万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

天安門事件から学ぶ失敗の教訓―習主席訪日キャンセルカード

2020年05月31日 11時16分19秒 | 国際政治

 香港の民主化運動を潰すべく、中国の全人代では香港国家安全法の導入が決定されました。強硬姿勢を強める中国に対して、アメリカは関税、投資、並びにビザの発給等に関して香港に認めてきた優遇措置の停止を示唆しており、米中対立は香港を舞台に激化の様相を呈しています。そしてそれは、民主化運動に対する中国の断固たる弾圧という意味において、天安門事件と共通しているのです。

 香港返還時に際しての英中合意は反故にされ、「一国二制度」も風前の灯となったのですが、北京政府による香港に対する弾圧が民主主義の危機であることは言うまでもありません。かろうじて天安門事件のような流血の事態には至ってはいないものの、今般の香港国家安全法が施行されれば、今後、北京政府が同法律を根拠として人民解放軍の介入をも試みる可能性も否定はできなくなります。民主主義国は、今度ばかりは中国の暴挙を許してはならず、香港の天安門化を未然に防ぐための方策を何としても見出すべきと言えましょう。

天安門事件に際しては、自由主義国が強い懸念を寄せる間もなく、鄧小平主席をトップとする当時の中国共産党中枢部は軍事弾圧を即断し、天安門広場に集結していた民主派の若者たちを無慈悲に虐殺しています。いわば、奇襲的な手法で民主化運動を暴力で一掃してしまったのです。

 そこで重要となるのは、過去の失敗に学ぶことのように思えます。中国は、‘風林火山’を未だに実践する国ではありますが、天安門事件当時と比較しますと、今日の中国に対する他の諸国の視線は遥かに厳しく、警戒心に満ちています。香港の場合、メディアが早い段階から香港情勢を全世界に向けて発信し、ネットやスマホの普及もあって国際世論も高い関心を示してきました。一方、今日、世界第二位の経済大国に成長した中国も、改革開放路線に舵を切ってから日の浅い当時よりは、国際世論の動向に気を使わざるを得ない立場にあります。現状にあって香港の天安門化が回避されているのも、中国が、全世界からウォッチされる状態にあるからなのでしょう。天安門事件での失敗が他国の無関心、あるいは、低い関心にあるとしますと、まずは、国際世論が香港に対して高い関心を払い続けると共に、各国政府も圧力をかけてゆく必要がありましょう。

また、天安門事件後に注目しますと、日本国には、外交上の失敗と称される出来事があります。それは、1992年10月の天皇訪中です。天安門事件を機に各国とも対中制裁に動いたのですが、日本国の天皇夫妻の訪中は中国包囲網を緩ませ、中国の国際経済への本格的進出を許すきっかけとなったからです。結局、中国の民主化のために天安門広場に流された血は無駄となり、その後、中国共産党は、強権的な手段で民主化運動を徹底的に取り締まるに至るのです。

今般の習近平国家主席の国賓待遇での訪日は、中国発の新型コロナウイルスのパンデミック化のみならず、香港国家安全法の制定が決定された今日、天安門事件後の天皇訪中と同様の意味合いを帯びてきています。仮に同訪中が実現すれば、中国は、対中包囲網の一角を崩したこととなり、国際社会復帰への切符を手にしたかのように振舞うことでしょう。それでは、日本国政府は、予定通りに習主席の訪日を進めるべきなのでしょうか。

日本国民の多くは、おそらく習主席の訪日には反対することでしょう。そして、幸いなことに、その決定権は日本国政府側にあります。1992年の天皇訪中は中国側からの招待でしたので、主導権を握っていたのは中国側でしたが(もちろん、日本国側も断ることはできたのでしょうが…)、今般の訪日では、日本国政府が習主席宛てに招待状を送っています(ただし、背後に中国側からの要請があった可能性も…)。つまり、香港国家安全法の制定を理由として、民主主義国である日本国政府は、習主席の招待を取り下げることができるのです。

 国際社会において中国がウォッチされているように、日本国による習主席招待の行方も、同盟国であるアメリカをはじめ多くの諸国が固唾を飲んで見守っているのではないでしょうか(もっとも、日本国ではなく、今日にあって同様の役割は、EU、あるいは、ドイツが演じるかもしれない…)。国際社会を前にして、日本国政府は、習主席の訪日キャンセルという外交カードを自由と民主主義のために切るべきではないかと思うのです。天安門事件での失敗を繰り返さないために。


WHOは何処に向かうのか?

2020年05月30日 12時43分55秒 | 国際政治

 アメリカのトランプ大統領はWHOからの事実上の脱退を表明し、両者の決裂は決定的となりました。最大の拠出国を失うわけですから、WHOの財務が悪化することは必至なのですが、先行きが不透明化する中、テドロス事務局長は、WHO独自の財団の設立を打ち出しています。

 同財団について、テドロス事務局長は、WHO独自の財団設立構想は、アメリカとの対立による資金不足を直接の原因としているのではなく、同局長が2017年の同ポスト就任以来温めてきた長期的な制度改革の一環として説明しています。拠出金の80%占める任意拠出金ではその使途が特定の事業に限定されているため、WHOが柔軟な対応、あるいは、独自性を発揮することはできないそうです。比較的裁量度の高い残りの20%の予算も加盟国の拠出金に依存しており、同局長としては、財団を設立することで個人や企業等からの寄付金を募り、資金調達のすそ野を広げたい、ということなのでしょう(もっとも、この説明が正しいとは限らない…)。

 しかしながら、このWHO財団の行方、中国がテドロス事務局長の後ろ盾である点を考慮しますと、悪い予感しかしないのです。そもそも、中国はWHO予算への貢献度は極めて低く、アメリカと間には雲泥の差があります。任意拠出金だけを見ても僅か0.21%に過ぎないのですから(アメリカは凡そ15%)。その一方で、SARSなどの他の感染症を含め、新型コロナウイルスの震源地となった中国は、同機関から長期にわたって多大な恩恵を受けてきました。つまり、WHOを介してアメリカの予算が中国の感染症対策や公衆衛生の向上のために費やされる、という構図が長らく続いてきたのです。

 一旦、加盟国からの拠出金が国際機関の‘金庫’に納められてしまいますと、加盟国間の受益と負担の関係を見えなくしてしまうものです。このため、実質的にアメリカが中国を資金面で支援していたとしても、中国はアメリカに対して特段に恩義を感じることはない、ということになります。それどころか、WHOのトップの座を潤沢なチャイナ・マネーで掌握し、より自国に都合の良い方向にコントロールしようとしたのですから、トランプ大統領の脱退の決意も理解に難くはありません。

 そして、仮にテドロス事務局長が就任当初から‘制度改革’を目指していたとしますと、この計画の影の発案者が中国であった可能性も否定はできません。上述したように、財団設立の目的がWHOの自由裁量の幅を広げることにあるならば、この目的の正体は、最大の拠出国であるアメリカの影響力を排除し、中国の意向で自由に予算配分ができる体制への変革であったとも推測されるのです。民間からの自発的な寄付という形であれば、最早、アメリカはWHOの運営に口出しはできないと考えたのでしょう。

 テドロス事務局長は、WHO財団が最初に取り組むのは感染症に対する緊急対応並びにパンデミック対応と述べていますが、自らの初期対応の失敗を資金不足のせいにしているようにも聞こえ、先が思いやられます。しかも、‘財団’という形式は、表向きのクリーンさとは裏腹に、常々腐敗の温床となる傾向にもあります(悪事のカモフラージュの側面も…)。既に、任意拠出金額においてアメリカに次いで第二位のランクにある「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」のビル・ゲイツ氏は、WHOに対して影響力を保持しています。今般、WHO財団が新設されるとすれば、中国に限らず、‘大口の出資者’によってWHOが私物化されてしまうリスクも生じることでしょう。

 テドロス事務局長の制度改革とは、その実、WHOの存在意義をも喪失させかねない改悪、否、破壊行為ともなりかねません。アメリカのみならず、日本国政府もまた、‘国際組織無誤謬神話’から脱し、WHOの将来的なリスクをも見越した賢明なる判断を為すべきなのではないかと思うのです。


