万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国籍は帰属意識の証

2008年11月30日 16時26分47秒 | 国際政治
女優コン・リーさんのシンガポール国籍取得、ネット上で非難噴出(読売新聞) - goo ニュース
 国籍を変更すると、裏切り者のレッテルを貼られてしまう・・・。中国で起きたこの騒動は、どうやら、国籍というものが、個人の問題にとどまらず、国民あるいは民族という集団への帰属意識と深く結び付いていることを現わしているようなのです。

 国籍とは、特定の国家の国民というメンバーシップを意味しています。一たび、国家という共同体に属しますと、メンバーの間で連帯性が発生し、全くの他人ではなくなります。ですから、共同体の他のメンバーに対して関心を持ち、その活躍に一喜一憂したりもします。日本国でも、普段は取り立てて意識しなくても、日本人がノーベル賞を受賞しますと、マスメディアを挙げてお祭り騒ぎとなりますし、外国で事件があるたびに、邦人の安否が気遣われます。この現象は、おそらく万国に共通した感情なのかもしれません(同郷や同窓などでも同じ意識が起きる・・・)。

 今般、議論されている国籍法改正案については、反対論者は、とかくに民族主義者のレッテルを貼られがちです。しかしながら、集団と帰属意識の問題には普遍性があり、ステレオ・タイプに非難しただけで済む問題でもありません。国民とは何かを真剣に論じることなく、安易に国籍取得の要件を法律で改変することの方が、より粗雑な対応のように思えてならないのです。

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国籍法問題と婚姻制度

2008年11月29日 16時38分18秒 | 社会
 本国会で審議されている国籍法の問題は、日本国の婚姻制度の行方にも大きく関わっています。何故ならば、この法改正の根拠となった最高裁判所の違法判決は、嫡出子と婚外子との間の差別を咎めたからです(公法と私法を混合した疑問のある判決なのでは・・・)。

 ところで、最高裁判所の判決は、嫡出子と婚外子との平等化に力点を置いていますが、この問題に男女の平等を加えますと、お話は、さらにややこしくなります。そもそも、男女平等を基礎とした婚姻制度を突き詰めて考えますと、二通りのパターンしかありません。その一つは、一夫一婦制であり、夫婦の双方とも重婚は許されず、また、他に家庭を営むことも原則としてできません(民法第752条)。また、夫婦およびその子供は、同一の戸籍に入ることになります。家族として安定しますが、原則を逸脱して他に家庭を持ちますと、婚外子や婚外配偶者の問題が発生します。
 もう一つのパターンは、多夫多婦制です。こちらのパターンですと、夫婦という単位は存在しなくなり、戸籍も個人単位となります。子供が生まれますと、その子は、両親のどちらかの戸籍に入ります(あるいは、個人化が進めは、新たに新戸籍が設けられる?)。この場合、自然な相互扶助の纏まりとしての家族が解体される一方で、婚外子や婚外配偶者の問題はなくなります。

 さて、近年、特に西欧諸国では家族制度が揺らぎ、婚外子の割合が増加し、あたかも多夫多婦制に移行したかのようです。しかしながら、日本国を見ますと、婚外子の割合は未だに2%以下であり、どう見ましても、国民意識が、多夫多婦制に変化したは言えません。また、民法は、一夫一婦制を基盤としてますので、あらゆる規定において、嫡出子と婚外子との間に権利の差を設けています。つまり、一夫一婦制と、嫡出子と婚外子との完全なる平等化は、両立しないのです。国籍法の問題は、家族制度の根本に触れる大問題であり、深慮に深慮を重ねるべきと思うのです(今国会では廃案の方がよい・・・)。

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国籍法案のドミノ倒し

2008年11月28日 20時10分44秒 | 日本政治
国籍法改正案、3日にも成立 付帯決議案固まる(朝日新聞) - goo ニュース
 制度の悪用が心配されている国籍法案。この法案が可決されますと、二つの方向に向かって、ドミノ倒しが起きると思うのです。

 ドミノ倒しの第一の方向は、最高裁判所が、国籍法と家族法(身分法)を分けなかったことに起因します。つまり、嫡出子と婚外子の権利の差を憲法違反の根拠としたのですから、この平等化のドミノ倒しは、民法のあらゆる規定における嫡出子と婚外子との差がなくなるまで広がってゆくことになります。

