万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

追求すべき尖閣諸島領有権確認訴訟の道

2021年02月28日 12時23分31秒 | 国際政治

 海警法の制定により、尖閣諸島周辺海域では、中国海警局の動きが活発化してきております。不測の事態に備えるべく、日本国政府も海上保安庁の巡視船等における武器使用の要件緩和に向けて動き始めました。こうした中、同盟国であるアメリカは、尖閣諸島の領有権に関する見解を二転三転させています。それでは、日本国政府は、アメリカの一連の動きをどのように理解すべきなのでしょうか。

 

 尖閣諸島に対する近年の諸政権におけるアメリカの立場は、およそ’日本国の施政権は認めるものの、主権の所在については立ち入らない’というものでした。とりわけ、歴代の民主党政権下にあってこの傾向が強かったのですが、バイデン政権が発足しますと、同政権は、’主権に関する日本国の主張を支持する’と表明し、アメリカもまた、尖閣諸島が日本国領であるとする立場に転じるのです。この転換、領土問題の観点から見ますと、’領土問題はある’から’領土問題はない’への180度の逆転となるのですから、決して小さなことではありません。

 

 もっとも、同方向転換は、僅か数日の間に過ぎず、バイデン政権は従来の立場に回帰してしまいます。政権が発足してから日が浅く、担当者が、尖閣諸島に関する従来の政府見解について詳しく調べずして発言してしまったとも推測されます。あるいは、海警法制定以降の尖閣諸島周辺海域における中国側の積極的な活動を牽制すべく、日本国寄りの立場に一歩踏み込んだものの、中国から非公式の抗議を受け、元に戻さざるを得なくなったのかもしれません。ハンター・バイデン氏の一件が物語るように、クリントン・オバマ政権時代にあって民主党の政治家の多くは中国利権を得ておりますので(もちろん、共和党政治家にも親中派多数存在…)、中国がバイデン政権の弱みを握っているとしますと、あり得るお話です。

 

 何れにしましても、アメリカ政府による尖閣諸島の日本領支持は、残念ながら幻に終わってしまったのですが、日本国政府は、現実を直視し、ここで次なる方策を考えるべきように思えます。もちろん、トランプ政権末期にあってポンペオ国務長官が台湾の独立承認を目指したように、将来の政権が正式に尖閣諸島を日本領と認める可能性はありましょう。その一方で、国際法秩序の観点からしますと、たとえそれが大国であっても、特定の国による支持のみでは領有権問題が完全に解決するわけではないという、厳しい現実があります。アメリカ政府が、尖閣諸島を日本領として正式に認めたとしても、中国が、同諸島に対する領有の主張を取り下げない限り、主権をめぐる問題は燻り続けるのです。

 

 それでは、どのような状況になれば、日本国による尖閣諸島の領有権が確立するのかと申しますと、それは、国際司法制度の利用をおいて他にないように思えます。親中派の人々であれば、合意による解決、即ち、日中間の外交交渉による解決を主張するでしょうが、尖閣諸島に関しては、天然資源の獲得を目的とした中国による一方的な領有権主張に端を発しています。一般社会における事件に喩えてみれば、突然に、隣家の住人が垣根を越えた庭の一部を自分の土地として主張し出したようなものです。こうしたケースであって’話し合い解決’を選択しますと、隣家の住人が何も得ずして引き下がるはずもなく、おそらく、脅迫や威喝を通して、全部とは言わないまでも、庭の一部の所有権を得ることとなるかもしれません。これでは、法秩序は破壊されますので、話し合いによる合意解決は悪しき選択なのです。

 

 司法解決が最適解であるとしますと、日本国政府は、先ずもって国際社会に向けて自国が平和的な解決手段として司法解決の準備がある旨を公式に表明すべきように思えます。そして、訴訟の形式も、国際司法機関から不本意な’和解勧告‘を受けないよう(チャイナ・マネーによる裁判官買収のリスクあり…)、領有権確認訴訟とするか、あるいは、フィリピンが南シナ海問題に関して常設仲裁裁判所に訴えた際の手法に倣い、中国公船による尖閣諸島周辺海域における活動の国際法上の違法性を訴えるという間接的な方法も検討されましょう(国際司法裁判所よりも単独提訴が可能な常設仲裁裁判所の方が望ましい…)。日本国政府による司法解決の追及は、野蛮への転落が危惧されている今日の国際社会にあって、法の支配を確立するための一助となるのではないかと思うのです。

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日本国にワクチン接種は本当に必要なのか?

2021年02月27日 13時04分30秒 | 日本政治

 日本国政府は、新型コロナウイルス感染症の拡大を防ぐ切り札として、’ワクチン接種プロジェクト’を開始しています。接種対象を全国民とすることで、集団免疫を成立させようとする試みなのですが、このプロジェクト、本当に必要なのでしょうか。

 

 第一に、日本国内での新型コロナウイルス感染症の感染者、重症者、並びに死亡者は、他の諸国と比較して桁外れに低いレベルにあります。最近の抗体検査の結果によれば、最も感染が拡大している東京都でさえ、抗体保持者は1%を下回っています。新たな感染者がゼロを記録している都道府県もあり、全国民接種の必要性が比較的低い実情を示しています。グローバリズムの影響からか、日本国政府には、常々、自国の実情を考慮することなく他国の模倣をしたがる悪弊が見受けられます。しばしば、イスラエルがワクチン接種のモデルとして紹介されていますが、中東の周辺諸国と比較して、同国には人口の割に感染者数が多いという特徴がありますので、先ずは、何故、同国において感染が拡大したのか、その要因を調べてみる必要もありましょう。

 

 第二に、ワクチンの効果、あるいは、抗体の体内残存期間が比較的短いと予測されている点を挙げることができます。先述した東京都の抗体保有率1%という低い数字は、自然免疫の段階でウイルスを撃退した人の存在のみならず、感染後の短い期間では抗体を産生していたものの、既に失われた人が多数存在していることを示唆している可能性もあります。また、感染者の回復後の経過に関する報告でも、3~6か月程度で抗体は消滅しているそうです。ワクチンによって産生された抗体の効果持続期間については不明ですが、インフルエンザ・ワクチンの事例からすれば、おそらく、長くても1年といった短期であるものと予測されます。すなわち、半年から1年ごとに全国民がワクチンを接種しなければ集団免疫状態を維持できないとなりますと、心身にかかる国民の負担は計り知れません。

 

第三点としては、他の代替策があり得る点を挙げることができます。第1波での経験から医療現場での治療法も格段に進歩しており、また、治療薬の開発も進んでいるそうです。感染しても、軽症の内に対処できるのであれば、新型コロナウイルスは、未知のリスクを負ってまで、全国民がワクチンを打たなければならないほどの感染症ではなくなります(ところで、mRNAを用いて抗体を体内で直接産生させる発想は、何故、なかったのでしょうか…)。また、ワクチンについても、代替案がないわけではありません。遺伝子ワクチンは、抗体を中心とする体液性免疫のみならず、細胞性免疫までも刺激するとされておりが、上述したように、抗体持続期間が短期的であれば、むしろ、後者が’主力’となりましょう。となりますと、BCGといった細胞性免疫強化の効果、並びに、安全性が確認されている国産の既存ワクチンを選択肢に含めるといった方法もあり得ます。

 

第四点として挙げられるのは、本ブログでも再三にわたって指摘していたように、遺伝子ワクチンには、未知のリスクがある点です。人工mRNA鎖が体内で作用する機序や免疫システムの反応に関わる中長期的なリスクのみならず、日本感染症学会の提言書にあって指摘されているように、添加物や頻度についても無視できないリスクがあります。例えば、ウィキペディアでRNAワクチンを引いてみると、「mRNA鎖がヒト細胞に挿入される前に分解・破壊されないようにするためのドラッグデリバリーシステムとしてPEG化脂質ナノ粒子が使用されているが、これが免疫反応を引き起こし、高用量では肝臓にダメージを与えてしまう原因となる可能性がある。実際に新型コロナウイルス感染症ワクチンの臨床試験では強い反応が報告されている」とする一文を見出すことができます。上述したように、ワクチン効果が切れる度に何度もワクチン接種を繰り返すともなれば、肝臓への負担が懸念されますし、mRNA由来のみならず、添加物由来の自己免疫疾患の増加も予測されましょう。

 

そして、新型コロナウイルスが変異しやすいタイプのRNAウイルスである点は、既にメディアでも指摘されている重大な問題点です。抗ワクチン変異株が出現すれば、ワクチン接種は無駄になるどころか、最悪の場合には、「抗原原罪」、あるいは、「インプリンティング」とも呼ばれる現象によって、ワクチン接種者の方が変異株に対して無防備となってしまう可能性さえありましょう。変異株に対する脆弱性が、第5の疑問点です。

 

以上に主要な疑問点を述べてきましたが、このまま、全国民を対象にワクチン接種プロジェクトを進めるだけの理由があるとも思えません(また、重症化する人には、特有の遺伝子があるらしい…)。また、ワクチン接種を待たずして新型コロナウイルスの感染が収束に向かう可能性もありましょう。日本国政府は、状況の変化や情報に合わせて臨機応変に対応するべきであり、ゆめゆめ’インパール作戦’のような愚を繰り返してはならないと思うのです。

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平和主義者は中国製品をボイコットすべきでは?