IT大手の‘民主主義の赤字’問題

2020年05月29日 12時52分00秒 | 社会

 ‘民主主義の赤字’とは聞き慣れない言葉です。特に日本国内では、殆ど誰からも使われていない言葉かもしれません。ところが、ヨーロッパではEUの発足以来、‘民主主義の赤字’なる言葉がその将来像を左右するほど深刻な政治問題となり、EU批判の代名詞とも言える一般的な表現として根付いてきたのです。そして、この言葉に簡潔に表現された問題性は、今日のIT大手にも共通しているのではないかと思うのです。

 マスメディアのEU批判、あるいは、反EU報道と言えばポピュリズム的な観点からのものが多くを占め、非合理的な‘衆愚政治’と凡そ同義として扱われてきました。しかしながら、EUに対する懐疑は感情的なレベルに留まるものではなく、民主主義の危機としても論じられてきた歴史があります。それを象徴するのが冒頭に挙げた‘民主主義の赤字’という言葉なのです。

 それでは、何がどのようになる状態を‘赤字’と呼ぶのでしょうか。‘赤字’とは、何らかの行動や活動の結果、何かが以前の状態と比較してマイナスとなってしまう状態を意味します。それでは、EUにおいて何が赤字になるのかと申しますと、それは、即ち、文字通りの民主主義です。EUにおける‘民主主義の赤字’とは、EUが政策権限を広げてゆくにつれて、加盟国の民主主義が侵食されてゆく、加盟国の民主主義のレベルが低下してゆく状態を意味する批判的な言葉なのです。

 EUと加盟国の両者の制度を比較しますと、民主主義のレベルは後者の方がはるかに高いということができます。EUのトップは、欧州委員会委員長であれ、‘大統領’とも称される常任議長であれ、直接に‘EU市民’から選出されるわけではありません。また、その他もろもろの制度を見ましても、EUの民主主義の制度化のレベルは加盟国には遠く及びません。この状態にあって政策権限ばかりが加盟国からEUへと移ってゆくのですから、民主主義を基準として評価すれば明らかに‘赤字’が生じてしまうのです。

 民主主義の赤字が、民主的な国家から非民主的な組織への権限移譲による、民主的レベルの低下を意味するとしますと、今日、凡そ全ての諸国が直面しているIT大手のプラットフォームの公共インフラ化の問題も、同様の文脈において理解できるように思えます。昨今、トランプ大統領のツウィートに対してツイッター社が警告文を付したことが問題となっておりますが、IT大手には、民間企業でありながら、不都合、あるいは、ポリティカルコレクトに反すると判断した投稿文に対して警告文を付すのみならず、投稿そのものを削除する権限を有します。たとえ憲法や法律等で検閲が禁じられていたとしても、現実には検閲が行われていることとなるのです。

 IT大手は民間企業ですので、非民主的な組織です。ユーザーには経営に参加する権利はありませんし、ましてやトップやCEOを選挙で選ぶということもできません。それにも拘わらず、言語空間における検閲をはじめ、‘公共インフラの民間運営者’という立場にあって様々な権限を保持するに至るのですから、その存在がユーザーでもある国民にとりまして危険であることは言うまでもありません。SNSともなれば、コミュニケーションの基盤的インフラともなりますので、民主主義の赤字問題は深刻です。

こうした批判に応えるために、フェイスブック社は第三者機関を設置して‘検閲’作業を委任するそうですが、同機関のメンバーの人事権を同社が握っていれば中立・公平性が確保される保証はなく、政治的な偏りが生じる恐れがありますし、民主主義の赤字問題の解消には全く繋がりません。その一方で、ツイッター社の一件で業を煮やしたトランプ大統領は、SNS企業に対する保護を撤回する大統領令に既に署名したとも伝わります。

泥沼の様相を呈してきているのですが、IT大手によるプラットフォームが公共インフラ化している現状からしますと、少なくとも民主的な制御装置が必要であることは確かなように思えます。そしてその先には、極少数のIT大手による情報支配とは異なる、別の未来が描かれるかもしれません。情報通信分野にあっては、これまで民営化一辺倒であったのですが、その公共性に鑑みますと、自由主義国では、中国のような国家統制のスタイルとは違う形での民主的な公共システムが出現するかもしれません。あるいは、それを可能とするのは、言論の自由を護り、情報通信空間の私的独占を防ぐ新たなテクノロジーの登場なのではないか、とも思うのです(ITはITを以って制す?)。


トランプ大統領の不正投票発言とIT大手の問題

2020年05月28日 12時35分09秒 | アメリカ

 アメリカでは、目下、激しい大統領選挙戦が戦われています。二期目を目指す現職のトランプ大統領に対して、民主党の候補者はバイデン元副大統領に絞られてきた模様です。両陣営間の舌戦も激しさを増しているのですが、こうした中、トランプ大統領のツウィートが物議をかもしていると伝わります。

 それでは、トランプ大統領は、ツイッターにどのような‘つぶやき’を投稿したのでしょうか。それは、「投票用紙は偽造され、違法に印刷され、不正に書き込まれる」というものです。実のところ、民主党陣営に対する不正投票疑惑は今に始まったことではなく、前回の大統領選挙にあっても囁かれていました。アメリカでは、しばしば票の数え直しが行われるのも、有権者の多くが選挙結果を疑うからなのでしょう。民主主義国家は、選挙制度によって支えられていますので、選挙結果に不正があれば、権力の正当性は失われるのです。

 トランプ大統領は、不正選挙を疑う多くの国民の懐疑心に訴えたとも言えるのですが、ここで問題となるのは、同発言によって指摘された内容が事実であるのか、否か、という点です。大統領職とは、機密情報を含めてあらゆる情報が集まる、いわば情報の中枢ですので、同発言内容が事実である可能性は相当に高いとは言えましょう。しかしながら、国民の多くは、事実であるかどうか確かめるすべがありません。また、事実であることが確認されますと選挙不正を働いてきた張本人ともなるのですから、民主党陣営にとりましては極めて不都合な発言となりましょう。

 真偽不明の発言ではあったのですが、ここで、すかさず介入を見せたのがツイッター社です。同社は、トランプ大統領の投稿に「事実を知ろう」という警告文を表示し、利用者に対して同発言が‘フェイク’である可能性を示唆し、その信憑性について注意を促したのです。確かに、トランプ大統領は証拠を提示しているわけではありませんので、同社が、鵜呑みにしないように訴えることは公平性や事実尊重の観点からして理解に難くはありません。しかしながら、ツイッター社の介入についても、問題がないわけではないように思えます。

第1に、トランプ大統領が常々批判してきたように、同社が民主党寄りのスタンスにあるならば、それは、特定の政治的信条に基づく‘政治介入’ということになりましょう。上述したように、トランプ大統領の発言は民主党にとりましては痛手となります。SNSは今や公共インフラ化している現実からしますと、同社による介入は公共空間の私物化ともなりかねないのです(情報インフラの私物化問題については詳しくは後日に…)。

第2の問題点は、フェイクニュースが問題視されている今日にあっては、SNSの利用者の大半は、フェイク、あるいは、真偽不明の情報や憶測が混じっていることを理解した上で、政治家の発言を受け止めていることです。過去の政治家の発言を具にチェックをしてみれば、その全てが事実や現実に合致しているわけではありません。況してや、同大統領の発言をよく読みますと、過去形ではなく、未来形(will)で書かれています。つまり、大統領としては、今年11月に予定されている大統領選挙に際して郵便投票の導入が拡大すれば不正選挙が行われるリスクが高まることを、国民に伝えようとしたとも解されるのです(もちろん、過去の事実に基づく予測かもしれませんが…)。同発言が未来に向けられていたとしますと、ツイッター社の警告は過剰反応ということになり、政治的な意図がなおさら強く疑われることとなるのです。

