万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

チベットの選択肢は独立国家か連邦制か

2008年03月31日 17時42分34秒 | アジア
中国の筋書きはチベットの民族対立を隠せず――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

 国際社会は、弾圧を繰り返す中国政府に対して、ダライ・ラマ14世との対話を要求しています。チベットを併合した「17条協定」を無効としますと、交渉は、時計の針を逆方向にまわし、主権国家であった1951年の時点に立ち戻って行われなくてはなりません。もし、交渉が再開されたすると、中国と対等の立場にチベットには、二つの選択肢があると思うのです。

 第一の選択肢は、そのまま独立国家として自国を維持することです。中国に組み込まれた方が経済的な恩恵があるという意見もありますが、チベットには、有力な地下資源があり、埋蔵されている資源を輸出したり、有効に活用したりすれば、充分に国家予算を確保することができます。もちろん、独自で、チベット仏教を尊重する形で、観光産業を興すこともできます。

 第二の選択肢は、隣国との間に連邦制を築くことです。ダライ・ラマ14世は、非暴力主義を貫くために、国防を他国に任せるという意味において、”高度な自治”を中国に要求していると推測されます。ただし、中国との対立関係を見ますと、必ずしも連邦の相手は中国である必然性はなく、それは、国境を接するインドでも構わないのかもしれません。また、安全保障が独立のネックとなるならば、他の軍事大国との同盟や地域的な安全保障機構への加盟も可能性がゼロというわけではありません。

 少なくとも、独立国家としての権利を持ちながら、抵抗すれば、政治犯とされて弾圧と虐待を受けるという状況は、何とかしなくてはなりません。チベットは、中国支配への自らの抵抗が、国際法においても正当な行為であることを強く訴え、中国への圧力としなくてはならないと思うのです。もし、チベットの人々が、中国からの抑圧を受けて声を上げられないならば、国際社会が替わって、チベットの正当な権利を主張し、人の道から外れた中国の行為を非難すべきなのではないでしょうか。

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福田路線はアジアの不安定化を招く

2008年03月30日 17時09分32秒 | アジア
福田首相「チベットと五輪、関連付けるべきでない」 批判なし、際立つ中国擁護 (産経新聞) - goo ニュース

 福田政権の基本的な外交方針は、強大な軍事力を保有する隣国に対してはひたすらに低姿勢を貫き、如何なる国際法違反の行為であっても、目を瞑るということのようです。大人しくしていれば、暴力を振るわれ事もない、という論理なのかもしれません。しかしながら、長期的に見ますと、この融和策は、むしろアジアの不安定化に繋がるのではないか、と思うのです。

 その理由は、福田政権の態度は、国際法上の違法行為の黙認に当たるからです。1951年のチベット併合も、チベットの人々に対する弾圧も、どれもが国際法違反の行為です。国際法の縛りを逃れて、自らの思うままに振る舞いたい国家に対して、法の順守を求めず、融和的な態度を採ることはあまりにも危険なことです。これは、暴力的な傾向を持つ国を、法による拘束からみすみす解き放つ行為に等しく、結果として、暴力の効力と相手の行動の自由度をさら高めてしまうことになりましょう。つまり、野獣を檻から出してしまうことに他ならないのです。

 法による拘束から自由になった国は、もう何も恐れるものはありません。檻の戸を開けてくれた国にさえ、攻撃の牙を向けるかもしれないのです。その時、日本国は、何を以って抗弁できるというのでしょうか。法という最大の武器を捨てたのですから、後は、力によってしか自らを守ることはできないでしょう。法による国際秩序への道を自ら放棄した国は、暴力と謀略の世界に引きずり込まれる運命にあるのです。

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チベット問題に見る民族融和の落とし穴

2008年03月29日 17時58分34秒 | 国際政治
民族融和訴え ダライ・ラマ、華僑らに(産経新聞) - goo ニュース

 ダライ・ラマ14世は、チベット民族と漢民族との間に、民族的な憎悪が生まれることを、人々を導く生き仏として心配なさっているのでしょう。民族や宗教の違いに基づく相互憎悪の惨状は、旧ユーゴスラヴィア紛争で厭というほど見せつけられました。しかしながら、その一方で、中国の実効支配の下にあるチベットの地において民族融和を唱えますと、中国政府によるチベットの強制的な中国化政策を後押ししてしまうかもしれない、という懸念があるのです。

