万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ワクチンの安全性議論は政治化してはいけない

2021年07月16日 12時40分31秒 | 日本政治

 報道によりますと、立憲民主党から次期衆議院選挙に立候補を予定している北條智彦氏が、Twitterで新型コロナワクチンに関して誤情報を拡散したとして批判を受けているそうです(「立憲民主号外版」)。既に記事は削除されていますが、この誤情報とは「永久不妊」や「接種者の息や汗からスパイクタンパク質が放出される」というものです。同議員に対するネット上での批判コメントを読みますと、立憲民主党に対して同氏を公認した責任を問うたり、枝野代表に説明責任を求める声も聞かれます。また、立憲民主党を中国産ワクチンを広げたい中国の手先と見たり、与党への攻撃材料を手元に置いておくためにコロナ禍の終息を邪魔しているといった憶測も飛び交っています。いわば、‘政局’として捉えているのですが、ワクチンの安全性に関する問題は、政治化してはならないのではないかと思うのです。

 

 ワクチン不妊説や抗原暴露の問題については、これまでも政府やメディアは誤情報、あるいは、デマとして扱っており、同記事を報じたBuzzFeed Newsでも’ファクト・チェック’を行っています(ファクト・チェックという言葉には、既に一方的な’フェイク認定’というニュアンスが含まれており、ファクト・チェックにかけられて事実として認定された事例は殆どない…)。しかしながら、’ファクト・チェック’による判定とは、前者については’実験結果、データ、報告がない’といったものであり、今後の可能性については触れていません。しかも、因果関係を否定してしまえば、リスクは’ゼロ’と見なすことができます。また、後者についても、臨床試験の「実施計画書」に通常使われている『定型文』の誤訳としています。つまり、ワクチンの体内における作用機序を根拠としてリスクを否定しているのではなく、あくまでも文章上の解釈を問題としているのです。

 

 問題のTwitterの投稿を読みますと、これらのリスクについては’可能性が否定できません’、あるいは、’可能性が示されている’という表現が用いられており、事実として情報を発信しているわけではありません。つまり、リスクを指摘する側もそれを誤りとしてファクト・チェックする側も、双方とも医科学的に立証しているわけではありませんので、不確実性という意味において両者は同列にあると言えましょう。なお、北條氏が、何故、心筋炎や心膜炎の発症といったCDCなどによって既に因果関係が認められており、誤情報やデマと認定できない事象について記載しなかったのか、謎も残ります。

 

 そして、ワクチン不妊説については、ファイザー社からの流出文書によれば、そのリスクは明白です。ファクト・チェックでは、上述した’根拠’を以って否定していますが、永続的かどうかは別としても、「薬物動態試験」の結果、脂質ナノ粒子が卵巣において蓄積されるとすれば、当然に、同臓器において人工mRNAが放出されてスパイク蛋白質が生成されることは疑いようもありません。しかも、同mRNAは分解されにくいように塩基配列が修飾されておりますので、長期的な影響も懸念されます。有害性のレベルについては今後の研究を俟つ必要がありましょうが、リスク・ゼロとは言い切れない状況にあります。

 

 また、「接種者の息や汗からスパイクタンパク質が放出される」とする抗原暴露説についても、こうした説が主張する背景に、ファイザー社やモデルナ社の説明不足があります。何故ならば、体内において生成されたmRNAやスパイク蛋白質が、その後、どのような経緯を辿るのか詳細な代謝や排出に関する機序が説明されていないからです。一先ず、政府もメディアも、両者とも短期的に速やかに分解される、あるいは、体外に排出されると述べていますが、仮に体外に排出されるとすれば、人体の毒素排出の機能からすれば、汗や呼気として排出される可能性も否定はできなくなります。人口mRNAであれ、スパイク蛋白質であれ、それが何らかの有害性を有していれば、人類のみならず、生態系全体にも影響を与えるかもしれません。

 

 そして、こうしたワクチンに関連する議論は、少なくとも医科学的な安全性については全く以って政治とは関係がありません。与党支持者にあってもワクチンの安全性に疑問を持つ人は当然におりますし、与党支持者でも熱烈なワクチン支持者もおりましょう。ワクチン接種に対する態度が政治的対立軸と化してしまいますと、客観的な立場からの議論が歪められてしまい、医薬品としての医科学的安全性とは必ずしも一致しない’政治的安全性’というものが出現してしまいかねません。与野党とも、ワクチンの安全性については科学の領域として立ち入らず、ゆめゆめ政争の具にしてはならないのではないかと思うのです。


皇統の国民拡散と民主主義

2021年07月13日 16時02分09秒 | 日本政治

 報道によりますと、日本国政府もメディアも、将来に向けた皇位、並びに、皇統の維持に腐心しているようです。女系天皇や女性天皇のみならず、旧皇族の復帰や女性宮家の創設なども取沙汰されてきましたが、この問題、世論の分裂も予測されるだけに簡単に解決を見るとは思えません。鳴り物入りで設置された安定的な皇位継承に関する政府の有識者会議も、結局は、結論を先送りすることとなったのです。

 

 皇室に関する政府、並びに、メディアの報道を見る限りでは、現皇室の血筋を以って天皇位を世襲する現行の国制は、未来永劫に亘り日本国にあって存続するものと仮定しています。否、’国体の維持’こそ議論の大前提であって、実のところ、現皇室による天皇位継承資格の独占の如何や天皇位の在り方については、予め議題から排除されているのです。旧皇族との養子縁組案も、女子にあって現皇室の血筋を引いている場合に凡そ限定されます(旧皇族の単独復帰案は殆ど聞かなくなっている…)。’現皇統’の存続のみが至上命題ですので、議題となるのは自ずと現皇室のメンバーの範囲の拡大や公的活動の皇族間での分散に限られているのです。

 

 皇統を長く後世に繋げてゆくことに目的を設定しますと(本文では、’皇統’を皇孫の血脈として広く用いている…)、確かに、上述した諸案には一定の効果は認められるのかもしれません。天皇の女子であっても、条件次第では皇位を継承する可能性が開かれるのですから。しかしながら、婚姻を同族間に限定しない限り、血統というものが代を重ねる度に半減されてゆき、姻族の血統が逆に増加するという事実を前にしますと、果たして、現皇室の血脈の継承が現代という時代に相応しいあり方なのか、という疑問も湧いてきます。同族間による婚姻には遺伝病を発症する高いリスクがありますので、上述したような旧皇族との養子縁組説があるとはいえ、将来に亘ってこれを皇位継承者に義務付けるのは現実的ではありません。となりますと、民間人が配偶者とならざるを得ず、皇統の希薄化は避けがたい日本国の未来ということになりましょう。

 

 そして、皇統の希薄化が天皇の権威というものの低下を招くことも避け難いことです。血脈において国民と殆ど変わらなくなるのですから、天照大御神の系譜に連なるとする皇統の神聖性も薄れてゆくからです。神に由来する血筋としての神聖性が天皇の超越性を担保してきたとしますと、その喪失は決定的な意味を持ちます。その一方で、権威の揺らぎを防ごうとして政府やマスメディアが天皇のパーソナルな神格化を図ろうとすればするほど、日本国は、北朝鮮のようなカルト化の脅威に晒されることともなりましょう。既に、メディアの皇族に対する礼賛ぶりはどこかカルト的ですし、一般の国民からしますと違和感を覚えざるを得ません。血脈において一般の国民と殆ど違いがないにも拘わらず、特別な存在として扱う状況を理性が受け付けない国民も少なくないことでしょう(地位のみを根拠に尊敬を強要することは、教育的文脈においてもよろしくない…)。

 

 かくして代を重ねる度に皇統が薄まる一方で、国民の間では、全く逆の現象が起きています。それは、皇統の一般国民への拡散です。古代にあって地方豪族の娘が出仕する采女制度は地方に皇統をもたらしましたが、日本国の歴史を通して皇統は常に国民の間に広がり続けてきました。仮に、『日本書紀』に記されている天壌無窮のご神勅があったとしたら、その資格は、広く国民に分有されていると考えることもできます。民主主義という価値を尊ぶ現代という時代にあっては、国民による自治こそご神勅に叶ったあり方であるとする解釈の方が余程相応しいのではないでしょうか。

 

天皇の宮中祭祀については伝統の継承という観点から旧宮家を含めた古い家系の方にその役割を務めていただく必要はあるのかもしれません(公職として天皇のみを存続させる…)。しかしながら、万世一系ともされてきた皇統の継続性につきましては、古代や中世のみならず戦国期や明治期における疑義もありますので、現皇室の存続については議論の俎上に挙げるべき議題のようにも思えます。’時代にあった天皇’を求めるならば、皇統の国民分有を前提とした、民主主義の時代と調和するあり方を模索すべきではないかと思うのです。