第3に指摘すべきは、事実を知るように訴えたものの、国民の信頼に足るほどツイッター社自身が真に事実を重視しているのか、疑わしい点です。ツイッター社のみならず、IT大手による集計にはその誕生の時から操作が加えられているとする指摘があります。SNS、ブログ、YouTube等のアクセス数、訪問者数、閲覧者数、視聴回数、ランキングなどの数字は、時にして不自然な動きを見せます(かく言う私も、あり得ない数字に遭遇…)。IT大手は、日々、運営者側が集計数を操作できる事例を自ら人々に知らしめているのですから、‘不正選挙など絶対にない’と言い切れる立場にはないはずなのです。

第4に、同社が事実を知ろうと訴えるならば、その具体的な手段をも提示すべきとも言えましょう。自らにとりまして不都合な情報に対しては、‘それは虚偽である’とする反論の仕方は、どこか、中国の手法を彷彿とさせます。中立・公平な機関による厳正な調査が実施されれば、トランプ大統領の発言こそ、事実であることが証明されるかもしれません。

以上に述べてきましたように、今般の一件では、ツイッター社の対応にも問題がありそうです。そして、この問題は、IT大手が本来自由であるべき言論空間への介入を強めてきたという民主主義国家が直面している、今日的な危機をも表しているように思えるのです。


WHOの事務局長権限は強すぎる―台湾参加問題

2020年05月27日 10時54分27秒 | 国際政治

 先日、オンライン会議の形式で開催されたWHOの年次総会では、台湾のオブザーバー参加が認められず、残念な結果となりました。この件に関して、日本国の茂木外相は、25日の参議院決算委員会の席で不満を漏らし、「オブザーバー参加はWHOの事務局長が決められる。呼びゃあいいんですよ、極端に言えば」と述べたと報じられています。

 同外相の発言から伺えるのは、‘WHOの参加国に関する決定権は、事実上、事務局長にある’という点です。国際機関への加盟には、加盟を希望する国が同機関に申請し、事務局等による提案を経るとしても、総会での決議によって決定する、という手続きを一般的には踏むものです。1971年10月にかの中国が国連に加盟し、台湾を事実上追い出したのも、国連総会におけるアルバニア決議の採択によるものでした。

今般の台湾の参加問題については、正式加盟というよりもオブザーバー参加という、より‘緩い’形式であったためなのかもしれませんが、全加盟国が当事者となるメンバーシップに関する問題が、事務局長の一存で決定される現行の制度は、同職に権限を与えすぎていると言わざるを得ないのです。仮に、今般のWHOの総会にあって台湾の参加問題が採決に付されたとしましたら、賛成多数で認められたことでしょう。上述した外相の発言からすれば、日本国政府も、総会にあって参加賛成に一票を投じた、あるいは、挙手しことは疑い得ません。

 ここで台湾のオブザーバー参加に一貫して反対していたのが中国であることを思い起こしますと、テドロス事務局長が独断で不参加を決定したとは考え難く、氏の判断の背後に同国の意向があったことは容易に想像できます。テドロス事務局長には、WHOの最高責任者として台湾の参加を拒む合理的な理由はなかったはずなのですから。WHOの使命は全人類の健康を護り、公衆衛生を向上させることにあるのですから、台湾を排除する行為こそ、同機関に委ねられている役割に背くこととなります。あるいは、過去における台湾による対WHO批判を根に持っていたのかもしれませんが、これでは、同事務局長が個人的な私怨を公職に持ち込んだことになり、公平中立を旨とする事務局長としての職務規範に反する行為ともなりましょう。

 そして、今般の一件は、中国が、WHOの組織全体を掌握するために事務局長の座に狙いを定めた理由もわかってきます。おそらく、同国は、様々な事項の決定権限の所在などWHOの組織上の脆弱性を調べ尽くすと共に、事務局長の候補者についてもその経歴から性格まで精査し、最も御しやすい人物を選んで‘チャイナマネー’の後押しで同職の椅子に座らせたのかもしれません。国際機関のトップに中国が自国出身者を送り込むケースが近年増加傾向にありますが、非中国人という点だけで安心してはならないようです。他の諸国の出身者であったとしても、傀儡となるリスクがあり、WHOの事例はまさにこのケースに当たります。エチオピア出身のテドロス事務局長の就任も、中国が推進している世界戦略の一環なのでしょう。

 WHOが中国の傀儡機関に堕した現実をかくも見せつけられますと、これを反省点とした今後の改革の方向性も自ずと見えてきます。少なくとも、オブザーバー参加の是非といった組織全体に関わる重大事案を、事務局長が単独で決定し得る現行の制度は見直しを要しましょう(公正でオープンな加盟手続きの確立…)。新型コロナウイルスのパンデミック化は、WHOの存在意義までもが根本的に問われることとなりましたが、制度改革なくしてWHOが信頼を取り戻すことは難しいのではないかと思うのです。


ドイツは中国からEUに回帰?

2020年05月26日 12時50分43秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスによる感染症のパンデミック化は、中国が牽引してきたグローバリズムに地殻変動をもたらしています。ポストコロナの時代を睨んだ脱中国の動きが加速しており、中国発のパンデミックは、地球を一周して自らが立脚してきた経済システムをも崩しかねない様相を呈しています。ヨーロッパも例外ではなく、自由貿易主義の擁護者であったEUでも、医療物資の分野を中心に域内生産を拡大させる方針を示すようにもなりました。

 ところで、EUとグローバリズムとの間には、その誕生から微妙なジレンマがありました。モノ、サービス、資本、人から成る4つの移動自由を基本原則として掲げるEUは、自由貿易よりもさらに自由化の範囲を広げた市場統合を目指し、実際に、加盟国間に設けられていた関税や非関税障壁の撤廃によって、欧州市場と称される単一市場を完成させています。自由化に邁進してきた立場からしますと、グローバルレベルでの自由化にも積極的であり、トランプ政権が掲げた‘アメリカ・ファースト’の方針に対して、中国と声を揃えて反対の意を唱えたのもEUであったのです。

 その一方で、急速なグローバル化の進展は、EUにとりましては、誤算であったのかもしれません。欧州市場の建設のそもそもの目的は、英仏独等の‘域内先進国’から新規加盟国といった‘域内後進国’に製造拠点や投資が移動し、域内全体の経済成長を促すというものでした。前者は後者の成長の果実を受け取りつつ規模の経済を活かすと共に、後者もまた、巨大市場への参加により経済発展の機会を得るものと期待されたのです。

しかしながら、EUにおける市場統合と凡そ同時並行的に拡大したグローバリズムの拡大は、この当初の目論見とは別の方向へと向かわせます。何故ならば、ドイツ企業の多くは、中東欧諸国や南欧諸国といった‘域内後進国’よりも、より条件の良い中国への移転を選択したからです。緩い規制、低い労働コスト、割安な為替相場、市場規模の大きさ等々、何れの観点から見ても中国の方が有利であり、ドイツの企業は大挙して中国に工場を構えることとなったのです。今では、ドイツ企業の製品の殆どに‘Made in China’のラベルが張られています。

 この結果、独中関係が深まる一方で、EUの新規加盟国群はグローバリズムの波に乗り遅れ、取り残されることとなりました。しかしながら、上述した4つの移動の自由を理想として掲げてきた手前、EUは、グローバルレベルでの自由化をも推進せざるを得ない立場にあります。自由貿易主義を否定すれば、深刻な自己矛盾に陥るからです。この間、中国は、ドイツとの関係を足掛かりとして欧州市場を自国製品の輸出市場と化すことに成功するのです。

 時間は待ってはくれず、自由貿易主義のジレンマを前にして立ち竦むうちに、EUでは域内格差が広がり、ドイツの一人勝ち状態も放任されることとなりました。中国において安価なコストで大量生産し、それをドイツの国内市場のみならず、域内全域において無関税で販売できるのですから、ドイツのポジションは最強です。利益の一部は税制を介してEUの財政に貢献したとしとしても、財政基盤の弱い南欧や中東欧諸国はしばしば危機的状況に見舞われたのです。

