技術分野にあって、中国との交流は活発であったのでしょうが、実際には、イスラエルの感染率は’世界第一’ではありませんでした。イスラエルが世界第一の接種率を記録した理由は、むしろ、アメリカの製薬会社との結びつきに求めることができます(アラブ諸国に囲まれているイスラエルが国防意識からワクチン全国民接種体制を整えてきたとする説もあるものの、そうであれば、自国での開発・生産を目指したのでは…)。同国は、ファイザー社からワクチンの大量供給を受ける見返りとして、自国民のワクチン接種に関するデータを同社に提供することを約束したとされているからです。言い換えますと、イスラエルは、臨床試験における第三相を経ずして緊急承認された同社のワクチンの被験者として、自国民をファイザー社に差し出したとも言えましょう。

 

ここに、国民の命をコロナから救い、経済・社会活動を再開させるのが目的とはいえ、自国民を安全性の確認されていないワクチンの事実上の‘人体実験’に供するイスラエル政府の判断は正しかったのか、という問題も生じてきます。しかも、ポスト・コロナの時代はコロナ以前の時代への回帰ではなく、ワクチン・パスポートといったITを活用したデジタル国民管理体制の導入をも意味しかねません。コロナワクチンからデジタル監視体制への‘国家改造’においても、イスラエルは他の諸国に先んじているのです。あるいは、ファイザー社に提供される国民のワクチン・データはイスラエル政府とも共有され、同国のワクチン・パスポートシステムにフィードバックされるのかもしれません(コロナワクチンには、マイクロチップ混入説が囁かれている…)。

 

比較的接種率の高いアメリカはワクチン・パスポートの導入には消極的なようですが、イギリス、並びに、EUでは、同制度の本格的な導入が検討されているそうです。ワクチン接種が、海外の製薬会社やIT企業とも結託した国民デジタル監視体制への導火線であり、その接種率の高さが’体制移行’への進捗度を示しているならば、ワクチンの接種率の低さは、国民にとりましては必ずしも’悪い事’ではなくなります。人体にまで及ぶ政府による監視ストレスや威圧に国民が晒されることなく自由を享受し、個々人の人格が尊重され、人としての尊厳を保つことができる空間が維持されるのですから。ワクチン接種率の低さこそ、国民の自由度や幸福度の高さを示す指標となるかもしれないのです。

 

日本国は、そのワクチン接種率の低さから’ワクチン敗戦’とも揶揄されていますが、上述したリスクを考慮すれば、むしろ、接種率の低さを肯定的に捉える見方があっても然るべきように思えます。遺伝子ワクチンにはアナフィラキシーや血栓の形成などの短期のみならず、中長期的な未知のリスクもありますので、ワクチン接種=プラス評価は時期尚早なように思えるのです。近い将来、評価が逆転する可能性もあるのですから。


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「こども庁」から見える日本国の危機

2021年04月14日 12時11分49秒 | 日本政治

菅政権が唐突に打ち出した「こども庁」案。次期総選挙の’目玉’に掲げる狙いとも説明されていますが、国民からの評価は芳しくないようです。親中派で知られる二階幹事長が陣頭指揮を執り、新自由主義者好みの’骨太’というフレーズまで付されているのですから、国民が身構えるのは当然と言えましょう。トップ・ダウン型の上からの’改革’によって、またもや日本国を破壊するのではないかと…。

                 

既に共産主義と新自由主義との合作のような雰囲気が漂っていますが、全ての省名がその実態とあべこべである『1984年』の国家機関にも登場してきそうなネーミングでもあります(’こども省’?)。子供たちが、それぞれの個性や才能を生かし、おおらかに伸び伸びと育ってゆく環境を整えるというよりも、その真の目的は、この世に生まれ出でると同時に全ての子供たちを国家の管理機構の中に組み込んでしまうシステム造りなのかもしれません。共産主義も新自由主義も、国民の前に掲げる理想とは真逆に、行き着く先は人間の画一化と生涯にわたる徹底管理なのでしょう。今般の「こども庁」も、それを推進する人々の顔ぶれを思い起こしますと、子供たちの未来を危惧せざるを得ないのです。’こども省’の真の姿は、悪い大人たちが仕切る’おとな省’なのかもしれないのですから。

 