 第二のドミノ倒しは、認知の意思主義から始まります。もし、最高裁判所の示した判例のように、民法上の認知が意思主義に基づき、かつ、それが、国籍法にも適用されるとなりますと、日本国籍のドミノ倒しは、戸籍の売買をもくろむ世界中の闇の組織に及ぶことになります。日本人との血縁関係は問われないのですから。

 ドミノ倒しは、これで終わらず、さらに勢いを増して、日本国の安全保障、社会保障、雇用、伝統・文化などもなぎ倒してゆくかもしれません。ドミノを倒す前に、その倒れる先を十分に考えるべきですし、結局、それが自国に甚大な損害を与えるならば、法案の今国会での成立は、思いとどまるべきと思うのです。

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グローバル化は世界を危険にする

2008年11月27日 15時52分36秒 | 国際政治
世界各国に衝撃 非難相次ぐ インド同時テロ(朝日新聞) - goo ニュース
 経済の視点から見ますと、物、マネー、サービス、情報などが自由に行き交うグローバル化には利点があります。その一方で、政治や社会に視点を移しますと、良いことばかりではなさそうなのです。

 それは、国境が低くなればなるほど、異なる人間同士、あるいは異なる集団同士が、紛争や摩擦を起こす機会も増えてしまうという、現実に由来しています。人間の集団は国家を枠組みとした国民のみではなく、国家がなくなっても、宗教、人種、民族、言語、歴史などで結びついた集団は残り、これらを共通項として、新たな集団が作られるかもしれないのです。現に、テロリストは、国家を超えた国際組織として活動しています。あるいは、国境の消滅は、未だ国家権力を振るう覇権主義国に、境界が曖昧化した周辺諸国に支配の触手を伸ばすチャンスを与えるかもしれません。

 人間とは、理想主義者が言うほどには完璧な存在ではありません。異質なものに対する寛容が称賛されるべき美徳であるのも、すべての人々に寛容の精神が備わっていないことの裏返しでもあります。そうして、人間は、支配欲を持つ存在でもあります。経済と政治、あるいは、経済と社会の区別なきグローバリズムは、人類を危険な世界に誘うかもしれないのです。

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世界市民主義のパラドックス

2008年11月26日 17時03分11秒 | 国際政治
 現在、参議院で審議されている国籍法改正案の背景には、しばしば、国家なき世界を理想とする世界市民主義の思想があることが指摘されてきました。異なる人種、民族、文化など、異質なものが融合すれば、そのエネルギーによって新たな世界が生まれると・・・。カルロス・ゴーン氏なども、固有の民族や文化の持つ均質性に対して批判的な意見を述べています。

 しかしながら、この説には、否定しがたいパラドックスがあるように思うのです。それは、絶え間なく異質なものを融合させて行けば、やがてこの世界から多様性が消滅し、すべてが均質化してしまうことです。つまり、人類は、異文化融合反応によって、もはや、”新たな文化”を作るエネルギー得ることができなくなるのです。残されるのは、すべてが平坦で、何処に行っても同じ文化が広がり、地球上の誰の顔つきも同じ、退屈な世界であるかもしれません。

 このように考えますと、もし、異文化融合のエネルギーを主張するならば、むしろ、多様性こそ維持しなくてはならないことになります。私には、異文化融合を唱えて固有の文化を破壊しようとする人々は、その行く先を見ていないように思うのです。

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国籍法改正案―”認知”意思主義の誤り

2008年11月25日 16時43分47秒 | 日本政治
親子の確認を厳格化へ、国籍法改正による偽装認知防止(読売新聞) - goo ニュース
 国籍法改正案に対し、国民の多くが不安を抱く中で、法務省は、偽装認知を防ぐため、”親子の確認”の厳格化を定める通達を出す方針と報じられています。しかしながら、この措置だけで、十分に国民の不安を取り除くことはできるのでしょうか。

 まず、問題となるのは、”親子の確認”とは何か、ということです。民法では、近年まで、自然血縁尊重を原則としてきましたが、最近の最高裁判所の判例により、認知する側が親であることを主張すれば、血縁関係がなくとも子の認知ができるとする意思主義に変更になったと言われています(これでは”偽装認知”なるものも存在しない・・・)。もし実際に、この民法上の意思主義が国籍取得にも用いられるとしますと、”親子の確認”は、書類や写真があったとしても、認知ビジネスの防止に効果があるとは思えません。行政の窓口で、いくらでも緩い確認と裁量がまかり通るからです。この点を考えますと、国籍法上の認知は、血縁関係を原則とすると定め(DNA鑑定…)、しかも、父親の親権や扶養の事実などを要件に加える方が、まだ”親子の確認”の厳格化は期待できます。”親子の確認”とは、あまりに曖昧な表現であり、添付書類の内容などが明らかにされない限り、安心はできないのです。