2021年02月26日 12時30分32秒 | 国際政治

 戦後、日本国の左翼の人々は一貫して平和主義の立場から、憲法第9条を盾にとりつつ、日本国の防衛力強化に対して強硬に反対してきました。これらの人々の思考回路にあっては、攻撃力と防衛力の区別もなく、全ての軍事力は即戦争に転換されていたのでしょう。戦争とは、平和を踏みにじる行為に他なりませんので、この世に存在してはならないものとして、軍事力を目の敵としたのです。

 

 しかしながら、最近に至り、その目に余るダブル・スタンダードぶりが祟り、’平和主義者’の正体が国民の前に明らかになりつつあります。左翼の平和主義者たちのダブル・スタンダードは、今に始まったことではなく、共産主義=平和という構図が染み付いていたからなのでしょう。冷戦期にあっても、左翼の人々は、アメリカをはじめとした自由主義国の軍事力については激しく反発しても、ソ連邦や中国といった共産主義国による軍拡については口を閉ざしているとする批判を受けてきました。しかしながら、その後、ソ連邦は消滅しますが、異形の共産主義国、中国が改革開放路線を以って台頭し、経済大国にして軍事大国として伸し上がると、左翼の立場は、いよいよもって自己矛盾に満ちたものにならざるを得なくなったように思えます。

 

 その理由は、左翼の人々が、中国製品のボイコット、あるいは、日本経済の脱中国を訴えていないからです。中国の急速な軍事大国化の原動力となりましたのは、WTOへの加盟以降、グローバル市場をも’中国市場’とした経済力であったことは言うまでもありません。平和主義者の人々が、心の底から戦争を回避したいならば、中国の軍事力を削ぐほかありません。そして、この目的を平和裏に達成するための有効な手段を、人々は、ささやかではあれ有しています。つまり、中国製品を買わず、中国企業とも取引せず、中国関連株にも投資せず、中国の利益となるようなあらゆる行為をボイコットするのです。それは、孫氏流の’戦わずして勝つ’を実践することでもありますが、平和主義者にとりましては、戦争回避の唯一の平和的な方法のはずです。率先して中国ボイコットを訴えようとしない左翼とは、偽りの平和主義者と言わざるを得ないのです。

 

 それでは、正体が’ばれ’てしまった平和主義者は、今後、どのような運命を辿るのでしょうか。しかも、今日の中国経済を支えているのがグローバリストの’資本家’であることも、周知の事実となりつつあります(純粋に共産主義=平和を信じた人々は、その実態を知り、既に同運動から離れているかもしれない…)。メディアを動員して誤魔化すことができたダブル・スタンダードも今や通用せず、左翼の平和主義は限界点を越えて自己崩壊の局面に入っています。この現象は、アメリカの民主党バイデン政権にも見られ、中国市場で巨額の利権を得ながら、国民の手前、反中を演じなければならない立場にある同政権は、自己矛盾が昂じて崩壊するリスクを抱えています。地球環境問題やコロナ禍が、唯一の逃げ道、あるいは、煙幕なのでしょうが、同政権が、対中経済制裁を渋るとしますと、アメリカのリベラルも、偽りの平和主義者であったと言えましょう。最も平和的な手段を放棄するのですから。

 

 そして、実のところ、政治的な立場の違いに拘わらず、平和を望むのであれば、どの国であれ、対中政策は、経済制裁一択のはずなのです。チベット人やウイグル人に対する非人道的なジェノサイドを考慮すれば、なおさらのことです。日本国政府は、今月24日、RCEP協定案を閣議決定したと報じられており、同協定の国内手続きは、国会での承認を残すばかりとなりました。果たして、平和主義を自認してきた野党側は、同協定に反対するのでしょうか。尖閣諸島周辺海域にあって波高き折、与党にあっても平和主義の立場から同協定への反対があって然るべきように思えます。国会での承認手続きは、国民に是非を問うという意味において総選挙後とすべきですし、日本国民の多くも、与野党問わず、反RCEP派の政党、あるいは、政治家を支持するのではないでしょうか。

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ワクチン接種派と非接種派の溝が埋まらない理由

2021年02月25日 15時08分44秒 | 日本政治

 新型コロナウイルスワクチンをめぐっては、政府とメディアを筆頭にワクチン接種派が国民全員接種を目指して積極的な接種を呼びかける一方で、国民の中には同ワクチンの接種には慎重な人々も少なくありません。しかしながら、両者の間の溝は、そう簡単には埋まらないのではないかと思うのです。

 

 ワクチン接種派にも様々な立場の人がおります。第一の立場は、‘今般、接種が予定されているワクチンは、100%安全である’と見なしている人々です。ワクチンによる人口削減論は馬鹿げた陰謀であり、医科学的な見地からしても、遺伝子ワクチンについても接種時における短期的副反応のみならず、中長期的にも全く問題はないと信じ込んでいます。これらの人々は、善意、もしくは、情報不足によるワクチン接種派の人々であるかもしれません。同立場にある人の中には、非接種派の人々に‘変心’を促すに際しても、‘ワクチンを拒否する人々の気持ちに寄り添い、丁寧に説明することで不安感を取り除こう’と呼びかける論者も見受けられます。もっとも、科学的にワクチンには問題はないと信じ込んでいるがゆえに、非接種派に対して、‘科学の勝利’に背を向ける‘無知蒙昧’であるとして嘲笑する意見もありますが…。

 

 第二の立場の人々は、ワクチン接種のリスクを認識していながらも、経済や国民生活の正常化を最優先事項と見なし、全国民への接種を実現しようとする人々です。これらの人々は、他の人々がワクチン・リスクを恐れていることを、十分に承知しています。それ故に、メリット面を強調する専門的な説明がある一方で、第一の立場の人々とは違い、より強圧的な手段を以ってワクチン接種への圧力をかけようとする傾向にもあります。あの手この手による同調圧力が典型的な手法ですが、極端な例を挙げますと、ワクチン接種を戦時における徴兵と同列に捉え、その拒否を、国民の義務忌避行為として糾弾する人もおります。この主張は、ワクチン接種に起因して命を失う場合があったとしても、お国のための名誉の戦死、つまり、自己犠牲を国民は受け入れよ、ということになりましょう。この立場にあっては、ワクチン接種はもはや個人の自由な選択の問題ではなく、ワクチン接種強制論も、この文脈から理解されるのです。

 

 一方、ワクチン接種派にも様々な立場がありますように、ワクチン非接種派にも‘多様性’が見られます。そもそも、ワクチン接種の根本原因となった新型コロナウイルス自体の存在を疑う人もおりますし、もちろん、陰謀説を信じる人々もおります。政府やマスメディアの一方的な‘ワクチン押し’、並びに、デジタル化との一体化などを見ますと、政治・社会的陰謀説も否定はできず、一定の信憑性を有しています。そして、何よりも、ワクチン非接種派を不安にしているのが、ファイザー社、モデルナ社、並びに、アストラゼネカ社の何れのワクチンであっても、十分な治験を経ておらず、かつ、実験的とも言える遺伝子ワクチンである点です。それでは、私を含む非接種者の目には、上記の接種者は、どのように映るのでしょうか。

 

