万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ウクライナとの「将来の攻撃」での「24時間以内協議」は何を意味するのか

2024年06月28日 10時12分51秒 | 国際政治
 先日、6月13日、G7サミットへの出席のためにイタリアを訪れた岸田文雄首相は、同地にあってウクライナのゼレンスキー大統領と会談し、「日・ウクライナ支援協力アコード」に署名しました。同アコードには、ロシアによる‘将来の攻撃’に際し、両国間で‘24時間以内の協議’が明記されていたため、メディアが報じるところとなったのですが、同様の内容を含む協定が、ウクライナとEUの間にも締結されたそうです。偶然の一致とは思えず、これらの条項は、一体、何を意味するのでしょうか。

 そもそも、「日・ウクライナ支援協力アコード」を見ましても、その公式名称からして不自然極まりありません。何故ならば、アコードは英語のAccord(合意)をそのまま日本語のカタカナで表音表記しており、日本語でもウクライナ語でもないからです。通常は、協定の名称は当事国の言語で表記されますので、英語表現である今般の‘アコード’は、一般の二国間協定とは異なることを強く示唆しています。つまり、同協定は、日本国政府とウクライナ政府との交渉の結果ではなく、既に草案が存在しており、それは英語で書かれたものであったと推測されるのです。アコードの内容も詳細かつ多方面に亘っており、短時間の二国間交渉で作成されたとも思えません。因みに、外務省のホームページでは、同協定のファイルは英語、日本語、ウクライナ語の順に並んでいます。

 ‘アコード’という表現は、ウクライナを中心とした世界大での対ロ陣営の形成が水面下で進行している疑いを強めるのですが、今般のEUとウクライナとの協定締結は、さらにこの懸念を深めることとなりました。しかも、「日・ウクライナ支援協力アコード」と同じく‘将来の攻撃’、並びに、‘24時間以内協議’が明記されているともなれば、疑いは確信に近くなります。ロシアからの‘将来の攻撃’は、既に戦闘状態にある以上、認定する側の判断次第で、署名時とされる‘アコード’の発効以降、何時でもあり得ます。そして、緊急事態とも言える24時間、すなわち、1日という時限設定は、奇襲攻撃ならぬ、‘奇襲反撃’を可能とするからです。

 もっとも、同アコードは、書面での通知によりいつでも終了できるとされています。しかしながら、終了日は通知の受領日から6ヶ月後とされておりますので、24時間以内の協議が開かれ、何らかの決定が下された後では‘時既に遅し’となりましょう。僅か24時間という時限設定は、時間的な余裕を与えず、むしろ、各国での国内的な慎重な議論や予測される参戦反対世論を無視し、奇襲的な反撃を可能とするための条項である疑いがさらに強まるのです。敢えて、かくも短い時限設定をする必要など、まるでないのですから。また、日本国の場合、国会承認条約ではなく、行政取極として締結されているため、24時間以内の協議には法的義務がないとする反論もありましょう。しかしながら、奇襲反撃が既定路線であれば、政府は、あたかも同協定に基づく自国の義務であったかのように、国民に説明することでしょう(もっとも、ロシアに敵国認定され、先制攻撃あるいは報復を受ける可能性も・・・)。

 それでは、日本国並びにEUとの協定の草案を作成したのは、誰なのでしょうか。最も可能性として高いのはアメリカ政府なのでしょうが、‘西側陣営’の盟主国とはいえ、必ずしも米国とは限りません。日本国の場合、日米同盟が締結されていますので、日本国政府がアメリカの意向に従ったとする見方はできますが(日本国は、既に軍事権も外交権を失っている・・・)、ヨーロッパの場合、NATOではなくEUが締約当事者となっているからです。EUにあってはアメリカは部外者ですので、直接的に口を挟める立場にはないのです。

 アメリカの線が薄いとしますと、ここで推測されるのは、世界権力の存在です。背後には巨額の戦争利権が蠢いており、独自の世界戦略をもって人類支配を目指す勢力の存在を仮定した方が、余程、現状が合理的に説明されるからです。この推測からすれば、現状にあって、ロシアのプーチン大統領を含めた何れの政治家達も、第三次世界大戦計画のスケジュールに沿って行動していることとなります。 ‘アコード’とは‘カバー・ストーリー’のために用意された一種の謀略であり、ユーラシア大陸の東西による集団的アクション、あるいは、奇襲反撃’も、同戦略の一環なのでしょう。上記の‘アコード’には、その目的として「・・・ウクライナの戦略的目標の実現のため」と記されていますが、‘ウクライナ’を‘世界権力’に置き換えますと、マネー・パワーに屈した岸田首相をはじめ各国の首脳達が、私益のために自国民、否、人類を犠牲に供しながらひたすらに世界権力に尽くし、世界各国の24時間以内の対ロ行動による第三次世界大戦への道を開いているようにも見えてくるのです。

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『共産党宣言』は人類奴隷化宣言?-‘奴隷の平等’

2024年06月27日 10時24分00秒 | 統治制度論
 1848年に出版されたカール・マルクス並びにフリードリヒ・エンゲルスが執筆した『共産党宣言』は、人類の歴史の歩みに多大なる影響を与えた書物の一つです。出版から1世紀を経ずしてロシア革命を引き起こし、ソ連邦消滅後の今なおも、地球上には中国を筆頭に共産党一党独裁体制を維持する国家が存続しています。同書は、共産主義国家を仕切る共産党幹部のみならず、全世界の市井の共産主義者にとりましても‘バイブル’とも言えましょう。しかしながら、これらの人々が、『共産党宣言』を本当に読んだのか、疑問なところなのです。

 共産主義は、一先ずは労働者を資本家の搾取から解放し、平等な社会を実現することを目指す思想です。このため、共産主義運動の主たる働きかけの対象は、労働者=被搾取者であり、不条理な現状に不満を抱く人々を惹きつけたことは理解に難くありません。搾取側とされる資本家は少数派ですので、共産主義は、その他大多数となる‘被搾取者’を惹きつける魅力的な思想であったと言えましょう(マルクスは、‘医者、法律家、僧侶、詩人、学者’と言った専門的な職業の人々も、資本家が雇用する賃金労働者に過ぎないとしている・・・)。社会一般への浸透を目指す運動の大衆性は、共産主義の特色の一つです。このため、大衆運動の担手にして革命の実行勢力を育成すべく、‘共産党’という政党が世界各国において設立されるのです。

 搾取が好ましいと考える人は、少数の搾取できる立場にいる人以外にはおらず、理不尽な不平等をよしとする人も少数ですので、共産主義が掲げた看板を見て共鳴した人も少なくなかったはずです。しかも、『共産党宣言』の第二章の末文には、「階級と階級対立とを持つ旧ブルジョア社会に代わり、一つの協同体があらわれる。ここでは、ひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展にとっての条件である」とあります。平等のみならず、個人の‘自由な発展’をも謳っているのですから、自由、平等、博愛(協同体)という三拍子を揃えた人類の理想郷を掲げたとも言えましょう。しかしながら、共産主義も、目的は正しくとも、手段が間違っている事例の一つのように思えます。何故ならば、『共産党宣言』をよく読みますと、背筋が寒くなる箇所が散見されるのです。

 その一つが、同書にあって、共産主義の実現に至るための手段について述べた部分にあります。同書では、‘もっとも進歩した国(共産化した国)’に適用しうる10の方策を、箇条書きに列挙しています。その一つ一つの問題点や矛盾点については掘り下げて考察する必要があるのですが、特に注目されるのが、第8番目に挙げられた方策です。何故ならば、「全ての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、特に農業のために」とあるからです。驚くべきことに、ここでは、‘平等な強制労働’と明記されているのです。

 共産主義を信奉する人々が、『共産党宣言』を実際に読んでいるかどうかを疑うのは、まさにこの箇所にあります。仮に、熟読していたならば、共産主義を支持するとは思えないからです。‘特に農業のために’とありますので、マルクス並びにエンゲルスが描く共産主義の理想郷とは、全ての人々が集団農場で等しく強制的に農作業に従事させられる‘協同体’なのでしょう。確かに、この世界ではブルジョア階級も、同階級による搾取も消え去っているのかもしれません。しかしながらその一方で、共産主義の行き着く先は、植民地のプランテーションの光景に近く、広大な農園にあって、平等な人々、否、奴隷が、黙々と働かされている世界が見えてくるのです。奴隷は相互に上下関係のない平等な立場にありますので、これでは、‘奴隷の平等’となりましょう。

 奴隷こそ、何らの対価や報酬もなく労働を強いられるのですから、究極の搾取形態です。中国の現状を見れば分かるように、現実の共産主義国家は、結局は、共産党、あるいは、国家が資本家に代わる搾取者になったに過ぎないのかもしれません。共産党一党独裁体制の堅持が、‘搾取体制’の永続化を意味するとしましたら、共産主義とは一体、何であったのか、『共産党宣言』の出版から176年の年月を経た今日、共産主義者こそ、客観的かつ批判的な視点から同書に検証を加えるべきように思うのです。共産主義からの解放を目指して。

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東京都知事選石丸候補の‘生徒会長100万円支給案’を考える