 そもそも国籍法の問題が混乱するのも、認知の原則が意思主義に変えられたことにも原因があります。もし、この原則を反対のケース、つまり、親が、血縁関係にある実子との親子関係を否定する方向に用いられますと、これも家族崩壊の危機となりましょう。”赤ちゃんポスト”で明らかとなったように、育児を放棄する親は現実に存在しており、親の意思によって親子関係が左右されるようでは、むしろ、家族の安定性を損ねるのではないでしょうか。

 現行の国籍法が、準正を要件としたことにはそれなりに理由があり、婚外子の救済策としては、帰化という方法もあります。まだまだ国民的な合意には達しておらず、法律の間での不整合も見られますので、今国会で、国籍法の改正を急ぐ必要はないと思うのです。

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グローバル化が国民国家を壊す理由

2008年11月24日 16時17分34秒 | 国際政治
 市場グローバル化とは、国境を超えて、財、マネー、サービス、情報、技術、おおよび、労働力などが自由に移動し、企業が、グローバルな視点に立って最適の事業展開を実現できる状況を意味してます。この結果、資源の調達から製品の組み立てを経て小売に至るまで、すべて段階を多数の国に分散させることができるようになります。

 それでは、何故、グローバル化が進むと国民国家が壊れるのでしょうか。その答えは、人の移動にあります。人を、経済学用語に転換すると、”サービス”や”労働力”ということになります。人=ホモ・エコノミクスの視点に立ちますと、人は、生産要素の一つでしかなく、足りないところから過剰なところへ、また反対に、過剰なところがあれば足りないところに送ればよいということになるのです(経営戦略の一環でしかない・・・)。新自由主義者と呼ばれる人々が、移民政策に大賛成なのは、物と同じように、人を生産要素の一つとしてしか見ないからです。ところが、人とは、100% 経済に還元することができず、国家との間に政治的な権利・義務関係もあれば、ある社会の一員でもあります。つまり、人とは、多面的な存在であって、一つの側面では割り切れないのです。

 国民とは、主権の及ぶ国家の人的な枠組みでもありますので、この国民の部分が常に国境を超えてあちらこちらに移動を開始し始めますと、国家は、自らの枠組みを維持できなくなります。かくして、市場のグローバル化は、国民国家の統治能力を低下させ、それを崩壊に導くことになるのです。

 人の流動化が、政治並びに社会的な不安定化をもたらすことを考えますと、ここで一旦立ち止まって、人を経済一辺倒で理解してよいのかを、問い直すべきなのではないでしょうか。政治と経済の両者を調和させ、両者の役割を生かすには、財、マネー、情報…の移動は自由化させても、多面性を持つ人の移動だけは、制約を課すべきと思うのです。

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国民国家が融解する悲劇

2008年11月23日 16時26分02秒 | 国際政治
2025年、国民国家システムは消滅 米情報機関が予測(朝日新聞) - goo ニュース
 ”国家”を悪とみなす理想主義者にとっては、国民国家システムの消滅は、喜ばしいことなのかもしれません。しかしながら、現在、国民国家が果たしている役割を考えますと、喜んでばかりはいられないように思うのです。

 何故ならば、国家とは、そもそもアイデンティティーを共有する共同体を守ってきたものですし、また、その中に生きる人々の生命、身体、財産を保護する存在でもあったからです。しかしながら、国家の枠組みが融解し、民族の枠組みを定かではなくなり、誰が誰に対して権利や義務を持つのかもあやふやとなりますと、人間は、砂粒の如くにばらばらの存在になるかもしれません。と同時に、国家もまた民族といった集団や個人を保護する役割を果たさなくなるのです。国家間の境界が解けるによって、帝国型の支配が忍び寄るかもしれませんし、私的な支配が人間を絡め取るかもしれません。