 現在、チベット開発の名の下で、中国政府は、大量の漢民族をチベットに入植させ、人口比において、既に漢人が上回りつつあるとも伝えられています。その一方で、チベットの人々は、弾圧の中で殺害されたり、強制的に都市部への移住を強いられるなど、その人口は、政策的に減少させられているようです。この状態が続きますと、やがて、チベット民族は、固有の民族として、独立を支える民族自決権を主張することができなくなるかもしれません。しばしば、領土の帰属については、住民投票の方式が採られることがありますが、チベットの中国化が完了した時点で、中国は、今度こそ、大手を振って合法的にチベットを併合するかもしれないのです。民族融和という言葉は、中国にかかると、民族浄化という恐ろしい行為に変換されてしまう恐れがあるのです。

 民族融和が、相互の自由と権利の承認ではなく、中国政府の一方的なチベット中国化政策の容認と受け取られることはあってはならないことです。そうして、漢民族の人々こそ、チベットの置かれている悲惨な立場を、そうして、自国の政府がチベットの人々に何をしてきたのかを理解するべきではないか、と思うのです。 

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弾圧の歴史に終止符を

2008年03月28日 17時41分11秒 | ヨーロッパ
ポーランド首相、五輪開会式「欠席」 チェコ大統領も(朝日新聞) - goo ニュース

北京オリンピックの開会式欠席を表明したポーランドも、チェコも、エストニアも、ソ連邦という大国によって自国が頸木で繋がれた痛ましい経験を持ちます。

 1939年9月、第二次世界大戦は、ナチス・ドイツとソ連の共謀によるポーランド侵攻と国土分割という形で始まりました。その後、自らポーランド侵略に手を染めながら、1941年6月に、ソ連は連合国側での参戦に及びます。この時、連合国側は戦後のポーランドが自由主義国となるべくソ連と協定を結びましたが、この約束は反故にされ、ポーランドは東側の体制に組み込まれてしまいました。

 丁度、ポーランド分割から独ソ開戦の合間となる1940年8月に、ソ連邦は、混乱に乗じて、エストニアを含むバルト三国を一方的に併合します。この強引な併合には、どの国も為す術がありませんでした。

 そうして、チェコもまた、ソ連の魔の手から逃れることはできませんでした。1948年2月に、ソ連と内通していた共産党のクーデタによって体制は共産化し、ソ連の衛星国の一員となってしまうのです。自由化を求めるべく、チェコでは改革運動が起きますが、1968年8月、ソ連軍は、ワルシャワ条約機構軍を率いてチェコに軍事介入するのです。プラハの春は、悲しい記憶です。

 自らの身をもって経験した弾圧の苦しみは、中東欧諸国の人々の心に、自国を持つことの喜びを、そうして、自由があることの尊さを刻み込むことになりました。我が国もまた、チベットに対する隣国中国の態度は、他人ごとではありません。歴史に学び、チベットの人々のために何を為すべきか、オリンピック・ボイコットの選択肢を含めて、真剣に考える時に来ているのではないか、と思うのです。

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中国にチベットを虐待する自由はない

2008年03月27日 17時55分15秒 | アジア
「チベットに自由ない」僧侶ら現地入り外国メディアに直訴(読売新聞) - goo ニュース

 チベットの人々に対して、最も身勝手、かつ、自由に振る舞っているのは、他ならぬ中国政府です。しかしながら、中国には、他民族をいたぶる自由などあるのでしょうか。

 悪名高い絶対主義(absolutism)の語源を辿りますと、ラテン語動詞のabsolvoにたどり着きます。この言葉、もともとは、何の拘束もない状態にすること、とか、責任を免じること、といった意味であったと言います。つまり、如何なる悪行であれ、外部から抑制を受けることなく、自分の意志で何でも自由にでき、かつ、その結果に対して何らの責任を負わなくてもよい状況こそが、絶対主義であり、専制なのです。もちろん、この絶対主義が、他者の犠牲を伴うことは言うまでもありません。そうして、現在、中国の絶対主義の犠牲になっている国こそが、チベットなのです。