しかも、「こども庁」の具体的な所管の範囲や権限等についても、諸説入り乱れています。小学校から中学校までの義務教育課程を全て同庁に移管するという案もあれば、主たる移管対象は、虐待対策(厚生労働省、内閣府、法務庁)、不妊治療支援(厚生労働省、内閣府)、妊娠・出産支援(厚生労働省、内閣府)とする説もあります。仮に、後者に重点が置かれているとしますと、国民は、’ゆりかごから墓場まで’ではなく、その出生以前の段階から国家の管理下に置かれてしまうのかもしれません。

 

省庁の再編が必要ならば、上部に「こども省」を垂直的に創設しなくとも、事業の分割や一部権限の移譲といった、水平的な統廃合によっても行うことができます。現状を見ますと、先に挙げた虐待対策、不妊治療支援、妊娠・出産支援については、何れも厚生労働省と内閣府が重複している点が問題視されているのですから、厚労省に一本化すれば済むお話です。しかも、あるいは、子供については、多くの方面からのウォッチやケアがあるほうが安全ですし、子供の立場に立ちますと安心ということにもなりますので、敢えて制度的な多方面性をプラスに評価し、複数の省庁が相互にチェックしながらケアする体制を整備するという逆の方向性もありましょう。一元化のみが、必ずしも子供たちにとりまして望ましいとは限らないのです(なお、権限を移管する側の省庁から見ますと、横割りになる点については、4月6日付の本ブログ記事で指摘…)。

 

政治家が、あらゆる政策を提案するに際して、‘国民のため’と説明しないはずはありません。‘自分たちのみの利益ため’と言おうものなら、国民から反対の大合唱が返ってくることは必至です。国民を騙せるようなもっともらしい理由やカバー・ストーリーを造ることにかけては、政治家は、プロ中のプロなのです。こども庁についても、政府の説明を鵜呑みにしてはならないのですが、それでは、国民は、同案の実現を阻止することができるのでしょうか。

 

自民党は、こども庁の創設案を選挙公約に含める予定ですので、仮に、次期選挙で自民党が勝利して政権与党の座を維持すれば、同政権は、’選挙に勝ったのだから、国民からのお墨付きは得た’として、同庁を発足させることでしょう(デジタル庁の創設に至っては、選挙も経ていない…)。そこで、こども庁の創設に反対する国民は、野党に一票を投じればよい、ということにもなりそうなのですが、ここに今日の日本国が抱える重大な危機が見えてきます。それは、野党側も、こども庁の創設そのものには反対しておらず、立憲民主党が検討している対案も「子ども家庭庁設置法案」というのです。つまり、次期総選挙にあってどちらが勝利を収めたとしても、選挙後には’こども庁の創設’が実現してしまうのです。これでは、国民は、事実上、こども庁の創設の是非に関する選択肢を失っていることともなりましょう。

 

今日の民主主義国家における議会選挙は、国会議員の選出のならず、国民の政策選択の場としても機能しています。しかしながら、与野党ともに公約とする政策が凡そ同じであれば、日本国の民主主義は形ばかりとなりましょう。国民が目にしているのは、政界による悪しき’政治談合’、あるいは、こども庁の創設の指令が外部勢力からのものであれば、政界全体の’悪代官化’なのです。国民世論はこども庁創設に対して否定的ですので、同問題は、日本国にあっても国民投票制度を導入する必要性を示してもいるのですが、このまま

では、国民の政治不信は深まるばかりではないかと思うのです。


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中国のワクチン支援は債務地獄の罠?

2021年04月13日 12時37分12秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスのパンデミック化に伴い、いち早く同ウイルスのワクチンを開発した中国は、目下、’マスク外交’ならぬ、’ワクチン外交’を展開しております。途上国にあっては、新種のウイルスに対するワクチンを国内で開発し、大量生産すること難しいという事情もあり、中国は、ワクチン提供によって途上国に恩を売ろうとしているかのようです。

 