 第一の立場の接種派に対しましては、科学技術を過剰に信じる‘科学信仰’の危うさが感じられます。たとえ、報じられているように、短期的な副反応が軽度であり、かつ、一定の感染、発症、重症化防止の効果が認められたとしても、中長期的にはワクチン関連疾患憎悪(VAED)、抗体依存性増強(ADE)、変異株に対する反応低下、体内の逆転写酵素によるDNAへの取り込みなどのリスクがあります(政治・社会的陰謀説が加われば、さらにリスクは高いものに…)。遺伝子ワクチンは、既存のワクチンと同レベルの安全性が検証されていませんので、‘科学の成果’という言葉を以って非接種者を説得しようとしても、数か月後、数年後、そして週十年後のデータが存在せず、中長期的なエビデンスが存在しない以上、むしろ、医科学的な見地から疑義を呈されてしまうのです。このため、‘科学’を以って両者の溝を埋めることは難しく、逆に、ワクチンに対する疑いが医科学的に見て合理的、かつ、客観的あると判断する人が増えれば、接種派の非接種派への転向もあり得ましょう。

 

 第二の立場の人々に対しても、非接種派の人々は、反論を試みることでしょう。現時点にあって、短期的なリスクと長期的なリスクを正確に比較することはできませんので、メリットがリスクを上回ると熱心に説明しても、非接種派の人々を納得することは困難です(中長期的な影響については、注意深い観察が必要と説明されつつも、一旦、接種してしまったらお終いでは…)。また、戦争にあっては、国民が一致団結して敵国と戦う必要があることは言うまでもありません。敗戦ともなれば、自国の独立性は失なわれ、敵国が残忍であれば全国民がジェノサイドを受かねないからです。その一方で、今般のワクチンの場合は、上述したリスクがありますので、自ら自発的に接種することによって‘自滅’する可能性があります。新型コロナウイルス自体にも生物兵器説がありますが、ワクチンにも潜在的な‘自滅’リスクがありますので、‘国民皆接種策’は、戦時戦略的に見ても望ましくないと言えましょう。しかも、日本国内の感染率は東京都であっても1%以下に過ぎません。感染症とは、ヨーロッパの人口のおよそ3分の1が死亡するという猛威を振るったペストでさえやがて収まったように、一般的には自然に収束に向かうものです。治療法の確立や治療薬の開発によって克服することもできるのですから、敢えて‘自滅’の危険を踏む必要性があるのかどうか、疑問なところとなりましょう。むしろ、‘自滅’リスクを考慮すれば、非接種派の方が真の‘愛国者’であるのかもしれません。そして、国民に対してワクチン接種という名の’報国の義務’、あるいは、自己犠牲を訴えれば訴えるほど、どこか胡散臭く、偽旗作戦の疑いも濃くなってくるのです。

 

 以上に述べてきましたように、科学的見地や愛国心とった観点から見ましても、両者の見解の間には著しい前提や認識の違いが見受けられます。妥協点を見出すことは難しく、議論も平行線を辿ることが予測されます。こうしたケースでは、頭ごなしに相手方を批判するのではなく、相互に相手の立脚点を理解し、双方の選択を認めるしかないのではないでしょうか。戦時とは違い、国民の全員がワクチンを接種しなくとも、国が亡ぶわけではありません。そして、相互理解が集団免疫の成立を妨げたとしても、それが国民の個々の選択の結果であれば、受け入れるべきではないかと思うのです。

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ワクチン製造会社に対する個人の賠償請求権の問題

2021年02月24日 11時57分59秒 | 日本政治

 日本国政府は、新型コロナウイルス・ワクチンを大量調達するに際して、ファイザー社、モデルナ社、アストラゼネカ社の米英3社と契約を結ぶこととなりました。その際、同三社からの要請を受けいれて、契約書には免責条項が設けられたと報じられております。免責条項とは、ワクチンに起因して副反応が発生したとしても、同3社とも、賠償責任は一切負わないとするものです。

 

 新型コロナウイルスが出現してから1年余りでの開発されたワクチンの実用化には、当然に多大なリスクが伴います。未だに人類に試されたことのない遺伝子ワクチンですので、深刻な副反応や有害事象が起きてもおかしくはありません。その一方で、コロナ禍を早期に収束させ、経済並びに国民生活をコロナ以前の状況に戻したい政府としては、藁にも縋る思いで免責条項を受け入れたのでしょう。製造者責任が市場の原則ですので、本来であれば、優位の立場にある売り手が、買い手に対して理不尽な内容の契約を求める不当な行為に当たるのですが、感染症の拡大という非常事態を前にして、同原則は脆くも崩れ去っているのです。

 

 そして、ここに、一つの問題が浮かび上がってきます。今般の一件では、日本国政府は製薬会社に対して国家としての請求権を放棄したことになるのですが、個人レベルでの権利はどうなるのか、という問題です。今般の国家と民間企業との間における契約では、個人の製薬会社に対する賠償請求権まで放棄されたのでしょうか。

 

日本国では、昨年、予防接種法を改正し、新型コロナウイルス・ワクチンの接種で生じた健康被害の賠償については、国が製薬会社に代わって‘肩代わり’するものとしました。その一方で、政府は、ワクチンの副反応により死亡した場合、現行の予防接種健康被害救済制度の下で4420万円の一時金が支払われるとしています。これらの情報を繋ぎ合わせますと、ワクチン接種によって死亡した場合には、国から一時金が支払われる一方で、死亡であれ、健康被害であれ、ワクチン接種によって損害を受けた国民は、個人の権利として製薬会社に対して賠償請求権を有するけれども、訴訟の判決によって製薬会社に命じられた賠償額を支払うのは日本国政府、というふうに解されます。

 

上述したように、リスクの高い‘不透明なワクチン’である上に、政府は、‘国民全員接種’を想定しています。仮に、ワクチンの接種によって全国レベルで深刻、かつ、広範な被害が生じた場合、日本国政府の‘肩代わり’の額は天文学的な数字となるかもしれません。とりわけ、懲罰的な判決が許されている海外の裁判所において巨額賠償の判決が下された場合、日本国の財政は、即、逼迫することとなりましょう。そして、日本国政府の賠償責任とは、被害者でもあり、納税者でもある日本国民が、賠償支払いの最終的な責任をも負うことをも意味します。被害者の数が多いほど、賠償の支払いは、‘自己の損害を自己で賠償する’という非現実的な様相を呈することとなりましょう。

 

政府は、賠償問題を従来型のワクチン被害のケースを想定して対応したのでしょうが(アナフィラキシーショック等が極少数の接種者に起きる…)、今般の遺伝子ワクチンは、従来型とは、その仕組みにおいて大きな違いがあります。ワクチンをめぐって賠償問題が発生した場合の健康と財政負担の両側面における真の被害者は、日本国民となりかねないのです(もっとも、最悪の場合、全員死亡ともなれば賠償問題も消えてしまう…)。多数者が少数の被害者を救済することはできても、少数者が多数の被害者を救済することは不可能に近いからです。日本国政府は、将来において起こり得る事態についてどこまで考えているのか、不安にならざるを得ないのです。

 

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mRNAの逆転写に関する素朴な疑問

2021年02月23日 11時23分15秒 | 国際政治

 新型コロナウイルス・ワクチンにつきましては、産経新聞社が実施した世論調査によれば、‘接種する’と回答した人の割合が前回の調査から増加し、凡そ7割ほどに達しているそうです。メディアによる世論調査ですので、同調圧力を目的とした‘世論誘導調査’かもしれませんし、同数字には様子見派も含まれているかもしれないのですが、接種派の増加原因としては、政府やメディアの説明を見聞きして不安が和らいだという回答が多いようです。

 

 紙面での記事であれ、ネット上の記事であれ、凡そ全てのワクチン関連の記事は、‘ワクチンは安全’という論調一色です。こうした‘安全シャワー’を浴び続けていれば、多くの人々は、そのまま‘ワクチンは’安全と信じ込むことでしょう。しかしながら、本ブログでも再三にわたりましてワクチン関連疾患憎悪(VAED)、並びに、抗体依存性増強(ADE)等の中長期的なリスクについて書いてまいりましたように、調べれば調べる程に、逆に不安が増してしまうのです(私は、天邪鬼なのでしょうか…)。頭の中で警戒音が鳴り続けてしまうのですが、本日は、mRNAの逆転写に関する疑問について問いかけてみたいと思います。私は専門家ではありませんので、この疑問が頓珍漢である可能性があることを、予めお断りいたしたいと思います(知識や理解不足、あるいは、間違っておりましたならば、ご免なさい…)。