若者のワクチン接種問題

2021年07月09日 11時51分53秒 | 日本政治

 コロナ・ワクチンは64歳以下にも接種対象が広がったことから、職域接種や大学での接種が既に始まっています。遺伝子ワクチンについては治験が終了しておらず、安全性が確認されてはいないだけに賛否の分かれるところなのですが、年齢が下がるほどワクチン否定派は増加する傾向にあります。この状況に危機感を覚えたのか、日本国政府は、若者層への効果的な接種拡大策を模索しているようです。メディアもまた、’若年層が懐いているワクチン接種への不安感を取り除くのが接種拡大への鍵’とばかりに、ワクチン安全説を一方的に振りまいています。しかしながら、政府もメディアも、心から若者を大事に思っているのでしょうか。

 

 若年層にワクチン接種を拡大させたい政府の思惑とは、先ずもって集団免疫の実現があります。人口の6割から7割程度が接種すれば集団免疫は成立すると想定されており、政府にとりましては、この数値が達成すべき’ノルマ’なのでしょう。理論上においては集団免疫が成立すれば経済活動に対する規制も解除できるため、政府の基本的なスタンスは、’社会全体のために若者はワクチンを接種すべき’ということになりましょう。そして、’大人’の立場から教育的な意味を込めて、’ワクチン接種は自分だけのためではなく、皆さんの大切な人たちを護るためでもあります’とアピールし、若年層に対して利他的精神、あるいは、自己犠牲の精神の発揚をも求めているのです。

 

 結局、政府やメディアといったワクチン推進派の人々は、一先ずは教育者の視点から若者層に対して’理解’という名の’犠牲’を説いていることとなるのですが、その一方で、ワクチンの安全性を危惧する人々は、全く別の見方をしています。そもそも、ワクチン警戒派の人々は、マスメディアが喧伝するような’情弱者’や’騙され易い人’ではなく、むしろその逆です。その多くは、政府やメディアが流す一方的なプラス情報に納得せず、様々な角度からのマイナス情報を自発的に収集したからこそ、ワクチンに懐疑的にならざるを得なくなった人々なのです。実際に、政府が目標としている集団免疫については、少なくとも新型コロナウイルス感染症に関しては条件が揃う可能性が極めて低く、成立し得ないと見なしています。つまり、ワクチン推進派の目的そのものに対して否定的なのです。

 

加えて、ワクチン警戒派の人々は、医科学的な見地からも遺伝子ワクチンが100%安全ではないことを確信しています。アメリカのCDCやイスラエルの保健当局も認めるように、青年層に心筋炎や心膜炎が発症するリスクが高いことは統計において裏付けられています。また、ワクチン推進派は’デマ’として一蹴しているものの、将来的に身体に何らかの直接、あるいは、間接的なマイナスの影響を及ぼす可能性も否定はできません。本ブログでも再三述べているように、各種臓器の機能不全、自己免疫性疾患、免疫不全、癌や腫瘍の誘発、認知症などの脳疾患、不妊、視力低下や失明など、様々なリスクが指摘されています。ワクチン接種によって一生を台無しにしかねないのですから、将来的なリスクを考慮すれば、若年層にワクチンを接種されることは’酷’であると考えるのです。

 

このことは、ワクチン警戒派の多港は、たとえ集団免疫が成立しなくとも(もっとも集団免疫の成立は無理…)、即ち、自分たちがワクチン未接種の若者層から感染したとしても、それを甘受するつもりであることを意味します。言い換えますと、ワクチン警戒派の人々は、自らを感染リスクに晒してでも、若者の命や将来を護ろうとしているのです。この考え方では、自己犠牲の精神は、むしろワクチン警戒派である’大人’’の側にあることになるでしょう。

 

もちろん、自ら進んで積極的にワクチンを接種したい若者もおりますので、こうした人々に対しては、その自由意思に任せるしかありません。しかしながら、ワクチン接種に消極的な若年層を言葉巧みに接種に誘導しようとする政府やマスメディアの方針につきましては、やはり、見直すべきではないかと思うのです。別の角度から、若者たちの未来を、そして国の行く末を思う人々もいるのですから。


環境政策が環境破壊の元凶となる矛盾

2021年07月05日 13時19分18秒 | 日本政治

 梅雨の季節となりますと、長引く雨による地盤の緩みが災害を招くことは多々あります。しかしながら、昨日、熱海市で発生した土石流は、過去に類を見ないほどに凄まじいものでした。山肌から怒涛の如く流れ下る濁流に次々と住宅がのみ込まれる様子に言葉を失った方も少なくなかったことでしょう。

 

 過去に事例を見ないような破壊的な土石流は、激しい風雨や記録的な豪雨がもたらしたものではなく、当時、同地方の天候は長期的に降雨が続く状況にあったそうです。このため、住民の方々も、早急な避難が必要なほどの危機感はなかったと言います。それにも拘わらず、大規模な土石流が発生した要因として挙げられているのが、起点にあった盛土の存在です。静岡県は、因果関係は現時点では不明としながらも、盛土との関連性を調査する意向を示しております。

 

 それでは、この盛土、何故、熱海市の森林に存在していたのかと申しますと、メディアの報じるところによれば’開発目的’なそうです。そして、この開発とは、メガソーラの建設であった可能性が極めて高いのです。全国有数の観光地でもある熱海市周辺や伊豆半島では、以前より、観光業に従事する人々や住民の反対を押し切る形でメガソーラの建設が推進されてきました。豊かな自然は重要な観光資源でもありますので、同地では、既に、環境政策が環境破壊をもたらすという矛盾が政治問題として表面化していたのです。

 

こうした経緯があればこそ、土石流の発生直後から、ネット上ではメガソーラ原因説が拡散されたのですが、大手メディアは、何故かこの点については積極的に触れようとはしていません。その理由として推測されるのが、菅首相が掲げた2050年を目標とする脱炭素政策です。僅か30年足らずで日本国のエネルギー源を化石燃料から自然由来に全面的に転換しようというのですから、この政策は無謀とも言えるのです。そして、この目的を実現するためには、早いペースで再生エネを普及させる必要があり、その成否の鍵の一つとなるのが、伊豆地方のみならず全国で推進されているメガソーラの建設なのです。政府としては、日本全国の山林を切り開く、あるいは、休耕田を利用して太陽光パネルを敷き詰め、可能な限り再生エネの発電量を増やしたいのでしょう。

 

仮に、メガソーラの設置が今般の土石流の原因ともなれば、太陽光発電の拡大計画は大幅に見直さねばならなくなりますので、同目標を国際公約として掲げている菅政権が、これを’不都合な事実’と見なしたとしてもおかしくはありません。マイナス情報は極力排除するのが菅政権の基本方針ですので、土石流メガソーラ原因説もできることならば国民には伏せておきたいのでしょう。

 

 しかしながら、今般の熱海市での土石流の被害はあまりにも酷く、たとえ政府が情報を隠蔽しようとしても隠し通せるとは思えません。今後の展開を予測しますと、今後、全国のメガソーラ設置予定地にあって、住民等による反対運動が起きることでしょう。自らの住む土地の環境や景観が著しく損なわれる上に、森林の保水能力の低下によって土砂災害の危険が増すともなれば(深層崩壊が発生しやすくなる…)、誰もが反対することでしょう。しかも、森林は、二酸化炭素を吸収する役割を果たしていますので、幾重にも矛盾が重なっているのです(加えて、熱海市の事業者は韓国系とする情報もある上に、ソーラパネルの最大生産国は中国…)。。

 

近年、菅政権をはじめ世界各国の政府とも、’計画原理主義’という側面において社会・共産主義の方向に歩んでいるように見えます。国民が払う犠牲や現実を顧みることもなく、強引に自らの’計画’を進めようとするのです。環境政策、あるいは、脱炭素が環境を破壊するといった本質的な矛盾など、お構いなしなのでしょう。新自由主義者がしばしば用いる’工程表’という表現にもこの傾向はよく表れているのですが、その先には、一体、何が待ち受けているのでしょうか。今般の土石流は、無謀な計画の実行による悲劇を象徴しているようにも思えるのです。