 かくしてEUは、暫くの間、自由貿易主義のジレンマ、否、呪縛から抜け出すことができずにいたのですが、新型コロナウイルス禍は、ドイツと中国との関係が見直されることで、同問題が解消へと向かうチャンスとなるかもしれません。ドイツ企業の多くが中国から国内、あるいは、EU域内に製造拠点を戻すとすれば、欧州市場建設の目的が遅ればせながら達成されるかもしれないからです。もっとも、ドイツ企業は域内回帰ではなく、インド等の別の域外国を選択するかもしれませんし、また、欧州市場のブロック化の懸念も指摘されています。全ての問題が解決されるわけではないのですが、少なくとも、自由貿易主義のジレンマに対する認識が深まれば、自由化一辺倒の方針に軌道修正を試みる機会となるのではないかと思うのです。


中国の‘必然論’は両刃の剣

2020年05月25日 11時45分08秒 | 国際政治

 新型コロナウイルス禍によって延期となっていた中国の全国人民代表大会は、ようやく首都北京で開催される運びとなりました。同大会は、強権発動による感染封じ込めの成果を自画自賛するものと予測されていましたが、蓋を開けてみますと、習政権による封じ込めの対象は、ウイルスのみではないようです。香港の民主主義をも封じるべく『香港国家安全法』を制定する方針が示されたのですから。

国際社会における対中批判は強まる一方なのですが、同大会に伴ってリモート形式で設けられた記者会見の席で、中国の王毅国務委員兼外相は、批判的な質問に対して‘逆切れ’で応じています。『香港国家安全法』についても、「一刻の猶予も許されない。必然的な流れだ」と述べて一歩も譲らない構えを見せており、反対の声に対して聞く耳を持つつもりはないようです。そして、台湾についても、アメリカによる同国への武器売却を踏まえて「台湾の統一は歴史の必然で、いかなる勢力も阻むことはできない」とし、併合に向けた断固たる姿勢を見せているのです。

王外相の発言で注目されるのは、‘必然’という言葉を多用している点です。この言葉は、通常は、ある原因が必ずある特定の結果に帰する場合に使われます。その使用は原因と結果が例外なく対にある場合に限定されるのであり、‘必然’にあっては、因果関係を人の行動や意志によって変えることはできないのです。

しかしながら、『香港国家安全法』にしても、台湾併合にしても、そこには必然性はありません。香港基本法に基づく一国二制度では、中国は香港の内政に干渉し得ないのですから、香港において民主的な制度改革が行われたとしても、それは、香港の自治権の範囲ということになります。むしろ、誠実に法に従うとすれば、香港市民が民主化を望めばそれが何らの外部的な妨害なく達成されるのが、‘必然’とまでは言わないまでも、自然な流れと言えましょう。また、台湾につきましても、中国による併合には何らの必然性もありません。事実上(de facto)の独立国家である台湾は、同国が反清復明運動の拠点となったが故に、清国によって征服され、直轄地にされたに過ぎないからです。

それでは、何故、王外相が‘必然’を連呼したのでしょうか。それは、この言葉以外に中国の言動を正当化し得る根拠が見つからなかったからなのでしょう。本来、法律の制定も対外行動も、国家の政府の決定に基づくものであり、当然にその結果に対する責任も負うこととなります。しかしながら、『香港国家安全法』の制定も台湾に対する武力併合も国際法に違反しますので、自らの行動から生じる責任を回避したい中国は、‘必然’という言葉に逃げたかったのでしょう。今日の強硬姿勢は、香港の民主化運動、並びに、台湾の独立運動が原因なのであって、中国による弾圧はその‘必然的な’結果であると…。

王外相の発言からは、自己の正当化ためには全ての責任を他者に転嫁しようとする自己愛性人格障害を思わせる心理が読み取れるのですが、中国による‘必然論’は、自らをも傷つける両刃の剣でもあります。何故ならば、時系列を丁寧に追ってゆけば、香港の民主化運動であれ、台湾の独立運動であれ、これらの抵抗運動は、何れも中国の行為によって引き起こされているからです。前者は逃亡犯条例の改正が機となりましたし、後者については近年の習近平体制の下における台湾併合に向けた動きの活発化にあります。不当な弾圧を受ければ反発するのは人としての当然の反応ですので、反中運動の方が余程‘必然’の結果とも言えましょう。

米中間における新冷戦につきましても、王外相は、「警戒すべきは米国の一部の政治勢力が中米関係を人質に取り、新冷戦に向かわせようとしていることだ」と述べ、自らの侵害行為に対する反省は微塵もありません。香港や台湾のみならず、中国は、南シナ海においても国際法やそれに基づく国際判決を無視し、軍事力による現状の変更を試みていますので、原因を作っているのは中国に他ならないにも拘わらず…。中国の言い分に従えば、新冷戦を回避したければ、中国による世界の無法化、並びに、同国による世界支配を認めよ、ということにもなりますので、これは、人類にとりまして決して飲めない要求です。原因と結果との関係を重視するのであれば、中国は、先ずは、自国こそが国際社会の法秩序、即ち、平和を乱している張本人であることを深く自覚し、自らの行動を自制すべきではないかと思うのです。

 


中国のデジタル人民元の野望は挫折する?

2020年05月24日 13時01分13秒 | 国際政治

 フェイスブックのリブラ構想は国家による反撃を受けてあえなく頓挫しそうな気配が漂う中、コロナ禍による混乱をよそに、中国では、デジタル人民元の発効に向けた動きが加速化しているそうです。世界初の試みとはいうものの、同構想に込めた中国の野望は、首尾よく達成されるのでしょうか。

 中国がデジタル人民元の発行を急ぐ主たる目的としては、(1)リブラ等の民間デジタル通貨の中国国内の流通拡大による人民元の不安定化の阻止、(2)政府による金融・経済の統制強化、(3)米ドルにかわる国際基軸通貨化が指摘されています。

現状からしますと、仮にリブラなどの民間デジタル通貨(私造通貨?)の発行が許可されたとしても、その時期は大幅に遅れると共に、国家の金融政策の権限を侵食しないように、様々な制約が課せられることが予想されます。否、中国政府が人民元と民間デジタル通貨との交換を禁止すれば、人民元不安定化の脅威は簡単に取り除くことができますので、デジタル人民元の発行を急ぐ理由は、自国通貨の不安定化リスクの排除という(1)の目的ではなさそうです。

 それでは、(2)の目的はどうでしょうか。中国当局が統制強化を必要とする理由としては、脱税、資金の海外流出、並びに、シャドーバンキングの蔓延があります。確かに、人民元紙幣が全世界から一掃されてデジタル通貨のみが流通する状況に至れば、人民元の流れはコンピューター上に可視化されて全て当局によって把握することができるようになりましょう。その一方で、他国と比較して規制が厳しい現状でさえ犯罪や不法行為が横行するぐらいですから、デジタル化したとしても、共産党幹部並びに富裕層から一般国民に至るまで、当局の監視の目の届かない他の外貨を獲得しようとするかもしれません。つまり、隠し資産であれ、一般の商取引や投資を目的とするものであれ、中国国内にあって水面下では外貨需要が増加し、むしろ退治しようとした‘闇経済’を拡大させるかもしれないのです。これでは、対抗馬となる外貨がリブラではないにせよ、自ら(1)の問題を引き寄せるようなものです。

 デジタル人民元の国際基軸通貨化につきましても、中国が、輸出大国である以上、その実現は望み薄です。米ドルは、アメリカが、戦後、一貫して輸入大国であったからこそ国際基軸通貨となり得たとも言えます。貿易決済に付随して、大量の米ドルが全世界の諸国に向けて供給されたからです。一方中国は、輸出主導型の経済運営により米ドルを中心とした外貨を積み上げることで現在の地位を築き上げてきました。この点に鑑みますと、たとえデジタル化されたとしても、人民元には国際基軸通貨の地位を得るための要件が欠けているのです。

 以上に三つの主要な目的について簡単に検証してみましたが、何れをとりましても、その目的を達成することは難しそうです。それでは、何故、挫折が予測されているにもかかわらず、なおも中国はデジタル人民元の発行を急ごうとしているのでしょうか。その理由は、表向きの目的とは別の目的であるからなのではないかと推測されます。おそらく、裏の目的とは、デジタル人民元の‘デジタル政府通貨’化による‘人民元通貨圏’の形成であり、少なくとも、この方法なくして(3)の目的を達成し得ることは殆ど不可能です(なお、ベーシックインカムも、政府通貨の問題と絡んでいるのでは…)。つまり、中国は、貿易決済ではなく、無償供与や融資といった別の方法でデジタル人民元を世界各国、とりわけ一帯一路構想に取り込まれた諸国に提供し、現地通貨を駆逐して人民元通貨圏に取り込んでしまおうと目論んでいるのかもしないのです(中国政府は、デジタル政府通貨を一瞬のうちに無制限に発行できますので、他の諸国は民間デジタル通貨ではなくデジタル人民元を脅威とする(1)の危機に直面する…)。