2024年06月26日 11時33分27秒 | 日本政治
 来月7月7日に予定されている東京都知事選挙では、当初、予測されていた小池百合子現職都知事と蓮舫参議院議員との一騎打ちの構図が崩れ、目下、無所属の新人で広島県安芸高田市石丸伸二市長が善戦を見せているとのことです。無党派層では、既に蓮舫氏の支持率を上回っているとの報道もありますが、選挙戦の最中の先日6月24日に、同候補は、公約とも言える「私の成長戦略」を公表しました。中でも注目されたのが、「都立高校の生徒会長に100万円の“ばらまき”を行う」という‘生徒会長100万円支給案’です。

 石丸候補の説明に因りますと、国民の政治に対する意識改革の手段として、高校生の時から選挙にあって公約について考え、候補者を選ぶという経験を積んでもらおう、というもののようです。民主主義国家にあっては、国民の政治意識の薄さは政治の劣化に直結しますので、今日の日本政治の惨状からしましても、その目的については首肯し得るところがあります。しかしながら、目的が多くの人々の賛同を得たとしても、その目的を達成するための手段が必ずしも効果的かつ適切であるとは限りません。歴史を振り返りましても、逆方向に向かう事例は枚挙に暇がないのです。それでは、石丸候補が掲げる‘生徒会長100万円支給案’はどうでしょうか。同案にも、幾つかの疑問点があるように思えます。

 第1の疑問点は、何故、生徒会ではなく、生徒会長なのか、という、支給対象の選定です。生徒会とは、生徒達が運営する学校内の自治組織であって、生徒会長とは、最高責任者ではあっても組織全体から見ますとポストの一つに過ぎません。都立高校に限定するとはいえ、仮に高等学校を対象に政治教育の一環として予算を振り向けるとすれば、その対象は、生徒会長ではなく、‘生徒会’とすべきように思えます。生徒会長を対象としますと、個人色が強まると共に公益性が薄れてしまうのです(まさか、誤解して、100万円を目当てに生徒会長に立候補する生徒が現れるとは思いませんが・・・)。

 第1の問題に関連して指摘し得る第2の疑問点は、生徒さん達の政治意識が、民主主義よりも権威主義の方向に向かってしまう可能性です。学校の校風や生徒さん達の意識によっても違いがあるのでしょうが、生徒会長に、強力なリーダーシップを期待している学校の方が少数なのではないでしょうか。民主主義の観点からしますと、生徒会が扱う課題とは校内事項が中心となりますので、主として対外的な分野で必要とされる‘指導力’が求められるわけではありません。この点、生徒会での話し合いや議論が重要なのであって、100万円の予算も、多くの生徒さん達が意見やアイディアを出し合い、十分に審議した上で決めるべき事と言えましょう。100万円の予算を一手に握る生徒会長によるトップダ・ウン式よりも、コンセンサス方式の方が、余程、民主的な政治教育の機会となりましょう。

 第3の疑問点は、生徒さんの‘負担者意識’の低下、あるいは、‘受け身意識’の強化です。現実の政治では、国家であれ、地方自治体であれ、基本的には、予算は国民の税負担によって支えられています(公債の発行等の手段もありますが・・・)。ところが、今般の案では、支給額の100万円は空から降ってきます。もちろん、現状にあって生徒会の運営費は保護者負担なのでしょうが、労せずして手にした‘お小遣い’の感覚となり、その使途についても、イベントなどの遊び優先となるかもしれません。皆で予算を支えているとする意識が欠如しますと、むしろ、 ‘ばらまき’として批判されている‘分配型’の悪しき政治に若年の段階で慣らされてしまい、政治腐敗が助長されるかもしれません(100万円の‘ばらまき’を公約して、他の生徒の票を‘買おう’とする生徒会長候補があらわれるとは思いませんが・・・)。

 第4点として疑問となるのは、‘政治=お金’という構図が染みついてしまう点です。学校内では様々な問題が生じており、それは、全てお金で解決できるタイプのものでもありません。また、生徒会長のみが自由に使える100万円の予算が生じますと、学校内にあって、一種の利権や利益誘導が生じる可能性もありましょう。例えば、生徒会長が公約した事業やイベントを実施するに際して、備品を購入したり、何らかのサービスを外注するような場合です。

 そして、第5の問題点を挙げるとすれば、公費からの‘100万円’の支給は、生徒会長、生徒会、そして学校側にとりまして負担となる懸念です。都の予算から支出されている以上、その予算の執行は、支給される側の義務となります。必ず‘消化’しなければならなくなるのです。使途は自由とされながらも、都は、その執行状況について把握する立場にもありましょう。都に提出する報告書の作成などの作業も加わりますと、受け取る側にとりましては、‘ありがた迷惑’ともないかねないのです。勉強に専念しなければならない時期に、生徒達による“100万円事業”の策定、実施、報告書の作成には、相当の時間が費やされることでしょう。

 以上に主要なる問題点について述べてきましたが、石丸候補が用いた‘成長戦略’という表現も、かの世界経済フォーラムの理事の一人でもある竹中平蔵氏のキャッチフレーズと重なり、少なくない有権者から、既に同氏は新自由主義者と見なされているようです。おそらく、世界権力サイドからは若くして颯爽と登場してきたフランスのマクロン大統領の日本版を期待されているのでしょう。そして、同候補の掲げる‘生徒会長100万円支給案’にも、世界政府が目指す組織のトップを自らの配下とする権威主義的独裁体制樹立への願望が見え隠れしているように思えるのです。

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ルソーが警告するNPTのリスク

2024年06月25日 09時58分56秒 | 統治制度論
 NPTには、核戦争の回避という人類共通の願いが込められています。核戦争は人類滅亡をももたらしかねませんので、同条約が高らかに掲げる核戦争回避の目的に対しては異を唱える人はほとんどいないことでしょう。実際に、全世界の大多数の諸国が同目的に賛同し、NPTの締約国となりました。しかしながら、目的が正しくとも、必ずしも、手段も正しいとは限りません。少なくともNPTに関しては、深刻なる逆効果が見られますので、1967年1月1日までに核実験に成功した締約国のみに核兵器の保有を認め、他の諸国には一切これを禁じるとする手法が適切であったのか、今一度、考えてみる必要がありましょう。それでは、何故、逆効果が起きてしまうのでしょうか。

この問題を考えるに当たって、興味深い見解があります。それは、1761年に出版された『社会契約論』に記されているジャン・ジャック・ルソーによる以下の考察です。

「社会が平和であり、調和が維持されるためには、すべての市民が例外なしに、ひとしくよきキリスト教徒であることを必要とするだろう。」

この文章にあって、ルソーは、社会における平和と調和の必要条件として、全構成員の善良性を挙げています。いわば、性善説が通用する世界を成立条件としているのであり、それは、人類の理想郷でもありましょう。この必要条件をNPTに当てはめますと、全世界の諸国が等しく国際法を誠実に遵守し、相互に友好と平和の実現に務める善き国家であることとなります。

 しかしながら、その一方で、同条件の成立が表層的なものに過ぎない場合のリスクをもルソーは指摘しています。

「しかし、もし不幸にして社会に一人でも野心家があり、一人でも偽善者があるとしたら、・・・このような人物が信心深い同国人を押さえてしまうことは、きわめて確実だ。」

この一文は、善良な人々の中に‘隠れ性悪者’が紛れていた場合には、上記の前提が崩れ、他の人々は、この人物に支配されてしまうリスクを述べています。NPTに照らしますと、拡張主義的な‘野心国’は、ロシアや中国、あるいは、イスラエル、北朝鮮、イランといった核保有国が当て嵌まりますし、アメリカ、イギリス、フランスは、後者の‘偽善国’であるかもしれません。次いでルソーは、こうも語っています。

「キリスト教の愛は、隣人を悪しざまに考えることを容易に許さない。・・・簒奪者を追い出すことは良心がとがめることだろう。・・・」

 これらの文章は、ルソーが「市民の宗教」について述べた章の一部ですので、キリスト教が主たるテーマとはなっているのですが、NPTもまた、‘全世界の非核化’や‘核なき世界’は、一種の信仰と化しています。すなわち、悲惨なる核戦争の回避という大義が、人類の共通善の実現を目指す絶対教理と化したからこそ、NPTは、客観的な検証や見直しに付されることなく、また、同条約のみならず核兵器禁止条約の成立までもが目標とされることとなったのでしょう。NPTへの懐疑を言い出すことは、ルソーが述べたように、一般の人々にとって良心がとがめることでもあったのです。

 この結果は、言わずもがな、核兵器を保有する野心国や偽善国による非核兵器国に対する横暴が生じ、非核兵器国の善意はむしろ自らをこれらの諸国の頸木の下に置き、かつ、安全も脅かされるという予測外のものとなりました。そもそも法とは、‘悪人’の存在を前提としているものですし、性善説を前提として制度設計しますと、一人でも‘悪人’が出現した途端に崩壊してしまうシステムもあるものです。

 ルソーの一文は、18世紀の記述でありながら、人類の善性に潜む悪用リスクを的確に分析している故に、今日の人類に警告を与えていると言えましょう。現実の国際社会には、‘野心国’も‘偽善国’も存在し、かつ、それらの背景には世界権力が潜んでいるのですから。むしろ、NPT体制の成立を積極的に推進した諸国こそ、これらの核保有諸国でもありました。NPT体制とは、一部の軍事大国や粗暴な国家による核の独占を許し、世界支配の装置として機能しているという深刻な現実から目を背けてはならないと思うのです。