二階幹事長の’側近’が示唆する日本政治の危機

2021年07月01日 14時42分19秒 | 日本政治

 中国によるウイグル人弾圧を非難する国会決議案の採択を見送ったため、自民党も公明党も、すっかり内外からの信頼を落としてしまいました。決議案の内容も、名指しによる批判を避けた生ぬるいものに修正されたにも拘わらず採択が見送られたのですから、両党による強固な拒絶反応が伺えます。その元凶は、親中政党である公明党、並びに、二階俊博幹事長率いる自民党内の親中派にあることは疑い得ません。

 

 国民の多くが二階幹事長に対して批判的な中、メディア各社によって奇妙な記事が報じられることとなりました。それは、6月14日に日本・チベット国会議員連盟の下村博文会長と日ウイグル議連会長の古屋元国家公安委員長等が決議案の採択を求めて二階幹事長の許に直談判に訪れた際に、同幹事長は、一旦、同要請に応じようとした時のことです。ところが、いざ、決議に必要な署名の段となると、二階氏の‘側近’が同幹事長を制止し、結局、了承が得られなかったというのです。

 

 FNNプライムオンラインの記事では、この側近、初出の際には氏名が伏せられており、’側近’とのみ表記されています。しかしながら、翌15日に設けられた最終決定の場となるはずの自公両党間の「二幹二国」にあって、「二階氏側近の林幹事長代理からは、党の部会で協議したことについての説明があった…」とする一文が見えますので、署名を阻止した‘側近’とは、林幹雄自民党幹事長代理なのでしょう(もっとも、何故、はじめから同氏の氏名を表記しなかったのかは謎…)。何れにしましても、日本国の国会による非難決議の成否を決定したのは、‘側近’ということになるのです。

 

 もっとも、同情報は、決議見送りに対する世論の反発に慄いた二階幹事長が、その責任を’側近’に転嫁するために流したフェイクであるのかもしれません。しかしながら、早速、Wikipediaで林幹雄議員を調べてみますと、既に同非難決議をめぐる経緯に関する記事が掲載されており、公明党との協力を重視した同幹事長代理が、「こういうの(ウイグル問題)、あんまり興味ないんだ」と言い放ったとありました。このことから、‘側近’とは、林幹事長代理でおよそ間違いはなさそうです。そして、この‘側近’の存在は、今日、日本国の政治、並びに、民主主義が危機に瀕している証ともなりましょう。

 

何故ならば、今日の日本の政治にあっては、真の決定者が誰であるのか、国民には、分からないからです。以前より、二階幹事長には数人の側近が張り付いており、その言動をチェックしているとする指摘がありました。高齢による認知症が発症しているとの説もありましたが、もしかしますと、同幹事長は、‘側近’によってほぼ完全にコントロールされているのかもしれません。公職とは、その任務を果たすための職権を伴うものですが、誰か別の人物がそれを行使していたとしても、現状では、国民が知ることができないのです。たとえその人物が、中国といった海外勢力のコントロール下にある人物であったとしても…。

 

今般のケースでは、対中非難決議という国民の関心も高い重大問題であったことから’側近’問題が表沙汰となりましたが、水面下にあってはこうした’側近政治’が蔓延していることは想像に難くありません。しかも、’側近政治’の問題は二階幹事長に限ったことではなく、首相をはじめ他の公職にあっても同様のケースを見出すことができましょう。林幹事長代理は、"媚中三人組"の一人としてその名が挙がっているそうですが、事実上の幹事長職の実権を同氏が握っているとしますと、中国が、最も重要視し、目立たないようにバックアップしているのは同氏である可能性もありましょう。二階幹事長は表の‘演じ役’に過ぎず、林幹事長代理らの‘側近’達は、裏の振り付け役であるのかもしれません。そして、シナリオの作成元は、別のところにあるのかもしれないのです。

 

本日は、中国共産党生誕100周年の日に当たります。自民党は、二階幹事長の名義で電報を送ったと報じられており、祝電なのでしょう。中国共産党という政党が暴力革命や文化革命、そして、天安門事件により多くの中国国民を殺害し、今なおもチベット人、ウイグル人、モンゴル人等に対してジェノサイドを行うと共に、香港の自由を奪っている現状を考慮しますと、日本国民の大半は、到底、同党の誕生をお祝いする気持ちにはなれないはずです。そして、今般の一件から、政治と民意とが甚だしく乖離してしまう原因の一つとして、不透明極まりない’側近政治’の問題も見えてきたようにも思えるのです。


’遺伝子組み換えワクチン’の真の怖さとは

2021年06月30日 12時59分04秒 | 日本政治

 今般、日本国内で使用されているワクチンは、何れも遺伝子ワクチン、あるいは、核酸ワクチンと称されています。その理由は、高度な遺伝子組み換え技術が用いられているからなのですが、このネーミングにより、多くの人々は、同ワクチンの接種により自己のDNAが書き換えられてしまうような印象を受けます。このため、ワクチンに対する恐怖心を高めてしまう原因ともなっています。しかしながら、’遺伝子組み換えワクチン’の真の怖さとは、別のところにあるように思えます。

 

 ネット上などで流布されている’遺伝子組み換えワクチン’の恐怖とは、上述したようにワクチンを接種した側、つまり、ヒトのDNAにおける塩基配列の改変です。ワクチンに含まれているmRNAが接種者の細胞内のDNAに逆転写され、自己のDNAに組み込まれてしまうというリスクが人々の恐怖心を掻き立てているのです。接種を境に自分が自分ではなくなるかもしれないのですから、ワクチン接種を忌避したい人が続出しても不思議ではありません。そして、バクテリオファージやHIVをはじめウイルスの多くは逆転写酵素によってDNAに逆転写されますので、この恐れは非科学的なものとも言えないのです。

 

 もっとも、ヒトに対する遺伝子組み換え疑惑は、ワクチン接種推進派の人々や製薬会社からの反論を受けています。その反論とは、mRNAは極めて脆弱であり、極めて短期間で分解されてしまう性質を持つ上に、今般の遺伝子ワクチンには逆転写酵素の遺伝子配列は加えられていないため、DNAの逆転写はあり得ないとするものです。この説に対しては、幹細胞等に含まれるテロメラーゼが逆転写酵素として働く可能性は排除できないとする反論もあるのですが、’遺伝子組み換え人間’の出現は、政府もメディアも’デマ扱いしております。

 

 確かに、ワクチン接種者がゾンビ化するといったSFじみた説は、リスク情報を全て否定したい人々にとりましては、デマ説の格好の餌食となる要素はありましょう。しかしながら、視点を人からmRNAに転じますと、遺伝子組み換え問題は別の様相を呈してきます。何故ならば、確実に遺伝子組み換えが施されているのは、接種されるmRNAであるからです。

 

 mRNAは、それが自然由来であれば、人の遺伝子組み換え説に対する反論において説明したように、確かに短期間で消滅します。しかしながら、ワクチン用、あるいは、治療用に開発された人工のmRANは、その脆弱性を克服するために遺伝子操作が加えられているそうです。その主たる操作とは、RNAの四つの塩基の内ウラシルがメチル・シュード・ウリジンに置き換えるというものです。厚生省の資料にも、「全てのウリジン残基がN1-メチル・シュード・ウリジン残基に置換された4284個のヌクレオチド残基からなる1本鎖RNAである」とあるそうです。この遺伝子組み換えの効果は劇的です。何故ならば、人工的に修飾されたmRNAは、体内にあって核酸分解酵素では分解できない上に、RNAの翻訳効率を10から数十倍に劇的に上昇させるというのです。同操作によって抗体は大量に産生されるのでしょうが、その反面、修飾されたコロナワクチンのmRNAは、DNAへの逆転写が起きなくとも、人体にあってスパイク蛋白質を長期に亘り生成し、かつ、滞留するリスクを格段に上げるリスクを示唆しているのです。

 

 遺伝子ワクチンには数々のリスクが指摘されていますが、それ固有のリスクの一つは、mRNAを体内に投与するという方法そのものよりも、遺伝子が組み替えられた自然界に存在しない人工mRNAが体内に投与される点にもあるのかもしれません。そしてそれは、ワクチン接種のその瞬間から人々の健康を脅かすかもしれないのです。政府やメディアは安全性のみを強調しつつ、懸命にリスク情報を排除していますが、抗体の効果も短期的であり、変異株によってワクチン効果が減滅してしまう可能性もあるのですから、国民は、同調圧力に飲まれることなく、ワクチン接種については冷静に判断すべきではないかと思うのです。