 もっとも、中国から差し伸べられた支援の手は、必ずしも優しい’天使の手’ではないことは、既に一体一路構想において露見しています。’貴国のインフラ建設に資金を提供し、経済の発展と国民生活の向上を援けます’といった甘い言葉で近隣諸国を同構想に誘い込み、多額の債務を背負わせつつ、債務の返済が滞るとみるや狙っていた相手国内の重要拠点を’借金のかた’に取り上げてしまうのですから、同国による支援が軍事、並びに、経済戦略上の策略であったことは疑うべくもありません。中国による’支援’の実態とは、利己的な動機に戻づく’支援詐欺’と言っても過言ではないのです。

 

 中国が’支援詐欺’の常習犯である点を考慮しますと、上述したワクチン支援も要注意です。支援を受ける諸国政府の目には、中国からのワクチン提供は、自国における感染拡大を防止すると共に、新型コロナウイルス禍から抜け出す最も効果的な方法に映ったことでしょう。また、’国民の命を救うために、ワクチンの調達に成功した頼もしい政府’というイメージを演出し、国民からの支持を集める絶好のアピール材料として捉えていたのかもしれません。何れにしましても、現状にあってワクチンの提供を受ける側の政府は、一体一路構想が打ち出された当初に見受けられた’熱烈歓迎’の空気に似通っているのです。

 

 しかしながら、ワクチン支援も、時間の経過とともに提供を受ける側の’熱烈歓迎’は冷め、またもや罠に嵌まったことに気付くことになるかもしれません。’熱烈歓迎’が’怨嗟’に転換してしまうきっかけとしては、(1)ワクチンによる重大な副反応や有害事象が多発する、(2)ワクチン効果が短期間で消滅する、(3)変異株の登場によりワクチン効果が減滅する、(4)ワクチン・パスポートの導入により国民監視体制が強化される…などがあり得ます。ワクチンの接種によって国民の多数が死亡するような事態ともなれば、同国の政府のみならず、提供者である中国もまた批判の矢面に立たされることでしょう(おそらく中国政府は、こうした様々な批判や避難を無視するのでは)。

 

そして、ワクチンの効果が短期間であったり、変異株の多発により複数のワクチンを接種せざるを得なくなった場合には、ワクチンの提供を受けた国には、いよいよ債務地獄が待ち受けていることとなります。何故ならば、ワクチン効果の持続期間、並びに、ワクチンの’交差免疫’が効かない変異株の数によっては、年数回のペースで全人口分のワクチンを中国から調達する必要性が生じるからです。つまり、ワクチン接種が続く限り、毎年、対中債務が積みあがってしまうのです。’一回の接種、あるいは、一年では終わらない’、というところに、ワクチン債務地獄の恐ろしさがあるとも言えましょう。

                                     

さらに中国が、ワクチン提供の対価として相手国に対して人民元での支払いを求めるとすれば、人民元の国際化への弾みともなりますし、’ワクチン決済網’の構築を機に一気にデジタル人民元圏の形成に動くかもしれません。中国にとりましては、ワクチン支援は一石二鳥どころか、それ以上の利益となりましょう。新型コロナウイルスのパンデミック化によって最も利益を得た国は中国ですので、この事実が、新型コロナウイルスの武漢ウイルス研究所発症説の信憑性を高めているのです。

 

しかも、中国からのワクチン提供を受けた政府の側の本音が、ワクチン・パスポートの導入による国民監視の強化であるとすれば、事態はさらに深刻です。このケースでは、提供側の中国と被提供側の諸国の政府が結託し、国民を欺いていることになるからです。ジョコ大統領が公開で中国製ワクチンを接種したインドネシアでは、2020年10月の時点では、中国製ワクチンの信頼性が低いために、世論調査の結果、接種に同意すると回答は、わずか31%にとどまっていたそうです(‘拒否’が42%、‘ためらう’が27%)。ところが、2月19日に、首都ジャカルタでワクチン接種の拒否に多額の行政罰を課す条例が制定され、事実上、ワクチン接種が義務化されてしまったというのです(インドネシアの政治家がチャイナマネーに篭絡された可能性も…)。インドネシアの未来を憂うるばかりなのですが、中国のワクチン戦略には、軍事、政治、経済、社会など…あらゆる分野を飲み込むような包括性が認められるのです。

 

中国の’善意’ほど怪しいものはありません。支援を受ける側は、善意の背後に潜む真の目的にこそ警戒すべきですし、日本国の政府も国民も、ワクチンをめぐる世界情勢の裏側の動きに最大の注意を払うべきではないかと思うのです。