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NPTの逆効果問題-‘事情の根本的変化’による条約終了は可能

2024年06月24日 10時43分50秒 | 国際政治
 近年の核兵器保有国の動向は、NPT条約が存在していなかった方が、余程国際社会はより平和で安全ではなかったか、という問いをもたらしています。戦争であれ、‘特別軍事作戦’という名の軍事介入であれ、攻撃を仕掛けた側は、決まって核兵器保有国であるからです。この歴然たる事実は、NPTの存在意義に対して根底から疑問を投げかけていると言えましょう。

 例えば、ここ数日、ロシア・ウクラナ戦争を背景として、攻撃兵器としての核兵器の有用性を積極的にアピールするロシアのプーチン大統領の姿が報じられています。6月21日は訪問先のベトナムにおける記者会見にあって先制攻撃の必要性は否定しながらも、「ロシアの戦略核兵器は完全な戦闘準備態勢にある」と述べています。次いで昨日23日には、軍士官学校の卒業生らを前にして、大陸間弾道ミサイル、戦略爆撃機、潜水艦発射弾道ミサイルの三者によって構成される「核の三本柱」に関する更なる開発促進を表明したそうです。

「核の三本柱」については、「世界のパワーバランス維持」を根拠としてあげていますが、真にパワーがバランスしていれば、戦争は起きない、あるいは、起こせないはずです(力の均衡による平和・・・)。しかしながら、非核保有国のウクライナと核保有国のロシアとの間には戦争が起こっているという現実に鑑みれば、核兵器保有国と核兵器非保有国との間の力のアンバランスが戦争をもたらしているとする見方も成り立ちます。プーチン大統領がパワーのバランスが維持されていると誇らしげに述べているなら、それは、核兵器国である軍事大国間にあってはかろうじて相互確証破壊の論理が働いており、第三次世界大戦、あるいは、核戦争には至っていないとする認識を語ったに過ぎないこととなりましょう。

 その一方で、核兵器保有国の軍事的優越性の濫用は、ロシアや中国に限ったことではなく、自由主義国間の軍事同盟にあっても、由々しき問題を引き起こしています。核保有国による非核保有国に対する‘核の傘’の提供の約束は(もちろん、同約束は口約束ですので、履行されるとは限らない・・・)、対等な同盟関係ではなく、非対称的な従属関係をもたらす要因ともなるからです。米軍と自衛隊との事実上の‘一体化’、すなわち、自衛隊の米軍現地部隊化が推進されている日米同盟もその例外ではありません。加えて、国際法を誠実に遵守しようとしないイスラエル、北朝鮮、イランといった‘無法国家’による秘密裏の核兵器の開発・保有は、NPTが想定していない現実なのです。

 かくしてNPTがその前文に掲げる‘全人類に惨事をもたらす核戦争の回避’という目的は、核戦争の脅威が迫る今日、虚しく耳に響くのみです。そして、核兵器国と非核兵器国との間のアンバランスが戦争誘発要因となっている現状からしますと、NPTは逆効果であり、核戦争の回避どころか、核兵器国による横暴を許す要因と言わざるを得ないのです。

 NPTが目的とは逆方向に機能している現実を直視すれば、同条約は、速やかに終了すべきとなりましょう。この点、核兵器国による核軍拡を条約違反として訴えるという方法もありますが、たとえ国際司法裁判所等から違反行為とする判決が下されたとしても、その判決を核兵器保有国が受け入れるとは限りません(南シナ海問題に際しては、中国が常設仲裁裁判所の判決を無視・・・)。また、NPTに法的拘束されることにより、非核兵器国が核の抑止力を備えることができない現状にも変わりはないのです(パワーのアンバランス状態が継続・・・)。となりますと、違法行為を法廷で争うよりも、条約そのものを終了された方が全世界の諸国の間でパワーバランスが成立することとなりましょう。

 この点、条約法条約の第62条には、‘事情の根本的な変化’を事由とする条約の終了に関する条文があります。条約終了の根拠とし得る条件の一つとして、同条1項(a)は「当該事情の存在が条約に拘束されることについての当事国の同意の不可欠の基礎を成していること」と記しています。同条文に照らしますと、条約上の合法的保有国による核の恫喝、攻撃兵器としての世界戦略への組み込み、核軍備増強といった言動のみならず、イスラエル、北朝鮮、イランといった諸国の核保有行動も同条件を満たす事情の根本的変化となり得ます(インドとパキスタン両国の核保有は、むしろ、戦争の相互抑止の事例かもしれない・・・)。仮に、今日のように核保有国が非核保有国を攻撃する可能性が明白かつ現実的なリスクとなっていれば、NPT成立当時にあって、同条約の締約国となる国は存在していなかったことでしょう。

 国民のために現実に直面している問題に対処することは、政治家の重要な役割ですので、日本国を含めて世界各国の政治家がNPTに本質的に内在する逆効果、あるいは、逆機能の問題にお茶を濁し、見て見ぬ振りをしている姿は、国民に対する自らの義務や責任を放棄しているようにも見えます。偽善者に徹している政治家達は、世界史を裏から操り、今や第三次世界大戦へと人類を柔道しようとしている世界権力に忖度している、あるいは、その忠実なる僕なのでしょうか。

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小池知事の学歴詐称疑惑-情報化時代の虚実

2024年06月21日 09時16分13秒 | 日本政治
 今般の東京都知事選挙にあって、再選を目指して立候補を表明した小池百合子都知事。しかしながら、過去の都政への批判のみならず、学歴詐称事件を抱え、同知事は苦戦を強いられています。報道によりますと、これまで同知事が主張してきたカイロ大学首席卒業は虚偽であり、学歴を偽っているというのです。この疑惑、むしろ、‘何故、簡単に証明することができないのか’という問題の方が、余程、謎です。

 小池都知事の学歴詐称については、カイロ大学在学中にルームメートであった北原百代氏の証言が、主たる根拠とされています。文春オンラインに掲載されている記事を読みますと、当時の様子が北原氏の口から詳細に語られており、ルームメートの女性が作り話をしているとも思えません。少なくとも、今日、日本国内にあって虚偽説の最大の根拠となるのは、この北原証言です。もっとも、あくまでも一個人の記憶に頼った証言に過ぎませんので、この内容が偽証ではないことを証明するためには、厳正な調査による事実の裏付けを要しましょう。それでは、どのような調査を行なえば、事の真偽が分かるのでしょうか。

 学歴詐称とは、自己に関する虚偽の情報によって他者を騙す行為ですので、刑法上の罪となります。この点、同知事の側近であった小島敏郎氏が既に公職選挙法違反の罪で東京地裁に対して告発状を提出しています。同告発が受理され、検察が捜査を開始するとすれば、真偽の判別は司直の手に任されることとなりましょう。

 小池知事が証拠として提示したカイロ大学の卒業証明書も、先端的な科学的手法を用いた鑑定に付されるものと推測されます。しかしながら、さらなる証拠を必要となる場合、日本国の司法捜査機関がエジプト領域内で活動することは基本的にはできませんので、エジプト側に協力を求めることになりましょう。仮に、エジプト政府側から日本国側の調査員の受け入れを許可される、あるいは、国際強力として日本国側が作成した質問事項をエジプトの捜査機関に代行してもらうことができれば、真偽の確認はそれ程に難しいことではありません(もっとも、2020年にカイロ大学の学長が卒業を認める声明を出しているため、協力を拒否する可能性もある・・・)。

 例えば、カイロ大学を卒業したとなりますと、通常は、卒業論文を提出しているはずです。そこで、卒論を切り口とすれば、(1)卒業論文の提出の有無、(2)所属した研究室並びに指導教授、(3)卒論のテーマなどが調査項目となりましょう。首席卒業説についても、仮にカイロ大学が保存しているとすれば、同大学に残された成績表をもって首席の事実確認は出来るはずです。また、首席卒業ではないにせよ、エジプト人であってもカイロ大学での進級、卒業は大変難しいとされますので、ましてや外国人である日本人学生であれば、その存在だけで目立ったことでしょう。となりますと、当時、カイロ大学文学部社会学部の学生であった同窓の人々の証言を求めれば、当時の大学での様子や交友関係が明らかとなりますし、同時に北原証言の真偽をも確かめることができます。ネット上には、小池知事が、カイロ大学時代に北原氏並びに他の二人の日本人女性と一緒に映っている写真が公開されていますが、エジプト人学生等と一緒に撮られた写真はありません。カイロ大学にあって小池知事が、現地学生並びに他の諸国からの留学してきた学生達と積極的に交流し、和気藹々とした雰囲気の中で学生生活を送った様子は窺えず、小池知事の社交的な性格からしますと、やはりどこか不自然なのです。なお、エジプト側の協力を必要とせず、より簡便な方法としましては、小池知事に対しまして、アラビア語での文章作成をテストすると言った方法もありましょう(アラビア語は、口語よりも文語が難しいらしい・・・)。

 現代は、様々な情報が国境を越えて自由に行き交うグローバルな時代とされながら、日本国の首都の知事の学歴さえ確認できない現状は、情報化時代の虚実をも露わにしているように思えます。公人あるいはメディア人等の発信する情報は事実とは限らない一方で、一般の国民は偽情報に騙されるままとなり、その真偽を確かめることさえできないという情報統制・閉鎖社会の現実です。とりわけ民主的な選挙に際しては、有権者は、公表されている情報を判断材料として一票を投じるのですから、同情報が間違っていれば、当然に選挙結果も正当性を失います。二度とこのような不可思議な学歴詐称、否、虚偽情報問題が起きないよう、候補者の経歴等の情報については自己申告とはせず、中立・公平な機関による事実確認を要するのではないかと思うのです。

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日本国内に‘チャイナ票’は出現するのか?