’ワクチン・リスクデマ説’の根拠の不思議

2021年06月28日 13時58分39秒 | 日本政治

 先日、河野太郎ワクチン担当相は、遺伝子ワクチンに関するリスクについて7つの点にまとめ、これらの全てを’デマ’とする見解を公表しました。同’デマ断定’は、必ずしも医科学的な根拠のない思いつきではなく、参考文献が付されていたそうです。その一つに、アメリカの研究機関が2015年に実施したマウス実験に関する論文があります。しかしながら、ワクチンの安全性の主張のために、何故、同担当相がこの論文を参考文献に選んだのか不思議でなりません。何故ならば、この論文、安全性よりも危険性を証明しているように思えるからです。

 

 同実験は、脂質ナノ粒子のマウス体内での投与後の経過を、注射の手法や量を変えて測定したものです。実験の目的は、遺伝病などへの新たな治療法の開発であり、遺伝子ワクチンそのものではありません。このため、遺伝子の欠損を補う治療法としてのメリットは、ワクチンに応用するに際してはデメリットとなる可能性もあります。そして、同論文に掲載されている写真は、そのリスクを如実に語っているのです。

 

体内に注入された脂質ナノ粒子は、ルシファラーゼと称される蛍光物質が添加されているため、外部からその存在場所を観察することができます。実験では接種後の凡そ10日間の経過を追っており、体内での発光が確認されている期間と部位にあって、タンパク質が生成されていると推定しています。実験の結果は、時系列的に写真として並べられているのですが、同写真を見ますと、幾つかの点に気付かされます。

 

第1に、0.2日、つまり、僅か4.8時間後にルシファラーゼの発光(タンパク質の生成)がピークに達していることです。ヒトではどの程度の時間に相当するのかは分からないのですが、考えられているよりもタンパク質の生成の開始が早いことに驚かされます。このことは、今般の遺伝子ワクチンにありましても、体内にあって大量のスパイク蛋白質が短期間で生成されることを意味しております。

 

第2の点は、皮下注射と並んで筋肉注射が最も体内における発光期間が長い点です。同実験は、最大10日間の経過を記録していますが、両者とも、微弱になるとはいえ、10日を過ぎても発行し続けているマウスが確認できます。このことから、今般、採用されている筋肉注射によって投与された脂質ナノ粒子は、マウスにあって10日間を越えて間体内に留まるケースがあるのですから、ヒトにあっては、より長期に亘ってスパイク蛋白質を生成し続けることとなりましょう。

 

第3の点は、静脈注射の結果によって推測されるリスクです。静脈注射されたマウスの写真では、被験体である3匹のマウスとも、頭部が光っている写真があります(あるいは、脳静脈に投与した結果なのでしょうか…)。そして、この発光は5日間ほど継続しているのです(以後、光を確認できなくなったのか、観察は5日で止めている…)。頭部における発光は、脂質ナノ粒子が血液脳関門を通過して脳内に侵入し得ることを示しています。つまり、仮に、脂質ナノ粒子が血流に乗って脳に到達するような場合には、脳内にあってスパイク蛋白質が生成されてしまうリスクが高いのです(アルツハイマー型認知症や狂牛病の原因も、異常蛋白質の脳内の蓄積…)。

 

最後に第4点として挙げられるのは、ルシファラーゼの発光の消滅は、mRNAを包んでいる脂質ナノ粒子の分解・消滅を意味していても、細胞内に放出されたmRNAやこれにより生成されたタンパク質のその後の行方については実験の対象外である点です。同実験は遺伝子治療のために行われていますので、治療効果の永続性を期待すれば、むしろ、mRNAやタンパク質の短期消滅は望ましいことではないはずです(この種のテクノロジーは、ワクチンよりも治療に適しているのでは…)。この点を考慮しますと、遺伝子ワクチンによって生成されるスパイク蛋白質は他のタンパク質と同様に短期間で自然に代謝されるとも説明されているものの、長期滞留のリスクは否定できないように思えます(特に脳内の神経細胞や心筋細胞など…)。しかも、スパイク蛋白質そのものに害性があったり、同蛋白質が発現した細胞をT細胞が異物として認識して攻撃する可能性もありましょう。

 

 私は、専門家ではありませんので、同論文の内容を誤って理解しているかもしれません。しかしながら、掲載されている実験結果の写真やグラフは文章の解釈ではありませんので、あらゆる人々の判断材料となるはずです。ワクチン・リスクを’デマ’として切り捨てられない理由は、むしろ’デマ説’の根拠によって示されているように思えるのです。


宮内庁長官「拝察」発言の問題点

2021年06月25日 15時01分55秒 | 日本政治

宮内庁長官の西村泰彦長官が、昨日6月14日の記者会見において「天皇陛下は現下の新型コロナの感染状況を大変心配されている」と発言した一件が波紋を広げています。同発言に対して、加藤勝信官房長官は、同日、「長官自身の考え方を述べられたと承知している」とする政府側の見解で応じましたが、憲法にも抵触する可能性もあるだけに、同発言は国民の関心を集めることとなったのです。そこで、本日の記事では、「拝察」発言の問題点について考えてみたいと思います。

 

 第1の問題点は、「拝察」である以上、同発言が天皇の真意であったのかどうか、誰も確認することができない点です。これは、かの’忖度問題’とも共通するのですが、官房長官の主観的な’受け止め方’や’想像力’による解釈に過ぎませんので、安易に「拝察」に従いますと、官房長官が’事実上の発言者’となる可能性も生じてきます。いわゆる’政治利用’というものが発生する余地を生みますので、加藤官房長官は、この点を批判的に指摘したのでしょう。

 

 第2の問題点は、’お気持ち’の表明ですので、この発言が誰に向けられているのか明確ではない点です。とは申しましても、政府がいち早く反応したように、おそらく、同発言は東京オリンピックの開催を強行したい政府に向けられているのでしょう。政府に対する牽制が目的となりますと、オリンピックの開催問題は政治事項ですので、天皇による’政治発言’という色合いが濃くなってきます。ここに第1条で象徴天皇を定める憲法との抵触問題が生じることとなりましょう。

 

 第3の問題点は、誰が、同発言の責任を負うのか、というものです。憲法第3条では、天皇の国事に関する全ての行為に対して責任を負うのは政府とされています。ところが、今般の発言は、加藤官房長官の反論が示すように、政府が事前に相談を受けたわけでも、承知していたわけではありませんでした。宮内庁側が独自の判断で同発言を公表したとしますと、一体、誰が、同発言に対する責任を負うのか、という問題が発生してしまうのです。仮に、同事件をきっかけに全国民に関わる何らかの事態が発生した場合、その責任の所在は曖昧にされてしまうかもしれません。

 

 さらに第4の問題点として指摘し得るのは、宮内庁が、天皇発言に何らかの政治的効果を期待していることが、判明してしまった点です。仮に、全く影響がないとすれば、敢えて宮内庁長官が「拝察」発言をすることははかったことでしょう。そして、これは、かなり危険な’賭け’であったかもしれません。政府に無視されてしまいますと、むしろ、宮内庁の無力さが浮き上がってしまうからです(逆に、政府が発言に従うと、天皇による政治介入の問題に…)。

 

 第5の問題点は、国民が、蚊帳の外に置かれている点です。おそらく、宮内庁長官としては、民意を’忖度’した天皇のお気持ちというスタイルをとりたかったのでしょう。実際に世論を見ますと、国民の多くオリンピックを機としたコロナの感染拡大に対して懸念を抱いています。世論との一致という意味においては批判的な声は少ないのでしょうが、今般の件が前例となりますと、天皇と民主主義との間に重大な齟齬が生じる可能性もありましょう。

 

 第6の問題点として挙げられるのが、同調圧力の問題です。ネットを見ましても、’天皇陛下のご発言に逆らうとは何事か’といった意見やコメントが見られます。こうした声は、やがて日本国において自由な言論空間を狭めてしまい、言論の自由を圧迫してしまうかもしれません。

 

 そして最後に指摘すべき第7の問題点は、「天皇陛下は現下の新型コロナの感染状況を大変心配されている」という言葉そのものが、何を目的として発せられているのか分からない点です。’オリンピックは中止すべき’、’無観客とすべき’、それとも、’国民はワクチンを接種すべき’という意味なのでしょうか。如何様にも解釈できますので、言葉が独り歩きして様々な立場から利用される可能性もありましょう。

 

 以上に主たる問題点を挙げてみましたが、宮内庁長官の「拝察」発言は、民主主義や自由という価値観に照らしましても、望ましいものではないように思えます。政府のオリンピック開催一辺倒の姿勢にも問題はあるのですが、宮内庁長官の発言が、日本国を全体主義体制、あるいは、権威主義体制に導くことがあってはならないと思うのです。