 

 mRNAワクチンの安全性に関する説明として、政府の動画もメディア記事も、ワクチンとして接種されたmRNA鎖は、体内にあってDNAには組み込まれることはないとしております。何故ならば、新型コロナウイルスのスパイク部分の塩基配列を人工的に作成したmRNAであるため、教科書的なDNA⇒mRNA⇒蛋白質の流れからしますと、mRNA⇒DNAの逆方向での組み込みはあり得ないからです。ところが、この一般的な経路、必ずしも全ての当てはなるわけではないそうなのです。逆転写酵素という存在する場合には、逆方向での取り込みもあり得るというのです。仮に、体内にあって抗体が生じると同時に、DNAからスパイク部分のたんぱく質が産生されるとしますと、自己免疫疾患や何らかの機能障害や炎症等が多発する可能性も否定はできなくなりましょう。

 

 レトロウイルスであるHIVなどは逆転写酵素を有するウイルスとして知られており、ウイルス自体が逆転写酵素を産生する遺伝子配列を有しています。その一方で、ワクチン用に製造されたmRNA鎖には同酵素が組み込まれていないので、DNAへの逆転写はないと判断されているのです。しかしながら、体内の細胞自体に逆転写酵素が存在する場合はどうなのでしょうか?この点が、本記事での最大の疑問点です。動植物の細胞には見られますが、人体の一般的な体細胞には、逆転写酵素は存在していないそうです。

 

 ところが、実は、例外があるというのです。体内にあって逆転写酵素が多く存在す細胞とは、幹細胞と生殖細胞です。そして、癌細胞でも活性化しているそうです。テロメラーゼという酵素があり、これは、DNAの末端にあって、細胞老化にも関わるかのテロメアを伸長させる働きをしています。このことから、ワクチン接種によって全身に存在する各種の幹細胞や生殖細胞に人工mRNAが取り込まれた場合、同細胞内の逆転写酵素の働きでDNAに組み込まれてしまうという懸念が生じてしまうのです。DNAの末端には、しばしばウイルス由来の遺伝子配列も見られるとも言います。

 

同ワクチンについては、当初から人口削減計画の陰謀説が流れたのも、おそらく、逆転写に関するリスクが指摘されていたからかもしれません(ワクチン自体に逆転写酵素のmRNAが仕組まれているという可能性もありますが…)。また、政府が、16歳以下の若年層と妊婦さんへの接種については慎重であり、また、優先的な接種が奨励されている基礎疾患にあっても、‘癌’については、「免疫の機能が低下する病気(治療中の悪性腫瘍を含む)」という微妙な表現を用いた理由も、上述した逆転写リスクを意識してのことからも知れません。ワクチンによる長期の獲得免疫を期待するならば、幼少期での接種が望ましいわけですし、‘癌’についても、免疫抑制療法等を受けている患者さんに限定した書き方をしているからです。

 

杞憂であればよいのですが、国民の間でワクチンに対する安心感が広がっているとする報道を聞くにつけ、‘もう少し慎重になって’と、つい言いたくなってしまうのです。

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接種者優遇キャンペーンの倫理・道徳的問題

2021年02月22日 15時36分00秒 | 日本政治

 今月17日より、日本国内でも、新型コロナウイルスワクチンの接種が始まりました。大規模世論調査などを見ますと、国民が先を争うようにワクチン接種に殺到するというわけではなく、接種率が政府の目標(凡そ7割?)を下回ることも予想されます。そこで、登場してきたのが、ショッピングセンターや商店等による‘接種者優待キャンペーン’です。

 

 コロナ禍の折、とりわけ商店街等において外出自粛により客足が遠のき、経営の危機に見舞われている事業者の方々も少なくありません。コロナ禍によって打撃を受けている接客業に従事されている方々が、できる限り多くの人々にワクチンを接種してもらい、コロナ以前の状態に戻したいという気持ちは理解に難くありません。生活がかかっているのですから、当然のこととも言えましょう。

 

 その一方で、報道によりますと、横須賀市では、市の中心部にある百貨店も集団接種の会場とすることで、経済活性化効果をも狙っているようです。横須賀市は、小泉議員の地盤でもありますので、同キャンペーンの背後には接種率を上げたい政治サイドからの要請があったのかもしれません。他の地方自治体でも、政治家や行政からの働きかけによって、同様のキャンペーンを始める動きが全国的に広がることでしょう。しかしながら、その一方で、ショッピングセンターといった商店街が接種者優遇キャンペーンを実施することには、倫理・道徳的な観点からしまして若干の問題点があるように思えます。

 

 それでは、どのような点において問題になるのかと申しますと、ワクチン接種とは、人の命や健康にかかわる重大事であるという点です。積極的なワクチン接種希望者が少ない理由は、人体に対して有害な影響を与える潜在的なリスクがあるからに他なりません。モノやお金等を失うリスクとは比ではなく、ワクチン接種リスクは、否が応でも人々の生存本能に訴えかけてしまうのです。つまり、長期的には命の危険、さらには、生物としての人類の危機が認められる以上、特別のサービスを以って他の人々に接種を勧誘することは、一つ間違えますと‘死への誘い’になりかねないのです(なお、治療法が確立すれば、早期に新型コロナウイルス感染症もインフルエンザ並みにはなり得る…)。

 

 命はモノやお金とは引き換えにできないのですから、後々、リスクが顕在化した場合、接種者優遇キャンペーンを実施したことを後悔することにもなりかねません。また、ワクチンに不安を抱く国民が多い中で同キャンペーンを強引に実施いたしますと、ワクチンを受けたくない非接種者から反感を買ってしまうという逆効果も予測されます。国民の命や健康に関わる事柄については、誘因的な優遇措置を設ける事には慎重であるべきように思うのです。

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政府の‘接種リスクゼロ想定’が恐ろしい

2021年02月21日 12時24分21秒 | 社会

 日本国内でも、今月17日より新型コロナウイルスワクチンの接種が開始されることとなりました。これと時をほぼ同じくして、政府のみならず、メディアやネットでは接種推進派の人々がワクチン接種の安全性を強調すると共に、ワクチン接種証明書の発行やワクチン・パスポートをめぐる海外の動きも報じられるようにもなったのです。

 

 昨日、時事通信社によって報じられた世論調査の結果によりますと、‘ワクチンを打つ’と回答したのは凡そ7割であったそうです。その一方で、ヤフーニュースの「みんなの意見」において438,428人が投票した大規模な調査では、‘当面接種を受ける気がない(39.2%)’、並びに、‘様子をみてから接種を受けたい(23.5%)’とする回答の合計がおよそ7割でした。‘様子見派’を‘ワクチンを打つ’に含めますと確かに7割とはなるのですが、今般のワクチン・プロジェクトにあって接種に応じる人の数は、おそらく、半数に満たないのではないかと予測します。そして、奈良市が接種目標を7割に設定したとする報道がありましたので、7割という数字は、政府が設定した目標なのでしょう。集団免疫が成立するには、人口の凡そ60%が抗体を有する必要があるとされていますので、7割という数字の意味も理解されます。

 

 仮に現時点における接種希望者が7割を大きく下回り、実際に3割強程度である可能性があるとしますと、政府も自治体も、接種率の向上に努めるということになります。そこで登場してくるのが、接種者に対して特権を与えるという方法です。上述したワクチン接種証明書やワクチン・パスポートとは、まさに‘接種特権’、あるいは、‘非接種者差別’を意味しておりますし、日本国内でも、接種者に対して特別サービスの提供を計画している商店などもあるそうです。政府は、あの手この手を使って国民を接種へと誘導しようとすることでしょう。

 