 それでは、国際機関が、国民国家に替わる役割を担ってくれるのでしょうか。国際機関は、国民国家よりもはるかに制度整備が遅れているのですから、統治の役割を担えるようなレベルにはありません。代替物がないにもかかわらず、国民国家を壊してしまうとしますと、その狭間で、誰からも保護されない人々が大量に出現するとも限らないのです。この状況が、果たして人類にとって幸福であるのか、まことに疑問に思うのです。

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国籍法改正で日本国は愚者の船に

2008年11月22日 16時05分45秒 | 日本政治
女性進出と移民受け入れを 日本の衰退回避策と米報告書(共同通信) - goo ニュース
 日本国の国力と繁栄を支えてきた基盤、それは、”一億総中流”と言われた厚みのある中間層であったのかもしれません。億万長者はいなくとも、貧困に苦しむスラムもまた稀でしかなかなく、”社会主義的”と評されつつも、秩序ある社会を築いてきたことが、日本国発展のカギであったのです。昨今、経済的な格差が問題視されてきたことも、この中間層の消滅に対する危機感に他なりません。

 日本国の繁栄を支えてきた基盤が、普通の日本人である勤勉で健全な中間層にあったとしますと、移民政策の推進は、この層に大きな打撃を与えることになります。例えば、既に衆議院を通過してしまった国籍法改正で予測される”移民”は、母子家庭の予備軍であり、新たな貧困層の出現を意味します。それが、国籍ブローカーが暗躍した結果となりますと、認知ビジネスで国籍を取得した子供達は、犯罪集団の予備軍にもなりかねません。また、「1000万人移民政策」が実施されるとすれば、多くの中間層の人々が職を失うか、所得の減少に直面することになります。人口の規模は、国の豊かさを表すものではなく、廉価な労働力の確保を目的とした移民政策や法改正は、経済やそれを支える社会そのものを破壊することになりかねないのです。

 アメリカのNICは、日本国が移民政策を採らなければ衰退すると予測しておりますが、肝心の中間層が消えてしまうとなりますと、移民政策は、日本国の衰退に拍車をかけることになりましょう。つまり、逆効果となりそうなのです。みすみす自国が衰退するような政策を採ることは、自らが、自らの乗っている船の船底に穴を開ける行為と等しくなります。日本国民が”愚者の船”に乗せられているようで、あまりに愚かしいと思うのです。
 
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国籍法改正案で家族制度が崩壊?

2008年11月21日 16時44分44秒 | 日本政治
 国籍法改正案については、認知ビジネスの横行が懸念されておりますが、もう一つ、この法案には、重大な問題があります。それは、家族制度崩壊への道を開いたということです。

 それでは、国籍法が通過すると、何故、家族制度は崩壊するのでしょうか。その理由は、国籍法改正の根拠となった最高裁判所の判決が、嫡出子と婚外子との間に権利の差があることは、憲法に定めた法の前の平等に反するとしたからです(しかも、制定時には合憲で、現在違憲である理由は、国民意識の変化としている・・・)。もし、この平等原則を民法にも適用するとしますと、婚外子は、母の戸籍ではなく、父の戸籍に入籍することができ(民法790条により原則として婚外子は母の籍に入る)、相続も平等としなくてはなりません(民法900条により婚外子は嫡出子の2分の1)。平等原則をさらに徹底しますと、法律上と事実上の配偶者との間にも、権利に差があってはならないことになります。

 しかしながら、そもそも、家族とは、親子や兄弟姉妹などの関係を律するための法律であり、純粋に平等原則を適用できない部分があります。何故ならば、平等原則を徹底すれば、家族自体が崩壊してしまうからです(親も子もなく、兄弟姉妹もない平等な個人に還元されてしまう・・・)。結局、どの程度、家族や血縁関係の間に平等を組み入れるかは、国民の合意の下に決めるべき問題であり、本来、司法が判断すべき分野ではないのです。

 この側面を考えますと、もし、国籍法を改正するならば、民法などの関連分野との整合性を確保しつつ、慎重に議論を重ね、国民的な合意を形成すべきと思うのです。

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国籍法改正案は参議院でストップを

2008年11月20日 15時40分32秒 | 日本政治
 制度の悪用が再三指摘されていた国籍法改正案が、さしたる審議や質疑応答もなく衆議院を通過したことは、日本国の民主主義に対する警鐘となりました。何故ならば、国会議員は、国民の代表としては行動しなかったからです。