 さらに、アリペイといった中国系IT企業のスマホ決済システムを海外の諸国でも普及させれば、比較的容易にデジタル人民元を海外諸国で流通させることができます。また、中国企業の海外進出や移民の増加は、‘人民元通貨圏’の形成には好都合でもあります。もっとも、現段階では、中国政府は、デジタル人民元の使用は中国国内に限定していますので、‘人民元通貨圏’に飲み込まれるリスクは引くようにも見えます。しかしながら、コロナ禍を機とした中国のマスク外交に惑わされた諸国も多く、また、チャイナ・マネーに篭絡されている諸国も少なくない状況にあっては、デジタル人民元の国内使用を認める国が出現する可能性も否定はできません。また、従来の人民元とデジタル人民元を区別することはできるのか、という問題もあり、‘気が付いた時には既にデジタル人民元が海外諸国でも使用されていた’ということにもなりかねないのです(民間デジタル通貨とは違い、中国政府が全人民元をデジタル化すれば、自ずと海外でも使用されることに…。当初より、いずれは、デジタル人民元を海外でも流通させる計画なのでは?)。

 以上に述べてきましたように、中国のデジタル人民元の発効には、一帯一路構想とセットとなる‘人民元通貨圏’構想が潜んでおり、その先には、政治分野も含めた世界大での‘大中華圏構想’も見えてきます。デジタル人民元の発行が中国による世界支配へのステップであるとすれば、他の諸国は、デジタル通貨の扱い、さらには、既成事実を追認するのではなく、通貨というもののについて根本的な議論を試みるべきではないかと思うのです。


習主席訪日は断念を

2020年05月23日 12時57分39秒 | 国際政治

 昨日、我が耳を疑うようなニュースが報じられました。それは、菅官房長官による政府発信の情報なのですが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて中止された習近平国家主席の国賓待遇での訪日が政治日程に再浮上してきたというのです。

 中国側の狙いは明白であり、パンデミック化の責任を問われて国際社会において日に日に厳しさを増す対中批判を緩和すると共に、米中対立の最中にあって日米離反を促すことなのでしょう。中国にとりましての習主席の訪日は、日本国を踏み台にして国際社会に‘復帰’し、かつ、全体主義陣営に日本国を引き摺り込む一石二鳥、否、三鳥にも四鳥にもなり得る一手なのです。いわば天安門事件後の天皇訪中の逆パターンであり、上記の訪日日程の再調整は中国側からの打診なのでしょうから、何としても実現したいのは、習近平国家主席その人なのでしょう。

 その一方で、日本国側の習主席に対する感情は冷ややかどころか、怨嗟の的と言っても過言ではありません。今日、日本国民の多くはコロナ禍の最大の責任国は中国と見なしていますし、先立って日本国政府が中国からの渡航の全面禁止に二の足を踏んでいた理由も、習主席の訪日に配慮したためと指摘されているからです。日本国内には習主席を国賓として歓迎するムードなどどこにもなく、両国政府が訪日の前提条件としたような‘環境’など、整うはずもないのです。中国は、しばしば‘日本国は中国国民の国民感情に配慮せよ’と日本国側に要求してきましたが、今般のコロナ禍に際しては、中国が日本国民の国民感情に配慮すれば、国賓待遇による訪日など口が裂けても言い出せないはずなのです。

もっとも、日本国も一枚岩ではなく、習主席の訪日をめぐっては、日本国政府と国民との間に著しい温度差が見受けられます。昨今、検察庁法の改正にあっても、その主導者として菅官房長官の名が挙がっていましたが、同官房長官、自民党の二階幹事長、並びに、公明党の間には中国を介したラインが見え隠れしているように思えるのです。そして、これらの勢力は、日本国を中国型の全体主義モデルへと移行させるべく、国民にはそれとは気が付かせぬように、水面下にあって様々な‘改革’や公的な行事を画策しているようにも見えるのです。検察庁法の改正の意図も、権力分立体制から集権体制への転換にあったのではないでしょうか。

日本国政府も一枚岩ではなく、少数の親中派による国権の浸食が進んできたのかもしれません。今般の菅官房長官による習主席訪日再浮上のアナウンスも、あるいは、同官房長官を操る背後勢力の意向を受けたものであるのかもしれないのです。そして、日本国政府が親中勢力のコントロールの下に置かれている現状は、日本国民にとりましては民主主義の重大な危機とも言えましょう。全人口の数%に過ぎない少数の親中派が、日本国全体を支配することを意味するのですから。

ようやく開催された全人代では、習近平国家主席並びに李克強首相といったトップクラスのみがマスクを付けず、他の参列者は皆マスクを装着していたそうです。マスクの役割が他者への感染を防ぐことにあるとしますと、この奇妙な全人代の光景は、中国という国の体質を象徴しているとも言えます。何故ならば、国家のトップは他者を感染させることが許されても、他の全ての人々にはその逆が決して許されないことを意味するからです。一事が万事であり、中国の華夷秩序からすれば、‘上位’の中国が‘下位’の日本国を感染させても無問題である一方で、‘下位’の日本国が‘上位’の中国に感染させることは絶対にあってはならない、ということにもなりかねません(情報隠蔽体質を考えれば、中国の感染封じ込めも疑わしい…)。仮に日本国の空港に習主席が降り立つとしても、その顔にはマスクはないはずです(習氏に随行するであろう中国政府の大規模な代表団には、陽性者が含まれている可能性がある一方で、五星紅旗を振って‘お迎えする側’となる日本国には、全員マスク着用などの最高レベルの感染防止策が求められるはず…)。

海外諸国では中国の内政干渉に対する警戒感が高まっておりますが、特に、地理的に距離が近く、地政学的にも重要な位置にある日本国を中国が放っておくはずはありません。習主席の訪日が実現すれば、200万人を越えるとされる在日中国人が動員されて‘熱烈歓迎’が演出され、‘国を挙げて大歓迎する日本国’として、海外にも発信されるかもしれないのです。日本国民は、国内の政治の動き、即ち、内政干渉の兆候にもより敏感になると共に、自国の民主主義体制を護るためにも、何としても習主席の訪日を拒むべきではないかと思うのです。


脱中国が不可避な理由―民主主義を‘敵’と見なす国

2020年05月22日 11時21分40秒 | 国際政治

 各国ともに新型コロナウイルス禍による混乱と経済活動の委縮に苦しむ中、香港問題に対する国際的な関心が薄れたと見た中国は、香港の民主派を封じるべく取り締まりの強化に動いているようです。延期の末に今月22日から開催される全人代にて、国家安全法を制定する方針とも報じられており、こうした中国の弾圧姿勢に対してアメリカは強く反発しています。

 米ソ両国の超大国が鋭く対峙していた第二次世界大戦後の冷戦構造は、資本主義対共産主義を基本構図とするイデオロギー対立の色彩が強く、古今東西の歴史に散見される大国間の覇権争いや、国益の衝突とは一線を画していました。しかしながら、冷戦崩壊後にあっては、共産主義国であった中国も経済面において計画経済を放棄して改革開放路線に舵を切ったため、国際社会を舞台としたイデオロギー対立は影を潜めるようになります。そして、中国がWTOへの加盟を果たし、西側諸国が作り上げてきた自由貿易体制に加わったことで、グローバリズムが一気に全世界に拡大することとなったのです。あたかも、一切の対立などこの世には存在しないかのように…。グローバリズムが理想とする世界では、人種、民族、宗教等のあらゆる違いと同様に、イデオロギーや価値観の違いも消え去っているのでしょう。