2024年06月20日 10時21分59秒 | 日本政治
 本日6月20日に告示された東京都知事選の対立構図は、当初予定されていた小池百合子現職都知事対蓮舫参議院議員との女性候補対決シナリオから、広島県安芸高田市前市長石丸伸二氏と元航空幕僚長田母神俊雄氏の二人を加えた四巴に変更されたようです。告示を前にした昨日、これらの4候補による共同記者会見が開かれています。その主催者は、情報統制機関として悪名高き日本記者クラブですので、少なくともマスメディアは、四巴の構図に持ち込みたいのでしょう。

 仮に日本国内の選挙の場を仕切っているのは世界権力であるとしますと、石丸候補も田母神候補も外部勢力から‘選ばれた候補者’であり、二頭戦略ならぬ四頭戦略が採用された可能性も否定はできないのですが、何れにしましても、混戦状態に至った要因としては、小池候補並びに蓮舫候補の失速は否めないように思えます。小池候補については学歴詐称等が大きく影響したのですが、蓮舫候補も、民主党政権時代の‘失政’のみならず、二重国籍問題に際しての対応なども問題視されており、積極的な支持者は別としても、両候補者とも、一般都民からしますとどこか信用が置けず、何れも‘都知事になって欲しくない政治家’であるからなのでしょう。

 かくして女性候補、しかも、共にテレビのキャスターの経歴を有する二者択一の一騎打ちという構図は崩れてきているのですが、蓮舫候補の出馬については、日本国の政治史において注目すべき点があります。それは、一種の組織票として‘チャイナ票’が出現するのか、否か、というものです。

 今日に至るまで、既に朝鮮半島にルーツをもつ政治家が多数当選してきましたが、コリアン系の民族票が動いたとするイメージは殆どありませんでした。それは、戦前から通名が使用され、かつ、日本国籍を取得しているともなれば、表面的な情報のみでは有権者には分からないという事情があったからなのでしょう。コリアン系については‘ステルス性’が極めて強く、本人もマスメディアも、民族的なルーツについては開示しようとはしなかったのです。このため、たとえ、コリアン系の民族票が選挙に影響を与えていたとしても、誰も、これを強くは意識しなかったのです。むしろ、自民党と元統一教会との癒着、並びに、公明党と創価学会との関係を考えれば、選挙の場ではなく、政界・党ルートで韓国並びに北朝鮮、もしくは、その背後に控える世界権力の政治介入が行なわれていたものと推測されましょう。

 その一方で、蓮舫氏は、名前は戸籍上の本名である中華系の蓮舫で通し、台湾系であることは最初から明らかにしています。(現在の姓は齊藤・・・)。しかも、二重国籍問題を起こしたくらいですから、蓮舫候補のルーツは隠された情報ではないのです。本来、マイノリティーとなる移民系であることは、民主的選挙では多数の支持を獲得する必要がありますので、候補者にとりましてはマイナス要因となります。それでも、イギリスのロンドンのように有権者に二者択一を迫る二頭作戦を採用すれば、移民系の候補者が市長に当選することはありえます。おそらく、世界権力は、同作戦によって蓮舫候補に白羽の矢を立てたのでしょうが、自らが抱えるマイナス要因に加え、二頭作戦の効果が薄くなる候補者乱立状態によって苦戦を強いられているのが現状と言えましょう。しかしながら、仮に、蓮舫候補に勝ち目、あるいは、善戦することがあるとすれば、それは、近年、急速に増加している‘チャイナ票’が組織票として動いた場合です。

 蓮舫氏と言えば、台湾系のイメージが強いのですが、二重国籍問題が持ち上がった際には、本当のところは、中国籍も加わる三重国籍だったのではないか、とする疑いが提起されていました。北京大学への留学経験もあり、台湾系のみならず、中国系の人脈とも繋がっているとも推測されるのです。実際に、同氏の東京都知事選の立候補に際しては、中国でも、中華系議員あるいは中国系議員として報じられたとされます。

 日本国内でも、在日中国人の人口は既に80万人を超えており、チャイナ・パワーは侮れません。都知事選挙での投票権は日本国籍取得者のみですので中国系日本国民となる有権者の数はより少数ですが、中国系企業の日本市場への進出もあり、これらが集票力を発揮するとすれば、組織票が形成される可能性があります。また、蓮舫候補に対しては、日本共産党が支持を表明しており、共産党による急接近と同候補への肩入れの背景には、都知事選に際しての中国共産党との‘共闘’、あるいは、世界権力からの両共産党への指示があったのかもしれません。

 民主主義国家の選挙に対する中国の介入は、米中対立の当事国であるアメリカ固有の問題と見なされがちですが、蓮舫候補に‘チャイナ票’が集中するとしますと、それは対岸の火事ではなくなります。また、アメリカの民主党は、集票戦略の一環として移民政策を推進してきたとも指摘されており、日本国でも、票田獲得を目的とした党利党略として移民受け入れ政策が加速化されるかも知れません。果たして‘チャイナ票’は出現するのか、東京都知事選は、こうした視点からも注目すべき重要な選挙となるのではないかと思うのです。

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占領地の帰属は住民に決定権をー和平案の行方

2024年06月19日 13時10分57秒 | 国際政治
 ロシアの特別軍事作戦に始まるウクライナ対ロシアとの戦争にあって、和平への道は遠いと言わざるを得ません。ウクライナのゼレンスキー大統領が九十カ国を集めて「ウクライナ平和サミット」を開催したものの、参加国の足並みは揃わず、むしろ、‘ウクライナ陣営’が一枚岩ではない状況を露呈する結果となりました。その一方で、ロシアは、プーチン大統領が北朝鮮を訪問し、友好国との間の結束を強めています。世界権力による第三次世界大戦計画、あるいは、戦争長期化計画(世界分割支配計画)を想定すれば、双方の目下の動きは、その成否は別としても、スケジュールにおいて現在は陣営分割の段階にあることを示唆しているのかもしれません。

 和平の糸口さえ見つからない現状は、そもそも、計画の実行者に過ぎない双方の当時国が共に和平を実現するつもりなどさらさらないことを示しているのですが、それでは、この戦争、第三次世界大戦へと向かう道の一里塚に過ぎないのでしょうか。世界権力が温めてきた計画の如何に拘わらず、同戦争を終結に導くためには、双方が否定し得ない和平案を作成することも一案です。もちろん、双方、あるいは、一方が同案を拒否する可能性はあるのですが、その案が極めて合理的であり、国際法の原則からも外れず、かつ、倫理上の問題もないのであれば、同案をもって、国際社会は、両国に受け入れを迫ることはできるはずです。

 なお、和平案とは、客観的かつ中立・公平な立場から作成されるべきものですので、今般のように、ウクライナ、ロシア、もしくはロシア陣営の一員の立場にある中国の何れであったとしても、当事者が主催する形態は望ましくありません。この側面からしますと、同案は、何れの陣営にも属さない、あるいは、政治色のない国、あるいは、国際機関が作成すべきとなりましょう。草案の作成については、国連総会が‘和平草案作成委員会’を設立し、同機関に委託するか、あるいは、国司法裁判所、国際刑事裁判所などが適任であるかもしれません。

 さて、和平案の作成に際して鍵となるのが、ドネツク、ルハンスク、ザポリージャ、ヘルソン4州の住民です。民族自決の原則に照らせば、これら4州のそれぞれの帰属については、先ずもってこれら4州の住民こそ真の当事者であり、かつ、自己決定権が認められるべきであるからです。また、仮に同4州において住民構成に地域ごとに偏りが認められる場合には、州内にあって地方自治体ごとに住民投票を実施すべきかもしれません(なお、和平案については、本ブログの2022年10月3日付けの記事「最も平和的なウクライナ問題の解決方法とは?-和平案」でも扱っていますの、ご参照ください)。

 住民投票に際しての選択肢としては、(1)ウクライナ帰属、(2)ロシア帰属、(3)人口比率+居住地域を基準とした分割(国境線の引き直しもあり得る・・・)、(3)全州あるいは一部の州または地方自治体による独立国家の建設などが想定されます。この結果、双方にあってマイノリティーとなる人々の保護は言うまでもありませんが、本人が希望すれば、同族系居住地への移住を認める必要もありましょう。