 国際法に従えば、中国もまた、自らが常任理事国である国連憲章を始めとして、様々な条約に加盟していますので、国際社会のルールを順守する義務を負っています。ですから、中国には、チベットを虐待し、自由を奪う権利などないのです。これ以上、中国の自由を許すことは、国際秩序にとってあまりに危険なのではないでしょうか。チベットの僧侶の直訴を受けたメディアは、中国政府の圧力に屈することなく、事実を事実として伝えていただきたいと思うのです。

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クリントン議員の対中批判の意図は?

2008年03月26日 18時13分29秒 | アメリカ
チベット騒乱 「中国に強い姿勢を」 クリントン議員、米政権批判 (産経新聞) - goo ニュース

 民主党の大統領候補者指名争いで劣勢に立つ中で、クリントン氏は、果たして、チベット弾圧について本心から中国を批判したのでしょうか。クリントン氏は、大統領候補者の中でも特に中国寄りと目されており、俄かには信じられないのですが、この発言については、幾つかの憶測が成り立ちます。

 第一に、もしかしますと、氏は、本心からではなく、選挙選を有利に展開するために、選挙向けに現政権を批判しようとしたのかもしれませんん。この場合、仮に、氏が大統領戦の本線で当選した場合には、前言を翻して親中派に回帰する可能性があります。
 第二に、氏は、国内世論や国際世論が反中に傾いていることを意識し、親中派であり続けることが自らの政治的立場を危うくすると悟り、中国と距離を置き始めた可能性もあります。この場合、氏の発言は、外交政策の路線転換のサインということになります。
 第三の憶測は、氏がチベット問題に心を痛め、政治的思惑や選挙対策を抜きにして、中国を批判しているとするものです。選挙戦では既に劣勢ですので、支持基盤を無視した捨て身の発言ができるようになったとも見ることができます。

 今後の世界情勢を考えますと、対中政策は、人類の行くへを左右するほどの重要な意味を持ちます。チベットを救うためにも、より多くの政治家の方々が、自らの良心に照らして、中国批判を行っていただきたいと願うのです。
 
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チベット弾圧はジェノサイドでは?

2008年03月25日 18時01分03秒 | 国際政治
チベットをめぐる認識ギャップ 西側はそう見るかと中国、怒る――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース

 知識人も含めて、中国人の間では、中国政府による非人道的なチベット弾圧に対する積極的な非難の声は聞かれないようです。その最大の理由は、中国の国民は、事実が目隠しされている上に、国際法上における禁止行為についての知識にも欠けていることにあると思われるのです。

 国際法に照らしてみますと、中国が、如何に違反大国であるかよくわかります。そもそも、中国がチベットを併合した「17条協定」は、脅迫によるものですので、ウィーン条約により無効です。さらに、中国は、ジェノサイド条約に加盟しているにもかかわらず、チベットでの弾圧行為は、この条約に違反する可能性すら高いのです。ジェノサイド条約第2条には、ジェノサイドの定義として

「・・・集団的殺害とは、国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる次のいずれかの行為をいう。
(a)集団の構成員を殺すこと
(b)集団の構成員に重大な肉体的または精神的な危害を加えること
(c)全部または一部の身体的破壊をもたらすことを目的とした生活条件を故意に集団に課すこと
(d)集団内の出生を妨げることを目的とした措置を貸すこと。
(e)集団のこどもを他の集団に強制的に移すこと。」

と定められています。聞くところによりますと、中国政府は、チベットの民族性を破壊すべく、虐殺のみならず、移住や強制婚姻をも含めた手荒な手段を採ってきたようです。これらの手法は、いわば、国際社会における犯罪行為=ジェノサイドに該当します。中国政府および中国国民は、この事実に気付き、自らが非難される原因に思い至るべきであると思うのです。
 