もっとも、経済の分野にあって世界第二位の経済大国に成長し、巨額の貿易黒字を積み上げるようになった中国は、世界最大の貿易赤字国であるアメリカとの間で貿易摩擦が生じるようにもなります。ここまでの展開は、1980年代の日米貿易摩擦と凡そ同様のプロセスを辿っています。米中対立も、当初は米中貿易摩擦と称されたように、貿易収支の不均衡が最大の懸案とされ、かつての日米交渉のように、アメリカ側が中国側に対して是正を要求するに至るのです。しかしながら、その後の流れは、日米間と米中間とでは大きく違っているように思えます。日米貿易摩擦では日米同盟も維持され、両国間の政治的関係には変化をもたらさなかったのですが、昨今の米中貿易摩擦での対立は、経済分野では収まらなかったからです。

まずもって、最先端のテクノロジーを手にして軍事大国に伸し上がった中国は、冷戦終焉後にあって一強となっていたアメリカに挑むと共に、周辺諸国にも軍事的な脅威をあたえるようになりました。この段階では、上述した古典的な世界への回帰とも言えるのですが、今日の中国の台頭は、同時に、価値観、否、国家体制をめぐる対立の復活を意味しているように思えます。万国の労働者に団結を呼びかけ、世界革命を標榜する共産主義思想とは、その本質において国境線を持ちません。かつてのソ連邦がそうあったように、実態が暴力による侵略であったとしても、共産主義というイデオロギーが他国の支配を都合よく正当化してしまうのです。

 しかも、資本主義対共産主義を対立軸としていた冷戦期とは違い、中国自身が‘資本主義国’となった今日では、米中間の政治上の対立は民主主義体制対独裁(一党独裁)体制の様相を呈してきています。言い換えますと、表向きの友好ポーズはどうあれ、全ての民主主義国家は潜在的には中国の‘敵’となり得るのです。香港の民主主義が消滅の危機にあるように、全世界の民主主義国家も、自らの国家体制を中国によって潰されかねないのです。一方、この構図を逆から見ますと、習近平政権による香港に対する弾圧の強化は、中国が全世界の民主主義国家を‘敵’に回すことをも意味します。民主主義は人類普遍の、統治を支える本源的な価値であるのですから、中国は人類の‘敵’ということにもなるのです。

中国が危険な‘敵国’である以上、他の民主主義諸国が中国から離れてゆくことは当然の帰結と言えましょう。世界支配の野望に目がくらんでいる中国は、その意味するところを、そして、その行き着く先を理解していないのではないかと思うのです。


黒川検事長辞任の怪

2020年05月21日 10時45分46秒 | 日本政治

 報道によりますと、渦中の人でもあった東京高等検察庁の黒川弘務検事長は辞任の意向を総理官邸に伝えたそうです。辞意を表明した直接の切っ掛けは不祥事の発覚なのですが、一連の流れにはどことなく怪しさも漂っているように思えます。

 黒川検事長の辞任を招いた不祥事とは、コロナ自粛中の期間にありながら、産経新聞社の記者、並びに、朝日新聞社の元記者と一緒に‘賭け麻雀’に興じていたというものです。法務省もこの事実を認めており、同氏の失脚を狙った捏造スキャンダルではなさそうです。動かしがたい事実なのですが(もっとも、掛けたかどうかは調査中らしい…)、それが、事実であるだけに‘怪しい’のです。

 同氏の軽率な行動については、国民の誰もが‘信じがたい’と思うはずです。検事長自身も、自らがある意味で‘時の人’となっていることは自覚していたはずであるからです。法改正に先立って、既に内閣による定年延長の措置が野党から激しく批判されており、国民の多くも同氏の名を知るに至っておりました。マスメディアも当然に同氏の動向を追っていたのでしょうから、通常であれば細心の注意を払って自らの行動を‘自粛’したはずなのです。どこからはたかれても埃が出ないように…。

ところが、こともあろうか、‘賭け麻雀’のお仲間たちはいずれもマスコミ人ばかりです。しかも、左右を代表する大手新聞社の記者達なのですから、自ら仕掛けられた‘罠’に飛び込んでいったようなものです。しかも、社会悪と対峙する検事の立場にもありますので、‘賭け麻雀’の事実が明るみになれば、自らの地位が危うくなることも十分に承知していたはずなのです。一般常識に照らしますと、東京高等検察庁の検事長の職は、その検事としての有能さと努力、そして何よりも順法精神が評価されて到達したポストであると推測されることから、今般の行動は、どう考えましても‘信じがたい’のです。

 それでは、何故、自滅とも言うべきかくも愚かしい行動を黒川検事長はとったのでしょうか。そこで、一つあり得る推理があるとしますと、それは、黒川検事長は‘捨て石’となったのではないか、というものです。今般の検事総長を含む検察幹部に最長で3年の定年延長を認める特例措置は、当初案では含まれてはいなかったものの、政権側が黒川検事長のために新たに設けたとする疑いが呈されてきました。黒川氏ターゲット論の文脈では、検察庁法の改正を拒む最大の要因は、黒川検事長その人にあることとなります。

 報道によりますと、菅官房長官は、今国会での成立を一時的には見送ったとはいえ、検察庁法の改正そのものは諦めていないそうです。昨日20日の衆院内閣委員会の席で、同官房長官は、次期国会での成立を目指す旨を表明しています。菅官房長官を黒川検事長の後ろ盾とする指摘もあり、政治と検察との癒着も疑われてきたのですが、このことは、黒川氏が政治によって操られてきた可能性を示唆しています。すなわち、今般の検察庁法の改正は、組織としての検察は蚊帳の外に置きつつ、一部の検察幹部を取り込む形で、政治サイドにおいて進められてきたものと推測されるのです。そして、仮にこの推理が正しければ、黒川検事長は、時期は少々遅れるものの予定通りに検察庁法の改正を実現させるために、政治サイドからの要請を受けて敢えて不祥事を起こし、‘悪役’を引き受けた、ということになりましょう。‘賭け麻雀’のお仲間たちは揃ってマスコミ人ですので、リークのお膳立ても整えられていたのです。

 それでは、黒川検事長の辞職を以って一件落着となり、政治サイドの目論見通りに次期国会にあって同法案はすんなりと可決成立するのでしょうか。政府としては、法案成立の最大の阻害要因と目されてきた黒川検事の問題が消えるのですから、世論の反発や批判も同時に収まるものと期待しているかもしれません。しかしながら、政治サイドの真の狙いは、準司法機関である検察の人事権の掌握にあるのでしょうから、黒川検事長辞任によって国民の理解を得られるとは思えません。否、そもそも同法案は権力分立のバランスを崩す結果を招きますので、如何なる理由や説明を以ってしても国民を納得させることはできないことでしょう。

 検察庁法改正につきましては、既に、問題の焦点は黒川氏から日本国の統治機構そのものに移りつつあります。上述した黒川検事長捨て石説の推理が正しいのかどうかは今後の調査を待たなければならないのですが、同氏の辞任の如何に拘わらず、今般の検察庁法の改正は日本国の危機でもあります。法の前の平等も蝕まれ、政治腐敗を助長しかねないのですから、同法案の成立は、将来にわたって断念されるべきではないかと思うのです。


9月入学問題―真に必要な国民投票

2020年05月20日 12時47分37秒 | 日本政治

 コロナ禍による学校の休校が長引く中、俄かに浮上してきたのが9月入学への変更問題です。地域、学校、家庭等において遠隔授業の実施に要するIT環境のレベルに違いがあるため、教育格差が問題視されるに至ったからです。政府の説明にあっても教育格差の是正が制度改革の目的とされたのですが、その後の対応を見ておりますと、多くの国民が薄々に気が付いていたように、グローバル・スタンダード、否、米中の学期に合わせることが真の意図であったようです。

 9月入学については国民多数の賛意を得ているわけではなく、さらなる混乱を懸念した反対の声も少なくありません。仮に政府の説明通りに改革の目的が教育格差の是正にあるならば、今年度の9月に入学時期を移さねばならず、国民も教育現場もその劇的な変化に十分に対応できるとは思えないからです。物理的にも無理ではないか、とする意見もあったのですが、そこで混乱回避のために登場してきたのが、5年の年月をかけて段階的に入学時期をひと月づつずらしてゆく、という案です。段階的な移行であれば、ショックをある程度緩和できますし、国民の不安を払拭できると考えたのでしょう。