 和平案の主たる目的は、ロシア・ウクライナ並びに上記4州による領土の確定なのですが、もう一つ、重要な合意事項があるとすれば、それは、賠償問題です(もっとも、停戦のみであれば、賠償問題は後回しでも構わないかも知れない・・・)。講和条約の原則に従うとすれば、住民投票の結果、ウクライナ領となった地域にあっては、ロシア側の攻撃によって破壊されたインフラや住民に与えた被害や損害については、ロシアに賠償責任が生じます(仮に、ロシアの凍結資産がウクライナ支援に用いられた場合、それは賠償金に組み込まれる・・・)。その一方で、正式にロシア領となった地域に対しては、ウクライナはロシアに対して賠償を要求することはできなくなります(この場合には、ロシアの凍結資産の運用から生じた資金は、ロシアに返還されなければならない・・・)。また、ロシアは、ロシア領となった地域において過去にウクライナの予算によって建設された公共インフラ等を継承する場合には、その対価を支払うこととなります。

 なお、戦時中に行なわれた犯罪については、必ずしも和平案に含める必要はなく、それが立証された場合には、別途、双方の責任者が共に国際刑事裁判所等に訴追されましょう。また、戦争によって生じた民間人相互の財産等の請求権については、これも別途、当時国間で協定を結ぶ必要がありましょう。また、将来のウクライナの安全保障については、ロシアはNATOへの非加盟や非核化などを要求していますが、これは、独立国家の主権的な権限ですので、むしろ、和平案には書き込むことができない内容とも言えます。

 以上に和平案について述べてきましたが、現状では、ウクライナも、ロシアも、4州の住民の権利を全く無視しています。しかしながら、国際社会の原則に照らせば、住民こそ自らの将来に対する決定権を持つべきです。仮に、ロシアが主唱するように、ウクライナが東部州のロシア系住民を迫害していたとすれば、ウクライナ政府は、国民保護という最も重要な政府の義務を放棄したのですから、住民の判断により、これらの州を失っても致し方ないこととなります。また、逆に、ウクライナ主張するように、現地住民の人々がロシアを侵略者と見なし、その頸木からの解放を望んでいるとすれば、住民投票の結果は、当然にウクライナ帰属となることでしょう。

 ロシアは、既に実施された住民投票により併合は承認されているとしていますが、国際的なコンセンサスの元で同問題を根本的に解決するためには、中立・公正な国際機関の監視の下で改めて住民投票を実施する必要がありましょう。そして、最終的な帰属や立場を住民の決定に委ねる同和平案こそ、最も道理に適っているように思えるのです。


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中国の核自衛論は日本国の核武装を正当化する:現在の核保有状況はNPT条約の正当なる終了事由を満たしているのでは?

2024年06月18日 11時29分43秒 | 国際政治
 先日6月17日、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所は、世界各国の核保有に関する推計を発表しています。同報告に因りますと、核保有国の攻撃力並びに脅威はさらに高まっているようです。核保有国による核戦力の拡大増強は、それだけ非核兵器国の安全が脅かされることを意味するのですが、国際社会はNPT体制の維持を優先し、この現状を看過すべきなのでしょうか。

同報告は、核保有について中国の保有する核弾頭数が今年の1月の時点で500発に上り、昨年との比較では90発増えているとしています。しかも、今回の報告では、中国の核の内24発は、初めて「貯蔵弾頭」から「配備弾頭」へと分類を変えています。同ペースで増加し続けますと、10年以内には中国が保有するICMB数は米ロに並ぶとされ、中国は、核を本格的に実戦に投入する体制を整えつつあるのです。

 また、NPTからの脱退を宣言し、不法に核を開発・保有するに至った北朝鮮についても、昨年比で20発増えており、合計で50発は保有していると見ています。僅か1年の間で倍増とまでは行かないまでも30発から50発まで増やしたのですから、中国を上回る増加率です。おそらく、その背景には、ウクライナ紛争を機としたロシアとの軍事関係の緊密化があるのでしょう。ロシアとしては、自らは核の威嚇や核攻撃に手を染めず、北朝鮮、あるいは、ベラルーシを‘実行犯’に仕立てる戦略なのかも知れません。

 NPTにあって合法的な核兵器国である中国のみならず、暴力主義国家である北朝鮮までもが急速に核戦力の増強を図っている現状が明らかとされたのですから、全世界の非核兵器国には緊張が走り、戦々恐々となります。軍事同盟によって核兵器国から核の傘を提供されるはずの諸国も、いざとなれば‘開かない傘’か‘破れ傘’になる可能性も高く、不安は募る一ばかりです。何故ならば、中国、ロシア、北朝鮮と言った暴力主義国家からの核攻撃を防ぐ手段が、‘核なき世界’や‘核兵器廃絶’の美名の下で封じられているからです。しかしながら、こうした中国、ロシア、北朝鮮並びにイスラエルが国際社会に齎す核の脅威は、NPTを終了すべき根拠を自ら提供しています。

 第一に、中国を初めとする核を保有する諸国は、NPTが定める核兵器国の義務に違反しています。先ずもって、同条約は、核兵器の他国への拡散のみならず、その第6条において核軍縮について軍縮条約を締結するように求めています。欠陥と言えるほどに核兵器国に対する制約が甘い同条約にあって、核兵器国に義務を課す条文なのですが、同条文が、核兵器国に対して暗に核弾頭数の削減を求めていることは容易に理解されます。否、そもそも同条約は、核戦争の防止を目的に制定されたのですから、中国、ロシア、北朝鮮による攻撃力としての核保有は、同条約の正当なる終了事由となることは言うまでもありません。攻撃力としての核の保有・使用は‘核戦争’を意味しますので、同条約制定の基礎を破壊しているのです。NPTは、条約法条約に定める条約違反(第60条)、後発的履行不能(第61条)、事情の根本的変化(第62条)の何れに照らしましても、むしろ‘終了させるべき条約’なのです(特に、イスラエルや北朝鮮の核保有等は、事情の根本的変化に該当する・・・)。

 ストックホルム国際平和研究所報告は、中国の核軍拡に対する国際的な批判を呼び起こすことにもなりましたが、同批判に対して、中国外務省の林剣副報道局長は、「自衛のための核戦略」と述べ、その正当性を主張しています(軍事大国が自衛を主張するナンセンス・・・)。500発という弾頭数からしますと、到底、自衛目的とは考えられないのですが、自衛を以て核保有を正当化するならば、当然に、他国に対してもこれを認めるべきです。どの国、あるいは、誰が、自衛のための核は持ってはならないと言えるのでしょうか。核の使用を自国の戦略に組み込んでいる、即ち、核戦争を想定している核兵器国が‘自衛’を口実にする一方で、他の諸国は、核戦争の回避を目的とした条約に縛られ、自衛の手段として核の抑止力さえ備えることが出来ない現状は、どのように考えましても狂っています。第二点として、自衛のための核保有をも否定するNPTは、道理に反しているのです。

 そして第三に、何よりもNPTは、法の前の平等、並びに、刑法の一般適用性という近現代法の基本原則にも反しています(所謂‘不平等条約’)。核兵器保有国は、国際社会において悪を取り締まる‘正義力’として武力を独占し得る警察の立場にあるわけではありません。‘パックス・アメリカーナ’を自負してきたアメリカでさえ、オバマ政権時代に‘世界の警察官’の職を辞職しています。治安維持の分野では、理性に照らして誰もが納得する行動規範を法として定め(国内法であれば、殺人、傷害、窃盗、人身売買、詐欺等であり、国際法では、侵略、ジェノサイド、人道に対する犯罪、戦争犯罪など・・・)、その法を全ての構成員から超越した中立・公平な機関が執行、並びに、適用しないことには、全ての人々の基本的な自由と権利を護り、安全な社会をもたらすことはできません。同観点からしますと、国際社会の現状は、法が、特定の凶悪で凶暴な暴力団に特別の地位を与え、合法的かつ独占的に暴力手段の所持を認めているようなものです。しかもその間、不法に銃刀を所持する暴力団も出現しているのですから、常識や理性がある人々から見ますと、現状は耐え難き馬鹿馬鹿しさなのです。

 以上に述べてましたように、今日、NPTの欺瞞性がいよいよもって誰の目にも明らかとなってきております。非核兵器国の立場にあるNPT加盟国は、同条約の終了を提起すべきですし、とりわけ日本国は、中国並びに北朝鮮の核兵器の脅威に直面しているのですから、同条約からの合法的な脱退も選択肢の一つであると思うのです。

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NPTが悪で核武装が善では?-第三次世界大戦の抑止

2024年06月17日 12時03分35秒 | 国際政治
 本日6月17日の東洋経済オンラインにおいて、第三次世界大戦の可能性について、池上彰氏が‘第三次世界大戦が起きない理由’を語る記事が掲載されておりました。同氏の説明に因りますと、ロシア・ウクラナ戦争であれ、イスラエル・ハマス戦争であれ、軍事的な抑止力によって第三次境大戦への連鎖的拡大が制止される、ということのようです。ところで、この見解は、幾つかの重要な真実を暴露しているように思えます。

 第一の真実は、戦争の最大の抑止力は、核兵器であるというものです。NATO諸国がロシアと直接に戦う事態に至れば、当然にロシア・ウクライナ戦争は、集団的自衛権の発動により第三次世界大戦へと発展することが予測されます。しかしながら、このNATO参戦は、ロシアによる核兵器使用の脅迫によって封じられているというのです。言い換えますと、ロシアの核兵器が第三次世界大戦を防いでいるのであり、核兵器の保有は、絶対悪ではなく、現実にあって平和に貢献していることとなります。