日本国政府による日本の植民地化政策?-外国人企業幹部20万人計画

2021年06月22日 16時06分55秒 | 日本政治

 本日の日経新聞朝刊の第5面に、我が目を疑うような記事が掲載されておりました。それは、「外国人企業幹部倍増へ」という見出しの記事です。日本国政府は、2030年を目標に、海外の企業経営者や経営幹部の受け入れ数を20万人にまで増やすというのです。外国人企業幹部のみならず外資系企業の誘致にも取り組み、地方に1万社を置くとしています。地元企業との共同開発や共同事業を促進するそうなのですが、この政策、日本の植民地化政策なのではないでしょうか。

 

 そもそも、政府には、自国の民間企業の社内人事や事業計画に対して介入する権限はないはずです。とりわけ、自由主義国では、政府と市場との関係には一定の距離があり、企業が自由に事業を展開し得るところに強みがあったといえましょう。しかしながら、今般の政府の決定は、日本国における政府と市場との関係が変化し、政府主導型へと大きく転換したことを意味するかもしれません。しかも、それは、開発独裁のようなポスト植民地時代における途上国の経済成長戦略とは真逆に、海外に自国企業の幹部の人材市場を開放し、積極的に外国人のポスト就任を後押しすると共に、共同開発という形で技術流出をも促しかねないというものなのですから唖然とさせられます。

 

 数値目標まで設定しているところからしますと、政府は、各企業に対しては外国人幹部数を、そして、地方自治体には外資系企業の受け入れ数を割り当てるのでしょうか。何らの政策的な措置や圧力がなければ実現しそうもありませんので、外国人幹部を受け入れた企業には助成金を給付したり、減税措置を設けるといった財政措置が採られるかもしれません。国民が納めた税金が外国人幹部や外資系企業の誘致のために使われるとしますと、多くの国民が納得しないことでしょう。

 

 そして、この企業に対する政府介入の強化の方針は、中国政府の企業政策を思い起こさせます。中国共産党による一党独裁体制を維持している中国では、近年、民間企業に対して共産党員の受け入れを義務付けています。共産主義は政経が一体化されたイデオロギーですので、結局のところ政治による経済支配が年々強まっているのですが、自由主義国である日本国をみましても同様の傾向が観察されるのです。今般の記事には外国人幹部や外資系企業の国籍に関する説明はありませんので、政府の計画において’国籍条項’が設けられていないとすれば、中国人幹部や中国系企業が2030年までに大挙して日本国に押し寄せてくる可能性もありましょう。あるいは、たとえ中国系ではなくとも、日産のゴーン事件のような外国人幹部の問題が日本企業を悩ますかもしれません。また、パソナといった人材派遣事業者が、外国人幹部の斡旋というビジネスチャンスを広げる可能性もありましょう。何れにしましても、外国人幹部は、日本経済、あるいは、日本人の雇用など眼中になく、’グローバル経営’に努めることが予測されるのです(移民労働力を使用し、海外に生産拠点を移し、外国企業に投資するかもしれない…)。

 

 日本の企業数は、大企業がおよそ1万社、中小企業280万社余りとされていますが、20万人の外国人幹部数は、およそ14社に一社の割合となります。外国人幹部を招き入れる必要性は海外との取引がある企業に限られることでしょうから、国内を主たる市場とする企業を除いて、およそ全ての企業において外国人幹部が配置されることでしょう。そして、企業の幹部ポストに外国人枠が設けられるとしますと、日本人社員が昇進する機会が狭まることになりますので、勤労意欲が低下するという心理的なマイナス作用も懸念されます。

 

 自国の植民地化を促す政府の政策は今に始まったことではありませんが、自社の幹部ポストの外国人への開放や外資系企業との共同開発を迫られる民間企業からは、反対の声は上がらないのでしょうか。政府による植民地化政策を阻止するためにも、従順に政府の言いなりになるのではなく、日本企業こそ、経営の自由と自立性を取り戻すべきではないかと思うのです。


日本国のコロナ郵便投票法の不思議

2021年06月18日 18時59分42秒 | 日本政治

 先日、新型コロナ感染症により自宅やホテルで療養生活を送っている有権者を対象としたコロナ郵便投票法が国会で成立しました。同法、今月25日に告示される東京都議会選挙から適用されるそうですが、政界の素早い動きには警戒が必要なのかもしれません。

 

 郵便による投票は、同法が最初の導入例ではなく、以前から存在することには存在していました。もっとも、漸次に対象が拡大されはしたものの、郵便等による不在者投票が認められていたのは、身体障害者手帳、戦傷病者手帳、並びに、介護保険の被保険者証を有する有権者に限られていたのです。ところが、今般、政府は、新型コロナウイルス感染症の蔓延を根拠として郵便投票の対象範囲を大幅に拡大させたのです。

 

第1に、警戒が必要となる理由は、郵便投票こそ、先のアメリカ大統領選挙にあって不正の温床として指摘されてきたからです。同法の成立を伝える報道にありましても、療養者に成り済ました不正選挙が懸念されておりました。この仕組では、療養者が保健所が発行する外出自粛要請の書面などを添付して投票用紙を請求するというものであるため、本人確認において不安が残ります。また、療養者は凡そ隔離された状態で生活を送っておりますので、一体、誰が投票用紙を同封した封筒を除菌作業を行ったうえでポストに投函するのか、という疑問もありましょう。ホテルでの療養者はホテルの従業員が対応するのでしょうが、家族のいない療養者は、同制度を利用することが難しくなります。また、郵便投票の開票作業において電子開票機などが使われるともなりますと、ソフト等を介した不正のチャンスはさらに広がることとなりましょう。

 

第2の不審な点は、何故、立法の対象を新型コロナウイルスの感染者に限ったのか、というものです。自宅にあって外出が困難な自宅療養者は、新型コロナウイルスの感染者に限られてはいないはずです。上述した従来の対象者は、身体障碍者などに認定された人々ですので、短期間であれ、一般の疾病によって自宅で療養している人々は対象外です。仮に、政府が、全ての有権者に投票のチャンスを与えるべきと考えたならば、特例法の制定ではなく、また、病名も新型コロナウイルス感染症に限ることなく、不在者投票制度を定めた公職選挙法の改正を以って対応すべき問題であったように思えます。

 

第3に不可解な点は、法律の名称が示すように、不在者投票の対象者拡大というコンセプトではなく、新たな制度の導入として概念されている点です。実際に、不在者投票として導入されている従来の郵便投票システムと、今般の新型コロナ感染者用郵便システムとでは仕組みに違いがあります。因みに、前者は、(1)各種手帳を有する有権者が選挙管理委員会に申請書を送ると、(2)同委員会が郵便投票証明書を交付し、(3)その同郵便投票証明書を添えて再度同委員会に申請書を送り、さらに、(4)申請を受けたと委員会が郵便で投票用紙を送付するという煩雑な手続きを経て、漸く(5)同有権者が郵便で投票用紙を委員会に送付することができるのです。言い換えますと、新型コロナ感染症の療養者については、極めて簡便なシステムが敢えて提供されているのです。

 

以上に主要な不審な点を3点ほど述べましたが、‘郵便投票法’という名称に悪い予感を感じた国民も少なくないのではないでしょうか。普通選挙制度は、選挙の正当性、並びに、民主主義の根幹にも関わるのですから、国民から不信感を懐かれるような制度の新設は、国民の政治不信を強めるばかりなのではないかと思うのです。


日本国の’自公連立’は’悪友関係’では?-相互劣化作用

2021年06月17日 12時57分05秒 | 日本政治

 中国政府によるウイグル人に対する非人道的なジェノサイドは、今日、国際社会から厳しい批判を受けています。ウイグル人弾圧に憤りを感じる日本国民も多く、民主主義国家に相応しく日本国内にあって民意が政治に反映されているならば、今般の国会での人権侵害非難決議案も全会一致で成立したことでしょう。ところが、報道によりますと、与党を構成している自民党と公明党との事前交渉が難航し、今国会での採択が見送られたというのです。

 

 同決議案の見送りの報に日本国民の多くは、落胆どころか戦慄さえ覚えたかもしれません。政治家と国民との間の倫理観や道徳観における隔たりをまざまざと見せつけられることともなったのですから。平井卓也デジタル相の’完全に干す’発言にも驚かされましたが、今や日本国の政治家の殆どが中国と同レベルにまで倫理観や人道意識が低下してしまっているようです。政府が悪党たちばかりとなっては、日本国民は安心して生活を送れるはずもなく、その内、ワクチン接種も国民全員に強制すると言い出すかもしれません。