 そして、この現象は、ある一つの重大な問題を提起することとなります。それは、仮に、100%とは言わないまでも、今般の遺伝子ワクチンにあって他の既存の一般的なワクチンと同程度の安全性が確保されているならば、ワクチン忌避者が多数に上るという事態はあり得ない、という点です(全てのワクチンを拒否するアンチ・ワクチン派は1割に満たなのでは…)。麻疹やジフテリア等のワクチンを拒否する人は殆どおらず、政府が誘導しなくとも、人々は自発的に接種を受けることでしょう。即ち、同ワクチンには、国際陰謀説が複雑に絡みつつ、複数のリスクが多面的に存在するからこそ、大多数の人々がワクチンに不安を抱いているのであり、逆から見ますと、接種を推進する側にこそ、‘後ろめたい動機’、即ち、実際に存在するリスクを、メディアによる誘導、情報隠蔽、同調圧力、優遇、差別といったあらゆる手段を用いて‘ないこと’にしようとしているとしか考えられないのです(ワクチン接種とデジタル化とリンケージしている点からすれば、真の動機は、国民、否、人類管理の徹底かもしれない…)。

 

 しかしながら、現実には、同ワクチンが歴史において最初に人類に試される遺伝子工学を用いた遺伝子ワクチンである事実は消えませんし(遺伝子組み換え食品に反対してきた左翼の人々は、何故か、遺伝子ワクチンについては黙っている不思議…)、その他にも、ワクチン関連疾患憎悪(VAED)、並びに、抗体依存性増強(ADE)といった事後的な接種リスクもあります。また、遺伝子ワクチンが工業製品である以上、欠陥品も数%混じっているかもしれません。リスクのあるワクチン接種を最初から全員、あるいは、7割の人々に求めることは、リスク管理の基本からも逸脱していると言えましょう。

 

生物には生存本能があり、かつ、人には他者の思惑を推測したり、未来を予測する能力も備わっています。政府やメディアがたとえ安全を‘宣言’し、様々な誘導策を以って接種に導こうとしても、人々は、行く行く先には自らの命を失う、健康を害する、あるいは、国民監視体制が強化されるリスクを冒してまでワクチン接種に応じようとするのでしょうか。そして、仮に、接種時におけるアレルギー反応等ではなく、中長期的な副反応、あるいは、有害事象が発生した場合、政府は、どのように責任をとるのでしょうか。‘接種リスクゼロ’を想定して遂行されている‘ワクチン接種プロジェクト’には、どこか国民には説明できない目的や計算が働いているように思えてならないのです。

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新型コロナワクチン警戒論が消えない理由

2021年02月20日 13時26分12秒 | 社会

今夏に予定されている東京オリンピック・パラリンピックの開催を目指してか、政府やメディアからは、‘ワクチンは安全’、‘国民は安心して接種するように’という大合唱が聞こえてきます。‘ワクチンは本当に大丈夫?’とする心配する声はかき消されそうなのですが、バッシングを覚悟して、本記事では、ワクチン接種を恐れる合理的な疑問を述べておきたいと思います。

 

 人類の人口削減計画といった陰謀説については、限られた情報では立証が困難ですので、同懸念については一先ずは脇に置くとしましても、誰もがネット上でも簡単に入手できる医科学的な見地からの中長期的なリスクからしまして、ワクチン接種のデメリットがメリットを上回るとする判断が働いてもおかしくはありません。何故ならば、ワクチンの接種自体が、感染、重症化、並びに死亡リスクを高めてしまう可能性があるからです。

 

 昨日の記事でご紹介いたしました日本感染症学会の提言書によりますと、新型コロナウイルスワクチンを接種したことによる主たる中長期的リスクとして、ワクチン関連疾患憎悪(VAED)、並びに、抗体依存性増強(ADE)の二つが挙げられておりました(この他にも、繰り返しの投与やLNPの長期的影響等が不明な点も指摘…)。これらの主要な二つのリスクは、ワクチンを打たなければ回避できるリスクです。何故ならば、抗体が体内で産生される、あるいは、人為的に免疫力が刺激されなければ発症しないからです。

 

 この点に鑑みて現状を見てみますと、まずは、日本国内での抗体保持者は、最大の感染者数を記録している東京であっても、僅か0.91%に過ぎません。言い換えますと、残りの凡そ99%の人々は、新型コロナウイルスに感染する可能性はあっても(もっとも、同抗体検査からすれば感染率は1%同程度…)、そもそも活性化されたTh2細胞や抗体が体内に存在しないのですからVAEDやADEを発症するリスクは‘ゼロ’なのです。このため、ADEについては、ワクチンを全国民に接種させるという行為は、重症化するリスクを、現状の0.91%から100%へと桁違いに増幅させてしまうかもしれません(もっとも、HLAの型にも個人差があるため、全ての人々が同レベルのリスクに晒されるわけではないらしい…)。同ワクチンは、完全に感染を予防するものではないと説明されていますので、接種した人々は、以後、‘再感染’によるADE発症のリスクを負い続けることにもなりかねないのです(アメリカ等にあって、二回目の接種でかなり深刻な副反応が報告されているのは、ADEなのでは?)。

 

 また、天然痘ウイルスといったDNAウイルスは遺伝子配列が変異することは殆どなく、それ故に、ワクチンの効果は安定的ですが、新型コロナウイルスのような一本鎖のRNAウイルスには変異しやすいという特徴があります。たとえ全国民がワクチンを接種したとしても、現行のワクチンでは効かない変異株が出現すれば元の木阿弥となりましょう(集団免疫は崩壊する…)。加えて、免疫交差といった同株のウイルス間での免疫効果が見られる一方で(日本人の感染率が低い要因としても指摘されてきた…)、人体の免疫システムには、以前罹患したウイルスと少しばかり遺伝子配列が異なる変異株に対して反応しないというケースもあるそうです。これは、インフルエンザ・ウイルスで確認された現象とのことですが、新型コロナウイルスにおいても同様の現象が起きないとも限りません。そして、次に感染した変異株に対して反応しないとなりますと、ワクチンを接種した人々の方が、変異ウイルスに対する免疫力を失っていることになります。

 

 以上の諸点からしますと、敢えてリスク要因を体内に取り込むことに躊躇する人々が現れても不思議ではありません。また、ワクチンがウイルスの変異に対して脆弱である点も、人々が接種に消極的となる不安材料となりましょう。そして何よりも、現在の科学レベルを以ってしても人体の免疫システムが完全に解明されたわけではなく、人工mRAN鎖であれ、ワクチンの添加物であれ、‘異物’を体内に直接投与することがもたらす10年後や20年後といった長期的な影響については未知な部分も少なくないのです。

   

 こうした素朴な疑問に対して的確に応えてくださるような記事は、今のところ、政府の説明を見ても、ネットを検索しましても見つけ出すことができません。ワクチン接種時の短期的な副反応に関する記事や情報が中心であり、中・長期的なリスクに関する国民の不安を拭い去るような情報は皆無に等しいのです。ファイザー社もまた、各国政府との契約に際して免責条項を要求した上に、感染、発症、重症化の何れにおいても高い予防効果を公表しながら(もっとも、海外では、接種後の死亡例も報告されている…)、‘VAEDやAEDのリスクはない’とは断言していませんし、遺伝子ワクチンであることから生じるその他のリスクについても詳しくは語っていないのです。

 

国民の多くは、デマ情報やフェイクニュースに踊らされた結果としてワクチン接種に慎重なのではなく、それなりに合理的な根拠があります。ワクチンに疑問を呈している人は、‘生半可な知識で反対している’として批判されていますが(同批判は、私にも当てはまり、心苦しい…)、そうであればこそ、ワクチン安全派の人々には、いささか専門的になろうともより細部に亘った詳しい説明をお願いしたいと思うのです。詳細な説明なくしては、少なくとも医科学的な見地に基づく国民の不安を払拭することはできないのではないでしょうか(それでも、陰謀説に基づく不安は消えないかもしれない…)。政府が‘国民は無知である’と決め込んで、説明責任を十分に果たすことなくワクチンの接種を推奨すればするほど、ワクチンに対する国民の警戒感は高まるのではないかと思うのです。


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ワクチン・リスクこそ国民が知るべき情報では

2021年02月19日 11時30分46秒 | 日本政治

 今月17日より、日本国内でも医療従事者を対象としたワクチン接種が始まりました。‘全国民接種’を目指す日本国政府としては、できる限り多くのワクチン接種を願っているのでしょう。そして、同時に、早くも‘ワクチン警察’ならぬ‘ワクチン安全警察’なる人々がネット上に出現してきているように思えます。