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中国にはそもそもチベットの領有権はない

2008年03月24日 18時19分39秒 | 国際政治
チベット問題をめぐるネット上の情報戦(WIRED VISION) - goo ニュース

 中国政府は、自国をアメリカやカナダといった多民族国家と同列に捉え、チベットも中国国民を構成する一民族に過ぎないと言いたいのでしょう。しかしながら、移民国家と中国では、国家成立のプロセスが大きく違いますし、それ以前の問題として、中国には、そもそもチベットに対する国際法上の正当な領有権がないのです。

 7世紀には既に吐蕃の名で知られていたチベット歴史は、確かに、独立の危機の連続でした。清朝の時代には、東チベットを清の支配下に置かれると共に、常に、清の軍事的な圧力に曝されていました。また、20世紀初頭には、英露の対立の中で翻弄され、イギリスの軍事使節団を受け入れたこともあります。清朝崩壊後の1911年には、ダライ・ラマ13世が中国との国交を断絶しつつも、1933年には、ダライ・ラマ13世が亡くなると、その弔問団として派遣されてきた中国の使節団が、ラサに居座ったこともありました。一時は、英中の両使節団がラサに駐在していたことさえあったのです。しかしながら、決して独立を失っていたわけではありません。第二次世界大戦後の1947年には、チベット政府は、諸外国に通商使節団の派遣さえ行っているのです。

 1950年に、人民解放軍は、独立国家であったチベットを軍事制圧し、1951年5月23日に、チベット代表団を脅迫して「17条協定」を強引に結びます。中国政府は、不正な手段で、チベットを自国に併合してしまうのです。ウィーン条約第52条では、武力による威嚇や強制による条約は無効としています。この時、ソ連邦は、中国のチベット併合を認めますが、当事国間の条約は第三国に効力が及びません。また、ダライ・ラマ14世は、中国に押し付けられた「17条協定」を否定しており、このことは、中国には、一切、チベット領有の権利がないことを意味しています。

 もし、中国が、チベットを自国の領土であると主張するならば、国際司法裁判所で争うべきと言えましょう。中国政府が、どんなに強気な態度で自国の領有権を主張しても、”ないものはない”のです。

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馬氏が本気なら台湾が中国を変える?

2008年03月23日 17時54分38秒 | 国際政治
台湾の新総統、北京五輪ボイコットの可能性を示唆(ロイター) - goo ニュース

 中国融和派と見なされながら、新総統に選出された馬氏は、チベットの弾圧事件に関しては、北京オリンピックのボイコットを示唆するなど、我が国政府の対応よりも遙かに強固な非難のメッセージを送っているようです。

 もし、馬氏のこの態度が、単なる政治的なジェスチャーではなく、本気であるとしますと、ひよっとすると、台湾が、中国を変えるというシナリオもあり得るかもしれないと思うのです。1949年12月に、中華民国の国民党は本土から台湾に移り、1958年10月には、蒋・ダレス会談で、武力による本土奪還は断念しています。また、1991年4月には、中国の内戦終結宣言も行いました。しかしながら、もし、国民党が、平和裏に大陸に返り咲くチャンスを獲得するとしますと、中国本土の共産党一党独裁体制は、自然消滅するかもしれないのです。もちろん、国民党が中国本土を飲み込むという形ですと、今度は、台湾の独立が危うくなるという別の問題点もあるのですが・・・(最終的には国民投票で決着?)。

 馬氏が、中国本土の人々をも味方につけ、来るべき21世紀の中国が、人道を尊重し、他国からも尊敬される国家になるべく訴えれば、何かが動くかもしれません。中国を良き国家へと導くことができれば、それは、台湾人のみならず、中国人にとりましても、新たな時代を開くことになるのではないでしょうか。そうして、チベットの人々もまた救われるのではないか、と思うのです。

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中国こそ人類に対する反逆者

2008年03月22日 17時47分27秒 | 国際政治
チベット騒乱 死者19人 負傷600人超 新華社「西側、人の不幸楽しむ」 (産経新聞) - goo ニュース

 自らが弾圧の手を下したチベットの抗議の騒乱について、中国政府は、自らを被害者と勝手に決め込んでいるようです。しかしながら、本当の被害者とは、21世紀にもなって、武力によって人道を踏みにじられ、侵略行為の正当化の主張を聞かされている、チベットの人々を含めた心ある人類の方なのではないでしょうか。