 

 それでは、日本国の政治は、何故、かくも堕落してしまったのでしょうか。その要因の一つは、自民党と公明党による連立政権なのではないかと思うのです。何故、自民党と公明党との連立が日本国から人道主義、並びに、民主主義を遠ざけてしまったのかと申しますと、両党の間では双方が相手方を劣化させる、あるいは、相手方を理由として自らを堕落させる相互作用が強く働いているからです。いわば、最悪の’悪友関係’が両党の間では成立しているように見えるのです。

 

 考えてもみますと、自民党と公明党の両党は、政治的なスタンスはいわば対極にありました。政治的対立軸はしばしば保守対革新の間に設定されてきましたが、イデオロギーを宗教に置き換えますと、むしろ、世俗政党である社会共産主義系の政党よりも自民党との間に対照性が際立っています。自民党は、日本国の歴史や伝統を尊重する保守政党であり、政治的には軍事力の必要性を認める現実主義の親米政党として知られてきました。経済面ではいささか大企業の利益に偏る傾向にもありましたが、それでも、日本経済の発展に努め、戦後復興と経済大国化という功績は残しています(もっとも、当時の官僚が優秀であったとも…)。これまで、日本国の保守層が自民党を支持してきたのも、曲がりなりにも自由と民主主義の価値観を掲げつつ(かつての自民党では、政策をめぐる議論も自由闊達に行われていたらしい…)、日本重視の同党の基本的なスタンスがあったからなのでしょう。

 

 その一方で、公明党はと申しますと、組織としては分離していても、創価学会という一宗教団体のいわば’政治部’であり、グローバル化への野心から日本国の歴史や伝統に対しては否定的な立場にあります(信者は鳥居をくぐってはならない?)。かつて総体革命を掲げていたように全体主義志向の強い政党であり、北朝鮮のようにトップの発言は絶対なそうです(自由よりも服従を求められる…)。もっとも、仏教政党として平和主義や非暴力主義を唱えつつも、軍事大国化した中国との距離が極めて近いという矛盾を抱えています。経済分野にあっては、弱者に寄り添うスタンスを示しながらも信者への利益誘導が第一であり、社会福祉重視の姿勢の裏にも信者への利益配分の思惑があるのでしょう。

 

 政党としての基本的な性格を比較しますと両者の間には殆ど共通点や一致点が見られないのですが、今日、不思議なことに両党による連立政権が成立しています。おそらく、その背景には超国家権力体の思惑や利権などもあるのでしょうが(どちらも同組織のコントロール下にある…)、あるいは皇室もその一因であるのかもしれません(小和田家・創価学会・中国・超国家権力体のライン…)。何れにしましても、この対極にあるはずの二つの政党は与党として日本国の政権を握るようになると、日本国は、長期の低迷に苦しむととともに、中国の支配の手が日本国内にも忍び寄るようになるのです。

 

 そして、自民党と公明党は、曲がりなりにも相互に国民、あるいは、信者から支持を受けてきたプラス面を消し合う方向へと向かいます。自民党は、公明党への配慮から日本重視の方針をグローバル志向へと転換させたことで、保守色が急速に失われてゆくとなりました。また、自民党は、国家的な経済戦略の立案よりも(グローバル化の名の下での日本国弱体化戦略は遂行…)、公明党の信者対策に便乗する形で’ばらまき政策’の方向へと流れ、日本経済は方向性を失うこととなりました。そして今日、自民党は、公明党への配慮から人権批判決議まで取り下げてしまったのです。一方の公明党は、自民党との連立維持を理由に、表向きながらも主張してきた’平和主義’から後退する一方で、自民党を親中政党へと変質させることに半ば成功しています(巧妙に上記の矛盾を解消…)。

 

 こうした自民党と公明党との間の相互劣化作用を見ますと、自公連立政権は、日本国停滞の元凶の一つのようにも思えてきます。知の巨匠とされたヘーゲルは、相矛盾し合うものの対立がやがてより高次のレベルにあって止揚されると主張しましたが、この説は、自公連立政権を見る限り、事実による反証を受けてしまったかもしれません。より低次レベルで両党は’止沈’してしまっているのですから。自公連立政権はことあるごとに’外国の優秀な人材を呼び込む’として売国政策を遂行しておりますが、民主主義とは基本的には国を枠組みとして成立しているのですから、先ずは、自国民において優秀な政治家を育てることこそ、日本国の課題であると思うのです。


ワクチン論争を非接種者の立場から考える

2021年06月15日 14時23分39秒 | 日本政治

 コロナワクチンについては、64歳以下の人々を対象とした集団接種のみならず、職場や学校での接種へと対象が広がりを見せるにつれ、ワクチン接種派とワクチン非接種派との間の摩擦も激しさを増しているようです。小中学校での集団接種を計画している地方自治体に対して組織的な抗議の電話が殺到するなど社会問題化の様相を呈してきました。こうした現象に対しては、ワクチン非接種派の人々に対して非科学的で宗教的な人々として批判したり、双方が自らを正しいと信じ込み、正義であると確信しているため、いわば’信仰上の対立’として捉える見方も散見されます。

 

 地方自治体の窓口に対する抗議の電話等については、威嚇業務妨害に当たるとする説もあります。また、ワクチンの接種は個人の自由であるから、外部者がクレームを付けるべきではないとして批判する声も少なくありません。しかしながら、殊、このワクチン問題にあっては公私の区別をつけることは、決して簡単なことではありません。何故ならば、政府が目指しているのは集団免疫の実現ですので、そこにはできるだけ多くの国民に接種させるとする政府の明確な政策方針があるからです。このために、ワクチン接種は無料となり、国民全員が接種費用を負担しています。つまり、接種した人々は、非接種者にもその費用を負担してもらっていることにもなるのです。地方自治体が実施主体ともなれば、さらに公的な意味合いが強まりましょう。かくしてワクチン接種は、純粋に個人の問題とは言い切れなくなるのです(抗議の電話の大半は同自治体の域外からとされていますが、ワクチンの無料接種の予算は国庫負担では…)。また、仮に、クレームの電話が警察への通報を要するほどの犯罪行為に当たるとしますと、国民は、反対意見を述べる機会を失うことにもなりかねません(威嚇業務妨害という批判こそ、国民からの反対意見を封じるための’威嚇’なのでは…)。

 

 また、ワクチン接種派には、公私をめぐるダブルスタンダードが見受けられます。上述した苦情電話をはじめ警戒論に対しては、’強制ではなく個人の自由なのだから文句を言うな’という態度なのですが、同調圧力に晒されているワクチン非接種派の人々の自由に対しては無理解のようです。何故ならば、ワクチン非接種派の人々の自由な意思表明としての反対意見に対しては、他人でありながら’文句を言うな’とヒステリックなまでに干渉しているのですから。つまり、ワクチン接種派の人々は、政府の’威光’を背に自らを強者の立場に置きつつ、上述した政府の方針には反しているワクチン非接種派の人々を’社会悪’に仕立てようとしているように見えるのです。

 

 加えて、接種派の人々は常にお決まりの言葉、つまり、’陰謀論’を持ち出して、非接種派の人々を非科学的な人々と決めつけています。しかしながら、非接種派の人々が必ずしも科学を信じないカルト的な人々でははいはずです(仮にそうであれば、国民の半数以上がカルトの信者に…)。各国政府に対して賠償責任の肩代わりを要求したのは、ファイザー社自身が将来的な健康被害の可能性を認めているからに他なりません。実際に、アメリカのCDCも最近に至り、同社製のワクチンと接種後の青年層に見られた心筋炎の発生を公式に認めています。また、脂質ナノ粒子を用いた遺伝子ワクチンですので、接種者全員の脳を含む全身の細胞においてmRANから転写された大量のスパイク蛋白質が生成されてしまうのも否定のしようのない事実です(免疫反応により抗体を生成するとはいえ、血栓等の原因にも…)。ADE抗体も既に発見されており、変異株などの出現により、今後は、むしろワクチン非接種者よりもワクチン接種者のリスクが高まる可能性もありましょう。抗体も短期間にあって消滅しますので、政府が予測していたよりも接種率が低迷している理由は、’デマ’の流布ではなく、副反応や健康被害の実態に関する情報、並びに、科学的な情報が多くの人々に伝わるところとなったからかもしれないのです。

 

 歴史が示しますように、政府の判断が常に絶対に正しいわけではありませんので、リスク管理の上からも(少なくとも’全滅’にはならない…)、ワクチンの非接種の選択は尊重されて然るべきように思えます。そして、接種の判断は建前としては国民の自由意思に任せ、健康被害が生じても自己責任とする一方で、陰ではマイナス情報を隠蔽しつつ職域接種などを進めて同調圧力の醸成に努めるといった、狡猾とも言える政府による’公私’の使い分けもまた、コロナ・ワクチンに対する国民の不信感を高めていると思うのです。


ワクチン接種年齢拡大はワクチン警戒派を増やす?