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日本国にも国民投票制度の導入を―’民主主義の空白期間’問題

2021年04月12日 11時09分30秒 | 日本政治

 近年、日本国では、民意を問うことなく政府が一方的に政策という名の’計画’を実行に移すケースが増えてきているように思えます。移民政策への転換然り、急進的な脱炭素化然り、カジノ解禁政策然り、そして、中国に対する対応然りなのですが、こうしたトップダウン型の政治の横行は、深刻な民主主義の危機でもあります。主権在民も国民の参政権も、あってなきが如きなのですから。

 

 民主主義を形骸化する方法は、枚挙に遑がありません。選挙時を見ますと、票の買収、成り済まし投票、投票用紙の書き換えや偽造等は古典的な手法ですが、今日では、アメリカ大統領選挙で俄かに表面化したように、電子投票・開票システムといったデジタル技術が民主主義に対する重大な脅威として立ち現れています。

 

また、より巧妙な手段としては、どの政党、あるいは、どの候補者を選んでも結果が同じになるよう、政界全体で予めシナリオを作成しておく方法もあります。民主的選挙は茶番に過ぎず、最初から当選者も与党を構成する政党も決められているのです。こうした手法は、選挙を舞台にした’談合’として理解されますが、より悪質な場合には、上部にシナリオライターがおり、どちらが勝利しても結果が同じとなるように双方を操る両頭作戦となりましょう。また、かつての社会・共産主義国のように表面上は多党制ではありながら、事実上、一党独裁制となるケースもあります。香港における一連の出来事は、これらの手法が決して絵空事ではないことを示していると言えましょう。

 

 そして、民主主義国家の内部に巣食う民主主義否定勢力は、選挙後にあって牙を剥くこととなります。政府側は、民主的選挙の結果を以って自らの権力を正当化し、上述したように民意を無視するようになるからです。民主的選挙制度は、政府に対する白紙委任を意味してはいないのですが、政府側は、民主的選挙制度を国民からの反対や抵抗を封じる口実として使おうとするのですから、本末転倒が起きてしまうのです。’我々は、国民から選ばれたのだから、国民は、我々の言うことに黙って従うように’と…。何かが酷く狂っているとしか言いようがありません。

 

 いわば、選挙と選挙との間の期間は‘民主主義の空白期間’となりかねないのですが、この状況にさらに拍車をかけるのが、マスメディが実施する世論調査です。現状にあっては、世論調査とは、‘民主主義の空白期間’にあって選挙を介さずして民意が表出される数少ない機会とされています。しかしながら、上述した民主的選挙制度以上に世論調査の結果を歪めることは簡単です。実施者側が、調査対象、回答の項目、さらには結果の数字など、如何様にでも操作できるのですから。

 

 民主主義とは、民主的制度が比較的整っている国においてさえ脆弱であり、統治の正当性を保障し得るほどのレベルには達していません。それでは、何かしらの改善方法はあるのでしょうか。

 

 改善策の一つとして挙げられるのが、国民投票制度の導入です。現行の日本国憲法では、国民投票制度は、国政レベルにあって憲法改正手続きにのみ採用されています。その一方で、同制度はヨーロッパ諸国をはじめ自由主義国にあって広く採用されており、間接選挙制度に伴うデメリットを緩和すると共に、より民意が反映される政治の実現に貢献しています。’民主主義の空白期間’を埋めるための方法の一つとして、日本国にあっても国民投票制度の導入は、十分に試みる価値があります。全ての法案ではないにせよ、全国民に関わる重大な事柄については、国民投票に付す方が民主主義国家の名に相応しい決定方法となりましょう。そしてそれは、国民が、政府によるトップダウン型の政策の強要、あるいは、事実上の’独裁’を防ぐ手段ともなるのです。

 

 もっとも、同制度を導入するに際して不可欠の要件となるのは、古典的な手法であれ、ITを悪用したものであれ、不正投票を完全に排除しなければならない点です。投票結果の数字が人為的に操作されたのでは元も子もなくなります。この側面に注目しますと、国民投票制度の導入に向けた制度設計の作業は、従来の選挙を含め、投開票作業のアナログへの回帰、あるいは、不正を徹底的にブロックするより高度なシステムの開発を同時に意味するのではないかと思うのです。


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