 凄まじい数の人命が失われ、物的にも多大な被害を招いた第二次世界大戦の反省から、戦後は、暴力による支配から決別し、全ての人々が平和と安定の中で生活すべく、少なからぬ努力を払ってきたはずです。もちろん、米ソ間の冷戦や代理戦争といった熱戦もありましたし、ソ連による東側諸国の衛星国化もありましたが、1989年の東欧革命を契機として、冷戦構造が崩壊すると、誰もが、ようやく人類にも曙光が射してきたように感じたものです。また、中国が、改革開放路線を選択し、イデオロギー国家からの脱却を目指すかに見えたことも、明るい兆しと安堵をもって歓迎されました。

 ところが、ここ今日に至って、共産主義国家が覇権主義の牙をむき、暴力が支配の時代に人類を引き戻そうとしているようです。中国によるチベット人に対する武力の行使は、人類に対する反逆行為であり、この行為によって、人類は、暗黒時代に突き落とされそうになっているのです。中国政府が責任ある国家となるためには、暴力容認のイデオロギーから抜け出る以外に方法はないのではないでしょうか。

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逆切れする自己中心国家中国

2008年03月21日 17時29分31秒 | 国際政治
中国、海外メディア非難 チベット掌握に自信深める(産経新聞) - goo ニュース

 チベットにおいて、誰もが義憤を感じる弾圧を行いながら、中国政府は、厚かましくも、外国メディアの方が不公正であると逆切れしたと報じられています。

 どうやら、中国政府には、正邪の区別ができないようです。チベットで起きた事実をありのままに報道することが不公正ならば、正しい情報を提供することは邪である、ということになります。要は、中国の論理とは、常に”自分が絶対に正しい”に尽きるということです。たとえ、残酷で恥知らずな行為を行ったとしても、自分が正しく、批判した相手は悪者なのです。

 さらに、中国は、暴動と、一方的な支配と弾圧に対する正当な抵抗との違いも区別できないようです。自分に手向かってくる行為は、相手の行為の正当性を吟味することなく、全て”暴動”なのです。

 『暗国大陸中国』という書物の中で、著者のタウンゼントは、”中国の道徳は他者を縛るためにある”と記していますが、自己中心の思想にとどまる限り、道徳は、相手を責めるためにのみ利用され、自己抑制の働きはしません。中国には、正邪の判断を期待することはできないのですから、中国とは、道徳的、あるいは、倫理的なブレーキの効かない国家であると覚悟してかからなくてはならいと思うのです。中華思想の本質が、ついに、見えてきたのではないでしょうか。

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相互依存論の非情

2008年03月20日 17時58分04秒 | 国際政治
チベットの騒乱、中国経済の影響力を前に西側諸国は沈黙か(ロイター) - goo ニュース

90年代の国際政治学において、ジョセフ・ナイ氏等を主導者とする相互依存論と言う説が一斉を風靡しました。この説によりますと、国家間の関係は、経済的な相互依存が高まるにつれて友好性を増し、安全保障上の対立もやがて緩和する、とするものです。

 現在、チベットで起きた虐殺と弾圧に対して、西側諸国は、中国との経済関係を理由に、非難の態度に出ることに二の足を踏んでいると言います。この様子を見るにつけ、相互依存論とは、経済利益の優先を意味するに過ぎなかったのではないか、と疑うのです。何故ならば、相互依存論は、相手国が、異質な政治論理で行動し、たとえ、侵略や弾圧を繰り返すような国であっても、経済優先を貫くことを正当化しかねないからです。相互依存論の前では、人道主義も人権の擁護も吹き飛んでしまうのです

 その結果、どの国も、中国との経済関係を重視して、チベットの人々を救おうとも、手を差し伸べようともしなくなりました。相互依存論は、国際社会に非情と不条理を生み出す論理なのではないか、と思うのです。

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中国はモスクワオリンピックをボイコットした

2008年03月20日 13時28分29秒 | 国際政治
北京五輪めぐり思惑 ボイコット経験のロシア 同じ内情抱え中国支持(産経新聞) - goo ニュース

 1980年夏、ソ連では首都モスクワにおいて、世界各国の選手団を集めて盛大にオリンピックが開催される予定となっていました。しかしながら、このモスクワオリンピック、少なからぬ諸国が不参加を表明したために、色あせたものとなったのです。