2021年06月08日 12時45分27秒 | 日本政治

 先日、6月6日より、京都府の伊根町にあって12歳以上の児童や生徒にも接種対象を広げ、実際に高校生も接種したとする報道がありました。同報道は年齢の接種拡大の動きをアピールする形で報じられたのですが、翌日になると、伊根町の接種コールセンターに電話が殺到したそうです。どのような内容の電話なのかと申しますと、応援とは程遠く、’子供へのワクチン接種はやめるべき’といった苦情の電話であったそうです。

 

 3回線あるコールセンターの電話はパンクしたために30分後には停止したそうですが、その日に寄せられた苦情件数が97件とされます。終日、コールセンターの電話が通じていればその数はさらに増したことでしょう。苦情に関する報道も、「人殺し」や「殺すぞ」といった脅迫まがいの悪質なものもあったとして、どちらかと申しますとワクチン反対の声に批判的なのですが、それでも、同報道は、ワクチン接種に対して国民の反応が歓迎一色ではない現実を示していると言えましょう。

 

 治験中の遺伝子ワクチンである今般のワクチンに対する主たる懸念は、中長期的な健康被害のリスクが不明な点にあります。一方、即時的な副反応については若い世代ほど強いとする報告がありますので、リスク・ゼロではなく積極的に推奨はできないものの、新型コロナウイル感染症にあって重症化率も死亡率も高い高齢世代にあってメリットが一定の認められるワクチンと言えましょう(この点、各年齢層を含む医療従事者の方々が最もつらい立場にあるかもしれない…)。このため、高齢者を対象とした接種に際しましてはそれ程国民からの強い反対の声が上がるということはなかったのかもしれません(当事者意識が薄い…)。しかしながら、今般、10代を含めて65歳以下の一般の人々へと接種対象を広げるとなりますと、国民のワクチン接種に対する感情も変化してゆく可能性もあるように思えます。

 

 何故ならば、ワクチン接種に対してメリットよりもデメリットを感じる人々が増えるからです。この傾向は、年齢が下がるに比例して強まるかもしれません。大規模接種会場の設置ではワクチン接種率がそれ程には上がらないと見た政府は、目下、他の接種ルートの開拓に奔走しています。職場や学校などが主たるターゲットなのですが、ネット上の記事やコメントなどを読みますと、組織内における暗黙の同調圧力を懸念する声に溢れています。本人としては接種時の副反応のみならず、将来的な健康被害をも考慮して接種を見送りたいにもかかわらず、上部や周囲から組織的な圧力がかかって打たざるを得ない状況に追い込まれてしまいかねないというのです。

 

 職場のみならず、今月後半からは大学を会場とした集団接種も開始される予定であり、接種対象は大学生にも広がっています。関連性は確認されていないものの、日本国内におけるワクチン接種後の死亡例には20代の方も含まれていますし、アメリカやイスラエルではファイザー製ワクチンと青年層の心筋炎との関連性が指摘されています。その一方で、若者層の新型コロナウイルス感染症による死亡率は0%ですので、ワクチン接種によるリスクの方がメリットよりも上回ると言わざるを得ないのです。将来的にはどのような健康被害が発生するのか分からないのですから、次世代を生み育てる若者層へのワクチン接種は、他の世代よりも慎重であるべきことは当然のことと言えましょう。

 

 政府を司令塔とする接種を促す同調圧力も、接種対象者の拡大と共に職場や大学、そして、高校や中学校など社会全体へと広がり、全国民を圧迫しようとするのでしょうが、この圧力に対して、国民は、どのように対応するのでしょうか。ワクチン接種派の人々は、元より反対ではないのですから、むしろ勝ち馬に乗った気分で同調圧力を加える側となる人も少なくないのかもしれません。そこで注目されるのは、サイレント・マジョリティーとなるワクチン警戒派の人々の対応です。

 

 第一に注目されるのは、組織の責任者の判断です。同調圧力とは、主として上部からの圧力とされるのですが、この’上部’の人々は、自らもワクチン接種を望んでいるのでしょうか。国民の多数がワクチン・リスクに既に気が付いているにもかかわらず、これらの人々が全くマイナス情報を持たないとは考えられません。このことから、仮に、組織の上部がリスクに気が付き、ワクチン警戒派に転じた場合には、ワクチン接種に対して否定的となると共に、組織内の同調圧力を取り除こうとするかもしれません。もっとも、このケースは、’上部’が独自に判断できる状況にある必要があり、’上部の上部’としての政府、あるいは、何らかの組織の要請や指令を受けている場合には、’上部’もまた、他の人々同様に’隠れワクチン警戒派’の立場とならざるを得なくなります。因みに、不可解なことに、官公庁にあって職場接種が始まったというお話は聞きませんし、政治家の多くもワクチンを率先して打とうとはしていません(加藤官房長官も河野新型コロナウイルスワクチン接種担当大臣も自らは接種するつもりはないとも…)。

 

 第二に想定されますのは、ワクチン接種の対象となったワクチン警戒派による接種拒絶です。上部や周囲からの同調圧力が如何に強まろうとも、自らの決断を貫くというものです。この展開ですと、ワクチン警戒派は肩身の狭い思いをする、あるいは、公然と差別を受けるリスクもあるのですが、現実にはワクチン警戒派がサイレント・マジョリティーから普通の多数派となりますと、形勢が逆転する可能性もあります。ワクチン・リスクは誰もが否定できない医科学的にも歴然とした事実ですので、自ずとワクチン警戒派の主張が多くの人々の理解を得ることとなり、ワクチン接種が少数派に留まることとなりましょう(この状態では、「ワクチン・パスポート」は多数者排除という作用が生じ、逆効果となりかねない…)。

 

 そして第三に若年層の接種において予測されますのが、親御さん達による大反対です。冒頭で述べました伊根町における苦情殺到は、十代の子供が接種したことによるものです。この事例からしますと、大学をはじめ高等学校や中学校、さらには、それ以下の年代の子供たちが接種するとなりますと、将来における健康被害を案じる親御さんたちは、必死になって子供たちの未来と命を護ろうとすることでしょう。因みに、真偽は不明なのですが、ワクチン・ビジネスの総元締めとも目されているビル・ゲイツ氏は、自らの子供たちにはワクチンを打たせないそうです。そして、大学生であれば、学生が自らが情報を集めて判断し、接種を見送ることもあり得ましょう。

 

 以上に述べてきましたように、ワクチン接種は、対象年齢が拡大するほどに、国民からの警戒や抵抗も強くなることも予測されます。国民の判断により、政府の思惑とは逆の方向に向かう可能性も否定はできないように思えるのです。


オリンピックとワクチン接種のパラドックス-抗体リスクの問題

2021年06月07日 09時44分04秒 | 日本政治

 日本国政府が’国民総ワクチン接種’を急ぐ理由として指摘されておりますのが、夏季に予定されている東京オリンピック・パラリンピックの開催です。同大会の開催までに日本国内での接種率を上げ、集団免疫が実現する状態に至れば、’人類がコロナを克服した大会’として世界に誇れると考えているのかもしれません。しかしながら、この思惑、全く裏目に出てしまう可能性も否定できないように思えます。

 

 先日、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が、オリンピックの開催について「パンデミックの所でやるのは普通ではない」と発言したことから、政府との間に亀裂が生じているとも報じられております。菅首相に至っては、‘黙らせろ’といった乱暴な言葉で発言を封じようとしたらしいのですが、日本国は、言論の自由が保障されている国です。否、リスクの存在が指摘されている状況下にあって自由で開かれた議論を封じますと、破滅的な結果を招く危険性もありましょう。議論を封じたところで、現実に存在するリスクが消え去るわけではないからです。

 

 そして、オリンピック開催を前にした遺伝子ワクチン接種の推進には、抗体に関連した重大なリスクが潜んでいるように思えます。それは、ワクチン接種者が増えれば増える程、抗体から生じるリスクがむしろ高まってしまうというものです。’抗体依存性’という言葉が示すように、これらのリスクは、体内に抗体が存在する場合のみに生じます。つまり、政府にせかされるように遺伝子ワクチンを打ったばかりに多くの国民の体内に抗体が産生され、同タイプの感染リスクに晒されてしまう人々が多数出現してしまうかもしれないのです。