 確かに妙案にも聞こえるのですが、この案ですと、最初の政府の説明とは食い違いが生じてしまいます。何故ならば、教育格差の是正が目的であれば、段階的移行案ではその効果は殆どないに等しいからです。つまり、図らずも9月入学案は、政府がもとより温めてきたものであり、コロナ禍の発生はそれを実現するためのチャンスに過ぎないことを示すこととなったのです。

 コロナ禍の混乱に乗じた制度改革という手法は、検察庁法の改正に際しましても批判を浴びましたが、9月入学案も、反対派に十分な時間を与えず、時間をかけた合意形成や国民的な議論を省いてしまうための、‘奇襲的’な手法のように思えます。こうした試みが重なれば重なるほど、日本国政府は、国民からの信頼を失ってゆくように思えます。しかも、日本国の学生全般の学力向上ではなく、米中教育機関への送り出し、並びに、受け入れ留学生数の増加を主たる目的としているのであれば(全世界の諸国が9月はじまりで統一されているわけではない…)、少数者のための制度改革ということにもなり、国民の反発も予測されましょう。他の国民の多くは、その必要性を感じていないのですから。

 報道によりますと、今般、自民・公明の両党は、本国会において憲法改正国民投票法の改正案の成立を目指しているそうです。しかしながら、現状を見ますと、真に現在の日本国に必要な制度改革は、憲法改正に限らず、全国民が当事者となるような重要な議案を決めるに際しての、国民投票制度の導入なのではないでしょうか。9月入学への変更こそ、まさしく国民投票に付すにふさわしい問題であるかもしれません(もっとも、同制度改革には憲法改正が必要かもしれない…)。コロナ禍の最中にあっての度重なる政府による制度改革の押し付けは、日本国の民主主義の危機でもあるように思えるのです。

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WHOと世界政府構想

2020年05月19日 11時17分53秒 | 国際政治

 昨日、5月18日に開催されたWHOの年次総会は、新型コロナウイルスのパンデミック化に対応したテレビ会議形式という異例の事態となりました。同総会は、事前の予測通りにアメリカと中国・WHOが鋭く対峙する場となり、国際社会の協力と合意形成には程遠い結果に終わりそうです。対コロナ対策の評価に始まり台湾のオブザーバー参加や独仏提案の‘コロナ復興基金’の創設まで、何れも見解の分かれる議題ばかりです。

 とりわけ年次総会第一日目にあって両陣営が激しく衝突したのは、WHOの初期対応の評価であったようです。アメリカが、中国の‘操り人形’と化していたWHOが十分な情報収集に失敗しために多くの人々が犠牲になった、として厳しく糾弾する一方で、中国をはじめ他の諸国はWHOの対応を称賛したと報じられています。現実を具に見れば、武漢での発生初期段階にあってWHOが適切な判断を下していれば、今日のパンデミック化はあり得ず、また、凡そ30万人もの人々の命が失われるはずもありませんので、アメリカの言い分に理があることは明白です。WHOの対応を称賛したとされる諸国の代表は、WHOのテドロス事務局長と同様に‘チャイナ・マネー’に目がくらんだのでしょう。

 もっとも、WHOの致命的なミスは、情報収集に失敗したというよりも、中国からの渡航禁止措置、即ち、中国封鎖措置を勧告しなかった点にあるように思えます。1月13日には、タイにおいて最初の流入症例がWHOに報告されています。この報告は、既に新型コロナウイルスが国境を越えて海外に伝播したことを意味しており、この時点で、WHOはパンデミック化の最初の兆候としてキャッチしていたはずです。つまり、春節の連休は例年ですと1月24日から始まりますので、13日から24日までの凡そ10日間の間に、WHOが武漢市の封鎖、中国国内の移動禁止、並びに、中国から海外への渡航禁止措置を採るように中国に強く要請していれば、パンデミック化は事前の防ぐことができたはずなのです(感染力を正確に把握していれば、13日以前の段階でも封鎖措置の要請が可能であったはず…)。

 ところが、WHOは必要な措置を怠るどころか、加盟国による渡航禁止措置を妨害までしています。再三にわたりテドロス事務総長はパンデミックの宣言を渋ると共に、既に渡航禁止措置を講じた諸国に対して‘行き過ぎた対応’として批判したのですから。日本国政府も、春節が過ぎ、感染者数の増加が顕著となった段階でも、WHOの消極的な態度を盾に中国から全面的な渡航禁止に踏み切ろうとはしませんでした。WHOにパンデミック化の責任がないと言えば、やはり嘘ということになりましょう。ブレーキを踏むべき局面で、アクセルを踏んだようなものなのですから。

 今般のWHOの一件は、国際組織が特定の加盟国に乗っ取られてしまった悪しき事例として記憶されるかもしれません。そして、WHOが全世界の医療物資や医薬品分野において巨大な利権をも有している点にも注目すべきでしょう。例えば、インフルエンザのワクチンについては、毎年2月にWHOが冬季インフルエンザ流行期に推奨されるウイルス型の発表し、これに基づいて医薬品メーカーが製造しています。WHOは、暫く間、中国の意向を汲んで‘人から人への感染’を認めなかったぐらいですから、同機構が公表してきた‘科学的根拠’に基づく見解も疑わしくなります。また、今般のコロナ禍にあっても、WHOは医療物資を中国企業に大量発注していますので、他の疾病や公衆衛生分野における様々な医療・医薬品等の‘公共調達’に際しても、日本国のマスク配布政策と同様の‘随意契約’が横行しているかもしれません。

 戦後、長らく国連等の国際機関を‘神格化’する傾向にありましたが、今般のWHOの一件は、その理想とはかけ離れた国際機関の現実の姿とその‘乗っ取りリスク’を白日の下に晒すことともなりました。国際協調を深めるためにはWHOにより権限を集中させるべきとする意見もありますが、方向性が逆のようにも思えます。リスク管理の観点からすれば(WHOがミスをすれば全ての加盟に被害が及ぶ…)、各国が独自に判断し得るより分散的なシステムの方が望ましいのかもしれないのです。ましてや世界政府構想も、推して知るべしなのではないかと思うのです。


検察改革と政治家の汚職問題

2020年05月18日 12時45分08秒 | 日本政治

 本国会での実現を目指しておりました検察庁法の改正。しかしながら、内閣や法務大臣の判断により検察幹部の定年を最長で3年間延長できる内容を含むことから世論の反発を受け、本国会での成立は見送られる見通しとなりました。

国民の多くが懸念を抱く理由は、検察に対する政治介入のリスクにあります。司法部門に属する検察の人事権まで政治の側が掌握すれば、法の前の平等が蔑ろにされる怖れがありますし、とりわけ政治家の汚職を取り締まることが難しくなります(権力分立を否定する中国では、永遠に腐敗は撲滅されないかもしれない…)。権力分立におけるチェック・アンド・バランスの観点からしますと、政府は、本来、司法部を制御する、すなわち、チェックする役割を担っているのですが、今般の制度改革が実現すれば、人事権を介して間接的に決定権まで握りかねません。しかも、現行の検察法でも、法務大臣に対して指揮権が認められており、検事総長に対しては、個別の事件についてまでその権限を発動することができるのですから、検事総長の任期延長は、法務大臣(実質、政権与党)の権限強化にもつながっていると言えます。

 現行の制度でさえ政治家の汚職に対して十分な対処ができない状況にある上に、さらに権力分立のバランスが政治優位、否、集権化の方向にさらに大きく傾くとなりますと、同改正案は、改正ではなく改悪となりかねません。政府としては断念したわけではないのかもしれませんが、左右のイデオロギー上の立場の違いに拘わらず、国民一般の常識的なバランス感覚からしましても今般の改正案はやはり無理筋と言えましょう。