 それでは、何故、モスクワオリンピックはボイコットされたのでしょうか。それは、前年の1979年の12月に、ソ連軍がアフガニスタンに進攻し、軍事占領してしまったからです。つまり、ソ連は、侵略という許されざる行為を行ったのです。この侵略行為に対する抗議の手段として採られたのが、オリンピックボイコットでした。しかも、この時、アメリカ、イギリス(政府としては不参加)、西ドイツ、日本などの西側諸国と並んで、実は、中国も、このオリンピックをボイコットしているのです。

 このことを考えますと、侵略や弾圧などを行った場合、オリンピックがボイコットされる可能性があることを、中国が知らないはずはありません。中国政府によるチベットでの虐殺行為は、明らかに抗議の対象となる蛮行です。オリンピックを政治利用してはいけないという主張もありますが、むしろ、波風立たずに北京オリンピックが開催されたとすると、それは、国際社会が中国の行為を認めたとするメッセージとして受け取られ、逆の形で政治利用されるようにも思うのです。

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オリンピック不参加は最大の外交手段

2008年03月19日 17時33分19秒 | 国際政治
チベット騒乱 五輪開会式不参加を 仏外相、EUに促す(産経新聞) - goo ニュース

 世界各地で紛争が発生する度ごとに、平和的な解決方法を声高に唱えている人々が、北京オリンピックのボイコットを主張していないことは、まことに不思議なことです。中国が、国威をかけて開催するオリンピックへの不参加をおいて、軍事力を使わずにして、相手国に圧力をかけることができる外交手段はないのですから。

 もちろん、中国との関係悪化は、経済に損失を与えるでしょうし、日頃の中国側の態度を考えますと、政治的にも何をされるかわかりません。しかしながら、外交という政策領域は、決して諸外国と友好関係を築くためにのみ存在しているのではないのです。国益のみならず、時には、価値観さえも衝突する国際社会にあって、誰もが、人道や倫理について考えざるを得ない場面に遭遇するものなのです。チベットで起きた弾圧事件に際しても、政府のみならず国民も、弾圧側の強国に阿ったり、経済的な利益に心を奪われて、民族虐殺に目をつむるようなことになれば、国家そのものの威信と信頼性が揺らぐことになりましょう。ここは、自国の短期的な利益の犠牲を覚悟してでも、中国に対する抗議の姿勢を、北京オリンピックボイコットという外交手段を用いて、明確に示すべきではないかと思うのです。

 外交手段を以って事態が好転するならば、自らそのチャンスを逃し、外交カードを捨てることは、あまりに愚かなことなのではないでしょうか。

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チベット旅行者は目撃した事実を語って

2008年03月18日 20時12分05秒 | 国際政治
中国政府、米ユーチューブを遮断=チベット暴動映像を警戒か(時事通信) - goo ニュース

 本日の7時のNHKのニュースにおいて、チベットに旅行中に抵抗運動に遭遇し、急ぎ帰国した日本人旅行者の人々の映像が流されていました。旅行者の方々は、現場に居合わせたのですから、報道統制が敷かれる中で事実を伝えることができる、貴重な目撃者と言うことになります。

 ところが、驚いたことに、その旅行者の方々は、「しゃべってはいけないと言われている」とだけ述べて、口を開くことなく家路を急いでしまったのです。果たして、誰が、口止めをしたのでしょうか。もし、中国政府であるならば、日本国に帰国した限りにおいては、この命令に従う必要はないはずです。それとも、日本国政府が、渡航者に対して緘口令を敷いたのでしょうか。この場合には、日本国政府が、弾圧した側に味方して、言論の自由を侵害することになり、まことに情けない政府ということになります。
 
 中国政府の主張するように、チベットが、単なる”暴動”であり、被害者も中国側の発表した通りであるならば、映像を遮断するような報道統制を行う必要はありません。目撃者の方々は、ぜひ、勇気をもって、チベットの人々のために事実を語っていただきたいと思うのです。事実が明らかになれば、何をなすべきかは、おのずと見えてくるはずです。

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