 

 ‘マスク警察’とは、マスクをしていない人を見つけ出しては、装着を強要しようとする民間の人々のことを言います。この前例に倣い、ワクチンを打っていない人々発見しては接種を迫る‘ワクチン警察’の登場が既に予測されていたのですが、‘ワクチン安全警察’とは、それに先立って出現してきた‘世論取り締まり隊’を意味します。それでは、この‘警察’、何を取り締まろうとしているのかと申しますと、メディアであれ、ネット上の情報であれ、何であれ、ワクチンに対する危険性を伝える警告や疑問等です。

 

 例えば、先日、国立感染症研究所が、ワクチン効果の弱体化が懸念される新種の変異株の発見を報告しましたが、同報告を報じる記事に対しても、‘無責任’として非難するコメントが付されていました。この情報は科学的な事実ですので、国民が知るべきことは言うまでもありません。むしろ、‘報道しない自由’を発揮して、もみ消してしまう方が国民に対して無責任となりましょう。これらの人々は、僅かなりとも国民がワクチンのリスクに気が付くような内容があれば、‘無責任’、‘国民にリスクを煽っている’、‘コロナ禍収束の邪魔をしている’として、非難の言葉を浴びせかけるのです。

 

 現実には、今般のワクチンには、短期的なリスクのみならず、中長期的なリスクが存在していることは、否定のしようもないような事実です。例えば、昨年の12月28日に公表された日本感染症学会の提言書において指摘されているリスクも無視できるものではありません。臨床試験におけるアジア系の被験者の率が少ないとする指摘に加え(アジア系の人々に対する有効性は未知数…)、mRNAワクチンは比較的安全であると評価しながらも、繰り返しの投与やLNP(mRNA鎖の分解を防ぐための脂質でできた脂質ナノ粒子)の長期的な安全性については、明らかになっていないとしています。短期的なリスクについても、とりわけ2回目の接種にあっては、若年層に高い頻度で38度以上の発熱が見られたそうです(16%)。

 

 それでは、多くの人々が最も関心を寄せている中・長期的リスクについては、どのようにレポートされているのでしょうか。大変重要な部分ですので、以下に、そのまま引用いたします。

 

「また、ワクチンによる直接的な副反応とは言えませんが、接種を受けた人が標的とした病原体による病気を発症した場合に、接種を受けていない人よりも症状が増悪するワクチン関連疾患増悪(vaccine-associated enhanced disease, VAED)という現象にも注意が必要です。過去には、RS ウイルスワクチンや不活化麻疹ワクチン導入時に実際にみられています。またデング熱ワクチンでは、ワクチンによって誘導された抗体によって感染が増強する抗体依存性増強(antibody-dependent enhancement, ADE)という現象の可能性が疑われ、接種が中止されました 14)。COVID-19 と同じコロナウイルスが原因である SARS(重症急性呼吸器症候群)や MERS(中東呼吸器症候群)のワクチンの動物実験でも、一部にVAED を示す結果がみられています。COVID-19 ワクチンの動物実験や臨床試験では、これまでのところ VAED を示唆する証拠は報告されていませんが、将来的に注意深い観察が必要です。」

 

 同文章に見られるワクチン関連疾患増悪や抗体依存性増強は、遺伝子ワクチンに限らず他の従来型のワクチンでも起きてきたことなのですが、新型コロナウイルスが変異しやすいRNAウイルスであればこそ、こうした有害事象が発生するリスクは高まることとなりましょう。ワクチンを接種すれば、‘ウイルス感染ストレス’から脱却できるとする説もあるものの、中長期的なリスクを考慮すれば、接種した人々は、‘ワクチン接種ストレス’という、新たなストレスに晒されることにもなりかねないのです(変異株出現の情報の度に不安になってしまう…)。

 

科学的な情報までも否定する態度と、客観的なリスクを正直に指摘する態度とでは、後者の方が信頼に値するのは言うまでもありません。接種の可否の選択は、最終的には個人のリスク評価に委ねられることとなるのでしょうが、少なくとも、‘ワクチン安全警察’のような活動は、人々のワクチンに対する科学的、かつ、客観的な評価さえ歪めてしまうのではないかと懸念するのです。

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日本経済から見た‘ワクチン戦略’の是非

2021年02月18日 12時35分17秒 | 日本政治

 昨日の日経新聞の記事によりますと(2月17日付朝刊第21面)、昨日から始まった日本国政府の‘ワクチン接種プロジェクト’は、国民の生命や健康のみならず、経済に対しても多大な影響を与える怖れがあるそうです。記事のタイトルは、「ワクチン調達円安の思惑」とあり、日本国政府による米英製薬会社からのワクチンの大量買い付けが、円売りドル買いによる円安を齎すというものです。為替レートへの影響が主たる関心事なのですが、同記事、日本国政府のワクチン戦略を根本的に問い直す可能性もないわけではないように思えます。

 

 その理由は、政府の計画通りに凡そ3億回分のワクチンが国民に接種されるとしますと、その総額は、凡そ3000億円から4000億円にも上るからです。同数字は、ファイザー製ワクチンの単価を日本円に換算して凡そ2000円として計算していますが(ワクチンの契約価格は‘ブラック・ボックス’…)、今後、国際社会にあってワクチン争奪戦が激化すれば品薄状態となり、供給不足によるさらなる価格上昇もあり得るそうです。

 

しかも、ワクチン効果の持続期間や新たな変異株や変異種の出現等によっては、接種頻度も増加する可能性もあります。半年しか効果が持続しない場合には、年に二回の接種となりますので、調達コストは上述した額の2倍となりますし、現行のワクチンでは効果のない変異株や変異種が現れますと、その都度、新たにワクチンを接種する必要もあります(この点については、mRANワクチン等の遺伝子ワクチンは即応性があるとされ、次々と、変異タイプ向けのワクチンが投入されるかもしれない…)。最悪の場合には、‘ワクチン・プロジェクト’のコストは、現行の予算の数倍に跳ね上がるかもしれないのです。

 

日本国政府が、‘ワクチン・プロジェクト’をコロナ禍終息の主要戦略と位置づけ、このまま同プロジェクを継続するとすれば、日本国は、相当の外貨、即ち、米ドルを調達する必要があります。この側面から、同記事では円安誘導効果を指摘しているのですが、それでは、一先ずは日本国の‘購買力’を意味する貿易黒字とは、どの程度なのでしょうか。同記事では、貿易黒字に関する現状も紹介しており、2020年の貿易統計として日本国の貿易黒字を凡そ6700億円としています。言い換えますと、ワクチンの大量輸入により、貿易黒字の凡そ半分が吹き飛んでしまうことになります。安価な中国製品に押されて日本製品の海外市場でのシェアは低下傾向にあり、上述したようにワクチン価格、並びに、接種頻度が上がるとすれば、日本国は、近い将来、貿易赤字国に転落しかねないのです。あるいは、米英製のワクチン価格の高騰により、政府は、ワクチンの調達先を中国に変えるかもしれません。

 

こうした忌々しき予測からしますと、日本国政府が遂行しているワクチン戦略の‘持続可能性’については、疑問符が付くこととなります。そこで考えられますのが、対コロナ戦略の変更です。例えば、(1)コロナ制圧の中心をワクチンから治療法や治療法に変える、(2)より安全で安価、かつ、信頼性の高い国産ワクチンの開発と国内製造を急ぐ、(3)感染防止を徹底しつつ、自然終息を待つ…といった方向への方針転換などが検討されましょう(もちろん、これらを同時に遂行しても構わない…)。

 

何れにしましても、遺伝子ワクチンの安全性は保障されておらず、しかも、国際利権や陰謀説が囁かれる程に信頼性にも乏しい状況にあります。感染状況から全国民接種の必要性も疑われ、国民の多数も疑心暗鬼に陥っております折、ワクチン戦略については、経済面におけるマイナス影響をも考慮した見直しが必要なのではないかと思うのです。


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医療従事者のワクチン接種は抑制すべきでは

2021年02月17日 12時01分50秒 | 日本政治

本日から、日本国内でも、医療従事者を対象とした新型コロナウィルス・ワクチンの接種が始まりました。報道によりますと、当初は1万人から2万人を予定していたそうですが、接種希望者が多かったため、接種者を凡そ4万人に増やしたそうです。