 かくして同改正はお流れとなる公算が高いのですが、検察をめぐる問題は、全てきれいに解決されたわけではないように思えます。上述しましたように、現状にあっても与野党問わずに政治家の汚職や腐敗、あるいは、疑惑が後を絶たないからです。検察制度の必要性は同法案と共に消えるわけではなく、むしろ、今般の一件は、検察を取り巻く政治圧力の問題をクローズアップしているのかもしれません。つまり、それが政治側の空気を読んだ結果としての検察側の‘忖度’であれ、政治部門が検察をコントロールし得る状況が今なお続いているのです。

 それでは、この残された問題に対しては、どのようにアプローチすればよいのでしょうか。まずに考えられるのは、法務大臣の検事総長に対する指揮権をなくしてしまう、というものです。近年の制度改革によって今日の検察審査会は(‘検察審査会制度とは、国民の中から選ばれた11人の検察審査員が検察官の不起訴処分の当否を審査するもの’)、政治家が不起訴となった事件でも、検察の決定を覆して起訴に持ち込むことができるに至っています。例えば、陸山会事件では、東京地検特捜部は3人の秘書のみを起訴しましたが、後日、検察審査会の決議により小沢一郎議員も起訴されることとなりました。今日、民主的な制御手段が効果的に働くこととなりましたので、今日、法務大臣に強力な指揮権を与える必要性は低下しているのです。

もっとも、検察は、捜査段階にあって政治介入による捜査妨害、あるいは、政治的自粛要請に直面し、起訴に必要となる十分な証拠を集めることができないかもしれません(検察審査会に付されても証拠不十分となってしまう…)。そこで、こうした事態を避けるためには、より強い権限による捜査が必要となります。この点、現状にあっても東京、大阪、名古屋の地方検察庁には特捜部(特別捜査部)と呼ばれる特別の組織が設置されており、政治家の汚職を含む大規模、かつ、重大な事件を扱っています。しかしながら、特捜部を以ってしても上述した陸山会事件のように起訴されたのは秘書止まりであり、政治家本人には及びませんでした。こうした前例を見る限り、少なくとも政治家が絡む事件については現行の特捜部の能力にも限界が見受けられるのです。

そこで第二に考えられるのは、政治家の汚職事件を専門に扱う部署を、現行の特捜部から分離し、所謂‘政治捜査部’として設立する案です。同捜査部に対しては、より高い独立性を保障すると共に、さらに強い捜査権限を与えるのです。例えば、仮に法務大臣の指揮権を維持するならば、検事総長に対する個別事件の指揮権を含め、同捜査部は指揮権の対象から除外するといった方法もありましょう。なお、‘政治捜査部’の高い独立性に伴う内部腐敗のリスクに対に対しては、起訴の可否の判断に際して検察審査会による審査を義務付けるのも一案です。

政治家の汚職は、贈収賄による一般的な利益誘導のみならず、時にして売国行為を伴う事例も少なくありません。日本国の政治を見ましても、近年、頓に国益を損なったり、国民の意に反した政策が目立つようにもなりました(WHOに見られるようなチャイナ・マネーによる汚職も懸念材料…)。政治家の多くは、民主的選挙を以って国民の信任を受けたと胸を張りますが、現実には民主的選挙制度にも不備がありますし、その任期における活動が国民から逐次チェックされているわけでもありません。上記の案は試案に過ぎませんし、これらの他にも様々なアイディアもありましょうが、政治家の汚職に対する検察の活動が阻害される要因を取り除く方向での改革こそ、国民が真に願う検察改革なのではないかと思うのです。


武漢起源説はそもそも中国が主張したのでは?

2020年05月17日 11時23分04秒 | 国際政治

 アメリカと中国との間で新型コロナウイルスの起源をめぐる論争が先鋭化する中、中国政府は、積極的な情報戦を仕掛けているようです。その一つが、既に新型コロナウイルスは、中国以外の諸国で広がっており、武漢での流行も外部から持ち込まれたウイルスによるものである、というものです。‘真犯人’については、アメリカ説をはじめブラジル説など多岐に及ぶのですが、この情報戦、中国の勝算は低いように思えます。

 今になりまして、中国が必至の形相で武漢発祥説を否定するのは、同ウイルスのパンデミック化の責任を厳しく問われているからに他なりません。各国で進められている対中賠償請求の額を予測すればこそ、できうる限り自国に対する請求額を低く抑えたいと考えるでしょうし、可能であれば責任そのものを他国、あるいは、他者に転嫁したいはずです。武漢が発祥地でないともなれば、これらの両者を同時に手にすることができるのです。情報戦に多額の国費をつぎ込んだとしても、自国の面子、並びに、巨額の賠償金を思えばそれは微々たるコストに過ぎないのでしょう。

 かくして、中国には、武漢起源説を否定したい強い動機があるのですが、時系列で整理してみますと、他所発祥説では辻褄が合わない箇所が続出してしまいます。第一に、そもそも、武漢起源説を公式見解として発表したのは中国政府自身に他なりません。すなわち、武漢での感染拡大を隠し切れなくなった中国政府は、当初から同ウイルスについて武漢の海鮮市場で取引されていた野生動物から人へと感染したものであると説明していたのです。しかも、同ウイルスの遺伝子解析の結果として、雲南菊頭コウモリを宿主、あるいは、中間宿主とするウイルス(RaTG13)との間に96%という高い塩基配列の一致が見られるとし、同ウイルスの変異体と見なしたのです。この説明を聞けば、誰もが同ウイルスは武漢において発祥したと信じるはずです。WHOによる基本的な説明も、中国の主張をなぞるものでした。

 仮に、新型コロナウイルスが武漢以外の地から持ち込まれたとしますと、ここに、‘何故、中国は敢えて自国起源を認める偽情報を発信したのか’という疑問も湧いてきます。科学的な証拠まで揃えたのですから、手の込んだ国家ぐるみの‘捏造’ということにもなりましょう。IT先進国でもある中国の高度な情報収集能力を以ってすれば、中国政府は、アメリカをはじめ他国の感染症の発生状況に関する情報はハッキングやスパイ行為を働かなくとも容易に入手していたはずです。武漢にあってSARSに類似した感染症の発生が最初に報告された際には、まずは海外起源説の線で対応したはずなのです。

 それでは、何故、中国は、武漢起源説を海外に向けて発信したのでしょうか。第一の理由として推測されるのは、全世界を見渡しても、武漢で発生したような症状を呈する感染症はなかった、というものです。似たような症状の感染症が海外において発見できなかったため、自らも武漢発祥を疑わなかったのかもしれません。もっともこの憶測は、武漢起源説は偽情報ではなく、やはり事実であったということにもなりましょう。少なくとも、この時期にあって、医療崩壊や感染者の急激な増加など、武漢のような惨事に至った都市は他にはありませんでした(新型コロナウイルスは、強力な感染力や免疫系へのダメージを含む多様な症状に加え、短期間における急激な病状悪化やサイトカインストームによる多臓器不全などの特徴がある…)。

 第二の推測は、武漢のウイルス研究所からの流出を隠すためというものです。人工ウイルスか否かに拘わらず、同ウイルスには、武漢のウイルス研究所から広がったとする疑惑があります。同疑惑は既に国際問題化しており、アメリカのトランプ政権が公式に同説を主張すると共に、オーストラリア政府も国際調査団による厳正な調査の実施を求めています。同研究所が新型コロナウイルスの真の‘起源’であるとなりますと、中国政府の責任は自然発生の場合の比ではありません。そこで、武漢のウイルス研究所に関心が集まらないよう、武漢の海鮮市場をスケープゴートに仕立てようとしたのかもしれないのです(当初、中国政府は、武漢ウイルス研究所で造られた人工ウイルスとするよりも、生鮮市場で自然発生した天然ウイルスとした方が、すなわち、新型コロナウイルス禍は自然災害であると喧伝する方が、予測される国際社会からの厳しい批判や賠償請求はかわせると考えた?)。

 中国政府が、あくまでも海外起源説を主張しようとするならば、同政府は、初期段階における重大な情報隠蔽や封じ込め策の怠慢のみならず、科学的根拠付きの武漢起源を認めた当初の公式見解についても(RaTG13の説明はどうなるのでしょうか…)、誰もが納得するような説明を提示すべきと言えましょう。それができないとなれば、いよいよもって武漢起源は確定的となるのではないでしょうか。