 その一方で、イスラエル・ハマス戦争については、核兵器ではなく、アメリカが地中海に派遣した二隻の空母の地中海展開がイランの参戦を防ぐ役割を果たしているとしています。ロシアとは異なり、国際法を遵守する立場にあるアメリカは、露骨に核兵器の使用を示唆できませんので、通常兵器が抑止力を発揮しているのです。もっとも、本当のところはイスラエルが密かに保有する核がイランの動きを抑えているのかもしれませんし、イランも秘密裏に核開発に成功していたとすれば、両国の間で核の相互抑止力が働いたのかもしれません。

 第二の真実は、核兵器国と非核兵器国との間で戦争が起きた場合、通常兵器による戦争が長期化するというものです。池上氏は、‘第三次世界大戦は起きない’としながらも、‘両戦争が収束に向かう’とも、‘程なく和平が成立する’とも述べていません。実際に、両サイドから和平の提案が試みられ、実際に和平会議等が開かれておりますが、両当事者が同じテーブルに着く直接交渉の場さえ実現していません。第三次境大戦の回避=戦争の終結ではないのです。

 しかも、通常兵器による戦争にあっては、戦争を終わらせる決定権を持つのは、事実上、核保有国のみです。NATOの軍事支援により、たとえウクライナが戦局を優勢に展開したとしても、最終的には、戦術核であれ、戦略核であれ、ロシアの核兵器使用によって情勢をひっくりかえされてしまいます。しかも、核攻撃の対象はウクライナ領内となりましょうから、仮にNATOが報復として核による反撃に及んだとしても(自国に対する核攻撃の可能性を考慮すれば、必ずしも核による反撃が行なわれるとも限らない・・・)、最初の核による一撃を受けるのはウクライナなのです。この残酷な真実は、非核保有国の不条理で悲劇的な立場をよく表しています。

 これらの二つの真実が偽らざる事実であれば、NPT体制こそ、核兵器国と非核兵器国との間、あるいは、非核兵器国間において戦争を引き起こすとともに長期化させる悪しき要因であり、むしろ核兵器の保有こそ、戦争を回避する最大の手段と言うことになりましょう。非核兵器国も核兵器を保有すれば相互抑止力が働いて、何れの諸国も、最早、戦争に訴えようとはしなくなります(少なくとも、完璧なミサイル防衛システムあるいは専守防衛用の指向性エネルギー兵器が配備されるまでは・・・)。人の理性に照らせば暴力は悪なのですから、戦争そのものが基本的には悪である以上(たとえ正当防衛としての自衛戦争であっても、無辜の人々が犠牲となり、国土が荒廃し、かつ、国内では戦時独裁体制に移行しかねない・・・)、絶対悪と見なされてきた核兵器であっても、それを防ぐ手段を善とする見方もあり得ましょう。この結論は、論理的に間違ってはいないように思えます。

 そして、第三の真実は、回避あるいは防止する手段や機会がありながら、何故か、戦争が‘起きてしまう’と現実です。このことは、政治家というものが恐ろしく愚かであるのか、あるいは、戦争が意図的に計画されているかのいずれかであることを意味します。第三次世界大戦も、それが仮に起きるとすれば、戦争ビジネス並びに世界支配を目的とする後者である可能性が極めて高いのではないかと思うのです。

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日本国は核武装・中立政策へ転換を-「日・ウクライナ支援協力アコード」のリスク

2024年06月14日 09時35分57秒 | 日本政治
 今般、イタリア南部のプーリア州で開催されるG7サミットは、あたかも次なる世界大戦に向けた体制造りを目的としているかのようです。同会議の主役は、ウクライナのゼレンスキー大統領であり、この場を利用して積極的に同国への支援を訴えています。もちろん、その背後には、アメリカのバイデン大統領、そして、さらにその奥には第三次世界大戦に向けて策略を巡らす世界権力が潜んでいるのでしょうが、このままでは、人類は、なすすべもなく三度目の世界大戦への道を歩かされることでしょう。

 日本国も例外ではなく、G7サミットの開催を前にして、岸田文雄首相とゼレンスキー大統領との間で首脳会談の場が設けられ、両首脳が「日・ウクライナ支援協力アコード(日本国政府とウクライナとの間のウクライナへの支援及び協力に関するアコード)」に署名したと報じられています。そして、目下、同二国間協定は、日本国内に衝撃を与えています。何故ならば、同協定のⅢとして「将来の武力攻撃の際の協力」が置かれ、その第1項に「ウクライナに対する将来のロシアの武力攻撃の際、両当事者は、両当事者のいずれかの要請により、適切な次の行動を決定するために、二国間又は両当事者が適切と考えるその他の経路を通じて、24時間以内に協議を行う。」と明記されているからです。

 この内容は、事実上の軍事同盟を意味しかねません。第2項以降は、対ロ制裁の強化について失しているのですが、ロシアという‘共通の敵’を設定したことになりますので、日本国とウクライナとの間には、対ロ共闘関係が成立し、しかも、攻撃時から24時間以内での対応という大幅に踏み込んだ内容となっているのです。

 日本国並びに日本国民にとりまして、この一文が、極めて危険であることは、一読しただけでおよそ理解されます。そもそも、ウクライナとロシアとの間では既に戦争状態にありますので、同協定で記されている‘将来の武力攻撃’における‘将来’を協定への署名時から先とすれば、6月13日○○時以降のロシアからの対ウクライナ攻撃から適用されることとなります。実際に、同協定の「Ⅹタイムフレームとその他の事項」の第1項では、「このアコードは、署名の日から10年間有効である。」と記されていますので。すなわち、将来とは、即、‘現在’を意味してしまうのです。

 ‘将来’という曖昧な表現が使用されている上に、発行時が協定署名時となっている点において、同協定は危険極まりないのですが、内容そのものが事実上の軍事同盟とも解されるのですから、同協定を、政府が国会での事後承認を要しない「行政取極」として扱ったこと事態が、岸田首相による権力濫用とも言えましょう。「国会承認条約」と「行政取極」との区別については「大平三原則」が慣行として儲けられており、前者については、(1)法律事項を含む国際約束、(2)財政事項を含む国際約束、(3)③日本と相手国との間、あるいは国家間一般の基本的な関係を法的に規定するという意味において政治的に重要な国際約束であって、それゆえに発効のために批准が要件とされているものとされています。その一方で、後者については、(1)国会の承認済み条約の範囲内、(2)国会の議決済み予算の範囲内、(3)国内法の範囲内で実施可能の三者が挙げられています。これらの原則に照らしましても、今般の「日・ウクライナ支援協力アコード」は、「国会承認条約」とすべきです。同アコードが定める24時間以内に決定される‘行動’が、法律事項や財政事項を全く含まないとは考えられませんし、何よりも、同決定は、日本国の安全保障政策上の重大なる決定であるからです。第三次世界大戦への参戦への導火線ともなりかねないのですから。

 日本国憲法は、その第9条にあって軍隊の不保持を定めている故に、防衛や安全保障における決定権の所在や決定手続きについて空白部分や曖昧な部分があるという問題があります。戦前の明治憲法にあっては、軍隊が統帥権を有する天皇に直属していたために軍部の暴走が起きたと指摘されていますが、今日では、軍隊が存在しないとする前提から生じた曖昧性が悪用され、岸田首相、ないしは、その背後の戦争推進勢力に独断的な権力行使を許しているとも言えましょう。平和憲法が、むしろ、仇となっているのです。

 こうした岸田首相による過度のウクライナへの肩入れが齎す危険性を考慮しますと、何故、野党が、これを問題としないのか、不思議で成りません(おそらく、野党側も世界権力の傀儡・・・)。日本国は、民主主義国家なのですから、日本国の安全保障政策については、先ずもって国会を含む国民的な議論に付すべきです。また、今般の「日・ウクライナ支援協力アコード」についても「国会承認条約」とすべきよう、政府に対して要求すべきですし、民意を問うための衆議院解散・総選挙が実施されて然るべきです。第三次世界大戦計画が存在する可能性の高さを考慮しますと、深みに嵌まる前に脱出策を考えるべきであり、核武装・中立政策への転換こそ、日本国が、三度目の世界大戦から逃れる道なのではないかと思うのです。

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戦争も地震もエネルギー資源の争奪戦?