 

 実のところ、今般接種される新型コロナウィルス・ワクチンは、ドイツの製薬会社と共同でアメリカのファイザー社が開発したmRNAワクチンであり、従来のワクチンとは抗体産生の仕組みが大きく違っています。新型コロナウィルスが登場してから1年足らずで開発され、しかも、新技術を長期的な治験を経ることなく実用化したのですから、国民の多くが、同ワクチンの接種に強い不安を感じたり、拒否反応を示すのは自然なことです。医療従事者の方々の多くも、安全性が十分には証明されていない、即ち、長期的な科学的エビデンスが存在しないのですから、言い知れない不安感は国民と同じ、あるいはそれ以上なのではないかと思います。

 

 同ワクチンについて説明する日本国政府によるQ&Aのサイトを見ても、新型ワクチンである点に関する疑問に対しては、mRNA鎖が核内のDNAに取り込まれることはないとする説明に続き、疑問視されているmRNAの‘行くへ’については「mRNAを注射することで、その情報が長期に残ったり、精子や卵子の遺伝情報に取り込まれることはないと考えられています。」と回答しています。つまり、‘考えられている’と述べるにとどまり、断言はしていないのです。また、同質問の最後も、「このような一般的な科学的な知見だけでなく、薬事承認に当たっては、動物試験や臨床試験の結果に基づいて安全性を評価し、審査を行っていきます。」と締めくくっています。ここでも‘…行っていきます’という、将来に向けた行動の意思を示す未来形が用いられおり、治験の完了を示す過去形ではありません。つまり、‘治験中’であることを暗に認めているようにも読み取れるのです。おそらく、政府もまた、製薬会社や先行摂取している他の諸国の政府から十分な情報を得ているわけではないのでしょう(諸外国では、ワクチン接種後に死亡数が増加したとする情報も…)。これらの表現には、どことなく政府の自信のなさが伺えるのです。

 

 また、獲得免疫についてはT細胞の‘学校’である胸腺の働きが活発である乳幼児期におけるワクチン接種が望ましいにも拘わらず、免疫老化が始まっている高齢者優先という点もどこか腑に落ちません(ワクチン接種しても、そもそも免疫老化によって期待しているほどには抗体をつくれないのでは?)。また、同ワクチンは、人工mRNA鎖によって中和抗体を産生させ、獲得免疫を強める画期的な技術と評されながら、サイトカインストーム(免疫暴走)を防ぐために、むしろ免疫力を抑制しなければならい重症化段階においても効果を発揮するとする説明も、どこかちぐはぐな感があります(獲得免疫を強める効果があるのならば、むしろサイトカインストームが起こりやすくなるのでは?)。添加物についても説明が十分ではない点も、国民の不安を高める要因ともなっております。

 

仮に、ワクチン接種にアナフィラキシー等のワクチン接種に伴う一般的な副反応に限らず、抗体依存性免疫増強や免疫システムの異常といった中長期的な副反応が生じた場合、取り返しのつかない事態になることは目に見えています(数年後、数十年後に後遺症や副作用が発症する?)。今般、新型コロナウィルス感染症の拡大による医療崩壊が懸念されていますが、今後は、新型コロナウィルス・ワクチンの接種による医療崩壊もあり得るからです。

 

上述したように、政府は、ワクチンを接種する医療従事者の4万人という数について希望者の増加として説明していますが、ネット情報などによりますと、自由意思に基づく選択としながらも、職場に同調圧力が強く働き、半ば強制となるケースも見られるようです。あるいは、医療従事者としての使命感から、自らの不安を押し殺して接種に応じる方もおられるかもしれません。しかしながら、仮に将来的に深刻な副反応が生じるとしますと、全国的、かつ、全面的な医療崩壊は、国民の命や健康をも危機に晒すこととなりましょう。

 

この点に鑑みますと、たとえ医療従事者の方々がワクチン接種に応じなくとも、国民がその選択を責めるとは思えません(希望者が数%であっても、国民は驚かないのでは…)。そして、拭い去れないワクチン・リスクがある以上、日本国政府は、むしろ、医療従事者のワクチン接種の人数を抑制するべきではないかと思うのです。希望調査の結果、‘接種合意者’が凡そ100%に上ったとしても、リスク分散の観点から、最大でも50%程度に抑えるのです(積極的な接種希望者は30%程度とのことですので、同調圧力をなくせば、自然に50%以下になるのでは…)。

 

感染状況も低下傾向を示し、かつ、治療法も日々発展してきておりますので、国民全員にワクチン接種を求める必要性も薄らいでおります。長期的な視野に基づく多面的なリスクへの対応こそ、医療従事者を含めた全ての国民の命と健康を、そして、経済や社会をも護るのではないかと思うのです。

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EUは中国に‘買収’される?

2021年02月16日 12時46分23秒 | ヨーロッパ

 欧州連合統計局の発表によりますと、EUの貿易相手国は、昨年、初めてアメリカを抜いて中国が第一位となったそうです。対中貿易総額は凡そ75兆円に達し、対米貿易額を4兆円ほど上回ったそうですが、今後ともこの傾向が続くとしますと、EUには、どのような未来が待っているのでしょうか。

 

 対中貿易の内訳を見ますと、EUから中国への輸出は、前年比で2.2%増加の約26兆円、逆方向の中国からEUへの輸出は、前年比で5.6%増の約49兆円となります。この数字は、対中貿易の貿易収支にあって、EU側が、大幅な貿易赤字を抱えている現状を示しています。輸出額は、輸入額の二分の一に過ぎないのですから。この状態は、かつて絹織物や香辛料といった希少なアジアの産物が取引された東方貿易にあって、ヨーロッパ側が金や銀の流出に悩んでいた時代を思い起こさせます。

 

 同情報を報じたAFPの記事は、2020年の対中貿易拡大の要因を、中国側による欧州製の自動車や高級品等の輸入増加とEU側による中国製の医療・電子機器の需要の高さが合いまった結果として説明しています。EU側の輸出増を牽引しているのは、自動車や高級品とのことですので、ドイツを筆頭に、EU内の‘先進国’が主たる受益国となったのでしょう。その一方で、中国製の医療・電子機器の需要増加は、コロナ禍とは無縁ではないようです。パンデミック化が始まった2020年の段階では、マスクや防御服といった医療関連製品の市場は中国製の独断場でしたし、各国政府によるロックダウンといった強硬措置は、ステイホームの常態化によるデジタル機器の需要を広げたからです。医療関連製品については、安全保障の観点から内製化を進めたとしても、EUが、社会の隅々までデジタル化を浸透させると同時に、あらゆる障壁を取り除くグローバル化を推進し続けるとしますと、中国製電子機器の対EU輸出は、今後とも拡大してゆくことでしょう。

 

 アメリカは、毎年、積み上がり続ける巨額の対中貿易赤字に耐え切れず、トランプ政権にあってグローバリズムから保護主義へと転換しましたが、対中貿易赤字を前にして、EUは、どのような方針で臨むのでしょうか。ここで注目されるのが、先日、EUと中国との間で政府レベルでの合意が成立した新たな投資協定です。同投資協定は、ウイグル人弾圧問題を重く見る欧州議会による強い反対が予測されるものの、仮に、同協定が発効する運びとなれば、双方からの投資が加速されることになります。EU側の狙いとしては、欧州金融機関による中国市場への投資拡大、並びに、欧州企業による中国企業買収の増加にあるのでしょう。しかしながら、この思惑、グローバリズムというものが、‘規模の経済’が強力に働く点に鑑みますと、期待外れとなる公算の方がはるかに高いように思われます。何故ならば、上述した数字を見れば一目瞭然、巨額の貿易黒字を計上している中国は、資金力においてEUを凌駕しているからです。つまり、EU側の希望的観測とは裏腹に、中国の金融機関による対EU投資が増加すると共に、EUの企業が中国企業や中国系ファンドによって買収されてしまう可能性の方が高いのです。

 