 しばしば、代議制度は、議員に対する国民の”白紙委任”となる危険性が指摘されおり、議会制民主主義の是正すべき欠陥とされてきました。今回の本法案の扱いは、まさしくこの批判を地で行くような展開であり、”国民の声は邪魔”という国会議員の傲慢さが見え隠れしています。選挙の時だけは、”国民の声を政治に”と連呼しながら、実際に当選して議員となると、すっかりこの言葉が頭から消えてしまっているのです。

 議会制民主主義の欠陥を僅かなりとも緩和するためには、政治家は、多くの有権者の声に耳を傾け、世論を確かめることによって、自らが国民の代表であるように努める必要があります。これこそ、民主主義国家における政治家が心得るべき政治倫理であり、政治家は、常に国民に寄り添わなくてはならないのです。

 たとえ本法案が可決されても、下位の施行規則の強化で対応できるとの意見もありますが、窓口において有効な取り締まりができるとも思えません。幸い、まだ参議院での審議と採決が残されており、本法案の行方は決まっているわけではありません。参議院が、自らの存在意義を示すためにも、本法案は、衆議院のように、安易に採決してはならないと思うのです。

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国籍法改正に潜む国家観の対立

2008年11月19日 17時01分06秒 | 日本政治
国籍法衆院通過 法務委実質3時間、審議不十分の声(産経新聞) - goo ニュース
 国籍法改正案があまりに安易に衆議院を通過したことに、多くの国民は不安感を抱くことになりました。この不安感の根源とは、人間が本質的にもっている何かしらの危機感に起因しているように思うのです。この危機感とは、一体、何なのでしょうか。

 正直申しますと、それは、自らの所属する共同体が破壊される危機感ではないか、と思うのです。より率直に言えば、それは、民族と表現できるものであり、日本国の場合には、2000年以上の歴史を経て形成されてきた日本人というものなのかもしれません。とかくに、民族と言いますと、民族主義や排外主義というレッテルが貼られ、非難の対象になるのですが、実のところ、この国籍法改正における対立の根源を探りますと、この民族問題に突き当たるのです。

 コスモポリタンな社会を理想とする人々にとりまして、民族とは、あってはならない障害物であり、否定すべき集団です。しかしながら、この民族性を無視したことに対するしっぺ返しは、各地で発生している民族紛争や社会分裂として、嫌と言うほど経験してきているはずです。たとえ理想主義者の人々が、民族を消去しようとしても、現実問題として存在している限り、誰もこれを否定できなのです。

 国籍法改正問題が、これ程、多くの国民の関心を集めたこと自体が、民族問題が表出した結果とも言えましょう。もし、理想主義者の言うように、異なる民族の間には何らの摩擦も対立も起きないならば、そもそも、誰もこの法案に反対しなかったはずです。しかしながら、人間に備わる異質なものに対する警戒心と自己の属する集団を守ろうとする自己防衛の本能が、本法案に対する反対の態度を生んでいるのです。これは、相互的なものであり、立場が反対となれば、態度も逆になります(人間には、他国に対しては開放を求め、自国については閉鎖したがる傾向がある・・・)。

 国籍法改正をめぐる騒動には、民族主義と多民族主義との国家観の対立が潜んでおり、それを、正面切って言えない風潮が、事態をさらに拗らせています。もし、国民の多くが、共同体としての日本社会の尊重を選ぶならば、政府や政治家がこれを踏みにじることは、民主主義の原則に反します。

 民族問題を無視することは、人間の本性や事実に対して誠実であるとは言えず、むしろ、日本国の国家観を含めて、国民的な議論を起こすべきと思うのです。国籍法の改正の如何は、国民的な合意の形成を待ってからでも、決して遅くはないのではないでしょうか。

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改正国籍法の悪用を防ごう

2008年11月18日 17時41分47秒 | 日本政治
国籍法改正案が衆院通過(時事通信) - goo ニュース
 本日、多くの国民から疑問を寄せられていた国籍法が、驚くべきことに、委員会での審議も通さず、衆議院本会議で全会一致で可決されたと言います。この早急さは前代未聞であり、国民の声を無視して可決を急ぐ何らかの”理由”があったのではと、いよいよもって疑惑が深まりました。
 