2024年06月13日 13時07分25秒 | 国際政治
 大航海時代とは、全世界が通商網で繋がると共に、‘新大陸の発見’、並びに、アジア・アフリカ地域に植民地支配が広がった時代でもありました。平和的な交易を越えて、軍事力を背景とした支配が行なわれた理由の一つに、これらの地域において埋蔵されていた莫大な資源の獲得があったことは疑いようもありません。大航海時代の先陣を切り、太陽の没するところのない世界帝国を築いたスペインは、中南米を植民地化することでポトシ銀山等から莫大な銀を得ています(もっとも、大量の銀の流入によりインフレを招く結果に・・・)。資源の獲得への飽くなき欲望が、人類の歴史を大きく動かしているとも言えましょう。そしてそれは、その地で平穏に暮らしてきた現地の人々の存在を無視し、最悪の場合には、利用し得る安価な労働力として奴隷の身分に貶めもしたのです。

 大航海時代は、スペイン、ポルトガル、そしてそれに続く西欧諸国の多くにとりましては栄光の時代なのですが、非西欧諸国にとりましては、他国の支配下に置かれた苦い過去の記憶です。もっとも、今日では、‘新大陸’を含めて植民地化された諸国は独立を果たしており、領域及び排他的経済水域(EEZ)におけるあらゆる資源に対しては、各国の主権が及んでいます。公海や南極等を除くおよそ地球上の凡そ全ての資源が、それが埋蔵する国家が所有しており、一先ずは、国際法の下で国家の権利として保障されているのです。このため、如何なる国家も、表だっては、他国に対してその国の資源を要求しようとはしません。他者のものを欲しがることは、不道徳且つ法的な根拠のない行為ですし、実際に力尽くで奪おうとすれば犯罪となるからです。

 かくして、表面的には、他国の資源を奪うことを目的とした戦争は陰を潜めているのですが、その反面、資源奪取の舞台は、地下に潜ってしまった、あるいは、別の衣を着せられているとする見方もできます。何故ならば、領有権争いを含め、国家間で起きている紛争の真の原因は、他国の資源への欲望にある場合が少なくないからです。例えば、日本国が抱えている尖閣諸島問題も、中国が、同島周辺に埋蔵されている石油・天然ガス資源を欲したところにあります。国連による資源探索調査結果のレポートが公表された途端、中国は、同島の領有権を主張し始めたのですから。竹島問題の激化も、EEZを創設した国連海洋法条約の成立(1994年発効)並びに同島周辺海域にも埋蔵が推定さるメタンハイドレートの存在と無縁ではありません。国家間の紛争の根源を探りますと、‘資源’に行き着くことは稀ではないのです。

 国際法が整備された時代には、資源奪取を目的に戦争を起こすことはできませんので、これを実行しようとすれば、別の口実を見つけるか、あるいは、誰の目にも触れないように隠れて行なう必要が生じます。この観点からしますと、ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス戦争と言った今日の戦争も地震等の災害も、全てとは言わないまでも、相当に怪しいと言わざるを得ないのです。

 ウクライナについては、世界有数の穀物地帯であることに加え(農産物資源)、既にその豊富な天然ガス資源の埋蔵が紛争の背景として指摘されていました。先日、別件で有罪とされたハンター・バイデン氏を含むアメリカのバイデン・ファミリーも同国の天然ガス資源において利権を持つとされ、バイデン大統領が、ウクライナ支援に血眼になる理由としても説明されています。また、イスラエル・ハマス戦争にあっても、ガザ地区沖の海底には天然ガス田が眠っており、未採掘の状態であれ同ガス田には、沿岸国となるガザ地区を含むパレスチナ国の主権が及んでいます。国際社会から激しい批判を浴びながらも、イスラエルがガザ地区全域の併呑を諦めない理由は、真の目的がガス田の奪取にあるからとする説も、強ち間違いではないのかもしれません。

 大事件の裏に隠された意図が疑われる事例は、戦争に限られたことでもありません。近い将来、‘確実’に発生するとされてきた南海トラフ巨大地震については、震源地域における天然ガスの埋蔵が指摘されたことにより、資源調査・採掘等に伴う自然災害に見せかけた人工地震である可能性が俄に高まっています。また、唐突に起きた能登半島地震、並びに、それに続く余震についても、今月6月3日に、韓国の尹錫悦大統領が、日本海に「大量の石油と天然ガスが埋蔵されている可能性が高い」と発表したことから、資源の調査・採掘が絡んでいる疑いがあります。もっとも、同天然ガス田は、能登半島からは離れた南東部・浦項沖にありますので、韓国との関係は薄いのでしょうが、日本海の海底には、メタンハイドレートの他にも未知の石油や天然ガス田が存在しているかもしれず、日本国政府、あるいは、他国や外部勢力が、密かに採掘に乗り出している可能性もなきにしもあらず、なのです。

 おそらく、戦争や地震のみならず、感染症によるパンデミックや大規模火災などでも、不自然さが指摘されているケースでは、その裏には、おそらく隠された目的があるのでしょう。また、資源のみならず、軍需産業や復興ビジネス、さらには世界権力が抱く人類支配への渇望などもあるのかもしれません。こうした指摘は、‘陰謀論’によって封じられがちですが、政府やメディア等の説明を鵜呑みにするのでは、いつまで経ちましても地球上から戦争も災害もなくならず、一部の人々の利益のために人類の大多数が‘吸い取られる’状況は変わらないことでしょう。戦争や災害等を未然に防ぎ、人類が不必要な災禍から逃れるためには、真の決定者とその目的の正確な把握という、この最初の一歩を踏み出すことが重要であると思うのです。

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第三次世界大戦計画は進行中なのでは-和平という名の陣営分割?

2024年06月12日 10時27分58秒 | 国際政治
 イスラエル・ハマス戦争については、イランにおけるヘリコプター墜落事故による大統領の死亡事件により、現状にあっては一先ず動きが止まっています。その一方で、ウクライナに対しては、6月13日からイタリアで開催予定のG7サミットにあって、ロシアの凍結資産を活用する形で新たな支援策が検討させる模様です。

 同案に先立つ今年の4月には、既にNATOでは、今後5年間を目処に16兆円規模のウクライナ軍事支援基金を創設することを決定しています。これに続く今般の基金創設案は、G7諸国が戦争の長期化を想定しているとも解され、ウクライナ戦争の停戦がほど遠いことを示しているとも言えましょう。また、実際に、同国に対する軍事支援も拡大傾向を見せています。特に、今年に入り、ウクライナへのNATO軍派兵まで主張し始めたフランスのマクロン大統領の好戦的な姿勢が目立っており、つい先日もフランスが開発した戦闘機「ミラージュ2000」の対ウクライナ供与も表明しているのです。

 ウクライナサイドにあって戦争拡大への兆候が見られる中、報道される限り、ロシアも矛を収める気配はありません。核兵器の使用を以てNATOを牽制すると共に、本日(6月12日)も、2022年4月4日にNATOに加盟したばかりのフィンランドに対して、ロシア軍機がフィンランド湾東部で領空侵犯を行なったとも報じられています。因みに、昨年の2023年11月には、ロシアは、ソ連邦崩壊後に締結した非核化協力に関する政府間の協定の終了を日本国側に通知しています。同協定の終了は、日本国がロシアの核攻撃の対象とされたことを暗に示すと共に、日本国側も、ロシアに対する非核化の法的義務が消滅したことを意味します。

 加えて、一貫してロシアを支援してきた中国にあっても、台湾有事をめぐる米中関係の悪化に加え、他の‘西側諸国’との間での軋轢も強まっています。南シナ海では、オランダ軍のフリゲート艦の上空を中国軍機が旋回するという事件も発生しています。先月5月には、同様の事件が、朝鮮半島西側の公海上でオーストラリア軍との間でも起きているのです。

 これまでの各国の動きを観察しますと、そこには、世界権力が温めてきた第三次世界大戦計画の青写真がうっすらと映し出されているように思えます。マクロン大統領の強硬路線も、同氏が、ロスチャイルド銀行の社員であった経歴からも説明できるかも知れません。全世界をグローバルに支配するためには、全世界の諸国を敵対する二つの陣営に二分する形での第三次世界大戦こそ、最も望ましいシナリオなのでしょう。

 そして、この観点から注目されるのが、両サイドから提案されている和平会議の開催です。中国外務省は、今月の6月11日に、ブラジルと共同で提案したウクライナ和平案に対して、「101の国と国際機関が前向きな回答」をしたことを明らかにしています。その一方で、ウクライナ側も、今月15日から16日にかけて「平和サミット」の開催を予定しており、同サミットには、90の国と地域が‘登録’したそうです。双方からの和平に向けた試みですので、歓迎する向きもあるのですが、第三次世界大戦計画を仮定しますと、‘和平’の名を借りた全世界の諸国を対象とした‘陣営分け’の一環であるようにも思えてきます。何れであれ、どちらかの和平案に賛成したところ、いつの間にかいずれか一方の陣営に組み込まれ、第三次世界大戦に巻き込まれてしまうシナリオもあり得るのです。

 過去の二度の世界大戦にあっても、世界権力は、上部から両陣営を操っていた節があります。第三次世界大戦計画にあっても、同勢力は、全世界のトップ政治家達を自らの傀儡とし、陣営対立を演出するものと想定されましょう。日本国の岸田首相を見れば当然に予測されるのですが、何れの国民も望みもせず、合意もしていない戦争に、背信的な政治家達によって巻き込まれてしまうのです。第三次世界大戦の結果として利益や権力を得るのは一部の戦争利権を握る世界権力、並びに、そのおこぼれに与る少数の人々に過ぎないのですから、何れの国の国民も、その政府が‘騙されたふり’をしつつ協力しているとも推測される第三次世界大戦計画については十分に警戒し、それを阻止する努力を怠ってはならないと思うのです。