 

 第1のリスクは、既存のウイルスに対する感染率が上昇してしまうというものです。抗体依存性感染増強を起こす抗体は、既に大阪大学の研究グループによって発見されています。同研究によれば、今日使用されている遺伝子ワクチンは中和抗体も大量に生成されるため、同抗体が産生されてもワクチン効果は損なわれないと説明されていますが、感染歴のない人にも’悪玉抗体’が検出されたそうです。個人の体質によって’悪玉抗体’が生成されてしまう人がいる、両抗体の生成比率が違う、あるいは、誰であれ時間の経過とともに同比率が変化するとすれば、全国民を対象とした遺伝子ワクチン接種は、同リスクを飛躍的に拡大させることとなりましょう。

 

 第2のリスクは、免疫原罪、あるいは、インプリンティングによる変異株へ中和抗体の無効化です。変異株とは、ウイルスの増殖に際しての塩基配列のコピーミスから生じるとされていますが、一つの細胞が同時に複数のウイルスに感染した場合にも発生しやすいとされています。つまり、複数のウイルスの分節化されたRNA間でシャフリングが起こり、新しいウイルス株が誕生してしまうというのです。この現象を考慮しますと、東京オリンピック・パラリンピックでは、全世界から選手団並びに役員等が集まりますので、変異種が発生しやすい状況と言えましょう。このことは、ワクチン接種者にあって相当数の人々が、変異株に容易に感染してしまう可能性を示唆しています。上述した抗体依存性感染増強抗体については、むしろ、中和抗体が消滅した後に残った‘悪玉抗体’が、変異種に対して感染増強作用を及ぼすことを懸念しているようです。

 

 そして、第3のリスクは、文字通りの抗体依存性免疫増強であり、ワクチン接種者にあって過剰な免疫反応、あるいは、体内の感染細胞に対するキラーT細胞といった免疫細胞の攻撃の激化、即ち、サイトカインストームが起きるというものです。凡そ1世紀前に発生したスペイン風邪の特徴は、押し寄せた三つの感染の波の内、第二波の死亡率だけが飛びぬけて高いというものでした(第一波1.2%、第二派5.6%、第三波1.6%…)。しかも第二派にあっては若者層に犠牲者が多かったというのです。スペイン風邪が流行った時代には、未だにインフルエンザウイルスは発見されていませんでしたが、プファイフェル菌(インフルエンザ桿菌)によるワクチンが開発され、実際に接種されていたそうです(兵役のために青年層が接種したとも…)。たとえ別の病原体に対するものであっても(BCGも結核菌以外の病原体に対しても免疫力を上げるらしい…)、ワクチンによる過度な免疫増強がサイトカインストームを招いた可能性も否定はできないように思えます。新型コロナウイルス・ワクチンは、自然感染と比較して60倍もの量の抗体を生成するとされていますので、オリンピックを機に感染が広がれば、ワクチン接種者における免疫暴走も懸念されます。このリスクは、第1のリスクでも、第2のリスクでも、そして他のウイルスや細菌でも起こり得るのかもしれません。

 

 これらの3点を踏まえますと、政府のワクチン推進政策によるワクチン接種者の増加は、むしろコロナ禍の拡大とその深刻化に繋がるかもしれません。オリンピック開催に向けてワクチン接種を急がせた結果、従来株であれ、変異株であれ、抗体保持者の劇的な増加により、開催期間中、並びに、開催後に感染者のみならず、重症者や死亡者が激増するともなれば、目も当てられない惨状となりましょう。菅首相自身も、訪米を前にしてコロナ・ワクチンの接種を受けておりますが、東京オリンピック・パラリンピックの開催は、自らの生命並びに政治生命の両面におきましても重大なリスクとなるはずです。雑音とばかりに警告に耳を塞ぐのではなく、ワクチン接種の推進が逆にリスク増大となる可能性につきましても十分に考慮すべきではないかと思うのです。


危ういワクチン狂騒曲

2021年06月01日 12時41分01秒 | 日本政治

 日本国においてコロナ・ワクチン接種が開始されてから、厚労省による公表数だけでも接種後の死亡者数は既に85名に上っているそうです。接種との因果関係は認められておらず、公的な補償の対象にもならないというのですから酷いお話です。日本国政府としては、接種率を上げることで、何としても今夏に予定されている東京オリンピック・パラリンピックを開催させたいところなのでしょうが、血眼になって’国民総接種プロジェクト’に邁進する菅首相の姿には狂気さえ感じさせます(ノルマなのかもしれない…)。ネット上では、戦前の空気との共通性を指摘する声も聞かれ、リスク情報を隠しつつ、接種キャンペーンを張るマスメディアの異常さも目立ちます。普段にあっては’多様性’の大合唱でありながら、今般に限っては異論を許さず、ワクチン接種一色なのですから。

 ワクチン狂騒曲は全体主義の足音にも聞えるのですが、ここで簡単にリスクを整理してみるのも重要なことかもしれません。なお、私は、医科学分野の専門家ではなく、知識や集めた情報にも限りがございますので、ワクチン接種の判断に際しての参考にとどめておいてくださいませ。

 

〇接種時のリスク-全ての遺伝子ワクチンも含むワクチンに共通する一般的な副反応

他のワクチン・リスクと原因は共通。もっとも、コロナ・ワクチンの場合、アナフィラキシーを含め、発熱、倦怠感、頭痛などあらゆる副反応の発症頻度が高く、かつ、強い(特に2度目の接種時)。

〇中・長期的なリスク-遺伝子ワクチンに固有のリスク(体内に送り込まれた人工のmRNAが細胞内で翻訳され、新型コロナウイルスのスパイク蛋白部分を生成。これが抗原となって抗体が生成される仕組み)。

 1.抗原(コロナウイルスのスパイク蛋白質)によるリスク(感染による発病と変わらない?)

1)血栓の発生-無自覚~死亡

・血管の破損⇒全身の何れかの血管からの出血、脳を含む臓器内出血…

・血管の閉塞や狭窄⇒全身の毛細血管の損傷、動脈硬化、動脈瘤、静脈瘤、虚血性心疾患、脳梗塞、腎不全…

2)異物蛋白質の生成-無自覚~死亡

・血液脳関門通過による脳細胞内での生成(透過性の高い脂質ナノ粒子がベクターとなる場合にはリスクは上昇)⇒脳疾患?認知症?狂牛病様の疾患?

・再生不可能な心筋細胞内での生成⇒心筋炎?心機能低下?心疾患?

・その他臓器におけるスパイク蛋白の生成⇒各臓器の損傷・疾患?多臓器不全?

2.抗体によるリスク

1)抗体依存性免疫増強の発生

・ADE抗体の増加⇒感染促進、感染時の重症化

・’免疫原罪’or’インプリンディング’の発生(最初の抗体の存在によって類似のウイルスに反応しなくなる)⇒変異種への感染促進、重症化…

・抗体の過剰生産⇒サイトカインストーム、自己免疫疾患…

2)ウイルス由来の同族蛋白質への攻撃

・シンシチン蛋白質への攻撃⇒胎盤形成の阻害…

・その他同族蛋白質への攻撃⇒自己免疫疾患、未知の健康被害…

3.mRNAの残存によるリスク(DNAワクチン、並びに、mRNAワクチンであってもmRNAが分解されなかったり、テロメラーゼ等により遺伝子内への逆転写が起きた場合)

1)永続的なスパイク蛋白の体内生成⇒上記スパイク蛋白由来のリスクの慢性化

2)逆転写による塩基配列の組み換え⇒癌の発生?未知の健康被害?未知の遺伝病?将来世代へのリスクの継承

4.免疫反応によるリスク

メモリーT細胞等による予期せぬ免疫反応⇒抗体消滅後のキラーT細胞や免疫細胞の活性化によるサイトカインストーム、自己免疫疾患…

 以上に、主要なワクチン・リスクについて述べてきましたが(これらの他にもリスク指摘はある…)、大部分を占める中長期的なリスクについては、長期に亘る治験を要するために製薬会社を含めて誰も安全を証明しておりません。また、アジュバントとして添加されている各種物質やワクチン接種の定期化による過剰摂取がもたらす健康被害も懸念されております。さらには、「ワクチン・パスポート」にも見られるように、政治・社会的なリスクも否定はできません。こうしたワクチンをめぐる多面的、かつ、深刻なリスクを考慮しますと、接種に急ぐ政府やマスメディアの姿勢は正気の沙汰とも思えないのです。