 ところで、今回の国籍法の改正は、準正による国籍の取得を”認知”に変更するというものですが、”認知”は、国籍法ではなく、家族関係を明確化することを目的とした民法や戸籍法の守備範囲となります。つまり、この法案が悪用されるか否かは、”認知”の段階で、如何に不正を未然に防ぐのか、に掛かってくるのです。意思主義に基づくため、血縁関係になくとも本人の意思で、100人でも200人でも認知できるとする意見もありますが、親子関係については、”自然血縁尊重の原則”があり、子その他の利害関係人は、認知に対して反対の主張ができるとしています(民法第786条)。つまり、かりに、血縁関係にない場合には、認知は取り消すことができるのです。この条文から考えますと、もしかしますと、組織的な認知ビジネスによって、生活保護といった福祉サービスの不正受給が行われるとしますと、納税者である日本国民全員が、この”その他の利害関係人”に該当することになるかもしれません。

 国籍法の改正の悪用を防ぐためには、本法案は、血縁関係を証明するために、政府指定の検査機関におけるDNA鑑定を義務付けるべきであり、修正を付すべきと言えましょう。また、認知については、戸籍法を胎児の認知は認めない方向に改正し、認知は、全て出生後のDNA鑑定を待って行うべきではないか、と思うのです。

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EUを飛び越えたIMF金融庁化案

2008年11月17日 16時26分36秒 | 国際経済
金融サミットを評価=河村官房長官(時事通信) - goo ニュース
 規制強化をめぐる米欧の対立もさることながら、急遽開催された金融サミットでは、IMF改革の一環として、欧州が、金融市場のグローバル化を念頭に、国際的な金融監督機関の設立を提唱したと伝えられています。

 具体的には、IMFに金融市場の監督権を与える、ということのようなのですが、この案の実現可能性を探るには、EUが参考になるかもしれません。何故ならば、EUは、通貨統合と並行して金融市場の統合を進め、早くから国境を越えた金融秩序の安定化という課題に取り組んできたからです。その結果、どのような手法が採られるようになったかと申しますと、金融市場のルールは共通化するけれども(それでも大半は、”指令”という国際法の形態)、規制・監視の業務は、国家レベルの行政当局が中心に行うということでした。ECBも、支払・決済に関して規制・監視業務を行いますが、基本的には、ルール造りはEU、ルールの順守を監視するのは国家、という役割分担が成立したのです。

 このEU方式とIMF金融監督化案を比べてみますと、後者の方が、はるかに大胆なように思われます。もし、このIMFに、広範な規制・監視権限が付与されるとしますと、世界最強の金融庁が誕生しそうです。いざ実現となりますと、中立性や独立性なども問題となりそうであり、この方法が、はたして最適な方法であるのか、今後、十分に議論すべきと思うのです。

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国籍法改正案―国民に負担を強いる欠陥法案

2008年11月16日 16時27分22秒 | 社会
 如何なる”もの”を作る時でも、欠陥がないように、十分に気を配るものです。市場に出回る商品ならばなおさらのことで、欠陥があって被害でも発生しようものならば、リコールの対象となったり、製造物責任を問われたり、最悪の場合には、消費者の信頼を失って、企業倒産の憂き目となるかもしれません。しかしながら、何故にか、法案の作成については、それが国民全員に影響を与えるものであっても、法案成立後に発生する被害については、国会議員の方々は、全くしらんぷりを決め込みそうなのです。

 本国会に提出されている国籍法改正案も、こうした法案の一つです。何故ならば、この法案が成立した暁には、”偽装認知ビジネス”という、悪しき商売が全国に蔓延しそうだからです。本改正案が成立すれば、父親が認知をするだけで、外国人女性との間に出生した子は、日本国籍を取得できるようになります。罰則も緩く、DNAの鑑定も義務付けられていません(偽装であっても、国籍を取得できれば、参政権や社会保障の受給権など、すべての国民としての権利が享受できる・・・)。最高裁判所の違憲判決という尤もらしい理由が付けてありますが、この違憲判決自体が、権力分立の原則違反でありますで(司法が立法に介入・・・)、現在、国民から遠く離れたところで、国民に負担を強いる法案が通過しそうになっていると言えます。

 重大な欠陥が指摘されている法案を、そのまま可決させるとしますと、国会は、あまりに国民に対して無責任ということになります。製造物責任のように、被害が発生しても自らが責任を負うことがないことを見越して、国民に負担を強いる法案を通すことは、背信行為とさえ言えましょう。国民が納得できない法案が、国会で可決することは、本来、あってはならないと思うのです。

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