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マルクスが語った‘宗教は麻薬’のパラドクス

2024年06月11日 09時40分26秒 | 統治制度論
 中国は、今日、習近平国家主席の‘指導’の下で、国民に対して習近平思想の徹底を試みています。国家が国民の内面に踏み入り、その思想まで強要する体制は、国家イデオロギーを定める共産主義国家の特徴の一つでもあります。そして、習近平思想にあっても、過去の5つの思想、即ち、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表、科学的発展を基礎としながらも、19世紀にカール・マルクスが唱えた共産主義を出発点としていることは疑いようもありません。

 ‘唯一思想’を国定する一方で、中国は、1949年10月10日の建国以来、宗教に対しては弾圧の姿勢で臨んできました。その主たる理由としてしばしば挙げられるのが、マルクスが残した‘宗教は麻薬(アヘン)’であるとする言葉です(その他にも、宗教弾圧の動機は多々ある・・・)。麻薬とは、人々の正常な判断力を狂わせる一方で、人々を安逸で夢見心地の境地に誘います。最期には、廃人と呼ばれた状態に至りますので、麻薬は、厳重に取り締まるべき対象と見なされてきたのです。その麻薬に共産主義の祖であるマルクスが宗教に擬えたのですから、共産主義者が宗教を嫌悪したのも理解に難くはありません。屈辱として歴史に刻まれたアヘン戦争を経験した中国であれば、なおさらのことでしょう。

 それでは、マルクスは、何故、‘宗教はアヘン’と断じたのでしょうか。その意味内容については、『ヘーゲル法哲学批判序説』において述べられています。宗教とは、現実において悲惨な状況に置かれている人々が、その苦しみから一時でも逃れるために天国を空想し、自己陶酔に浸る現実逃避に過ぎないとしているのです。言い換えますと、天国であれ、極楽であれ、精神的な逃避先である宗教がある限り、人々は、不条理に虐げられている現実を直視せず、その改善を求めようとしないのであるから、宗教は、麻薬と同様に存在しない方が良い、という主張なのです。

 宗教の役割を現実逃避のみに矮小化して理解している点については問題があるのですが、宗教が貧しき人々や弱き人々の心の支えとなってきたことは確かなことですので、マルクスの主張には一理はあるのでしょう。しかしながら、同主張は、宗教の全面的な廃止やチベットやウイグルで見られるような虐殺をも伴うような宗教弾圧を正当化できるのでしょうか。

 マルクスは、宗教弾圧の正当性を理論武装したようにも見えますが、よく考えても見ますと、マルクスの論理に従えば、中国共産党は、むしろ宗教を弾圧し得ない立場に置かれていることが分かります。何故ならば、革命によって共産主義体制が樹立されれば、旧体制が与えてきた、あらゆる抑圧や搾取から人々が解放され、現世にあって天国の如き理想郷が出現しているはずであるからです。現世が天国や極楽であれば、宗教にすがる人々は皆無となり、同時に、共産党が宗教を弾圧する必要も消滅するはずなのです。言い換えますと、中国共産党による宗教弾圧は、むしろ、‘この世の楽園’を約束した共産主義者の‘プロパガンダ’には偽りがあり、共産主義体制が、旧体制と変わらない、あるいは、それ以上に、国民にとっては過酷な体制であることを自らの行動で示すこととなるのです。理論上、必要がないはずのことを行なっているのですから。

 マルクス思想に不動の地位を与えている中国共産党は、マルクスの著作に遡れば遡るほどにその欺瞞性が明らかとなり、自らの墓穴を掘ることとなりましょう。そして、マルクス主義への強固な依存は、中国の自壊を招く一党独裁体制のアキレス腱ともなるかもしれないと思うのです。

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疑われる理由を考えるべき-疑惑提起への適切な対応

2024年06月10日 10時36分53秒 | 社会
 一般の社会にあっても、疑いを提起しただけなのにも拘わらず、感情的な拒絶反応が返ってくることがあります。その大半は、‘疑われるのは侮辱である’、‘私を信じないのですか’、あるいは、‘このような疑いを持つとは、あなたを見損なった’といった反応であり、悪いのは、一方的に‘疑った側’ということにされます。一方が疑いを投げかけた途端、対立関係、もしくは、あたかも“加害者”と“被害者”があるかのような関係に転じてしまい、これまで良好であった人間関係が完全に崩壊することも珍しくはないのです。それでは、疑いの提起は、疑う側のみに非があるのでしょうか。この問題、所謂‘陰謀論’による疑惑封じにも通じています。

 確かに、大抵は何らかの‘よろしからぬこと’をめぐるものなのですが、自らが他者から疑われることは、不愉快なことです。ですから、疑惑の提起が、提起された側の負の感情を引き出すことは理解に難くはありません。とりわけ、それが、根も葉もない事実無根の事柄であれば、なおさらのことでしょう。また、疑う側も、疑惑の提起に伴うリスクを認識しています。日本社会は信頼社会とも称されていますので、不信感の表明は関係性を壊しかねないと共に、提起した疑惑が間違っていれば、自らの信頼性をも損ないかねないからです。それ故に、疑いの提起に慎重になるのですが、この‘疑う’という心の働きは、事柄の重要性に差こそあれ、誰もが日常的に行なう精神活動であり、自らの安全を護るためにも不可欠とされます。このため、懐疑を否定する言動には、幾つかの問題点があるように思えます。

 まず、その疑いが事実であった場合です。この場合、疑われた側が、素直に事実として認めるとは限りません。むしろ、他者からの疑いの提起は、事実を突きつけられたことでもありますので、それが‘よろしからぬこと’であれば、保身的な動機からその事実を否認することでしょう。さらには、事実そのものの否定のみならず、‘疑われたという事実’までも消すために、疑うという行為そのものを否定しようとするかもしれません。また、‘攻撃は最大の防御手段’とも言われますように、疑いを提起した側を非難し、責め立てるという反応もありましょう。何れにしましても、事実であった場合の方が、余程、激しい否定的な反応が返ってくるのです。

 それでは、事実ではない場合はどうでしょうか。この場合は、疑惑の提起を受けた側がそれを否定するのは当然の反応です。むしろ、最初の反応は、怒りよりも、思いもよらぬ事を聞かされた驚きかも知れません。そして、一端、心が冷静さを取り戻しますと、何故、こうした自らに対する疑惑が生じたのか、その原因や疑うに至るプロセスを知ろうとする人の方が多いのではないでしょうか。‘誰から、何処で、何時、聞いたのですか’など、疑問点を聞き返すなど、疑惑の根拠を尋ねるかもしれません。そして、詳しい内容を知った上、これらの情報を否定し、同疑惑を払拭しようとすることでしょう。この証明のために、あらゆる証拠を示そうとするかもしれません。この結果として、疑惑を提起された側の怒りの対象は、提起した本人ではなく、疑惑を呼ぶような虚偽の発言をしたり、偽情報を発信した第三者に向かいます。あるいは、疑惑の原因が、‘誤解’を生じさせるに足る本人の言動や当時の状況にあるのであれば、これらの誤解が解ければ同時に疑惑も消え去るのです。疑惑が生じた理由やプロセスが明らかとなれば、疑惑の提起を受けた側も、同疑惑には、それなりの合理的な根拠があることを理解することでしょう。疑惑を抱くに十分な根拠が存在することが分かれば、無碍には疑惑を提起した人を批判できなくもなります。

 以上に述べたように、反射的な否定反応は、事実であった場合でも虚偽であった場合でもともに起きますので、疑惑を提起した側にとりましては、最初は、どちらであるのか判然としません。しかしながら、その後に続く反応によっては、それが、事実であるのか事実ではないのか、大凡は判別できるようになるかも知れません。後者の場合には、疑惑を提起された側も、自らの潔白のために事実を明らかにしようとするからです。事実ではないことが証明されれば、疑惑が晴れるのです。その一方で、一方的に疑惑の提起を拒絶したり、封じようたり、あるいは、事実を解明しようとしない場合には、限りなく怪しいと言うことになりましょう(疑惑は事実であった・・・)。

 今日、信頼社会とされてきた日本社会にあって、むしろ、信頼性の尊重が悪用されてしまうケースが目立つようになりました。疑うことが不道徳と見なされる嫌いもありましたが、内心において疑いながら、それを表に出さずに現状を黙認していますと、本人のみならず、社会全体の安全性が損なわれる事例も少なくありません。民間レベルのみならず、国家レベルでも、国民が政府を信頼した結果、同調圧力の下でワクチン禍が拡大してしまいました。そして、‘陰謀論’による懐疑心や言論の封殺をはじめ、政府やマスメディア等による一方的かつ全面的に否定しようとする態度は、指摘された疑惑が事実である可能性を否が応でも高めているのです。

 それでは、疑惑が提起された場合、どのように対応すべきなのでしょうか。最も適切な対応とは、懐疑心を正当かつ自然な精神活動とした上で、それが事実であろうとなかろうと、あらゆる疑惑に対しては、感情的に反発するのではなく、事実解明を第一とすべきと言うことになりましょう。同方法を解決の基本原則としますと、陰謀論であれ、何であれ、他者の懐疑心を否定したり、事実解明を拒むことは、自ら事実であることを認めたと見なされても致し方ないのではないかと思うのです。

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