 貿易収支ではなく経常収支を見れば、中国からEUへの資金の還流ともなりますので、国際収支は一先ずは均衡するようにも見えます。しかしながら、欧州市場は中国資本に押さえられ、利払い、株主配当、収益の本社送金、特許使用料等を介して利益を吸い取られ続けることとなりましょう。かつて、アメリカも、石油産出国の貿易黒字、即ち、オイル・マネーをアメリカに還流させる仕組みを作りましたが、‘世界の工場’にして工業製品の大輸出国であり、13億の市場を擁する中国が相手となりますと、結局は、保護主義的な政策を採らざるを得なくなりました。アメリカを先例とすれば、投資協定の締結によって資本移動をさらに自由化するというEUの対応は周回遅れであり、自らを中国に明け渡すに等しいように思えるのです。


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ワクチン接種をめぐる奇妙な現象

2021年02月15日 13時56分04秒 | 日本政治

 政府が17日にも開始するとされるワクチン接種。接種に対する姿勢や見解は、国民にあって分かれるところですが、ネット上のブログ記事などを読みますと、奇妙な現象が起きているように思えます。それは、保守系の論者ほど、ワクチン接種には積極的であるというものです。

 

 ワクチンに対して国民の多くは根拠もなく不安を感じているわけでも、デマを信じているわけでもなく、それなりの理由があります。とりわけ、人類史上初めて使われる遺伝子ワクチンであり、将来的な影響については全く以って不明である点に鑑みますと、一切の疑問や不安を抱かず、絶対に大丈夫である確信している人々の心情こそ理解に苦しんでしまいます。仮に、数十年後、あるいは、次世代において何らかの深刻な副反応が生じた場合、事実上の‘ジェノサイド’にもなりかねず、さらには、日本人を含む人類支配のためのステップである可能性もあるのですから、保守派であればこそ、接種に際しては慎重な判断を呼びかけそうなものです。‘日本人滅亡、あるいは、日本国滅亡’の危機として…。

 

しかしながら、現実はその逆であり、保守派の基本的なスタンスは、‘ワクチン接種は国民として当たり前’、あるいは、ワクチンを接種しない人々は‘非国民’と言わんばかりなのです。日頃は、中国等の全体主義体制を手厳しく、かつ、理路整然と批判している保守派の論客でさえ、殊ワクチン接種に関しては、読者に対して同調圧力をかけており、その変身ぶりには驚かされます。極めつけは、ワクチン接種に潜む危険性を指摘している人、あるいは、警告しようとしている人を、中国や韓国の工作員と認定さえしています。ワクチン接種に反対する人々は、日本経済の正常化の足を引っ張り、東京オリンピック・パラリンピックの開催を妨害し、かつ、国家間のワクチン接種競争において日本国を‘敗者’とすることを目論む‘反日勢力’の手先と見なしているのです。

 

実際には、ワクチン接種によってコロナ以前の状態に戻れるわけではありませんので、この批判は当たりませんし、国際イベントであるオリンピック・パラリンピックのために日本国民にあらゆるリスクは甘受せよ、という主張には首を傾げてしまいます。それでは、何故、保守派とされる人々は、ワクチン接種を奨励するのでしょうか。

 

第一に考えられる理由は、単純に、政府与党のサポーター、あるいは、スポークスマンであるというものです。もっとも、今日の自民党、並びに、公明党は‘保守政党’とは言い難く、党内にあって親中派のドンである二階幹事長が君臨しているように、むしろ、一党独裁国家である中国との間に高い親和性が認められます。言い換えますと、‘保守政党’とは表看板に過ぎずませんので、同政党の系列にある保守系の論客も、同党の方針に従って、日本国や日本人の運命について冷淡なのかもしれません。それが無意識であれ、意図的であれ、これらの人々は、保守を名乗りつつ海外勢力の意向に沿って発信しているのですから、‘偽旗作戦’の先兵である可能性も否定はできないのです。

 

第二に推測されるのは、遺伝子ワクチンのリスクや同ワクチンをめぐる陰謀説について自ら調べていない、というものです。しかしながら、ネットはワクチン接種警戒論で溢れていますので、否が応でもこうした情報や記事は目につき、知らないはずもありません。また、リスクについて調べずしてワクチン接種を奨励する姿勢も、世論に影響を与えるインフルエンサーとしてはいささか無責任なようにも思えます。

 

何れにいたしましても、保守系のワクチン押しは、不可思議な現象です。国民の多くが懸念している接種に纏わる様々なリスクについてどのように考えているのか、是非、伺ってみたいと思うのです。

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ワクチン接種の‘努力義務’は何を語るのか?

2021年02月14日 11時45分40秒 | その他

 報道によりますと、日本国政府は、ワクチン接種プロジェクトを本格化するに際して、法律により、国民に対して‘努力義務’を課すそうです。‘接種義務’、即ち、強制接種とはならなかった分だけ、安心するところなのですが、この‘努力義務’という言葉から何を読み取ることができるのでしょうか。

 

 第一にこの言葉が示しているのは、国民の大多数がワクチン接種に躊躇している現状です。仮に、誰もが先を争ってワクチン接種を求める状況にあるならば、そもそも、‘努力義務’を国民に課す必要はなかったはずです。マスメディアは、ワクチン接種に向けての動きが鈍い政府に対して‘日本は遅れている’として批判的に報じていますが、現実には、積極的に接種を希望している割合は多くても3分の1程度であり、不安視する人々は、ワクチン接種の遅れを歓迎している節さえ見られるのです。国内の空気が至って冷ややかであるが故に、何としてもワクチンを国民に接種させたい政府は、それが‘努力’であれ、義務化しようとしたのでしょう。

 

 第二に指摘し得ることは、現在の新型コロナウィルスの感染状況も、ワクチン接種の必要性を低下させている点です。他の諸国と比較しますと、日本国は感染者数、重症者数、死亡者数ともに少なく、もとよりワクチン接種の必要性が低い国でした。加えて、前回の緊急事態宣言の解除後に観察された第2波も、ここ数日のデータを見る限り、感染者数が俄かに減少に転じ、ピークは既に過ぎているようです。もちろん、今般の緊急事態宣言の効果もあるのでしょうが、政府の方針に従い、外出を控え、マスク着用を心掛けてきた国民の努力の賜物でもあります。コロナウィルス禍が自然に終息に向かうならば、国民は、なおさらのこと、大規模なワクチン接種プロジェクトを実施する必要性を感じなくなることでしょう(加えて、ワクチン接種後でも、‘新しい生活様式’は続けなければならないらしい…)。

 

 第三点として挙げられるのは、医科学的な観点からの代替案の有力化です。遺伝子ワクチンに関する疑問と不安につきましては、本ブログにおいて再三にわたって述べておりますが、先日、日経新聞にあって、重症化する人には共通した遺伝子配列が見られるとする研究結果が掲載されておりました。同研究に従えば、全国民にワクチンを接種させ、集団免疫を成立させる戦略よりも(中和抗体の効果持続期間が短期であれば不可能に近い…)、感染者の遺伝子配列を検査し、重症化リスクのある人のみに対して最新の治療法で対応した方が、ワクチン接種という危険を踏むよりも、無駄のない効率的な方法ともなりましょう。既存の治療薬や治療法も高い効果を発揮しておりますので、事後的治療戦略が、事前的な‘全国民ワクチン接種プロジェクト’の代替案として説得力が増してきているのです。

 

 そして、政府やマスメディアに対する国民の不信感も、国民がワクチン接種に疑いを抱く重大な要因です。最近の国際社会を観察しておりますと、日本国のみならず、中国はおろか、アメリカにあっても、国民は、政府やメディアは平然と嘘を吐き、国民を騙すという忌々しき現実に直面しております。政府やメディアの奨励することに従順に応じますと、後々、酷い目に遭うリスクも否定はできないのです。ワクチンにつきましても、政府の背後に外国や超国家権力体の影も見え隠れしており、国民のワクチン不信は政府不信の現われでもあるのです(陰謀論が信憑性を帯びるのも、政府の挙動不審、並びに、辻褄の合わない言動による…)。

 

 報道によりますと、安全に関するデータが不十分として、法案から‘努力義務’を削除する可能性も残されているそうです(現行にあっても妊婦さんは除外されますので、やはり、未知、あるいは、将来的なリスクの認識は政府にもあるのでは…)。日本国政府は、上述した国民意識、感染状況、医科学的な見地、そして、自らの信頼性の欠如に鑑みて、‘努力義務’を外す方向で検討すべきなのではないかと思うのです。


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